連載小説
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その場を染めたのは
『しかし、何という巨躯・・・!今まで見てきた大百足とはわけが違うぞ!』
上体を持ち上げた百足を前にして、行者は焦っていた。
これほどとは思ってみなかったからだ。
百足はそんな行者を上から見下ろし、顎足を鳴らす。ギチギチと言う音と共に、紫色をした毒がドロリと垂れ地面に落ちる。
その瞬間、酸で溶けるような音と嫌な匂いが行者の鼻を刺激した。

『おい、どうする?』
先頭に立つ行者に対して、後ろの行者から声が掛かった。
先頭の行者は後ろを顧みることなく、「やるしかあるまい」と告げた。

『狙うは頭の触覚のみ!あれさえ断ってしまえば、盲も同然だ!』

行者は持っていた釈杖を滑らせると、中からは鈍い光を放つ刀が現れた。
他の行者も次々と手に持つ釈杖を抜き、百足に相対する。

一方、行者の狙いが触覚だと分かった百足は更に頭を高く上げる。
こうされては行者の刀が百足の触覚に届くことはなかった。
困惑する行者に対して、百足はすかさずその大きな体を捻ると、尾を行者の集団へ振るう。
間一髪で避けたのは三人だけで、あとの二人は圧倒的な力で百足の堅い体を打ち付けられ呻き声を上げながら吹き飛ばされる。

『化け物め・・・』
ここに来て行者は、改めて目の前の存在との力の差を思い知る。
しかし、行者にも大見栄を切った手前、意地があった。
残りの行者と目配せすると正面、左右と別れジリジリと百足との距離を詰める。
先ほどと同じように体を振れば、すかさず反対側にいる者が百足に切りかかる作戦だ。
百足はそんな行者の考えなどお見通しで、怪物と呼ばれる自分をそんな作戦で看破しようと考えた行者に「見縊られたものだな」と思った。

再び百足の体に力が篭り、体を大きく振るう。
振るわれた側にいた行者は何とかそれを避けるが、大きく後ろへ遠ざかることになった。
しかし正面にいた行者と反対側の行者は刀を振りかぶり、百足の体に突き立てる。
小吉が声を上げる間もなく行者の刀は百足の体に振り下ろされ、その身に食い込む。


・・・筈だった。


しかし、その場に響いたのは肉を切り裂く音ではなく、鉄と鉄のぶつかり合う鈍い音だった。
驚くことに行者の手にしていた刀は百足の体を傷つけることは出来ず、尚且つ折れていた。
『なっ!なんだと・・・!』
まさかそんな事になるとは思っても見なかった行者は慌てふためく。
その間に百足は尾を持ち上げ、自分の体に張り付いている二人の行者へ力強く叩き付ける。
頭上に現れた影に気付き、行者は間一髪その攻撃を避けた。

『これは・・・話が違うぞ!』
二人の行者は百足から距離を取り、他の行者を引き起こす。
『こいつは・・・我々の手には負えない・・・!』
目の前の百足の力を思い知った行者は焦り、何とかこの場から逃げる方法を考える。
百足は自らの勝利を確信し、それ以上行者を攻め立てることはせず、様子を伺っていた。
小吉はその様子にほっと胸を撫で下ろすと同時に、自分はとんでもない相手に食って掛かっていたのだと肝を冷やした。

しかし、百足や小吉の考えなど知らない行者は予想外の行動に出た。
何と、後ろから様子を伺っていたゆきに気付くと、そのの手を引き百足の前に躍り出た。
佐助も小吉も突然のことに声も出ず、止める間もない一瞬の事だった。

そして、行者は手に持つ折れた刀をゆきの首に当て、




・・・思い切り引いた。




瞬間、ゆきの首からは夥しい量の血が噴出し、その場を赤く染める。
百足の目の前でゆきは驚愕に目を見開き、自らの首から吹き出る血を全身に浴びていた。
行者は掴んでいたゆきの手を振り飛ばし、体ごと百足にぶつける。
突然のことに百足は驚き、避けることも出来ない。加えて、ゆきの首から吹き出る血を浴びたことに驚き、もんどり打つ。

そんな百足を前にして行者は厭らしい笑みを浮かべた。
『今のうちに逃げるぞ!』
そして、そう言うが早いか行者の集団は森の彼方へ足早に消えていった。

その場に残されたのは震える村人と放心状態の佐助、そして目の前の光景を見ていることしか出来なかった小吉であった。
『あ、おい!俺たちも逃げるぞ!』
そんな村人の声に小吉が我に返るのとは逆に、佐助はふらふらと覚束ない足取りで倒れているゆきの所へ歩み寄る。
『馬鹿やろう!佐助、何してやがる!さっさと逃げるぞ!』
そんな佐助の腕を掴み、村人は後ろへ引く。

『や、やめろ!離してくれ!ゆきが・・・!ゆきが!』
瞳孔の開いた瞳を村人に向け、佐助は声にならない声でそう呟く。
『見て分からねえのか!ゆきはもう駄目だ!今逃げないと、今度こそ俺たちがやられちまうぞ!』
村人三人がかりで暴れる佐助を押さえつけ、引きずるように村へと引き返す。

『は、離せ!妹を!ゆきを助けなくては!!!』
『いい加減にしろ!!!』
それでも尚暴れる佐助に対して、一人の村人が鳩尾を殴る。
『うぐっ!』
『おい!今のうちだ!』
ぐったりとした佐助の両脇を担ぎ、転がるように丘を下っていく。


『・・・ゆ、ゆきっ!ゆきいいぃぃぃぃぃ!!!』


自由にならない体の中で唯一動いた顔を上げ、佐助は力の限り叫んだ。
しかし、その声は森に吸い込まれ、決してゆきの返事が返ってくることはなかった。


その後、村に帰ってからは大騒ぎだった。
行者が百足退治に失敗したばかりか、同行したゆきの首を切り、百足の餌に差し出して逃げ去ったのだ。
結局、行者の行方は知れず、ゆきも百足に喰われたのだと村人は口々に零した。
さらには、体が動くようになった佐助は自分を運んだ村人に殴りかかり、数人がかりでようやく押さえつけ、今は手足を縛り付けて家に閉じ込めていた。



その頃、一人残された百足は倒れているゆきを前にしてどうしたものかと思案していた。
見るからに幼い体つきをしている人間の女は喰うところも少ないのは明らかだったし、何より「喰う気」になれなかった。
どうすることも出来ず、触角を動かしながらゆきの周りをうろうろしていた百足だったが、その動きがぴたりと止まった。

次いで感じる違和感。
自分の体から根源的な何かが消えていき、代わりに全く別の何かが沸きあがってくるような得も言えぬ感覚。
最初はじっと堪えていた百足だったが、その感覚は段々と強くなっていき、仕舞いには上体を起こしていることさえ辛くなった。
地面の上で転がるようにもがく百足だったが、その内そうやって体を動かすことも出来なくなり、ゆっくりと意識が遠のいていった。
14/03/23 00:03更新 / みな犬
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