連載小説
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冷笑する宇宙恐竜 処刑結界ダークネスフィア
 ――魔王城・ガラテアの部屋――

「うぅ〜ん……」
「………………」

 ガラテアはさすがリリムなだけあり、ゼットン青年の魂の傷を、その秘術を用いて修復することが出来た。しかし念のため、今日一日は経過を見たいと思い、彼を自身の部屋に留め置くことにした。

「ゼットンは大丈夫なのですか?」

 ベッドでうなされるゼットン青年の姿を見て、心配そうに尋ねるクレア。なんだかんだで夫には過保護な彼女は心配し、ガラテアの部屋を訪ねていたのである。

「ひとまずは大丈夫よ……ひとまずは、ね。
 ただ、今後症状が再発するどころか、むしろ悪化して彼がひどく苦しむことになるかもしれないのは頭に入れておいてちょうだい」

 良くない報せに、クレアはその可愛らしい顔を曇らせる。

「夫の症状は完治しないのですか?」
「普通ならば、リリムである私の力なら治せるわ。でも、今回のケースは別。
 この子に影響を与えている力の持ち主は、私よりもずっと強い。お母様とお父様にも尋ねてみたけど、結局私と同じ程度の治療しか出来ないって言われてしまったわ」

 ガラテアの表情もまた、とても深い悲しみに満ちたものであった。しかし、クレアは先ほどから一転、驚愕の表情となる。

「魔王陛下でも治せない…!?」

 そもそも魔物娘が今の姿と生態となったのも、魔王の力の一端にすぎない。それほどの力の持ち主が、この青年の症状を完全には治せないと言うのだから、クレアが驚くのも無理はない。

「一時的な治療なら私でも出来る。でもその時は治っても、近い内に魂の傷はまた開くし、その度に悪化していくわ。
 そして、最後には私でも治療出来なくなるぐらいに傷が開いてしまい、彼はもう動くことも出来なくなるぐらいに体調も悪化するでしょうね」
「そ、そんな……」

 夫の辿るであろう末路を聞かされ、クレアの顔は蒼白となる。

「……一つだけ完治する方法はあるにはあるのだけれど……」
「あるのですか!?」
「……そのやり方は魔物娘には到底受け入れられない方法なのよ」

 一つだけだが、ゼットン青年の病状を完治させる方法はあった。しかし、何か問題があるのか、リリムは言葉を濁したのだった。

「…?」
「簡単よ。力を流し込んでいる者がいなくなればいい。
 あ、でもそれじゃちょっと分かりづらいか……まぁ、ありていに言えば、力の発生源である者が死ねばいいのよ」
「!」

 そう淡々と語るリリムの顔は真剣で、そして非常に暗い印象のものであった。何より、人間を愛する魔物娘が発する言葉ではない。

「彼の病気を治すにはそいつが死ぬのを待つか、殺すしかないわ。
 でもね…いくら彼が苦しんでいるとはいえ、そのために人が死ぬのを願うなんてやってはいけないことよ」

 それはクレアも同意であり、黙って頷いた。

「そう、本来ならね…」
「…?」

 しかし何か含むことがあるのか、ガラテアは悔しそうに呟く。

「…この子が魂を共鳴させている者が誰か、あなたには分かる?」
「いえ…」

 ガラテアの問いに対し、クレアはかぶりを振る。

「彼が今日訪ねてきた時、恐らく暗黒の鎧絡みだろうと告げられたわ。で、私もそう思っていた。
 …けど、事態は思っていたよりも深刻だったのよ」

 ガラテアは右掌を上に向け、そこにとある映像を映し出す。

「この者こそ、ゼットン君の魂に影響を与えている男」
「!」

 それは先ほどガラテアが拾った紫色の泡より取り出した映像を、そのまま映したものであった。

「あなたには、これが誰だか分かる?」
「いいえ。けれど、この鎧は…」

 かつてゼットン青年も身に付けた【アーマードダークネス】。それを身に付けた男は一切の慈悲も容赦もなく、数万もの敵軍勢を虫ケラでも踏み潰すかの如く撃滅していく。

「これは……誰なんですか?」
「…あの鎧の本来の持ち主よ」
「!!」

 クレアに思い浮かぶのは一人しかいなかった。

「そんなバカな! あの男は先代の魔王の呪いによって死んだはずです!」
「そう、五百年も前にね。あなたの言う通り、彼は死んでいた……そう、今までは」
「“今までは”?」
「彼等は一体何のためにゼットン君を攫ったと思う? 鎧を身に付けて死なないとはいえ、大した戦力にもならない彼を?」
「それは…」
「…彼等の目的は別にあったのよ。彼等が帝国を再興させるとしても、自分達で治める気は無かった。
 ならば、一体誰に治めてもらいたかったのかしら?」
「あ…!」

 ここに来て、ようやくクレアもガラテアの言いたいことを理解した。

「彼等は何らかの方法を用い、亡くなったはずのエンペラ一世を甦らせようとしていた。
 そのために必要だったのが、ゼットン君の肉体だったのよ」
「それで、奴等は夫に固執していたと…?」
「そうね。けれど、私達はどうにか生きて脱出したわ。でも、その時に彼は左腕を失ってしまったの。
 …分かるわよね? 本人がいなくても、左腕は残っていたのよ」

 そして帝国残党はそれを用い、主君を甦らせたのである。

「やり方は分からないけど、それさえあれば十分だったのでしょう。連中は私達をそれ以上追っては来なかった。
 …本当に情けない話だわ。てっきり諦めたのだと思ってた……」

 そう自嘲すると、ガラテアは音が聞こえるほどの強さで歯噛みする。

「知らぬこととはいえ、私はゼットン君と一緒に脱出出来たことだけで満足していた。その背後に潜むものがあるなんて考えていなかった。
 …だからこそ悔しいわ。私は皇帝の復活を阻止出来る所にいながら、何もしなかったのよ。これでリリムなんて笑ってしまいそうだわ」
「……」
「そうして、かつての身分からはありえないほど、その男はひっそりと甦った。
 けど、ほとんど情報が無いにもかかわらず、お母様だけは胸騒ぎがしていたらしくてね。その復活を阻むべく、極秘裏に探索部隊を世界中に送り込んでいたそうなの。でも、結局奴等の居場所は見つけられずじまいだったわ」

 帝国残党の居場所は人跡未踏の南極圏、それも暗黒海域の高度10000m上空に浮かぶ島である。さらには視覚的及び魔術的にも一切隙の無い堅牢さを持ち、魔王ですら最後まで発見出来なかった。

「でも、もう連中は隠れる必要は無くなったようでね。今までのようにひっそりと行動するのではなくて、堂々と動き始めているわ」
「……最近、教団圏最強と言われるフリドニアが一週間で堕とされたと聞きましたが…まさか……」
「そのまさかよ……私も知ったのはついさっきの話だけどね」

 主神教団や周辺諸国と違い、魔王軍は密偵として送り込んだ魔物娘より正確な情報を入手していた。そしてそれは皮肉にも、教団圏連合軍が敵の戦力を測ろうと送り込んだ先遣隊が壊滅させられた戦闘を、魔王軍の一隊が遠方より偵察していたことによるものだ。

「それで発覚したのは、連中の戦力は私達の戦った五人だけじゃないということ。
 かつて凶悪無比だった魔王軍と唯一互角に戦えた最大・最強・最悪の軍隊……それらを構成していた戦士達も甦っているということよ」
「どういうことですか…!?」
「かつて皇帝と共に世界中を転戦し、その名を轟かせた偉大なる英雄達。そして、かつて魔王軍が帝国の首都に侵攻した際、その戦いにおいて戦死した最強の戦士達……それらが丸ごと甦っているそうよ…」
「!?」

 ガラテアは青ざめた顔で語るが、その話は到底クレアには信じられるものではなかった。

「率いていた皇帝だけでなく、エンペラ帝国軍がそのまま甦っていると!?」
「そうよ。軍勢の規模自体ははっきりしていないけど、撮影された映像には死んだはずの将軍達が映っていたわ」
「信じられない…」

 クレアの驚きも、もっともなものである。なにせ今代の魔王となってから、死霊魔術によって甦った者はもれなく魔物娘となるようになったからだ。
 故に人間の状態を保ったまま蘇らせるなどは、現在の常識からすれば不可能に近い奇蹟としか言いようがない。しかし、方法は分からぬが、彼等はその奇蹟を行えるということなのだろう。

「本来なら、このボウヤには体調不良に耐えてもらうしかないわ。けど、皮肉にもそれは治ってしまうかもしれない」
「…まさか」
「人は殺さず、愛と肉体で制するのが私達魔物娘の信念。しかし、エンペラ一世が相手では、それも貫けないかもしれないということよ」
「…魔王陛下は、エンペラ一世を殺すつもりなのですか?」
「あくまで可能性よ。当然、好き好んでしたいとは思っていないでしょう。
 彼の命と全世界の人間と魔物娘の命を天秤にかけ、“その時”にお母様が決めることよ」
「…そうならないことを願っていますよ」
「私も同じよ。お母様の手を血で汚して欲しくないのは、お父様も私達リリムも共に願っていることなのだから」

 そして、二人はベッドで眠るゼットン青年を見やる。

「でもそうなった場合、皮肉にもこのボウヤの病は治る」
「…素直に喜べませんね」
「私もそんな方法に頼りたくないわ。そして私達の誰もが気づいていないだけで、それ以外にも、まだ手はあると思う。
 お母様は匙を投げても、私はこの子の治療を諦めないつもりよ」
「私達も協力しますよ。夫はバカな上にネジくれていて甲斐性なしですけど、私達はそんな彼が大好きなんです」
「フフッ、私もそうだわ。バカな子ほど可愛いものよね」

 バカ呼ばわりはしているものの、なんだかんだで夫のことは愛しい。夫が苦しんでいるのなら、その原因を取り除いてやりたいし、何があっても諦めたくはない。
 必ずや夫の苦しみを取り除いてやるという決意は、二人とも同じであったのだ。










 ――エンペラ帝国領フリドニア・王城城下街――

 草木も眠る丑三つ時。昼間は賑やかだった市場も閉じられ、民家も皆明かりを消し、起きている者は皆無である。
 そんな中、闇夜の都に霧が立ちこめ、それは徐々に王宮に迫っていた。

「………………」

 いくさ、次いで血生臭い政変が起き、生き残った兵士も大半が国の辺境へ配置換えとなった。こうしてフリドニアは生まれ変わったが、民衆の生活は変わらない。

(街に破壊された様子は無い。狼藉の方も無さそうだ。
 連中は凶暴な殺人狂の集まりだとは聞いていたが、腐っても軍隊か。さすがに軍規が厳しく守られている)

 敵国へ侵攻した軍隊にはしばしば略奪や狼藉が伴うが、街にはそれらの行為が行われた痕跡は無かった。さすがに元は世界の七割を支配した軍隊を構成する面々、どれほど凶悪であっても厳しく律されているようである。

(………………)

 広がる霧は、やがて王宮の門にまで到達する。

「夜霧か…」
「これに乗じて敵が来るかもしれない。気を抜くなよ」

 そこでは兵士達が数名、門番として立っていたが、立ちこめる夜霧を見た彼等は敵の侵入があってはならぬと警戒をした。

「それはもち――ウグゥ!?」
「!? どうし――ゲッ!?」

 ところが注意深くなったのも束の間、返事の途中で一人がくぐもった声をあげて倒れ、何事かとそちらを向いた同僚も同じく倒れる。仲間達も異変に気づいた時には既に遅く、バタバタと倒れていった。

「まぁ、悪く思うな」

 最後に倒れた門番の後ろに広がる夜霧からは、なんと女性のものと思われる手が二本伸びていた。

「さて…」

 夜霧から響くは女性の声。そして『彼女』は、門の隙間から宮殿の中に苦もなく入り込んだのだった。





「ぐぇッ!?」
「……」

 外ならばともかく、建物の中に霧が漂うのは不自然そのもの。そのため、出会った者は皆警戒するが、その時既に遅し。
 彼等はいつの間にか後ろより伸びる手に絞め落とされるか、もしくは腹を殴られて気を失ったのである。

(大方、倒したようだな)

 まんまと侵入した夜霧はフリドニア宮殿内に充満すると、出会った兵士、さらには騒がれたら面倒なのでメイドや小間使いに至るまで、片端からその二本の腕で倒していった。
 他国の兵士の十倍近い強さという精兵揃いのエンペラ帝国軍だが、背後から迫る二本の腕には誰も抵抗出来なかった。彼等は短い悲鳴をあげた後、気を失っていったのである。

(………………)

 宮殿内の回れる場所は全て回り、出会った者の意識は奪ってきた。しかし、だからこそ疑問に感じたこともあった。

(妙だ……メイドはともかく、帝国兵が弱すぎる。報告によれば、連中の強さは雑兵であろうと侮れないものだという。にもかかわらず、この脆さは何だ?)

 一瞬、罠ではないかと疑う。

(いや、考え過ぎか。この形態は最も魔力の発散も少なく、同時に殺気も僅かだ。事実、私に出会う前に気づく者はいなかった)

 漂う夜霧は疑念を振り払う。

(何にせよ、今までは雑魚でも首魁は違う。これほどの悪の気は私も味わったことが無い……!)

 城下町に侵入した時点で、彼女はその悪の大気を感じ取っていた。そして、十分に標的に近づいた今、生存本能が警鐘を鳴らし、身の毛もよだつという表現が正しいほどの寒気に襲われている。

(フッ、近づくだけでこれか。直に対峙したら気絶してしまいそうだな)

 霧はその時の場面を想像し、小さく笑いを漏らす。だが、彼女は少なくない恐怖を覚えつつも、迷わず目的地である皇帝の寝室に向かったのだった。





(暗いな……まぁ、私には何の問題もないが)

 皇帝の寝室の前には警護の兵が詰める部屋があるのだが、真っ暗であった。しかし、侵入した霧には闇の中だろうと、昼間同然の明るさで物を見ることが出来るので関係ない。

(いるのは一人だけ……しかし、只者ではなさそうだ)

 世界で最も貴い身分にもかかわらず、彼は危機意識が低いのか、皇帝の部屋の扉の前に立つのは一人だけ。そして、その全身を分厚い黒鉄の鎧に身を包んだ大柄の男は、不審な夜霧の存在を知ってか知らずか、ただ立ち尽くすのみであった。
 しかし、その重責をたった一人で担うだけはある。その者が漂わせる威圧感は相当のもので、さらには闇の中でも気づくであろうほどの殺気を放っているのだ。
 とはいえ、取る戦法は変わらない。夜霧は扉の隙間を通って詰め所に入ると、後ろから警護の兵の首に両手を伸ばす。

『………………』
「!!」

 しかし、雑兵相手のように上手くはいかなかった。何故ならば、男が闇の中を振り返ることもなく、伸ばされた二本の腕を両手で掴んだからである。

『……侵入者』
「クックッ! さすがに雑兵どものようにいかんか…!」

 霧は笑いを漏らすと強引に男の手を振り解き、腕を引っ込める。

「歯応えはありそうだな。しかし、果たしてどれだけ私の相手が務まるやら…」
『………………』

 夜霧から響くは、快活な調子ながらも挑発的な声である。しかし、それを聞いても男は無表情を崩さなかった。

『何事だ、ロベルガー』

 しかし、寝室より響き渡る声を聞いた警護の男は目の前の侵入者を無視し、扉に向かって跪いた。

(ちぃ〜っ! エンペラめ、起きていたのか!)

 不穏な気配を察知したのか皇帝は起きていたらしく、警護の男に声をかけてきた。寝ているならば好都合だったが、そう上手くはいかぬらしい。

『……はっ、申し訳ございませぬ陛下。侵入者にございます』
『……ほう? それは興味深いな』

 侵入者と聞き、皇帝はロベルガーと呼ぶ男を叱責するどころか、むしろ上機嫌ですらあった。

『しかし、ここで暴れられるのは余としては困る。闘うこと自体は大いに結構だが、お前達が闘って壊れた城の修理費は、民が納めた血税から出さなくてはならぬからな』
『では、如何いたしましょう?』
『かと言って、お帰り願うのも申し訳なかろう。なにせ、この城を落としてから初めての客人なのでな。余が直々に“応対”したい』
『はっ。御意のままに』
「!?」

 二人の話の一部始終を聞いていた夜霧だが、皇帝の発言を聞いて一気に緊張が走る。

『それと、他にも城下町に侵入した者が複数おるようだ。貴様は兵を指揮し、迎撃にあたれ』
『はっ…!』

 ロベルガーは跪いたまま一礼すると、夜霧の中を突っ切って部屋を出て行った。

『…さて、外野はいなくなった。貴様には好都合な展開となったが、どうするかね?』
「………………」

 護衛がいなくなったのを見計らい、皇帝は寝室の扉を開けた。そして簡素な寝間着姿のまま、自ら夜霧の前に姿を現したのである。

「……小細工は通用しないようだな」

 夜霧はそう忌々しそうに呟くと、霧となった体を元の状態へ戻す。すると下の方から徐々に霧が消え、入れ替わりに下半身、上半身、最後に頭部が現れたのだ。

『ふむ、やはりな。霧に好んで姿を変えるのは貴様等の種族しかおらぬ』

 皇帝が語る通り、霧に姿を変える魔物は“彼女等”しかいない。

「…成程。種が有名であるのも、良い事ばかりではないようだ」

 正体を現した夜霧は、そのまま金髪の美女の姿を取った。
 まず真っ先に目に入るのは外套やマントを思わせる、全身を包むほど大きい漆黒の両翼。一方それに反し、彼女は女性らしい細い体躯を長手袋とサイハイブーツ、短めのスカートで覆っている。
 さらに、それらは黒で染め上げられているが、縁にはオレンジ色の楓の葉を思わせる派手な飾りが刺繍され、スカート周りには金色の鎖がベルトのように巻きつけられているなど、不気味さの上にも派手さがある。また、細身な割にグラマーなことを強調しているのか、黒い上着の胸部分だけは大胆に開かれ、白いシャツに包まれた大きな胸が眩しい。
 そして魅力的な体型に負けず劣らず、お伽話の美女を思わせる美貌と、首元まで伸びた金色の髪を持っている。だが彼女の耳は長く、その上尖っており、さらには血のように赤い瞳もまた、彼女を非現実的な存在たらしめていた。

「我が名はカーミラ・レファニュー。誇り高きヴァンパイアが一族なり」

 夜霧、いやカーミラはヴァンパイアとしての姿をさらけ出す。

『ふっ…』
「…何がおかしい」

 だが、皇帝は彼女の名乗りを聞いた途端、皮肉な笑みを浮かべる。

『いや、失敬』
「貴様が何故嗤ったのかは知らぬが、我等ヴァンパイアは己や一族に対する侮辱を許さぬ。それを知っての行いだろうな?」

 嗤われたことが癇に障ったカーミラは、怒りに満ちた鋭い目つきで皇帝を睨む。しかし、エンペラ一世はその態度を変えようとしない。

『いや何、貴様が「誇り高きヴァンパイア」と申したのがおかしいだけよ』
「何?」
『貴様等カスに誇りなどというものがあるのか? それとも貴様等の申す“ホコリ”とは、うず高く積もった“埃”のことを言うのではあるまいな?』
「!」

 あまりにも見下した侮辱を言い放たれ、プライドが高いカーミラは我慢出来そうにない。しかし目の前の男は、かつてこの地上の七割を統べたという大国を一代で築いた皇帝。単純な格式においても上なのはもちろんの事、魔物の貴族相手ならば尚更遠慮するはずもない。

「貴様…!」
『おうおう、これはすまぬ。どうも貴様等のような醜悪な存在には、余はつい悪態をついてしまうのだ』

 実に小馬鹿にした笑みを浮かべる皇帝に、怒りが頂点に達したカーミラ。先ほどまで感じていた恐怖も忘れてしまった彼女は、これ以上喋るのをやめた。

『!』

 激昂した彼女は不言実行、早速その鋭い右手刀を皇帝の顔目がけて叩き入れたのである。

『ふむ』
「!?」

 驚くべきことだった。突き入れられたはずの手刀を、皇帝は当たる前に左手で掴んで防いでいたのだ。

『速い。さすがはヴァンパイアだというところか』
(バ、バカな!? 全力でないとはいえど、それでも私の攻撃は人間が捉えきれる速さではない!!)

 勇者ですら初見では捉えられぬほどの攻撃速度だとカーミラは自負している。そして当然、そこに籠められた力も大型猛獣を上回るほどで、本来なら事も無げに掴めるはずもないのだ。にもかかわらず、目の前の男はあっさりと彼女の攻撃を受け止めてしまった。

「らぁッッ!」
『フン…』

 右手を掴んで安心したのか、皇帝には隙があった。カーミラは焦燥しつつもそれを見逃さず、間髪をいれず皇帝の首目がけて左脚で蹴りを入れるが――

「がっ!?」

 それも罠だったのか。すぐさま迎撃に繰り出した皇帝の右肘が脛にめり込み、そのまま左脚をへし折られてしまったのである。

「ぐっ…ぐぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!??」
『おぉう、綺麗に折れたな』

 皇帝も予想以上の結果だったのか、カーミラの折れた脛の骨が袋はぎの皮膚とブーツを突き破ったのを見て満足した様子である。

『では、これも折っておくか』

 深傷を負うカーミラだが、彼には手加減をする気は一切無い。それどころか、ついでとばかりに左手に力を籠め、彼女の右手首の骨を鈍い音と共に砕いてしまう。

「ぎゃぁぁうぁぁああっ!!」

 皇帝が手首を放してやると、カーミラは絶叫をあげてうずくまる。

『おやおや、これは失敬した』

 口ではそう言っても、皇帝の顔には反省の色は無い。目の前の吸血鬼が痛みに耐えかねて悶絶するのを、彼は嗜虐的な笑みを浮かべながら見下ろしている。

「くっ……ぐっ……」
『ほう、さすがはヴァンパイア。開放性骨折でも、一分程度で再生出来るとはな』

 皇帝が感嘆する通り、ヴァンパイアの再生能力は魔物の中でも並外れて高い。人間にとっては致命傷になるほどの深傷だろうと、彼女等はすぐに再生する。

『これなら、まだ遊べそうだな』
「きっ…貴様…!」
『どうした? 御自慢の怪力が余に通じないことが、そんなに信じられぬのか?』
「…!」

 滔々と語る皇帝だが、その言葉は的を射ていた。カーミラには見苦しい様を見られた恥ずかしさと怒りよりも、自慢の手と脚が簡単に破壊されたことに対する衝撃の方が大きかったのである。

『別に小細工はしておらぬ。ただ余の腕力が、貴様の腕力を上回っただけのことだ』
「なっ、何だと!?」

 カーミラには皇帝の言葉が信じられなかった。どんなに身体能力の高い者でも、ヴァンパイアの腕力を上回ることはないからだ。
 もし仮にそんなことがあるとすれば、元々膂力が非常に優れる者が身体強化系の魔術か投薬を行なった場合だろう。だが、そんな真似をしていればカーミラは気づくし、それらの行為には少なくない副作用が付き物。カーミラが持久戦に持ち込めば、その内それらの副作用が表れ、使用者は自壊してしまうだろう。

『信じられぬか? だが、どんな物事にも例外というものはあろう。
 ましてや余は人間を治めるべく、そしてその外敵を滅ぼすべく、この世に生を受けし者。その程度の力を持ち合わせていたとて別段不思議な事でもあるまい?』

 しかし、皇帝の場合は違った。カーミラは信じたくなかったが、ヴァンパイアの肉体を簡単に破壊するという常軌を逸した腕力にもかかわらず、それが魔術や薬によってもたらされたものでないのは明らかだったのである。

「私は……誇り高きヴァンパイアだ! 真夜中に、ましてやただの人間に遅れを取るはずがないっ……!!」
『ならば、この醜態を一体どう説明するつもりだ?』
「……侮るな!! そんなものは今すぐに覆してみせるッ!!」
『おうおう、勇ましい。しかし、ここで暴れられては困ると先ほど申したであろう?』
「貴様の都合など関係ない!」

 悔しさに震えるカーミラだが、圧倒的不利な状況に陥った己を鼓舞するかの如く、皇帝へ矢継ぎ早に拳撃を繰り出す。しかし、冷笑を浮かべる皇帝は彼女の放つ無数の攻撃を躱し、あるいは反らし、一向に体へ命中させなかった。

「くっ、クソぉお――――――ッッ!!」
『やかましい!』

 二分ほど続いたこの攻防。しかし、皇帝は焦燥感を募らせて見苦しさを増すカーミラに不快感を覚え、彼女の右拳を躱したところで、その腹に右膝を叩き込んで終止符を打つ。

「うぅっ…!」

 強烈な一撃を叩きこまれ、痛みに耐えかねたカーミラはまたしても床にうずくまってしまう。種族全体が漏れなく貴族を名乗る種だけにその様は情けなく、彼女を見下ろした皇帝は呆れを通り越して憐れみの表情さえ浮かべてしまう。

『貴様等が魔物の中でもそこそこ上位の種族であるのは承知しておる。何か能力なり技なりあるのなら、出し惜しみせずに使った方が良いぞ』

 そもそも、ヴァンパイアは他にも戦闘向きの能力を持っているはず。それなのにカーミラが何故肉弾戦にこだわるのかは皇帝にも分からない。
 あるいは、ヴァンパイアが自慢とする怪力を、強く見下しているはずの人間にあっさり上回られて悔しかったから、あえて肉体のみの勝負にこだわったのであろうか。

「ふっ……ククッ! やはり、出し惜しみは出来んようだな!」
『あるなら最初から出せばよかろう。それとも、貴様等の一族は彼我の戦力差も分からぬほどの馬鹿揃いではあるまいな?』
「言わせておけばッ! そんなに見たいのなら見せてやる!!」
『ふむ…貴様の力、確かに見てみたい。しかし、ここではちと狭すぎる。場所を変えさせてもらうぞ』
「!?」

 闘う場所を変えたいというのが皇帝の希望だが、カーミラの返事を待つまでもなかった。二人の体が突如燃え盛る炎に包まれたのも束の間、皇帝と吸血鬼は地上より姿を消したのである。





「……っ」

 己の体が紅蓮の炎で焼かれた直後、カーミラの視界は闇に包まれた。

「!?……な、何だここは…!?」

 そして少しして気がつくと、カーミラは知らない場所にいたのである。

「ここは荒野、か…?」

 辺りを見回しても、広がるは土埃が舞い、冷風が吹きすさぶ一面の荒野。砂や岩が剥き出しになった荒れ地には草一本生えておらず、分厚い黒雲に覆われた空のせいで辺り一面闇に包まれ、不規則に発生する稲光が時折地上を照らしている。

「一体…」
『【ダークネスフィア】』
「!!」
『それがこの異界の名だ。余が創り上げた究極の戦場にして、かつて余が先代の魔王と戦った決戦の場でもある』

 そしてカーミラの前に現れたのは、同じく炎に焼かれたはずのエンペラ一世であった。

「…成程、疑問に思っていた。貴様と先王との戦いは、史上稀に見るほどの死闘だと聞く。しかしながら何故か人間も魔物も、誰もその戦いを見たことが無い」
『どちらも地上で有数の実力者故、お互い本気で戦えば地上には少なくない被害が出る。しかし、余も先代の魔王も領土の荒廃を望まなかった』
「だから、この異界で戦ったのか」
『然り。このダークネスフィアに生命は存在せぬ。故に互いに全力を尽くして闘うことが出来る』
「ふっ…」

 そこまでの説明を受け、カーミラは不敵な笑みを浮かべる。

「実に面白い。ならば私が如何に暴れようと、被害の一切を考慮する必要がないわけだ」

 カーミラはその意を示すかの如く、その強靭な両足で大地を踏み鳴らす。すると、轟音と共に地面は彼女の足型に陥没し、猛烈な土埃が舞う。

『然り』

 一方、そう答える皇帝は実に静かなものである。彼は腕組みをしたままヴァンパイアを見据え、彼女から放たれる闘気と土埃を受け流すばかりだった。

「では、一切遠慮はいらん! 死力を尽くして闘おうではないか!」
『………………』
「改めて名乗っておこう! 我は魔王軍が将、カーミラ・レファニュー!
 皇帝エンペラ一世よ、いざ参る!」

 そう口上を述べたカーミラは、己の20mほど上空へ血のように赤い氷柱のような魔力弾を無数に形成、そのままエンペラに向けて撃ち出す。

『さて、吸血鬼よ。良い運動になることを期待しているぞ』

 無数に迫る強力な魔力弾にも、皇帝は全く動じない。そして、冷笑を浮かべる彼の中にあるのは己の分を弁えずに挑んでくる、この哀れな女でどう遊んでやるかだけであった。
15/03/29 13:33更新 / フルメタル・ミサイル
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■作者メッセージ
備考:ダークネスフィア

 皇帝エンペラ一世が自領に一切の被害を出さず、かつ全力で戦える戦場を望んだが故に創り上げた異界。その性質は万魔殿(パンデモニウム)など、神々が創り上げた他の異界に類似するが、人間がその創造主という点で特異であると言える。
 想像もつかないほどの大きさを誇る荒野で、生命の気配は一切無い。また、冷風と砂埃が常に吹きすさんでおり、空は分厚い黒雲に覆われていて陽の光は一切届かないという厳しい環境である。
 そのため、陽の光を嫌うアンデッド系の魔物娘にとっては一見有利であるが、魔界と違って魔王の魔力が一切存在しないため、種族によっては生命維持に支障をきたしてしまう。
 また、ダークネスフィアはかつての皇帝と前魔王が死闘を繰り広げた舞台でもある。ここで二人は四日四晩戦ってついに決着がつかず、勝負は痛み分けとなった。この戦いは皇帝の生涯において唯一勝利を得られなかったものとなり、彼には苦い思い出となっている。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33