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餓竜再び .9
「・・・これがわたし達の爪?」
「あたしの爪ってこんなだった〜?」
ハーモアの店で完成した『番いの首飾り』を見たラスティとエルは、その仕上がりに驚いていた。
二本の爪は申し訳程度に魔界銀で装飾されていたが、美しく磨きあげられた爪は魔界銀に負けないほどの存在感を見せている。
少し小さめのエルの爪には躍動感に満ちたルーンが刻まれているのに対し、大きめのラスティの爪には静をイメージさせるルーンが刻まれている。
対称的なルーンの意匠でありながら、字体その物が統一されているので、二本の爪が対になっている事は一目で分かった。

「親子の爪だけあって、見た目も魔力もぶつからない物に仕上がったねえ」
ハーモアが満足げに首飾りを眺めている。
ベテランの職人である彼でも、ドラゴンゾンビの親子の爪を一つの首飾りに収めるという仕事は初めてだったが、それを上手く纏められたのは、彼にとって十分に満足が行く仕事だった。
見事な仕上がりと言えたが、それだけにラスティは気にかかる事がある。
「これ、高いんじゃ〜・・・」
「手間賃ならルーンを刻んだ時に出た爪の削り屑で十分だよ。ドラゴンゾンビの爪は薬の材料として高く買う奴が大勢居るからな」
ハーモアとしては一生物の話の種になる仕事なので、タダでも構わないくらいなのだ。
「こんな珍しい物を身に付けられるのは、世界広しと言えどもあんたくらいなもんなんだ。粗末に扱うなよ?」
ハーモアの言葉を受けて、レオンは首飾りをそっと手に取ると、それを静かに首に掛けた。

竜の爪には魔力が籠っていると言われてはいたが、身に付けたレオンには、特に何かが変わった様な感覚は無い。
ただ、自分の首に下がっている二本の爪は、間違いなく見慣れたラスティとエルの物であり、それを身に付けている事は、二人の存在の一部を共有している様だった。
その感覚は、二人に初めて教われた後の、三人で寝ていた時の感覚になぜか似ている様に思える。
そう思うとその二本の爪がたまらなく愛しい。
「ラスティ、エル、本当にありがとう。大事にする」
そう言ってレオンは爪をそっと握りしめた。

「ところで、このルーンってどんな効果が刻んであるんだ?」
注文の内容を伏せられたレオンは、刻まれたルーンの効果をまだ知らなかったのだ。
「そんなに大した意味は無いんだけど〜」
「・・・待って、何かおかしい」
ラスティがルーンの内容を伝えようとした時、イリーナがそれを止めた。
ピーニャも違和感を感じたのか、微かな匂いを嗅ぎとる様に小鼻を動かしているが、なぜかその表情には困惑が混じっている。
「なに?この匂いは・・・」
「匂い?匂いなんてしないけど・・・」
「ランプの油の臭いじゃないか?」
ピーニャが今まで嗅いだ事が無い、奇っ怪な匂いが店の奥側から流れてきているのだが、不思議な事にレオンやハーモアにはそれがまるで分からない様にしか見えない。
しかし、ピーニャもイリーナも、その匂いによって自身の内側から沸き上がってきた、不自然な衝動を自覚していた。
これといった理由も無く、まるで、その方向に自分が求めている物があるかの様に、臭いがする方へと向かいたくなってくる。
しかも、下腹部が男を求めている様にズクズクと脈を打っている感触まである。
それが異常な欲求であると二人とも自覚していたので、その衝動を否定する事に辛うじて成功していた。

同時にラスティとエルにも異変が現れ始める。
二人とも心ここにあらずといった風で、フラフラと店の奥へ向かおうとしていたのだ。
「ラスティ、エル、二人ともどこへ行くんだ?」
「あれ〜?・・・あっちの方にレオンが居る様な感じがしたんだけど・・・」
「レオンが二人になっちゃった〜?」
有り得ない事を口にする二人の様子に、レオンも困惑せずにはいられない。
「・・・二人とも何を言ってるんだ?」
「まあ〜いいわ〜♥レオン〜♥首飾りも出来たし、ここでしよ〜♥」
「あたしも我慢できなくなってきちゃった〜♥」
二人はレオンに左右から抱き付くと、レオンの指を自分達の秘所へと導いて、ローブの上から擦り始める。
いくらドラゴンゾンビが好色であっても、この発情の仕方は異常としか言えなかった。
その姿を見て、レオンも異変が起きている事を認識した。
「ここにいるのはマズイ!とりあえず移動しないと!」
レオンの言葉にピーニャが入口の扉を開くと、彼女は街が異常な状態になっている事を知った。
ざわめきの様な嬌声が、辺りの小路を満たしているのが聞こえてきたのだ。
まるで、この区画そのものが発情している様に、絶えず魔物娘達の喘ぎ声が続いている。
「なんて事・・・」
表に出たピーニャは、罠にかけようとした追っ手達が自分の想像を越えた手段に出た事を、認めざるを得なかった。
そんな事をすれば自分達が襲われる可能性が跳ね上がるのにも関わらず、彼等はなんらかの手段で街中に媚薬を撒き散らしたのだ。
ピーニャが手配した討ち手も、イリーナが要請して遠巻きに警護していた竜騎士達も、全てが情欲に呑み込まれて機能不全となっているのは明らかだった。


「こんな物が本当に役に立つのか?」
丸薬をルイーザから手渡されたバノッティは、直截にその第一印象を口にした。
その指先ほどの大きさの、黄色味がかった脂っぽい白さの塊は、単に蝋を溶かして丸めただけの物に見える。
「薬の表面を蝋で固めてあるだけよ。薬を直に放り込んだら、貴方が引き寄せられてきた竜の餌食になるだけだから」
ラスタバンの周囲を囲んでいるであろう討ち手を何とかする為に、ルイーザが用意したのがその薬だった。
まだドラゴンの姿が竜その物であった頃、雌の竜を誘き出す為に作られた、一族秘伝の誘引剤である。
それは、火の中に投じられると雌の竜の本能に強く訴えかける匂いを発生させる。
発生源に自分を求めている雄が居ると錯覚させ、発情させてしまうのだ。
発情して周囲への注意力が疎かになったドラゴンは容易く罠にかける事が出来たので、ティカルの一族は労せずして竜を狩れたのである。
それ故に、この薬の調合法は門外不出とされていた。
過去の教団の失敗から、魔物は毒への強い耐性を持ってはいても、情欲に対する耐性は極めて低いとルイーザは考えていたが、そのまま使ったのでは使用者が発情した竜の群れに襲われてしまうだけである。
薬の周りを蝋で包み、薬の効き目に時間差を付ける事で、ルイーザはこの問題を解決していた。
「街の中にある照明の火の中にこれを放り込んだら、すぐにその場を離れて。蝋が溶けて薬が燃え始めると、そこに発情した竜が殺到してくるから」
ルイーザにそう説明されても、バノッティとジュリアンには薬の真偽を確かめる術も無い。
二人とも半信半疑であったが、効き目が無ければ逃げ出すだけだと割り切る事にした。

四人はバラバラに街へ侵入すると、込み入った道に苦労しつつも、自分達の退却路を塞がないよう慎重に灯りを選んで、薬を投げ込んでいった。
その効き目を目の当たりにする事は出来なかったが、背後から聴こえてくる嬌声で、薬に効果があった事は確認できる。

気配を消して人気の無い路地裏を走りながら、バノッティはルイーザに感心していた。
「なるほど。あの二人がドラゴンスレイヤーの末裔というのは本当らしいな」
正直に言ってバノッティは丸薬に限らず、ドラゴンスレイヤーの技術自体に対しても、半信半疑であったのだ。
消え行く物とは、役目を終えて価値が無くなった物だと、バノッティは考えている。
そして、ドラゴンスレイヤーという職はまさに途絶えようとしている物だった。
彼の基準で量れば、ドラゴンスレイヤーには先の時代に残るべき何かなど無いはずなのだ。
だが、その途絶えようとしている物の知恵によって、自身が助けられている。
仕事柄、無用の感傷には程遠いバノッティであったが、これほど容易く竜を翻弄しているドラゴンスレイヤーの技術という物に対しては、敬意を抱かずにはおれなかった。
「途絶えさせるには惜しい」
惜しいが、自分が途絶える訳にはいかない。
「あの勇者になり損ねた兄さんといい、若い者ばかり踏み台にしなきゃならんとは、実に因果な商売だな」
それは今までも数えきれないほど感じてきた感情でもある。
つまり、バノッティにとっては、その感傷もまた日常の一部でしかないのだった。

これは素晴らしい業だ。
ジュリアンはそう思わずにはおれなかった。
星の数ほど居る魔物の中でも、竜の眷族ほど強力な魔物は両手に収まる程の数しか居ないだろう。
それをこうも簡単に翻弄する彼等の中には、他にもどれ程の叡知が眠っているのか。
それはバノッティにしても同じだ。
彼が居なければ、このチャンスは生まれる余地が無かった。
そして、それほどの技術を持ちながら、なぜ彼等は世に埋もれているのか。
感動、期待、疑問がない交ぜになって、ジュリアンの胸に湧き上がる。
世の中には陽の目を見ない才人達が、どれほど埋もれているのか。
それがどれほどの損となっているのか。
自分の境遇とも重なり、それは義憤にも似た感情となっていく。
「彼等の様な者達をつまらぬ理由で日陰に捨て置くからこそ、いつまで経っても教団は魔王軍に勝てないのだ」
未だに勇者の候補でありながら、ジュリアンの口からは教団への不満がこぼれ出た。
たとえラスタバンを捕らえる競争に自分が勝利したとしても、彼等をそのままにはしておけない。
彼等の様な者達を世に出す為にも、自分が勇者にならなければならないのだ。
それは、自身の生まれついての才能以外で、彼が初めて勇者になりたいと願う理由としては十分だった。

「効いてくれた・・・私達の秘伝はあいつらにも効いてくれた!」
ルイーザは半ば興奮にも似た感情を抱いていた。
なにせ、彼等に伝わるのはドラゴンが恐ろしい怪物だった頃の技術だけである。
一族に伝わる秘伝の薬ではあったが、それが魔物娘となったドラゴンにも効くかどうかは、効果が効果だけに一族の誰も試した事が無かったのだ。
彼等は一族の技術を今のドラゴンに使える様に工夫しなければならなかったし、それが今のドラゴンに通用するかどうかは、彼等自身が身をもって試すしか無かった。
結果的に一族に伝わる薬は今のドラゴンにも通用し、この薬の使い方は竜を狩る事に役立つ事も確信できたのだ。
自分達の技術ならば、現代の竜も狩る事ができる。
そして、ラスタバンの捕獲によってそれを教団へ証明できたなら、二人は新たな時代のドラゴンスレイヤーとして大きな名を遺せるだろう。

「・・・姉さん、あと少しだよ。あと少しで修行した意味が出来る」
満願成就への期待と焦燥にルカの唇が歪む。
その価値を疑う事さえ許されないまま、一族の義務として叩き込まれた技術である。
竜さえ居なければこんな思いをせずに済んだのだと、竜と我が身と親族を何度呪った事だろうか。
だが、この仕事を成し遂げれば、竜も自分の一族も呪わずに済む様になり、それは感謝へとひっくり返る。
つまり「めでたしめでたし」という結末だ。
そうなれば、どれほど清々しい気持ちになれるだろう。
使う機会が有るかどうかも分からないまま、ドラゴンスレイヤーとしての修行を続けさせられた事は、ルカの心を歪ませていた。
彼に自覚は無かったが、ルカは何かを呪い続けて生きる事に、既に疲れきっていたのである。


店の奥側から媚薬が流れ込んで来ている以上、レオン達は店の中に留まっている訳にいかなかった。
ピーニャに続いてイリーナが、そして、最後にレオンが発情してしまったラスティとエルを、苦労しながら連れて抜け出す。
店の前は程々に開けた三叉路となっていたが、その三本の道には明らかに魔物とは違う者達の姿があった。
当然、そこは虎口だったのである。
「ハーモア、出てきちゃダメよ!」
ピーニャが店の奥へ叫ぶ。
かくして取り囲む側と取り囲まれる側は、その立場を反転させて対峙したのである。

17/07/16 15:33更新 / ドグスター
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