連載小説
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/後輩と粒
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 きみにとっては葡萄の粒よりもちっぽけな過去だとしても。



 そのひと粒は、世界にひとつきりの宝物。



 十三年間も熟成された、わたしだけのヴァン・ド・ナチュレ。


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 どれくらい好きなのかと問われれば、私はどう答えればいいのだろう。
 宇宙では内包しきれないくらい大好き、なんて文句もあるけれど、あいにくと私の身体は宇宙を押し込められるようには思えない。だからきっと、その時には身の丈に合った答えをするしかないんだと思う。少なくとも言えることは、彼はそんなことを訊いたりしない。
 対して、私は所詮ただの女だ。彼が私をどれほど想ってくれているか、気になりもする。
 どうせデートの途中なら、こんなことを訊いても許されるだろう。アイスカフェオレを片手に、隣に座る彼に向かってストレートに尋ねた。

「どれくらい……あの、この質問を周囲で見たりする度に思うんですけど、理不尽ですよね?」
「何がだ?好きなモノは好きだと言うだけじゃないか」
「それじゃ先輩は納得しないでしょうに……」

 わかってるじゃないか、なんて言葉をクールに返したつもりなのに。
 ああ、ダメだ。やっぱり私は、きみの前ではどうしようもなく頬が緩んでしまう。
 私が納得するだけの言葉を考えなければ、と困ってる様子のきみは、とても愛おしい。
 映画を見るための時間潰しで喫茶店に入ることはよくあるし、そもそも学校でいっつも顔を合わせているのだけど、それでも彼とずっと一緒にいたいという願いは変わらなさそうだ。叶うことなら、なんでもない喫茶店でだらだらと過ごすこの時間が、いつまでも続けばいいのに。
 うんうん唸ってようやく結論を出したのか、後輩は恥ずかしげに話し始めた。

「えと、その。俺は先輩のこと、好きじゃないですか」
「……それは前置きなのかプロポーズなのか、どっちだ?」
「前者です。で、好きな理由とかをちょっと考えたんですが、でも同じ条件で先輩以外の女性を好きになるかと言われると微妙で」
「好きの度合いの話がやけに壮大になったな。私のスワンプ・マンか」
「言葉にするのが難しいんですよ……」

 それはそうだ。困らせるために聞いたんだから。
 だけどそんなことを言ったら後輩は拗ねるから、私はいつものように笑顔で彼の話を聞く。

「先輩だけじゃなくて、今の環境も複雑に影響しあってる、みたいな。料理部も居心地がいいですし、学校もそうです。そういう意味で、俺の周囲全体が先輩を好きになる要素になってるというか……っていうので、いいですか。めちゃくちゃ恥ずかしいんですが」
「ふーん、なるほどね。つまりきみは、私のことを好きだという気持ちが宇宙と同じくらいの大きさだと言いたいわけだ」
「そう、まあ、結局そうなるわけなんですけど……」

 こんなもの、訊いた者も訊かれた者も予定調和だ。答えがわかっているからこそ、その答え方によって性格の差が出る。彼はどうも、遠回りしようとして墓穴を掘ったようだったが。
 後輩は可愛いって言われることに不満みたいだけど、こんなところを見せられては可愛いとしか言えない。ぬいぐるみ作って商品化したっていい。私以外の輩に渡すつもりはないがね。

「ほんと、理不尽ですよねこれ……絶対俺を照れさせるために訊きましたよね」
「さて、なんのことかな。時間を潰すための話題作りとしては、普通なものだろうさ」
「俺に来るダメージも考えてくださいよ……」
「きみが恥ずかしがる必要もない質問だぞ。私たちの基準で考えると、ね」

 額を抑える後輩の背中を撫でる。彼が羞恥から私のことを見れなくなっている時こそ、さりげないスキンシップのチャンスだった。すぐ傍にいるのに、私のことを意識できないなんて許さない。
 もっとも、彼の瞼の裏側にだって私の姿はあるんだろうけれど。

「そう落ち込むな、後輩。気を取り直して私のおっぱいでも揉むといい。元気出るぞ」
「……」

 あ、チラッと胸見たな。彼に見てもらうために、胸の主張が強い服を着てきたんだ。キャミワンピなんて普段使いするタイミングがないもの。
 後輩にはもっと見てもらわないと損なのに、意識して私の胸を見ようとしないのが難点だ。こうやってジャブを入れて仕向けない限り、後輩は頑なに見てくれないだろう。あるいはそれも、私を意識してくれてるということになるがね。
 ふう、と溜息をつく後輩。まだ顔が赤いな。私の裸体でも想像したか。

「……思ったんですけど、その服すっごいガーリィじゃないですか?」
「かわいいだろう?いやらしさを感じさせないのにエロくてね、試着して一発で気に入ったんだ」
「寒くありません?」
「ここ最近は気温も上がってきてるからな。春らしい服装だろう。似合ってないか?」
「似合ってますけど、なんていうか……先輩のイメージってもっとボーイッシュっていうか」
「私が女の子とデートするならそれでもいいんだけどね」

 後輩に肩を寄せて、彼の腕にぎゅっと胸を押し付ける。触りもしない見もしないというのなら、私からしてやろうとも。そうすればほら、彼は見つめ返してくる。
 きみの視界いっぱいを占領して忘れさせないように、満面の笑顔で囁いてやろう。

「きみとデートする私は、どこまで行ってもきみのことが大好きな女の子なんだよ」
「…………そうですね」

 どちらが生娘なのかと問われれば、それは私じゃなくて後輩だろうけどね。





 他のカップルはデートの終わり際にホテルにでもしけこむのだろうが、うちの堅物は頑固な姿勢を崩そうとはしない。それも彼のいいところ。
 とはいえ、帰りの夜道はどうにも後ろ髪を引かれてしまう。出来る限りそれを悟られないように気丈に振る舞うのだって、私にとってはいつものことだった。だけど今日は、特に。

「一日中座ってたような気がするよ。尻が凝った」
「映画見てお店入って、座ってばっかりでしたからね。電車移動も座ってましたし」
「明日からまた学校だ。私の尻がぺしゃんこに潰れるんじゃないか」
「お酒呑めば元に戻りますよ」
「それはつまり、私の尻を揉めば酒が出てくるってことか」

 スポンジか、と笑う後輩。
 そういえば彼は、私の尻を揉んだことはなかったような気がする。胸なら私から触らせたり偶発的に触ったりなんてこともあったが、尻に関しては位置が下すぎてなかなか難しい。なにより後輩との身長差のせいで、揉ませることも至難の業だ。
 まあ、彼は私の尻尾を眺めるのが好きなようだから、その過程で尻を眺め回されていたわけだ。それで十分だと満足しておこう。

 それからしばらくは下らない尻の話をしていたけれど、そうして歩いている内にも段々と別れが近づいてくる。周囲の住宅はすでに夕餉の準備を迎えて、カーテンの閉じた窓から暖かな光が漏れ出ていた。ああ、もう。私はクールな先輩なんだ、と言い聞かせる。
 でも、包み隠すのは無理だ。

「先輩」
「――ん、なんだ」

 思いやるような、優しげな声を出すのはずるいだろう。ちょっと声が上ずったじゃないか。
 それでも彼に心配はかけまいと、いつものように気障に振り返ろうとして。
 後輩と繋いでいた手が引っ張られ、びっくりする間もなく、彼に抱き止められ。

「今日も楽しかったです。すごく、楽しかったです」

 ダメだダメだ卑怯だぞこんなの。
 目頭が熱くなってくる。必死に堪える。ここだけは譲れない。
 幸い、ハグされているなら顔も見られない。耐えるだけだ。
 私に似合わないものを見せたくない。私らしく、笑顔じゃなきゃいけないのに。

「また今度、デートしましょう。今日は先輩の希望だったから、次は俺の番ですね」
「うん……」

 強がってはいるものの、今の私なんかじゃあ、ろくな返事もできやしない。
 かっこ悪い。こんなの、彼のほうがよっぽど大人じゃないか。
 それもいいのかもしれない。彼の腕の中は温かくて、暴れ出しそうな私の思いを鎮めていく。
 沈黙。二人の吐息。遠くに聞こえる、談笑とテレビの音と自動車が走る音。私が落ち着くのを待ってくれていたお陰で、ようやくここがいつもの分かれ道なんだと気づいた。

「……もう、大丈夫だ」
「先輩はたまに嘘つきますよね」
「ッ、きみは……うぅ」

 離れようとして、離れられない。
 私が求めるものは、彼から離れることじゃない。それはたったひとつの明解なこと。

「先輩」
「ん……」

 少しだけ照れが混じった、あっさりとした唇の触れ合い。
 情熱的でもなく、別れを惜しむものでもない、じゃれあいのような淡いキス。
 これでいい。

「……ふふ」
「笑わないでくださいよ、もう」
「いつになったらキスで照れなくなるのかな、と思ってね。かわいいよな、きみは」
「まったく……」

 身体を離し微笑み合い、互いに一歩を引く。
 進む道は、今日のところは別方向だ。

「じゃあな、後輩」
「ええ、先輩。また明日、ですね」
「ああ。また明日だ」

 いずれまた会えるのなら、少しの別れも惜しくないよ。
 わたしたちの最後のデートは、いつもと変わらない笑顔で終わった。


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 他人は夜空に例えるけれど、空の星に手は届かない。



 だからわたしの思い出は葡萄の粒。



 この房に実った赤紫色を、大事にひとつずつ数えよう。



 極上のワインになるのは、まだまだ先のこと。


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16/09/02 18:27更新 / 鍵山白煙
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