病める宇宙恐竜 共鳴せし悪の魂
――アイギアルム・クレア宅――
「う〜…」
時間は午後十時ほど、というところ。眠っていたゼットン青年は目を覚まし、むくりと起き上がる。
「あったま痛ぇ…」
頭に疼痛を感じ、ゼットン青年は不快そうに目を細めるが、今回が初めてではない。
浮遊島より帰還して数ヶ月経つ。当初は体調に変化が無かった彼だが、ここ数日前より、時折頭痛に悩まされたり、睡眠時にうなされたりするようになっていた。家の魔物娘達はそんな夫を心配し、また念入りに調べてくれたが、残念ながら結局その原因は分からずじまいだった。
「ん?」
だがその疑問も、己の胸に滴る見覚えのある白濁液の存在によって、やがて消えてしまった。
「なんじゃこりゃ…」
その出処である顔面が仄かに温かいのに気づいたので触ってみれば、塗りたくられたかの如く白濁液がベットリとくっついている。さらに、鼻腔に吸い込まれた匂いからしてそれが何か、彼は一瞬で把握した。
「ZZZZ……」
「オイ」
元凶が何かを悟ったゼットン青年が後ろを振り返り、そして見下ろすと、そこにあったのは枕ではない。頭をのせていた枕は床に蹴り飛ばされ、代わりに柔らかく生温かい女体、それもしとどに濡れた少女の女陰があった。
「クレア!」
「ZZZZ〜〜!」
怒鳴る夫の声にも反応せず、枕があったはずの場所でだらしなく眠りこけるのは、全裸となったクレアである。彼が頭の下に敷いていたものは、彼女の股であったのだ。
しかも、昨晩愛し合ったため、膣より大量の精液と愛液の混合物が漏れ出し、それが彼の顔にべっとりとくっついていた。恐らくは無意識に彼女の柔らかい尻尾を枕にしていたのだが、どちらかが動いたことで股に顔を埋める破目になったのだろう。
「んにゅう〜〜後五時間……」
「なんちゅう女だ……!」
隣で夫が怒っても、妻は一向に起きる気配が無い。それどころか幸せそうな顔で二本の触角と背中の羽をピコピコと動かしながら、とんでもない寝言を言い出す始末である。
「…もういいや。顔洗お」
腹立たしいが、涎を垂らして眠る妻の起きる気配は無い。その様を見た青年は頭を切り替え、これ以上の追求を諦めた。
「うっわ、ベットベトだよ……頭痛えのにサイアクだわ」
ますますその度合が増す頭痛により額を押さえ、苛立ち気味に呟くが、残念ながら液体の構成成分の半分は自分から絞り出されたものであったため、青年にも非がある。それを考えたくないため、ゼットンはさっさと洗面所に向かったのだった。
「うぅ…」
顔を洗った後、ゼットンはテーブルに用意された朝食のトーストを頬張っていたが、頭痛のせいでまともに味わうことも出来なかった。やがて、痛みの耐えかねた彼は半分になったパンを皿に置くと、目を瞑って額を押さえたのだった。
「旦那様、また頭痛で?」
「あぁ」
テーブルの向かい側に座っていたエリカが心配そうに尋ねるが、ゼットンは力無く答え、それがますます彼女の心配をあおった。
「しかも厄介なことに、段々と頻度が増してきてやがる。性交にも支障が出てるしな、早く治したいよ」
苦痛に歪む顔で青年が愚痴る通り、妻達との性交中にも頭痛は容赦無く襲ってきていた。それに青年は苛立ちを覚えており、そして妻達もまた苛立っている。
そして今でこそ幸せそうに寝ているものの、特に不機嫌だったのはクレアである。なにせ、昨日でちょうど魔王に課された『一ヶ月性交禁止』がようやく解けたので、我慢の限界を迎えていたのだが、肝心の夫の体調が良くない。それでもどうにか夫の肉棒を味わおうとしたが、性交を続けられたのはせいぜい数度で、最後には痛みのあまり結局中折れしてしまったのである。
インキュバスではありえぬ事態にクレアは驚いたが、それ以上に怒った。魔物娘にとってそれは、自分の体が射精するに値せぬということを意味するため、最大級の侮辱に当たるからだ。
しかし、ゼットン青年もわざとやっているわけではなく、別に彼女が嫌いなわけでも、彼女の体で気持ち良くなれないわけでもない。そのため仕方なく弁明したが、結局妻の機嫌はその日治ることは無く、刺々しい空気のまま眠らざるをえなかった。
「そのことなのですが…」
「ん、どうよ?」
「私の見る限り……ここ数日、旦那様の魂に若干の変化が見られます」
「魂?」
「はい」
困惑した顔で自身の見解を語るエリカ。そして、そのような知識の無いゼットン青年には何の事か分からない。
「素人には何のこっちゃ分からん。分かりやすく簡潔に説明してくれ」
「では簡単に申し上げますと、旦那様の魂が何者かの魂の影響を受けているということです。申し上げにくいことですが、その者の力は旦那様の遥か上。
故に『その者が存在している』だけで、旦那様の魂はその力に当てられるので今の状態に陥っているのです」
「……暗黒の鎧か?」
「はっきりとした事は分かりません。しかし、無関係でもないと思われます」
言葉を濁すエリカに、ゼットン青年は複雑そうな表情を浮かべる。
「……これ、その内症状が悪化して、頭痛どころか死に至るとかないよな?」
恐る恐る尋ねるゼットン。こういった事にはそのような結末がよくあるもの故、彼は心配だった。
「いえご心配なく、死に至るまでは無いかと思われます。信じられないでしょうが、御主人様の症状はむしろ軽い方なのです。
ただ、もし仮に影響を受けたのがただの一般人や勇者のような聖なる力を持つ人物だった場合は、旦那様の危惧する通りの結末となるでしょう。
不幸中の幸いなことに、恐らくはその何者かの持つ邪悪な力に旦那様は耐性を持っておられます。ただし、その者の力があまりに強大故、耐性のある旦那様ですら耐えかね、今の状態になっているのです」
「マジかよ…」
もし暗黒の鎧の力に耐性が無かった場合、今頃あの世行きだったと聞かされたゼットンは背筋が寒くなった。
「治せねーの?」
「麗羅さんにも相談してみましたが、自分の力では無理だと……」
「妖狐でもどうにもならんのか…」
聞きたくなかった答えに青年は呆然とする。神に近い力を持つと言われる妖狐ですらどうにもならないのなら、それこそ手の施しようがないのではないか。
「じゃあ、死ぬまで俺はこの頭痛に苦しまねばならねーのか!?」
そして、今度は絶望のあまり喚き出す。三度の飯より好きな性交を中断せざるを得ないほど強烈な苦しみなのだから、そんなものが死ぬまで続くとなれば、この本能の塊のような男には耐え難い地獄なのだ。
「……そう仰るのはまだ早いかと」
しかし、先ほどの困惑した様子と違い、何故かエリカはゼットンほど慌ててはいなかった。その証拠とばかりに、彼女は夫を慰めるかのように優しく微笑んだのである。
「え?」
「旦那様にはリリムのガラテア様、そして頼りになる義両親がいらっしゃるではありませんか。まずはそちらにご相談なされては如何かと」
「おぉっ、その手があった!」
何故考えつかなかったのだろう。ゼットンはそう思い、ポンと手を叩いたのだった。
――王魔界・魔王城――
「元はお尋ね者だった俺が、今じゃ魔王城を堂々とうろつける身分とはな…」
思い返せば、数奇な人生と言える。人生万事塞翁が馬というが、この男ほどそれを体現している男は恐らくおらぬのではないか。領主の三男坊を半殺しにして故郷を出奔した農民が、今や魔王の親戚として多くの魔物から敬語を使われる立場にある。
そして、彼はそれを良い事に図々しくも魔王城を闊歩し、勝手知ったる魔王城の通路を進む。
「おっ、ここだ。では…」
やがて、愛しのリリムの部屋に辿り着いたゼットン青年は、早速部屋をノックする。
「どうぞ〜」
「……失礼。お邪魔しますよ王女…殿……ッ!?」
「いらっしゃい、ゼットン君」
「………………」
部屋に入って早々に目に入ってきたのは、部屋の隅にあるベッドで全裸となって自慰行為に耽るリリムの姿だった。しかも長い時間続けていたらしく、ベッドのシーツはそのほとんどに染みが出来ている。
それを見たゼットン青年は咄嗟に目をそらすと共に、如何な身分であろうと魔物娘は淫蕩な生き物であるということを改めて実感したのだった。
「真っ昼間からお盛んな事で…」
「んもぅ、解っているのでしょ? 私達には昼も夜もないわ」
頬をほんのり桜色に染めながらそう語りつつもリリムの指は止まらず、卑猥な水音を立て続け、さらには翼を羽ばたかせてこちらに淫臭を送り付けてくる。
「その通りだ」
嘆息するゼットン青年。そう、今更説明されるまでもない。
「解ってるなら話は早いわ。さぁ、私と愛し合いましょ♪」
そうして、艶っぽい笑みを浮かべるリリムは迎え入れるように手招きし、目の前の青年を誘惑する。
「だが、今日はその用じゃねぇんだ」
「あら残念。あなたがやって来るのに気づいて準備していたのに」
しかし、今の夫にその気は無いのを知ったリリムは悲しそうに呟くと、股を閉じて黒革のパンツをはく。
どうやらこの自慰行為はただ暇を持て余したからでなく、夫の劣情を促すためにわざわざやってくれていたらしい。だが、結局その努力も無駄となってしまった。
「用件は……ここが痛いから治して欲しい」
リリムが着替え終わるのを見届けたゼットン青年は、左人差し指で自分の頭を触る。
「ふ〜ん、インキュバスがそんな病気にかかるなんて珍しいわね」
ガラテアは不思議そうな顔をしながらもベッドから立ち上がると、彼の頭を両手で触る。
「……確かに変ね。私と交わった時は、こんな魔力の流れじゃなかったはず」
「うちのエリカが言うには、暗黒の鎧絡みかもしれないって言ってた」
「……それなら納得出来るわ」
その変化を感じ取ったらしく、ガラテアの顔から笑みが消え、端正ながらも真剣な面持ちとなる。
「どんな感じ?」
「シッ!」
「………………」
目を瞑るガラテアに黙らされ、ゼットンは萎縮する。
(つい今までオナニーしてたとは思えん)
そう思うほど今のガラテアの表情は真剣で、そして険しい。
(この子の魂が、別の何者かの魂と共鳴を起こしている……)
すぐに魔力の変化及び魂の共鳴現象を感じ取ったが、ここまではエリカも探り当てている。しかし、リリムであるガラテアはさらにそこから深く調べることが出来る。
「ちょっと失礼するわね」
「あ、うん」
ガラテアは夫の額に自分の額をくっつけ、目を瞑った。
「暗い……表層部でこれなんて、このボウヤの精神はどうなっているのかしら」
ここはゼットンの精神――魅力的な肉体から切り離された意識は現実のガラテアと同じ姿となると共に、夫の魂の中を漂っていた。
そして、このリリムの呟く通り、その中は果てしない闇である。本来、人間の魂の中というものはもっと明るい色合いのはずなのだが、普段の剽軽さからは想像出来ないほどこの青年の精神は黒く染まっていた。
それはあたかもこの青年の今までの貧しい境遇、その人生を一変させた極上の女と身に余る大金によって生まれた欲望に、自身の村に封じられていた邪悪な鎧の力が合わさったかのようである。
「もっと潜らなきゃ…」
しかし、ここはまだ表層部であり、もっと深い場所に行かなければ頭痛にしろ精神の色にしろ原因は分からない。そのため、ガラテアは逆立ちとなり、そのまま下を目指して不可思議な空間を泳ぎ出した。
「あら…?」
彼の精神の中には果てしない闇が広がると思われた。しかし潜っていく内にきらびやかな黄金を思わせる手の平大の泡がいくつも浮いているのを見つけたガラテアは、泳ぐのを一旦やめてそれを手に取る。
「…なるほどね。泡の一つ一つが彼のかけがえの無い思い出、人生の軌跡なのだわ」
瞬間、ガラテアの前に広がったのは、ゼットン青年の『記憶』である。彼女の前にはスクリーンに映し出されたかの如く、かつてのゼットンの過去の光景が再現されたのだ。
まだ幼い少年の時、転んで泣いたこと。まだ両親が健在だったこと。そしてその両親が相次いで亡くなり、一人ぼっちになってしまったこと。
ある日、領主の息子を半殺しにして村から逃げ出し、その途中でクレアに出会ったこと。彼女を疑いつつも一緒に暮らし始めたこと。段々と打ち解け始めたこと。彼女の願いを知り、まぁ叶えてやってもいいかなと思ったこと。
そのために闘うが一回も勝てないため、クレアに勝ちたいといつしか本気で思い出したこと。そのために修業に励んだこと。そして、その最後で自身の限界と才能の差に気づいてしまったこと。それでも諦めずに別の方法を試したこと。
強くなるために暗黒の鎧を探し出し、手に入れてしまったこと。そのせいで攫われてしまったこと。助けに来たガラテアと出会い、契を結んだこと――泡の一つ一つにそんな青年の人生の1ページが刻まれていた。
「考えてみれば、私達はまだ出会ったばかり。私もまだまだ知らないことはいっぱいあるわ」
夫の過去に興味をもったガラテアはいくつかの泡を拾うが、その中にはゼットン青年と魔物娘達との性交中の光景もあった。そうして、その淫靡な記憶に当てられたのか、彼女の意識に熱が灯る。
「ふふっ、なかなか愉しんでいるじゃない……戦闘では無敵のディーヴァも、夫相手の性交では勝てないようね」
ガラテアが頬を染めながら呟いたのは、ベッドの上でクレアが正常位で夫にグリグリと腰を押し付けられている映像である。しかも強引な犯され方ながら、舌をだらしなく伸ばし、ビクビクと痙攣している姿からして、彼女が絶頂に達してしまっているのは明白であった。
「あら、これは別の娘ね」
その次の光景は、裸に剥かれたダークプリーストが目隠しをされ、その可憐な口内に青年の巨根を強引にねじ込まれているというもの。しかしその後続く映像では、彼女は嫌がるどころか進んでそれを美味しそうにしゃぶっていた。
「どうやら、彼は犯されるより犯す方が好きなようね。今度はその方向でいってみようかしら」
今ガラテアが鑑賞しているのはゼットン青年の記憶そのものである。そのため、彼が普段どのように魔物娘と性行為に励んでいるか丸わかりなので、彼の嗜好を知るのには最高の教材と言える。
「乱暴に犯されてるのに、こんな雌の顔をしちゃってるなんて…♪」
その次に飛び込んできたのは両手を縄で縛り上げられ、同様に縛られて無理矢理大股開きにされた雌穴をゼットン青年に乱暴に犯されるデュラハンの映像である。
彼女の首はテーブルに置かれ、嬲り者にされる己の体を最高の角度で眺めさせられている。だが、彼女は嘆くどころか被虐的な快楽に喘ぎ、騎士らしくない浅ましい雌の顔を晒してしまっていた。
そして、それを見たガラテアはうっとりし、早く自分も同じように犯されたいと思ったのだった。
「あらあら、これは凄い!」
最後の光景は、ゼットン青年がミレーユを後背位で犯していたというもの。彼女は腰を掴まれ、彼から何度も野太い一物を激しく叩きつけられて愛液を激しく撒き散らし、快楽に蕩けきった顔で獣のように喘ぎ声をあげていた。
では、何故これにガラテアが感嘆の声をあげたのかというと、彼がオーガを『犯した』からである。なにせオーガは魔物娘の中でも特に攻撃的な性行為を好むためか、正常位や後背位のような男性主導の体位はなかなかやりたがらない。
したがって、そのような体位で彼女等を犯し、快楽に喘がせたのならば、それはオーガを性行為で屈服させたという証。即ち、彼女等の夫として一人前となったのを意味するのだ。
「うふふ…」
こうして、いろいろと面白いものを見ることが出来、ガラテアは上機嫌だった。しかし、笑ってばかりもいられない。これから潜る場所は、そんな所なのである。
「さて、と…」
そんな楽しい思い出に囲まれた場所を通り過ぎると段々と泡も消え、やがて景色は再び漆黒の闇に戻る。それに伴いガラテアの顔より笑みが消え、そして闇の中に溶けていく。
(余興が終わったせいか、いよいよ“不純物”が出てきたわね)
ガラテアが感じ取ったのは、青年には本来含まれない“モノ”。それは他者の思念であり、あるいは別の魔力――そんなものが青年の魂の深淵より滲み出し、彼を苦しめている。あるいは彼の精神の黒さの一因も、それに由来するのやもしれない。
(……それにしても、何か覚えがあるような)
この深海の如き魂の黒みに紛れて見た目こそ分からぬが、それは確実に青年を蝕んでいる。しかし滲み出すそれへ触れるにつれ、何故かガラテアの頭にはこの感触が初めてでないことへの違和感が浮かんだのだった。
(これは…まさか…)
ガラテアが触れ、思い描いたもの。それはかつて自身を襲った暗黒の鎧【アーマードダークネス】の強大な力に他ならない。
しかし、ゼットン青年と既に繋がりの切れたはずの暗黒の鎧の力が今、何故彼の魂の深淵より発せられるのか?
(何故、今頃になって…)
何故かはガラテアにも分からない。そしてそれを突き止めるために、彼女はゼットン青年の魂の中に潜ったのだ。
(まぁいいわ……漏れだすからには傷なり孔なりあるはず。まずはそれからね)
ゼットン青年ともう一人、この力の持ち主の魂は共鳴し、それがゼットン青年の体調に悪影響を与えている。その力が恐らくはゼットン青年の魂の最深部に傷なり孔なりを作ってしまい、そのまま流れこんで今の状況を作り出しているのだろう。
そして、ガラテアは力の漏れだす孔を探すべく、その白い翼を大きくはためかせると、さらに深く深く彼の魂の中へ潜っていく。
「うっ……!」
とうとう、ゼットンの魂の最深部までガラテアは辿り着いた。そして、そこにはガラテアがそのまま通り抜けられそうなほどの大穴が開いていたのである。
恐ろしいことに、孔からはリリムですら吐き気をもよおすほど強烈で邪悪な魔力の激流が噴き出しており、それがそのまま上へ昇っていっている。さらに、その危険さはリリムですら咄嗟に口を覆い、漏れ出すそれを吸い込まないようにしたほどだった。
「何よコレは!?」
信じられないといった様子で叫ぶガラテア。それが魔物の魔力でないのは、ガラテアには一目で分かったのだ。
どんなに強大な力を持った魔物でも、このように邪悪で、人間に対して不快感を与えるような魔力の持ち主など存在しない。
「とにかく塞いだ方が良さそうね。こんなものを浴び続けたんじゃ、このボウヤに悪影響しかないわ」
この力がもたらされる原因は気になるが、同種の力だという時点で、おおよそ暗黒の鎧絡みだと想像は出来る。それ故、ガラテアは現時点でこれ以上の追求はせず、青年の症状の回復を優先することにした。
そして、ガラテアは傷口に魔力を籠めた右手を翳す。
「ん?」
するとそこへ、傷口より薄い燐光を帯びた紫色の泡が一つ浮かんでくるのがふと目に入る。そして癖になっているのか、先ほどと同じく咄嗟にガラテアはそれを手にとってしまった。
「あっ…!?」
先ほどと違ってこの泡は黄金色でない。したがって魂に浮かぶ泡だからといって、そもそも記憶の欠片であるとは限らない。
つい軽率な行動を取ってしまって後悔したが、幸いなことにガラテアの身には何も起きなかった。
「…よかった、別に罠とかじゃなかったのね。ってことは、これも記憶の欠片なのかしら」
安心し、一息つくガラテア。そして泡を握り潰し、そこに秘められた過去の光景を再現する。
「え…!?」
安心したのも束の間、映し出された光景を見て驚愕するガラテア。今ここで再現されたのはゼットン青年の貧困に喘いだ村時代、及びクレアと出会ってからの七年ではなかったのだ。
「な、何なのこれ…!」
そこにあったのは阿鼻叫喚の戦場だった。屈強な数万もの兵士達が、『たった一人相手に』為す術もなく殺されていくという非現実的な光景――魔物娘が世界の大半を覆い尽くした今では見ることも無くなった“この世の地獄”だった。
「い、一体…これは誰の記憶なの…!?」
空に浮かぶ『その男』の右手より極太の光線が照射され、直下の大軍を薙ぎ払う。彼等は防ぎようもない攻撃に慄き、絶叫し、例えようもない絶望を味わいながら死んでいく。
(ひ、ひどすぎる…! まるで虫ケラでも踏み潰すみたいに!)
ガラテアが驚きつつも憤る通り、男の攻撃には一切の躊躇がない。彼はただそういう作業だと言わんばかりに、敵兵を瞬く間に殲滅していった。
そのような徹底的な攻撃が続き、やがて生命の気配も無くなったところで、この殺戮の極光は止む。その後に残るは、ただ圧倒的な熱と炎、そして瘴気が残るだけの焦土であった。
そこへ『漆黒の甲冑に身を包んだ男』は降り立つと、悠然と闊歩する。
「!!!!」
最早戦いとも言えぬ、一方的な虐殺――しかし男にあるのは、派手な殺戮に対する陶酔でも、眼下の敵を無傷で滅ぼしたことへの喜びでもない。それどころか、彼にとってこの虐殺は不愉快さに満ちたものだった。
あまりの歯応えのなさ、つまらなさ――あれだけの人数が集まっておきながら、自分に対して何の反撃も出来なかったという事実。
せめて戦いになることを期待していたが、その願いも虚しく、結局勝負はあまりにも一方的な展開となった。それこそ害虫駆除に等しく、得るものなど何も無かったのだ。
「まさか…!」
その男とガラテアは面識があるわけではない。しかし、所々で映る見覚えのある黒い甲冑から、彼女は男が誰なのかを悟る。
「…いえ、そんなはずないわ! あの男は先代の陛下の呪いによって死んだはず!」
映像より伝わったのは、その常軌を逸した戦闘力だけではない。
侵しがたい威厳、息苦しさを覚えるほどの圧倒的な重圧、全身より噴き出す凄まじい魔力。そして数万もの人間を殺戮しておきながら、一切の後悔も見せない冷徹さ。
その特徴はガラテアがかつて母より聞き及んだものと一致していたが、ガラテアはどうしてもそれを認めたくなかった。
「…なら、この男は一体……」
認めたくはない。認めたくはないが、目の前の映像は残酷な事実を物語っていた。
(………………)
何故、帝国残党は我が夫を攫ったのか?
あれほどの長い期間身を隠していたにもかかわらず、今になって軽率にも姿を現したのか?
彼等は夫の肉体を使って何をしようとしていたのか?
夫と私が逃げ出したにもかかわらず、何故追ってこないのか?
(左腕……)
ガラテアの脳裏にはその時、夫の切断された左腕のイメージがふと浮かんだ。
(――『そして、そんな破綻した生物の寄り合いを安定させ、支配するためには、絶対的な“力”を持った存在が必要というわけです』)
次いで、七戮将メフィラスの言葉が浮かぶ。
(……まさかあの連中の目的は!!)
情報の断片がガラテアの中で結びつき、最悪の結論へと至る。
「皇帝――エンペラ一世の復活……ッ!!」
真相に気づき、歯噛みするガラテア。そして信憑性を深めるかのように、ゼットン青年の魂の傷より噴き出す邪悪な力は、ますます勢いを強めるのだった。
――エンペラ帝国領フリドニア西部、ゲゲル平野――
一方その頃。一ヶ月ほど前、かつて滅んだエンペラ帝国を名乗る輩に攻め落とされ、そのまま乗っ取られたフリドニア教国。
敗戦の責を問われて王侯貴族は皆処刑されるという、迅速ながらも血生臭い形で首脳部のすげ替えが起きたわけだが、それに対する目に見えた不満は今のところ出ていない。今のところ暴動や内乱も怒っておらず、不気味なほど穏やかである。
しかし領内は安定していても、境を接する周辺諸国は気が気でない。内部に多くの腐敗を抱えてはいても、フリドニアは教団圏最強の地位を守っていた。実際、十七万という兵力を持てる国は他にないのだ。
そんなフリドニアがわずか一週間ばかりで攻め落とされ、王侯貴族を皆殺しにされるなどという事態が起きるなどと誰が予想しよう。しかも攻め込んだ賊はその実力ばかりでなく、躊躇なく粛清を行い、一切の憂いを断つという冷徹さと周到さも持っていた。
とはいえ、まだ攻め落としたばかりのため、彼等は領内の安定に力を注いでいる。それを察知した周辺諸国は今が好機だとばかりに連合を形成し、このフリドニアに早速攻め寄せてきていたのだった。
「た、退却〜〜! 全軍退却せよ!」
その第一陣、三個大隊約三千名が今日の午前に到着し、隣国と境を接するフリドニア西部のゲゲル平野より攻め込んだ。正午過ぎとなった今でも、両軍との間で戦闘が続いている。
「ウワァァァァ!!」
「に、逃げろ! 逃げろ〜っ!」
しかし、待ち受けていた敵兵の苛烈な攻勢にあったせいで先遣隊の旗色が悪くなった上、兵士達は逃げ腰となり、とても勝負にならない。その惨状を見て指揮官も撤退を決意し、号令をかけた。
『馬鹿め、逃がすか!』
しかし、引き上げようと平野の先にある隣国との境に殺到する彼等の前を、巨大な黄金の閃光が薙ぎ払う。それ自体は肝心の兵士達からは外れたものの、そのあまりの威力に地面は溶解、底が見えないほどの巨大な穴が開いてしまった。
「くっそォォ! 逃げられねェ!」
『『『『『『『『ヒャヒャヒャヒャ!!!!』』』』』』』』
「う、うわ!?」
「か、囲まれてる!? いつの間に回りこんでやがった!?」
兵士達が驚きの声をあげて周囲を見回す通り、いつの間にか現れたエンペラ帝国軍の一隊が先回りしており、彼等の逃げ道を塞いでいた。それも先遣隊と同じぐらい、もしくは少し上回っていると思われるほどの数がおり、とても逃げきれるような状態ではない。
『グォ〜ッフォッフォッ! わざわざ殺されに来るとは奇特な奴等よ!』
『ギャギャギャギャ! しかし嫌いじゃないぜ、そういう愚かモンどもはよォ!』
帝国軍の将兵達は嘲笑をあげ、この哀れな兵士達の一団をどう料理しようか見定めている。
『ギャッギャッ! 兄貴、こいつらをどう料理するかね!?』
『おぉ、弟よ。吾輩はバーベキューにしようと思う』
『おぉっ、俺も同じ考えだったぜ!』
『これは奇遇だ。だがまぁ、どう料理しようが、人間の肉なら食えんがなァ!』
『ギャギャギャギャ! 違いねぇ! 殺したっきり、それでオシマイだァ!』
「勝手なこと言いやがって…!」
「上等じゃねぇか! ブッ殺してやらァ!」
やがて帝国軍の中から将らしき二人組が現れ、実に勝手なことを話し合いだした。そして一つだけ明らかなのは、その会話の内容からして、二人は兄弟だということである。
中肉中背で豊かな黒髭を生やした兄の方は雰囲気と言葉遣いから、恐らくは中年程度の年齢と思われる。青紫色の分厚く、そして奇怪な形状の甲冑で隙間なく身を覆っているが、それ以上に目立つのは両腕に金属で出来た巨大な蟹の鋏状の武器を装着していることだ。
一方、銀色の短髪を生やした弟の方は精悍な顔つきで、兄より大柄で筋肉質、身長も2m近いが、若々しい見た目のため、まだ三十代前半といったところだろう。所々緑色で縁取られた、全身に鋭い鋲を据え付けられた銀色の甲冑を纏っている。
しかし、それよりも遥かに目立つのは担いでいる大鎌だった。柄の先端には巨大な両刃の穂先、その横からは鎌状の同じく巨大な刃が水平に伸び、石突からも鎖で繋がれた大きな棘付き鉄球が付いていた。
「背教者の分際でナメやがって!」
「こうなったら斬り死にするまでよ!」
「そうだ! このまま逃げおおせたら、我等は天下の物笑いぞ!
者ども、かかれ! 我等、神々の使徒の強さを見せてやれ!」
「「「「「「「「うおおらぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」」」」」」」」
彼等の悲惨な未来を予想し、嘲笑う帝国兵達。そんな中血路を開くべく指揮官は号令をかけ、応じた連合兵士達は今までの逃げ腰が嘘のように殺気立ち、そのまま敵将の二人及び帝国兵達に殺到する。
『おうおう、そんなに死にたいのなら…』
『望み通りにしてやるぜェ!』
しかし、それこそ敵の思う壺であった。
『【ゴールドテンペスト】!!』
兄の両腕に装備された巨大な蟹鋏が開くと、そこから先ほどと同じ黄金の破壊閃光が敵目がけて放たれる。
『【マルチヘルサイクロン】!!』
弟も大鎌を振り回すと、そこから火炎、冷気、稲妻、暴風の混ざった巨大な竜巻が発生、唸りをあげて突き進む。
「「「「「「「「ウワアアァァァァギャアアアアアアァァァァァァァァッッッッ!!!!」」」」」」」」
黄金の破壊光線、そして四属性の混ざり合う竜巻はこの哀れな集団に直撃すると、切り刻み、焼き尽くし、爆発し、感電させ、蒸発させ、あるいは凍りつかせた。
彼等は凄絶な断末魔をあげ、各々全く違う方法で虐殺されていく。
『非力なり! これで帝国を滅ぼそうなどとは片腹痛い!』
エンペラ帝国軍 皇帝直轄軍・テンペラー隊隊長
“極暴兄弟・兄 極悪のテンペラー” テンペラー・ヴィラニアス
『ギャァァァァ〜〜! いやいや、それは違うぜ兄貴!
俺達と比べちゃぁ、敵さんが可哀想ってもんだぜ!』
エンペラ帝国軍 皇帝直轄軍・タイラント隊隊長
“極暴兄弟・弟 暴君タイラント” タイラント・ヴィラニアス
『あぁ〜〜〜〜っ! 隊長方、ズルいですよ!』
『ギャ?』
『俺達の分も残してくれませんと!』
『そうですよ! 俺達も暴れたいんです!! これじゃ手柄もクソもない!』
『あ、イカン…』
『ギャァ〜、やっちまったぜ!』
こうして、敵兵は残らず片付けた。しかしテンペラー隊とタイラント隊の部下双方からの抗議を受け、ヴィラニアス兄弟は喜ぶどころか気まずそうに顔を見合わせたのだった。
――フリドニア城・玉座の間――
『失礼いたします!』
時間は午後二時ほど。伝令の兵士が、皇帝へ報告にやって来た。
『報告を聞こう』
『はっ! 展開した各部隊は全て、本日今朝より攻め込んできた連合軍先遣隊の掃討を完了させたとのことにございます!』
『うむ、そうか』
報告を受け、玉座に座す皇帝は目を瞑って頷く。
『御苦労。各部隊には十分な休息を取るよう伝えよ』
『はっ、ただちに! では、失礼いたします!』
兵士は敬礼をすると、そのまま玉座の間を後にする。それを見届けた皇帝は肘掛けに頬杖をつき、今朝の侵攻について考えた。
(三千か……捨て石にしては少々多いな)
攻め込んできた敵の先遣隊は、迎え撃った帝国軍各部隊の猛攻を受け、領内に侵入した数時間後には壊滅させられた。
しかし、彼等は先遣隊であり、帝国軍の戦力を測るための捨て駒なのは皇帝も承知している。そもそも、今回発足した連合軍は教団上層部の檄により、教団圏国家群がしぶしぶ戦力を出し合ったものなのだ。当然、その構成国家の間には優劣・強弱があり、さらにはそれらの思惑が複雑に絡み合っている。
そして今回送られた部隊は、その中でも国力及び立場の弱い国から集めた烏合の衆と言ってもいい集団である。
半ば無理矢理行かされたために士気は低く、軍事訓練を受けているとはいえ寄せ集めなので練度もバラバラ。何より集められて間もないために部隊間の連携にも問題があるという有り様で、明らかな調整不足が露呈していた。
加えて悲しいことに、フリドニアから逃げ帰った者は皆無であり、戦力を測るという目的自体も結局失敗してしまっている。それどころか、肝心の戦力に多数のほころびがあるというのを、逆に帝国に暴露するという失態を犯してしまったのだった。
(たかが偵察のために、教団の馬鹿どもはみすみす三千の兵を失わせた。今は握り潰せても、それが後々尾を引こう)
いくら烏合の衆とはいえ、三千というのはちょっとした数である。当然、兵力を供出させられた国々は無茶な作戦を行なった教団上層部を恨んでいるに違いない。今は黙らせられても、この戦いが長引けば不満は増大し、それが後々禍根となるだろう。
『むぅ……』
皇帝は戦略を練るために集中していたが、頭に走るむず痒い感覚により、それを中断してしまう。
彼は復活後、時折僅かだが“違和感”を感じることがあった。抽象的で説明の難しい感覚であるので、このような言葉でしか表すことしか出来ないが、そのようなものを感じるのである。
『………………』
はっきり言って不快なものである。しかし、そう回数の多いものでもなく、少し鬱陶しいものではあるが他にやる事が山積みである以上、放置していた。
(後で医者に診てもらうか…)
症状自体は軽微であるので、皇帝はそれ以上深く考えなかった。
エンペラ帝国皇帝、エンペラ一世。現世に甦った彼の依代に使われた肉体は、ゼットン青年の左腕から作り上げられたクローン体である。
即ち、彼等は宿る魂が違えども、元々その肉体(うつわ)は同じなのだ。そして、同じ細胞を持つ者同士、影響を与え合い、さらにこれがゼットン青年の頭痛及び皇帝の肉体への僅かな違和感に繋がっていた。
しかし、その肉体は同じでも、魂の強さや性質には圧倒的な差があり、お互いの症状も違う。皇帝の方は、漏れ出た力が本人にとっては僅かな異常だとしか認識出来ない程度のものであった。
だが、それでも青年の方では日常生活に支障が出ている。お互いの魂を通じ、青年側に皇帝の力が僅かに流れ込んでいるのだが、その僅かなものですらこの青年には強力すぎたのだ。それは彼が先天的にこの力に耐性を持ち、さらにはリリムの夫となってその力を飛躍的に増しているにもかかわらず、である。
逆に皇帝にとっては、せいぜい咳や鼻水程度の扱いなので、鬱陶しく思っても深刻視はしておらず、原因の特定をする気も無い。そして、それが二人の魂の関係を皇帝に気づかせないことに繋がっている。
では、仮に気づいたらどうなるか?――恐らく、皇帝はゼットン青年のことをそのままにはしておかぬだろう。つまり、皇帝がこの症状を放置しておく限り、青年の身の安全は保たれるのだ。
「う〜…」
時間は午後十時ほど、というところ。眠っていたゼットン青年は目を覚まし、むくりと起き上がる。
「あったま痛ぇ…」
頭に疼痛を感じ、ゼットン青年は不快そうに目を細めるが、今回が初めてではない。
浮遊島より帰還して数ヶ月経つ。当初は体調に変化が無かった彼だが、ここ数日前より、時折頭痛に悩まされたり、睡眠時にうなされたりするようになっていた。家の魔物娘達はそんな夫を心配し、また念入りに調べてくれたが、残念ながら結局その原因は分からずじまいだった。
「ん?」
だがその疑問も、己の胸に滴る見覚えのある白濁液の存在によって、やがて消えてしまった。
「なんじゃこりゃ…」
その出処である顔面が仄かに温かいのに気づいたので触ってみれば、塗りたくられたかの如く白濁液がベットリとくっついている。さらに、鼻腔に吸い込まれた匂いからしてそれが何か、彼は一瞬で把握した。
「ZZZZ……」
「オイ」
元凶が何かを悟ったゼットン青年が後ろを振り返り、そして見下ろすと、そこにあったのは枕ではない。頭をのせていた枕は床に蹴り飛ばされ、代わりに柔らかく生温かい女体、それもしとどに濡れた少女の女陰があった。
「クレア!」
「ZZZZ〜〜!」
怒鳴る夫の声にも反応せず、枕があったはずの場所でだらしなく眠りこけるのは、全裸となったクレアである。彼が頭の下に敷いていたものは、彼女の股であったのだ。
しかも、昨晩愛し合ったため、膣より大量の精液と愛液の混合物が漏れ出し、それが彼の顔にべっとりとくっついていた。恐らくは無意識に彼女の柔らかい尻尾を枕にしていたのだが、どちらかが動いたことで股に顔を埋める破目になったのだろう。
「んにゅう〜〜後五時間……」
「なんちゅう女だ……!」
隣で夫が怒っても、妻は一向に起きる気配が無い。それどころか幸せそうな顔で二本の触角と背中の羽をピコピコと動かしながら、とんでもない寝言を言い出す始末である。
「…もういいや。顔洗お」
腹立たしいが、涎を垂らして眠る妻の起きる気配は無い。その様を見た青年は頭を切り替え、これ以上の追求を諦めた。
「うっわ、ベットベトだよ……頭痛えのにサイアクだわ」
ますますその度合が増す頭痛により額を押さえ、苛立ち気味に呟くが、残念ながら液体の構成成分の半分は自分から絞り出されたものであったため、青年にも非がある。それを考えたくないため、ゼットンはさっさと洗面所に向かったのだった。
「うぅ…」
顔を洗った後、ゼットンはテーブルに用意された朝食のトーストを頬張っていたが、頭痛のせいでまともに味わうことも出来なかった。やがて、痛みの耐えかねた彼は半分になったパンを皿に置くと、目を瞑って額を押さえたのだった。
「旦那様、また頭痛で?」
「あぁ」
テーブルの向かい側に座っていたエリカが心配そうに尋ねるが、ゼットンは力無く答え、それがますます彼女の心配をあおった。
「しかも厄介なことに、段々と頻度が増してきてやがる。性交にも支障が出てるしな、早く治したいよ」
苦痛に歪む顔で青年が愚痴る通り、妻達との性交中にも頭痛は容赦無く襲ってきていた。それに青年は苛立ちを覚えており、そして妻達もまた苛立っている。
そして今でこそ幸せそうに寝ているものの、特に不機嫌だったのはクレアである。なにせ、昨日でちょうど魔王に課された『一ヶ月性交禁止』がようやく解けたので、我慢の限界を迎えていたのだが、肝心の夫の体調が良くない。それでもどうにか夫の肉棒を味わおうとしたが、性交を続けられたのはせいぜい数度で、最後には痛みのあまり結局中折れしてしまったのである。
インキュバスではありえぬ事態にクレアは驚いたが、それ以上に怒った。魔物娘にとってそれは、自分の体が射精するに値せぬということを意味するため、最大級の侮辱に当たるからだ。
しかし、ゼットン青年もわざとやっているわけではなく、別に彼女が嫌いなわけでも、彼女の体で気持ち良くなれないわけでもない。そのため仕方なく弁明したが、結局妻の機嫌はその日治ることは無く、刺々しい空気のまま眠らざるをえなかった。
「そのことなのですが…」
「ん、どうよ?」
「私の見る限り……ここ数日、旦那様の魂に若干の変化が見られます」
「魂?」
「はい」
困惑した顔で自身の見解を語るエリカ。そして、そのような知識の無いゼットン青年には何の事か分からない。
「素人には何のこっちゃ分からん。分かりやすく簡潔に説明してくれ」
「では簡単に申し上げますと、旦那様の魂が何者かの魂の影響を受けているということです。申し上げにくいことですが、その者の力は旦那様の遥か上。
故に『その者が存在している』だけで、旦那様の魂はその力に当てられるので今の状態に陥っているのです」
「……暗黒の鎧か?」
「はっきりとした事は分かりません。しかし、無関係でもないと思われます」
言葉を濁すエリカに、ゼットン青年は複雑そうな表情を浮かべる。
「……これ、その内症状が悪化して、頭痛どころか死に至るとかないよな?」
恐る恐る尋ねるゼットン。こういった事にはそのような結末がよくあるもの故、彼は心配だった。
「いえご心配なく、死に至るまでは無いかと思われます。信じられないでしょうが、御主人様の症状はむしろ軽い方なのです。
ただ、もし仮に影響を受けたのがただの一般人や勇者のような聖なる力を持つ人物だった場合は、旦那様の危惧する通りの結末となるでしょう。
不幸中の幸いなことに、恐らくはその何者かの持つ邪悪な力に旦那様は耐性を持っておられます。ただし、その者の力があまりに強大故、耐性のある旦那様ですら耐えかね、今の状態になっているのです」
「マジかよ…」
もし暗黒の鎧の力に耐性が無かった場合、今頃あの世行きだったと聞かされたゼットンは背筋が寒くなった。
「治せねーの?」
「麗羅さんにも相談してみましたが、自分の力では無理だと……」
「妖狐でもどうにもならんのか…」
聞きたくなかった答えに青年は呆然とする。神に近い力を持つと言われる妖狐ですらどうにもならないのなら、それこそ手の施しようがないのではないか。
「じゃあ、死ぬまで俺はこの頭痛に苦しまねばならねーのか!?」
そして、今度は絶望のあまり喚き出す。三度の飯より好きな性交を中断せざるを得ないほど強烈な苦しみなのだから、そんなものが死ぬまで続くとなれば、この本能の塊のような男には耐え難い地獄なのだ。
「……そう仰るのはまだ早いかと」
しかし、先ほどの困惑した様子と違い、何故かエリカはゼットンほど慌ててはいなかった。その証拠とばかりに、彼女は夫を慰めるかのように優しく微笑んだのである。
「え?」
「旦那様にはリリムのガラテア様、そして頼りになる義両親がいらっしゃるではありませんか。まずはそちらにご相談なされては如何かと」
「おぉっ、その手があった!」
何故考えつかなかったのだろう。ゼットンはそう思い、ポンと手を叩いたのだった。
――王魔界・魔王城――
「元はお尋ね者だった俺が、今じゃ魔王城を堂々とうろつける身分とはな…」
思い返せば、数奇な人生と言える。人生万事塞翁が馬というが、この男ほどそれを体現している男は恐らくおらぬのではないか。領主の三男坊を半殺しにして故郷を出奔した農民が、今や魔王の親戚として多くの魔物から敬語を使われる立場にある。
そして、彼はそれを良い事に図々しくも魔王城を闊歩し、勝手知ったる魔王城の通路を進む。
「おっ、ここだ。では…」
やがて、愛しのリリムの部屋に辿り着いたゼットン青年は、早速部屋をノックする。
「どうぞ〜」
「……失礼。お邪魔しますよ王女…殿……ッ!?」
「いらっしゃい、ゼットン君」
「………………」
部屋に入って早々に目に入ってきたのは、部屋の隅にあるベッドで全裸となって自慰行為に耽るリリムの姿だった。しかも長い時間続けていたらしく、ベッドのシーツはそのほとんどに染みが出来ている。
それを見たゼットン青年は咄嗟に目をそらすと共に、如何な身分であろうと魔物娘は淫蕩な生き物であるということを改めて実感したのだった。
「真っ昼間からお盛んな事で…」
「んもぅ、解っているのでしょ? 私達には昼も夜もないわ」
頬をほんのり桜色に染めながらそう語りつつもリリムの指は止まらず、卑猥な水音を立て続け、さらには翼を羽ばたかせてこちらに淫臭を送り付けてくる。
「その通りだ」
嘆息するゼットン青年。そう、今更説明されるまでもない。
「解ってるなら話は早いわ。さぁ、私と愛し合いましょ♪」
そうして、艶っぽい笑みを浮かべるリリムは迎え入れるように手招きし、目の前の青年を誘惑する。
「だが、今日はその用じゃねぇんだ」
「あら残念。あなたがやって来るのに気づいて準備していたのに」
しかし、今の夫にその気は無いのを知ったリリムは悲しそうに呟くと、股を閉じて黒革のパンツをはく。
どうやらこの自慰行為はただ暇を持て余したからでなく、夫の劣情を促すためにわざわざやってくれていたらしい。だが、結局その努力も無駄となってしまった。
「用件は……ここが痛いから治して欲しい」
リリムが着替え終わるのを見届けたゼットン青年は、左人差し指で自分の頭を触る。
「ふ〜ん、インキュバスがそんな病気にかかるなんて珍しいわね」
ガラテアは不思議そうな顔をしながらもベッドから立ち上がると、彼の頭を両手で触る。
「……確かに変ね。私と交わった時は、こんな魔力の流れじゃなかったはず」
「うちのエリカが言うには、暗黒の鎧絡みかもしれないって言ってた」
「……それなら納得出来るわ」
その変化を感じ取ったらしく、ガラテアの顔から笑みが消え、端正ながらも真剣な面持ちとなる。
「どんな感じ?」
「シッ!」
「………………」
目を瞑るガラテアに黙らされ、ゼットンは萎縮する。
(つい今までオナニーしてたとは思えん)
そう思うほど今のガラテアの表情は真剣で、そして険しい。
(この子の魂が、別の何者かの魂と共鳴を起こしている……)
すぐに魔力の変化及び魂の共鳴現象を感じ取ったが、ここまではエリカも探り当てている。しかし、リリムであるガラテアはさらにそこから深く調べることが出来る。
「ちょっと失礼するわね」
「あ、うん」
ガラテアは夫の額に自分の額をくっつけ、目を瞑った。
「暗い……表層部でこれなんて、このボウヤの精神はどうなっているのかしら」
ここはゼットンの精神――魅力的な肉体から切り離された意識は現実のガラテアと同じ姿となると共に、夫の魂の中を漂っていた。
そして、このリリムの呟く通り、その中は果てしない闇である。本来、人間の魂の中というものはもっと明るい色合いのはずなのだが、普段の剽軽さからは想像出来ないほどこの青年の精神は黒く染まっていた。
それはあたかもこの青年の今までの貧しい境遇、その人生を一変させた極上の女と身に余る大金によって生まれた欲望に、自身の村に封じられていた邪悪な鎧の力が合わさったかのようである。
「もっと潜らなきゃ…」
しかし、ここはまだ表層部であり、もっと深い場所に行かなければ頭痛にしろ精神の色にしろ原因は分からない。そのため、ガラテアは逆立ちとなり、そのまま下を目指して不可思議な空間を泳ぎ出した。
「あら…?」
彼の精神の中には果てしない闇が広がると思われた。しかし潜っていく内にきらびやかな黄金を思わせる手の平大の泡がいくつも浮いているのを見つけたガラテアは、泳ぐのを一旦やめてそれを手に取る。
「…なるほどね。泡の一つ一つが彼のかけがえの無い思い出、人生の軌跡なのだわ」
瞬間、ガラテアの前に広がったのは、ゼットン青年の『記憶』である。彼女の前にはスクリーンに映し出されたかの如く、かつてのゼットンの過去の光景が再現されたのだ。
まだ幼い少年の時、転んで泣いたこと。まだ両親が健在だったこと。そしてその両親が相次いで亡くなり、一人ぼっちになってしまったこと。
ある日、領主の息子を半殺しにして村から逃げ出し、その途中でクレアに出会ったこと。彼女を疑いつつも一緒に暮らし始めたこと。段々と打ち解け始めたこと。彼女の願いを知り、まぁ叶えてやってもいいかなと思ったこと。
そのために闘うが一回も勝てないため、クレアに勝ちたいといつしか本気で思い出したこと。そのために修業に励んだこと。そして、その最後で自身の限界と才能の差に気づいてしまったこと。それでも諦めずに別の方法を試したこと。
強くなるために暗黒の鎧を探し出し、手に入れてしまったこと。そのせいで攫われてしまったこと。助けに来たガラテアと出会い、契を結んだこと――泡の一つ一つにそんな青年の人生の1ページが刻まれていた。
「考えてみれば、私達はまだ出会ったばかり。私もまだまだ知らないことはいっぱいあるわ」
夫の過去に興味をもったガラテアはいくつかの泡を拾うが、その中にはゼットン青年と魔物娘達との性交中の光景もあった。そうして、その淫靡な記憶に当てられたのか、彼女の意識に熱が灯る。
「ふふっ、なかなか愉しんでいるじゃない……戦闘では無敵のディーヴァも、夫相手の性交では勝てないようね」
ガラテアが頬を染めながら呟いたのは、ベッドの上でクレアが正常位で夫にグリグリと腰を押し付けられている映像である。しかも強引な犯され方ながら、舌をだらしなく伸ばし、ビクビクと痙攣している姿からして、彼女が絶頂に達してしまっているのは明白であった。
「あら、これは別の娘ね」
その次の光景は、裸に剥かれたダークプリーストが目隠しをされ、その可憐な口内に青年の巨根を強引にねじ込まれているというもの。しかしその後続く映像では、彼女は嫌がるどころか進んでそれを美味しそうにしゃぶっていた。
「どうやら、彼は犯されるより犯す方が好きなようね。今度はその方向でいってみようかしら」
今ガラテアが鑑賞しているのはゼットン青年の記憶そのものである。そのため、彼が普段どのように魔物娘と性行為に励んでいるか丸わかりなので、彼の嗜好を知るのには最高の教材と言える。
「乱暴に犯されてるのに、こんな雌の顔をしちゃってるなんて…♪」
その次に飛び込んできたのは両手を縄で縛り上げられ、同様に縛られて無理矢理大股開きにされた雌穴をゼットン青年に乱暴に犯されるデュラハンの映像である。
彼女の首はテーブルに置かれ、嬲り者にされる己の体を最高の角度で眺めさせられている。だが、彼女は嘆くどころか被虐的な快楽に喘ぎ、騎士らしくない浅ましい雌の顔を晒してしまっていた。
そして、それを見たガラテアはうっとりし、早く自分も同じように犯されたいと思ったのだった。
「あらあら、これは凄い!」
最後の光景は、ゼットン青年がミレーユを後背位で犯していたというもの。彼女は腰を掴まれ、彼から何度も野太い一物を激しく叩きつけられて愛液を激しく撒き散らし、快楽に蕩けきった顔で獣のように喘ぎ声をあげていた。
では、何故これにガラテアが感嘆の声をあげたのかというと、彼がオーガを『犯した』からである。なにせオーガは魔物娘の中でも特に攻撃的な性行為を好むためか、正常位や後背位のような男性主導の体位はなかなかやりたがらない。
したがって、そのような体位で彼女等を犯し、快楽に喘がせたのならば、それはオーガを性行為で屈服させたという証。即ち、彼女等の夫として一人前となったのを意味するのだ。
「うふふ…」
こうして、いろいろと面白いものを見ることが出来、ガラテアは上機嫌だった。しかし、笑ってばかりもいられない。これから潜る場所は、そんな所なのである。
「さて、と…」
そんな楽しい思い出に囲まれた場所を通り過ぎると段々と泡も消え、やがて景色は再び漆黒の闇に戻る。それに伴いガラテアの顔より笑みが消え、そして闇の中に溶けていく。
(余興が終わったせいか、いよいよ“不純物”が出てきたわね)
ガラテアが感じ取ったのは、青年には本来含まれない“モノ”。それは他者の思念であり、あるいは別の魔力――そんなものが青年の魂の深淵より滲み出し、彼を苦しめている。あるいは彼の精神の黒さの一因も、それに由来するのやもしれない。
(……それにしても、何か覚えがあるような)
この深海の如き魂の黒みに紛れて見た目こそ分からぬが、それは確実に青年を蝕んでいる。しかし滲み出すそれへ触れるにつれ、何故かガラテアの頭にはこの感触が初めてでないことへの違和感が浮かんだのだった。
(これは…まさか…)
ガラテアが触れ、思い描いたもの。それはかつて自身を襲った暗黒の鎧【アーマードダークネス】の強大な力に他ならない。
しかし、ゼットン青年と既に繋がりの切れたはずの暗黒の鎧の力が今、何故彼の魂の深淵より発せられるのか?
(何故、今頃になって…)
何故かはガラテアにも分からない。そしてそれを突き止めるために、彼女はゼットン青年の魂の中に潜ったのだ。
(まぁいいわ……漏れだすからには傷なり孔なりあるはず。まずはそれからね)
ゼットン青年ともう一人、この力の持ち主の魂は共鳴し、それがゼットン青年の体調に悪影響を与えている。その力が恐らくはゼットン青年の魂の最深部に傷なり孔なりを作ってしまい、そのまま流れこんで今の状況を作り出しているのだろう。
そして、ガラテアは力の漏れだす孔を探すべく、その白い翼を大きくはためかせると、さらに深く深く彼の魂の中へ潜っていく。
「うっ……!」
とうとう、ゼットンの魂の最深部までガラテアは辿り着いた。そして、そこにはガラテアがそのまま通り抜けられそうなほどの大穴が開いていたのである。
恐ろしいことに、孔からはリリムですら吐き気をもよおすほど強烈で邪悪な魔力の激流が噴き出しており、それがそのまま上へ昇っていっている。さらに、その危険さはリリムですら咄嗟に口を覆い、漏れ出すそれを吸い込まないようにしたほどだった。
「何よコレは!?」
信じられないといった様子で叫ぶガラテア。それが魔物の魔力でないのは、ガラテアには一目で分かったのだ。
どんなに強大な力を持った魔物でも、このように邪悪で、人間に対して不快感を与えるような魔力の持ち主など存在しない。
「とにかく塞いだ方が良さそうね。こんなものを浴び続けたんじゃ、このボウヤに悪影響しかないわ」
この力がもたらされる原因は気になるが、同種の力だという時点で、おおよそ暗黒の鎧絡みだと想像は出来る。それ故、ガラテアは現時点でこれ以上の追求はせず、青年の症状の回復を優先することにした。
そして、ガラテアは傷口に魔力を籠めた右手を翳す。
「ん?」
するとそこへ、傷口より薄い燐光を帯びた紫色の泡が一つ浮かんでくるのがふと目に入る。そして癖になっているのか、先ほどと同じく咄嗟にガラテアはそれを手にとってしまった。
「あっ…!?」
先ほどと違ってこの泡は黄金色でない。したがって魂に浮かぶ泡だからといって、そもそも記憶の欠片であるとは限らない。
つい軽率な行動を取ってしまって後悔したが、幸いなことにガラテアの身には何も起きなかった。
「…よかった、別に罠とかじゃなかったのね。ってことは、これも記憶の欠片なのかしら」
安心し、一息つくガラテア。そして泡を握り潰し、そこに秘められた過去の光景を再現する。
「え…!?」
安心したのも束の間、映し出された光景を見て驚愕するガラテア。今ここで再現されたのはゼットン青年の貧困に喘いだ村時代、及びクレアと出会ってからの七年ではなかったのだ。
「な、何なのこれ…!」
そこにあったのは阿鼻叫喚の戦場だった。屈強な数万もの兵士達が、『たった一人相手に』為す術もなく殺されていくという非現実的な光景――魔物娘が世界の大半を覆い尽くした今では見ることも無くなった“この世の地獄”だった。
「い、一体…これは誰の記憶なの…!?」
空に浮かぶ『その男』の右手より極太の光線が照射され、直下の大軍を薙ぎ払う。彼等は防ぎようもない攻撃に慄き、絶叫し、例えようもない絶望を味わいながら死んでいく。
(ひ、ひどすぎる…! まるで虫ケラでも踏み潰すみたいに!)
ガラテアが驚きつつも憤る通り、男の攻撃には一切の躊躇がない。彼はただそういう作業だと言わんばかりに、敵兵を瞬く間に殲滅していった。
そのような徹底的な攻撃が続き、やがて生命の気配も無くなったところで、この殺戮の極光は止む。その後に残るは、ただ圧倒的な熱と炎、そして瘴気が残るだけの焦土であった。
そこへ『漆黒の甲冑に身を包んだ男』は降り立つと、悠然と闊歩する。
「!!!!」
最早戦いとも言えぬ、一方的な虐殺――しかし男にあるのは、派手な殺戮に対する陶酔でも、眼下の敵を無傷で滅ぼしたことへの喜びでもない。それどころか、彼にとってこの虐殺は不愉快さに満ちたものだった。
あまりの歯応えのなさ、つまらなさ――あれだけの人数が集まっておきながら、自分に対して何の反撃も出来なかったという事実。
せめて戦いになることを期待していたが、その願いも虚しく、結局勝負はあまりにも一方的な展開となった。それこそ害虫駆除に等しく、得るものなど何も無かったのだ。
「まさか…!」
その男とガラテアは面識があるわけではない。しかし、所々で映る見覚えのある黒い甲冑から、彼女は男が誰なのかを悟る。
「…いえ、そんなはずないわ! あの男は先代の陛下の呪いによって死んだはず!」
映像より伝わったのは、その常軌を逸した戦闘力だけではない。
侵しがたい威厳、息苦しさを覚えるほどの圧倒的な重圧、全身より噴き出す凄まじい魔力。そして数万もの人間を殺戮しておきながら、一切の後悔も見せない冷徹さ。
その特徴はガラテアがかつて母より聞き及んだものと一致していたが、ガラテアはどうしてもそれを認めたくなかった。
「…なら、この男は一体……」
認めたくはない。認めたくはないが、目の前の映像は残酷な事実を物語っていた。
(………………)
何故、帝国残党は我が夫を攫ったのか?
あれほどの長い期間身を隠していたにもかかわらず、今になって軽率にも姿を現したのか?
彼等は夫の肉体を使って何をしようとしていたのか?
夫と私が逃げ出したにもかかわらず、何故追ってこないのか?
(左腕……)
ガラテアの脳裏にはその時、夫の切断された左腕のイメージがふと浮かんだ。
(――『そして、そんな破綻した生物の寄り合いを安定させ、支配するためには、絶対的な“力”を持った存在が必要というわけです』)
次いで、七戮将メフィラスの言葉が浮かぶ。
(……まさかあの連中の目的は!!)
情報の断片がガラテアの中で結びつき、最悪の結論へと至る。
「皇帝――エンペラ一世の復活……ッ!!」
真相に気づき、歯噛みするガラテア。そして信憑性を深めるかのように、ゼットン青年の魂の傷より噴き出す邪悪な力は、ますます勢いを強めるのだった。
――エンペラ帝国領フリドニア西部、ゲゲル平野――
一方その頃。一ヶ月ほど前、かつて滅んだエンペラ帝国を名乗る輩に攻め落とされ、そのまま乗っ取られたフリドニア教国。
敗戦の責を問われて王侯貴族は皆処刑されるという、迅速ながらも血生臭い形で首脳部のすげ替えが起きたわけだが、それに対する目に見えた不満は今のところ出ていない。今のところ暴動や内乱も怒っておらず、不気味なほど穏やかである。
しかし領内は安定していても、境を接する周辺諸国は気が気でない。内部に多くの腐敗を抱えてはいても、フリドニアは教団圏最強の地位を守っていた。実際、十七万という兵力を持てる国は他にないのだ。
そんなフリドニアがわずか一週間ばかりで攻め落とされ、王侯貴族を皆殺しにされるなどという事態が起きるなどと誰が予想しよう。しかも攻め込んだ賊はその実力ばかりでなく、躊躇なく粛清を行い、一切の憂いを断つという冷徹さと周到さも持っていた。
とはいえ、まだ攻め落としたばかりのため、彼等は領内の安定に力を注いでいる。それを察知した周辺諸国は今が好機だとばかりに連合を形成し、このフリドニアに早速攻め寄せてきていたのだった。
「た、退却〜〜! 全軍退却せよ!」
その第一陣、三個大隊約三千名が今日の午前に到着し、隣国と境を接するフリドニア西部のゲゲル平野より攻め込んだ。正午過ぎとなった今でも、両軍との間で戦闘が続いている。
「ウワァァァァ!!」
「に、逃げろ! 逃げろ〜っ!」
しかし、待ち受けていた敵兵の苛烈な攻勢にあったせいで先遣隊の旗色が悪くなった上、兵士達は逃げ腰となり、とても勝負にならない。その惨状を見て指揮官も撤退を決意し、号令をかけた。
『馬鹿め、逃がすか!』
しかし、引き上げようと平野の先にある隣国との境に殺到する彼等の前を、巨大な黄金の閃光が薙ぎ払う。それ自体は肝心の兵士達からは外れたものの、そのあまりの威力に地面は溶解、底が見えないほどの巨大な穴が開いてしまった。
「くっそォォ! 逃げられねェ!」
『『『『『『『『ヒャヒャヒャヒャ!!!!』』』』』』』』
「う、うわ!?」
「か、囲まれてる!? いつの間に回りこんでやがった!?」
兵士達が驚きの声をあげて周囲を見回す通り、いつの間にか現れたエンペラ帝国軍の一隊が先回りしており、彼等の逃げ道を塞いでいた。それも先遣隊と同じぐらい、もしくは少し上回っていると思われるほどの数がおり、とても逃げきれるような状態ではない。
『グォ〜ッフォッフォッ! わざわざ殺されに来るとは奇特な奴等よ!』
『ギャギャギャギャ! しかし嫌いじゃないぜ、そういう愚かモンどもはよォ!』
帝国軍の将兵達は嘲笑をあげ、この哀れな兵士達の一団をどう料理しようか見定めている。
『ギャッギャッ! 兄貴、こいつらをどう料理するかね!?』
『おぉ、弟よ。吾輩はバーベキューにしようと思う』
『おぉっ、俺も同じ考えだったぜ!』
『これは奇遇だ。だがまぁ、どう料理しようが、人間の肉なら食えんがなァ!』
『ギャギャギャギャ! 違いねぇ! 殺したっきり、それでオシマイだァ!』
「勝手なこと言いやがって…!」
「上等じゃねぇか! ブッ殺してやらァ!」
やがて帝国軍の中から将らしき二人組が現れ、実に勝手なことを話し合いだした。そして一つだけ明らかなのは、その会話の内容からして、二人は兄弟だということである。
中肉中背で豊かな黒髭を生やした兄の方は雰囲気と言葉遣いから、恐らくは中年程度の年齢と思われる。青紫色の分厚く、そして奇怪な形状の甲冑で隙間なく身を覆っているが、それ以上に目立つのは両腕に金属で出来た巨大な蟹の鋏状の武器を装着していることだ。
一方、銀色の短髪を生やした弟の方は精悍な顔つきで、兄より大柄で筋肉質、身長も2m近いが、若々しい見た目のため、まだ三十代前半といったところだろう。所々緑色で縁取られた、全身に鋭い鋲を据え付けられた銀色の甲冑を纏っている。
しかし、それよりも遥かに目立つのは担いでいる大鎌だった。柄の先端には巨大な両刃の穂先、その横からは鎌状の同じく巨大な刃が水平に伸び、石突からも鎖で繋がれた大きな棘付き鉄球が付いていた。
「背教者の分際でナメやがって!」
「こうなったら斬り死にするまでよ!」
「そうだ! このまま逃げおおせたら、我等は天下の物笑いぞ!
者ども、かかれ! 我等、神々の使徒の強さを見せてやれ!」
「「「「「「「「うおおらぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」」」」」」」」
彼等の悲惨な未来を予想し、嘲笑う帝国兵達。そんな中血路を開くべく指揮官は号令をかけ、応じた連合兵士達は今までの逃げ腰が嘘のように殺気立ち、そのまま敵将の二人及び帝国兵達に殺到する。
『おうおう、そんなに死にたいのなら…』
『望み通りにしてやるぜェ!』
しかし、それこそ敵の思う壺であった。
『【ゴールドテンペスト】!!』
兄の両腕に装備された巨大な蟹鋏が開くと、そこから先ほどと同じ黄金の破壊閃光が敵目がけて放たれる。
『【マルチヘルサイクロン】!!』
弟も大鎌を振り回すと、そこから火炎、冷気、稲妻、暴風の混ざった巨大な竜巻が発生、唸りをあげて突き進む。
「「「「「「「「ウワアアァァァァギャアアアアアアァァァァァァァァッッッッ!!!!」」」」」」」」
黄金の破壊光線、そして四属性の混ざり合う竜巻はこの哀れな集団に直撃すると、切り刻み、焼き尽くし、爆発し、感電させ、蒸発させ、あるいは凍りつかせた。
彼等は凄絶な断末魔をあげ、各々全く違う方法で虐殺されていく。
『非力なり! これで帝国を滅ぼそうなどとは片腹痛い!』
エンペラ帝国軍 皇帝直轄軍・テンペラー隊隊長
“極暴兄弟・兄 極悪のテンペラー” テンペラー・ヴィラニアス
『ギャァァァァ〜〜! いやいや、それは違うぜ兄貴!
俺達と比べちゃぁ、敵さんが可哀想ってもんだぜ!』
エンペラ帝国軍 皇帝直轄軍・タイラント隊隊長
“極暴兄弟・弟 暴君タイラント” タイラント・ヴィラニアス
『あぁ〜〜〜〜っ! 隊長方、ズルいですよ!』
『ギャ?』
『俺達の分も残してくれませんと!』
『そうですよ! 俺達も暴れたいんです!! これじゃ手柄もクソもない!』
『あ、イカン…』
『ギャァ〜、やっちまったぜ!』
こうして、敵兵は残らず片付けた。しかしテンペラー隊とタイラント隊の部下双方からの抗議を受け、ヴィラニアス兄弟は喜ぶどころか気まずそうに顔を見合わせたのだった。
――フリドニア城・玉座の間――
『失礼いたします!』
時間は午後二時ほど。伝令の兵士が、皇帝へ報告にやって来た。
『報告を聞こう』
『はっ! 展開した各部隊は全て、本日今朝より攻め込んできた連合軍先遣隊の掃討を完了させたとのことにございます!』
『うむ、そうか』
報告を受け、玉座に座す皇帝は目を瞑って頷く。
『御苦労。各部隊には十分な休息を取るよう伝えよ』
『はっ、ただちに! では、失礼いたします!』
兵士は敬礼をすると、そのまま玉座の間を後にする。それを見届けた皇帝は肘掛けに頬杖をつき、今朝の侵攻について考えた。
(三千か……捨て石にしては少々多いな)
攻め込んできた敵の先遣隊は、迎え撃った帝国軍各部隊の猛攻を受け、領内に侵入した数時間後には壊滅させられた。
しかし、彼等は先遣隊であり、帝国軍の戦力を測るための捨て駒なのは皇帝も承知している。そもそも、今回発足した連合軍は教団上層部の檄により、教団圏国家群がしぶしぶ戦力を出し合ったものなのだ。当然、その構成国家の間には優劣・強弱があり、さらにはそれらの思惑が複雑に絡み合っている。
そして今回送られた部隊は、その中でも国力及び立場の弱い国から集めた烏合の衆と言ってもいい集団である。
半ば無理矢理行かされたために士気は低く、軍事訓練を受けているとはいえ寄せ集めなので練度もバラバラ。何より集められて間もないために部隊間の連携にも問題があるという有り様で、明らかな調整不足が露呈していた。
加えて悲しいことに、フリドニアから逃げ帰った者は皆無であり、戦力を測るという目的自体も結局失敗してしまっている。それどころか、肝心の戦力に多数のほころびがあるというのを、逆に帝国に暴露するという失態を犯してしまったのだった。
(たかが偵察のために、教団の馬鹿どもはみすみす三千の兵を失わせた。今は握り潰せても、それが後々尾を引こう)
いくら烏合の衆とはいえ、三千というのはちょっとした数である。当然、兵力を供出させられた国々は無茶な作戦を行なった教団上層部を恨んでいるに違いない。今は黙らせられても、この戦いが長引けば不満は増大し、それが後々禍根となるだろう。
『むぅ……』
皇帝は戦略を練るために集中していたが、頭に走るむず痒い感覚により、それを中断してしまう。
彼は復活後、時折僅かだが“違和感”を感じることがあった。抽象的で説明の難しい感覚であるので、このような言葉でしか表すことしか出来ないが、そのようなものを感じるのである。
『………………』
はっきり言って不快なものである。しかし、そう回数の多いものでもなく、少し鬱陶しいものではあるが他にやる事が山積みである以上、放置していた。
(後で医者に診てもらうか…)
症状自体は軽微であるので、皇帝はそれ以上深く考えなかった。
エンペラ帝国皇帝、エンペラ一世。現世に甦った彼の依代に使われた肉体は、ゼットン青年の左腕から作り上げられたクローン体である。
即ち、彼等は宿る魂が違えども、元々その肉体(うつわ)は同じなのだ。そして、同じ細胞を持つ者同士、影響を与え合い、さらにこれがゼットン青年の頭痛及び皇帝の肉体への僅かな違和感に繋がっていた。
しかし、その肉体は同じでも、魂の強さや性質には圧倒的な差があり、お互いの症状も違う。皇帝の方は、漏れ出た力が本人にとっては僅かな異常だとしか認識出来ない程度のものであった。
だが、それでも青年の方では日常生活に支障が出ている。お互いの魂を通じ、青年側に皇帝の力が僅かに流れ込んでいるのだが、その僅かなものですらこの青年には強力すぎたのだ。それは彼が先天的にこの力に耐性を持ち、さらにはリリムの夫となってその力を飛躍的に増しているにもかかわらず、である。
逆に皇帝にとっては、せいぜい咳や鼻水程度の扱いなので、鬱陶しく思っても深刻視はしておらず、原因の特定をする気も無い。そして、それが二人の魂の関係を皇帝に気づかせないことに繋がっている。
では、仮に気づいたらどうなるか?――恐らく、皇帝はゼットン青年のことをそのままにはしておかぬだろう。つまり、皇帝がこの症状を放置しておく限り、青年の身の安全は保たれるのだ。
16/02/21 22:47更新 / フルメタル・ミサイル
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