連載小説
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猛毒の宇宙恐竜 皇帝の罠
 ――ダークネスフィア――

 エンペラ一世によってエドワードが斃され、そのまま憎しみに満ちた復讐戦が始まるかと思われたが、すんでのところでそれは回避された。
 しかし、エドワードとの勝負は決した以上、エンペラ一世の獲物は目の前にひしめく魔物娘どもである。最早約定を守る必要も無くなり、皇帝は思う存分この不埒な生物どもを処刑する事が出来るのだ。

『フン。奴等がいつ戻ってくるのかは知らぬが……それまで目の前の此奴らを放っておく必要はあるまい』

 怒りに満ちた魔物達からの射殺すような鋭い視線に晒されるも、皇帝の闘志、殺意は全く衰えない。
 しかし、相次ぐ戦いのせいで状態は万全であるとは言えない。左腕は先ほどの【ファイナルエンペラインパクト】の反動でしばらくはまともに使えないのだ。
 だがそれでも、愚か者どもを始末するには十分過ぎる。

『殺るか』

 逃がすという選択肢は無い。それは例え取るに足らない魔物一匹であろうと、魔王の四女であろうと変わらない。
 魔物は全て殺すだけ。それが世の秩序と安寧を保つため、最短最良の道なのだ。
 その決意を示す如く、皇帝が真っ二つに折れた双刃槍をくっつけると、なんとそのまま接合、元通りに修復する。

「ブレないわね。でも、少しはそれ以外の選択肢を考えて欲しいものだわ」

 魔物達を掻き分け前に進み出て、そのまま皇帝を揶揄したのは、先ほど無様に倒され、さらには激昂していたはずのリリムだった。

『また貴様か。それにしても、怒ったり冷めたりと忙しい奴よ』

 デルエラはつい今しがたまで憤怒の形相を浮かべていたにもかかわらず、現在は元の妖艶で掴みどころの無い笑みへと戻っている。彼女の変わりようを、皇帝は呆れた様子で指摘する。

「これは失礼。でも、“親の死に目”を見せられては、ねぇ?」

 そんな彼の指摘を気にも留めず、相も変わらずそれだけで男を虜にする微笑みをエンペラに向ける。けれども、いつもと違って静かな怒りもまた伝わってくる。

『ほう、これは意外だ。貴様等に親子の情があったとはな。
 魔物とは親も子も無い、己の事しか考えておらぬ生物だと思っていた』
「それは旧時代の魔物の話。今の魔物娘には人間と同じ“心”があるの。
 ただ夫と愛し合うだけじゃない。親や姉妹の死は当然悲しいのよ」

 今の魔物娘には以前無かった“心”がある。怒りや憎しみだけではなく、ましてや性欲だけでもない。
 人間と同じように愛情や慈しみ、また悲しみもあるのだ。

「まぁ幸い、すんでのところでそれは回避されたけどね。
 貴方も気づいているでしょう? お父様は死なないわよ」

 それを是が非でもエンペラに伝えたいのか、笑ってはいるが眼だけは笑っていないという複雑な表情で皇帝を見据えるデルエラ。
 だが、皇帝に言わせればそれは間違いだ。正確に言えば、一度死んでいる。ただ、すぐに蘇らせられたであろう事は容易に想像が出来た。
 即ち、彼を殺すにはこのダークネスフィアで仕留めたと同時に、その妻の介入を防がねばならないという事だ。いくらエンペラ一世と言えど、これは相当に難しい。

『それがどうした? だから何だというのだ?』

 しかし、エンペラは気楽というか、単純に考えていた。

『生き返るのならば、また殺せばよかろう。奴はその度に己の無力を思い知る。
 毎度勝てずに殺されるのだ。やがては蘇る気力など無くなるであろう』

 生き返るのならば、また殺せばいい――その内、向こうも生き返るのが嫌になるほど、それを繰り返してやる、と。
 そして、それが己ならば出来る。例え魔王とその夫が何度蘇ろうが、その度に滅ぼしてやる。

「……」
『だがまぁ、こうは言ったが、余も戦いが泥沼になるのは至極面倒だ。
 故に、何度も蘇って余に挑むという行い自体がそもそも馬鹿げたものだという事を、出来る限り早めに悟ってくれると嬉しいのだがな』

 もっとも、手間がかかるのはさすがのエンペラも避けたいところ。故に、魔王夫妻が出来る限り早めに無駄な抵抗を止め、さっさと死んで欲しかった。

『もっとも、これは叶わぬ願いであろう。奴が極めて頑固で愚かだという事は、この戦いを通してよく解ったからな』

 目を細めた渋い顔で語る通り、皇帝はエドワードの事を大いに認めてはいたが、同時にその欠点もまた把握していた。
 頑迷な勇者は繰り返される死の恐怖と苦痛を理解しようとさえしないであろう。無為に戦いを挑んでは殺され、蘇るのを繰り返すのは容易に想像出来た。

『ならば、余が根気強く教えてやる他あるまい。
 繰り返される己の死の苦痛に耐えきれず、「これならばあの世の方が余程過ごしやすい」と理解するまでな…』
「言うわね……」

 魔王夫妻相手であろうと己の勝利を疑わず、傲岸に言い放つエンペラ一世。さすがのデルエラも、彼の放言には苦笑するしかなかった。
 いくら人類最強と謳われた“救世主”であろうと、魔王とその夫相手を尚何度も殺せると豪語するはいくらなんでも大言壮語。両親と皇帝の実力を共に知るデルエラから見ても無謀に思われた。

『仕方あるまい。貴様の親がもっと賢いならば、余もこんな苦労はせずに済むのだ』
「へぇ……」

 だが、そんな事は知らないとばかりに皇帝は尚も言い捨てる。

「出来もしないと分かりきってる事はあまり言わない方がイイわよ? 聞いているこっちが恥ずかしいもの」
『そんな事も分からぬのか。貴様が腐っていたのは性根だけでなく、その気色の悪い目玉と脳味噌もそうらしいな』

 その上、身体上の特徴まで侮辱されたとあっては、さすがのデルエラも怒りを覚えた。

「【/】」

 なめられっぱなしは癪に障る。ならば一泡吹かせてやろうと、魔姫は詠唱する。
 途端、皇帝の四方八方より唸りを上げて襲い来る斬撃の嵐。エドワードが先ほど見せた七つ同時の斬撃をさらに上回る量である。

『数は多いな…』

 “直観”により、見るまでもなく斬撃の数、速度、威力を瞬時に把握する皇帝。

『だが、その分一発が軽すぎる!』

 そして、対処は容易だと判断する。すぐさま足元から莫大な量の魔力を全方位に向けて噴出させ、その勢いを殺し――

『【ヴァリアブル・スライサー サターンリング】!!』

 続けて修復した双刃槍を一回転させ、全方位を薙ぎ払う円環状の黒く巨大な斬撃を繰り出す。

「!」

 土星の環の如き巨大な黒い円環はデルエラの繰り出した斬撃全てを破壊、消滅させ、さらにはその勢いのまま魔物娘達に迫った。

「【≪】」

 だが、デルエラは詠唱する事で、斬撃の円環を包み込む透明な力場を生み出す。その中で円環は歪み、圧縮され、やがては彼女等に届く前に消え去った。

『成程、一応魔王の娘だけはある。詠唱破棄した術一つで、余の【サターンリング】を防ぐとはな』

 秘技の応酬の末、お互い無傷で終わる。不穏な空気は変わらずも、皇帝は素直にデルエラの技を誉めたのだった。

(さっき跳ね返した分が痛かったわね…)

 褒められた故か、すまし顔のデルエラ。だが、内心はちょっぴり焦っていた。
 先ほど交戦した際、皇帝の技を二十倍に増幅して跳ね返したのだが、皇帝のアーマードダークネスはその増幅分全てを吸収してしまったのである。全て吸収されたのは誤算であったが、それ以上に痛いのは消耗した分の魔力を全てそれで補われてしまった事であった。

(あの腕をいつまでも放置しているとは思えないし…)

 皇帝が即座に回復系の術を使わなかったところを見ると、そういった術の心得自体は無いらしい。それが今のところの救いではあるが、かといっていつまでも放置しておくほどあの男は呑気者ではないのはデルエラも承知している。

『どうした、攻撃はそれで終わりなのか?』
「ギュイイイイイイアアアアアアアア!!!!」

 デルエラの攻撃の手が止んだところで、皇帝はそれを挑発するも、今度は背後の方から巨大な右前足が振り下ろされる。

『今度はお前か…』

 うんざりした様子で吐き捨てた皇帝は両足から魔力を噴出、その勢いで横へ高速回避し、前足での踏みつけを寸前で躱す。

「ちょっと! 私ごと攻撃しないでくださる!?」

 一方、その前足の巨大さ故にデルエラも巻き添えを受けそうになり、皇帝とは別方向に横っ跳びで慌てて躱したところで抗議する。

(さすがに踏み潰されるほどマヌケではないか…)

 その喜劇じみたやり取りを眺めた後、皇帝は改めて巨竜を見上げる。

『貴様から死にたいと申すか? ならば、その願いを叶えてやろう』
「!!」
『万物を滅ぼし尽くせ【ギガレゾリューム・レイ】!!!!』

 そして躊躇無く、その右手に握る槍の穂先より殲滅の極光を巨竜の顔面目掛けて撃ち放ったのだ。

「ギュイイイイアアアアアア!!!!」

 しかしバーバラもまた怯まず、巨大な口より破壊光線を放つ。そうして放たれた光線同士は射線上で激突、互いに押し合う。

「ギュアアアアアア……」

 バーバラも先ほどの経験を得て、生半可な威力では皇帝に打ち破られてしまうだけだと知り、光線に全力の魔力を投じる。そのため、あっさり打ち破られた先ほどと違い、皇帝の光線相手に拮抗出来ていた。

『!』

 その上、先ほどと違って敵は一人ではない。レスカティエ陥落前からも教団軍との戦いで名を馳せた数々の猛者、さらには全世界各所の魔界から徴集した魔物娘達で構成された部隊だ。
 如何なエンペラ一世といえど、両腕が動かせぬ状況において無事でいられる道理は無い。

「覚悟!」

 そこへ皇帝の背後へと迫ったサラマンダーが炎剣で斬りかかろうとする。

「――ひっ!?」

 ――も、途端に女戦士らしからぬ悲鳴を上げ、彼女は倒れた。

「!?」

 驚くデルエラ。皇帝は手を出すどころか、そもそも振り返りさえもしていない。
 しかし魔術使用の痕跡は一切無く、かといって先ほどデルエラが喰らった超能力の類でもない。

「……!」

 外傷は全く無い。脳や臓器にも一切損傷は無いとリリムは感じ取った。
 にもかかわらず、サラマンダーは『斬られたような』苦悶の表情で事切れていた。

『存外にヤワだな…』

 斃れる女戦士に見向きもせず、皇帝はつまらなそうに吐き捨てる。

『とはいえ、その方が楽ではあるがな』
「何をしたの!?」

 部下が殺され、激昂するデルエラ。

『斬った』

 しかしリリムと違い、皇帝の答えは至極淡々としたもの。

『このようにな!!』

 光線を発射しながら振り返りもしない。だが、エンペラの槍の一撃がデルエラに迫る。

「っ!」

 しかし、恐るべき疾さで振り下ろされた刃をデルエラは驚異的な反射神経と腕力により、頭上で白刃取りする。

「…!?」
「何だ!? 二人は一体何をしているんだ!?」

 だが、この攻防において二人は一切動かなかったため、周りの魔物娘達は困惑する。それも速すぎて動いたのが見えないという話ではなく、実際に二人共動いていないのである。

『残念だ。貴様ほどの相手となると、“イメージ”では殺せぬか』
「思っていた以上の化け物ね……お父様との戦いで手負いになったと思って囲んだのに!!」

 冷静な彼女らしからぬ苛立ちを見せ、叫ぶデルエラ。
 今の攻防で用いたのは魔術や幻術の類ではなく、気迫や殺気――言うなれば『斬るイメージ』であった。
 皇帝はただ『己がこのサラマンダーを槍で唐竹割りにした姿』を強く念じただけとも言える。しかし武芸を極めた者が行えば、それはただの想像では済まない。
 強力なイメージ、圧倒的な気迫はサラマンダーに伝わり、肉体に本当の痛みを与えるに至る。その結果彼女は斬られたと錯覚し、脳が誤作動を起こしてショック死してしまったのだ。

『笑止。貴様等如き小物ではいくら群れようが、余には届かぬ!』
「……!」

 相も変わらず魔物娘達を侮蔑する皇帝。だが、その言葉には怒気を放つリリムにさえ有無を言わさぬ凄味があった。

「ギュイイイイイイアアアアアアアアアア!!!!」

 そんな風に皇帝とリリムが問答を続けていたところへ、撃ち合いでは埒が明かぬと見たバーバラは光線を止めて左前足を振り下ろす。

「ならば、その実力を私達にも見せていただきたいものね!」
『ぬ!!』

 巨竜の攻撃に呼応するデルエラ。エンペラは寸前で躱したところへ、右手から触手を放ち、彼をバーバラの掌へと縛りつける。
 しかし未来視じみた直観を持ちながら、今はこの程度の攻撃も避けられなかった。先ほどああ豪語してはいたが、連戦の疲労とダメージは確実に彼の体を蝕んでいたのだ。

「全員退避〜〜!!」

 皇帝を捕らえたところで、念話により魔王軍全軍に“射程距離外”まで逃げるよう伝えるデルエラ。
 命令を受けた魔物娘達の行動は迅速であり、皆一斉にポータルを通って数十キロ先まであっという間に逃げてしまう。

「それっ!」

 先ほどもエンペラに放ったが無効化された【勇者砲】。とはいえ、今回は左腕も使えぬ上、リリム特製の耐熱・対魔術仕様の強靭な触手で竜王バーバラの手の中に縛られているという絶望的過ぎる状況である。
 しかし、悪辣なデルエラは、今回さらに凶悪なやり方を用いた。

『……?』

 普段は圧縮した破壊光球を上空からオーバーヘッドキックで叩きつける技だ。だが、今回は逆にバレーボールのトスのように地上から軽く叩いて打ち上げたのだ。
 そうして、バーバラのもとへ浮上する勢い良く光球。

「ガルア!!」

 高く上がったところで、バーバラは掌ごとエンペラ一世を光球へ叩きつける。

『!!?』

 当然起爆し、目も眩む閃光と共にキノコ雲が出来るほどの大爆発が起きたのである。










 ――レスカティエ東部・カタトゥンボ街――

「うぐ……ぐぁぁあぁぁぁぁ!!!!」
『……』

 地面に倒れ、胸を押さえて苦しむウィルマリナ。そして、それを興味深そうに見下ろすメフィラス。

『夫との性交以外にほとんど興味が無いと評された貴方にしては、冷静さをずいぶんと欠いていましたねぇ』
「くっ……」

 全身を激痛が苛むようになってからどれだけ時が経ったか。しかし絶好の機会にもかかわらず、メフィラスは倒れるサキュバスを殺そうとはしない。

『フッフッフッフ……まぁそれも全ては私が原因なのですがね。
 狂化魔術【サバイバー】――こんなドブ川のような濃厚な魔力に満ちた地で発動するのは苦労しましたよ』
「何…? サバイバーだと!?」

 痛みに耐えながらも驚愕の表情を浮かべるウィルマリナ。
 禁呪と呼ばれるものでこそないが、それでも十分凶悪なその術の事を彼女は知っていたのだ。

『えぇ、範囲内の生物全てに“同士討ち”をさせるのに本来使う魔術。
 だから、さっきの貴方はあんなに怒り狂って、私に殺意を剥き出しにしていたのですよ』
「…!」
『ちなみに範囲はこの【サンダードーム】だけではありません。
 私の注意が貴方に向いたため、他の連中が惨めに逃げ出していましたよね?』
「貴様!? まさか!!」
『ええ。このレスカティエ東部を全て覆い尽くすほどに、サバイバーをバラ撒いておきました』
「……!!!!」

 さらには遠慮無く告げられた絶望的な事実に、ウィルマリナは顔面が蒼白となる。

『あの魔術は非常に面白いものでしてねぇ。魔術としては単純で最弱の部類に入る代物ですが……なかなかどうして手に負えないんですよ。
 効果は至極単純、ただ“怒らせるだけ”。しかし、これが曲者なんですがね』
 
 【サバイバー】は辛うじて魔術と呼べるだけの、極めて弱い術である。その実態は術者の魔力を0.14Vほどの弱い電流へと変換し、それを射程内に無差別にばら撒くというもの。
 ばら撒かれた電流は大地を伝い、やがて射程内の全生物の脳の『闘争本能を司る部分』に浸透、僅かに刺激する。

『影響を受けた者はその怒りから凶暴化し、誰が相手であろうと死ぬまで戦い続けます。それが術の範囲内へ無差別にばら撒かれるんですからねぇ』

 そして、脳を刺激された生物は“怒り”、やがて極限の闘争本能を引き出されて凶暴化する。
 初めはただ理由もなく怒り、苛立つだけというものだが、些細な事でそれが表面化し、爆発。抑えきれぬ怒りや暴力性を、自分の周りの物体や生物に遠慮無く向けてしまう。
 それは例え親兄弟が相手であろうと関係ない。誰が相手であろうと、全開となった闘争本能によって己の肉が裂けようが骨が折れようが感じなくなるほどの凄まじい殺し合いを始めてしまう。

『ましてや、魔物は元々獰猛な戦闘種族も多い。おかげで人間よりも簡単かつ大幅に凶暴化する上、親子であろうと姉妹友人であろうと関係なく殺し合うのですよ。
 ちょっと怒らせただけでこの有様。魔物が人間に見せる愛など所詮は偽りだと思いませんか? フッフッフッフ!!』

 苦しむサキュバスを見下ろし、メフィラスはおかしそうに嗤う。
 魔物は人間を愛するようになったとか言っているが、それも所詮は偽り。ちょっと刺激してやった程度で簡単にボロを出す、とでも言わんばかりの態度であった。

「き…貴様ぁぁぁぁ!!!!」
『そうそう、もっと怒ってください』

 目深にかぶったローブのせいで見えないが、怒り狂うウィルマリナを見下ろすメフィラスの顔は笑っていた。

『その方が時間が短縮出来ますからねぇ』
「!?……ぐああああああああああああああ!!!!」

 そう、何を怒る事があろうか。このサキュバスが怒ろうが抵抗しようが、最早メフィラスの勝ちは揺るがない。
 このサキュバスが感情を露わにすればするほど、彼女に掛けておいた術が効果を発揮し、彼女に地獄の苦しみを与えるのだ。

『【サバイバー】だけではありません。貴方には私からもう一つ術をプレゼントいたしました』
「……!?」
『多少聡明な貴方には【キリアン・リプレイサー】……と、申せば分かりますかね?』
「!!!!」

 さらなる驚愕に包まれるサキュバス。一方で邪悪な笑みを絶やさぬ魔術師。

『貴方には多少の使い道がありそうなので、特別に生かしてあげようと思いましてねぇ』
「……貴様等の傀儡としてか」
『そういう言い方はよろしくありませんね。ただ『貴方の中の常識を書き換える』だけですよ。
 『ウィルマリナはエンペラ帝国のために魔物を殺す事を使命とする。それに喜びを覚え、そのためには死を恐れない』という風にね……』
「外道が…!」

 【キリアン・リプレイサー】は対象者の脳に働きかけ、特定の記憶を改竄する魔術である。この魔術を使って記憶を書き換えれば、今まで敵だった者も味方にする事が出来る。
 即ち、この術でウィルマリナの記憶を書き換えて洗脳する事により、元勇者としての戦闘能力を持ったままエンペラ帝国の忠実な手駒にする事も可能なのだ。
 そうなれば、例え夫やデルエラ相手であろうと躊躇無く殺しにかかり、同胞達を気の赴くままに虐殺する最悪の怪物が誕生する。

『洗脳後の初仕事としては、そうですねぇ……王魔界に行ってもらいましょうか。
 なにせヤプールの身柄は勇者エドワード・ニューヘイブンに奪われたようです。殺されはしないとは解っておりますが、それでも彼から情報が筒抜けになるのはよろしくありません。
 そこで貴方には王魔界の魔王城に出向き、彼の身柄を奪い返していただきたいのです』

 メフィラスはエドワードを追いこそしなかったが、ヤプールの身柄の行方だけは特定していた。勇者はダークネスフィアに侵入する前に一旦居城に戻り、ヤプールを牢に放り込んでいたのである。
 しかしウィルマリナなら魔物娘故にあっさりと入城出来、彼の元に辿り着けるだろう。

『というわけで、堕ちるのは出来るだけ早くお願い致しますよ。
 なにせ貴方達のおかげで、もう四百年余り待ち続けましたからねぇ。これ以上待つのは億劫なので』
「ぐああああああ!!」

 術を受け入れるのを拒否し続けるせいか、ウィルマリナの全身を激痛が苛む。それを面白そうに眺めるメフィラス。

『ちなみに【キリアン・リプレイサー】は私なりの工夫が施してあります。
 本来は拒絶自体は可能な術ですが、私としても徒労に終わるのは出来る限り避けたいところ。
 故に私なりの調整として、術を長時間拒絶し続けた場合、拒否反応を起こして死ぬようにしておきました』
「!?」

 このようにウィルマリナが必死に苦痛に耐えているところで、さらりと爆弾発言を行うメフィラス。
 耐えて敵の隙を窺おうとしていたのだが、それを見透かしていた魔術師はさらに心をへし折りにかかったのである。

『当たり前でしょう? いつまでもかかりきりになっているのもねぇ。
 貴方が戦力に加わるのは魅力的ですが、失敗したところで別に大した問題も無いんですよ』

 もっとも、結果がどちらに転ぼうが、エンペラ帝国に損は無い。元々殺す予定であったが、戦力として使えるならばそれもそれで良い程度の認識だ。

『まぁ、どちらを選ぶかは貴方にお任せします』
「ぐうう……!!」

 メフィラスの見る限り、保って数十分といったところ。その間も生命は醜く殺し合い、自分達でその数を減らしていくも――

『――むっ!』

 何故か突如その怒りが止んだ事をメフィラスは感じ取る。

『おやおや、邪魔が入りましたか』

 レスカティエの東部だけとはいえ、その範囲は広い。そこにまとめてばら撒かれた悪意の電流を消し去るとは只者ではない。

「あぁ、醜い殺し合いは止めさせた」

 そして“彼”はウィルマリナへの拷問も止めるべくポータルを通り、この混沌とした戦場へと再び姿を現す。

「…エドワード様!?」

 現れた男に驚き、目を見開くサキュバス。エンペラ一世と死闘を繰り広げていた男は、今またこのレスカティエの地を訪れたのである。

『おや、貴方は皇帝陛下と戦っていたはずですが』

 一方のメフィラスは歴戦の強者故か、魔王の夫を再び目にしても動じない。気障りだが悠然たる態度はそのままだ。

「あぁ、どうにか勝ったよ」
『フッフッフッフッフッフ!!!! これはご冗談を!!』

 この魔術師をからかうつもりか、エドワードは早速大嘘をこく。だがメフィラスもそんな勇者の魂胆を見抜き、哄笑する。

『陛下は人類最強の男であらせられる!! だから貴方が人間である限り、陛下に勝てるはずがないんですよ!
 ここにいるのも、どうせ隙を突いて上手く逃げ果せたか何かでしょう?』
「……」

 五百年近く復活を待ち望んでいただけに当然であろうが、この魔術師はエンペラ一世に絶大な信頼を寄せているらしい。故にエドワードが生きてこの場にいるのは皇帝から上手く逃げ果せただけに過ぎないと宣う。
 そして過程こそ異なるが、確かに『敗れて逃げ果せた』という点はエドワードも否定出来なかった。

『とはいえ、生きて帰った事は褒めて差し上げますよ』

 だが、メフィラスからしてみれば驚くべき事ではあった。主神と魔王の加護をそれぞれ受けているとはいえ、この若造が救世主相手に戦い、逃れられるとは思ってもみなかったのだ。

『しかし、陛下も人が悪いものです。私にこの男を押し付けるとは』

 そしてだからこそ困るというものだ。それだけの実力者を、いくら七戮将筆頭とはいえ自分に押し付けていくとは。

「一人が不安なら、別に全員まとめてでも構わない。その方が手間が省けるからね」
『……』

 しかし、格下に見られるのもそれはそれで癪に障った。

『皇帝陛下はよくそう仰いますが……貴方が言うのは不愉快極まりないですねぇ〜〜!』

 何より『全員まとめて』、『手間が省ける』というのは皇帝がよく使う言葉だ。だがそれは、彼が持つ圧倒的な戦闘能力故に許されていると言っていい。
 だからこそ、その言葉はこの若造が自分達に対して言っていい言葉ではない。

『ぬぁ!』
『ギィ!』
『グオオ!』
『!!』

 そのように両者が不穏な空気となっていたところへ、同僚三人がその場へさらに乱入する。

『貴方達、敵将は仕留められたのですか?』
『いや、まだだ! 追いかけていたら、急にこの場へ引きずり込まれた!』
『ハァ……』

 グローザムの弁明に、メフィラスはため息をつく。

『まぁ、私も人の事は言えませんかね…』

 初めは未だ敵将どもを殺せぬ三人を責めようと思ったメフィラスだったが、事情こそあれ敵将を殺しておらぬのは己も同じため、それは止めたのだった。

「散開されていては面倒なんでね。全員ここに呼び寄せたんだ」
『余裕ですねぇ。しかし、体調は万全でないとお見受けいたしますが…?』
「……」

 これ以上の破壊と殺戮を止めるため、転移魔術を用いて七戮将達を無理矢理この場所へと呼び寄せていたエドワード。しかしメフィラスが指摘する通り、まだ本調子ではない。

「なに、“ハンデ”としては十分だと思うが?」

 一度死に、妻に魔力を注ぎ込まれて復活したものの、それでもまだエンペラ一世との戦いによる傷は癒えきっていないのだ。

『フ……』

 だが、メフィラスにとってそれは強がりにしか見えなかった。

「ゴフッ!!」
「エドワード様!?」

 途端にエドワードが吐血し、蹲ったからだ。勇者の明らかな体調の変化に、同じく倒れるウィルマリナも困惑する。

「な…これは!?」

 動悸が激しい。強い頭痛と吐き気もする。しかし、先ほどエンペラ一世と戦った時にはこのような症状は無かった。

『ハァーハッハッハ!!!!』
『ギシシシシシシ!!!!』
『グフフフフ…!!』
「貴様等、何をした!?」

 笑い出す七戮将一行。そして、魔王の夫の急な衰弱ぶりが解せず、彼等を問いただすサキュバス。

『成程、やはりねぇ。いくら大部分は人間とはいっても、やはり神と魔の両方の力を備えし者。
 どれだけ強かろうと、救世主の魔力には耐えられませんか』
「いや……これはそれだけじゃないな…」

 思い当たる節があるエドワード。

「恐らくは“毒”か…」
「え…」

 勇者の言葉が信じられないウィルマリナ。エドワードは魔王の夫だけあって、インキュバスの中でもそういった物に対しての抵抗力は随一と言える。
 そんな彼に効くような毒があるというのは信じられない。

『答える義務はありませんねぇ』
「…これは君達の仕業ではないな。恐らくはエンペラとの戦いによるものか」

 しらばっくれるメフィラス。だが、そんな事は言われなくとも元々彼等の仕業ではないとエドワードは見抜いていた。

「彼の技から出る魔力だけではない。光線や衝撃波からも極微量、それでていて致死率が高く、遅効性の無味・無色・無臭の劇毒が含まれている…といったところかな?」
『我々もそこまでは知りませんよ。ただし、先代魔王が死んだ際、貴方と同じような症状が出て死んだと聞き及んでおりますがね』
「………」

 前魔王は皇帝を呪い殺しはしたものの、同時に己もまた後で毒殺されたというわけだ。

「君達は平気なのか?」
『我々は人間ですからねぇ』
「………」

 効くのはあくまで魔物と神々であって、どうやら人間には何の効果も及ばさないもののようだ。
 まぁ、考えてみれば当たり前だ。人間にまで効くような毒をばら撒けば、そもそも味方まで死んでしまう。

「つまり……遅かれ早かれあの戦場にいた者は全員死ぬようにエンペラは仕組んでいたというわけか。
 皇帝も意地が悪いな……そんな事は一言も言わなかった」

 自分より交戦時間は短かったものの、デルエラもバーバラも恐らくはそれを浴びている。エンペラが尊大な態度の裏でそんな姑息で周到な罠を仕掛けていた事を知り、勇者は苦笑するしかなかった。
 もっとも、敵にわざわざ己の能力を告げる必要は無いのはエドワードも分かっている。気づかなかった己が悪いのだ。

『さて……お喋りはここまでにいたしませんか?』
『もう貴様が助かる道は無い。しかし、毒で死ぬのを見るのも一興だが、それはそれで哀れではある』
『グオオ……故に武人としての名誉を尊重し、貴様の御首(みしるし)は我々が頂戴しよう』
『毒でくたばるか、俺達と戦って死ぬか。後悔の無いように選べ』
「………………」

 考えている時間は無い。皇帝の毒がどれほどのものかは分からないが、魔王の夫たる自分に効くような代物である以上、体調不良で済むようなものではあるまい。
 恐らく、保って数時間。その間苦しみながら死の時を待つのだろう。

「………」

 エドワードはよろめきながらも立ち上がり、剣を取った。

(パランジャがあるだけマシか…)

 神剣を構え、倒れて苦しむサキュバスを背後に庇い、勇者は敵と対峙する。

『ギシシシシシシ!!!! さすがは腐っても勇者、死ぬなら戦いの中を選ぶか!!』

 アークボガールの全身に重力の奔流が現れる。

『ならば武人の情けだ、せめて派手に逝かせてやるぜェ!! 【重力異常(グレート・アトラクター)】“100倍”だぁぁ!!!!』

 それから間髪をいれず勇者にのしかかる高重力。75kgあるエドワードの体重がその100倍、7.5tとなって彼自身を苛む。

「く…っ」

 魔術防御を通り抜け、襲い来る高重力に跪き、倒れ伏すエドワード。しかし、自重で潰れて絶命せずそれだけで済んでいるのも彼の高い実力故だが、それも今の有様ではいつまで保つか。

『グオオオオオオ!!!! 【閻婆爆炎砲】!!』
『凍りつけ! 【ヘルフローズンブレス】!!』
『フフフフフフ!! 【ギガ・サンダーランス】!!』

 だが、巨人の仲間達がそれをただ指を咥えて見ているだけのはずもない。
 放たれる超高熱線、絶対零度の冷気、轟く雷の槍。動けぬのを良い事に、これら三つの無慈悲な攻撃が弱った勇者に叩きつけられたのである。
17/09/09 16:48更新 / フルメタル・ミサイル
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■作者メッセージ
備考:前魔王

 救世主ザギ・サタナイルの死後、そしてエンペラ帝国の勃興時代に現れた魔王。ザギと相打ちになった先々代魔王の跡を継ぐ形で魔王となり、ライバルとなる上級魔族及びザギ軍の残党を討ち滅ぼす事で魔界・人間界共に勢力を拡大した。
 性格は好戦的で、極端に残忍冷酷。部下からは『魔王らしい魔王』と畏れられ、現魔王からは「私の知る限りでは最低の男」と評されている。
 自らに並ぶ存在を許さず、魔王候補になりうる宿敵達を時に侵攻、時に謀略を用いて討滅し、さらにはその妻子までも逃さず徹底的に反逆の芽を摘んだという。
 現魔王も当時から実力者ではあったが、さすがに現在ほどの強さは無かった以上、配下の淫魔族を守るためにも渋々ながら臣従せざるを得なかった。しかし信頼関係は皆無であり、主従ではあるが前魔王も現魔王もお互いに不愉快な存在であると見ていたという。
 そのように、内部に火種を抱えつつも勢力を拡大していくが、その過程で世界中の人間国家を数十年に渡って脅かした結果、新たな救世主『エンペラ・ヤルダバオート』を生み出させるという失態を犯してしまう。
 エンペラは歴代救世主同様、数十年で世界最強の英雄となり、自らの帝国を率いて各地の魔界に侵攻、報復戦争を仕掛けてきた。その長い戦いの果てに、部下だった魔王候補が四人も殺されるほどの大損害を出し、さらには現魔王を僻地に左遷するなどの采配ミスも重なり魔王軍は目に見えて弱体化してしまう。
 さらには大戦の終盤でエンペラに一騎打ちを挑まれ、引き分けて逃げ帰ったために求心力が低下。後に皇帝の呪殺に成功するも、自身も敵の攻撃の後遺症に苦しむ。
 諸々の失敗に危機感を覚えた前魔王は、起死回生を賭けてエンペラ帝国を滅ぼすべく首都に侵攻する。序盤こそ七戮将ジオルゴンを討ち取るなど圧倒するも、侮っていた人間達は死に物狂いで反抗し、残っていた魔王候補の大将三名を討ち取るほどの奮戦ぶりを見せつけられて盛り返される。
 最終的にはエンペラ帝国軍に二度と立ち上がれぬほどの損害は与えたが、同時にその戦いぶりに心底恐怖する。また全軍の六割を損耗したために残党を討ち滅ぼす事を諦めて撤退せざるを得なかった。
 ところが彼等が倒したのはエンペラ帝国軍だけであって、今度はそこに臣従していた教団圏国家群の追撃にあい、さらに戦力を消耗してしまったのだった。
 そうして、ようやく居城に辿り着いた前魔王だったが、そこで病に倒れ、呆気なく世を去った。後継候補は八人いたが、七人はエンペラ帝国軍との戦争で討ち死にし、皮肉にも左遷されていたが故に彼等と戦わなかったので生き残った現魔王が跡を継ぐことが出来たのである。

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