大猪
「どーしたんだよアゼレア様。あたし達しばらくは休みのハズだろ?」
「そーだよ、ミリアお昼寝しようとしてたのにー……」
魔王城の一室、いつものように集められた彼女達は、しかしいつものように黙って上官の話を聞いてはいなかった。
そう、なぜならば本来今日は出動の予定など無かった筈の日。教団の進軍速度が更に上がったという話も出ていない。ならば自分達は何故集められているのか?……いや、この面子がこの部屋に集められているという事は、軍の一部隊としての仕事という事なのだろう。それが分かっているからこそ、彼女達は不満を垂れているのである。
「非常に申し訳ないとは思っているのじゃが……恐らくは察しの通りじゃ。お主達に遂行して欲しい仕事がある」
その言葉通り、心苦しげな表情で眉間に皺を寄せたアゼレアが溜息と共に言葉を絞り出す。
「……城下町外れの農村地帯に現れた害獣を、退治して欲しい」
わざわざ非番の自分たちを駆り出す程だ。一体どれほどの緊急性と危険度を伴った任務なのかと耳を傾けていた一同が、一様に表情に疑問符を浮かべた。
「あの、アゼレア様……?お言葉なのですが、それならば専門のハンターの皆さんにお願いすれば良いのでは……?」
おずおずと切り出した隊長の意見に、流石の行綱も声には出さないが心の中で同意する。行綱ですらそれなのだ、他の魔物達の反応たるや――
「……今日は、新薬の実験をする。」
「私もマッサージの予約入れてるんだけどなー……」
「ミリアねむいー……ふわぁぁ……」
言外に『帰りたい』を連発していた。……だが、勿論アゼレアとしてもこの反応は予測出来ていた事。
だからこそ、切り札の一言を付け加える。
「……そうか。退治の暁には最高級の魔界豚焼肉と、魔界スイーツの食べ放題を進呈するつもりだったのじゃが……仕方がない、別の部隊に――」
「さぁ、行きますよ皆さんっ!!」
「「「「了解っ!!!」」」」
突然の声に驚いた行綱が横を見れば。彼女達はいつもの指令を受ける時のように……いや、それ以上に凛とした、戦士としての顔になっていた。さらに、何時の間にやら。その手には鎌、魔導書に大剣など、既に各々の得物まで握られているではないか。
「おお、行ってくれるか。流石は魔王軍が誇る精鋭部隊じゃの♪」
予想通りの展開に、アゼレアはその唇をニヤリと歪める。
そう。彼女達は魔物であり、軍人である以前に。食べ物の誘惑には決して勝てない――乙女だった。
「…………」
突然過ぎる仲間達の態度の変化に戸惑っている、約一名を除いて。
――――――――――――――――――――
普段はのどかな風景が広がっているであろうしっかりと整備された農道には、多くの魔物とその夫達がひしめき合っていた。道端には露店が立ち並び、菓子類や粉もの料理、飲み物が販売され、すれ違う皆の殆どの手にはそれらが握られている。さらにはどこぞから大人数で演奏しているらしき音楽まで聞こえてきていて。
……何というか。
「……その、祭りの会場に向かっているように見えるのだが」
がちゃがちゃと鎧を鳴らし、武器を背負っている自分が途轍もなく場違いな存在に思える。……正直、少し恥ずかしい。
そしてその割に、すれ違う人々が自分達の事を奇異の目で見ていないのが、奇妙でもあった。そんな行綱に、同じようにガチャガチャと鎧を鳴らしながら隣を歩いているクロエが言葉を返す。
「えっとですね、このお祭りのメインイベントというのが、これから私達が行う『害獣退治』なんです」
「行綱、魔界豚って何回か食べてるよね?」
続くクレアの言葉に、行綱は頷いた。あの柔らかく脂の乗った肉の事だ。
「魔界豚って、野生でも基本的には人懐っこくて無害な獣なんだけど……稀に、見上げるぐらい大きい個体が現れる事があってね?」
「…………」
……見上げる程に巨大な豚……?
「それぐらいになると、やっぱりそれを狩る戦士達もかなりの腕揃いな訳。さらにその後には、大きくなるまで魔力が溜め込まれた極上の肉が手に入る……って事で、それがメインイベントのお祭りが開かれるんだよ」
「ええ、そういう事なんですー」
クレアの言葉を引き取ったのは、祭り人ごみの中から現われた刑部狸……彩だった。
「……なぜ、お前がここに」
「なんでって、この祭りの出店はほぼ全部ウチの出資で出してるんやでー?」
「おおアヤ、大盛況のようじゃの」
「ええ、お蔭さまで。メインイベントが『猪王』対魔王軍の精鋭ともなれば、皆さん興味深々でしょうからねぇ♪」
彩の言葉を聞いたヴィントは、得心がいったように静かに頷いた。
「……『猪王』。なるほど、それなら私達が呼ばれたのも頷ける。」
「何か知ってるのかヴィント?」
「……うん。その、並外れた巨体は勿論の事、永い年月を重ねた固い毛皮は、あらゆる武具と魔法を弾き、その突進は地竜をも凌駕する。名だたるハンター達が、次々と返り討ちにされた……伝説的な魔界豚。」
「流石ヴィントさん、よくご存じですねぇ。ええ、そして同時に、それほど成長するまで魔力を貯め込んだ肉は一体どれ程の美味なのかと、魔界中のグルメ達が注目してはる存在でもあります。たった今も、何組かが『猪王』に挑戦してますが……未だ傷一つ付けられていない有様ですわ」
彩を加えた一行は、再び人の流れに沿って歩き出す。
「でも、いくらおっきくても所詮は魔界豚でしょ?ミリア達なら余裕だよねー」
「ええ。もうお肉とスイーツの食べ放題は頂いたようなものですね」
「ふふ、皆さん頼もしい限りですねぇ」
何やら楽しそうにニヤニヤと笑っている彩と、何故か申し訳なさそうに顔を逸らしているアゼレアを筆頭に、一同は人混みの中心へと辿りついた。
その場所は広く横並びに幾つも敷かれたシートの上は多くの魔物達で賑わっている。その前面には何名かの魔物魔術師達が並び、安全のために不可視の障壁が張られている。ここから魔界豚と戦っている姿を観戦しているようだ。さらにその様子に合わせて音楽を演奏する楽団がすぐ傍に配置されており、その熱気を盛り上げていた。
「あー……確かに大きいね、アレ。」
リザードマン、ケンタウロス、そしてワーフルフのパーティが相手にしている『それ』は、本当に途方もなく大きかった。
竜化したクレアの何十倍もありそうな、もはや小山と見まごう程の巨体。戦っている彼女達がいなければ、遠近感が狂いそうなほどの大きさだ。
「………」
……いや、いくら何でも大きすぎるだろう。
しかも、速い。どれ程強靭な筋肉を持っているというのか、あの巨体でまるで通常サイズの猪のように動き回っている。
魔物達は縦横無尽に襲い掛かる超巨体をギリギリの所で躱しつつ、果敢に手にした武器や爪で切りかかるのだが……ヴィントの言葉通り、その毛皮の硬度により表面を撫でるだけに留まっているようで、猪王がダメージを感じているような様子はない。
しかし、そこは流石にプロの魔界豚ハンターの集団。魔界豚の行動パターンは熟知しているのか、逆に猪王の突進や踏み付けも魔物達を捉えられない。このまま無尽の体力を持つ両者の、一進一退の攻防が続けられるかに見えた。
だが。
「――え?」
行綱達の中で、一番最初に反応したのはクレアだった。
異変が起きたのは、巨大な魔界豚の口元。遥か上空から地上の細部までを見渡す彼女の視力は、その周囲にちりちりと細かな火の粉が漏れ出ている事に気が付いた。
――そう、まるで彼女がブレスを吐く、直前の時のように。
果たして――次の瞬間、猪王の口から火炎の奔流が放たれ、三人の魔物達を飲み込んだ。
「……!?」
炎が消え去った後には、衣服のみが燃え破れ、目を回している魔物達の姿。どうやら命に別状はないらしい。
目の前で起きた出来事に理解が追い付かず、唖然としている一同に、アゼレアがその重い口を開いた。
「……『猪王』と呼ばれておるあの魔界豚は。つい先日、前線に物資を運んでいた教団の補給部隊と遭遇したのじゃ」
自らを狙う者達が戦闘不能になった事を確認した猪王は、ふん、と大きな鼻息を鳴らして魔物達に背を向けた。それを確認したハーピー種の魔物達が羽を羽ばたかせ、ハンター達の回収と救護に駆けつける。
「そこで戦闘になったものの、当然補給部隊では適うハズもなく。物資等は全てその場に置いてきてしまったらしい。……問題は、積荷の中には多くの食料と共に戦闘用のマジックアイテムがあったそうでの。それを一緒に体内に取り込んでしまった結果、ああなってしまったとの事じゃ」
観客たちからは、力及ばずだったハンター達の健闘を称える声と、次なる挑戦者は誰なのかというざわめきが同時に起こっていた。
次こそは噂の本命、正規魔王軍特殊部隊ではないのかと。
「幸いな事に、魔法には魔界豚の魔力を使用しているらしく、攻撃そのものは非殺傷なのじゃが――そのせいで常に魔力に飢え、積極的に魔界の農作物を荒らす様になってしまったのじゃ。……それも好みの問題なのか、魔界フルーツ農家ばかりを集中的に狙って」
「そうみたいなんですわ。……困りましたねぇ。あの巨体がこのままのペースで農家を荒し続けると、今期の魔界フルーツと、それを使ったスイーツは軒並み値上がり。最悪の場合は提供が難しくなる店舗もあるでしょう」
まぁ、そうなったらそうなったでウチ的には稼ぎ時なんですけどねぇ?と笑う彩。しかしアゼレアとしては頭が痛い案件だった。魔王軍の大半を占めるのは当然ながら魔物娘達。乙女である彼女達が、甘味を入手し難くなる事によって起こるであろう士気の低下は何としても避けたい。
「……お前達に頼んだのは、そういう事情があっての事じゃ。最早あれは並のハンターや兵ではどうにもならぬ。……やってくれるか?」
「――お任せ下さい、アゼレア様」
静かにアゼレアの話に耳を傾けていたクロエが一歩、前に進み出た。
「この王魔界(のスイーツ事情)を危機に陥れる、超級かつ変異種の魔界豚『猪王』……私たちが、必ずや討伐して見せましょう。皆さんも、よろしいですね?」
「……ああ」
「ふふん、そう(スイーツの危機)と聞いちゃ、面倒臭がってるワケにもいかないかなぁ」
「……うん。(スイーツの為に)本気出す。」
「ミリアも(スイーツの為に)頑張る!」
「任せとけって、あんなデカブツサクッとぶっ倒して、この王魔界(のスイーツ)を守ってやるよ」
ザッ、ザッと横一列に並び、静かに不可視の障壁をくぐる一同。――どうやら、こちらから出ていく分には抵抗なく透過できるようだ。
その姿を見た観衆達から、大きな歓声が沸き上がる。彼女達の背から立ち昇る闘志を感じた観衆たちは、名乗られずとも確信していた。
――彼女達こそが、本日の大本命であると。
静かに、遥か前方の猪王へと大剣の切っ先を向けたクロエが叫ぶ。
いつものように。
「――魔王軍第26突撃部隊、突撃いぃぃぃぃっ!!!」
「そーだよ、ミリアお昼寝しようとしてたのにー……」
魔王城の一室、いつものように集められた彼女達は、しかしいつものように黙って上官の話を聞いてはいなかった。
そう、なぜならば本来今日は出動の予定など無かった筈の日。教団の進軍速度が更に上がったという話も出ていない。ならば自分達は何故集められているのか?……いや、この面子がこの部屋に集められているという事は、軍の一部隊としての仕事という事なのだろう。それが分かっているからこそ、彼女達は不満を垂れているのである。
「非常に申し訳ないとは思っているのじゃが……恐らくは察しの通りじゃ。お主達に遂行して欲しい仕事がある」
その言葉通り、心苦しげな表情で眉間に皺を寄せたアゼレアが溜息と共に言葉を絞り出す。
「……城下町外れの農村地帯に現れた害獣を、退治して欲しい」
わざわざ非番の自分たちを駆り出す程だ。一体どれほどの緊急性と危険度を伴った任務なのかと耳を傾けていた一同が、一様に表情に疑問符を浮かべた。
「あの、アゼレア様……?お言葉なのですが、それならば専門のハンターの皆さんにお願いすれば良いのでは……?」
おずおずと切り出した隊長の意見に、流石の行綱も声には出さないが心の中で同意する。行綱ですらそれなのだ、他の魔物達の反応たるや――
「……今日は、新薬の実験をする。」
「私もマッサージの予約入れてるんだけどなー……」
「ミリアねむいー……ふわぁぁ……」
言外に『帰りたい』を連発していた。……だが、勿論アゼレアとしてもこの反応は予測出来ていた事。
だからこそ、切り札の一言を付け加える。
「……そうか。退治の暁には最高級の魔界豚焼肉と、魔界スイーツの食べ放題を進呈するつもりだったのじゃが……仕方がない、別の部隊に――」
「さぁ、行きますよ皆さんっ!!」
「「「「了解っ!!!」」」」
突然の声に驚いた行綱が横を見れば。彼女達はいつもの指令を受ける時のように……いや、それ以上に凛とした、戦士としての顔になっていた。さらに、何時の間にやら。その手には鎌、魔導書に大剣など、既に各々の得物まで握られているではないか。
「おお、行ってくれるか。流石は魔王軍が誇る精鋭部隊じゃの♪」
予想通りの展開に、アゼレアはその唇をニヤリと歪める。
そう。彼女達は魔物であり、軍人である以前に。食べ物の誘惑には決して勝てない――乙女だった。
「…………」
突然過ぎる仲間達の態度の変化に戸惑っている、約一名を除いて。
――――――――――――――――――――
普段はのどかな風景が広がっているであろうしっかりと整備された農道には、多くの魔物とその夫達がひしめき合っていた。道端には露店が立ち並び、菓子類や粉もの料理、飲み物が販売され、すれ違う皆の殆どの手にはそれらが握られている。さらにはどこぞから大人数で演奏しているらしき音楽まで聞こえてきていて。
……何というか。
「……その、祭りの会場に向かっているように見えるのだが」
がちゃがちゃと鎧を鳴らし、武器を背負っている自分が途轍もなく場違いな存在に思える。……正直、少し恥ずかしい。
そしてその割に、すれ違う人々が自分達の事を奇異の目で見ていないのが、奇妙でもあった。そんな行綱に、同じようにガチャガチャと鎧を鳴らしながら隣を歩いているクロエが言葉を返す。
「えっとですね、このお祭りのメインイベントというのが、これから私達が行う『害獣退治』なんです」
「行綱、魔界豚って何回か食べてるよね?」
続くクレアの言葉に、行綱は頷いた。あの柔らかく脂の乗った肉の事だ。
「魔界豚って、野生でも基本的には人懐っこくて無害な獣なんだけど……稀に、見上げるぐらい大きい個体が現れる事があってね?」
「…………」
……見上げる程に巨大な豚……?
「それぐらいになると、やっぱりそれを狩る戦士達もかなりの腕揃いな訳。さらにその後には、大きくなるまで魔力が溜め込まれた極上の肉が手に入る……って事で、それがメインイベントのお祭りが開かれるんだよ」
「ええ、そういう事なんですー」
クレアの言葉を引き取ったのは、祭り人ごみの中から現われた刑部狸……彩だった。
「……なぜ、お前がここに」
「なんでって、この祭りの出店はほぼ全部ウチの出資で出してるんやでー?」
「おおアヤ、大盛況のようじゃの」
「ええ、お蔭さまで。メインイベントが『猪王』対魔王軍の精鋭ともなれば、皆さん興味深々でしょうからねぇ♪」
彩の言葉を聞いたヴィントは、得心がいったように静かに頷いた。
「……『猪王』。なるほど、それなら私達が呼ばれたのも頷ける。」
「何か知ってるのかヴィント?」
「……うん。その、並外れた巨体は勿論の事、永い年月を重ねた固い毛皮は、あらゆる武具と魔法を弾き、その突進は地竜をも凌駕する。名だたるハンター達が、次々と返り討ちにされた……伝説的な魔界豚。」
「流石ヴィントさん、よくご存じですねぇ。ええ、そして同時に、それほど成長するまで魔力を貯め込んだ肉は一体どれ程の美味なのかと、魔界中のグルメ達が注目してはる存在でもあります。たった今も、何組かが『猪王』に挑戦してますが……未だ傷一つ付けられていない有様ですわ」
彩を加えた一行は、再び人の流れに沿って歩き出す。
「でも、いくらおっきくても所詮は魔界豚でしょ?ミリア達なら余裕だよねー」
「ええ。もうお肉とスイーツの食べ放題は頂いたようなものですね」
「ふふ、皆さん頼もしい限りですねぇ」
何やら楽しそうにニヤニヤと笑っている彩と、何故か申し訳なさそうに顔を逸らしているアゼレアを筆頭に、一同は人混みの中心へと辿りついた。
その場所は広く横並びに幾つも敷かれたシートの上は多くの魔物達で賑わっている。その前面には何名かの魔物魔術師達が並び、安全のために不可視の障壁が張られている。ここから魔界豚と戦っている姿を観戦しているようだ。さらにその様子に合わせて音楽を演奏する楽団がすぐ傍に配置されており、その熱気を盛り上げていた。
「あー……確かに大きいね、アレ。」
リザードマン、ケンタウロス、そしてワーフルフのパーティが相手にしている『それ』は、本当に途方もなく大きかった。
竜化したクレアの何十倍もありそうな、もはや小山と見まごう程の巨体。戦っている彼女達がいなければ、遠近感が狂いそうなほどの大きさだ。
「………」
……いや、いくら何でも大きすぎるだろう。
しかも、速い。どれ程強靭な筋肉を持っているというのか、あの巨体でまるで通常サイズの猪のように動き回っている。
魔物達は縦横無尽に襲い掛かる超巨体をギリギリの所で躱しつつ、果敢に手にした武器や爪で切りかかるのだが……ヴィントの言葉通り、その毛皮の硬度により表面を撫でるだけに留まっているようで、猪王がダメージを感じているような様子はない。
しかし、そこは流石にプロの魔界豚ハンターの集団。魔界豚の行動パターンは熟知しているのか、逆に猪王の突進や踏み付けも魔物達を捉えられない。このまま無尽の体力を持つ両者の、一進一退の攻防が続けられるかに見えた。
だが。
「――え?」
行綱達の中で、一番最初に反応したのはクレアだった。
異変が起きたのは、巨大な魔界豚の口元。遥か上空から地上の細部までを見渡す彼女の視力は、その周囲にちりちりと細かな火の粉が漏れ出ている事に気が付いた。
――そう、まるで彼女がブレスを吐く、直前の時のように。
果たして――次の瞬間、猪王の口から火炎の奔流が放たれ、三人の魔物達を飲み込んだ。
「……!?」
炎が消え去った後には、衣服のみが燃え破れ、目を回している魔物達の姿。どうやら命に別状はないらしい。
目の前で起きた出来事に理解が追い付かず、唖然としている一同に、アゼレアがその重い口を開いた。
「……『猪王』と呼ばれておるあの魔界豚は。つい先日、前線に物資を運んでいた教団の補給部隊と遭遇したのじゃ」
自らを狙う者達が戦闘不能になった事を確認した猪王は、ふん、と大きな鼻息を鳴らして魔物達に背を向けた。それを確認したハーピー種の魔物達が羽を羽ばたかせ、ハンター達の回収と救護に駆けつける。
「そこで戦闘になったものの、当然補給部隊では適うハズもなく。物資等は全てその場に置いてきてしまったらしい。……問題は、積荷の中には多くの食料と共に戦闘用のマジックアイテムがあったそうでの。それを一緒に体内に取り込んでしまった結果、ああなってしまったとの事じゃ」
観客たちからは、力及ばずだったハンター達の健闘を称える声と、次なる挑戦者は誰なのかというざわめきが同時に起こっていた。
次こそは噂の本命、正規魔王軍特殊部隊ではないのかと。
「幸いな事に、魔法には魔界豚の魔力を使用しているらしく、攻撃そのものは非殺傷なのじゃが――そのせいで常に魔力に飢え、積極的に魔界の農作物を荒らす様になってしまったのじゃ。……それも好みの問題なのか、魔界フルーツ農家ばかりを集中的に狙って」
「そうみたいなんですわ。……困りましたねぇ。あの巨体がこのままのペースで農家を荒し続けると、今期の魔界フルーツと、それを使ったスイーツは軒並み値上がり。最悪の場合は提供が難しくなる店舗もあるでしょう」
まぁ、そうなったらそうなったでウチ的には稼ぎ時なんですけどねぇ?と笑う彩。しかしアゼレアとしては頭が痛い案件だった。魔王軍の大半を占めるのは当然ながら魔物娘達。乙女である彼女達が、甘味を入手し難くなる事によって起こるであろう士気の低下は何としても避けたい。
「……お前達に頼んだのは、そういう事情があっての事じゃ。最早あれは並のハンターや兵ではどうにもならぬ。……やってくれるか?」
「――お任せ下さい、アゼレア様」
静かにアゼレアの話に耳を傾けていたクロエが一歩、前に進み出た。
「この王魔界(のスイーツ事情)を危機に陥れる、超級かつ変異種の魔界豚『猪王』……私たちが、必ずや討伐して見せましょう。皆さんも、よろしいですね?」
「……ああ」
「ふふん、そう(スイーツの危機)と聞いちゃ、面倒臭がってるワケにもいかないかなぁ」
「……うん。(スイーツの為に)本気出す。」
「ミリアも(スイーツの為に)頑張る!」
「任せとけって、あんなデカブツサクッとぶっ倒して、この王魔界(のスイーツ)を守ってやるよ」
ザッ、ザッと横一列に並び、静かに不可視の障壁をくぐる一同。――どうやら、こちらから出ていく分には抵抗なく透過できるようだ。
その姿を見た観衆達から、大きな歓声が沸き上がる。彼女達の背から立ち昇る闘志を感じた観衆たちは、名乗られずとも確信していた。
――彼女達こそが、本日の大本命であると。
静かに、遥か前方の猪王へと大剣の切っ先を向けたクロエが叫ぶ。
いつものように。
「――魔王軍第26突撃部隊、突撃いぃぃぃぃっ!!!」
20/06/18 01:55更新 / オレンジ
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