連載小説
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鍛錬
カッ!カカンッ!

魔力の光で照らされた地下の一室に、木剣同士が打ち合わされる音が響く。

――凄いとは聞いていましたが、これほどですか。

アゼレアが指揮を執る部隊のうち、一つの部隊長を任されているデュラハン――クロエは、汗に滑る柄を握り直し、正眼に構えた。
眼前の男は腰を低く落とした姿勢のまま、こちらの隙を覗うようにじりじりと間合いを詰めてくる。

ここまでは分かる。

「くっ!」

首筋に迫る巻き打ちを、すんでのところで防ぐ。
そのまま膂力の差で押し返し、開いた男の身体へと袈裟懸けに振り下ろすのだが……男の体は、何時の間にやら木剣の間合いの外へと脱出していた。
試合開始からずっと、そうなのだ。
向こうが攻めてくる時には、いつの間にか目の前に。こちらから攻める時には、いつの間にか間合いの外に。まるで地面の上を滑っているかのように、気が付けば男が移動し終わっている。
もちろん、訓練場であるこの部屋の地面は氷ではないし、目の前の人間が魔力を発動した様子もない。移動のたびに軽い土煙が起こっている事からしても、その現象は男の純粋なる体捌きによって為されたものであるのだろう。
頭では分かっていても、目がその通りに捉えてくれる訳ではない。クロエの目測は未知の技術によって徐々に狂わされ、集中力はまばらになり始めていた。
再び、男がジリジリと間合いを詰めてくる。既に試合を始めて小一時間は過ぎただろうか。人外の剣士と人の身で打ち合い続ける男の呼吸も、随分と荒いものになっている。

――次の一合が、最後となるだろう。

クロエは男の重心を読むことのみに全神経を集中させる。距離感覚は最早大分狂わされていたが、その代わりに男の体重移動の癖のようなものは、掴み始めている確信があった。
そしてそれがこちらへと動くのを感じた瞬間、木剣を真横に振り抜き――


「……っ、勝負、ありだ」


後ろに回り込んだ男の木剣が、後頭部に当てられていた。





魔王城の内部、デュラハンやリザードマンなど、剣を扱う魔物が集まる訓練場は歓声に湧いていた。
人間が、魔王軍の中核を占めるデュラハン、しかも一つの部隊を率いる、一騎当千とも呼ばれるクロエに勝利したのだ。

「本当にお強いですね……あなたが部隊を率いたほうが良いのではないですか?」
「……嬉しい、言葉だが。私は、軍を率いる、訓練を、受けていない」
「ふふ、冗談ですよ」

行綱は、アゼレアの指示によってクロエが率いる部隊に配属される事となった。
クロエは魔王軍の剣術の講師でもあるらしく、行綱はそんな彼女に連れられて剣術の全体訓練に参加していたのだ。
試合を終えた二人は訓練場の中心を離れ、壁際へと移動する。

「はい、お水をどうぞ」
「……っ、かたじけない」

精神的な消耗はお互い同程度だが、肉体的な疲労には歴然とした差があった。
壁に背を預け、荒い呼吸の行綱と、水を差し出し、微笑みを浮かべる余裕すらあるクロエ。
当然だ、行綱はまだインキュバス化すらしていない、本当にただの人間なのだから。

これだけの強さを持った人間が、自分たち魔物の魔力を受け、インキュバスになったならば――

それを想像してしまい、強い雄に対して燃え上がろうとする劣情を、頭をぐりぐりと固定し直して振り払う。

「しかし、本当にお見事ですね。どれか一つならばともかく、馬術、弓、槍、剣……全てが魔王軍の最精鋭達に遅れをとらないとは。しかも魔術の補助やエンチャントも無しに」
「……生まれてきてから、それぐらいしかしていないものでな」

やや、自嘲するように言う行綱。
そうは言うが、行綱の外見からして、彼はまだ20年かそこらしか生きていないだろう。魔王軍の中には、彼が生まれる前から戦っている者もざらにいるというのに。
かくいうクロエも、その一人だ。

――だってしょうがないじゃないですか。皆夫を見つけたら早々に辞めてしまいますし、私がしっかりないと。いや、夫を見つけても軍に残ればいいだけの話なのですが、何でか捕虜の皆さん私を見ると怯えちゃってアレですし私やっぱり戦場で頑張り過ぎなのでしょうか……

ともかく、彼は話に聞いていた以上の人物だった。この分ならば、近くに予想されている大規模な侵攻に対しても、大きな戦力となってくれるだろう。

「それ程強ければ、お嫁さんもすぐ見つかりそうですね」
「……いや、妻を娶る事は、まだ考えていない」
「あら、そうなんですか?」

魔王軍に加わる人間としては珍しい返答に、クロエが首を傾げる。彼程の強さがあれば、どんな魔物でも選り取りみどりなのだが。
まぁ、本人が言うのであればどうしようもない。魔物娘の十八番である無理矢理襲って夫にするという方法をとろうにも、彼が並の魔物に遅れをとるようには思えない。

クロエがそんな事を考えていると、周りから再び歓声が上がった。
どうやら、二人の後に試合を始めたサラマンダーとデュラハンに決着がついたらしい。サラマンダーが、剣を突きつけ誇らしげに笑うデュラハンを悔しそうな目で見上げている。
それを確認したクロエが、パンパン、と手を打って注目を集める。

「それでは、本日の訓練はここまでとします。次の侵攻予想日は3日後ですので、各自体調を整えておいて下さい。解散!」




――――――――――――――――――――




――妻、か。

行綱は魔王城の通路を一人歩いていた。たまに見かける男性は、皆、魔物のパートナーを連れている。
それは、彼の故郷でも日常の風景となりつつある事だった。
妖怪が人を愛し、その恵みによって人は繁栄し、その繁栄が平和をもたらす。
行綱はその平和を、心底素晴らしいものだと思っていた。かつて自分達のような武士が活躍していた時代よりも、お役御免となりつつあるその世相を、好ましいものとして捉えていた。

いた。そのはずだった。

「…………」

行綱は、無言で自分に割り振られた部屋のドアを開ける。
最初の数日は、つい故郷の引き戸の感覚で扉を開けようとしてしまい、姫様やあの彩とかいう刑部狸にからかわれたものだったが、流石に魔王城に住み始めて一週間近くが経過した現在では、そのような事もなくなっていた。
部屋の中では、早くに病死した父から譲り受けた代々伝わる甲冑と武具が、魔力で起こされた光を浴びて、誇らしげに鎮座している。

いつからだろうか。
自分達の先祖が脈々と築き上げてきた技が、ただ消えてゆくのが、たまらなく悲しくなったのは。
父も、病床の中でそれを嘆いていた。
もはや戦などほとんど起こらず、あっても小競り合いに留まるのみで、名を上げる機会もない世の中になってしまったと。
当時は、何を馬鹿な事を言っているのだと思っていた。
そんなものは古い考え方だと。こんな素晴らしい世の中に、これ以上何を望む事があるのかと。

だが、自分もそうなってしまった。

だからきっと、自分が子を作れば、子もそうなってしまうのだろう。
さらに、人間とではなく、魔物と結ばれれば。子供は魔物の女性しか生まれない。
もしもこれから先、自分がこれ以上古い考えに目覚めるような事があれば。その時、男児を産めぬ妻に八つ当たりをしてしまうのではないか。行綱はそれが恐ろしかった。



――だから、自分は妻を娶らない。子を成さない。
――特に、魔物とは。絶対に。



行綱は、甲冑の前に正座をした。
畳ではなく、石で出来ている魔王城の床が足に喰い込む。

「……私が、先祖代々続いてきた安恒家の末代となってしまう事を、お許し下さい。しかし、私はこの魔界で必ず名を上げ、誇らしくそちらに向かいます」

行綱は、深く頭を下げた。

――だからどうか、至らぬ私をお守り下さい。








魔王軍としての初陣は、3日後。
20/11/18 22:56更新 / オレンジ
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