連載小説
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U Ex-Machina
 次の日もその次の日も、ニコラスはエリオット邸を訪問し続けた。しかし氏の対応は相変わらずで、ニコラスは大事なシャツを汚されないよう、こうもり傘を用意して行かなければならなかった。
 それと同時に、彼が屋敷を訪問した時には必ず、あの美しいメアリ嬢と挨拶を交わすことが習慣となっていた。ニコラスが会いに行く時、メアリはたいてい屋敷の裏手にある小さな家庭菜園や花壇の世話をしており、彼の顔を見ると、見る者全てを夢見心地にさせるような微笑みで迎えた。
 2人の会話は二言三言だけで終わるのが常だった。しかし、たったそれだけで、ニコラスは心が言いようもない喜びに包まれるのを感じていた。やがてニコラスは、訪問のたびにメアリへの贈り物を持参するようになった。それはある時は花束であったり、またある時は町の雑貨屋で見つけた簡単なアクセサリーであった。メアリの方でも、概ねその好意を快く受け取っているようであった。
 

 会う回数が増えていくにつれ、2人が交わす会話の量は少しずつ増えていった。
しかし奇妙なことには、屋敷の中からエリオットがメアリを呼ぶ声が聞こえると、どんな時でも彼女はそれに従うのだった。談笑の最中だろうと、畑の手入れの途中だろうと、エリオットの鋭い声が響いた途端、彼女は突然それまでの行動を中断し、真っすぐに父親の許へ向かう。「はい。お父様」と返事をする彼女の表情は、決まって一切の感情を失くしたような無表情だった。

「博士は娘のあなたにも厳しく接する方なのですね」
一度ニコラスがこのように尋ねた時、メアリは不思議そうな表情で答えた。
「……そうでしょうか?よそと比べて厳しいかどうかはわかりませんけれど……お父様はいつも私を大切にしてくださって、私を誰よりも愛していると、そう言ってくださいますわ」
 そんなエリオット博士は、若い男が自分の娘と親しくすることなど決して許さないだろうとニコラスは考えていた。しかし彼は一度だけ、メアリと会話をしている最中に、屋敷の窓から2人を見つめる博士の姿を目にしたことがあった。その時ニコラスは思わず身構えたが、博士は忌々しそうな顔をしながらも、2人の逢瀬をただ眺めているのみであった。この日以来、ニコラスは博士に多少なりとも自分の存在を認められたような気持がして、ますます積極的に屋敷を訪問するようになった。相変わらず弟子入りは認められなかったが、メアリとの仲は段々と深まっていくようだった。



 そのような日々がひと月ほど続いた、ある日のことだった。ニコラスはその日も博士を訪問したが今日は玄関すら開けてもらえず、諦めていつものように屋敷の裏へ回った。そこではメアリが洗濯物で一杯の桶を持ち、ちょうど水洗いに取りかかるところだった。今日の服装も、およそ水仕事には似つかわしくない上品な野外ドレスだった。
「こんにちは、メアリさん」
「あら、ごきげんよう、ニコラスさん。少し待っていてくださる?すぐに済ませますから」
「私で良ければお手伝いしますよ」
 ニコラスが申し出ると、メアリは朗らかに笑った。仲が深まった結果か、メアリは知り合った当初よりも豊かな表情を見せるようになっていた。
 ニコラスは水汲みポンプの操作を手伝いながら、新聞で見聞きした話や、生まれ育った北部の都会の話を語って聞かせた。メアリは他の州どころか麓の町にさえほとんど行ったことがないらしく、町で噂になっている些細な風聞であっても喜んで耳を傾けた。

「そういえば、この近くには川が流れていると町で聞きましたが」
森の中から聞こえてくる水の音に気がついたニコラスが言った。
「ええ。すぐそこです。少し上には滝もありますのよ」
「それならば、川から水を引けばよいのではないですか?なぜ博士は、この場所に井戸を?」
「あの川の水は、飲むのには適していないそうなんです」
洗濯物をもみ洗いしながら、メアリが答えた。
「行くとすぐにわかりますわ。川の水が白く濁っているんです。お父様のお話では、特殊な鉱物……だったかしら……の影響だとか」
「火山性の鉱泉でしょうか」
「ええ……おそらくは。麓の町が『ミルキーピーク(ミルク色の峰)』と呼ばれているのも、この川の水が由来だそうですよ」
 そう言いながら、メアリはすすぎのための水を井戸から出そうと、立ち上がって機械のレバーを下す。しかし、

「…あら?」
 レバーを下しても、水は流れ出てこなかった。ハンドルを回し、もう一度試すも結果は変わらない。
「どうされました?」
「井戸のポンプが……どこか具合が悪いのかしら」
メアリは考え込むように口元に手を当てた。
「困ったわ。お父様を呼んでこないと……」
「これは博士にしか直せないのですか?」
「ええ。というより、お父様が設計図を見ながらでないと直せないんです。昔の発明品の仕組みは、お父様自身もそれほど正確には思い出せないそうだから……」
メアリはため息をつく。
「お父様をあなたに会わせるのはあまり良くなさそうね。残念だけれど、今日はお帰りになって……」
メアリが歩き出そうとしたその時、
「メアリさん、待ってください!」
ニコラスが呼び止めた。難しい顔をして機械の動力部を覗き込む。
「私に診させてはくださいませんか?ひょっとしたら、直せるかもしれません」
「でも、この子の仕組みはお父様しか……」
「仕組みは、調べればわかります」
ニコラスの目は、取り組むべき問題を見つけた専門家の目そのものだった。
「私は、科学者ですから」


 メアリが倉庫から持ち出してきた古い工具を使って、ニコラスは汲み上げポンプの内部を探り始める。その横では、メアリが心配そうな顔でニコラスの作業を見守っていた。
「本当に大丈夫ですか?下手にいじると危ないのでは……」
「ご心配なく。動力機械の理論は一通り学んでいますので。『光力』の扱い方にも、多少は覚えがあります」
「まあ……『光力』をご存じなの?」
「ええ、私のいた研究室では、『光力』の研究を行っていました。……もっとも、我々はこの力のことを、『電気(electricity)』と呼んでいましたが」
メアリが目を見開いた。
「お父様の他にも、この力を扱える方が?」
「ごく少数の学者のみですがね。『光力』の存在自体は前世紀から物理学者の間で知られていましたから。その性質についての研究も、ある程度は進んでいるのですよ」
しかし、とニコラスはため息交じりに言う。
「……現在の科学では、この力を自在に操ることはできていません。雷を捕えて閉じ込めようとした者もいましたが、ことごとくが失敗しました。人間の道具として扱うことなど、夢のまた夢でした……あなたのお父様が登場するまでは」
「だから、あなたはお父様に弟子入りがしたいと……」
「はい。博士は間違いなく、今世紀最大の大天才ですよ。見てくださいこの装置を。この内部の精緻な機構を!電気の力だけでこのような巨大な機械を動かすなど、前代未聞です。この技術が実用化されれば、第2の産業革命が起こるかもしれない。世界が変わりますよ!」

 装置の内部を弄りながら、熱を込めた口調でニコラスは語った。
「科学に携わる人間には、2種類います。純粋に自然界の真理を求めて研究に没頭する者と、そこで得られた知見を応用して新たな技術を生み出す者。……後者の方を、『技術屋』と呼んで下に見る科学者もいますが……正直申し上げると、私も昔はそう考えていました」
ニコラスは一旦手を止めると、メアリを見て少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「……世界の真実を解き明かす、自分のような者こそが科学者なのだと、不遜にも考えていました。けれど、エリオット博士のことを知った時、そのような考えは打ち砕かれました。……実験室の中での現象でしかなかった『電気』が、これほど多様に姿を変えるということを、博士の発明品が教えてくれたのです。科学の知識を用いて、人々の生活を豊かにする発明をする博士のような人は、偉大な科学者と呼ぶにふさわしい……そして自分もそうなりたいと、思ったのです」
「まあ、そこまで……」

 滔々と語るニコラスの熱に浮かされたように、メアリは言葉を失っていた。世界を変えようと夢見る青年の横顔を見つめながら、けれどメアリは少し目を伏せた。
「……それでは、さぞがっかりされたでしょうね。当のお父様はあのような調子ですから」
「いいえ、私は諦めませんよ。いつか、博士と理想を共有できる日までは……おっと、ランプを取っていただけますか?」
ニコラスはメアリから受け取ったランプにマッチで火を灯すと、顔の高さに持ち上げて動力部の中を覗き込んだ。
「ここだ。見つけましたよ。中の導力線が切れていますね。おそらく雨水が入り込んだせいで劣化したのでしょう」
 そう言うとニコラスは、倉庫から持ち出した古い鉄の火箸をランプの火で炙り、赤く熱したそれを機械の中に差し込んだ。しばらく難しい顔で内部を弄り回していたニコラスは、やがて顔を上げて額の汗を拭う。
 彼が立ち上がって動力部の蓋を閉め、側面のレバーを押し下げると、重低音が内部から響いた後、ポンプの水は再び滝のように流れ出した。メアリは目を輝かせる。
「まあ!本当に治してしまうなんて……」
「とりあえずの応急処置ですので、いずれ博士に見ていただいた方が良いですね。いや、それにしても興味深い。私の知っているどんな回路よりも複雑で、芸術的な機構ですよ。もっと調べてみたいくらいです」
「それなら……ねえ、ニコラスさん?」
 ふと、何かを思いついたようにメアリが言った。
「お父様に弟子入りするのが難しいのなら、お父様の発明で勉強させてもらうのはいかがかしら?」
「ええ、もちろん、それができればこの上なくありがたいのですが……博士の許可なく調べる訳には……」
「私からお願いしてみますわ。大丈夫よ。きっと許してくださると思うの」
「本当ですか?ありがたい!メアリさん、何とお礼を申したらよいか……」
飛び上がらんばかりに喜ぶニコラスに、メアリは柔らかな微笑みを返した。
「あなたの言う新しい世界を、私も見てみたくなりましたの」



 屋敷の外にあるものならば見ても構わない、というのがエリオットの返答だった。喜び勇んだニコラスは、早速メアリと共に、昔の発明品がしまわれているという屋敷裏の倉庫に向かった。
 軋む音を立てる倉庫の重い扉を開けたニコラスの目に飛び込んできたのは、壁を覆い隠すほどに積み上げられた鉄くずの山だった。あまりにも雑然としているために、一見しただけでは完成品も未完成のガラクタも全く区別がつかなかった。古い木と鉄の入り混じった臭いは、打ち棄てられた鉄道の操車場を思わせた。
「これは……まず整理するところから始めなければいけませんね」
「そのようですわね……あら、懐かしい!」
 その時、メアリが鉄くずの山から何かを拾い上げた。
「昔、お父様が私に作ってくださったの。ガラスの小鳥よ」
 それは四角い台座の上に取り付けられた、手のひらに乗るほど小さな機械の小鳥だった。その身体は精巧なガラス細工で作られ、内部には幾重にも重なりあった歯車の機構が透けて見えていた。
「確かこの辺りに……ああ、これだわ。まだ動くかしら?」
メアリはさらに近くの棚の上を探ると、そこから翡翠に似た色の小石を拾い上げた。
 見ていてくださいね、と囁くと、彼女は台座を片手で支え、側面に空いた円筒形の穴に小石を差し入れた。続けて台座の反対側から伸びた風車のような羽を繊細な手つきで回す。すると、ガラスの小鳥は突如として生命を得たかのように動き出した。
 ニコラスは息を呑んでその小鳥を見つめる。単なるガラス細工に見えたそれは、実際にはいくつもの細かなガラスの部品から成り立つ、複雑極まりない機構だった。虫の羽のように繊細なそれらの部品は、内部の歯車が伝える動力によって言葉を失うほどに複雑で美しい動きを可能にしていた。
機械の鳥は羽ばたき、首を回し、くちばしを開けて囀ることさえできた。金色に光る歯車がキリキリと音を立てて、冷たいガラスの小鳥に命を吹き込んでいた。
「これは……信じられません……」
「私の一番のお気に入りでした。何の役にも立たないただの玩具だと、お父様はおっしゃるけれど……。私にとっては、この子たちこそお父様の偉大な発明だわ」
 迂闊に触れば壊れてしまいそうなガラスの小鳥を、メアリはそう言いながら愛おしそうに抱きかかえる。彼女が語る、父親とのかけがえのない想い出。ニコラスは、少女時代のメアリが父とその機械たちに囲まれて育った過去を脳裏に思い描こうとしたが、現在の彼らからそれを想像するのは難しかった。代わりに彼の興味は、小鳥の歯車を動かす装置の仕組みへと向かっていた。
「……これも『光力』で動いているのでしょうか?」
「ええ、この石が力の源なのです。この山で採れる、特殊な鉱物だそうよ」
「磁鉄鉱の一種でしょうか……少し調べさせていただいても……」
 ニコラスが装置の中の石に手を伸ばした、その瞬間だった。
 鋭い痛みがニコラスの指先に走った。小さな悲鳴を上げてニコラスは手を引っ込める。一瞬だけ、装置と彼の指の間に火花が散ったのが見えた。
 突然手を引っ込めたニコラスを、メアリはきょとんとした顔で見つめていた。何が起こったのかさっぱりわからないという様子だった。
「……どうかなさいましたか?」
「いえ……少し、驚いただけです。静電気が発生しているようですね。注意しなければ」

 そう言って指先をさするニコラスを、メアリは相変わらず不思議そうな目で眺めていた。その腕の中には、キリキリと音を立てて動き続ける小鳥の装置を、しっかりと抱えたままであった。

20/10/19 14:27更新 / 琴白みこと
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■作者メッセージ
メアリの正体に気づかれた方もいるかもしれませんが、諸事情によりジャンルは秘密とさせていただきます。

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