連載小説
[TOP][目次]
勝鬨
その細腕が振るわれる度、剣圧で空が裂ける。
大地を蹴れば地盤が割れ、周囲の大地が隆起する。
世界が、悲鳴を上げていた。
魔法でも何でもない。少年がただ目の前の男に剣を叩きつけようとする、その動きの余波に。

その挙動は今まで模倣した剣術の全てをどこかへと置き去りにしたような、異様な変貌を遂げていた。
姿勢は低く、時に剣を握って居ない手すら脆すぎる地面を捉える為の補助として使う、獣のような動き。
だって、彼が模倣した中には存在しなかったのだ。
これ程の身体能力をもった生物が、剣を振るう事を目的とした技術体系は!

「――――――!!」

だから、異常な光景だった。
そんな少年を相手取り、なお打ち合いを成立させている男の姿は。
明らかに相手の方が速度も膂力も遥かに上。彼はそんな少年の剣をまるで猛牛の突進を躱す闘牛士のようにいなし、弾いているのだ。

「っ…………!」

爛々と目を輝かせながら、少年は思った。
凄い。
なぜ自分の剣が弾かれているのかが分からない。
目の前の男が、原型を保てている理由が分からない。
今までどんな剣術も一目で模倣できた自分の、確実に通ったと思った太刀すら防がれる。
自分より、ずっとか細い力しか持たない筈の相手に。

分かるのは、ただ一つ。
自分の心臓が、高鳴っているという事。
この戦いを――自分が今、楽しいと感じている事。

「っ…………!」

一撃でも受け損なえば肉片すら残らないような剣劇の中、行綱は冷静に自身の変化を観察していた。
仲間たちの魔力を宿し、変質した自身の身体。代わる代わるに仲間達を抱き続けても尽きない体力に、大きく向上した筋力。彼の故郷では半神とも呼ばれるようなそれ。
そんな大きな変化を遂げた肉体に――安恒に受け継がれた技術が、恐ろしい程に馴染むのだ。
まるで今の身体で振るう安恒の業こそが、本当のそれであるように。
その理由に、彼は心当たりがあった。

『散花』。
彼の家に伝わる、一時的に人を越える為の奥義。
一時的とはいえ人の力を越えた者が振るう剣に、常人の剣術が適している訳がない。
だから自分が振るうこの剣術は、全てが逆算して作られていたのだ。
自分達の最期の奥の手が、惨めな自爆として終わる事のないように。
本当に大切な人を守り、戦果という果実を実らせる事が出来るように。
即ち、人を越えた状態で振るう時こそが、最適の動きであるように。

馬鹿な話だと行綱は思った。
普段からそんな無茶をすれば、早死にする事など当たり前ではないか。

だが−−そんな大馬鹿者どもの家に生まれたお陰で、自分は今こうしてこの場に立っていられる。
それはきっと、感謝すべき事なのだと、そう思った。

しかし、それだけでこの勇者と正面から打ち合う事が出来るものだろうか?
否、出来る筈がない。

「……っ!」

だから彼に起きている変化は、それだけではなかった。
災害が剣の形に姿を変えたような一太刀をまた弾き、行綱は確信する。
分かるのだ。
比喩や不確かな直感ではなく、この勇者が次にどこに剣を振るうのか。どんな攻撃が来るのかを、自分は五感と同質の感覚で把握し始めている。

魔物と番になった人間にはその環境で伴侶と共に生きる為の同質の能力が備わると言われている。
それは例えば、空を飛ぶ魔物達の活動域である高高度の低気温や薄い空気に対する適応力。
それは例えば、アンデッドの魔物達が好んで口にする食材に含まれる特有の毒素に対する耐性。
そして、それは例えば――自分の国を作るという、とある魔物と共に歩む為の、彼女が持つ未来予知にも等しい危険察知能力。

刃との摩擦で空気が焦げ付き、剣戟の音すら遅れて聞こえる程の異次元の打ち合いの中で。現実よりも数刹那早く行綱の頭の中に二つの軌跡が描かれる。少年が剣を振る軌道と、自分が刀を振るべき軌道。
例え全てを見切り、模倣する目を少年が持っていたとしても。
その目に映らないものは、模倣し得ない。

「…………っ!」

二人の刃がかち合い、膂力に劣る行綱の身体が大きく後ろに吹き飛ばされた。
顔を上げるより早く、その脳内に未来の光景が浮かび上がる。
自身を囲む、無数の光球。
それは恐ろしい程の速度で増殖してゆく。タクトのように剣を振り上げた姿勢の少年の姿が、あっという間に隠れて見えなくなってしまう程に。
先程は夜空を埋め尽くす程に展開されていた発射前のそれが隙間なく発生し、三百六十度を隙間なく埋め尽くすドームのような形を形成しているのだ。
そう、少年が使わないと約束した魔法は――浮遊と、神話の軍勢を造り出す物のみ!

「……待て、ミリア」
「っ……!」

思わず飛び出そうとする部下達、その中でもいち早く転移の体勢に入ったミリアをアゼレアは呼び止めた。
そうして、微笑みかける。

「……大丈夫じゃ。行綱は、大丈夫」

そう、大丈夫だ。
だって今、この胸には少しの不安も、息苦しさも感じてはいない。
彼は必ず帰ってくると約束したのだから。

「………………」

男は自身の置かれた状況をもう一度確認し――迎え撃つように腰を落とした。

避ける事は、無理。
ならば切り伏せるしかない。

行綱の脳内で、目の前の光景に自らが振るうべき太刀筋が重なる。
前後左右に真上。今の身体を持ってしても、十本の刀を同時に振る事が出来てようやく全てに刃を通せるかどうかという量のそれ。
だが彼には不思議と、自分がここで終わるとは微塵も思えなかった。

楽団にフィナーレを伝えるタクトのように、少年の剣が振り下ろされる。

そして――行綱に向けて撃ち出された全ての光弾は、その着弾の直前で一つの爆発を起こす事もなく掻き消えた。

「え…………?」

誰も彼もが、困惑していた。
皆、知っていたから。この少年の放つ光弾が、どれほどの破壊を齎すものかを。
それら発射された全てが綺麗さっぱり、かき消されてしまったのだ。
本当に、全てを斬り捨て、無力化してしまったかのように。

「………………」

青年だけが、自身の身に何が起こったのかを反芻していた。
結論から言えば、やはり浮かび上がっていた自身が振るうべき太刀筋全てに刃が通った。それだけの事だ。
だだし――実際には、自身の刀が通っていないものも含めて。
剣を振った瞬間、幾条もの目に見えない『何か』が、同時にそれを斬ったのだ。
斬撃らしき、目に見えない『何か』が。

困惑の色を隠せない少年の、しかし変わらぬ神速の追撃を行綱は弾く。

「っ…………!?」

そうして勇者は、見えない一太刀をその身に返されたように、ぐらりとたたらを踏んだ。

「ま、さか…………。」

その光景を見たヴィントは目を丸くしていた。
あれは、明らかに剣術ではない。

剣術でないならば――それは、そう。
魔法だ。

それも、長く魔王軍に勤めるヴィントでも見た事のない……いや、見る事の出来ない、世界でも一握りの術者のみが扱う事のできる技術。
目には見えず、形を持たない。純粋な魔力による不可視の攻撃魔法。

『無の魔法』。
魔法は術者のイメージによってその姿を変える。
魔術師達は体系だったそれを研究し、時には詠唱を用い、より強固にそれを具現化する為の方法を身に付ける。
だから――逆に言えば、何の姿形も持たないそれを攻撃として振るう事は困難を極める。ただ魔力を放つだけの単純な攻撃ですら、普通であれば少年のそれのように光弾という姿を取るからだ。

だが彼は、生まれた時からずっと頭の中に描き続けていた。
太刀筋という、決して目に映る事のないそれを。そしてそれは一寸先の未来を感知する能力を得た事によって、より強固なものとなった。
その身に宿した魔力をもってーー斬撃という現象のみを、この世界に発生させられるほどに!
行綱が、静かに刀を構え直した。

「……行くぞ」
「………………っ!」

剣戟が打ち鳴らされるたび、不可視の斬撃が少年の身体に襲い掛かる。
自分の剣が、不自然に軌道を歪められる。
例え全てを見切り、模倣する目を少年が持っていたとしても。
その目に映らないものは−−模倣し得ない!

「あ――ぁぁぁぁぁぁッ!」

それでも尚、少年は踏み込む足を止めなかった。

「…………っ!」

その魔力は底が見えない。削り切れない。
例えるならばそれは、流星が大地に届く前に大気に焼き尽くされてしまうように。
まるでその身の裡に一つの世界を内包しているかのような途方もない魔力。
何十と言う不可視の斬撃を身に受けながらも、勇者はそれを意に介す事無く、むしろ目を輝かせ嬉々としてこちらに剣を叩きつけて来る。
文字通りの付け焼刃では、その魔力を全て吐き出させるだけの鋭さが足りないのだ。

ならば。
行綱は自らが次に刀を振る軌道に、同時に発生させ得る全ての不可視の斬撃を重ねた。

「っ…………!?」

何重もの斬撃が束ねられた一撃。予想外のその重みに、少年の剣がかち上げられる。
初めて、少年が体幹を崩した。

ーーさぁ、次の一太刀で全てが決まる。

前に、クロエから聞いた事があった。
魔力を伴う斬撃を構成する要素は三つ。
込められた魔力と、振るわれる得物と、振るう本人の技量。

行綱が握る刀はかつて戦で手柄を挙げた先祖に下賜され、代々受け継がれてきたものだ。
決して折れず、刃こぼれすらしない。ただそれだけの、しかしそれ故に全てを断ち得る――遥か西の『聖剣の国』に伝わるそれを、火の国に住む刀鍛冶の業を極めた一つ目の巨人が再現した一振りだと言われている。
その刃に込められているのは、魔王の娘である主と魔王軍の精鋭たる仲間達から受け取った魔力。

つまりは得物とそれに込められた魔力、そのどちらもが最上のもの。
だから、後は自分だけだ。
自分が受け継いできたもの。積み上げてきたもの。
その全てが、次の一太刀で試される。

時が止まったように。あるいは走馬灯のように。
生まれてからこの場に立つまでの全てが、行綱の頭の中を駆け巡った。

「『散花』」





一筋の、紅い魔力の残光が疾った。
腰を低く落とした体勢から、すれ違いざまの胴薙ぎ一閃。





「…………っ」

そしてそこが彼の、集中力の限界だった。

「はっ、はっ…………っぐっ!」

体中の筋肉が悲鳴を上げる。五月蝿いほどに鼓動が響き、空気を求める肺が犬のように浅く荒い呼吸を繰り返す。
一息でも供給が途切れれば、倒れてしまう。
慣れない魔法と未来予知を使いながらの極限の集中と駆動の果て、最早余力など残されてる筈もない。

もしも、これであの少年を倒せていなければ。
行綱はよろめきながらも、背後を振り向き――そして。

剣を取り落とし、地に倒れ伏した勇者の姿が、そこにはあった。

数舜遅れて、周囲から爆発的な歓声が挙がる。

「行綱っ!」

振り返れば、涙を浮かべた仲間達と、満面の笑みを浮かべた主がこちらに駆け寄る姿が見えた。
荒い息をつきながら……ああ、自分は、勝ったのだと。
その時ようやく、行綱は実感した。
高揚に体が、刀を握る手が震える。


「………………っ!」


行綱は湧き上がる衝動のまま、突き上げるように刀を掲げた。






赤い月が浮かぶ魔界の空にーー男の、勝鬨が響き渡った。






23/09/26 00:33更新 / オレンジ
戻る 次へ

■作者メッセージ
魔法のあれこれはサバトグリモワールとにらめっこしながら書きました。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33