連載小説
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光剣
そこには神話の軍勢の姿があった。

炎で形作られた巨大な体躯と捩じれた角を持つ醜悪な悪魔。嵐を纏う裁きの雷槌を携えた巨人。氷の槍を持つ水の戦乙女。土塊を捏ねて作られた魑魅魍魎――書物の中で語られる終末の戦争のような光景が、赤い月に照らされていた。
だが、明確に神話と異なる点もある。その全てが、同じ方向を向いている事だ。
これらは、ぶつかり合う神々と魔物の軍ではなく、全て合わせて一つの軍勢なのだ。
だが全ての魔物が魔物娘となった今、そしてまさに魔王を討たんとする遠征軍と魔王軍がぶつかるこの戦場に、そのような軍勢など存在しようはずもない。
それら全ては、勇者と呼ばれる一人の少年の魔法で生み出されたものだった。

「………………」

優れた術者は例えそれが単純な火や水、土塊を撃ち出すような魔法であったとしても、意のままの姿を取らせより自在に操る事が出来る。
例えばそれは触れた者を昂らせる情欲の火を、ハートの形で撃ち出す事。
例えばそれは嵐のように降り注ぐ雷を、その実精密に操る事。
例えばそれは――全てを焼き尽くす劫火に威容を誇る悪魔の姿を取らせ、自在に操る事。

少年はそれを学んでしまっていた。
実際に振るわれるその光景を、両の瞳に映しただけで。

それを独立した兵隊のように操るのとただの攻撃として放つのでは、必要となる魔力も天と地程の差がある。さらに言えば、そのような魔力のみで形作られた存在はこの魔界に存在するだけで魔物の魔力の浸食を受けてしまう。
少年はその浸食以上の速度と量を、顔色一つ変えずに供給し続ける事でこの軍勢を維持しているのだ。
人間離れ、などという言葉ではとても生温い。異常という他ない魔力量。
それは――そう、この少年がその魔法の存在を知れば、神々のように独立した異界すら生み出せるのではないかという程の。

「………………」

既に彼は教団の意思の元にはなく、己が生み出した軍勢の中心で微かに宙に浮き、漂うように戦場を彷徨っていた。
時折、進行方向を遮る魔王軍と衝突しながらも、少し交戦すると興味を無くしたように進行方向を変えてしまう。
それは感情の見えないその瞳に誰かを探している、迷子のようでもあった。

幸いな事にその予想進路は予測を立てやすい為、その先に魔王軍の腕利き達を用意する事は容易なのだが……それだけで、本来は教団の本体を迎え撃つ為に控えていた人員を割かざるを得ない。本来の陣形を、崩さざるを得ない。
そうして残った教団の兵士もそれを理解しているからこそ、自然と少年の軍勢を追うような動きを取っていた。

「………………?」

そんな、虚空を見つめ動く事のなかった少年の瞼が、ぴくりと動いた。

























いた。




























いたのだ、彼が。






















彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が。彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼がが彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼がが彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼がが彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼がが彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が――


ずっと探していた、彼が。
兜の奥から覗く射貫くように鋭い眼光。携えた一振りの刀。
纏っている鎧は以前と異なるが、見間違える事などあろう筈もない。

神話の軍勢が、その進路を変えた。
赤い月が照らす魔界の大地の下、それを迎え撃つはたった7人の突撃部隊。

緑の鱗と翼膜を持つ美女が、飛竜本来の巨大な姿へと変化する。
死人の如き青白い肌の少女が魔導書を開き、その身を宙に浮かせる。
武器よりも余程危険な拳を持つ鬼の女が。巨大な鎌を手に握り、頭から山羊の角を生やした幼子が―――旧時代の魔物の本能を取り戻したような獰猛な笑みを浮かべ、見渡す限りの軍勢へと飛び込んでゆく。


――ゴオォォォォォッ!!!!

戦場に飛竜の咆哮が轟く。その口から放たれた獄炎が大地を嘗め尽くす。
水で形作られた異形達が一瞬にして沸点を越え、大地を揺らす程の水蒸気爆発を起こした。
濛々と立ち込める水蒸気の中から現れるのは、半ば形を崩し、しかし既に再生を初めているような土塊の巨人。

その拳が、先陣を切る緑の鬼に向かって振るわれる。

「!」

鬼は身体を翻して拳を躱し、すれ違いざまに己より幾回りも太いその胴に手を回す。
勢いのまま、土塊の巨人の身体が微かに宙に浮いた。
鬼は巨人に組み付いた体勢のまま小さく息を吐く。
そしてその背筋群を、爆発的に収縮させた!

今一度、大地が揺れる。

彼我の体重差、数十倍のスープレックス。
先の爆発にも劣らぬ轟音を奏で砕け散る巨人には目もくれず、彼女は既に次の獲物を求め走り出している。

「…………!」

神話の軍勢が、顔色を変えた。
もちろんそれは比喩表現だ。彼らには命がなく、故に意思も存在しないのだから。
正面からの衝突を不利だと判断した彼らの命令者が、数で劣る彼らを圧殺しようと陣形を大きく横に広げ始めたのだ。

それを遮るように、二つの影が躍り出る。

右舷に駆けるは漆黒の馬に跨り、全身を鎧に包んだ女騎士。その手に握るは自らの体躯よりも巨大な、鉄の塊のような大剣。
その質量を馬上から叩きつける様に振り回し、すれ違い様に薙ぎ払う。しかも彼女は己の身体よりも大きなそれを、片手で手綱を握り、全速力で馬を走らせながら操るのだ。
正に鎧袖一触。その姿は、戦場で魂を刈ると言い伝えられる死霊の騎士そのもの。
彼女が駆け抜けた後に、動くものはなし。

左舷に躍り出るは、見るも目出度い紅白衣装と青白い炎に身を包んだ極東の巫女。
低空を飛ぶ燕のように。滑るように地を駆け、手の内の薙刀と狐火を振るうたび、軍勢の一角が消し飛んでゆく。
彼女はその光景に胸を高鳴らせながら、狐のように目を細めてうっとりと微笑んでいた。
愛する男と同じ血が確かに自分に流れている喜びを、噛み締めるように。

さらにそんな二人が取りこぼした者達を、魔法の雨が虱潰しに打ち砕いてゆく。
火には水を、雷には土塊を。彼女達を逃れて空に向かえば、そこは既に一匹の獰猛な飛竜の領域。

そんな戦場の中を、男は進んでいた。
ひたすらに軍勢の中心を目指して。
その存在に気付いた異形達が、一斉に襲い掛かり――そして両断された姿で沈黙する。

「………………」

そう。
もう、斬ってもいいのだ。
その相手が異形であれ、人間であれ。
仲間達の魔力が宿ったこの刃は、もう望まぬ命を奪う事は無いのだから。
徐々に軍勢はその頭数と密度を消耗しつつあった。
軍勢の外周から、中心に。あるいは軍勢の中心から外周に、視線が通り始める。

「……!」

そして、いた。
彼らは、互いの姿を見つけ――その一瞬後には間合いを詰め、互いの得物を振り下ろしていた!

「っ…………!!」

刃と刃が打ち合う甲高い音から一瞬遅れ、二人の背後で蹴り抜かれた大地が捲れ上がり、摺り足で削られた地表が砂埃となって巻き上がる。

じんと痺れる指。体幹ごと刀を持って行かれそうな程の衝撃。
だが、と柄を強く握り直しながら行綱は確信する。
いける。まだ腕は繋がっている。
あの時とは違う。
今の自分ならば、この少年と打ち合う事が出来る!

「――――あ」

自らの太刀筋が弾かれた事に、少年は目を丸くして驚き。そして。
にへら、と。その口の端が吊り上がった。
それは例えるなら一日中野山を走り回った子供が、その小さな冒険の果てに探し求めていた昆虫を見つけた時のような。思わず漏れてしまったような笑み。


――この世界が存在している、意味が分からなかった。


小さな頃、少年は母親に捨てられた。
一泣きもせず、最初から自力で呼吸をしている。そんな生まれたての赤子を、彼の親やその周囲の人間はとても気味悪がった。
だから、捨てられた。
狼が徘徊する、村から離れた山の奥深くに。

その晩、彼は自分を食べる為に集まった狼を追い払おうとしてーーその余波で、その一帯の命を纏めて奪ってしまった。  

そんな自分を抱き上げた育ての親。司教の怯えたような目を見た時。
彼は理解してしまった。
自分の強さと、この世界の脆さを。

「…………っ!」

少年という存在にとって。この世の全ては、興味や愛着を抱くにはあまりにも脆く、そしてか弱過ぎるものだった。
触れれば潰れてしまうような羽虫一匹づつを区別し、愛着を持って接する事が出来るだろうか。
踏めば崩れる砂の城を、自らの故郷として想う事が出来るだろうか。
彼の人生はずっと、そんな虚無感の中にあった。
ともすれば、自分の力はそんな儚い物で構成された――自らを内包しているはずのこの世界さえも、容易く壊せてしまうのではないか、と。

初めてだった。
あんなに激しい感情をぶつけられたのは。
生まれて初めて、他人を怖いと思った。
揺らぐ感情の中で。生まれて初めて、足の裏にある大地が確かなものだと感じられた。
初めて、自分という存在が一人の人間なのだと感じることが出来た。

怖くて、ドキドキして。
そして――たまらなく、『興奮』した。

戦場の真ん中で、魔力の残光を引く二人の刃が交差する。
片や、神をも斬る為に極東で継がれ続けた血脈の末裔。
片や、一切の過去を持たない神にも等しい突然変異。
髪や目の色、纏う鎧にその手の得物。
何もかもが異なる二人が、しかし同じようにその瞳を爛々と輝かせて。

「っ……!?」

少年の剣の速さと重さが、また一段上がる。
幼い頃に誰しも覚えがあるような、体力の底など見えぬ無敵感。精神の高揚に、際限なく身体が引っ張られてゆく感覚。
少年はまさに今、その最中にいた。
だからまだ、もっと速くなる。
そう。もっと、もっと!

「………………っ!」

堪らず、少年の剣を受け損ねた行綱の手から、刀が弾き飛ばされた。
目の前には、既に剣を振り被った少年の姿。
そんな二人の間に割り込むように、声が響いた。

「隙、ありいぃぃぃっ!」
「…………っ!?」

剣が振り下ろされる寸前、横合いから異形の群れを挽き潰しながら現れたクロエの馬上からの一閃。
咄嗟に防ぐも、馬の速度をそのままに振り抜かれた一撃。さしもの少年も、足を止めざるを得ない。

「ユキちゃんっ!」
「!」

風切り音と共に目の前を通り過ぎようとする棒状の物体を、反射的に掴む。
それは青い狐火を纏った彼の姉の得物。
彼女が、ぶんぶんと手を振っていた。

「それ、後で返して下さいねー!」
「……ああ」

こちらにウインクを送る姉に静かに頷くと、彼女は満足そうな笑みを浮かべ、再び押し寄せる敵の中へ飛び込んでいった。
握った薙刀を、大上段に叩きつける。


「っ…………!」
「…………?」


再び打ち鳴らされる剣戟の向こう、行綱は少年の表情に違和感を覚えた。
苛立っている。
先程まで嬉々とした表情すら浮かべていたというのに、振るわれる太刀筋にもそれが荒さとして現れる程に。
考えられるのは先程のチャンスでこちらを仕留め損なった事だが……しかし、それだけでここまで取り乱すものだろうか。
何にせよ、これは好機だ。

「…………っ!」

乱れた剣筋の隙を付き、初めて行綱の刃が少年の頬を掠めた。
青い狐火が、白磁のように白い少年の頬を撫でる。

「………っ、っ!!!」

ぎり、と歯ぎしりをした少年は一度行綱から大きく距離を取り、ふわりと宙に浮かび上がった。
男の刀が届く高さを軽く超え、尚も上昇する。
自らが造り出した軍勢の全てを、遥か下に見渡せる高さまで。
天に、手をかざす。

そうして――赤い月の登る王魔界の夜が、突如として眩しい程の真昼に変わった。

「な…………!?」

誰も彼もが、空を見上げて驚愕していた。
王魔界の紅い空に、月を覆い隠す様に巨大な太陽が浮かんでいる。
いや、違う。
これは魔法だ。
太陽と見紛うほどの光と熱量を持った、途方もなく巨大な光球。
神話の軍勢を再現するほどの魔力。その一端を単純な破壊にのみ向けた姿が、これなのだ!

「…………。」

ーー彼女は、ずっと悔やんでいた。

片腕を砕かれ、もう片腕を失い。筋も骨も内臓もぐちゃぐちゃになった男の身体を切り開いて、縫い合わせたあの日。
あの日ほど自分の魂が経箱に入っていて良かったと思った事はなかった。
そうでなければ……泣き叫んでしまって、とても処置どころではなかっただろうから。
だから備えていた。
次にあの勇者と相対する時、その一撃に撃ち負ける事が無いように。
魔導書を構えたヴィントが、大きく息を吸い込む。

「――――――――!!」

とても奇妙な光景だった。歌うようなソブラノと獣の唸り声のような低音。二つの声が、同時に彼女の口から詠唱として紡がれているのだ。
それはとある草原の騎馬民族の間で伝えられる特殊な歌唱技術。
攻撃魔法の威力は単純な魔力の強さだけでは決まらず、魔力を具現化する際の高度な思考と集中によりその精度を高める事が重要とされる。詠唱はその技術の最たるものだ。
だからそれを並列化する。高速化する。
魔力量が足りないならば、その分は他で補う!
大丈夫。
多少無茶な息継ぎでも――既に死んでいる私は、もう死にはしない!
地獄から噴き出したような禍々しい炎が、彼女の頭上に収束する。
赤と黒の斑な火球が、物凄い速度で膨れ上がってゆく。

「っ、――――!!」

少年が天にかざした腕を振り下ろすのと、ヴィントが最後の一節を唱え終わったのは、ほぼ同時。
白と黒、巨大な球体の形をとった二つの魔法は真っ向からぶつかり合い――視界が白く染まる程の大爆発を起こした。
相殺したのだ。
あの、少年の魔法を!

「――ほむらっ!」
「応っ!」

青年は既に走り出していた。
名前を呼ばれた緑の鬼の腰は何かを持ち上げる時のように深く落とされ、その手は掌を重ねる様に組み合わされている。
その手に、自らの足をかける。

「行って――こいッ!」

ほむらは全力で男の身体を打ち上げた。
重力を振り切り、行綱は未だ大魔法の衝突の余波で煙る魔界の空へ一直線に駆け上がってゆく。
煙を抜けると、見えた。少年の姿が、満天の星空の下に。

いや、違う。
この満天の輝きすらも――その一つ一つが、今まさに撃ち出されんとしている少年の魔法!

「ミリア」
「はーいっ!」

青年の背中から聞こえる返事は、無邪気な幼い魔獣の声。
背中にしがみついたその声が、歌う様に紡がれる。

「『サンダースピア』」

行綱の周囲に雷の槍が生み出される。

「もっと!」

一本が二本に、二本が四本に。

「もっと、もっともっともっと、もーっと!!」

四本が八本、八本が――数えきれない程に、たくさん!
幼い頃に誰しも覚えがあるような、体力の底など見えぬ無敵感。精神の高揚に、際限なく身体が引っ張られてゆく感覚。
彼女もまた、その中にいた。
幾千幾万条もの天から降り注ぐ星の光と雷の槍が激突し、互いを相殺し合う。
そうして、ようやく。
青年の刃が、少年をその間合いの中に捉える!

「…………っ!」

この高度まで登って尚その身に残る慣性の、全てを刃に乗せて放たれた一閃。剣で受けた少年が、空を踏むようにじりりと後ずさる。
だが、そこまで。慣性を失った青年を待っているのは、自由落下だ。
重力に引かれ落ちてゆく青年に、少年は掌を向けた。掌サイズの光弾。この大きさですら、直撃させずともその余波だけで以前の行綱を瀕死に追い込んだ程の威力を持っている。
その光弾が直撃する寸前――巨大な緑の陰が、行綱の身体を攫った。
クレアだ。

「……いくぞ」

返事のような咆哮に行綱は手綱を握り、鐙を蹴った。
赤い夜空を舞台に、飛竜と勇者が幾何学的な飛行の軌跡を描く。光弾と、雷の槍と、飛竜の炎。それらを有利な背後から撃ち込まんと互いの軌道が複雑に絡まり合う。超高高度、超高速の飛行戦!
焦れたような少年が強引な手段に出る。被弾するのも構わず、強引に飛竜との距離を詰めに出たのだ。
雷の槍を弾き、飛竜の炎を正面から突き抜ける。そして、その背中に乗る男に斬りかかろうとして。

ーー開けた視界の中、飛竜の背に男が居ない事に気が付いた。

「!」

後ろだ。

「やっちゃえ、お兄ちゃんっ!」

それを為したのは、青年の背中にしがみついたまま無邪気に笑う小さな魔獣の転移魔法。
そう、少年はまだ見た事が無いのだ。この魔獣が――いや、ミリアだけではない。戦場で転移の魔法が使われる、その瞬間を!
もし見た事があるならば、一目見ただけでそれを模倣出来るこの勇者の戦い方は、もっと手の付けられないものになっている筈なのだから!
大上段から、青い残り火を纏った薙刀が全力で振り抜かれる!
刀身が、その身体を捉えた。

「………………!」

驚愕の表情を浮かべ、行綱の一太刀を受けた少年が遠い地面に落ちてゆく。さらに雷の槍の雨が。飛竜の吐く灼熱の炎が。追い打ちをかけるように、容赦なく少年の身体を貫く!
そしてそのまま――凄まじい音と土煙を立て、地面へと激突した。
一拍遅れて、再びミリアの転移魔法を使った行綱が地上に現れる。見れば、残った神話の軍勢達は踵を返し、少年が墜落した地点を守るように動き始めている所だった。
仲間達はそれを深追いせず、一度行綱の元へと集合する。

「んー、今日も最ッ高の乗りこなしっぷりだったよ、行綱っ♪」
「クレアさん、まだ戦いの途中なんですから……」

旧時代の姿から戻ったクレアを、苦笑を浮かべたクロエが諫めた。

そう、まだ終わっていないのだ。
この軍勢は、少年の魔力によって生み出されているもの。それが健在であるという事は、即ちそれに魔力を供給している少年もまた健在だという事。
果たして――土煙の中心から、凄まじい魔力の奔流が吹き上がった。

「………………」

爆発的な魔力の放出が神話の軍勢もろとも砂煙を吹き飛ばし、少年が姿を現した。
その身体から溢れる魔力で目や髪は青く発光し、莫大な魔力量に一帯の大気がびりびりと震え始める。
髪や肌、その鎧は多少土に汚れているが、それだけ。ダメージを負っている様子も無い。

「……まだ本気出してなかったのかよ。あいつ」
「多分……出し方が、分かってなかったんだと思う。」

出不精な人間が、急に走ろうとして足がもつれてしまうように。
あるいは、深い眠りから目覚めた際に身体にうまく力が入らないように。
そう、それ程までにーー全力というものは、この少年にとっての非日常だったのだ。
再び臨戦態勢を取るクレア達に、少年が口を開く。

「……お願いが、あります」
「……え?」

突然の行動に呆気に取られる一同へ、少年は続けた。
剣を下ろし、その身に纏う魔力の圧力とは裏腹な、慎重に言葉を選んでいるようなたどたどしい口調で。
行綱を指差して言った。

「その人と……二人で、戦わせてください」

隊長として、クロエが一歩進み出て言葉を返す。

「その申し出はこちらに何もメリットがありません。……それとも、こちらに何かそれを考えさせるような条件をご用意しているのでしょうか?」
「……何も、ありません」

叱られた子供のような様子で、しかしそれでも少年は言葉を続けた。

「だ、から……これは、ただのお願いです。……その人と、二人で戦ってみたいだけなんです」
「……お受けできません。先程のように空を飛ばれれば、それだけで行綱さんだけでは手出しが出来ませんから」
「なら……空は、飛びません」

予想外の少年の態度に戸惑いながらも突き放すクロエに、尚も少年は食い下がる。

「あの、魔法の軍勢も、作りません。……お願いします」
「…………」

それまで無言だった行綱が、一歩、前へ進み出る。
そうして、仲間達を振り返った。

「行かせて、もらえないだろうか」
「……行綱さん」

クロエが言っている事は、何一つ間違っていないと理解している。
だから、これもただのお願いだ。
唯々、この申し出から逃げたくないというだけの、我儘だ。

結局のところ。
何がどう変わっても――彼の性分とは、そういうものだった。

「いいんじゃねぇの?」

困ったような顔のクロエの代わりに、ほむらが笑う。

「こんなこいつだから、あたし等みんな惚れた訳だろ?流石にあんだけあたし等を心配させた後だ。こいつも勝ち目があると思って言ってんだろうし。……なぁ?」
「ああ」

力強く頷く男に、クロエは暫く眉根を寄せて……そして、脱力するように笑った。
しょうがない人ですね、と。

「分かりました。ですが……念の為もう一人、上長からも許可を取って頂けますでしょうか」

視線を上に向けるクロエの視線の先。
一つの気配が、空から降りて来る。初めて出会ったあの日のように。
違える筈もない、愛しい主のそれ。

「行綱」

彼女はすたすたと歩み寄り、行綱の身体を抱き締めると――その唇を塞いだ。
お酒のような彼女の甘い香りが、ふわりと鼻をくすぐる。
唇が、離れた。
額を合わせ、至近距離で見つめ合う。

「必ず、帰ってくるな?」
「はい。必ず」
「うむ。……では、行ってこい」

満足そうに微笑んで送り出す主に、男は頷いて。
そんな男に、姉が戦場から回収した愛刀を差し出した。

「はい、ユキちゃん。……頑張って下さいね」
「……ああ。ありがとう、姉上」

薙刀と交換で刀を受け取り、数度振って握りの違いを確認する。
そうして――勇者の元へと、歩を進め始める。
気付けば、この戦場に居る誰も彼もが、そんな二人が激突する瞬間を静まり返ってただ見ていた。
これから始まる、一騎討ちを。
男が、名乗りを上げる。朗々と。

「やあやあ、吾こそは魔王城の住人、安恒行綱なり」

知っている。
これは自分の名前を伝える、決闘の作法。
自分の、名前。
少年は、少し考えて――かつて、育ての親が自分に向かって口にしていたそれを思い出していた。

「……クレイグ・ソリッシュ」

様々な民話や英雄譚に登場する光の剣。輝きを放つもの。
自分が反応しなかった為、いつの間にか呼ばれなくなってしまったが……思えばこれが、自分の名前というものだったのだろう。

得物を構えた男と少年は、同時に大地を蹴り。
そして叫んだ。



「「――お前を、倒しに来たッ!!!」」




23/09/25 01:57更新 / オレンジ
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