連載小説
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『迷走と直進』の21〜30日(前編)
 
《2X日目》


 目を開けても、辺りは暗闇だった。

 寝ていた上体を起こしながら目をこする。

 周りに光源を探すものの見当たらず、薄ぼんやりとした漆黒のとばりのせいで、周囲の物の識別はほとんどできなかった。

 なんでこんなに暗いのか、今は何時なのか、そもそもここはどこなのか…………?

 ……と、寝起きの頭が徐々に活動を始めようとした時、自分のすぐ横から物音がした。

「………………ふぁ、あ」

 声だ。

 若い女性の声だ。

 しかも、あくびだ。

 あくびしてるぞ。

 いや、というか、この聞き覚えのある声は……。

「ネクリ?」
「…………ん、おはよう」

 やはり、そうだったか。
 否定しないということは、やはりネクリか。

 ネクリ。オカルト研究会の唯一の部員。女子の中でも身長は平均より低めで小柄な、大学の1年後輩。

 まあ、もし本人であることを否定されても、これだけ本人の声に似せた気だるい感じの発声は本人以外に発することは難しいだろうし、僕はその人がネクリであるとしか思えないのだが。だから僕は、隣からした声の主が、記憶にあるネクリと同一人物と推定ではなく断定することにし…………。

 ……マズい、自分でも何を言ってるのか分からなくなってきている。

 いや、この状況に陥れば誰だって多少は混乱するのが当たり前だろう。

 ――なにせ、目が暗闇に慣れたら慣れたで、さらに困惑させられる光景が周りに広がっていたのだから。

 ――少し寝返りをうてば身体が重なってしまうほど近くに、ネクリの姿があったのだから。

 ――なんなら僕が寝そべっていた時に掛けられていたらしい毛布でさえ、隣の子と共有していたのだから――――。

「………………」

 うん、でもこの毛布あったかいな。
 手ざわりも中々のものだし、もしかしたらお高めのものなのかもしれない。

 丁度良く人肌程度にぬくいのは、毛布の中で隣の子と温度を共有していたのも1つの理由かもしれないと、僕は……。

「――って、ネクリぃー!?」
 
 一瞬時間が止まりかけたが、なんか当然のように隣で寝られてて「あ、そっかぁ」みたいな感じで謎の納得をしかけたが、いやいやそうじゃないだろと僕の理性的な部分が半鐘を鳴らしまくっていた。

「………………さむ」

 こちらの焦りを全く汲むことなく、ネクリは僕の上に掛かった毛布を端を掴んで自身の元へと引き寄せている。
 そして、その場でくるくると回転して巻き寿司のようになっていた。

 その巻き寿司の具は、すぐに幸せそうな様子で目を閉じる。

「………………あったか」
「いやいやいや! 寝るな、起きてくれ!」
 
 さっきの「おはよう」はなんだったんだ!!
 
 必死に呼びかけると、薄暗闇の中で再びネクリは目を開け、のそのそと身体を起こした。
 毛布がズリ落ちると、彼女の着ていた黒のフード付きパーカーが露わになる。
 こいつ、パーカー以外なにも着てないだと……!?

 いや、今はそれどころじゃない。
 ほぼ全裸にパーカーなのをそれどころで済ましていいのかは分からないけど、今は優先順位が下がる。

「ネクリ、ここはどこだ!?」

 返事の代わりに、彼女は手元にあったシェードランプを付けた。

「ぐ、眩しい…………って、部室かここ?」

 明かりが点いてみればなんのことはない、実に見慣れたオカ研の部室だった。
 中央の巨大な円卓や個人用ロッカー、ホワイトボードに入り口の不気味な黒いカーテンや散らばった雑多な私物たちまで、どれも馴染みのあるものだ。

「………………イズミは、倒れてた……」

 仕方なく起きたといった感じではあるが、後ろからネクリが僕にとつとつと説明をしてくれる。

 小学校からの帰り、途中で居なくなっていた僕が正門前で着ぐるみと共にぶっ倒れていたのを発見したこと。

 下校する生徒たちが僕の周りに集まって「うめぼしさんの中身! うめぼしさんの中身!」とはしゃぎまくっていたのを、どうにか追い払ったこと。

 どうやら熱中症というわけでもなさそうだったため、小学校から借りた手押し一輪車に僕を載せ、イマリやフタバ姉妹と共に大学に戻ってきたこと。

 生徒たちが運ばれる僕を追いかけて「うめぼしさんが出荷されちゃう! 出荷だ!」とはしゃぎまくっていたのを、どうにかなだめすかして逃げてきたこと。

 それからは部室に搬入してネクリ私物の毛布に横たえ、彼女らが交代で看病していたが、夜も遅くなってきたところでネクリ以外は帰宅したこと。

 ちなみにネクリは割とよくここで寝泊まりしているということもたった今初めて知った。

「そう、なのか…………」
「…………どうして、倒れてた……?」

 今度は逆に問われ、記憶を掘り返す。

 僕は昼間、他のメンバーと共に小学校の集会で生徒に別れの挨拶をして。
 その後、体育倉庫に行ったらいつものあの子と再び会うことができて…………。

 あの子。

 ――――――バフォメット。

「ね、ネクリっ! 先輩は!? アネサキ『代表』は戻ってきてないのか!?」
「………………きて、ない」

 いわゆる血相を変えた、という状態になっていたのだろう。
 振り向いた僕がネクリに詰め寄った時、彼女は珍しく驚いたような表情をしていた。

 なんてことだ。
 今の今まで、僕はのんきに寝こけていたのか。

 気が緩んで意識が飛んだのか、あるいはバフォメットらサバトの力の影響を受けた結果気絶に到ったのかは分からないが、ただ自分がまた失態を犯したということだけははっきりと分かった。

「ネクリ、大変なんだ! 小学校にサバトが出現して、アネサキ先輩が連れ去られてしまった!!」
「…………連れ去られた?」
「ああ、現れたサバトの魔物娘たちと『山羊角型』……バフォメットは、僕を放置して先輩だけを攫ったんだ!」

 こうしている時間も惜しい!

 早く先輩を救出しなければ――――!

「………………うぇいと。どこ行こうとしてる?」

 だが、外に出ようとした僕は、ネクリにシャツを意外なほど強い力で掴まれて止められた。

「離してくれ、ネクリ! どこってそんなの、サバトの所に決まってんだろ!!」
「………………場所は?」

 すとん、と自分の力が抜けた。

「場所、サバト…………どこ、なんだ?」
「………………いったん落ち着く」

 脱力する僕の横から手が伸びてきたかと思うと、耳にぶすっと何かが差し込まれた。

 途端に流れ出す、穏やかな女性の声。

『あらぁ、ぼくくん? ママのお部屋にきてどうしたの? …………そう、こわい夢を見て、眠れなくなっちゃったのね? 大丈夫よ、こっちにおいで……』

「これは、マミヤマのボイスドラマCD!」

 ネクリ、僕を落ち着かせようとして……!?

 少しして、声優の迫真の演技による艶やかボイスの向こうからネクリの声が聞こえてきた。

「………………大人しくなった?」
「……ああ、ありがとう」

 ボイスドラマがセクション2に入る前に止め、イヤホンを外す。これ以上先はR18だからだ。
 ここから先を聞くのは、きっとこのCDの真の所有者だけしか許されない行為だ。

 しかしそれでも、ネクリの意表をつく行動により自分が多少ではあるが精神の平衡を取り戻したという実感があった。

 冷静に考えれば分かることだ。
 今やみくもに動いても、アネサキ先輩を助けるができないということは。

 サバトの拠点に先輩は連れ去られてしまった。
 しかし現状、僕らは彼女らの拠点の場所を知らないため、そこに乗り込むことすらできないのだ。
 戦力や敵味方の数がどうこう、という話よりもずっと前の問題として、その事実が高い壁として立ちはだかっていた。

「ネクリ……助かったよ」

 彼女は、自分たち女子メンバーのところにはサバトは現れなかったと話してくれた。

「…………どうして、あなたは連れ去られなかった?」
「それは……バフォメットが見逃したからだ」
「………………」
「バフォメットの力は圧倒的だった。それを見せつけるだけで満足したのか、あるいは僕らが足掻く様を見て楽しんでいたんだろう。ゲーム、だとも言っていた」

 そう、ゲーム。

 期限についても言及されていた。
 バフォメットの言葉を信じるなら、20日後がゲームのタイムリミットとなる。
 内容すら定まっていないゲームの。

 何が勝利条件で、何が敗北なのか。
 こちらが敗北した時のリスクはどれ程大きいのか。
 何もかもが不確定だった。

「僕らは、『アンチ・サバト』は……バフォメットに目をつけられてしまったんだ」

 そして思い出す。
 バフォメットの言葉を。

『――それならむしろ、『僕ら』に訊いたほうがようよう分かることかもしれんぞ?』

 あの言葉は、僕らの中に内通者がいることをほのめかしていた。

 そんなの嘘だ、と叫びたい。

 だが、サバトの長であるバフォメットに地下組織である『アンチ・サバト』の存在が既知であったこと、あまりに迅速に彼女らが小学校での僕らの活動を捕捉していたことを考えると、強く否定することができなかった。

「ネクリは――――」

 シェードランプ1つの明かりの中で、ネクリの無気力な感じの顔を真っ向から見据える。

 見据えて…………。

「――――いや、なんでもない」
「……?」

 何も僕は言えなかった。

 そんな、言えるわけない。
 お前が裏切り者なのか、だなんて。

 これまで一緒に活動してきた仲間だぞ。
 サバトに対抗するため、数えきれないくらいの会議を行い、そして今日まで共に行動していた同志なんだ。
 それを疑い、問い詰めることなんてできるものか。

 『アンチ・サバト』ならばすぐさま内通者を糾弾するべきだろうし、親友ならば内通者の可能性について話すべきだろう。

 自分にはそのどちらもできなかった。
 見えない裏切りの影を恐れ、そしてネクリとの今の関係が崩れることを恐れてしまったのだ。
 僕は、とんでもない卑怯者なのかもしれない。

「……ネクリ。悪いが今は考えがまとまりそうにない。『集会』の時に話をさせてもらえないか」
「………………分かった」

 少し悩むそぶりを見せたが、ネクリも納得してくれた。

「………………ただ、あなたも今日はここに居る。校内は防犯装置が作動中」
「分かった、ありがとう」

 コーヒーを入れるといって部室の奥へ向かうネクリを見て、早速自己嫌悪に陥りそうになった。

 ああまでしてくれるネクリを、昼間に助けてくれたであろうイマリやフタバたちを、作戦時に名誉の戦傷を負ったマミヤマを疑わなければいけないのか。

 どうすれば良いんだ、僕は?

 しかし、いつもメンバーの問いに明快な答えを用意してくれていたアネサキ先輩は、もういなくなってしまった。

 なんでこんな僕じゃなくて先輩を連れていったんだよ、バフォメット。
 先輩の抜けた穴の大きさに眩暈がしそうだった。

 いったい僕は、僕らは、どうすれば…………!

『――部室を探せっ!』

 思い出したのは、先輩の最期の言葉。
 決死の間際に僕へ伝えたメッセージ。

 円卓のイスから立ち上がる。

 几帳面な先輩ならば、まず私物は全て自分のロッカーにしまっておくだろう。

 おしゃぶりを机に出しっぱなしにするマミヤマや双頭バイブを洗面器の水に漬けっぱなしにするフタバ姉妹ならともかく、アネサキ先輩は余程のことがない限り始末のできる人だった。

『――鍵は掛けないさ。私は部室の皆のことを信用しているからな』

 心の中で謝罪しながら、先輩のロッカーを開ける。

『――というよりも、皆も私の私物を好きに手に取り、姉スキーについて理解を深めてほしいものだな。ははっ』

 ロッカーの中には、先輩の全てが詰まっていた。
 先輩の姉スキーとしての、全てが。

 持ち主がいなくなったロッカーの中身たちは、飼い主の死を知らない犬のように、主人の帰りはまだかとこちらへ訴えかけているような印象すら受けてしまう。

 それをどうにか振り切り、ロッカーに掛けられた眼鏡女教師コスやキャリアウーマンコス(透けシャツタイプ)、砂漠の女王ファラオ様コスなどの何着かのコスプレ用衣装を掻き分け、ロッカーの下から小さな小物ケースを取り出す。

『――イズミ、今日は少し100均に寄っていかないか? ……え、いや、そんな、長身ショートボブの新人店員が気になるからそのついでにというわけではないんだがな?』

 そうして店員さんをガン見しながら買ったこの3段小物ケースを、アネサキ先輩はしっかり使い込んでいた。
 彼はどこまでも合理的だった。

『――姉モノとしてこれは素晴らしいぞ、イズミ』

 ケースの1番上の棚を開けると、中からは隙間なく詰め込まれた成人指定のゲームが大量に現れた。
 見事にどれも姉キャラのみ、それも他の属性が一切入り込まない純粋な姉系の作品ばかりだ。

 しかし、どこを探してもヒントになりそうな物はなかったため、僕は『教育実習生W 〜エキドナ先生のヒミツの個人授業〜』と書かれたパッケージを再び引き出しにしまい、1段目を閉じた。

『――そうか、マミヤマは音声作品も視野に入れていたのか。まったく、頭の下がる思いだな』

 2段目の棚には、例によって姉モノのボイスドラマCDや、マンガ作品などが雑多にしまわれていた。
 アネサキ先輩は、自身の成長に貪欲であり、かつ余念がなかった。役立つ物であればなんでも取り入れ、自分の魂の糧としていたのだ。

 ……ここにも無い。

 多少気になったのは『姉催眠 占い師マインドフレイアの触手洗脳ボイス♪』という作品ぐらいだったが、おそらくこれも関係ないだろう。

 残ったのは最下段、3段目だ。

『――姉スキーとはなんだろう? そう考えた時、私は自分も姉の気持ちになる必要があると気づいた』

 いつかのアネサキ先輩の独白のとおり、一番下のその引き出しには、畳まれたパンストやメイド服の腕カフスなどが所狭しと入っていた。
 腕カフスに至っては、クイーンスライムのメイド型仕様が付けている物に似せたという激レアな一品だ。

 そうした品々を手に取ることで、彼は姉スキーとしての自分をより上の位階へと高めていたのだろう。
 もはや風化してなおそびえ立つ巨岩のような、あるいは敬虔な信仰とでも例えるべき性的嗜好への情熱だった。
 ……決して着用に及んではいないと信じたい。
 特にパンスト。

 そうして僕は、先輩のルーツや想いの軌跡を、深夜のオカ研部室で追いかけてきた。
 それらの物品全てを辿っていくことが、先輩から僕へのヒントだったのだろうか?

 いや。先輩ならば、もっと具体的な……。

「奥に、何かあるぞ……?」

 少し伸びたパンストの下に、何やら硬質な感触が隠されていた。
 パンストを取り除き、手を奥へと潜らせる。
 次はどんな珍奇なアイテムが出てくるのかと戦々恐々としつつも取り出すと、それは意外と普通な大学ノートだった。

 表題を見ると――――『Anne's Note』。

「これだ、間違いない……!!」

 ついに見つけた。

 『姉のノート』と『アンネの日記』を名前に取り入れるというダブルミーニングは、確実にアネサキ先輩のセンスだ。
 しかも、後者はこの状況にとても合致している。

 円卓の一番近いイスに座り、使い込まれて少し褐色になったノートを端からめくる。

『例の活動を始めるうえで、私の所感込みでの記録を付けることにした』

 簡潔な一文。
 ノートの出だしはそう書かれていた。

 そして、その下に。

『これを君が見ているということは、きっと私は既にそこに居ないのだろう』

「………………」

 それは確かに、記録だった。

 『アンチ・サバト』の『集会』の日付と、フタバ姉妹が取っている議事録に留まらない、アネサキ先輩が記した自己の考えがまとめてある記録。

 活動の反省点は、考えながら書いていたようで何度も消して書き直した跡が残っていた。

 内容は自身に留まらず、僕らメンバーの事についても細かく描写されていた。
 それこそ、ノートがボロボロになる程に。

 アネサキ先輩のノートの中では、『アンチ・サバト』のメンバーが笑い、悩み、議論し、輝かしい将来を夢見ていた。

 僕はそれを、ネクリを含めて2人きりの暗い部室でただじっと、じっと読み続けた。

 やがてノートは今日の日付に、つまり終わりに向かって近づいてくる。

 そして、最後のページに書かれていたのは。

『――兼ねてより、1つ考えていた計画があった』

 前準備。

 必要な手続き。

 当日の作戦行動。

 必要なものは、全て書かれていた。
 
 ここに居ない先輩が、それでも傍で僕にアドバイスを出してくれていた。

「………………イズミ?」

 知らず知らずのうちに僕の前にはネクリが入れたコーヒーが置かれており、黒い水面は僕の顔を映していた。
 くしゃくしゃで滑稽に歪んだ顔になっているのは、きっと水面が揺れているせいだ。

「アネサキ、先輩ッ………………!!」


 そうして僕は、明け方までずっとノートを読み続けていた。何周も、何周も。


 手には、引き出しにあったパンストを握りしめて。










 《21日目》


「イズミ、どういうこと!?」
「兄さん!?」

 ガタガタッとイスが蹴倒され、フタバ姉妹とイマリがこちらに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってくる。

 僕は今、『集会』で集まった皆に昨日の小学校で起こった事の顛末を伝えていた。

 先輩が居なくなったことについて話した時にも反響は大きかったが、それでも今よりはまだマシだったように思う。

 詰め寄る彼女らは、それほどの剣幕だった。

 だが、これはもう決めたことだ。

「――『アンチ・サバト』は解散する。『代表』不在のため、これは『副代表』の僕の権限で決定した」
「だからイズミ、どうしてって訊いてるの!」
「フタバ。既にもう2人、被害者が我々から出ているんだ。マミヤマを見てくれ」
「あぶぅ…………?」

 『集会』の席にこそ着きはしたが、やって来たマミヤマはまだ復帰には至っておらず、おしゃぶりの取れないお年頃だった。
 いつおしゃぶり離れするかも分からず、噂では学生食堂ではゼリーや飲み物とプロテインしか摂っていなかったとも聞く。
 そう、彼は今、離乳食に慣れたばかりの無防備なガタイの良い幼児でしかないのだ。

「そして、アネサキ先輩は連れ去られてしまった。サバトの、しかも本部にだ」
「だから何だって言うの? 私や姉さんに、イマリちゃんもネクリちゃんだってまだいるんだよ?」
「ダメだ。サバトに我々は完全にマークされた。次に標的になるのは確実にこの中の誰かなんだ」

 だから、これ以上の危険は犯せない。
 サバトは止めなければならないが、それは戦いにより僕らの中から出る被害者を許容できる理由にはならない。

 それが僕の、『アンチ・サバト』を解散させる理由だった。

「……イマリも、すまない。僕が勝手に巻き込んで、勝手に解散させてしまって」
「それは、別に構わないんだけど……。でも、兄さん自身は良いの?」
「もちろん、自分で決めたんだから当たり前だ」

 優しい妹は、逆に僕のことまで気遣ってくれる始末だった。なんと情けないことか。
 朝だってこの子は、登校するなりこの部室に駆けつけてくれたくらいだ。
 本当、僕にはもったいない妹だと思う。

 そうなると真っ向から反論するのは、初期からのメンバーにしてそれなりに毎回意見出しをしてくれていたフタバ姉妹だ。

「イズミ、私たちは反対だよ。筋が通ってない。マミヤマは確かにこんなことになってるけど、私たちはそれを覚悟の上でやっていたんだから! まさか、イズミもサバトに何かされたんじゃないの!?」

 だから弱気になってるんだ、と叱責される。

 その言葉を自分は、甘んじて受けるしかない。
 確かに日和ってるし、腑抜けた意見を出している自覚はあった。

 しかし、それでも僕は、もう…………。

「僕も自分が被害を受けるのは覚悟ができていた。……でも、ダメなんだ! フタバやネクリ、それにイマリが被害を受けるのは、きっと自分がダメージを負うよりも耐えられない!!」
「兄さん…………」

 僕は、自分が思っている以上に頑固な人間だったようだ。
 それ以降、僕は頑として他のメンバーの意見を認めず、自身の意見を貫き通した。

 そして、最初にマミヤマがあぶあぶ言いながら竹刀を持って剣道部に向かうと、続いて僕に怒り通しのフタバ姉妹、そして心配げにこちらを窺っていたイマリと、皆が退出していった。
 最後に残ったのは、元からこの部室を使っていたオカ研のネクリだけだ。

 何も書かれることはなかった机の上の議事録を片付け、ホワイトボードの『アンチ・サバト』の文字を、ボードを引っくり返すことでオカ研の物へと戻す。

 ネクリはボーッとした表情でまだ座っていた。
 
「………………いいの?」
「良いんだよ、これで」
「…………文字は消さなくて、いいの?」

 その言葉で、全てがバレていることを知った。

「…………他の人には、サバトとの『ゲーム』について言わなかった。なぜ……?」

 バレた理由は明白だ。
 昨日の夜、僕が動転していた際に口走ったことを彼女は全て聞いていたからだ。

「あれは、バフォメットが僕個人に叩きつけてきた挑戦状だ。他の人は巻き込みたくない」

 分の悪いどころか勝率のほうが余程低いようなギャンブルに、彼女らまでを賭け金にする必要はない。
 負けた時のペナルティがどうなるかなんて、至極簡単に想像できることだったからだ。

「………………その挑戦状、本当に『アンチ・サバト』へのものではない?」
「……そうだ」

 そうに決まってる。
 あれは僕へ向けたもので、他の皆は無関係だ。
 そして、現時刻をもって『アンチ・サバト』は事実上解散した。

 あとは全ての矛先が僕へ向くようにしなければ。

 ふと、つい数日前の夕方、アネサキ先輩に自分が言ったことを思いだした。

「……サバトの脅威に対して、1人でもNOと言える人間が居なければならない」
「………………」
「逆に言えば、最低1人が折れなければサバトへの牽制にはなる」

 言っている自分でもむちゃくちゃな理論だと思う。
 まるで昔の、1人で足掻いて失敗して頃を肯定してしまうかのような発言だった。

 僕が今までの議事録ともう一冊のノートを持ち、唯一の部員に礼を言ってからオカ研の部室から立ち去ろうとした時だっただろうか。

「………………ばかだと思う」

 後ろからそんな呟きが聞こえた。

 だから、カーテンをくぐりながら自分も応えた。


「うん。僕もそう思う」


 そして、返事は聞かずに外に出た。









 《23日目》


 大学のパソコン室で自分のマシンをインターネットに繋げ、調べ物をしていた。

「購入……は、アホみたいに高いな……」

 必要な物資の値段を見て、頭が痛くなってきた。
 ノートに書いてあった通りの物だよな、コレ?
 こんなに高いの?

 ……書いたアネサキ先輩であれば、ツテか何かで簡単に手に入るのだろうか。

 しかし、先輩は居ない。
 どうにか自分で工夫して工面する必要がある。

「…………あ、こういう方法もあるのか」

 他のWebページを見て、なんとなく解決策が見えてきた気がした。

 しかし時間が掛かりすぎだ。
 もっとスムーズにできないのか、僕。










 《25日目》


 『アンチ・サバト』は解散したが、表向きの所属サークルである調理同好会は辞めたわけではない。
 時間は惜しいが、それでも何日かに1度は放課後や空きコマを利用して顔を出す必要があった。

 つまり、同じ所属である僕の妹とも顔を合わせることになる。

 僕は大学近くの安アパートに1人で下宿しているために、実家から電車1本で来る妹とは家こそ離れているものの、こういった場や幾つかの授業ではどうしてもイマリが一緒になってしまう。

「兄さん、2コマ目でも寝オチしてたけど、大丈夫?」
「昨日新作のゲームを買ったからな。意外と面白くて、夜中までぶっ通しでやっていたんだ」
「それ、ウソだよね?」

 こちらだけに見えるように、ペラっとした印刷紙を見せてくる。

 僕の銀行口座の通帳が印刷されていた。
 コピーされた明細には、昨日付でゲーム一本どころじゃない値段の引き落としがされており、そこにイマリの筆跡で赤マルが引いてあった。

「…………えぇー」
「なんとなく気になって昨日記帳に行ってきたの!」

 妹が鋭すぎて自分の計画がヤバい。

 あと、父親が管理すると言っていたために預けた通帳が、なぜいつの間にかイマリが管理していたのかも全く不明だ。
 父よ、なんてことをしてくれたのだ。

「……妹権限で、兄さんの持ってるキャッシュカードまで封印させてもらってもいい?」
「それ、すごく困るんだけど」

 そして、なんか知らないけど妹に紙を突き付けられてる構図、というのは周りの目がすごく痛かった。

 向こうの方で同級生のラタトスク(自称:情報通)が猛烈にメモを取っていたが、あれはレシピのメモであると信じたい。

 とりあえず、目の前にある未完成のチーズケーキをいじる作業をしているフリでごまかしてみる。

「兄さん、そのケーキ、まだ粗熱取れてないから触っちゃダメだと思うよ?」
「………………」
「なに『退路を塞がれた』みたいな表情してるの」

 読心能力でも持ってるのだろうか、僕の妹は。

 その後、もう少し待ち時間があるからと妹から詰問を受け続けたが、どうにかこうにかしらばっくれ、切り抜けることができた。

「兄さん、何か隠し事してないよね? 兄さん?」

 イマリに兄さんと呼ばれるたび、そして悲しげな表情をされるたびに心が酷く痛んだ。











 《28日目》


「し、申請が間に合わない……!!」
 
 時間との戦いを迫られて大学の廊下を走っていると、外の中庭でフタバ姉妹が2人でいちゃいちゃしながら昼飯を食べている姿が目に入った。

 と思ったら、窓越しに向こうからも気づかれた。

 何か気取られるとマズいのですぐさま歩きに切り替え、ガラス窓の向こうに微笑んで会釈。

 そしてパントマイムのエスカレーターの要領で下にスススッと沈んで隠れてごまかし、急いで進むことにした。

「くぉらー! イズミー!」
「それでダマされると思ってんの!?」

 一瞬でバレていた。

 後方の通用口がバァンとぶち破られ、さっきまでユリユリした雰囲気を醸していた姉妹が鬼の形相で走ってくるのが見える。

 全力で走って逃げた。










 《30日目》


 そして迎えた今日、僕は大学外に出て、ちょっとした話し合いの場に出席していた。

 話し合い自体はつつがなく終了したが、今後の問題もまた山積みであり、より高い山となってそびえ立っている。

 この何日かで、幾度も考えてしまった。

 几帳面なイマリなら、もっと書類不備や再申請などを経ずに手続き等を終えられたのではないか。

 フタバ姉妹なら、僕よりもよほどこういった話し合いには適していたのではないか。

 マミヤマならば、ネクリならば。

 そして、アネサキ先輩なら…………。

 いや、止めておこう。
 虚しくなるだけだから。

 うだうだとそんな事を考えながら地元の大きな商店街を歩いていると、どこぞの和菓子屋の店外ショーケースにへばりつくようにして中を見ている子どもの姿があった。

 いや、というか。

 あの子どもって…………はぁ!?

 運悪く、向こうもこちらに気がついた。
 気がついてしまった。

「む! 先日ぶりじゃのう、息災であったか?」
「バフォメット!? なぜここに!!」

 大ピンチだ。
 不用意に敵のボスと顔を合わせてしまった。

「そんなに身構えなくてもよかろ? 我も外でのんびりと散策するときくらいあるのじゃから」
「散策…………!?」

 よく見れば服装は魔物娘のものではなく普通の装いで、山羊角も手足の獣毛も生えていない。

 つまり、小学校の倉庫で話していた時の姿だった。

「散策、散策じゃ。たまの外出をしてみればこうしておぬしと出会えるとは、運命の糸という戯言じみたジンクスも侮れんのう」
「僕はただのジンクスであって欲しかったよ」
「わははは!」

 幼い身体つきに分不相応な、鷹揚とした態度。
 やはり目の前にいるのはサバトの長であるのだと再認識した。

「……それで、我が何を眺めていたのか、気になりなどはしないのか? 訊いても良いんじゃぞ?」

 ニヤニヤとしつつ、こちらを試すような口調でバフォメットに問われる。

 …………本音を言うなら、全っ然訊きたくない。
 むしろ今すぐ逃げ帰りたい。

 だが、彼女の機嫌を損ねるのは得策ではない。
 そしてここに至ってもまだ恐れ知らずな自分の部分が、サバトの長から何かしらの情報を得るチャンスだと囁いていた。

 会話によって、情報を。
 例えば先輩についてや、あるいは彼女とこちらとの『ゲーム』の内容の詳細など。

「…………和菓子屋の前で、何を眺めてたんだ?」
「なんか棒読みじゃのう……。まあ良かろ、ほれ、こっちで見てみるのじゃ」
「……そんな簡単に近寄ると思うか?」
「寂しいことを言うでない。ほれ、近う寄れ」

 あいにく、自分に選択肢はなかった。
 せめてもの抵抗に、牛歩作戦で近づいていく。

 すると、焦れたバフォメットはなんと、こちらの腕を自分の細腕と絡め、ぐいっと引っ張ってきた。

「なっ!?」
「遅っ! 遅いわ! ほりゃ!!」

 魔物娘特有の怪力で引きずられ、『鰻処』と達筆で描かれた看板のある和菓子屋の前へ。

 2人して並ぶと、それを目ざとく見つけた店員がすぐさま小走りで店内から現れた。

「あらま、ちびちゃん、いつの間にそんな殿方を連れて来たんだい?」

 職人の装いをした鰻女郎の店員が、バフォメットに尋ねていた。
 どうやらこのサバトの長、結構な時間店の前に張り付いていたらしい。
 なにやってるんだ。

 その営業職特有のハキハキとした話しかたをする店員の質問に、バフォメットは……。

「おにいちゃんですっ! 来てくれたのっ!」
「そっかー! おにいちゃんのこと好きなんねー?」
「うんっ、だいすきっ!」

 逃げなかったことを全力で後悔した。

 店員の方も、その微笑ましいものを見る目を止めるんだ。
 完全にこれ、公開処刑だろ!

「はいじゃあ2名様、ご注文は?」
「ええっと、これとっ、おにいちゃんには……これを、お願いしますっ!」
「あんたーっ! 昇天MAXバイコーン昇天メガ盛りぜんざいと、コーヒーゼリーパフェ一丁ぉー!!」

 うぉぉぉぉおおおおおお!

 勝手に注文するなよ!!

 店員の方も即答しすぎだろ!!

 奥の旦那らしき人もアイヨーッて言っちゃったよ!!

 あと商品名なんだそれ!!

「では『おにいちゃん』、そこの長椅子でゆったり待つとしようかの?」

 口調を戻したバフォメットが、僕にだけ聞こえる声で話しかけてくる。
 幼い顔には似つかわしくない、非常に邪悪な笑みを浮かべていた。

「……これも、お前の言うゲームなのかっ……?」

 食いしばった歯の奥から言葉をひねり出す。

 しかし、ヤツの返答はあっけらかんとしたものだった。

「そんなわけなかろう? ああ、韻は似とるかもしれんが」
「韻? じゃあ、なんなんだよ」

 女心のわからんやつじゃな、と、意味の分からないことを言われ、しかも勝手に呆れられた。

 そして。


「デートに決まっとるじゃろ、これは?」


 バフォメットはそんなことを言い放った。












 《30日目 同日》



「甘いっ! イズミ、これは甘いぞ!」

 僕は夢でも見ているのだろうか。

 悪夢だろうか?

 いや、悪夢ならば隣のヤツにすぐさま襲われ、サバトによっていたぶられていただろう。

 じゃあこの、並んで和菓子屋の前に座り、2人してスイーツ食ってる状況はどんな夢なのだろうか。

「おいしいのう、これは! ん〜〜っ❤」
「………………」
「どうした、食わんのか?」

 手元には、見栄え良く盛られた黒色を基調としたパフェが1つ。コーヒーゼリーパフェとあの店員は言っていた気がする。

 媚毒のたぐいは……たぶん入っていない。
 普通の甘味のはずだ。

 ならば、どんな意図がある?

 何を仕掛けている?

「何を固まっとるんじゃ。我が食べてしまうぞ?」

 言うが早いか、パフェの容器から上にはみ出したソフトクリームを、バフォメットが身を乗り出して直に食べてしまう。

「あっ」

 ふわふわした栗毛の頭がどいた時には、既に上の部分には大きなクレーターが形成されていた。
 めちゃくちゃ豪快な食べ方だった。

「むー! 甘いのじゃっ!」

 口周りをクリームだらけにして何を言うかと思えば、そんな感想が出てきた。
 ベンチに座って浮いた足もバタバタさせている。

 …………これが、サバトの長……。

 …………………………長…………?

「ほーれ、おぬしも早く食わんか! アイスが溶けてしまうぞ!」

 そんな風にせっつかれ、手元のスプーンで端のゼリーとアイスの中間部分を掬って一口。

「…………うまい」
「じゃろう!? そうじゃろう!!」

 ちなみにこの僕が持ってるコーヒーゼリーパフェ、バフォメットの奢りである。

 ……サバトに奢られたパフェが、うまい。

 いや、パフェに罪は無いのか?

 というか、なんで奢られてるんだ?

 しかし、金がないからと逃げようとした僕は、そのせいでここでバフォメットと共に並んで座って甘味を食していた。

 彼女いわく、デート。

 奢られて申し訳ないわ甘味は美味しいわ、隣のバフォメットはなんか平然と自分の超絶山盛りのぜんざいを食ってるわで、自分の頭がおかしくなりそうだった。

 ……とりあえず、他の商店街を行く人の目を気にして、体面が悪いので紙ナプキンを手渡しておく。

「む?」
「口が汚れてるぞ」
「なるほど………………ほれ、早よう」

 クリームまみれの口を突き出される。

「………………」
「むひゃっ、くすぐったいのう」

 くそ、紙越しでもぷにっと柔らかかった。
 なぜかすごく悔しい気分だ。

 もういい。
 食べてやる。
 むしろ、遠慮なく食べてサバトの財政にダメージを与えてやろうじゃないか。

 無心にパフェを突っつく。

「む、いきなり食いっぷりが良くなったのう」
「食べ物に罪はないからな」
「わはは! じゃが、デートでただ目の前の食事にかまけているのは罪ではないかの?」

 会話をしろ、ということだろうか。
 ならば、開き直って何もかもを訊いてしまおう。

「なら、アネサ――――」
「仕事の話はなしじゃっ!」
「………………」

 そうなると、もう話題はなかった。
 食べよう食べよう、そうしよう……。

 ……と思って傍をちらりと見たら、なんだか期待するような目でこちらを見ていた。
 なんなんだよもう。

「あー、ええっと、こんな風に1人で街に出てくることってよくあるのか?」
「うむ! あまり良くないとは部下に言われるが、実は月に4、5回はお忍びで来ておるぞ!」

 意外としょっちゅう来てたという事実が判明した。
 話的にはそこから布教の頻度とかの情報が欲しいが…………ダメなんだろうな、きっと。

「いつもこうやって、甘いモノを探して?」
「あとは、キラキラしたものじゃな。キラキラしてればなんでも良いぞ! ギラギラでも良い!」
「へえ。見つけたら持ち帰って飾るとか?」
「そうじゃ、あまりかさ張らないモノを机の上に山のように並べるのがマイブームでの!」

 …………カラスみたいだ…………。

 ……いやいや、それは言わずに心に留めておこう。

 そうして適当な話題で場を濁しつつ、それぞれの手元にある甘味を食べることしばし。
 
「あ、アイスが溶けかけてるぞ」
「どっ、どこじゃ!?」
「ぜんざいにある二本角の片方が…………あ、ほら」

 僕のほうに緩やかに倒れてきたアイスを、スプーンで支えて止める。
 わざわざ2つもアイスの塔を作ったせいで、皿のバランスが非常に不安定になっていた。
 その商品、完全に設計ミスだと思う。

 すぐに塔は皿へと崩れ落ち、上部だけが悲哀漂わせてスプーンの上に残っていた。

「うむ、ご苦労。では、その残ったアイスを我に献上することを許そうぞ」
「はいはい」

 パフェ用の長スプーンを隣のヤツの口に突っ込む。

 そして気づく。
 今の自分、なんか思っている以上に開き直っているというか、状況に適応しているということに。

「…………まさか、本当にやるとは思わんかった」

 やめて欲しい。
 その照れた感じの反応、本当にやめて欲しい。
 いや、あれだろ? ただの演技なんだよな?

「うむ……なんだか今の我は良い気分じゃ。もう一口献上することを許可する」
「いや、それはちょっと。さっきのも勢いというか流れというか、そんな感じだったから」

 丁重にお断りします。

 そう言ったらサバトの長は憤慨した。

「ノリが悪いぞ!」
「ノリで仇敵にあーんなんてできるか!!」
「今したじゃあないか! ならば良かろう、我がおぬしに下賜してやろうぞ!」
「うわ、やめろっ」

 果物やらクリームやらでカラフルになったスプーンが鼻先へと迫ってくる。

「やめんぞ我は! 口を開けい!」
「んぎぎぎぎぎぎ!!」
「子どもか!! あ、そうじゃ、パフェ代! 『おにいちゃん』が小さな子に払わせたって叫ぶぞ! 叫んでしまうぞ!?」

 そんな、卑怯な。
 それがサバトのやり方だって言うのか!?

 …………と、糾弾しようとしたところ。

「隙あり!」
「むもごっ!?」

 複雑な酸味と甘みの組み合わせが口の中に広がる。
 腹立たしいくらいに美味しかった。

「……あっ、間違えて我が大事に取っといたサクランボをやってしまったぞ!」
「知らんわ!」
「さ、サクランボぉ…………」
「なんだよもう!! 分かった、このちょっと残しておいた貴重なコーヒーゼリーのところを食っていいよ!!」
「そのゼリーは苦いからイヤじゃ…………。あ、代わりにビスケットチョコの部分を貰ってやろう」

 本当になんなんだよもう!!
 それなら、どうして僕のほうはコーヒーゼリーパフェ頼んでたんだよ!
 いや、僕自身はコーヒー好きだけどさ!!

 もうツッコミどころしかなかったが、そろそろ考えるのを頭が放棄し始めていた。

「はぐ、はぐっ……。ん、もう終いかの?」
「こっちもだ」

 注文した品にはとてつもないボリュームの差があったが、なぜか同時に食べきって終了した。
 どうしてこんな小さい身体にバイコーン昇天なんたらが収まるのか、全く分からなかった。

「む、動けん」
「そりゃああれだけ食べれば当たり前だ」

 すると、バフォメットが意外そうな目でこちらを見てきた。

「……なあイズミ。おぬし、逃げんのか?」
「え?」
「ほれ、今なら走るなり跳ぶなり、幾らでも我から逃れられるじゃろうに」

 ………………………………あれ?

 確かに、そうだ。

 満腹で相手が動けなくなるなんてあまりにも予想外だったが、普段の自分ならすぐさま逃走に移っていてもおかしくなかった。

 どうしてだろうか、と考える。

 すぐに答えは出た。
 恐らく、危機感が足りていなかったのだ。

 仇敵と隣合わせで異常なほど平常な会話をして。
 なぜか食べ物を分け合って。
 外見だって今は一般のヒトと変わらず、高慢さはあるもののあの小学校で感じた威圧感はない。

 それはまるで、普通の――――。

 待った。
 それ以上考えるな。
 よしておけ、それは何の役にも立たない考えだ。

「…………別に、そっちがゲームじゃないと最初に言っただろう。それを弱者は信用するしかなかったってだけだ」
「じゃが、弱きを名乗るわりにはまだ余裕が見て取れる気がするが……? ……ああ、もしや『あの組織』を解散させたからかの?」
「なっ!?」

 いきなり話題が変わった。
 それも、予想の斜め上の切り口から。

「……相変わらず、耳が良いな」
「ふふん、おぬしのことはなんでも知っておるからな」

 そんな風にうそぶかれても、もうこちらの警戒度は一気に元のラインまで戻っている。
 良かった。

 ………………良かった?

 無事に戻ったから良かった、ってどういう意味だ?

 ああくそ、ダメだ。
 集中しなければ。

「バフォメット、頼みがある」
「む、なんじゃ? なんでも訊いとくれ、なんでも答えようぞ」
「またそれか……。いや、そうだな、確かに『アンチ・サバト』は僕が解散させた」
「うむ」
「だから、他の者は巻き込まないでくれ。この通りだ」

 偶然出会ったことでタイミングが早くなったが、その点だけ見れば結果的には良かったのだろうと思う。

 こうして僕が頭を下げるだけで他のメンバーが助かるならプライドも何もない。何度だって下げてやる。

「なるほど。解散の理由も実際はそういうことかの? 我へのアピールのつもりであったと?」
「そうだ。全くもってその通りだ。だから……」

 大皿を抱えたサバトの主を、真正面から見据える。

「バフォメット、お前の相手は僕だ。僕だけだ」

 ゲームのルールの改変ともとれる発言。
 果たして、何を言われるか。

 勝手なことを、と激怒されるのか。
 あるいは、嗜虐的な笑いで切り捨てられるのか。

 来るなら来い――――。

 ――――と、思っていたのだが。

「う、うぬぁ!? ……う、うむ、そうじゃなっ、それで我も構わんぞっ! 一向に構わんぞ!」

 …………ん? あれ?
 反応が思っていたのと違うが、認可されたということで良いのだろうか?

 いや、結果オーライだ。

 よし、これで僕は僕の作業に集中できる。
 後は最期の最期まで、しがみつくようにしてでも抵抗してやろうじゃないか。

「イズミおぬし、あれじゃな? 意外とおぬしも、我の崇高な心が読み取れるようになっ……」
「じゃ、またどこかで会うと思う。バフォメット、ゲームのルール変更は守ってくれよ」
「…………え?」

 皿を店に返して去ろうとすると、裾を掴まれた。

「い、いや、えっ? イズミおぬし、え? そ、それで終わるのか?」
「他に何かあるのか」
「いや、もうちょっとなんというかじゃな、余韻というか、なんというか」
「余韻? メンバーの解散に余韻も何もないだろう。これで『アンチ・サバト』は僕1人だ。全力でサバトを妨害して、お前の言うゲームに打ち克ってみせる」

 言い切った。

 言い切ってやったぞ。

 これで完全にサバトからは僕へとヘイトが集まってきただろう――――。

「…………ああ、そういうことじゃな」

 極度の冷気を伴うような声が返ってきた。
 夢にまで出てきそうな、おどろおどろしい声。

「お、おい、バフォメット?」
「イズミよ」

 心なしか、姿が本来のバフォメットの姿に戻っている気がするのは見間違えだろうか。
 例の尋常じゃない魔力が、さっきまでスプーンをつまんでいた手のひらに集まっていっている。
 ヘイト、集まりすぎじゃないか?

「イズミ、なあイズミ、我は怒っておるぞ」
「へ? う、うわっ、なぜっ」

 突如として不遜な物言いに戻ったバフォメットは、小学校の時でも見なかったような怒りの表情を浮かべていた。
 呆れやら皮肉やらいろんな感情が混ざっているような半笑い気味の、見ようによっては一番恐ろしい表情だ。

 そして、宣言した。

「では『おにいちゃん』、『今日のゲーム』を始めようぞ。負けた時は覚悟しておけよ?」
「ウソだろ!?」
「ウソなものか。むしろ我のほうが余程、ウソだろ、な気分じゃ」

 その言葉を言い終わった時、バフォメットが何かに気づいたように上を向いた。

「…………丁度良い、おあつらえむきじゃな。アレにしよう。ルールは簡単、アレから逃げ切ったら今日のところはおぬしを見逃す。それだけじゃ」

 バフォメットの言う、『アレ』とは一体なんだ?

 それを訊く前に、ヤツは凶悪な笑みとともに先んじて答えを告げた。

「おぬしもずっと気に病み、疑い、悩んでおったろう。アレとはすなわち――――」


 ――――――ズンッッ。


 僕とバフォメットの間に、巨大な質量体が唐突に現れた。
 現れた、いや、上から落下してきたのか。

 それが落ちた中心地からは、周囲に砂や塵による白煙が生じる。

 風圧と振動は辺りの物を揺るがし、軽い物は吹き飛びさえした。

 続いて、辺りの人々が突然の事態に騒ぎ始める。

 その混乱を切り裂くようにして、唸るような低い男声が響いた。

「――――渇きは満たされず、されど募るのみ。膨満する想念はいつしか己自身を蝕んでいた。求め得られた刹那は、遠くの蜃気楼に過ぎず――――」

 爆心地の白煙が流れていく。

 朗々とした重低音の語りとともに。

「――――しかし、救いは近くにあった。己にとっての救い。彼にとっての救い。万物を抱いて尚も、両の腕はさらなる救いを与うる。その名こそは――――」

 立ち上がったのは一個の人間。

 否、既にその存在はもはや人の姿に収まっていなかった。

 長身という言葉すら生温い程の巨躯。

 束ねた縄のような筋肉。

 胸筋を覆い隠すような、首から垂れた前布。

 口を自ら塞ぎ拘束している、ゴム質のマウスピースじみたモノ。


 そして両腕に構えた、一対の乳児用ガラガラ。


「――――――バブみよ」


 そこには、変わり果てたマミヤマの姿があった。

17/04/29 02:28更新 / しっぽ屋
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■作者メッセージ
 
 変態した、変態。
 

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