連載小説
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前編
ある春の日の黄昏のこと、人気の無い広場の噴水の周りを、うつむきながらを延々と歩き続けている少女が一人。

「こんにちは……」
「ひゃっ……!」

そこへ、純白のシルクハットとタキシードに身を包んだ一人の女性が少女に声をかけた。少女は驚いて飛び上がる。無理もない。なぜなら、

「お嬢さん……そんな浮かない顔をして、何事かお悩みかな?」

彼女は思考の海へと埋没していたのだから。

「あっと、その……」
「さきほどから君が其の噴水の周りを廻った回数は11回。
 歩数にして、凡そ704歩。
 距離にして、実に337m。
 愚かな提案があるのだがどうだろう?私で良ければ君の、
 話し相手になりたい」
「え?え?」

しょうじょは こんらん している! ▼

「おっと、すまなかったね。深呼吸でもしようか。吸って〜」

少女は言われたとおり息を吸い込む。

「吐いて〜」

少女は言われたとおり息を吐き出す。

「吸って〜」
「はむっ……ちゅ〜ってするかああああああ!」
「あんっ♪」

どさくさにまぎれて、女性は自分の乳房を少女に吸わせていた。

「はあ……はあ……」
「う〜ん、残念……どうかな?おちついたかね?」
「これのどこが落ち着いているように見えるんですか!?」

少女は顔を真っ赤にして怒っている。しかし、

「うむ、きちんとした応答が返ってきているな。よしよし」

女性は服を直しながら満足そうに頷いた。

「さて、もう一度言おう。君は何故、この噴水の周りを廻っていたのか。さあ、唄ってごらん……」
「歌って説明するとか無理ですよ!吟遊詩人じゃないんですから!」

突然の無茶な要求に、少女は息を切らせ、顔を真っ赤にしている。

「無理だ無理だと決め付けるからいけないのさ。さあ、唄って……」
「モノには限度ってものがあるんです!怒りますよ!?」
「もうすでに怒っているじゃないか」

しかし、女性にはまったく悪びれる様子は見られなかった。

「誰のせいだと思ってるんですか!」
「ははは、御婦人方の矜持を傷つけると、恐ろしいことになるんだねえ」

言葉とは裏腹に、彼女の顔には明らかに「してやったり」と書かれている。

「あなたも『御婦人』でしょう!?」
「失礼、確かにそのとおりだ」

女性はさも愉快そうに笑いながら、噴水のふちに座った。

「もう、私をからかいに来たんですか?」

少女の問いに、女性は妙に真剣な顔にこう答えた。

「四割は違うね」
「過半数占めてるじゃないですか」
「あ〜でもそれーは気〜のーせ〜いよ〜♪」
「気のせいじゃなーい!」

哀れな少女の今日何度目になるのか分からない絶叫が、この誰もいない広場にむなしく響く。

「はあ……はあ……」
「まあ、そんなことはどうでもいい。事情を話してくれたまえ」

散々煽ったくせに、女性はさっさと話を進めさせようとしている。自己中とはこういった輩のことを言うのだろう。
少女は一瞬ためらうような様子を見せたものの、話す相手がほしかったからなのか、自分の身の上を語り始めた。

「……私には好きな人がいます」
「ふられたのか。ありきたりすぎてつまらんから帰ろう」
「ちょっ、違いますよ!」

早くも女性が茶化し始めた。せっかくの雰囲気が台無しである。

「じゃあ死んだのか。お悔やみ申し上げる」
「じゃあってなんですかじゃあって!勝手に人の恋人を殺さないでください!」
「なら短小だから満足できなくて浮気してしまった?人は見た目によらないとは、よく言ったものだね」
「……っ!私はまだ処女です!」

少女はいじらしく否定した。それを小動物でも愛しむかのような目で見ながら、女性は話を続ける。

「はは、純潔を守ることは大切な男を捕まえる最強の手段だ。だが、出し惜しみをしては無いのと同じだよ。……すると、親か」
「はい。私はただの雑貨屋の娘ですが、彼は由緒正しき家系で代議士の息子。『お前のような女は息子につりあわない』と、一蹴されてしまったのです」
「ほう……」

自身の身の上を寂しそうに語る娘を、女性は興味深そうに目を細めて見ていた。

「私の知り合いにも、そのような人物がいるね。ただ、君とは逆に彼女のほうがとても高い身分の者で、男はしがない町工場の少々名の売れた銃職人(ガンスミス)だったかな」
「そうなんですか」

飄々としてつかみどころの無い振る舞いをする彼女ではあるが、その所作は何気ない動作にいたるまで気品を感じさせ、身につけている衣服や杖なども、相当な上物であることがうかがい知れる。そのため、そのような発言が飛び出しても、少女が不自然に思うことは無かった。

「いい娘(こ)だよ。ただ、昔からあの娘(むすめ)には特殊な性癖があってね、最近は特にそれに没頭しているから、なかなかかまってくれなくて少々寂しいのだ」
「それで、その人はどうなったんですか?」

あなたのほうがよっぽど特殊だよという突っ込みをぐっとこらえながら、少女は質問する。

「しっかり、結ばれたよ」
「へえ……」

自分と似たような状況の女性が、愛するものと結婚したと聞いて、少女はただただ感心するしかなかった。

「さて、君の悲しみをばらしてみようじゃないか。そう、まるで因数分解のように」
「え?」

偉い人の考える事はえてして理解しがたいものなんだよね、という父親の言葉を、少女は思い出した。

「30が1×2×3×5から成り立っているように、物事というのは須らく単純な事象(かず)の乗算で出来ているものだよ」
「まあ、それは、確かに、そう、ですけど」

あまりにも例えが特殊すぎて、少女は何から突っ込んでいいのか分からないようだ。

「まずは君が彼に恋をした。それが1(アン)だ」

女性が数を数えながら、少女に分析の結果を提示する。

「そして彼も君に恋をした。それが2(ドゥ)だ。
 しかし君達の間には家柄の差があった。それが3(トロワ)だ。
 さらに運の悪い事に、彼の親はそれを許さなかった。それが5(サンク)だ。
 このどれか一つでも欠ければ、今回の悲劇は起こらなかった事になるね」
「なるほど……」
「単純な式にこそ、真理は宿るのだよ」

1が欠ければ、そもそも彼女は迷わない。2が欠ければ、そもそもここまで話が発展しない。3が欠ければ、普通に御互いの家が得をして終わる。5がかければ、寛容な両親としてちょっとした語り草になった事だろう。

「それでは、幸せの最大公約数(かず)を求めてみようか」
「普通に考えれば15ですけど……」

今回は数学の問題ではない。いったい、彼女はどのような答えを導き出すのだろう。

「先に話した私の友人のときは、結局6で決着した」

つまり、親を説得して押し切ったという事になる。

「だが、残念ながら、君の場合は2しかないと私は考える」
「でも、どうやって身分の差をなくすんですか?」

ほかの代議士の家の養子になってから結婚するのだろうか。彼女ならできそうな気がしなくも無い、と少女は考えた。しかし、

「これは非常に簡単な様で難しく、王道にして陳腐な手段だが、駆け落ちして逃げてしまえば良い」

女性の答えは、もっと過激で単純だった。

「そんな!無理ですよ!」
「だが、私にはそれを助け、成功させる算段がある。どうかな?」

いやに真剣な空気で、女性は少女に質問した。身にまとっていた胡散臭いオーラは、いつの間にかカリスマへと変化してしまっている。

「君が望むのなら、私は君の味方となろう」
「……」

少女は女性の顔をじーっと見つめている。

「……まあ、即答は出来ないだろうね。これはあなたの人生を大きく左右する大切な問題だ。奪還に迷いがあるのなら、時間をあげよう」
「はあ」
「傷つく事が恐いかね? 喪う事が恐いかね?信じる事が恐いかね?
 だからこそ私は、そんな君の、話し相手になりたいのだよ」

女性は腰掛けていた噴水のふちから立ち上がると少し歩き、振り向いて少女に語りかけた。

「私の名前はクリスティアーヌ・クリストフ。クリと呼んでくれたまえ。あなたの名前は?」
「メレーヌ・サマンです」
「マドモワゼル・サマン、一週間後のこの時間に、またお会いしよう。それでは」

クリスティアーヌがいずこへと歩き始め、やがて宵闇の中に飲み込まれていく。メレーヌはそれを、ただ呆然と見送ることしか出来なかった。
12/03/31 00:54更新 / コモンレール
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■作者メッセージ
え?魔物娘が出ていないって?居るじゃないですか、私の作品でサンホラネタを撒き散らす女性って言ったら、もう一人しか居ないでしょう?

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