第三話 詠唱
「『wolrail eso thysvithsuc rn mana volb …… liarlow』」
シレミナの長々とした呟きの直後、炎が全身を舐める。
咄嗟に目を閉じ、息を止める。焼殺については問題ない――腕を軽く炙ったことで確認済み――とは言え、肺を焼かれたり、発生する煤や一酸化炭素を吸い込んだらどうなるかわかったものではない。というか、後遺症によって死ぬまで苦しみ続ける未来しか想像できない。
いくら痛点からの感触がドライヤーの温風と同じものだったとしてもだ。超怖い。
(これで土下座したら本当の焼土下座だなあ)
そんな益体のないことを考えていたら唐突に音と圧が消え、また例の詠唱が聞こえてきた。今度は水だ。大雑把だけど、これはシャワーかな? 多分、今の俺の全身、煤だらけだろうからな。
しかし、シレミナ、この釜土作った時みたいに短い詠唱はできないのか? 事前に登録が必要なんたらと言ってたが、それが原因か?
「は〜い、終了。もう出てええよ」
「うぃーっす」
目の周りだけ水を掃って、目を開ける。そしてそのまま深呼吸しようとして、慌てて止める。
……一酸化炭素、一酸化炭素。
外に出て、今度こそ深呼吸。うん、砂漠の真昼間だからな。空気が熱い熱い。
「……ほれ、タオルや、義兄上」
「お、サンクス、シレミナ」
お義兄ちゃんではなく義兄上で固定らしい。前回のあれは何だったのか。
さて、そっぽを向きつつ渡されるタオルを受け取る。てっきりざらざらな麻布でも渡されるかと思ったが、案外いい布だ。いや、むしろ大量生産大量消費の現代ものよりも、こういう一品一品手作りのものの方が、質が高くなるのは必然かもしれない。需要に対する供給はすごく低そうだが。
それはともかく、俺はさっさと全身を拭き、タオルを腰に巻く。幼女の目の前だしな。そして体を捻って、肌に黒い煤がないかを確認する……うん、ぱっと見、ないな。
臭いは……しない。本来の目的の消臭もきちんとできてるようで安心した。ただ、流石にここまでやると肌の常在菌まで死んでそうだな。これ以降は止めておこう。
「じゃ、次は服を軽く洗いたいんで、桶と水を頼むわ」
このからっからな気候なら服もすぐ乾くだろう。
そう思ってシレミナを見たのだが、
「?」
何故か、難しい顔をしてこちらを睨んでいた。
え、俺の顔に煤でもついてます?
「髪……」
ぽつりとシレミナが呟く。
髪? 髪に煤、付いてるのか?
「髪も燃えへんのか……」
「いやあんた俺をスキンヘッドにしたかったのかよ」
俺にモヒカンと並んでヒャッハーしろと?
「冗談言うてる場合やないで、義兄上。 人を消し炭にするような炎に巻かれて焦げ目も付かへんような髪、どうやって散髪する気いや?」
「あ」
やれやれ、とシレミナが肩を竦めつつ、呆れた目を向けてくる。ついでに証明用の青銅ナイフも。
早速ナイフを受け取って、髪に刃を当てる。
――切れん。
何この融通の利かないチート……。普通そこはイメージとかでオン・オフ切り替えできるんじゃないのかよ!
焦燥感から思わず爪を噛む。……爪すら切れんのか。
「どーしましょ、シレミナ。髪どころか爪まで切れないんだけど……」
思わずシレミナに詰め寄る。
対するシレミナは、特に慌てた様子もなく、ふーむと上の空。
「んー、すぐそこの街に行けばこの砂漠有数の図書館があるし、2〜3日も篭ればヒントの一つくらい見つかるかもしれへんなあ」
「付いて来ては……」
「ええで」
「そこを……は?」
「ええで」
マジで?
「ま、一つだけ条件あるんやけど」
◇ ◇ ◇
「ただいま午後八時ジャスト。隣街『サンサバルド』まであと約四時間、か」
「何を見てるんだ、キョウスケ?」
「スマホ」
「?」
満点の星空の下、俺とサハリとシレミナの三人は焚火を囲って腰を降ろしていた。
何故このメンバーかというと、まず俺とサハリはデートするだろ、新婚だし。それにフラグなんて全く立てずに結婚なんて超展開になってしまったし、思い出の一つや二つは欲しい。他にも服や食材、生活用品も欲しいし、物価も知りたい。……あとは、この世界の結婚に対する常識とか。そしてシレミナにはその間、図書館で調べものをするという二泊三日の旅だ。いや、移動時間含めると三泊四日ぐらいか。
最初は俺とシレミナの二人で行って、俺は服を新調、シレミナは俺のガイド兼図書館で調べものという予定だったのだが、新妻をほったらかして他の女と隣街まで出掛けるのも変だなと思ったので、サハリも連れて行くことになった。それにパーティメンバーは多い方が旅は安全だしな。シレミナが攻撃魔法のウィッチ役、サハリが斥候や奇襲のシーフ役だとしたら、俺のパーティロールは鉄壁のタンカーだな。うん、俺の装備は吹っ飛ばされないような重めのものがいいかもしれん。
「『ストーンキャンプ』」
シレミナがぼそっと呟くと、砂の中からドーム状に岩がせり上がり、天井にぽっかりと穴を残して岩の動きが収まった。
俺を焼くために作った釜土の時と同じ呪文だが、規模が違う。あの時は人ひとり入れる程度の大きさのものだったが、これは半径二メートルほどある。ストーンキャンプっていう名前から察するに、これが本来の大きさで、使い方なんだろう。
……こういう魔法って、俺でも使えるかねえ?
お昼に無理だって言われたけど。確か、『うぉるらいる えそ』なんたらみたいな感じで始まる訳のわからない呪文がミソのようだった気が……。
「ああ、『エルダーキャスト』やね。これはセレクトキャスト使うのに必須な技能や」
わからないことは聞こう! だらだらと非効率なことしてないでいいから、一時の恥を忍んで聞くべし。ただし礼節をもって。
教えて下さいと。さすれば道、開かれん。
「ええで。試しに何がいいか言ーてみ?」
「ええっと、じゃあ、火属性で」
「よっしゃ、エルダーキャストからそのままセレクトキャストまでいこか」
ほら、簡単でしょ?
◇ ◇ ◇
前言撤回。うまい話には裏があった。
「『wolrail eso thysvithsuc rn mana volb』。――はい、言―てみ」
「を、うぉるらいる、えそ、し、しすっく、るん、なな、ゔぉるぶ?」
「はい、あか〜ん。『しすっく』じゃのうて『シスヴィスサック』。『なな』じゃのうて『マナ』。はい、繰り返して五百回」
「ごっ……いや、ちょ、待てって、シレミナ! 初日からそんなに飛ばさなくても……」
「え〜。教えてくれ言うたんは義兄上やんな。それなのにこの程度の聞き分けももってくれへんの? それとも止める? 止めてしまうん? この程度のことで?」
鬼だった。悪魔だった。サディスティックだった。
指導が厳しい以前にこちらが弱音を漏らしたとたんにその揚げ足をとってくるモンスターティーチャーだった。
だって、今やってるの最初の節で、あと二十節ぐらいあるんだぜ? しかもこの後、魔法行使の際の履歴読み取りやら、セレクトキャストのための詠唱があるんだぜ?
……そこまで義姉を傷ものにした俺が憎いか、似非大阪弁幼女。
「はい『eso』の発音おかしい。後千回♪」
くそう……。
◇ ◇ ◇
「……『ファイアショット』」
空気が瞬間的に膨張する音とともに、拳大の火炎が飛んでいく。
俺は今、昇る朝日を拝みつつ、疲労と達成感を噛みしめていた。結局、不眠不休の貫徹だった。五百回とか千回とか、絶対冗談だと思ったのに……。
俺は首をぐるんと回し、俺と同じく目をしょぼしょぼさせている幼女と視線を合わせた。
「寝ていいっすか?」
「……まあ、及第点やし。ええよ」
『え』の瞬間俺はぼーん、と仰向けに倒れた。
いやっほう! エクセレントなサンドベッドだぜ! 初めて砂漠に来て良かったと思ったよ。
いやー、これで俺も火の魔法使いか。十時間ぐらいか、練習したの? ぶっちゃけそこまでする必要あったかどうかわからないけど。この程度なら、誰でもウィザードやウィッチになれそうなもんだ。教育機関が未発達なのかな?
いっそのこと、サンサバルドにあるという大図書館で勉強でもして、ウィザードでも目指すというのもありかもしれない。朝昼晩に二時間ずつぐらいの練習なら継続して……。
「あ、そういえば言い忘れとったんやけど、ウィザードやウィッチってのは国家資格やから、試験あるで。めちゃムズイやつ」
「?」
何でも二種の実技があるそうで。一つが教官との実用性のテスト。もう一つが基礎五大属性を一つにつき三種類唱え、計十五個も詠唱する暗記テスト。しかも全てあの訳のわからない『エルダーキャスト』でやらなければならないという。
……うん、俺やっぱりただのタンカー役でいいや。
シレミナの長々とした呟きの直後、炎が全身を舐める。
咄嗟に目を閉じ、息を止める。焼殺については問題ない――腕を軽く炙ったことで確認済み――とは言え、肺を焼かれたり、発生する煤や一酸化炭素を吸い込んだらどうなるかわかったものではない。というか、後遺症によって死ぬまで苦しみ続ける未来しか想像できない。
いくら痛点からの感触がドライヤーの温風と同じものだったとしてもだ。超怖い。
(これで土下座したら本当の焼土下座だなあ)
そんな益体のないことを考えていたら唐突に音と圧が消え、また例の詠唱が聞こえてきた。今度は水だ。大雑把だけど、これはシャワーかな? 多分、今の俺の全身、煤だらけだろうからな。
しかし、シレミナ、この釜土作った時みたいに短い詠唱はできないのか? 事前に登録が必要なんたらと言ってたが、それが原因か?
「は〜い、終了。もう出てええよ」
「うぃーっす」
目の周りだけ水を掃って、目を開ける。そしてそのまま深呼吸しようとして、慌てて止める。
……一酸化炭素、一酸化炭素。
外に出て、今度こそ深呼吸。うん、砂漠の真昼間だからな。空気が熱い熱い。
「……ほれ、タオルや、義兄上」
「お、サンクス、シレミナ」
お義兄ちゃんではなく義兄上で固定らしい。前回のあれは何だったのか。
さて、そっぽを向きつつ渡されるタオルを受け取る。てっきりざらざらな麻布でも渡されるかと思ったが、案外いい布だ。いや、むしろ大量生産大量消費の現代ものよりも、こういう一品一品手作りのものの方が、質が高くなるのは必然かもしれない。需要に対する供給はすごく低そうだが。
それはともかく、俺はさっさと全身を拭き、タオルを腰に巻く。幼女の目の前だしな。そして体を捻って、肌に黒い煤がないかを確認する……うん、ぱっと見、ないな。
臭いは……しない。本来の目的の消臭もきちんとできてるようで安心した。ただ、流石にここまでやると肌の常在菌まで死んでそうだな。これ以降は止めておこう。
「じゃ、次は服を軽く洗いたいんで、桶と水を頼むわ」
このからっからな気候なら服もすぐ乾くだろう。
そう思ってシレミナを見たのだが、
「?」
何故か、難しい顔をしてこちらを睨んでいた。
え、俺の顔に煤でもついてます?
「髪……」
ぽつりとシレミナが呟く。
髪? 髪に煤、付いてるのか?
「髪も燃えへんのか……」
「いやあんた俺をスキンヘッドにしたかったのかよ」
俺にモヒカンと並んでヒャッハーしろと?
「冗談言うてる場合やないで、義兄上。 人を消し炭にするような炎に巻かれて焦げ目も付かへんような髪、どうやって散髪する気いや?」
「あ」
やれやれ、とシレミナが肩を竦めつつ、呆れた目を向けてくる。ついでに証明用の青銅ナイフも。
早速ナイフを受け取って、髪に刃を当てる。
――切れん。
何この融通の利かないチート……。普通そこはイメージとかでオン・オフ切り替えできるんじゃないのかよ!
焦燥感から思わず爪を噛む。……爪すら切れんのか。
「どーしましょ、シレミナ。髪どころか爪まで切れないんだけど……」
思わずシレミナに詰め寄る。
対するシレミナは、特に慌てた様子もなく、ふーむと上の空。
「んー、すぐそこの街に行けばこの砂漠有数の図書館があるし、2〜3日も篭ればヒントの一つくらい見つかるかもしれへんなあ」
「付いて来ては……」
「ええで」
「そこを……は?」
「ええで」
マジで?
「ま、一つだけ条件あるんやけど」
◇ ◇ ◇
「ただいま午後八時ジャスト。隣街『サンサバルド』まであと約四時間、か」
「何を見てるんだ、キョウスケ?」
「スマホ」
「?」
満点の星空の下、俺とサハリとシレミナの三人は焚火を囲って腰を降ろしていた。
何故このメンバーかというと、まず俺とサハリはデートするだろ、新婚だし。それにフラグなんて全く立てずに結婚なんて超展開になってしまったし、思い出の一つや二つは欲しい。他にも服や食材、生活用品も欲しいし、物価も知りたい。……あとは、この世界の結婚に対する常識とか。そしてシレミナにはその間、図書館で調べものをするという二泊三日の旅だ。いや、移動時間含めると三泊四日ぐらいか。
最初は俺とシレミナの二人で行って、俺は服を新調、シレミナは俺のガイド兼図書館で調べものという予定だったのだが、新妻をほったらかして他の女と隣街まで出掛けるのも変だなと思ったので、サハリも連れて行くことになった。それにパーティメンバーは多い方が旅は安全だしな。シレミナが攻撃魔法のウィッチ役、サハリが斥候や奇襲のシーフ役だとしたら、俺のパーティロールは鉄壁のタンカーだな。うん、俺の装備は吹っ飛ばされないような重めのものがいいかもしれん。
「『ストーンキャンプ』」
シレミナがぼそっと呟くと、砂の中からドーム状に岩がせり上がり、天井にぽっかりと穴を残して岩の動きが収まった。
俺を焼くために作った釜土の時と同じ呪文だが、規模が違う。あの時は人ひとり入れる程度の大きさのものだったが、これは半径二メートルほどある。ストーンキャンプっていう名前から察するに、これが本来の大きさで、使い方なんだろう。
……こういう魔法って、俺でも使えるかねえ?
お昼に無理だって言われたけど。確か、『うぉるらいる えそ』なんたらみたいな感じで始まる訳のわからない呪文がミソのようだった気が……。
「ああ、『エルダーキャスト』やね。これはセレクトキャスト使うのに必須な技能や」
わからないことは聞こう! だらだらと非効率なことしてないでいいから、一時の恥を忍んで聞くべし。ただし礼節をもって。
教えて下さいと。さすれば道、開かれん。
「ええで。試しに何がいいか言ーてみ?」
「ええっと、じゃあ、火属性で」
「よっしゃ、エルダーキャストからそのままセレクトキャストまでいこか」
ほら、簡単でしょ?
◇ ◇ ◇
前言撤回。うまい話には裏があった。
「『wolrail eso thysvithsuc rn mana volb』。――はい、言―てみ」
「を、うぉるらいる、えそ、し、しすっく、るん、なな、ゔぉるぶ?」
「はい、あか〜ん。『しすっく』じゃのうて『シスヴィスサック』。『なな』じゃのうて『マナ』。はい、繰り返して五百回」
「ごっ……いや、ちょ、待てって、シレミナ! 初日からそんなに飛ばさなくても……」
「え〜。教えてくれ言うたんは義兄上やんな。それなのにこの程度の聞き分けももってくれへんの? それとも止める? 止めてしまうん? この程度のことで?」
鬼だった。悪魔だった。サディスティックだった。
指導が厳しい以前にこちらが弱音を漏らしたとたんにその揚げ足をとってくるモンスターティーチャーだった。
だって、今やってるの最初の節で、あと二十節ぐらいあるんだぜ? しかもこの後、魔法行使の際の履歴読み取りやら、セレクトキャストのための詠唱があるんだぜ?
……そこまで義姉を傷ものにした俺が憎いか、似非大阪弁幼女。
「はい『eso』の発音おかしい。後千回♪」
くそう……。
◇ ◇ ◇
「……『ファイアショット』」
空気が瞬間的に膨張する音とともに、拳大の火炎が飛んでいく。
俺は今、昇る朝日を拝みつつ、疲労と達成感を噛みしめていた。結局、不眠不休の貫徹だった。五百回とか千回とか、絶対冗談だと思ったのに……。
俺は首をぐるんと回し、俺と同じく目をしょぼしょぼさせている幼女と視線を合わせた。
「寝ていいっすか?」
「……まあ、及第点やし。ええよ」
『え』の瞬間俺はぼーん、と仰向けに倒れた。
いやっほう! エクセレントなサンドベッドだぜ! 初めて砂漠に来て良かったと思ったよ。
いやー、これで俺も火の魔法使いか。十時間ぐらいか、練習したの? ぶっちゃけそこまでする必要あったかどうかわからないけど。この程度なら、誰でもウィザードやウィッチになれそうなもんだ。教育機関が未発達なのかな?
いっそのこと、サンサバルドにあるという大図書館で勉強でもして、ウィザードでも目指すというのもありかもしれない。朝昼晩に二時間ずつぐらいの練習なら継続して……。
「あ、そういえば言い忘れとったんやけど、ウィザードやウィッチってのは国家資格やから、試験あるで。めちゃムズイやつ」
「?」
何でも二種の実技があるそうで。一つが教官との実用性のテスト。もう一つが基礎五大属性を一つにつき三種類唱え、計十五個も詠唱する暗記テスト。しかも全てあの訳のわからない『エルダーキャスト』でやらなければならないという。
……うん、俺やっぱりただのタンカー役でいいや。
15/08/16 08:37更新 / 罪白アキラ
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