連載小説
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狩猟
猪や豚はその身体の構造上、犬や猫に比べると首の稼働域がかなり狭い。それは小山のような巨体を誇る『猪王』であっても同じ事だ。
故に突進してくる範囲も、ブレスを吐いてくる範囲も。その巨体の前方約百八十度以内に絞られる事になる。

「おいもっと気張って走れ行綱!跳ね飛ばされるぞ!?」
「……っ!!」

だから逆に言えば、絶対にその正面に立ってはいけない。あの巨体に跳ね飛ばされれば、一体どんな事になるのか。想像するのは難しくない。
とはいえ、その『前面』があまりにも広範囲過ぎる。ごく短距離――向かい合い、間合いのやり取りをする程度ならば、魔物の精鋭や勇者相手にも引けをとらない行綱だが、移動距離が長くなるにつれ、彼女らとの身体能力の差が如実に現れてしまう。

――グォォォォッ!!!

そんな猪王の上空から、ブレスを吐き、旧時代のワイバーンの姿になったクレアが襲いかかった。しかし、彼女の炎と爪の連撃を受けても、猪王は僅かにひるんだ様子を見せるのみ。有効なダメージには至っていないように見える。
だが、元よりそれは予測している。アゼレアの口ぶりからすれば、この猪王が伝説級の魔界豚と認められていたのは、マジックアイテムを取り込むずっと前から。その時点でワームに匹敵する力を持ち、数々のハンターの武具を弾いてきたというのならば、今はそれ以上の――まさに、バケモノと呼ぶに相応しい存在になっている筈なのだから。
だからこれは攻撃であると同時に、半ばは『誘導』だ。少しでも地上の皆への負担が減るように、猪王の視界に入る高さを保ち、その突進と熱線を一手に引き付ける。
その隙に行綱の弓矢、クロエのボウガンがその巨体に目掛けて放たれるのだが……そちらに至っては、意に介している様子すら見せない。恐ろしいまでの耐久力だった。

「……なるほど。」
「ねぇねぇ、何かわかったー?」

こちらはヴィント、ミリアの魔術組。彼女たちはミリアの転移魔術で安全な位置を保ちながら、ヴィントの探知魔法によってアイテムが猪王に起こした変化を解析していた。

「……マジックアイテムのランクとしては、一般的な物だけれど。炎系の攻撃用アイテム、同一の物が百八十六個。身体強化系アイテム、同一の物が五十二個。その他未発動の為識別不明の、しかし全てが同一の物と思われるアイテムが四百九十七個。……つまり、現在の猪王は。計七百三十五個のマジックアイテムを、その体内に保有している。」
「うわっ、それだけ発動させてればお腹も空くよね……」

ヴィントが空中に描く数々の数式を眺めながら、半ば呆れたような声でミリアが呟く。
……本当に、あの魔界豚は一体どれほどの魔力をその裡に溜め込んでいるというのか。

「……発動している、二種は。恐らくは、猪王の単純な闘争本能に呼応して、その能力を発現させている。」

逆に言えば『数の上で最多を誇る正体不明の残る一種は、単純な攻撃系のマジックアイテムではない』という仮説が立つ。
何にせよ、五百近くもあるそれが一斉に発動してしまえば……恐ろしい程に強力な効果となって発現するはずだ。出来ることならば、その展開は避けて通りたい。

「じゃあ、それが何かの拍子に発動する前に、一気にやっつけちゃえばいいんだね!」
「……そういう、事になる。」

ヴィントは全員に向けて念話の回線を開き、抑揚の少ない声で語りかける。

「……何とかして、猪王の足を止めて。その間に、私とミリアが魔法を打ち込む。」
「よっしゃ、それならあたしの出番だなっ!」

一番に反応したのはほむらだった。こと単純な身体能力にならば部隊の中でも最高を誇る彼女は、その瞬足を以って猪王の真横から全速力でその巨体に接近する。
そして力のベクトルを前方斜め上へと修正すべく、最後の一歩を踏み切ったその瞬間。
彼女は、緑色の砲弾と化した。

「っ、おらぁぁぁぁっ!!」

しかもその砲弾は、右拳を鋼鉄よりも遥か硬く握り――衝突の瞬間に莫大な運動エネルギーを一点に集中させ、猪王の横っ面目掛けて全力で叩きこんだ!
上位の魔物達の中に混じって尚、怪力では決して引けをとる事のない彼女の本当の全力。その着弾音は大気を震わせ、魔界豚の王は苦悶の咆哮と共にその動きを止める。
――そしてそれが、ミリアとヴィントが詠唱を開始する合図だった。

「『集まれ、億千万の雷――』!」
「『来たれ、吹き出よ、煉獄の業火――』。」

凄まじい放電音と青白い光を放つ、巨大な雷の槍が。触れる物を融解させ、一瞬で蒸発せしめる熱量を持った黒炎の超大玉が。それぞれ、足の止まった猪王に向かって放たれる。

着弾は、同時。
そして――見上げる程の巨体は。爆炎と轟音に包まれた。

「やったか!?」

渾身のパンチに働いた反作用の力で、クロエと行綱の下に戻ってきたほむらが、綺麗に地面に着地しながら叫ぶ。

「まず、間違いないでしょう。……というか、ミリアとヴィント二人がかりの魔法で倒せなかったら、本気でどうしていいか分からないレベルです」

それにしても、今回の私はいいとこ無しでしたね……と、苦笑しながらクロエが続ける。
……同様にほぼダメージを与えられていない行綱としては、非常に耳が痛い。

「何にしても……これでお肉とスイーツが食べ放題ですね、皆さんっ♪」
「だねー♪」

人型に戻ったクレアも加わり、いぇいっ!とハイタッチを交わしている三人。

「……」

……クロエは、あんなにテンションが高いキャラだっただろうか……?
好きなのだろうか、食べ放題。いつも部隊でお世話になっているお礼に、今度どこかの食べ放題に誘ってみてもいいかもしれない。

――と、前衛組がそんな風に浮かれている頃。





後衛組二人は、額に冷たい汗を浮かべていた。





「――……そっちの四人、今すぐ一か所に集まって……!今からミリアが、回収に向かう……!!」

それはヴィントからの念話通信。だが、それを聞いた彼女達は、一瞬それがヴィントの声だと認識する事が出来なかった。
それ程に――彼女の声には、聞いた事のないような焦りの色が含まれていた。

「は?何を焦って――――っ!?」

ほむらが怪訝な声で発したその台詞が、最後まで続けられる事はなかった。
何故ならば……未だ立ち込める煙の中から、ちりちりと肌を焦がすような熱を感じたかと思えば。

――次の瞬間には。もはや巨大な壁と見紛う如き太さの熱線が、目の前まで迫っていたから!

しかし、それに飲み込まれる寸前のタイミングでミリアが現れ、全員を巻き込んでの転移に成功。結界のある観客席近くまで移動し、安全を確保する。
その様子を確認し、安堵の息をつくヴィント。だが、その表情は依然険しいもののままだ。そんな彼女が睨め付けたままの、魔法の着弾によって生じた煙の幕が少しずつ晴れてゆく。

そして。

魔界豚の王は、再びその姿を現した。未だ、その四本の脚で大地を踏みしめたまま。
しかし、先程までとは大きく異なっているものがあった。猪王の身体を中心とした、それより二回りほど大きな半透明のドーム状の何かが出現しているのだ。

それを確認したヴィントは、急いで自身も安全なエリアへと退避しながら――探知魔法に現れた数字を空中に書き起こし、先程までの数式に組み込んだ。

そして、得られた結論は。

「……不明としていた、マジックアイテム、四百九十七個は。やはり、その全てが同一のもの。そして、その正体は――『結界・障壁発生』系。」




……えっと。
……これ、どうしよう……。




――――――――――――――――――――





「……おそらく、猪王は。マジックアイテムを取り込んでから、ほむらに殴られるまで……ダメージらしいダメージを、受けた事がなかった。」
「あぁ、それで今まで単純な闘争心では発動しなかった、防御系の魔法具が一気に発動した、とか?」
「……多分、そう。」

その後ヴィントも無事結界の中に合流し、一同は屋台で買った焼き鳥を食べながら、円を組んで作戦会議を行っていた。
観客たちも、初めて猪王にダメージを与えた彼女達の続く活躍を見逃すものかと、途中で手元が寂しくなる事ないよう、露店で食べ物を補充している。
そして、肝心の猪王はといえば。こちらを幾分か警戒しつつ、ドーム状の結界を発生させたまま。野生の虜の果実の木を丸ごともしゃもしゃと咀嚼している。三者三様の休憩タイムだ。

しかし、村の手前に虜の果実の群生地が残っている今はまだ良いが……あれが食べ尽くされれば。間違いなく、この村の農家達がその被害に合う。

「ミリアが居ればあの中までは転移で行けるでしょうけど、その後をどうするかですね……」
「結界の中に入ると、それ以上距離をとれないのはキツいよなぁ。逆に背中辺りにしがみついても、あの化物にロデオしながら何が出来るんだ、って話だし……」

元々の巨体と強化された運動性能に、生半可な攻撃で沈めるのは不可能なタフネスと強力なブレス攻撃。さらには強力無比な結界までもが備わってしまった。
……もう、何なのだろうあれは。本当に魔界豚なのだろうか。

「……実際のところ、あの結界は、かなりまずい。」
「うみゅぅ……あれ、発動者と同波長の魔力だけは素通り出来るタイプの結界だよね……」

即ち、あの結界を張った状態でもあの怪物はお構いなしに、一方的にブレスを放ってくるという事だ。
さらには、一度あの中へ足を踏み入れれば――入る時と同じように、ミリアの助けがない限り――猪王を倒すまで、それを中心とした結界の外に出る事すらできない。いや、それどころか、あの巨体の移動速度についていけなければ『結界に跳ね飛ばされて』しまう危険性すらある。

ちょっと大変かもしれませんねー、程度のノリで話している魔物達に対して、行綱の心境は八方塞がりもいい所だった。

「………」

元々が成りかけのインキュバスである自分は、魔物の中でも精鋭である彼女達と比べると天と地ほどの身体能力の差がある。武技を競い合うならばともかく、単純な質量差があまりにも開きすぎている今回のような戦いは――ただでさえ、彼にとって最も厳しいものだ。
『散花』を使えば、一時的には彼女達と同等の運動能力を得る事が出来るだろうが、それは本当に僅かな時間の話。その間に猪王を倒しきる事が出来るとも思えず。……ならば自分は、主の憂いを取り除くために。あの、怪物相手に。一体、何が出来るというのか。

「せめて、あれと同じか……それ以上の速度で走る馬がいれば」

行綱はぽつりと呟き、そしてかぶりを振る。
それを操り、あの結界内で大猪の攻撃を躱し続ける自信はあるが……そんな馬が、いる筈もなく。

そんな独り言ちる行綱の肩に、緑色の鱗に包まれた大きな爪の手がぽんっ、と置かれた。

「確かに、そんな馬はいないけど――もっと凄いのなら、ここに居るよ?」

背後から聞こえるのは、いつになくうきうきとした様子の、一人の仲間の声。

「馬よりずっと速くて、空を飛べて、強くて頑丈で……ブレスまで吐けちゃう。超お得で、しかもこんなに綺麗なお姉さんが♪」

彼女はずっと、この時を待っていた。一人でも十分に戦えてしまう彼が、自分の力を必要とするこの瞬間を。
ずっと待ち焦がれていた。そして、恋焦がれていた。

行綱がその声に、背後を振り返れば。

「――ねぇ、行綱。私に乗って?」

そこには、緑色の鱗に包まれた尻尾を楽しげに揺らしながら、瞳に期待の色を滲ませている……クレアの姿があった。




18/05/07 01:57更新 / オレンジ
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