その願いの先には
夜、村の人間が殆ど寝静まる中、小吉はある場所を目指していた。
『・・・佐助、いるか?』
それは囲炉裏の火もなく、闇に染まっている佐助とゆきの暮らす家。
『・・・ぅ』
闇の中から小さな呻き声が聞こえた。
『・・・さ、佐助』
闇に目を凝らすと、手足を縄で縛られた佐助が床に転がっていた。
ゆっくりと佐助を抱き起こし、声を掛ける。
『・・・大丈夫か?』
『小吉・・・か』
佐助は定まらない視線をようやく小吉に向け、小さく答える。
どうやら手足を縛られてはいるが怪我などはしていないようだ。
『ゆき・・・ゆきが・・・』
『ああ、分かっている。俺は今からゆきを迎えに行く』
その言葉に佐助の目が大きく見開かれる。
『お、俺も・・・!』
『いや、一人で大丈夫だ。もしかするとお前の様子を見に、他の者が来るやもしれん』
『しかし!』
自分も一緒に行くと言う佐助を説得する。
もし、再び百足と顔を合わせれば取り乱すことは予想でき、そうなれば自分一人で佐助を押さえることは出来ないだろう。
『大丈夫だ、安心しろ。必ずゆきを連れて帰ってくるさ』
『・・・すまない』
『何を言う。ゆきも言っていたではないか、俺たちは家族も同然だと』
その言葉に佐助は涙を流し、「そうだな」と零した。
ようやく意識が覚醒した百足はゆっくりと体を動かす。
最初に感じたのは肌寒さ。
そして、今までとは違う視界と音。
今までは季節が変わっても暑い寒いといった変化はあまり感じなかったが、今は身震いするほどに肌寒かった。
普段はぼんやりとしか見えない景色も今でははっきり見え、音も明瞭に聞くことが出来た。
何とか上体を起こそうと下を向くと、何やら見慣れぬ物が目に入る。
肌色と言うよりは白に近い色をしており、途中に間接があり、その先に更に五本の肢の様なものが並んでいた。
『・・・・・・・?』
人間の腕のように見え、どこから生えているのだろうと根元を探すように視線を上げる。
それは自分の体から生えていた。
『・・・?・・・?』
訳が分からず体を振るってそれを払い落とそうとするも、体と同じ様に力なくブラブラと揺れるだけ。
取りあえず起きようと体を持ち上げると、無意識のうちに二本の腕は地面に添えられ体を支える。
その動きに驚きぱっと身を引くと、手がそれに反応し体に寄せられる。
どうやらこの腕は本当に自分の体の一部のようで、自由に動かすことができた。
上げたり下げたり、握りこんだり広げたり。
最初こそ体の変化に戸惑いこそ覚えたが、これはこれで便利だなと百足は思った。
今までは数は多いが、短い肢は歩くことにしか使えなかった。
しかし、この腕なら獲物を捕まえたり、今のように体を起こすのにも不自由しない。
体の慣らしがてら腕を動かしたり、体を捻っていると視界の端に黒い糸のようなものが見える。
邪魔だなと思い、早速腕で払いのけるが、しばらくするとまた垂れ下がってくる。
鬱陶しく思い引き抜いてしまおうと手で掴んで引っ張ると、突然自分の頭から痛みが走る。
それに驚き手を離すと、今度はゆっくり引いてみる。
自分の頭が引っ張られる感覚から想像するに、これも自分の頭から生えているようだった。
触覚とは違い、空気の動きも察することが出来ないようで、これは役立たずだなと落胆する。
さらには百足の胴体部分も腕と同じ色をしており、突いてみると柔らかかった。
顎肢は変わらず並んではいるが、模様のようなものが浮き上がっており、そこからは毒が滲み出ていた。
一通り体の慣らしが済んだ百足は、しばし空を見上げ考える。
自分の体は一体どうしてしまったのか。
意識を失う直前のあの感覚。
体の奥から何かが消えて行き、違う何かに塗り替えられるような・・・
今まで経験したことのない感覚だったが、不思議と今の体に嫌悪感は抱かなかった。
このままここにいる理由もないので、一先ず巣に戻ろうと後ろを振り向いた時、百足は息を呑んだ。
目の前に力なく横たわる人間の女。
何故かその姿を見ていると動悸が嫌に激しくなり、体が震えてくる。
『・・・・・・・!』
恐る恐る手を伸ばし触れた体は、石のように冷たく硬直していた。
意識を失うまでは何とも思わなかったはずなのに、今では直視することさえ辛く感じる。
それでも目を逸らす事が出来ず、目から熱いものが込み上げるのを感じた百足は手で拭った。
『・・・?』
拭った手についていたのは、小さな水滴だった。
小吉は丘を目指して走っていた。
『ゆきを、助けなくては・・・!』
生きていてほしい。
何かと自分の事を気にかけてくれる、妹のような存在。こんなところで死んでしまうなんて納得できなかった。
ようやく丘が見えた小吉の足が止まる。
『なんだ、・・・あの女は?』
丘の上に人影があり、屈み込んで何かを見ていた。
『お、おい、あんた・・・っ!』
驚かさないようゆっくり近付きながら声を掛ける。
しかし、小吉に気付いた人影は顔を上げると、目にも留まらぬ速さで百足の巣穴に引っ込んでいった。
その時見えた人影は、確かに百足の体をしていた。
『い、今のは一体・・・確かに人のようにも見えたが、あの姿は百足か・・・?』
もう居なくなった影について思いを巡らせる小吉だったが、はっとした顔をして辺りに意識を集中する。
それは案外すぐに見つかった。
夥しい赤色と、鼻を突く鉄の臭い。
目を見開き、驚きの顔のまま横たわる一人の女性。
『ゆき・・・!』
すぐに駆け寄り抱き起こすも、その体は驚くほど冷たくなっていた。
『ああ・・・なぜ、お前がっ・・・!』
いくら呼びかけても返事は返ってこない。
見開いた目を閉じ、驚きに歪んでいる口元も正してやる。
事切れてしまったゆきを抱えると、小吉は歯を食いしばりながら、村へと足を向けた。
その後、佐助の元へと帰り、縛り付けてあった縄を解く。
佐助は声を上げて泣き叫び、ゆきの体に縋り付いた。
小吉はそれを見ていることしか出来ず、何と声を掛けたらいいのかも分からなかった。
その日の昼まで一緒に話をしていた家族が、突然居なくなってしまう。
前にも経験したことはあった筈なのに、決して慣れてはくれないものだった。
今は佐助とゆきを二人だけにした方がいいと思った小吉は、家から静かに出る。
空は満点の星空で、いつだったか三人で村を抜け出した日の事を思い出した。
『もう、そんなことはできないのだな・・・』
小さな呟きと一緒に、小吉の目から涙が溢れた。
『・・・佐助、いるか?』
それは囲炉裏の火もなく、闇に染まっている佐助とゆきの暮らす家。
『・・・ぅ』
闇の中から小さな呻き声が聞こえた。
『・・・さ、佐助』
闇に目を凝らすと、手足を縄で縛られた佐助が床に転がっていた。
ゆっくりと佐助を抱き起こし、声を掛ける。
『・・・大丈夫か?』
『小吉・・・か』
佐助は定まらない視線をようやく小吉に向け、小さく答える。
どうやら手足を縛られてはいるが怪我などはしていないようだ。
『ゆき・・・ゆきが・・・』
『ああ、分かっている。俺は今からゆきを迎えに行く』
その言葉に佐助の目が大きく見開かれる。
『お、俺も・・・!』
『いや、一人で大丈夫だ。もしかするとお前の様子を見に、他の者が来るやもしれん』
『しかし!』
自分も一緒に行くと言う佐助を説得する。
もし、再び百足と顔を合わせれば取り乱すことは予想でき、そうなれば自分一人で佐助を押さえることは出来ないだろう。
『大丈夫だ、安心しろ。必ずゆきを連れて帰ってくるさ』
『・・・すまない』
『何を言う。ゆきも言っていたではないか、俺たちは家族も同然だと』
その言葉に佐助は涙を流し、「そうだな」と零した。
ようやく意識が覚醒した百足はゆっくりと体を動かす。
最初に感じたのは肌寒さ。
そして、今までとは違う視界と音。
今までは季節が変わっても暑い寒いといった変化はあまり感じなかったが、今は身震いするほどに肌寒かった。
普段はぼんやりとしか見えない景色も今でははっきり見え、音も明瞭に聞くことが出来た。
何とか上体を起こそうと下を向くと、何やら見慣れぬ物が目に入る。
肌色と言うよりは白に近い色をしており、途中に間接があり、その先に更に五本の肢の様なものが並んでいた。
『・・・・・・・?』
人間の腕のように見え、どこから生えているのだろうと根元を探すように視線を上げる。
それは自分の体から生えていた。
『・・・?・・・?』
訳が分からず体を振るってそれを払い落とそうとするも、体と同じ様に力なくブラブラと揺れるだけ。
取りあえず起きようと体を持ち上げると、無意識のうちに二本の腕は地面に添えられ体を支える。
その動きに驚きぱっと身を引くと、手がそれに反応し体に寄せられる。
どうやらこの腕は本当に自分の体の一部のようで、自由に動かすことができた。
上げたり下げたり、握りこんだり広げたり。
最初こそ体の変化に戸惑いこそ覚えたが、これはこれで便利だなと百足は思った。
今までは数は多いが、短い肢は歩くことにしか使えなかった。
しかし、この腕なら獲物を捕まえたり、今のように体を起こすのにも不自由しない。
体の慣らしがてら腕を動かしたり、体を捻っていると視界の端に黒い糸のようなものが見える。
邪魔だなと思い、早速腕で払いのけるが、しばらくするとまた垂れ下がってくる。
鬱陶しく思い引き抜いてしまおうと手で掴んで引っ張ると、突然自分の頭から痛みが走る。
それに驚き手を離すと、今度はゆっくり引いてみる。
自分の頭が引っ張られる感覚から想像するに、これも自分の頭から生えているようだった。
触覚とは違い、空気の動きも察することが出来ないようで、これは役立たずだなと落胆する。
さらには百足の胴体部分も腕と同じ色をしており、突いてみると柔らかかった。
顎肢は変わらず並んではいるが、模様のようなものが浮き上がっており、そこからは毒が滲み出ていた。
一通り体の慣らしが済んだ百足は、しばし空を見上げ考える。
自分の体は一体どうしてしまったのか。
意識を失う直前のあの感覚。
体の奥から何かが消えて行き、違う何かに塗り替えられるような・・・
今まで経験したことのない感覚だったが、不思議と今の体に嫌悪感は抱かなかった。
このままここにいる理由もないので、一先ず巣に戻ろうと後ろを振り向いた時、百足は息を呑んだ。
目の前に力なく横たわる人間の女。
何故かその姿を見ていると動悸が嫌に激しくなり、体が震えてくる。
『・・・・・・・!』
恐る恐る手を伸ばし触れた体は、石のように冷たく硬直していた。
意識を失うまでは何とも思わなかったはずなのに、今では直視することさえ辛く感じる。
それでも目を逸らす事が出来ず、目から熱いものが込み上げるのを感じた百足は手で拭った。
『・・・?』
拭った手についていたのは、小さな水滴だった。
小吉は丘を目指して走っていた。
『ゆきを、助けなくては・・・!』
生きていてほしい。
何かと自分の事を気にかけてくれる、妹のような存在。こんなところで死んでしまうなんて納得できなかった。
ようやく丘が見えた小吉の足が止まる。
『なんだ、・・・あの女は?』
丘の上に人影があり、屈み込んで何かを見ていた。
『お、おい、あんた・・・っ!』
驚かさないようゆっくり近付きながら声を掛ける。
しかし、小吉に気付いた人影は顔を上げると、目にも留まらぬ速さで百足の巣穴に引っ込んでいった。
その時見えた人影は、確かに百足の体をしていた。
『い、今のは一体・・・確かに人のようにも見えたが、あの姿は百足か・・・?』
もう居なくなった影について思いを巡らせる小吉だったが、はっとした顔をして辺りに意識を集中する。
それは案外すぐに見つかった。
夥しい赤色と、鼻を突く鉄の臭い。
目を見開き、驚きの顔のまま横たわる一人の女性。
『ゆき・・・!』
すぐに駆け寄り抱き起こすも、その体は驚くほど冷たくなっていた。
『ああ・・・なぜ、お前がっ・・・!』
いくら呼びかけても返事は返ってこない。
見開いた目を閉じ、驚きに歪んでいる口元も正してやる。
事切れてしまったゆきを抱えると、小吉は歯を食いしばりながら、村へと足を向けた。
その後、佐助の元へと帰り、縛り付けてあった縄を解く。
佐助は声を上げて泣き叫び、ゆきの体に縋り付いた。
小吉はそれを見ていることしか出来ず、何と声を掛けたらいいのかも分からなかった。
その日の昼まで一緒に話をしていた家族が、突然居なくなってしまう。
前にも経験したことはあった筈なのに、決して慣れてはくれないものだった。
今は佐助とゆきを二人だけにした方がいいと思った小吉は、家から静かに出る。
空は満点の星空で、いつだったか三人で村を抜け出した日の事を思い出した。
『もう、そんなことはできないのだな・・・』
小さな呟きと一緒に、小吉の目から涙が溢れた。
15/02/28 01:05更新 / みな犬
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