連載小説
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その身を襲ったのは
しばらくそうしていた小吉だったが、先ほどの人影のことを思い出す。
もしあれが百足だとすると非常にまずい。佐助は恐らく報復に出るだろう。
何としてでも場所を移ってもらわなくては。
そう考えた小吉は先ほど戻った道を再び走り出した。

今日だけで二度も往復した道を走り、同じ様に息を切らせながらその場で足を止めると、さっきの人影がちょうど巣穴から出来てきたところだった
『お、お主!』
突然掛けられた小吉の声に人影は驚くと、再び巣穴の中に引っ込んでしまう。
驚かせてしまったなと悔いた小吉だったがすでに遅く、同じ轍は踏むまいと、今度はゆっくり落ち着いた声で話し掛ける。

『お主は、・・・あの百足なのか?』
すると先ほどの人影が巣穴からおずおずと出てきて、こくりと頷いた。
『そうか。しかし、その姿は一体・・・』
小吉は目の前の存在に思考が付いていかなかった。
確かに百足の体をしてはいるが、腹から上は女の姿をしていた。

百足は小吉の姿を認めると、今までのように近寄ってくる。
しかし、百足がすぐ近くまで来た時に小吉ははっとした顔をする。
『ま、待て!お主、裸ではないか!』
百足は首を傾げ、「何を当たり前の事を」と思った。百足である自分が服を着ている筈がない。
しかし、小吉としてはいくら目の前にいるのがあの百足だとしても、今の姿で近寄られるのは堪ったものではなかった。

髪や顎肢、体に浮かんでいる模様で辛うじて隠れてはいるが、一歩歩くたびにそれらは動いて大きな胸や陰のある悩ましげな顔、終いには秘所まで見え隠れしていた。
そんな小吉の心など露知らず、百足は小吉に歩み寄ると、これまたいつものように顔を寄せて、小吉の様子を伺ってくる。
小吉は咄嗟に下を向くが、百足は身を屈め、下から見上げてくる。
『こ、こら・・・やめんかっ!』
美しい女の顔をした百足に上目遣いで見られ、しかもその豊満な胸を目の当たりにした小吉は百足に背を向ける。
『い、いいか!ちょっと待っておれ!すぐに戻ってくる!』


それだけ言うと、小吉は百足の方を見もせずに村へと走っていく。
残された百足はいつものように触覚を動かし、いつもと様子の違う小吉に首を傾げていた。

それからすぐに小吉は息を切らしながら戻ってきて、手に持つ物を百足に寄越す。
『頼むから、それを着てくれ・・・』
百足の手に渡されたもの、それは一着の着物だった。
百足はそれが何か分からない様子で首を傾げ、着物と小吉を交互に見る。
『これは、俺の母親の着物だ。遠慮せずとも、当の本人は俺が子どもの時分に死んでいる』
その言葉に百足はかすかに反応を見せる。

この男は母親がいないらしい。
百足自身も生まれた時は他の兄弟と一緒だったが、すぐ別々に生きるようになったため、あまり家族と言うものが理解できなかった。
小吉の見よう見真似でその着物に袖を通すと、改めて小吉を正面に捕らえる。
『ああ、良く似合っている。どうやら丈は足りたようだな』
本当は帯も締めてほしいところだが、百足の顎肢が邪魔する上に、体の自由が利かなくなると思った百足に帯を引き裂かれ、結局着物の前は開いたままだった。

しかし、何とか目のやり場に困る心配の必要はなくなり小吉は百足の方へ向き直る。
『実は、折り入って頼みがある』
急に真剣な顔になった小吉に対して、百足は首を傾げた。
『今日の昼間、行者がお主に投げつけた村の女だが・・・あれは俺の親友の妹でな。俺にとっても家族のような者だった』
小吉の言葉に、百足は昼間の出来事を思い出す。
自分達に勝ち目がないと悟った行者は何を思ったか、村の女を刀で切りつけ、その体を投げ飛ばしてきたのだ。
『だから、どうかその兄の為にも、別の住処へ移ってくれないだろうか?』

百足は何も答えることが出来ず下を向く。
確かに、自分がこの男の忠告に従っていればあの少女は死なずに済んだ。少女の兄にとっては自分は敵も同然なのかも知れない。
『・・・・・・。』
しばらく考え込んでいた百足だったがゆっくりと顔を上げると、小さく頷いた。
『そうか!分かってくれるか!すまない、恩に着る・・・』
昨日のように縛り上げられるかもしれないと不安に思っていた小吉は胸を撫で下ろす。
『新しい住処についてだが、俺も探すのを手伝うつもりだ。季節的にもそろそろ雪が降ってくるだろうしな』
百足は触覚を揺らしながら小吉を見て、再び頷いた。
『よし!それでは早速明日の朝から探すとしよう。村の者も行者もこの場所へは近付かないだろうが、早いに越したことはないからな』
その後、小吉は「また明日」と百足に伝え、村の方へ帰っていた。

百足はそんな小吉の顔を思い出す。
確かに笑ってはいたが、その目元は腫れ、何かが伝った跡が残っていたことを。





『・・・おはよう』
『・・・。』
次の日の朝。
早速、新しい巣穴を探すべく小吉と百足は活動を始める。
しかし、百足はいくらか元気がないように見えた。触覚もふらふらと覚束ず、心ここに在らずという感じだ。
『・・・どうかしたか?』
『・・・・・。』
小吉がそう尋ねても、百足は力なく頭を振るのみ。
『(心配するなと言うことか・・・)』
そう判断した小吉は当初の目的に集中し、森の奥深くへと入っていく。
百足としては、夜行性であるために本来朝は殆ど寝ているため、頭があまり働かないだけであった。


『この辺りまでくれば村の人間も殆ど近付かない。どこか手頃な場所があると良いのだが・・・』
最初の丘からずいぶん森の奥まで進み、辺りは高い木々と岩肌ばかりになってきた。
『お、おおおおおぉぉぉっ!!!』
突然の小吉の声に百足はびくっと体を縮めると、声のした方を向く。
しかし、いくら探しても小吉の姿は見当たらず、どうしたものかと途方にくれていると下のほうから声が聞こえた。
『おーい!ここだここだ!』
そこは足元の岩肌がくりぬかれた様になっていた。どうやら小吉は足元を踏み外し、滑り落ちてしまったようだ。

『お主も降りてきてみろ。ここは中々良さそうだぞ!』
小吉のその言葉に百足は下を覗き込むと、百足の体を壁に這わすとゆっくり下りていった。
『いや、さすがだな。俺なんて滑り落ちたと言うのに』
そういって恥ずかしそうに頬を掻く小吉の顔を、百足は不思議そうに見ていた。

その穴を下りた先は横に広がっており、上から見える以上に広かった。
『ここなら雨風を凌げる上に、人間もそう簡単には寄り付けないな』
更に奥を調べようと、持ってきた行灯に火を付けた小吉は歩を進める。
結果として、横穴はそれほど奥まで広がってはいなかったが奥には水の湧き出る膝くらいの深さの穴があった。
『雨風凌げる上に湧き水まであるとは・・・』
「これなら俺だって住めそうだな」と小吉は百足に笑いかける。
しかし、百足は小吉の顔を何故か見ることが出来ず、顔を伏せてしまった。


『さて、お主の新しい住処も見つかったことだし俺はそろそろ帰るとする』
そう言って小吉は立ち上がると、どうやって上に上がったものかと頭を抱えた。
下りる時は滑り落ちたが、上る時はそうは行かない。
「うーん」と唸っていた小吉だったが、突然百足が体を巻きつけ体を持ち上げられる。
『お、おいおい!』
百足はそのまま下りた時と同じ様に壁を這い、地上に上がっていく。
『お、俺を運んでくれるのか・・・?』
百足は何も答えはしなかったが、頭の触覚は機嫌良さそうに揺れていた。

『貴重な体験をさせてもらった!』
百足に地上まで運んでもらった小吉は、すっかり上機嫌で百足に話しかける。
そんな小吉を見て、百足も無意識に触覚が揺れるのを不思議に思った。
『・・・やはり、お主は特別だな』
しかし、またも真剣な声色で言葉を発した小吉に百足は首を傾げる。
『お主は、俺と始めてあった時も鶏を襲わず、俺のことも見逃してくれた。』
『・・・・・・。』
百足は何も答えず、小吉の顔を見る。
『噛んでみろと嗾けた時も結局、そうすることはなかった。刃を向けた行者を殺すこともなく、投げつけられたゆきを喰う事もなく。お主は一体・・・』


『ぐー・・・』


小吉がそういって百足の顔を見た瞬間、その場に不釣合いな間抜けな音が響いた。
『は、ははは!いや、すまん!腹が減ってしまったようだ!』
それは小吉の腹の虫が昼飯を催促する声だった。
『そう言えば陽も真上だし、そろそろ昼飯の時間だな』
森の中を歩き回っている内に昼になってしまったようだ。
『目的も果たせたし、腹も減ったし、俺は帰るとするよ』
小吉は百足の顔を見て、少し寂しそうな目を向ける。
『ああ、出来れば村の家畜はもう襲わないでくれよ?』
最後にそうお願いすると百足に向かって笑みを向ける。
『・・・・・・。』
百足はもどかしく感じ、何か行動したかったが、どうすればいいのか分からず小吉の顔を見て触覚を揺らすことしか出来なかった。
『では・・・達者で』
小吉はそう言うと百足に背を向ける。
『・・・・・・・。』




『ぐー・・・・・』




そんな時、再びこの場に不釣合いなあの音が木霊する。
『今の・・・お主の、腹の虫か・・・?』
そう言って後ろを振り向いた小吉と目が合った瞬間に、百足は顔へ血が集まるのを感じた。
体の奥で形容しがたい何かが沸きあがり、小吉の顔を見ていられず顔も伏せる。
『そうかそうか、お主も腹が減ったのだな』
そんな百足とは反対に、小吉はとても楽しそうに声を弾ませる。


『よし!一緒に飯を食うか!』


しかし、次に続いた小吉の言葉に百足は顔を上げると、生まれて初めて笑みを浮かべた。



新しい巣穴から森へ戻り、百足は辺りを散策する。
依然とは違い、自由に動く便利な腕が生えたお陰で藪の中や物陰を探るのが楽になった。
そうこうしていると、地面に落ちたどんぐりを食べている猪を見つけた。
『・・・・・・・。』
気付かれないように木の上から近付き、その距離を詰めて行く。
猪がそれに気づく頃には時既に遅く、あっという間に百足に噛まれ動けなくなった。

『・・・・・・・すごいな』
その様子を遠くから見ていた小吉だったが、百足の人間離れした狩りに言葉も出ない。
百足は意気揚々と猪を抱えると、小吉の元へ戻ってきた。
『いやはや猪鍋とは、豪勢な飯になりそうだ!』
そう言う小吉の手には鍋や包丁、その他にも味付け用の塩や野菜などが握られている。
「せっかくなら」と一旦村へ帰り、道具を持ってきたのだった。

その後、二人して巣穴へ帰ると早速調理に取り掛かる。
しかし、当たり前のことだが調理の経験などない百足は見ていることしか出来ない。
『お主は一人で猪を仕留めてくれた。であれば、飯を用意するのは俺の仕事だ』
小吉はそう言ったがじっとしているのも何なので、百足は何か思いついた顔で小吉を一人残し巣穴から出て行く。



『ふむ、我ながらいい味だ』
森で拾ってきた薪とその辺に転がっている石で竈を作ると、さっき取った猪の肉と家から持ってきた野菜を鍋で煮込んで味を調える。
『一晩寝かせるともっと上手いんだが、致し方ないか』
あとは一緒に持ってきたお椀と箸を、奥の湧き水で濯げば準備は万端。
『まさか、死んだ母の椀を使う日が来るとはな・・・』
小吉の手に握られているのは、幼い時に死んだ母の形見。
決して裕福ではなかったが、花嫁道具にと持たされた品だと聞いていた。
『誰にも使われず、箪笥の肥やしになるよりはいいだろう』
そう言うと竈の火を見て、物思いにふける。

『それにしても、どこまで行ったのだろうか?』
様子を見に行きたくとも、自分一人では外へ出ることも出来ない造りになっている巣穴の底で小吉は待つことしか出来なかった。


『おお、ようやく戻ってきたか!』
それからしばらくして百足は戻ってきた。その両手に大量のススキやカヤを抱えて。
『お、お主・・・それをどうする気だ・・・?』
驚いた顔をしている小吉から声を掛けられたが、百足は何も言わずにそれを巣穴へと持ち込むと作業を始める。


百足は黙々と作業をしながら、この腕は本当に便利だなと改めて実感した。
今までは巣穴を作るにも顎肢や頭で大きめの石を退かし、地面を整えるくらいしか出来なかった。
しかし今では柔らかい草を重ねて、快適な寝床を作ることが出来る。

『それは・・・寝床か?』
作業も終わりを迎えた頃、小吉はようやく百足のやらんとしている事を悟った。
最後に手で加減を確かめると百足は向き直り、小吉の顔を覗きこむ。
『ああ、よく出来ているな』
そう言って笑う小吉の顔を見た百足は、ご機嫌に触覚を揺らす。

『では、次は俺の番だな』
小吉はそういうとお椀を取り出し、鍋の中身をよそぐ。
『熱いから気をつけるんだぞ』
そう言って百足にお椀と箸を手渡す。
しかし百足が箸の使い方を知っているわけもなく、どうしたものかと首を傾げた。
『箸の使い方が分からんのだな』
それに気付いた小吉は「いいか」と言うと、百足の手を掴むと箸を握らせる。
突然のことに百足は驚いて小吉の顔を見るが、当の本人は熱心に箸の使い方を説明している。
近くで見る小吉の顔は少し幼さを感じたが、それでも年相応に成長した男の顔をしていた。
百足は自分の体が熱くなるのを感じ身動ぎしたが、小吉の顔から目を離す気になれず、ただじっと見つめていた。

『分かったか?』
小吉に急にそう声を掛けられ百足ははっとし、何のことか全く分からないが取りあえず何度も頷く。
『では、喰うとしよう』
小吉は「いただきます」と声を出すと、自らも椀と箸を取り出来立ての猪鍋を食べ始めた。
百足は椀を持つ手から察するに、この中身はかなりの高温であることが分かった。

いくらこの腕が便利でも直接掴んで取り出すわけにはいかないだろう。だから、ああやって二本の棒を使うのだな。
百足はそこまで考えて手に持つ箸を動かす。

『・・・カラン』

しかし、先ほどの小吉の説明を殆ど聞いていなかった百足に箸を使える訳もなく落としてしまう。
慌てて拾って持ち直すが、またすぐに落としてしまう。
何度かそれを繰り返した百足だったが、ついには諦め項垂れてしまう。
『すまない、いきなり箸の使い方を教えるの酷だったな』
小吉はそういうと百足の隣に寄り、自らの箸で百足の椀の中身を摘むと口元へ運ぶ。
『こうすれば喰えるだろう?』
百足はおずおずと口を開き、それを口に入れる。
『・・・・・!』
とたんに触覚をぴんと持ち上げ、目を見張り背筋を伸ばす。
『く、口に合わなかっただろうか・・・?』
百足の反応に味付けが悪かったのかと思った小吉は声を掛ける。

『・・っ・・・・っ』

しかし、百足は目を細め口を動かし肉の味を堪能している真っ最中だった。
触覚もゆらゆらと揺れ、幸せそうな顔をしている。
どうやら気に入ってくれたようだなと安心した小吉は、自分も椀から具を摘み口に運ぶ。
『あ・・・』
しかし口に放り込む直前になってその手が止まった。
百足と言えでも今は人間の女の姿、しかもかなりの美人。
そんな百足が口にした箸を自分も使うというは、正直申し訳ない気がした。

『しかし、箸が地に落ちた以上しかたないか・・・』
すぐ近くには湧き水もあったが、小吉は意識しないようにして同じ箸を使った。
それから小吉と百足が交互に椀の中身を口に運び、食事を進めた。
百足はこの味をとても気に入ったらしく、次をくれと小吉の着物の袖を掴んで催促したほどだった。

『いやー、食った食った!』
結局、その後小吉も百足も二杯目を食べ、鍋は底が見えていた。
小吉は心の中で「誰かと食う飯がこんなに美味いとはな」と思った。
父親が死んでからは、たまに佐助とゆきに誘われる事はあったが、基本的にはいつも一人で食事を取っていた。
材料を切り分け火を通し、ただ口へ運ぶ。
それだけの行為に味も素っ気もなく、生きるための必要な手段でしかなかった。
急に黙り込んだ小吉の顔を百足は黙って見ていた。


『お主・・・』
そこで小吉は言葉を止め、しばし目を閉じる。
百足は触覚を動かして、また黙り込んでしまった小吉の様子を伺う。

『いつまでも「お主」と呼ぶのもなんだな・・・』
小吉の言葉の意味が分からず、百足は首を傾げる。
『名は、何というのか?』
百足はやはり首を傾げる。

『う、む・・・名がないのか、それとも名というもの自体が分からないのか・・・』
百足は小吉の顔を見るだけだった。
『俺の名は「小吉」だ。分かるか?「しょ・う・き・ち」』
『・・・・・』
口を動かすものの声は出ず、ぱくぱくと動かすのみ。
『まさかお主、喋れないのか?』

喋れないのではなく、喋り方が分からないと言った方が正しかった。
今の姿になるまでは言葉など必要としていなかったからである。
『これは困った』
そう言うと、小吉はまた黙り込んでしまう。

『・・・気に入ってくれるかは分からんが、俺が名づけてもいいだろうか?』
百足は名前と言うものが分からなかったが、それで小吉が納得するのであればと思い頷く。
その後、たっぷり考えた小吉は恐る恐る声を出す。



『ひすい・・・』



『翡翠はどうだろう?』
『・・・?』
百足は首を傾げ、口をパクパクと動かす。
『ああ、翡翠というのは玉の名だ。お主のこの百足の体のように、濃い緑色をしていてな。石なのに触ると柔らかさを感じる触り心地で、滑らかでしっとりとしているのだ。以前、村に来た行商に見せもらってな』

「とても俺に買えるような額ではなかったが」と付け足すと、小吉は頭を掻いて笑った。
しかし当の百足は何故か顔を赤らめ、もじもじと手を胸の前で合わせている。
どうしたのかと百足の顔を見ると、その目線の先は小吉の右手。
その右手は百足の腹から下にある百足の体を撫でていた。

『す、すまん!』
咄嗟に右手を引くが、その手には肌の柔らかさと、人より少しだけ高い熱を持った百足の体温が染み付いていた。
『気を悪くしたか・・・?』
そう言って百足の顔を覗き見ると、その瞳は涙を浮かべ切なそうに眉を寄せていた。
『(な、なんという顔を・・・)』
小吉は自分の愚息がぴくりと反応するのを感じた。

『きょ、今日はこれでお暇するとしよう!お主も新しい住処に移ったばかりで疲れているだろうしな』
小吉は立ち上がり、足早に去ろうとする。
『・・・・・』
しかし、その小吉の着物の袖を百足は掴み、下を向いている。
『ど、どうしたのだ?』
小吉は動揺が百足に伝わらないように出来るだけ平静を装ってそう尋ねた。
百足は顔を上げると触覚を動かし、小吉の顔を見上げる。
その瞳は今にも零れそうに涙が浮かんでいる。
小吉が恐る恐る手を伸ばすと、百足はその手を掴み頬を寄せる。

百足の安らかな顔を見ていると、小吉もずっと一緒に居てやりたいと思った。
意を決したように小吉は向き直ると百足の横に腰を下ろす。
『・・・?』
そんな小吉に百足は首を傾げた。
『ああ、気にするな。もうしばらくお主と話をしたくなってな』
『・・・・・!』
小吉の言葉に百足は頬を綻ばせ、体を寄せてくる。
『百足よ・・・可笑しいと思うかもしれないが、俺はお主を・・・』
『・・・・・?』
そこまで言って言い淀む小吉を前に、百足は更に身を寄せしな垂れかかる。
『お主も同じなのか?もしそうなら、こんなに嬉しいことはない』
そう言って百足の手を取ると、自らの体に引き寄せ抱きしめる。

『俺は・・・お主の事が好きだ・・・』

小吉は言葉を振り絞るのに精一杯だった。
心臓は激しく脈打ち、掌には汗が滲む。もし、拒絶されたらと考えると心が薄ら寒くなる。
そうなればいっその事、この百足に喰われてしまった方が良いとさえ思った。
しかし、百足は自らの手を小吉の背に回し、小吉よりも少し弱いくらいに力を込める。
頭の触覚はゆらゆらと機嫌良さそうに揺れていた。
『そうか、ありがとう・・・』
しばしそうやってお互いの温もりを感じていた二人だったが、どちらともなく身を離す。
しかしその顔はその先の行為に期待して、赤みが差していた。
小吉の方からゆっくりと顔を寄せ、百足に近付く。
軽い、本当に軽い口付けだった。

小吉はすぐに顔を離すと真っ赤な顔で「お主の唇はこんなにも柔らかいのだな」と言った。
それを聞いた百足の顔が首元から茹でられた様に赤くなっていき、下を向いてしまう。
触覚も激しく動いて、お互いがぶつかり合っていた。
しばらくそうしていた百足だったが、急に顔を上げると、口をぱくぱくと動かした。
『ん?なんだ?何事か言いたいことでもあるのか?』
小吉は百足の唇の動きで、何を言いたいのか探ろうとする。
しかし、口唇術が使える訳でもない小吉に分かるはずもなく、その意味を知ることは出来ない。
『す、すまん・・・』
すると百足は少しばかり頬を膨らませると小吉の右手を取り、自らの百足の体に押し付けた。
『な、何を・・・』
驚いた小吉が百足を見ると口をパクパクと動かしていた。
『・・・?』
百足は尚も繰り返す。
小吉の手を百足の体に押し付け、それに合わせる様に口を三度動かした。
『まさか、翡翠か・・・?』
小吉がそう言うと、百足は途端に顔を綻ばせ、何度も頷く。
『名を、呼べと言うのだな』
百足は小吉の発言を肯定するべく、何度も頷く。
『そうか、気に入ってくれたか』
小吉は自分が考えた名を百足が気に入ってくれたことに、これ以上ない喜びを感じた。

『翡翠・・・』

名を呼ばれ、百足ははっと顔を上げる。
その先には同じ様に翡翠を見つめる小吉の顔があった。
二人は引き寄せられるように顔を寄せる。
翡翠は眉を寄せて目を閉じ、微かに震えていた。
小吉はそんな翡翠の手を握り、落ち着かせるように抱き寄せると唇を重ねた。
先ほどとは違い、長い口付け。
『・・・っ・・・・・っ』
小吉は啄ばむ様に翡翠の唇を味わうと、微かな隙間から舌を差し入れる。
最初はそのことにびくりと体を震わせた翡翠だったが、おずおずと自らの舌を絡ませ、快感に酔いしれる。
そして口の中に溜まったお互いの唾液をこくりと嚥下した瞬間にそれは訪れた。
小吉の手を掴む翡翠の手に痛いほどの力が入る。小吉の抱く翡翠の体もびくびくと震え、体を起こしているのも辛いようだ。
小吉は何事かと体を離し、翡翠の様子を伺う。
翡翠は口を薄く開け、口の端からは唾液を零し、瞳孔が開いた瞳で小吉を見ていた。
依然として体はびくびくと震え、触覚もだらりとしており、明らかに普段とは様子が違った。

『ひ、翡翠よ!一体どうしたのだ!』
小吉は翡翠の身に何か良からぬことが起きていると思い、抱き起こし顔を寄せる。
翡翠は再びぱくぱくと口を動かし、弱弱しく小吉に手を伸ばした。
14/03/23 00:17更新 / みな犬
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