連載小説
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第八話・遥か遠く限りなく近く
あれから一週間…。
アヌビスに振られる無茶も一応の落ち着きを見せ、いつもと変わらない平穏な日々に戻りつつある。学園長室の机の上が雪崩寸前なのはいつものこと。
そろそろあいつに受けさせられた健康診断の結果も出てくるだろう。
この歳だ。
身体に気を付けろとか、酒を辞めろとか、煙草の量を減らせとか、新しい小言が来るのは予想済みだ。下手するとアヌビスはアスティアよりも五月蝿い。
…あいつらも心配しすぎだ。
俺の頭痛くらいで大袈裟なんだよ。
そもそも…、原因はわかっている。
後は、アスティアとマイア…、ついでにアヌビスに気付かせなきゃ良い。
窓の外を見る。
遠い山に日が沈む…、か。
今更ながらに捨てた故郷が何と懐かしいことか…。
放課後、すでに生徒たちは家に帰り、木造の校舎は夕日の強い光と冷たく深い闇の影の中で、不気味なくらいの心地良い静けさに包まれている。
ギシッ、と椅子が軋む。
身分不相応にフカフカの椅子。
これもアヌビスの気遣いだ。
座り心地は確かに良いが、心地が良すぎて落ち着かない。
「まったく…、揃いも揃って年寄り扱いしやがって…。」
だが、日の本にいて俺はここまで満ち足りた人生を送れただろうか…?
戦に次ぐ戦の日々、数多の怨念を背負い、静かな日常に帰ることなく、いずれかの戦場で躯を晒して、土に還る。それが…、関の山だっただろう。
雪崩寸前の高層建築のような書類を睨む。
やはり、今日中に終わらせるのは無理だ。
今日は早めに帰ろう。
帰ったら、マイアとアスティアに…、家を建てようと伝えよう。
帰ったら……。
…………。
………。
……。


―――――――――


私は…、迷っている。
彼、ロウガさんへの報告を迷っている。
私の腕の中には一枚の書類。
冷静に…、冷静にと自分を落ち着かせるために何度も暗示をかけて涙を流す。
何度も涙を拭いても、書類に目を落とすたびに暗示は消えてしまう。
尽きない不安。
結局、私には勇気がない。
だから、彼の教頭という立場に甘んじて、結果がわかっているからこそアスティアさんから彼を奪うことも出来ない。時にこの理性的に働く頭脳が恨めしく思う。
そして、この書類の中の事実を伝え切れず、ズルズルと何時間も無駄な時間を過ごしてきた。私らしくも…、ない。
学園長室の扉の前。
こうしてノックを出来ずに立ち尽くして、どれくらいになるだろう。
「おや、アヌビスじゃないか。どうしたんだ、こんなところで。」
「え、あ…。アスティアさ…先生。」
「先生はもう勤務時間外だから、良いよ。ロウガに用があるのかい?」
「ええ、この書類に…、目を通していただこうかと…。」
あまり…、彼女に見られたくない。
知れば彼女は苦しむことになる。
「…大事そうな話のようだね。大丈夫、私はロウガと…その、約束があったんだが、少しだけ残業になりそうなのを伝えようと思ってね。それだけ伝えたら退散するから安心して良いよ。」
私が何か言う前に彼女は何か感じ取ったらしい。
「ありがとうございます。少し機密事項に触れる内容ですので…助かります。」
「……もしかしてフウム王国の件かい?」
アスティアさんも懸念していること。
彼女やマイアが侮辱されたことに腹を立てたロウガさんが、王国の騎士に重傷を負わせた事件。すでにロウガさんの下へ王国からの使者が来て、交渉はすべて私に任されている。彼らは表向きは親魔物派勢力であるが、裏で反魔物派組織や教会と繋がっているため、交渉はあまり芳しくはない。私の分身たち、下僕のマミーたちの報告に喜ぶべき材料は見当たらない。
「いえ、今回のはそう言った用件ではありません。」
「…そうか。では先に私の用件を済まさせてもらうとするよ。ロウガ……。」
扉を開けたアスティアさんの動きが止まる。
部屋の中に…、ロウガさんが倒れている。
「ロウガ!?」
彼に駆け寄り、抱き起こすアスティアさん。
私は冷静にならなければと思えば思う程、深みに嵌って動けなくなってしまっている。
「アヌビス、医者だ!医務室に運ぶ!」
「あ…ああ…!」
足がすくんで動けない。
動いてほしい時に肝心なところで動かない、頭と身体。
「アヌビス!」
彼女の声ではっと我に返る。
「医務室に医者はまだいるか!」
「いえ、おそらくもう帰宅していると思います。」
「なら、誰か人をやって、医者を呼んで来てくれ!私がロウガを医務室に運ぶ!!」
「わかりました、すぐに手配を…。」
「…無用。」
気が付いたロウガさんが口を開いた。
まだ目を開けることはないが、意識はハッキリしているようだ。
「…すまん、心配をかけたな。だが、大丈夫だ。少し疲れが溜まったらしい。」
彼なら…、きっとそう言うだろうと思っていた。
自分のことより何よりも、アスティアさんと娘のマイアを大事に思う彼ならきっとそう言う。まるでこうなることを予期して、準備していたみたいに…。
「…いつまで、…いつまで騙し続けるつもりですか。ご自分を…、家族を…、私を…!どれだけあなたは嘘を塗り重ねて、命を削る真似をするつもりですか!その結果、どれ程の人が真実を知って嘆くか…、あなたは考えたことがあるんですか!」
「アヌビス…?」
アスティアさんが驚いた顔で私を見る。
わかっている。
自分らしくもなく激昂している。
それでも…、言わなければいけない。
「ロウガさん……、あなたは……、どこから、来たんですか。」


――――――――


学園長室の一角にある応接用のソファーにロウガは横になっている。
アヌビスの用意した鎮静剤が聞いたのか、穏やかな顔でロウガは眠っている。まるでさっきロウガが倒れたのは嘘だったように。
私はアヌビスの持ってきた書類に目を通す。
ロウガに見せるはずだった書類、それは彼の健康診断書だった。
彼の倒れた原因を知ってしまったアヌビスは終始無言。
アヌビスの几帳面な字で書かれた健康診断書。

身体能力、異常なし。
視力、異常なし。
病気、なし。

だが、見慣れない文字。

魔力汚染…危険レベル。
ただし、インキュバス変化など身体能力の異常進化などの影響は見られず。
早急な治療の必要あり。
ただし、魔力除去の具体的な方法がいまだ見付かっていないため、
このままでは命の危険もありうる。

「アヌビス…、どういうことなんだ。」
「…私もあまりその症例を見たことはありません。本来、私たちの世界ではあまり起きえません。私たち魔物は強弱の違いはありますが、常に魔力を放出しています。その影響でインキュバス化する男性が現れますが、それは人間の身体の中の魔力に対する防御機能の発動にすぎません。ですが……。」
「ロウガには…、その防御機能がない、というのか?だが…この16年、何もなかったんだぞ!ロウガはインキュバス化することもなく、こんな風に倒れることもなかった!それが何で急に……!!」
アヌビスは困ったような顔をした。
「…非論理的な話ですが、彼はそれを…、蓄積していく魔力を自分の意思で抑え付けていたのではないのでしょうか。」
「そんなことが…、出来るのか?」
「…彼に聞かなければわかりませんが。おそらくは可能です。そうまでして誰にも知られないようにしていたのは…、言いたくありません。」
そっぽを向いて、また無言になるアヌビス。
彼女の尻尾も完全に沈んでしまっている。
眠るロウガの頭を撫でる。
歳を取っても変わらない。
この男は、自分の命よりも、いつだって私や娘を心配してくれる。
いつだってロウガはその背中で、たった一人で守ってくれる。
「馬鹿なヤツ。」
「ええ、大馬鹿です。」
意見が合う。
やはり同じ人間に想いを寄せる者同士で意見が合うらしい。
彼女の方が歳が下なだけに、時にロウガが若い娘に心が行ってしまわないか心配になるが、正直なことを言えば彼女ならあまり腹も立たない自分がいる。
「さっき…、アヌビスは興味深いことを行ったな?『どこから来た』か。わかっているじゃないか。ロウガはジパングから来たと言っていたじゃないか。それも嘘だと言うのか?」
「いいえ…、おそらく本当です。でも言いましたよね、私は『この世界』では人間は防御機能を持っている…と。彼はずっと自分の故郷のことを『日の本』と呼んでいました。お国言葉…、と思っていましたよ。でも違った。彼のことがもっと知りたくて、ジパングに関する文献を漁りました。その中で、ジパングは彼が生まれるずっと前からジパングだったのです。分身たちをジパングに飛ばして調べてみました。『日の本』という呼び名は…、彼の故郷においても誰も発することない呼称なんです。」
「何が…、言いたいんだ。」
確証がない話をしたがらないアヌビスが珍しく仮定の話をする。
「…ロウガさんは、平行世界のジパングから来たんじゃないかと考えるようになりました。それも私たちの知る世界に限りなく近く、限りなく異質な同系列の時空に存在する世界から…。おそらくロウガさんも最初は知らなかったはずです。彼の話には私も知っている共通する知識が出てきますから。だから私も…、きっと一地方に残る古い言葉なのだと…、信じてきました。」
ですが、と言って彼女は診断書に目を向ける。
この診断結果、ロウガの極端に魔力に対する耐性がない身体がその可能性を示唆している。
「大丈夫だよ、アヌビス。ロウガが目を覚ましたら、直接問いただそう。」
「…不安ではないのですか?」
「不安さ。だが、私はロウガを信じる。剣と命を交えて、私たちは今を掴み取ったんだ。それは何事にも変え難い信頼に足る材料だよ。」
だから、もう泣かなくて良いよ、と私はアヌビスを抱きしめる。
我慢し切れなくなって、彼女は私の胸に顔を隠して、声を殺して泣き始める。
アヌビスもまた、ロウガにも私にも誰にも仮定の域をいまだ出ない真実をこの小さな身体に納め続けていたのだと気付く。
彼の守るものに配慮し続けて…。
「ありがとう、アヌビス。」
彼女がロウガの参謀として傍にいてくれることを私は心の底から感謝した。
10/10/15 22:42更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
前回、投下した矛盾の答えです。
前作の感想から「図鑑世界ではジパングですぜ」という感想をいただき
その一言からLost in BLUEの第一話からのロウガのスタンスが決まりました。
ずーーーっとロウガの言葉は方言が抜けない田舎者扱いで済ましてきたのはこのためです。
当初はそれで誤魔化してきたのもこのためでした。
誤魔化した皆様、ごめんなさい。
案外何でもない矛盾でしたが…、おそらくバレバレです。
さて、次回はロウガの告白です。

もう一回読み直してくると言って下さった皆様。
ここまで読んでいただき、まことにありがとうございました。

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