中編
朝と夜は繰り返す。
望もうと、望まざろうと。
多くの人魔にとっては短くとも、彼女にとっては狂おしいほどの時を経て、
同じ時刻の同じ場所に、メレーヌは立っていた。
「ごきげんよう……」
「……!」
どこからともなく、美しいながらも胡散臭い声が響き渡る。
「お嬢さん……先日の問いに対する答えは出たかな?」
「……」
「君と別れてから今日で丁度1週間。
時間にして、168時間。
分にして、10080分。
秒にして、604800秒
と言っている間に、もう23秒が過ぎてしまった。
今日も君の、
話し相手になりたい」
そして、声の主が薄暗い路地から姿を現した。
「……本当に、助けてくれるんですか?」
メレーヌが問う。うつむいており、表情をうかがい知ることは出来ない。
「君が望むのなら」
クリスティアーヌが答える。あいかわらず、其の美しい顔に胡散臭い微笑を浮かべていた。
「私は……」
メレーヌはゆっくりと頭を上げ、そして決意に満ちた力強い目で、クリスティアーヌを見る。そして、
「彼を、取り戻したい」
と、告げた。
「いかなる犠牲を払ってもかまわない。彼と一緒なら、私は何だって乗り越えられる」
クリスティアーヌの顔から笑みが消え、メレーヌに問う。
「……それを、今ここで誓えるかね?」
「誓います」
彼女は躊躇無くそう答えた。すると、クリスティアーヌは獲物を前にした狼のような笑顔を浮かべ、
「よくできました♪」
と、言うがはやいか、術式を紡ぎだすと、地面から紫色に淡く光る触手を出してメレーヌを絡めとってしまった。
「な、何を……」
「代償でしたらご心配なく、これから十分すぎるほど頂く予定ですわ。けれでも、人間のあなたは、もうここでさようなら」
彼女は帽子をとると、自らの周囲に現れた式を霧散させ、本来の姿へと戻る。
「残念だったねえ!」
そこには、銀髪灼眼の見目麗しい淫魔が、ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながら立っていた。
「……あなた、魔物だったんですね」
「ねえねえ、今どんな気持ち?頼った相手がよりにもよってリリムだったけど、今どんな気持ち?」
さも愉快そうに彼女を煽っているクリスティアーヌとは対照的に、メレーヌは落ち着いている。
「まあ、仕方がないかって感じですね」
「へ?」
予想外の返答を受け、クリスティアーヌはその場で固まった。
「あの人の親に拒絶されて、当ても無くさまよっているときに、あなたが手を差し伸べようといってくれたんです。やけに仰々しい対価を提示してきたので、いろいろと危ない目に会うことは容易に想像がつきましたが、私にはもう打つ手がなかったんです。だから、たとえ裏に何かが隠されていたとしても、それに乗っかろうと思いました」
「……」
「まあ、まさかあなたが人間ではないなんて思いもしませんでしたけどね」
「……なんか、ごめんなさい」
先ほどまでの余裕はどこへやら。クリスティアーヌはすっかりしょげ返っていた。
「別にいいですよ。……このまま私の魂を差し上げてもいいのですが、悪魔なら悪魔らしく、その前に願いくらいかなえてもらいたいですけど」
「相手を魔物と知ってもなおすがるとはね……あなたの覚悟、しかと受け取ったわ。元からそのつもりだったけど、あなたの恋人を取り戻すお手伝いをしてあげる」
「ははは、ありがとうございます」
「さあ、もう後戻りは出来ないわよ」
クリスティアーヌは大きく息を吐くと静かに息を吸い、意を決したようメレーヌへと告げる。
「いい?あなたはこれから魔物になる」
「え?」
「種族は私が決めるわ。どうせ、あなたはろくに知らないでしょ?」
「は、はあ……」
今度は彼女が固まる番だった。
「魔物になれば、その辺のボンボンの家のセキュリティぐらい簡単に突破できるわ。大丈夫、私が責任を持って最適な種族を選ぶし、万が一やばそうだったら助太刀する。何は質問は?」
「えーっと……体の変化以外に何かありますか?例えば、人格がおかしくなっちゃったり、人間が食べたくなっちゃったり」
おそるおそる、メレーヌがクリスティアーヌに問う。すると、彼女は冷笑を浮かべて、
「貴様のような無能に、教える義理は無い」
と言った。
「ええっ!?」
「冗談よ。そうね……性格は変化した魔物のものにある程度近づくわ。」
クリスティアーヌは一週間前に彼女をからかったときと同じようにニヤニヤと笑っている。ああ、この魔物は人を弄るのが本当に好きなんだとメレーヌは思った。
「あと、破廉恥な事がだ〜いすきになる」
「破廉恥な事?」
「ええ、好きな男の人を見ると、つい犯っちゃうぐらい」
突然、クリスティアーヌがずいっと顔を近づけてきた。その微笑はとてもこの世のものとは思えないほど妖艶で美しく、メレーヌは相手が女性であることも忘れて、思わず頬を染めてしまう。
それに気づいたのか、クリスティアーヌはさらに口角を上げると、顔を離しながらその場で1回転し、またもとの表情に戻ってから話を続けた。
「でもまあ、それだけね。魔物になって、夫を見るとすぐに欲情しちゃう変態さんになっても、あなたはあなた。狂っちゃうなんてことはないし、人間なんて、むしろ絶対殺したくないと思うようになるわ」
「……教団の方々の言っていることとは、ずいぶんと違いますね。まあ、堕落して、欲望のままに生きるというのは本当のようですけど」
「堕落といっても、本人や術者の意思しだいでそこまで深くならないようにすることも可能よ。でなかったら、北東のヴァールス王国は、どうして大国二つに囲まれているのに滅亡しないのかしらね」
「そういわれてみれば」
この国はヴァールス王国と長い年月にわたって戦争をしており、国境付近ではたまに激しい戦闘が繰り広げられることもある。しかし、兵力はこちらのほうが勝っているのにもかかわらず、ヴァールス王国側の質の高い兵器や巧みな戦術に翻弄され、大抵は敗北してしまうのだ。
「生命の目的は、生きる事と殖える事。私達はあくまでそれに忠実に生きているの。殿方は愛と精を提供してくださる何物にも代え難い宝物として、御婦人方は共に男を愛する未来の仲間として、かけがえの無い大切な命なのですわ。それをむざむざ殺してしまうなどというのは、とても愚かで、残酷で、もったいない行為だと本能が訴えるのよ」
「それなら、なぜ彼らはあなた達を滅ぼそうとするのですか?」
「うーん、ちょっと長くなるから、別の人に聞いて頂戴。そうね……ヴァールス王国とかクールラント教国とかに亡命するといいわ。あそこの偉い魔物なら、きちんとした理由を教えてくれるはずだし、特に前者なら私もよく遊びに行くから、そのときに教えてあげることも出来るわね」
「わかりました」
しばらくの間、辺りが静寂に包まれる。まるで、彼女が人間である最後の時を惜しむかのように、一陣の風が吹き抜けていった。
「元から魔物だった私にはよくわからないけど、やっぱり魔物化って怖いらしいわね」
「はい。正直、さっきの言葉を聞いても、まだとっても恐ろしいです」
「……精一杯、優しくするから」
「よろしく、お願いします」
メレーヌが答えると、クリスティアーヌは無言でうなずき、勢い良く指を鳴らした。
望もうと、望まざろうと。
多くの人魔にとっては短くとも、彼女にとっては狂おしいほどの時を経て、
同じ時刻の同じ場所に、メレーヌは立っていた。
「ごきげんよう……」
「……!」
どこからともなく、美しいながらも胡散臭い声が響き渡る。
「お嬢さん……先日の問いに対する答えは出たかな?」
「……」
「君と別れてから今日で丁度1週間。
時間にして、168時間。
分にして、10080分。
秒にして、604800秒
と言っている間に、もう23秒が過ぎてしまった。
今日も君の、
話し相手になりたい」
そして、声の主が薄暗い路地から姿を現した。
「……本当に、助けてくれるんですか?」
メレーヌが問う。うつむいており、表情をうかがい知ることは出来ない。
「君が望むのなら」
クリスティアーヌが答える。あいかわらず、其の美しい顔に胡散臭い微笑を浮かべていた。
「私は……」
メレーヌはゆっくりと頭を上げ、そして決意に満ちた力強い目で、クリスティアーヌを見る。そして、
「彼を、取り戻したい」
と、告げた。
「いかなる犠牲を払ってもかまわない。彼と一緒なら、私は何だって乗り越えられる」
クリスティアーヌの顔から笑みが消え、メレーヌに問う。
「……それを、今ここで誓えるかね?」
「誓います」
彼女は躊躇無くそう答えた。すると、クリスティアーヌは獲物を前にした狼のような笑顔を浮かべ、
「よくできました♪」
と、言うがはやいか、術式を紡ぎだすと、地面から紫色に淡く光る触手を出してメレーヌを絡めとってしまった。
「な、何を……」
「代償でしたらご心配なく、これから十分すぎるほど頂く予定ですわ。けれでも、人間のあなたは、もうここでさようなら」
彼女は帽子をとると、自らの周囲に現れた式を霧散させ、本来の姿へと戻る。
「残念だったねえ!」
そこには、銀髪灼眼の見目麗しい淫魔が、ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながら立っていた。
「……あなた、魔物だったんですね」
「ねえねえ、今どんな気持ち?頼った相手がよりにもよってリリムだったけど、今どんな気持ち?」
さも愉快そうに彼女を煽っているクリスティアーヌとは対照的に、メレーヌは落ち着いている。
「まあ、仕方がないかって感じですね」
「へ?」
予想外の返答を受け、クリスティアーヌはその場で固まった。
「あの人の親に拒絶されて、当ても無くさまよっているときに、あなたが手を差し伸べようといってくれたんです。やけに仰々しい対価を提示してきたので、いろいろと危ない目に会うことは容易に想像がつきましたが、私にはもう打つ手がなかったんです。だから、たとえ裏に何かが隠されていたとしても、それに乗っかろうと思いました」
「……」
「まあ、まさかあなたが人間ではないなんて思いもしませんでしたけどね」
「……なんか、ごめんなさい」
先ほどまでの余裕はどこへやら。クリスティアーヌはすっかりしょげ返っていた。
「別にいいですよ。……このまま私の魂を差し上げてもいいのですが、悪魔なら悪魔らしく、その前に願いくらいかなえてもらいたいですけど」
「相手を魔物と知ってもなおすがるとはね……あなたの覚悟、しかと受け取ったわ。元からそのつもりだったけど、あなたの恋人を取り戻すお手伝いをしてあげる」
「ははは、ありがとうございます」
「さあ、もう後戻りは出来ないわよ」
クリスティアーヌは大きく息を吐くと静かに息を吸い、意を決したようメレーヌへと告げる。
「いい?あなたはこれから魔物になる」
「え?」
「種族は私が決めるわ。どうせ、あなたはろくに知らないでしょ?」
「は、はあ……」
今度は彼女が固まる番だった。
「魔物になれば、その辺のボンボンの家のセキュリティぐらい簡単に突破できるわ。大丈夫、私が責任を持って最適な種族を選ぶし、万が一やばそうだったら助太刀する。何は質問は?」
「えーっと……体の変化以外に何かありますか?例えば、人格がおかしくなっちゃったり、人間が食べたくなっちゃったり」
おそるおそる、メレーヌがクリスティアーヌに問う。すると、彼女は冷笑を浮かべて、
「貴様のような無能に、教える義理は無い」
と言った。
「ええっ!?」
「冗談よ。そうね……性格は変化した魔物のものにある程度近づくわ。」
クリスティアーヌは一週間前に彼女をからかったときと同じようにニヤニヤと笑っている。ああ、この魔物は人を弄るのが本当に好きなんだとメレーヌは思った。
「あと、破廉恥な事がだ〜いすきになる」
「破廉恥な事?」
「ええ、好きな男の人を見ると、つい犯っちゃうぐらい」
突然、クリスティアーヌがずいっと顔を近づけてきた。その微笑はとてもこの世のものとは思えないほど妖艶で美しく、メレーヌは相手が女性であることも忘れて、思わず頬を染めてしまう。
それに気づいたのか、クリスティアーヌはさらに口角を上げると、顔を離しながらその場で1回転し、またもとの表情に戻ってから話を続けた。
「でもまあ、それだけね。魔物になって、夫を見るとすぐに欲情しちゃう変態さんになっても、あなたはあなた。狂っちゃうなんてことはないし、人間なんて、むしろ絶対殺したくないと思うようになるわ」
「……教団の方々の言っていることとは、ずいぶんと違いますね。まあ、堕落して、欲望のままに生きるというのは本当のようですけど」
「堕落といっても、本人や術者の意思しだいでそこまで深くならないようにすることも可能よ。でなかったら、北東のヴァールス王国は、どうして大国二つに囲まれているのに滅亡しないのかしらね」
「そういわれてみれば」
この国はヴァールス王国と長い年月にわたって戦争をしており、国境付近ではたまに激しい戦闘が繰り広げられることもある。しかし、兵力はこちらのほうが勝っているのにもかかわらず、ヴァールス王国側の質の高い兵器や巧みな戦術に翻弄され、大抵は敗北してしまうのだ。
「生命の目的は、生きる事と殖える事。私達はあくまでそれに忠実に生きているの。殿方は愛と精を提供してくださる何物にも代え難い宝物として、御婦人方は共に男を愛する未来の仲間として、かけがえの無い大切な命なのですわ。それをむざむざ殺してしまうなどというのは、とても愚かで、残酷で、もったいない行為だと本能が訴えるのよ」
「それなら、なぜ彼らはあなた達を滅ぼそうとするのですか?」
「うーん、ちょっと長くなるから、別の人に聞いて頂戴。そうね……ヴァールス王国とかクールラント教国とかに亡命するといいわ。あそこの偉い魔物なら、きちんとした理由を教えてくれるはずだし、特に前者なら私もよく遊びに行くから、そのときに教えてあげることも出来るわね」
「わかりました」
しばらくの間、辺りが静寂に包まれる。まるで、彼女が人間である最後の時を惜しむかのように、一陣の風が吹き抜けていった。
「元から魔物だった私にはよくわからないけど、やっぱり魔物化って怖いらしいわね」
「はい。正直、さっきの言葉を聞いても、まだとっても恐ろしいです」
「……精一杯、優しくするから」
「よろしく、お願いします」
メレーヌが答えると、クリスティアーヌは無言でうなずき、勢い良く指を鳴らした。
12/04/01 22:03更新 / コモンレール
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