連載小説
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無謀なる宇宙恐竜 恐妻達の防衛戦
 ――アイギアルム――

「あぐぅっ!?」

 溶解泡の弾丸がガラテアの両肩と両腿を無慈悲に貫き、リリムは傷口から煙を発しながら倒れる。

『ガモモモ!』

 そこへ好機とばかりに、ガラテアの顔面目がけて狼牙棒を勢い良く振り下ろすガモス。

『ブロンズ像になるのがイヤなら、ここで脳味噌ブチ撒けて死にさらせやぁ!!』
「〜〜〜〜ッッッ!!」

 いくらリリムとて、ガモスほどの腕力の持ち主相手に鈍器で頭部を殴打されれば、スイカのように砕かれてしまうは必定。反射的に対打撃の小型防護結界で全身を覆うも――

『ムダだボケがァ!』

 ガモスは狼牙棒を引っ込める代わりに口から大量の溶解泡を再び吐き、ガラテアの全身を覆い尽くす。

「!? 結界が…!?」

 なんと、泡は防護結界を水に濡れた紙の如く侵食し、そのままリリムの柔肌へと到達せんとする。

『ガモモモ! オレの【アトミックリキダール】は特別製! 溶かすのは物質だけじゃねぇ!
 例え防護結界だろうと、それごと溶かして本体に到達するのよ!』
「……ふんっ!」

 しかし説明のさなか、肌が溶かされる前にガラテアは全身より高出力で魔力を噴射、泡を吹き飛ばした。

「うぅ、お次は…!」

 撃ち抜かれた肩の痛みに耐えながら上半身を起き上がらせたガラテアは悪漢へと右手を向けると、そのまま掌から数本の触手を生やし、ガモスへと伸ばす。

『うおっ!?』

 伸びてきたそれを咄嗟に狼牙棒の柄頭で直撃は防ぐも勢いは衰えず、ガモスは庭から弾き飛ばされてしまう。

『……ちぃッ!』

 屋敷の庭を飛び出し、門の前の路に投げ出されたガモス。体勢を立て直そうと起き上がるも、そうはさせまいと触手が彼の体へと絡みつき、動きを封じて再び倒す。

『!? ぐげっ、こっ……こんガキャあ!』

 もっとも、ガモスの溶解泡ではリリム特製の触手とて耐えきれず、拘束から簡単に脱出出来る。ガラテアの方もそれは先刻承知済みだったため、そうはさせぬと手を打った。
 ガモスの溶解泡は口から吐き出す。故に触手の束は男の首に巻き付き、締め上げて気道を圧迫、泡を吐き出させぬようにしたのである。

『貴様ァ!!』

 こうしてガモスはあっさり無力化されてしまったが、敵はもう一人残っている。
 締め上げられる同胞を救出するため、激怒したヒッポリトは巨大な左足でガラテアを踏み潰そうとする。

「【ヒートウィップ】!」
『ぬッ!?』

 だが、リリムは踏みつけようとした足を躱しつつ、右手の触手を掌より切断。今度は左手からも熱した触手の束を伸ばし、赤い巨人の左足に叩きつけるも――

『残念ながら、そうはいかん!』

 何故か触手は空を切り、彼の体をすり抜けてしまう。

『ヒョホホホホ! お前の下賤な手では、私に一生触れる事は出来ない!』
「………………」

 嘲笑うヒッポリト。ヒッポリトの方は麗羅を掴んだり、地面に大穴が開くほどの威力の拳で攻撃出来る。
 一方で何故かこちらの攻撃はまるで空気の如くすり抜けてしまい、一切触れる事が出来ない。

『だがな……ホレ!』

 ヒッポリトは右手に握った麗羅の銅像を、遥か下のリリムへと見せつける。

『逆に私は、お前達に何の問題も無く触れるのさ! このようにな…!』

 さらには人質に取った妖狐を握る手をグニグニと動かし、不遜なリリムへと状況を分からせようという悪辣な考えが見て取れた。

『だが、これだけ小さいと力加減が難しい! 貴様が攻撃してくれば、当たらずとも驚きのあまりうっかり握り潰してしまうかもしれんなぁ?
 勇敢なのは結構だが、そうさせたくなければ自らの状況を弁えた方が良いぞ?』
「外道…」

 そう煽り立てる巨人の卑劣さに腹が立ち、苦虫を噛み潰したような顔で不快そうに吐き捨てるガラテア。

『ガモアアアアアアアア!!!!』

 そんな中、絡みつく触手に四苦八苦していたガモスだが、気合の咆哮と共についに引き千切る。

「! あれを引き千切るなんて…」

 触手から短時間で脱出された事に、さすがのガラテアも驚いた。
 ガラテアの作った触手は人間がまず脱出出来ないほどに力強いのは言わずもがな、耐久性の方もドラゴンの爪でさえそう容易くは引き千切れないほどに高いはずなのだ。

『ヒョホホホホ、馬鹿力だけじゃないぞ。ガモスの溶解液は口からだけでなく、全身の毛穴からも放出出来るのさ。
 まぁ、そんな物を全身から出せばさすがに自分も危ないとは思うが、見ての通り何ともない。もっとも、なんで平気なのかは知らんがね』
『ガモモモモモモ! そりゃ企業秘密ってヤツだぜ、ヒッポリト!』

 ガモスの足元で千切れた触手は酸にさらされ溶けかかり、もうもうと煙を上げている。

『手こずらせてくれやがって、クソガキが! 跡形もなく溶かしてやるよ!』
『ヒョホホホホ! いやいや、さすがに原形ぐらいは残しておいてやろうや!
 なにせ死体が完璧に溶けてしまった場合、リリムかどうかの検証も出来やしない! それでは私達の手柄にはならんからな!』
『おぉっと、そうだったな! 良かったじゃねぇか、死体は残るってよ!』

 前門のガモス、後門のヒッポリト。ゼットンの妻達が皆防御に徹するか戦闘不能の中、ただ一人残ったリリムへと残虐なる戦士達がにじり寄る。





「や、ヤバいニャ……」

 閉じられた屋敷の窓よりガラテアの闘いを覗くのはワーキャットのリリー。 しかし、ガラテアが手傷を負うというありえない事態、さらにはそれを引き起こした敵将二人の能力には愕然としていた。

「ご、ご主人サマ! このままではガラテア様までやられはしないかニャ!」
「慌てんな! あいつまでは負けやしねぇ!」

 麗羅が銅像と化し、さらにはガラテアの両肩両腿の負傷した事態に大いに動揺するリリーに対し、ゼットン青年は意外にも落ち着いていた。
 
「それに麗羅の奴も多分助かる。あいつが死んだんなら、ガラテアはもっとブチギレてるしな」

 幾度も肌を重ねた夫婦同士故、夫は妻の性格をよく理解している。もし仲間が目の前で死んだのなら、あのリリムはもっと激しい怒りを賊どもにぶつけているはずだ。

「だが、それも時間の問題だ。このままじゃ麗羅はマジで銅像になっちまう。
 それに、俺もわざわざこの街に妖狐の銅像を寄贈する気なんかねぇよ」

 しかし、麗羅が助かるのはあくまで銅像化を解除して迅速に救助された場合である。
 このままリリム一人に戦闘を任せておけば負けはしないにせよ、長引けば麗羅の方は助からないであろう。

「時間はかけてらんねぇ! 俺も闘る!」
「えっ! で、でも、それはマズいですニャ! ご主人サマを戦わせなかったのも、貴方様が傷ついちゃ妻として困るっていうガラテア様の配慮が……」
「じゃあ、このまま手ェこまねいて見てろってのかよ!? 麗羅が銅像にされて、ガラテアが溶かされるか踏み殺されるかもしれねぇのに、じっとしてろってか!?」

 前述のようにゼットン青年は取り乱しはしなかったが、怒っていないわけではない。賊が妻へ暴言を吐き、自分の家の庭で暴挙を行い好き勝手やっている有様に、本来気が短く血の気の多いこの青年が怒らないはずがなかった。
 敵の蛮行に怒り、武器を担いで外に出ようとする夫を留めようと、リリーは慌てて正面から押さえつける。

「ご主人サマの実力では、かえって足手まといなんですニャ!
 アーマードダークネスがあった時ならともかく、今はそれも無いのニャ! そんな状態で無謀過ぎるのニャ!」
「………………!」

 怒りが抑えきれぬゼットン青年はネコメイドをどかそうとするも、逆に彼女に非情な現実を突きつけられてしまう。
 チンピラや山賊相手ならば別にリリーは止めやしないが、今回は事情が違う。表でガラテアが戦っているのはかつて世界最強と恐れられたエンペラ帝国軍、それもその中でも最精鋭を集めた皇帝直轄軍の隊長二人である。
 そんな輩相手にゼットン青年が一体どこまで戦えるのか。試すには分が悪すぎる危険な賭けであり、また妻達もそんな事を許すわけにはいかなかった。

「どけ!」
「嫌ニャ!」

 もちろん、ゼットン本人とてそれを理解していないわけではない。だが、かと言って妻が生きるか死ぬかの瀬戸際に黙って見ている事は彼には出来なかった。

「ふわぁ〜、うるさいなぁ………………落ち着いて寝れやしないよ……」

 そんな風に押し問答を続ける夫とワーキャットの喧しさに眠りを妨げられたのか。大あくびと共に、主人のベッドに勝手に寝ていたオーガがそこでようやく目を覚ます。

「このバカタレ! この騒ぎの中でよく今まで寝てられたな!!」
「………………」
 
 オーガの非常識さに呆れ、目を見開いて怒鳴るゼットン青年。そして主人を宥めていたワーキャットの方も、この喧騒の中で今まで寝ていられた彼女の呑気さに呆れていた。
 一方、寝ぼけ眼を擦りながら早速ベッドより立ち上がったミレーユは、起きたての割にはしっかりした足取りで夫の元へと向かうと、そのまま右手で胸ぐらを掴んで持ち上げる。

「何だって? もう一度言ってみろ」
「OK、分かった。話し合おう!」

 見上げるオーガの眼光のあまりの鋭さと強面に怯えたゼットンは先ほどの強気な態度を即座に撤回し、両手を挙げて彼女への降伏と恭順の意を示す。

「や、やめるニャ! 今はそれどころじゃニャいニャ!」
「あ?」
「あれを見るニャ!」

 茶色い尻尾を逆立てて怒るリリーは主人を下ろさせると窓を指差し、ミレーユはそちらを覗き込む。すると負傷したガラテアが薄汚れた装備に身を包んだ巨漢と戦っているのが見えた。

「何だいありゃ……ガラテア様を傷つけるたぁ命知らずだねぇ」
「何呑気な事言ってるニャ! あいつらエンペラ帝国軍ニャ! しかもその中でも精鋭らしいから、姫様も麗羅さんも危ないニャ!
 貴方はこの屋敷の警護担当ニャ! こういう時に役に立たニャきゃダメニャ!」
「はいはい、わぁーったよ。夫の愛を競うライバルとはいえ、魔王陛下のお姫様を見殺しにしたとあっちゃあ、魔物娘として面目が立たないってもんだ」
(一応、麗羅の方が死にそうなんだけどな……)

 苛立つワーキャットに対し、頭を左手でポリポリ掻きながら面倒くさそうに答えるミレーユ。とはいえやる気はあるらしく、首を左右に何度か倒し、さらには拳をボキボキと鳴らした。

「さて、さっさとボコボコにしてやりますかね。行くよ、ゼットン!」
「え? あ、ああ、おう」

 正面から挑むのは不利とミレーユは見たため、夫のワープ能力を利用する事にした。
 そこそこ近い距離ならば、ゼットンは望んだ場所に移動する事が出来る程度に、ここ最近で能力を鍛えていたのである。不意を打つならば、それを利用しない手は無い。

「じゃ、行ってくる」

 ワープ能力を発動するゼットンの肩を掴んだミレーユは、不敵な笑みを浮かべてリリーの方を振り返り、そのまま夫と共に屋敷の外へと消えた。

「頑張るニャ!………………ああっ!」

 しかし、そこでリリーは主人たるゼットンまで消えてしまった事に気づく。

「フニャァ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!! つい流れでご主人サマごと送り出しちゃったのニャ〜〜〜〜〜〜!!!!」

 こうして、屋敷にワーキャットの絶叫がこだましたが、後の祭りであった。





『さーて……』
『どう殺してやるかな!?』
「………………」

 前にも敵、後ろにも敵。さりとて夫と仲間達を見捨てて逃げるわけにもいかない。

(傷は治りかかっているわ。これならイケる)

 特殊な強酸で攻撃されたが故に回復には少々時間がかかったが、リリムの高い回復力と回復魔法の併用により、両肩と両腿に開いた穴はもう既に塞がりかかっている。

(とはいえ、時間はかけてられないわ。このままでは麗羅さんが…)

 しかし気になるのは、ヒッポリトの右手には銅像となった麗羅が握られたままである事だ。
 ただの人間よりは遥かに生命力が高い魔物娘、それも神に近いと謳われる妖狐ではあるが、それでもあのままでは一体どれだけ保つかは分からない。

『おやおや…リリムともあろう者が、たかが魔物娘一匹が気になって何も出来ないのかな?』
『ガモモモモモモ! もちろん、奴が助かるかどうかはテメーの行動次第だ!』
「…ウソはやめた方がイイわよ?」

 苦々しく呟く通り、ガモスの言葉が真っ赤な嘘であるとガラテアは理解している。
 彼等は魔物を絶滅させる事が人の世のためと本気で信じ込んでいる以上、魔物娘に対して一片の情も持ち合わせていない。動いている魔物が目の前にいれば、ただ殺すのみ。
 例えガラテアが連中に脅されるままに嬲り殺されたとしても、用済みになったとして結局麗羅の銅像は跡形もなく砕かれるに相違ない。所詮、連中に麗羅を解放する気など微塵もないのは最初から分かりきった事なのだ。

『ヒョホホホホ! だが、お前がこれ以上下手な真似をしたら、この銅像が粉々になるのは本当だ!』
『そういうこった! 言っておくが、魔術を使おうとは思うな!』
『私の【ヒッポリトハンド】は、ただ銅像にするだけじゃない。この術は私自身と連動していて、もし私の身に何かあればこの女は即座に死ぬようになっている!
 さらには大抵の魔術にも拒否反応を示すように調整がしてある! すぐに解除されてはたまらないからねぇ…!』
「……!」

 下卑た笑みを浮かべて語る前後の二人の言葉に、ガラテアの顔に焦りが浮かぶ。

(こいつらならやりかねないわ……恐らくは対魔物用の術、どうあっても私達を殺せるようにしてある……)

 唯一の弱点があるとすれば、『すぐには死なない事』。しかし、それももしかしたら意図的な物かもしれない。仮に即座に死ぬような術ならば、このような牽制・人質としては使えないからだ。
 生きているから人質になるのであって、死体では人質にはならない。

『分かったならさっさと――ガモォ!?』

 しかし、そこまでガモスが言いかけたところで、何者かによって後ろから蹴り倒された。

「お前が死ね」
「ゼットン君!?」
「アタシもいますよ」
「ミレーユさんも!?」

 怒り心頭の夫とオーガが現れた事に、リリムは驚きの声をあげる。

『何だテメェはぁぁ〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!』

 蹴り倒された事に激昂し、起き上がったガモスは口汚く絶叫する。

「うるせぇんだよブタ野郎!」

 しかし、激昂しているのはゼットン青年も同じ。

「【トリリオンメテオ】!!」

 相手は妻を殺そうとした憎き敵、慈悲など無い。男目がけ、躊躇いなく口から高熱火球を発射する。

『ッ!?』

 青年の吐き出したバレーボール大の火球。そこに秘められた凄まじい威力を見て取り、ガモスは驚愕する。

『危ねぇ!』

 慌てて横に跳んで躱すも火球の軌道は上方に反れ、今度はヒッポリトの方向へと向かう。

『フン!』

 攻撃が迫るもヒッポリトは慌てず、兜の面中央に付いた象の鼻のような突起から大風を吐き出す。すると火球の勢いは弱まり、あわや衝突寸前のところで掻き消されてしまった。

『なかなかの威力。だが、貴様は状況が分かっていないようだ……っ!?』

 そう諭すように語るヒッポリトだが、その時同僚の前にいたはずの男の姿が忽然と消えている事に気づく。

『お、おい! あいつは!?』
『ん!? いねぇ!』

 ガモスもそれに気づき、慌てて周囲を見回す。

「うぅ〜〜〜〜!」
『! ぬ、貴様いつの間に!?』

 姿を消していたゼットンはいつの間にやら巨人の右手首の上に立っていた。そして銅像と化した妻の妖狐を解放すべく、力むあまり顔を真っ赤に染めながら両手で引っ張り上げようとする。

『このっ!』
「うわぁ!」

 しかし、ここで見つかったのが運の尽き。激怒したヒッポリトは空いた左手で掴み取り、この青年もまた虜としてしまう。
 こうして、妻達の懸念は早速現実のものとなってしまったのだった。

『現れたり消えたりと不気味なヤツめ! お前もブロンズ像になってしまえ!』

 哀れな妖狐と同じ末路を辿らせるべく、ヒッポリトは左手を妖しく輝かせる。

「うわああああああああああああああ!!!!」

 自身の体が段々と青銅色に染まり、絶叫するゼットン。

「……ん……何だコレ。全然効かねーぞ?」

 ――という風になると思われたものの、予想に反して何故か一向に青年の体は銅像にならなかった。

『なっ――――!?!?!?!?』

 眼前で起きるありえぬ事態に、見ていて滑稽なほどに驚愕、狼狽するヒッポリト。
 触れればリリムでさえ銅像と化すであろう術が、何の対策もされていない小僧一人に何故効かぬのか。術者である彼はもちろん、周りの者も誰一人分からなかった。

『えぇい! ならば、こうしてくれるわ!!』

 しかし彼も一流の戦士であり、頭の切り替えは早かった。
 術が効かぬのならば仕方ないと、次策としてそのままゼットン青年を握り潰そうと左手に力を籠めた。

「ぎゃああああああああああ!!!!」

 急激に全身を苛む凄まじい圧力に苦悶の絶叫をあげるゼットン。

「ゼットン!」
「ぜ、ゼットン君!」
『させるかよォ〜〜!!』
「きゃあ!」
「うわぁ!」

 ガラテアとミレーユが救援に行こうとするも、それを阻もうとガモスは口から溶解泡を広範囲に噴射し、リリムとオーガは慌てて体を伏せて躱す。

『思ったよりは粘るじゃないか! だが、時間の問題だ! このまま握り潰して………………!?』

 本人、さらには妻達の努力も虚しく肉と骨を苛む悲惨な音が響く中、ヒッポリトの左手に滴る大量の黄色い液体。

『なっ!? こっ、こいつ……小便漏らしやがった!』

 危うく肉体が破裂するところで止まり、手の中でぐったりとうなだれるゼットン青年の下半身からは、大柄な体躯である事を考慮しても多すぎる量の尿が漏れていた。
 そしてこれ以上自らの手が汚れるのを嫌ったのか、ヒッポリトはつい無意識に手の力を緩めてしまう。

「ブッ! プゥ〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!」
『!?』

 青年の醜態に人間も魔物も唖然として見上げる中、続く第二弾がさらに巨人の手に放たれる。

『うああああああ!!!! こっちの方もかァァァァァァ!!!!』

 空中に一瞬で広まる凄まじい臭いに耐えかね、悲鳴を上げるヒッポリト。

『ウゥエホッエホッ!!!! 一体何を食ってたらこんな臭いが出るんだ!!?』

 人間の排泄物とは思えぬ凶悪極まった刺激臭にむせてしまい、顔を背けるヒッポリト。

『あっ!?』

 さらに悪い事が起きる。多量の小便で滑り、ヒッポリトの手から青年の体がそのまますっぽ抜けてしまったのである。

「くたばれオラァ!」

 しかし、そこまでの全てが青年の計算の内だったのか。死にかけた青年は落ちながらも何とか火球をヒッポリトの顔面目がけて吐き――

『ぬぉお!?』

 その上、それらは辺りに充満したゼットンの屁に引火、小規模の爆発を起こす。
 けれども、先ほど同様にヒッポリトは無傷であった。

『死にかけの割には味な真似をするなぁ、小僧! だが、その程度の攻撃で私は倒せな……んんんん!!!!????』

 だが、そこでようやくヒッポリトは気づく――即ち、この青年が“囮”であった事に。

「ナイスよ、リリーさん」
「ニャ〜!」

 ガラテアに褒められ、屋敷の入り口前で妖狐の銅像を抱えたワーキャットは絶叫していた先ほどとはうって変わって、自慢げにガッツポーズをする。
 爆発した瞬間、拘束が緩んだのを見て取ったリリムから念話によって指示されていた彼女は、猫の瞬発力を活かして絶好のタイミングで窓から飛び出していた。そしてそのまま右手に着地すると、一瞬で妖狐を奪い去ったのである。

『しまった!』
『バカ野郎! ちゃんと握っとけ!』

 このワーキャットを放置した事を二人は後悔するが、もう遅い。
 最初にガモスの溶解泡に引火し、毒ガスが発生した際に屋敷の中に逃げ込んでいたワーキャットの事など、ガモスもヒッポリトも共に歯牙にも掛けていなかった。
 雑魚魔物が一匹逃げたところで、どうせ街の住民は皆殺しにする以上、その時に殺しても遅くないと考えたからである。

「ご、ご主人様! ご無事で!」

 一方、落下したゼットン青年はサキュバスメイドのエリカが救助し、既に屋敷の前に寝かされていた。

「心配すんな……漏らしたのはションベンだけだから……」

 下半身から異臭を放ちながらも、そんな風に重傷を負いながらも強がる主人にサキュバスは安堵し、そして励ますように彼の手を握った。

「お疲れ様でした。後はガラテア様達にお任せを…」
「あう…」

 エリカが微笑むのを見て緊張の糸が切れたのか、そのままゼットン青年は気を失う。

「形勢逆転かしらね?」
『直轄軍をナメんじゃねぇぞリリム!――――ガッモォアァア!?』

 同僚の失敗にもめげず、リリムと対峙し闘争心を剥き出しにするガモスだったが、無視されていた事に憤慨したオーガに突進を食らわされ跳ね飛ばされる。

「オラァァァァァァァァ!!」

 あまりの威力によってぶっ飛び、街路へと投げ出されるガモス。幸い、彼のマントは防弾防刃に加え、対打撃まで想定した衝撃吸収材で編まれた特殊な物であったが、それでも食らった衝撃は大きかった。

『……ナメんなよ』

 しかし彼は栄光ある最精鋭軍、皇帝直轄軍の隊長の一人。そんな彼がこの程度の攻撃でやられるようでは直轄軍、ひいては皇帝エンペラ一世の評判をも貶める事になる。

『この下等生物がァァァァァァ!!!!』

 己と仲間の名誉を守るため、ガモスは立ち上がる。二撃目を加えるべく猛進するオーガの姿を見ても怯むどころか、その闘争心はますます猛り狂っている。

『テメェ如き、狼牙棒一つありゃ十分だ!! 一々【アトミックリキダール】なぞ使えるか!!』

 頭に血が上ったガモスは頼みの【アトミックリキダール】を使うまでもないと吐き捨て、いよいよ肉薄するミレーユの頭目がけて狼牙棒を振り下ろす。

「【ホーンシザース】!!」

 しかし、ミレーユもまた考えなしに突っ込んだわけではなかった。
 その証拠とばかりになんと彼女の頭の二本の角が伸び、クワガタムシの顎の如く振り下ろされた狼牙棒を挟み取る。

『うおっ!?』

 思わぬ真似に驚くガモスだが、それでも狼牙棒は放さない。しかし、オーガのパワーは棒を掴んだ彼ごと持ち上げてしまう。

『このクソアマ!』

 この膠着状態から脱しようと、ガモスは柄のスイッチに手を伸ばすも――

「せいりゃぁ!!」
『なっ!』

 そうさせる前に気合一閃、オーガの二本の角は高強度チタン・ミスリル合金製の柄頭を挟み潰す。

『野郎!』

 武器を破壊されたガモスは背後のマントを全身を覆うように巻きつける。

「オラァ!」

 それにかまわずオーガは右拳を繰り出すも――

『殴れるもんなら殴ってみろ!』
「!?――――くぅぅぅぅ……!」

 ボディーブローが命中直前のところで、巻きつけたマントより飛び出す無数の鉄鋲。それをおもいきり殴ってしまったことで金属の針先が彼女の拳の皮膚を切り裂いてしまう。

『おるぁッ!』
「うぐぁっ!」

 痛みにミレーユが怯み、屈んでしまったところへガモスは容赦なくオーガの顔面に前蹴りを食らわせ蹴り飛ばす。

『ガモモモモモモ! チタン・ミスリル合金スパイクを大量に仕込んだ“剣山マント”だ!
 いくら馬鹿力を持ったオーガといえど、素手でこれは殴れねぇだろう! テメェみてぇな肉弾戦しか取り柄のねぇバカ相手には最適の装備よ!』

 頭部と足元以外の全てがハリネズミの如き外見となったガモスは、右拳を流血させ痛みで表情を曇らせるオーガを見下ろし高笑いする。

「ははっ! ガマガエルじゃなくて、毛虫だったってわけかい!」
『あァ!?』

 しかし負けず嫌いのミレーユはそんな風に勝ち誇る男が気に入らない。そのため、苦しんでいるにもかかわらず笑みを浮かべ、鼻血を垂らしながらも皮肉たっぷりに現在の姿を揶揄する。
 そして当然、気の短いこの男がそれに腹を立てないはずもなく――

『さっさと死ねやァァァァ!』

 怒りのあまり、つい先ほど使わないと言っていた【アトミックリキダール】をいきなり最大出力で発射、溶解泡の塊をオーガ目がけて浴びせる。
 放った溶解泡の塊は着弾と同時に破裂し、被弾した庭の地面は広範囲が溶解、液状に変化し、その上猛烈な煙を発生させた。
 哀れ、まともに浴びたオーガはその身を骨も残さずに溶かされてしまったのである。

『さて……次はアンタが相手してくれんだろ、お姫様?』

 もうもうと煙が立ち込める中、ガモスはリリムの方へ向き直るも、いつの間にやらその姿は消えていた。
 さらに屋敷の方へ振り返ると、その後ろにいたはずの同僚の姿もまた無い。

『…ちっ! 手柄になる方はヒッポリトに取られちまったか!』

 魔物娘の中でも希少価値の高い妖狐に加え、己が雑魚を相手してる間に一番の手柄たる魔王の姫の首までも同僚に取られた事に気づき、ガモスは舌打ちする。
 しかし、手柄の横取りは仲間同士でもよくある話。故に、大した手柄にもならないオーガ一匹にまごついていた自分の方が悪いのはよく理解しているため、不満に思えども恨みはしなかった。

『しょうがねぇ。オレの方は地道に残飯処理と――』

 だが悲しいかな、手柄云々以前の問題と言うべき致命的な失敗をガモスは犯していた。

『――いくモガブァッッ!?』

 自身の技の威力を過信し、敵の死を確認する事を怠っていたため、敵が実際には生きていた事に気づいていなかったのである。
 故に反応が僅かに遅れた――というよりは、既に手遅れだったと言うべきか。

『〜〜〜〜〜〜!?!?!?!?』

 白煙より突如突き出した右手一本拳、通称【根止め】。
 それがガモスの口内に叩き込まれ、喉奥まで到達し、呼吸を塞ぐ。そして口に拳が入ったままさらに殴り抜き、後頭部を地面に叩きつけられて固められる。

『〜〜〜〜〜〜………………』

 溶解泡を吐こうにも、喉奥の拳がつっかえ棒になってしまい、逆流して肺に流れこんでしまうだろうから吐く事が出来ない。手首に噛み付こうにも拳が口内へ深く侵入し過ぎてそれすらも出来ない。
 最後の抵抗で突き入れられた拳を両腕で抜こうと掴みもがくも――哀れ、窒息したガモスの意識はそこで途切れてしまい、失神したのだった。

「ふ〜〜。高くジャンプしとかなきゃ、見事に溶けちまってたなぁ。
 しっかし、ああいう技じゃどう考えても上に逃げんだろ、普通。そんぐらい分かるんじゃね?」

 涎の漏れる口から拳を引っこ抜いたミレーユは泡を吹いて倒れている男を見下ろし、追い打ちとばかりに毒づく。
 もっとも、そんな風に死んだと誤認してくれたからこそ勝てたのではあるが。
 いくら彼女の種族の体が頑丈とはいえ、それは物理攻撃に対するものであって、強力な化学物質には為す術がない。
 魔術も全く不得手である以上は肉弾戦で対処するしかなかったが、幸か不幸か敵が油断したため、どうにかなった。

「さて…お姫様は無事かな? まァ、うちらが心配するのもおこがましい事かもしれないがね」

 ガラテアの安否が気になるが、恐らくは大丈夫であろう。それよりも気になるのは夫の身だった。
 そのため、他の魔物娘達同様、ミレーユもまた屋敷の前に倒れる夫の前に駆け寄ったのである。





「………………」

 ガモスがミレーユに注意を引かれている隙を突き、ガラテアは一人街から逃げ出し、近くにある無人の平原を走っていた。

『ヒョッホホホホホホ〜〜〜〜!!』

 しかし、リリムの首を狙うヒッポリトがそれを見逃すはずもなく、巨体に似合わぬ俊敏な動きで彼女を追い続ける事五分余り。ついに巨人はガラテアを追い抜き、その目前へと着地し行く手を塞ぐ。

『ここで鬼ごっこはお終いだ!』
「……」

 甲高い声でそう宣言するヒッポリトだが、ガラテアはそれも気にせず巨人を見上げ、その全身をつぶさに観察する。

(やはり妙ね……全身の魔力の流れもそうだけど、巨体の割には体重が軽すぎる。着地の際に足元の陥没がこれだけしかないなんておかしいわ)

 ヒッポリトの身長は50m近いという馬鹿げたもの。ドラゴンやサンドウォームなどでさえ、これほどの大きさの個体はそういない。
 だが、それほどの巨体でありながら、着地の際に響いた音はそれほどでもなかった。また、足元の陥没は体重の割には相当小さいものだ。

『ぬん!』
「……」

 考え込むガラテアの麗しき顔はいつも通りの媚笑でなく、美しくも固く口を閉じた無表情。
 そんな彼女の面に不快感を覚えたのか予告無しに攻撃を繰り出すヒッポリトだが、リリムは振り下ろされたその巨大な右拳を華麗に飛び退いて躱す。

(重量軽減魔術とかじゃない。これは元からスカスカね……)

 淫魔の王族故に極度の色狂いと思われがちなリリム種。しかし、世間一般の印象に反してその頭脳は極めて怜悧である。
 それは例え夫を得、肉欲に溺れて骨抜きになろうと決して失われない。そして、相対した者を無慈悲なまでに見透かす高い洞察力もそのままだ。
 そうして巨人の繰り出す攻撃の数々をガラテアは華麗に躱し、軽々と防いでいく。
 それとは対照的に、巨人は攻撃を繰り返すも一向にダメージを与えるに至らない現状に焦りを覚え、また苛立ちを隠さぬようになっていった。

『ちょこまかと鬱陶しいハエめ!』
「あら、私はリリムでベルゼブブじゃないわよ? もっとも、うちのクレアさんだったら、もっと軽々と躱すんでしょうけどね」

 自らの一言で、しばらく姿を見ておらぬクレアの事をふと思い出すガラテア。
 いくらリリムと言えども、音よりも速く飛ぶあのベルゼブブほどには動けない。故に、そんな彼女の圧倒的なスピードにはこのリリムも一目置いている。

(けれども、軽いとはいえ実体はある)

 痺れを切らしたヒッポリトは巨大な手足による殴打に加え、象の鼻のような口からの爆炎に暴風、掌から放つロケット弾、頭の突起や胸の発光体からの光線など全身の武器をフル活用していた。
 しかし、ガラテアが移動したのは街中と違って遮蔽物の無い平野であったために彼女には全て楽に躱され、防がれている有様。
 さらには麗羅を銅像に変えてしまった、切り札たるブロンズ化も警戒されており、リリムは射程圏内に近づこうとしなかった。

『私に近づきさえしなければ安心だと思ったか?』

 とはいえ、打つ手はまだある。それをヒッポリトはこのリリムに思い知らせてやろうと考えた。

「!」

 ガラテアの華奢な体が後ろから伸びてきた巨大な二つの手に掴み取られる。しかも不可解な事に、その手は目の前で戦っている巨人と同じ見た目と大きさだった。

『ヒョホホホホ! つ・か・ま・え・た』
「………………」

 ようやく念願が叶い、ヒッポリトは愉快げに高笑いする。

『よくもここまで手こずらせてくれたなぁ。貴様は楽には殺さんぞ!』

 籠の中の鳥となってしまったガラテアだが、その顔には焦りは無い。それどころか、余裕の笑みさえ浮かんでいる。

「掴まれてようやく実感したわ。この手も目の前の貴方も“本人”じゃない」

 今すぐにでもブロンズ像にされてもおかしくない状況であるが、ガラテアにはこの男の能力の真相究明の方が大切であった。
 そんな彼女の態度にヒッポリトは不快感と違和感を覚えるが、やろうと思えば一秒で捻り殺せる余裕からか、かえって今すぐ殺そうとは思わなかった。

「私の推測では魔術と化学の合わせ技ね。矛盾した表現になるけれど、その姿は『実体を持った虚像』ってトコかしら?」
『…っ!?』

 しかし、このように危うい状況ではあるが、リリムは一連の攻防の中で敵の正体を暴き出し、それをヒッポリトに問いかける。

「大量のスモッグを魔力の膜の中に留めて貴方の姿を投影し、巨大な姿へと見せかける。
 これだけだとただの虚仮威し、所詮は立体映像でしかないけど、この技の妙は『虚像に実体を持たせられる』事。
 スモッグの濃度を調節し、攻撃の際には限界まで超増幅・超濃縮して質量を増やしたところで、硬化剤として特殊な物質を中に混ぜこんで一瞬で硬化させる。そうする事で実体を持った状態となり、肉体の延長として高威力の打撃を行う事が出来る。
 その一方で攻撃の被弾の際には硬化剤を瞬時に排除した上に、スモッグを投影の出来るギリギリ限界まで薄めて硬化を解除し、見えない煙状となった体をすり抜けさせる。
 ようするに、スモッグを充満させた人型の風船。これが貴方の技のカラクリ。
 実体はあれども幻影である以上は、スモッグさえ用意出来れば何処にでも出現させられるし、魔力が続く限りは何体でも操れる」
『……っ!』

 ガラテアの説明を聞き、ヒッポリトが一瞬体を硬直させたところからして、それが図星、真実であるのは明らかであった。

(こ、こいつ……私の術の仕組みをこの短時間で見抜きやがったのか……!)

 ヒッポリトは短時間で術の仕組みを把握された事に驚愕するが、それでも彼は自身の優位を確信していた。

『……術の秘密を解き明かしたのは褒めてやる。だが、それでも私の優位は揺るがん!』
「……そう思うなら、やってみれば?」
『!』
「あの卑劣な術をね!」

 美しくも凄みのある表情で、鷲掴みにされたリリムはヒッポリトを挑発する。

『お望みとあらば!』

 生意気なリリムを固めようと、ヒッポリトの手が妖しく輝くも――

『何!?』

 残念ながらガラテアの体に変化は無い。

「術は巧妙だけど、見せる相手と使い方は悪かったわね。
 なにせ、私達は魔物娘の中でも特に魔術に長けた種族。いくら高度な術でも、何度も見てれば術の解析は出来るし、当然それを防ぐ結界もすぐに体の表面に張れるのよ?」
『!!!!』

 しかも結界を作った際は無詠唱で、かつ発動までに二秒もかかっていない。そんな有様なので直接触れているはずのヒッポリトでも術の発動を察知出来なかった。
 ブロンズ像化が不可能だと悟ったヒッポリトは即座にガラテアを握り潰そうとするも――

(か、体が動かんだと……!?)

 既に何らかの術を使われてしまったのか、ヒッポリトの手は金縛りにあったように動かなくなる。

「この術の弱点は『目に見える距離でしか操作出来ない』事。より正確に言えば、魔界では魔物の魔力に阻まれて極端に操作出来る距離が狭まるのよね。
 だから、貴方は虚像のすぐ傍にいる。そして、今の位置は――」

 ヒッポリトの動きを封じたのを良い事に、ガラテアは虚像の右肩をじっと見つめると目を妖しく輝かせ――

「そこ」

 双眸より透視光線【リリムアイスポット】を放つ。すると光を浴びた巨大な虚像の全体が明滅し、すぐさま霧散してしまう。

「魔物娘はね、男の視線に敏感なの。例え姿が見えなくとも、何処から見られているかぐらいは分かるわ」

 故に術の存在に気づく前より既に、違和感を感じつつもヒッポリト“本体”の位置は大体掴んではいたのである。

「視線が絶えず移動していたから、位置は常に変えていたようだけど、結局貴方は虚像の中にはいたって事ね」
『う、うぐぐぐぐ……!』

 霧散してしまった赤い巨人の足元には、姿形はそっくりだが普通の人間と変わらぬ大きさとなってしまったヒッポリトの姿があった。

『おっ、おのれぇ〜〜〜〜!』

 正体を暴き出され、激昂するヒッポリト。しかしブロンズ像化も封じられ、さらには繰り出した攻撃手段をことごとく防がれていた彼に、これ以上リリムと正面から戦う度胸は無かった。

(ここは退いた方が良さそうだ…! 私一人ではどうにも出来ぬとも、他の隊長や部隊と組めば勝機が)
「あると思う?」
『!!』

 いつの間にやらヒッポリトの眼前に移動していたガラテア。その顔に浮かぶ媚笑はいつも通りだが、唯一眼だけは笑っていないのが異なる。

「逃がすわけはないでしょ? そして貴方はエンペラ帝国軍の隊長なんだから、一人だけでも戦うという気概ぐらいは見せてごらんなさいな」
『ナメるなぁぁぁぁ!!』

 つい先ほど、逃げるという選択肢を選んだ己はどうかしていた。追い詰められた故に戦う事を決めたヒッポリトは、兜に生えた三本の角と鎧胸部から光線、口の部分からは爆炎を乱射する。
 しかし決死の反抗も虚しくリリムに防がれるばかりであった。

『これでも喰らえ!』
「!」

 ガラテアが攻撃を加えようと目の前へ近づいたところへ、ヒッポリトは象の鼻のような口から青銅色の霧をガラテア目がけ大量に吹きかけた。
 すると、霧は見る見る内にガラテアの皮膚に浸透、彼女の肌を青銅へと変えていく。

「しまっ――」
『素手だけじゃない! 私の【ヒッポリトタール】はこういう方法でも使えるのだ!!』

 そう絶叫するヒッポリトの前で、ガラテアは有無を言わさずブロンズ像へと変えられてしまった。

『ヒョホホホホホホ!! 思い知ったか下等生物め!
 だが案ずるな。夫も! 仲間達も! そして貴様の姉妹も! 貴様同様すぐにあの世に送り届けてやる!』

 難敵のリリムをブロンズ像とした事で安心したのか、先ほどの焦りは何処に行ったのかというほどに上機嫌で饒舌に喋りだすヒッポリト。

『だが、貴様には感謝もしているぞ! まだ帝国軍中にリリムを仕留めた者はいない! つまり私が最初、即ち一番首を得たのだ!
 そしてリリムの首に加え、あの街の住人どもを皆殺しにすれば、私の出世は間違いない!
 そう、七戮将にさえなれるかもしれない! この私がだ!』

 エンペラ帝国軍の将兵にとって、七戮将の地位は出世の最終到達点である。その地位を与えられるという事は、疑いようのない最強の戦闘能力と皇帝と帝国への忠誠心を持っているのはもちろん、数々の戦場において多大な武功を挙げたという証明でもある。
 だが今現在、その名に“七”と付いておりながら、その数は五人しかいない。ジオルゴンとエンディールの二名が欠けた後、帝国は旧魔王軍との最終決戦でそれどころではなかったのだが、一応皇帝と帝国の復活した現在も適当な者がおらず補充はされないままだった。
 けれども、ここでヒッポリトがリリムの首を持っていけば、その空いた枠に入る事が出来るかもしれない。
 リリムは魔王の娘にして誰もが魔王軍の大幹部であり、それを殺害すれば魔王軍に相当の戦力低下が見込めるという、誰が見ても分かる“大手柄”だからだ。

『ヒョホホホホホホ! 笑いが止まらん! 実に愉快だ!』
「……」
『ん?』

 苦悶の表情で固まっているガラテア。しかし、そのブロンズ像の上に一筋亀裂が入る。

『……何ィ!?』

 【ヒッポリトタール】でブロンズ像化した生物は生命活動を停止するだけでなく、そもそも体内まで全て青銅と化してしまい、抵抗すら出来ない。故に年月を経たならともかく、固まってすぐの銅像に亀裂が入るなどありえないにもかかわらず、亀裂は一ヶ所だけでなく全身に広がっていき――

「フン!」

 やがて青銅の表皮が割れ、無傷のガラテアが現れる。

『ばっ、馬鹿な!』
「バカは貴方よ。専用の結界を体に張り続けていたってさっき言ったでしょう?」
『…!!』

 驚愕するヒッポリトだが、彼も歴戦の勇士。疑問を投げ捨ててガラテアへの攻撃を再び繰り出すも――

「見様見真似【カイザーインパクト】!!」
『ゲフ…ッ!』

 リリムの左手より放たれる強力な衝撃波によって甲冑が一撃で粉砕。覆っていた生身にも大ダメージを負ったヒッポリトは吐血し、ついに倒れた。

「今まで殺された魔物娘と、私の肩の傷の分の報復として、少々手荒な倒し方をさせてもらったわ」

 一言そう呟いたリリムは倒れるヒッポリトを担ぎ上げると、街へと戻るべく空を飛翔する。

「どうやらゼットン君も回復したようね。この男を引き離しておいてよかった」

 空を飛びながら夫が無事なのを感じ取り、安堵するガラテア。
 ガラテアが逃げたのは街を襲う敵戦力を分断するためであった。リリムが一人で逃げれば、彼女の首を狙ってきた隊長達が追いかけないはずがないと考えたのであるが、その狙いが見事に当たったのである。
 彼等は強かったが、それ以上に自身達がリリムを仕留められるほどに強いと過信していたのだ。





『むぐぐぐぐ!』
『んがああああああ!』

 ガラテアは街へ戻った後、ゼットンの無事を改めて確認すると、捕まえたニ将を魔法を封じる縄で縛り上げ、猿轡を噛ませる。

「これで良し。こいつらを人質にして、帝国軍を投降させましょう」
「それは難しいのでは…」

 ようやく溶かされた傷を癒し、もがくニ将をガラテアの隣で眺めるヘンリエッテだが、リリムの案に懐疑的だった。

「そんな事は重々承知よ。それでもやらないよりは良い。
 色仕掛けが効かないのは残念だけど、他に無駄な血を流させない方法があるなら、私はそれを喜んでやるわ」

 複雑そうな表情で見つめるデュラハンに微笑みかけるガラテア。
 明緑魔界でも平気で戦っている事からも分かる通り、連中には並大抵の魔力や色仕掛けといったものは通用しない。とはいえ、それは今だけの事。
 戦って打ち勝ち、虜にし、魔物娘と共に過ごさせれば、彼等の凍りついた心もその内溶けるだろうとガラテアは考えていた。
 殺戮に酔い、怒りと憎しみ、怨みに凝り固まってはいるが彼等も今まで戦ってきた者達と同じ人間である。分かり合える余地は十分にあるのだ。





『やれやれ……リリムがいるという報告があるから来てみれば、救出の方を優先しなければならないとはね。
 手柄を取るどころか、失態を犯したあいつら二人の尻拭いをさせられるとはとんだ貧乏くじだよ……』
『ピーピー! 【サテライトランチャー】エネルギージュウテンリツ、100%!』
『さて、準備は整った。さっさと終わらせるとしよう』

 屋敷の上空200mより下界を眺める異形の鉄塊。そして、それを背負うは似つかわしくない青髪の優男。

『【サテライトランチャー】、発射ァ!』





「!」

 休む間もなく遅い来る攻撃。上空からの光線に気づいたリリムはすかさず防護結界を屋敷一帯に張り巡らせる。

「増援か!」
「今度は誰だい!」

 ヘンリエッテ、そして座って休んでいたミレーユが再び立ち上がるも――

「え?」

 気づいた時には既に巨大クローアームがデュラハンの胴体を挟んでおり、次の瞬間には彼女の腰を真っ二つに切断していた。

「ヘンリエッテェェェェェェ!!!!」

 絶叫し、鋏に殴り掛かるオーガ。しかし、鋏はその前にミレーユへ真っ二つになったヘンリエッテを投げつけ、動きを封じる。

「ぐぁあ!!」

 そして仲間を受け止めた隙を突き、もう一本の鋏の中に装備されたビーム砲がオーガの腹部を貫き、さらには屋敷の壁どころかそのまま街の外壁まで貫通した。

「ミレーユさん! ヘンリエッテさん!」

 リリムが仲間に気を取られたところで、優男は右の鋏でガモスを、左の鋏でヒッポリトを掴み取る。

『引き上げだ』

 エンペラ帝国軍皇帝直轄軍・ヤドカリン隊隊長
 “アシュタロン・ハーミットクラブ”ヤドカリン・オルバ

「しまっ――」

 ガラテアが後悔した頃にはもう遅く、男は仲間共々異空間に姿を消す。同様にヤドカリンより指示を受けていたガモス隊、ヒッポリト隊も戦闘を放棄し、アイギアルムの街より消え去ったのだった。





「や、野郎! よくも嫁どもにこんな真似を!」

 ゼットン青年が意識を取り戻した時には全てが終わっていた。ミレーユとヘンリエッテは仲間達の懸命の治療によって何とか一命を取り留めたものの、屋敷の外壁には大穴が空いた上、結局エンペラ帝国軍にほとんど損耗無く逃げられてしまった。
 この屈辱的な敗北にゼットン青年は激昂し、今また彼等に復讐を誓ったのである。
17/05/05 02:18更新 / フルメタル・ミサイル
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■作者メッセージ
備考:ソフィア・ヤルダバオート その@

享年:76歳
身長:180cm
体重:秘密♥
肩書:エンペラ帝国皇后

 エンペラ帝国皇后にして、皇帝エンペラ一世がこの世で唯一愛した女。史上最も広大な版図を持つ帝国を築き上げ、戦い続けてきた皇帝を常に傍らで支え、それ故に彼の最も大きな心の拠り所となった人間である。
 サキュバスである現魔王が驚嘆するほどに容姿は非常に美しくも豊満で、また誰からも慕われるほどに慈悲深く、それでいてお転婆なところもあったと伝わっている。だがその時代の女性としてはかなり長身であり、それがコンプレックスであったという。
 エンペラ一世は農民から皇帝にまで成り上がった男であるが、その伴侶となった彼女は皇帝の故郷である、とある地方の小領主の娘であり、生来の身分は彼よりもずっと上である。しかし何の因果か彼と知り合い、さらには嫁ぐ事になったわけだが、当初から二人は身分を超えて愛し合っていた。
 もっとも、彼女の父は農民出身の男に嫁ぐのを願う娘に当然難色を示しており、また二人の仲の度々邪魔をした。そのような度重なる妨害に怒った彼女はなんと両親の元を離れ、当時挙兵していたエンペラの元に転がり込んでしまう。
 エンペラも彼女の事を慮り、涙を呑んで別れていたのであるが、まさか復縁する事になろうとは思っておらず驚いたという。しかし彼女の気持ちは嬉しかったものの、生きて帰れるか自分はともかく姫の身までは守りきれぬと考えたエンペラによって結局実家へ送り返される事となる。
 二人がようやく添い遂げたのは、それから十年ほど経った時で、彼の率いた勢力が大陸一つを制覇するほどの大きさとなった頃である。

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