連載小説
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不調
あの土下座事件から一日後。

「……という訳で、現在の魔物達が人の女性に近い姿になり、人を愛するようになったのは、妾達の母上が魔王になったが故なのじゃ」

アゼレアも恥ずかしさのあまり忘れかけていたのだが、彼は討伐部隊の尖兵達を一人で敗走に追い込むという人間離れした戦果を成し遂げた後であり、続いて休む間もなく魔物達に質問攻めにされ、さらに30分に及ぶ土下座を敢行した身である。
顔を上げた姿を見れば、いい加減体力の限界が近かったらしく、大分顔色が悪かった。

そこで一晩魔王城の一室で休んで貰い、翌日改めて魔王軍の言い分を聞いて貰う事にしたのである。
彼のように大きな戦力が味方について貰えるならば心強いし、もし協力して貰えないにしても、魔王軍の言い分を聞いて貰えれば、何かあった時に中立以上の協会側に付くこともないだろう、と考えたからだ。
ちなみに衣服は魔王城で一般的な男が着ているものを貸与してある。

「万が一、我らが教団に下れば、魔物達は主神に定められた姿へと逆戻りし、昨日まで愛してた夫達を食らう存在へと変わってしまうであろう。……それだけは、なんとしても阻止せねばならぬ」
「……それ程までに、大きな意味を持つ戦であったとは」

半ば信じられぬ事を聞いたような面持ちで、目の前に跪いている男――行綱が呟いた。
聞けば、彼の国には教団の影響も、魔王軍の影響も届いておらず、土着の宗教や思想によって魔物との共生がなされているのだという。それは、アゼレアにとってとても喜ばしい事に思えた。
彼は、アゼレアが彼に害を為さず、人間よりも遥かに高位の存在であると知った時からずっと彼女に敬意を払い続けていた。まだ同じ組織に属している訳でもないのに、である。

――この、下手をすれば教団の連中などよりもずっと堅物であるような男の故郷で、魔物と人間が、仲良く手を取り合って生活している。
それが、母や自分達がこれから為そうとしている事は、決して不可能でなく、また正しいことなのだという証明であるような気がしたのだ。

「そうじゃ、我らは決して負ける訳にはいかぬ。そこで行綱よ、その力を魔王軍に貸してはくれぬか?」

行綱は想像を遥かに超えたスケールの話に、やや迷うように顔を伏せていたが――やがて決意を固めたように顔を上げ、まっすぐとアゼレアの目を見据えた。

「両軍の言い分を聞いたが、大義は間違いなく貴女様方の側にあると思われる。……私めなどの力がその助けになるのであれば、不肖ながらこの安恒行綱、協力させて頂きたく存じる」

アゼレアは上機嫌で頷く。

「うむ、よろしく頼むぞ。何か魔王城で手に入らぬものがあれば、アヤに頼めばジパングから取り寄せるルートを持っているはずじゃ」

彼が攻めて来た時は何が起こったのかと気が気でなかったが、結果としてこちらの被害はほとんどなく、新兵達に弱った傭兵相手の実践を行わせる事ができ、士気も上がった。
更には行綱という強力な戦力を加える事が出来たのだ。予想外の収穫である。

「しかし……その御身から溢れる気品、気高さ、美貌。貴女様が神仏に劣らぬ存在であろうと心得てはいたが、それ程までの力を持った方の娘様であらせられたとは」
「………」

アゼレアはリリムである。魔王の娘であり、サキュバスの最上級種である。その存在の全てはいずれ現れるであろう夫と愛を育み、精をその身に受け、膨大な魔力を蓄える為に構成されている。
その傾向が薄いとはいえ、最も淫らな本性を持つとされる種族の一人である自分が、その程度の殺し文句で赤面するハズがないのだ。

ないはずなのに。

……え、妾そんな真剣な顔でそんな事言われたの始めてなのじゃがっ!?

彼の今までの態度を見ていれば分かる。彼の褒め言葉にはいやらしい下心が一切入ってない。それが逆に気恥ずかしい。
なんだこれは。皆の前で土下座というのをされた時もそうだったが、彼自身は真剣そのものなのが凄くむずがゆい。

「い、いや、妾は姉上達と比べれば生まれたばかりじゃし夫もおらぬし、妾自身はそこまで強いわけではないぞ?も、勿論ドラゴンやヴァンパイアでもなければ負ける気はせぬがな!そ、そうじゃ、その貴女様というのは辞めてもらえぬかの、他人行儀な感じがして落ち着かぬのじゃ」

赤くなる顔をごまかそうと、口数が多くなるアゼリア。
だが、最後の注文が墓穴を掘る結果となった。

「……畏まった。では、姫様と呼ばせて頂く」
「………っ!」

繰り返すが、アゼレアはリリムである。魔王の娘であり、その魔王はサキュバスである。長い時の中で、その力が主神に匹敵する程になるまでの精を浴びている母は、言うまでもなく多くの子を成しており、その娘は基本的に名前の後に『様』をつける形で呼び分けられる。
だから――姫様などと呼ばれるのも始めての事だった。

「……?それもお気に召さぬか?」
「い、いやそれでよい!今日伝えたかった事は以上じゃ、下がってよいぞ!」
「はっ」

短く答え、行綱が部屋から退出する。

バタン。

いったい自分はどうしたというのだ。彼と会ってから、どうにも普段の調子ではないような気がする。

いや。
本当にそうか?
ひょっとして、彼と出会う前からではないか……?

彼は確かに人間としては強い。が、それは普通の人間が技術と肉体を極限まで磨き上げた、真っ当な人類の強さだ。勇者のように主神に祝福されているだとか、何かの加護を受けている訳でもない。
そんな彼に、なぜ自分はあれ程の危機感を覚えたのだ。事実、後で聞けばあの時、魔王城で彼に反応したのは自分だけだったという。

(まさか……)

いつだったか、既に夫を見つけている姉に聞いた事があった。

――彼に決めた理由?そうねぇ……、彼の前にいると、何だか自分が自分じゃなくなっちゃう気がするの。それは少し怖かったんだけど、でも、彼が他人に取られるって考えたら、それどころじゃない怖さが襲ってきて。あ、そうそうそれで彼ったら可愛いのよ――

後はずっとノロケなので省くが、試しに、行綱と……彩が手を組んで歩いている所を想像してみる。

「――――!!!!」

――あの、心臓が痛いぐらいの不安感が襲ってきた。

自分で想像した事なのに、その光景の中にいる刑部狸への暗い感情が止まらなくなる。

何をしている。なぜそんなに親しげに手を組んで歩いている。
その男は自分が最初に―――

「っ、アヤぁっ……!!」



「はい、なんですかー?」



目の前に、にやにやとした笑みを浮かべた刑部狸と、心配そうにこちらを覗うデュラハンが立っていた。


「っうわぁっ!?なぜお前達がここに居るのじゃ!?部屋に入る時はノックをせぬか!?」
「しましたよねぇ、ぶたいちょー?」
「は、はい。部屋にいらっしゃるはずの時間帯なのに反応がないので、心配になってそのまま入ってしまったのですが……」

心配そうな表情を崩さないまま、デュラハンがこちらを覗き込む。

「アゼレア様、妙に顔が赤いと思っていたら急に顔色が悪くなって……大丈夫ですか?体調が優れないのですか?」
「ちょっと最近頭を使いすぎて、疲れとるんちゃいますかねぇ?まぁ、何を考えていたかは分かりませんが……」

刑部狸のにやにや顔が崩れることもない。

「な、何でもない!何でもないったら何でもないのじゃ!」
「……アゼレア様」

明らかに何でもなくはない。
デュラハンは、苦労をかけ過ぎた上司に休日を確保せねばと決意した。
20/11/18 22:55更新 / オレンジ
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