連載小説
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むきあった日のこと
青々と視した草木や、野原の上を吹き渡っていく初夏の風は、
こんな田舎の村にも訪れていた。





セミの大合唱が響く中、ダウマーは走っていた。
いつもと違うのは、その格好。
やや露出とベルトの多い革の衣装、頭にはゴーグル。母から借りた金属製の籠手(こて)を利き手側に。
背中は大きなハンマーを背負っている。
外の人間が見れば仮装かと勘違いしてしまいそうになるが、立派なドワーフ族の正装だ。
その証拠に、わずかすれ違うドワーフたちも特に注目することなく歩いている。
なお、成人の証である籠手以外はいずれも自分で作った物だ。




走るダウマーの姿は、太陽に輝くピンクオレンジ色の髪の毛も合わさって幻想的に見える。
近くから見ると走る彼女は汗だくだ。
革の衣装は丈夫だが通気性のないのだから無理もない。
自然が多いだけ都会よりも風の通りがいいが、かわりにセミの大合唱が暑苦しい。


(暑い……ミンミンうるさい……アンナが耳元で騒いでいるみたい)


熱さのせいか、そんな事を考える。
プライドが高いアンナが聞けば気温が上がるくらい怒ることだろう。
彼女はこの天気の中、風通しの良くない服で走っているのか?


それは、実技の授業のために体力づくりのためだった。




実技の主な目的。
それは魔物として力をコントロールする方法を身につけることだ。
基本的に魔物が人間を襲うことは万に一つもないが、魔物娘の故郷たる異世界では逆に魔物が冒険者を名乗るならず者に襲われることは珍しくなかったという。
ダウマーからすれば、「昔の人間には力の強い人がいたんだな」と思っただけなのだが。
襲われ無いためにも自衛手段を学ぶことは必須だった(らしい)。


とは、言うものの。


安全な現代での生活がしているダウマーにはピンと来ない話だし、護身の技術を使う機会は無いのだが
今でもこの村の「伝統」として残されているのだという。
実技を行う時も昔ながらのドワーフの格好で行うことが決まりになっているのだとか。
すべて授業の受けうりだが。


伝統のために暑さを絶えなくちゃいけないなんて、と不満を顔に出さないわけにはいかないだろう。
しかし今のダウマーの表情はやや晴れやかなのがわかっただろう。
それは以前から両親が写真を撮るために着せられたから着慣れていると言うだけではなかった。


ふふっとダウマーは笑う。


いまでもどちらかと言えば少し鋭い目つきではあるものの、難しそうにへの字に曲げた口は今
ではおだやかな笑みを浮かべている。
以前の彼女なら、なかなか浮かべなかった表情だ。


(−−緑の葉、朝顔、青い空ーー)
(綺麗、だな)


ダウマーの心に変化があったのだろうか。
以前ならおもしろくもない田舎の風景だなあ、としか思わなかったのだから。



彼女は走りながら、初夏の緑を目で、心で味わっていた。
桐谷と街へいってからだろうか。
街の空気を感じたダウマーは自分の村をもっと知ろうと思った彼女は、周囲の景色をよく眺めるようになった。
葉の緑を、空の青を、小さな花を。
そうした普段見知っていたものが、彼女の目を楽しませていた。


自分はそこにある景色になぜ目を向けなかったのだろうと思うほどに。
じっと花を見つめていると、たらりと汗が流れた。



「___まあ、この暑さだけはどうしても慣れないけどね」



ロマンチックな気分は続かなかった。
内面の変化などお天道様は知ったことではない。
夏の暑さはこれから増していくはずだ。
自分はインゲのように女の子らしく、そして魔物娘らしくはなれないのだ。


改めて村を見渡してため息をつく。
自然が多いためか都会よりかはマシだが、それでも暑いことには変わりない。
ぎらぎらと照りつける太陽が、肌を照らす。おまけにじめじめした熱さ追い討ちをかけるのだ。
おまけに虫も多く、たまに顔にぶつかってくる。
汗が目元に落ちてきたのを、乱暴に払うと少しべたつく感触と、かすかな汗のにおいがした。


魔物娘は人と比べると、汗をかいてもそれほど匂わないらしい。
でも、だ。
ダウマーも女の子である。汗の匂いを無視することなんてできやしない。
頭の中がシャワーを浴びることで一杯になったころ、彼女の走るその先に人影が見えた。



走る速度は速いが、事前に確認できればどうと言うことはない。
青年が道を譲ろうとするよりも先に迂回する。
彼にとってはこちらへ走ってきた少女がいつの間にか自分の後ろにワープしたように見えただろう。
あの時のように人を跳ね飛ばすことは防げたようだ。




「ぶつか…あれ?」
「こんにちは」
「え、ああこんにちは」



気づいてないふりをしてあいさつ。
その時ににっこりと笑顔を作ることも忘れない。
すると青年もつられたようにぎこちなく笑顔を作った。


出会いこそ似ていたけれど、よく見ると男は桐谷とはまた違ったタイプの青年だった。
やや落ち着いて大人びている…というかじじくさい桐谷とは反対に、やや顔つきは童顔で少年のような雰囲気を持つ。
髪も適度に崩しており、かえって洗練された印象を与えた。
ダウマーに対する態度も子供扱いするのではなく、しっかりとこちらに向き合うとしているのが良くわかった。


「村に初めて来たのですか?もし良ければあたしが村役場までご案内しましょうか?」
「いや、大丈夫。村の地理は頭に入っているし、自分の足で見て回るのが好きなんだ」
「わかりました、それではごゆっくり」
「ありがとう、でも君の親切は嬉しいよ」
「べつ…いいえ、良い一日を」


苦手な敬語だが、すらすらと答えることができた。
一目見たところ、背丈は桐谷に及ばないが、彼と違ってしっかり者で動きも洗練されていた。
何せ、この暑い中でも袖の長いクレリックシャツを着用して、しっかりとしたネクタイを締めているのだから。
おまけに胸ポケットにはポケットチーフときている。
会釈する彼を見ながら、彼は何者なのだろうか、と考えた。




こんな田舎の村に来るのはドワーフの腕を求めて来る依頼者か、桐谷のようなもの好き……もしくは村にゆかりのある人だろう。

ふとこの村に住む誰か知り合いだったりして、と思った。

例えばこの村の管轄する役人の子息と言う線だが、それにしたってこんな村に一人で来るだろうか、仕事でもないのに。

お偉いさんの知り合につてがありそうな金持ちと言えば、知り合いのドワーフ画いるのだがむかむかするのでダウマーは彼女について深く考えることはしなかった。

 
「そう言えばあいつと会った時も、お昼時だったかな」


そう苦笑しながらダウマーは足元を見る。
だが、タンポポを見ることはできない。
彼女ははまたランニングを再開したのだった。


_____そう言えば最近あいつ、元気がないな_____


そんな思いが、彼女の頭をよぎった。
少し胸の奥がチクチクしたのは、きっと気のせいなのだろう。




















「転んだときのとっさの魔法は、と」


家に帰った後。
庭でドワーフの正装を纏い、ダウマーは手元に魔力を集中させる。
おもちゃの積み木をわざと崩れやすく積んで、それを崩れないように魔法でバランスをとるのだ。
彼女は続けて魔法の実技に備えて練習していた。
勉学だけでなく通常のカリキュラムと同時に護身術、魔法の扱いを実技で学ぶ。


このように、いざという時に人間救助のために役に立つ術を学ぶのも魔物娘たるドワーフの務めなのだ。





ダウマーは小さいころから夢中になるとそれ以外のことがおろそかになる癖があった。
そんな彼女にとって好きでない授業はウィークポイントなのだ。


退屈な時ほどアイディアは浮かぶものだが数学の授業で銀のサイズを思い浮かべ、国語の授業
ともなると表現されたものを細工物に変えてしまうことも。
授業の中身が入らないほどに夜更かしをしてしまうこともしばしば。


もちろんそんなミスは教授にはお見通しだ。
彼女が寝不足気味で教授の部屋に訪れようものならモノクルが光ってすぐに注意されるのだ。。
曰く、体が資本なのだと。

当然ダウマーは慌てて「時間を犠牲にしなければ追いつかないと」と反論……つまり言い訳するのだが、


「君は今睡眠不足なのに、いつものように話が聞けると?」
「で、でも」
「眠る時間を取れないほど忙しい仕事は多いが、休めるときに休められない者はどんな分野でも長続きはしないものだ」
「そうかも、しれませんが……」
「君は一つのことに夢中になると他のことがおろそかになりがちだ」
「う、うう……」
「すべてを完ぺきにするの非効率だがどんなことであれ最低限の備えはしておくべきだ。特に寝不足はあらゆる部分に響く。怪我を負えばその分だけ時間を喪うことになるだろう」
「……はい」


このように教授は頭ごなしにダウマーを叱ることなく言葉でノックアウトしててしまう。
鈍く光るモノクルはまるで望遠鏡、スナイパーのライフルだ。

教授の元へ行きたいばかりに他のドワーフとの付き合いや銀細工に関係ない勉学もおろそかにしようものなら見抜かれてしまう。
そして注意を受ければその分だけ指導の時間が減ってしまうので、ダウマーも日頃から気を抜くことは出来ない。


子供の頃は教授が銀細工以外にもあれこれ注意することに口をとがらせてたダウマーだが、そのおかげでへんくつなドワーフにならずにすむことも事実だった。
勉強を教えたり雑談をすることでクラスメートともある程度交流ができるようになった。


おかげで学校生活を優等生として学校生活を送ることができ苦手な勉強にも取り組めるようになった。
勿論ソリの合わない生徒も存在するが、そこはまあ生きていくうえでは仕方がないだろう。


それもこれも、教授の愛のムチでトや人当たりの良いインゲの協力もあってこそ。
でも表立っては感謝の言葉を気恥ずかしくて述べられないのだけど。


だがそんな「優等生」なダウマーは悩みどころがあった。




それは料理だ。



 
話は数日前。
ダウマーは再び教授と部屋の中で会っていた。
以前と同じように、銀細工の確認をしてもらっていたのだ。

 
「ふむ、以前より魔界銀の仕上がりにも君らしさが伝わってきているようだな。魔力の輝きも暖かさをしっかりと表現できている。よく対象のものを観察できている証左だ」
 

教授は細工について指摘以外の感想は述べなかったが、薄い笑みを浮かべていた。
彼女のそんな様子に、ダウマーはぱっと顔を明るくする。


「ありがとうございます!教授」


アンナに先を越されただけあって、少しひやひやしていたのだがこれでスタートラインに立てた。
ダウマー無意識にあまり豊かでない自分の胸に手を当てていた。
ふうと息をつくダウマーとは対照的に教授は静かに考え事をしていたようだ。


「そろそろ実技の試験のシーズンがやってくるな」
「ええ」


ダウマーはこの時教授に言われて「ああ、そう言えばそうだったな」と思ったのだが教授は幸いなことに咎めることはなかった。
一呼吸おいて、教授は話を続ける。


「今の君には実技の成績は心配はしていないが、村の外へ出る機会も増えていくことだろう。何かあった時のため力の下限は学んで損はない。
魔力を上手に操ることが出来れば銀細工の彫金にも生かすことができるだろう」
「はい、両親やインゲにも協力してもらっています……あと約一名にも」
「最近の君は色んな事に目を向けているようだからな。良い傾向だ」


以前の君なら私が勧めても心から興味を持たなかっただろう。
そう言って少し笑みを浮かべる彼女にダウマーは深々と頭を下げる。
教授は始動は厳しい…でも、どんなに忙しくてもダウマー達の面倒を必ず見てくれたのだ。


これ以上時間を取らせることもないだろうと思い、部屋から出ようかと考えた時だった。


「……あ、そうそうダウマー。もう一つ」
「何でしょう?」


振り向いたダウマーに、教授は知的だがやや冷たさを感じる表情を緩め、かわりにいたずらっぽい笑みを浮かべて見せた。
ウィンクした時のまつ毛が合わせて揺れる。
それは、同性のダウマーから見てもドキッとするような魅力的な笑みだった。


「カレー以外の料理の一つも作れるようになっておけよ?」
「う……オムレツを今作って……ます」
「ふむ、オムレツか」


教授は少しおかしそうに微笑んだ後、真面目な顔になる。
ダウマーとしてはリラックスして聞くつもりだったが、考えとは逆に背筋はピンとしていた。


「それならアドバイスを一つ。前の調理実習で君の作った包丁だ」
「はい」


教授は本当に色んな所を見ているなと思いながらうなずく。
果たしてこの人に苦手な分野はあるのだろうか、と内心首をかしげる。


「包丁の柄の部分の重心が甘い。きみは力のわりにコンパクトにまとめる癖がある」
「コンパクトに、ですか?」
「それはとてもいいことだが、軽すぎることは切れ味に影響をもたらす。あの桐谷くんもそんなことを言わなかったかな?」
「そう言えばあいる、なんだか軽そうに…」
「自分で使ってみれば、少しは感想も変わるはずだ。自分でも体験して、それを反映させるのだ」
「コミュニケーションは仕事でもついて回るからな…世の中のクライアントにはあれとかそれとか大雑把な言葉遣いでしか説明できない困った者も……」
「うちの母親みたいですね……」


珍しく困ったように眉毛を落とす。
やたらと実感のこもったアドバイスのこもった言葉を聞きながら考える。
教授の言葉通り、料理にかかわるようになったのは舌が肥えただけでなく道具を実践する理由もあった。
包丁以外の道具も作って、自ら実践したのだが銀細工などの彫金とは違って料理は勝手が違う。
実用道具、それも苦手な料理を作るための道具を考えるのは想像以上にに難しかった。




最近銀細工ではなく料理について語ってるような気がするが、それはいい。
桐谷との一軒以降、自炊に手を出したダウマーだが大きな壁にぶつかっていた。
第一が、レシピ。料理本を読むと知らない材料ばかり。
結果として、村にある材料で作るしかない。すなわち日本料理……米を使った料理である。
当然のようにマンネリ化する食卓に彼女は頭を抱えていた。
米料理でマンネリというのは、普通ありえないと思うかもしれないが。
普段からパン食であるダウマーにとっての米というのは「主食ではない」のだ。
当然ながら家には炊飯器もない。


そう、レパートリーの枯渇である。
ネタ切れともいう。


彼女に作れる料理は、桐谷が教えてくれたカレーくらいで。
他の料理は中々上手くできないのだ。
そのせいで、休日はカレーばかりという状況になってしまう。
同じメニューばかりなことを気にするのは、彼女の舌が肥えてきた証拠だろう。
根が負けず嫌いなことも無関係ではないだろう。

つたないながらもオムライスを作ったときは、フライパンに卵がくっついてしまってぼろぼろになったオムレツが、悲惨な姿をさらしてしまっていた。


「流石わが娘の料理だ!ダウマーは銀細工だけでなく料理の才能にも恵まれていたんだな!」


父、フレゼリクは(大げさに)褒めてくれたものの、その優しさが余計にダウマーにダメージを与えるのだ。
頭の中の失敗作を思い出してはため息をつく。
独学、本だけの勉強では限界があることを、彼女は感じていた。


自分が料理作る日がカレーだけでも両親は不満を言わなかったし、つたないオムライスでも喜んでくれた。
特にフレゼリクはオレンジに近い金の髭を揺らして絶賛してくれるのだが。
そろそろダウマーも独学、自己流のでは限界を感じ始めていた。
しかし、銀細工で教授がいるが、料理に関しての師匠である桐谷は毎日に村に来ると言うわけにはいかない。
おまけに自分の気難しさを知っている分、同級生にも頼りにくかった。


こんな時一番頼れる相手は決まっている。
友達と話し終得るタイミングを見計らって、インゲに近付いていく。
が、先にインゲが気が付いた。
ぶんぶんと手を振るインゲに苦笑すると、先ほどまでインゲと話していたドワーフ達も「またね、インゲ、ダウマー」と言って帰っていった。


「インゲ、もし良かったら今日の午後なんだけど」
「うん……あ、もしかして一緒に買い物へ行ってくれるの?」
「いや、そうじゃなくて」


目をキラキラさせて輝かせるインゲに少しだけ罪悪感を感じる。
買い物くらい言ってもいいのだが、都会はこの前行って満喫(疲れたので)また今度にしてほしいところだ。
ダウマーは髪をなでると、息を吸い込む。


「料理教えて、おねがい!」
「え?」


両手を合わせて、インゲに頭を下げる。
ツーテールもダウマーに合わせるように下を向いた。
インゲはそれを見て、ぱちくりと瞬きをした。






「……え?」





インゲはえっと、と口にしてから不思議そうにダウマーを見た。
そんなに自分が料理を作ることを珍しいか、と内心ダウマーは思う。





「料理のことなら桐谷さんの方が詳しいんじゃないの?」
「いやまあ、そうなんだけど、あいつ鬼教官だし……」
「おにきょうかん?」



ダウマーの言う通り、普段はのほほんとした桐谷は料理に対しては一切手を抜かない。
うっかり新しい料理を教えてもらおうものなら、いつ終わるかわかったものではない。
彼は教授と違って妥協というものがないのだ。


「……ほら、やりなおして」


いつもと変わらない表情。
けれど有無も言わさぬ彼の態度を思い出して、ダウマーははあと特大のため息をついた。


「それにあいつも忙しそうだし…」


この前都会へ行って分かったことだが交通費というやつは馬鹿にならない。
わざわざ料理のためにわざわざ彼を呼ぶのは気が引けた。
最近は忙しいのか以前ほどこの村に訪れてはいない。


それに、いい加減彼にきいてばかりでは上達しない、と思っていた。
道具だけでなく料理であっと言わせたいとかそう言う気持ちはない。無いったらない。
眉間にしわに寄せて複雑な表情を浮かべるダウマー。
彼女はやっぱり負けず嫌いなのだ。


インゲはそんな事情を知ってか知らずか、急に意味ありげな笑顔を作った。


「そうだよねえ、好きな人には秘密の特訓したいよねえ」
「え?」
「うんうん、わかった、私に任せて!」
「ちょっと、インゲ何を」
「男の人は胃袋からっていうもんね……えへへ、がんばろ。ダウマー」
「で、でもあいつ自分で料理できるし。あたしの料理じゃ」
「いいの!思ったら善は急げだよっ……もう一人の生徒は今日はお休みしてるしねっ」
「もう一人?……ってまってよ、インゲー!?」


善は急げとばかりに走るインゲに、一生懸命追いかけるダウマー。
もう一人とは誰なのか、聞く間もなく。
行動的になった彼女は長い付き合いのダウマーでもなかなか止めることができないのだった。




午後、日差しにテンションが下がるのを感じながらインゲの家へ向かう。
さっきインゲの後を追いかけていたのになぜ外にいるかと言うと、
彼女を追いかけていたせいでエプロンを持ってくるのを忘れて家に戻る羽目になったからというのは内緒だ。
当たり前だが、彼女の家は子供の頃からずっと変わらない。
物は多いけれど、綺麗に整えられていて、これぞ女の子の家と断言できる華やかさだ。
この不思議な雰囲気が、インゲに良く似合っている思う。
ノックをすると、サイドテールを揺らしてインゲが出迎えてくれた。


「えへへー……上がって上がって」


そう言いながら彼女は小さな手でダウマーの手を取って台所まで連れていく。
出会った時から、変わらないはにかむような笑顔。
あの頃から、そして今でも親友と言えるのはやっぱり彼女を置いていないだろう。
手慣れた手つきでフリルのついた薄桃色のエプロンを着けるインゲにつられるように、ダウ マーも飾り気のないエプロンを身に着ける。
自分で料理を作るようになってから着る機会は増えたけれど、まだまだエプロン姿には慣れない。


「それじゃあ、クッキングいってみよー!」
「ああ、うん」


材料は中身となるチキンライスを構成する鳥もも肉、玉ねぎ、トマトケチャップ、そして炊いておいたご飯、である。
調味料は塩、こしょう、バターと生クリーム。
そしてなんといってもオムレツのための卵が大事だ。


「この前失敗したオムライスってことで良いんだよね」
「うん、ありがとインゲ」



2人はは三角巾を頭につけると、慣れた手つきでゴーグルを着用する。


「今日は玉葱をつかうもんね」
「あんなふうになくは目になるのはもうごめんだわ」


ゴーグル越しに目で会話するドワーフたち。
ドワーフにとっても玉ねぎは手ごわい敵なのだ。
真に切れ味のある包丁と腕の有る料理人であれば涙は流れないらしい。
桐谷が斬った時は全く涙がでなかったが、もちろん二人にはそんな腕はない。


「インゲ、あんた相変わらずゴーグルにハートーク書いているのね」
「うん……だってかわいいし。あ、鶏もも肉は縦に切ると簡単だよ」


カレーの時の経験もあり、以前よりは手慣れた手つきで肉を切ることができる。
ダウマーの手つきを見たインゲが、にっこりと笑う。


「やっぱり桐谷さんのおかげだね」
「インゲはそういうのが好きよね 」
「……えへへ、私だって好色な魔物だもん。」


呆れたように言うダウマーだがインゲの言う通り、豪快で技巧を好むドワーフ族も思春期ともなれば恋愛話や恋愛に夢中になるものだ。
学校でも青春そっちのけなダウマーやアンナのように教授に師事して銀細工に熱心なのはやや珍しい方と言える。



「あたしだって、別に恋愛禁止とかは思わないよ。お父さんやお母さんを見てればわかるし」
「うんうん。あたしも恋話は大好物だよ」


小さく笑いながら、材料を刻むインゲ。
その目元は、前髪とゴーグルに隠れてよく見えなかった。
それにね。
インゲが続ける。


「……それに、ね。私、ちょっとだけ安心してるんだ」
「安心?インゲが?」
「ダウマーがほかの人を気にすることってほとんどないでしょ?」
「まあ、そうかもね」
「好きの反対は無関心。嫌いじゃ……ないんだよ」


鳥のもも肉を焼く音が響く中で、インゲの言葉はやけに大きく聞こえた。
おどろいて無言になるダウマーを尻目に玉ねぎを加え、木べらで混ぜながら炒めると玉ねぎのいい香りが鼻をくすぐる。
同時に卵を溶いていたインゲはダウマーに向き直ると、にっこりと笑って見せた。
なんとなく心配されていたのが分かって、ダウマーは苦笑いを浮かべる。


「焼くときは、サラダ油ひとさじで中火で焼くといいんだよ?卵の底の部分が固まる程度に火を通せば…ほら」


インゲの言葉通り、あたたかな黄色のオムライスが出来た。
やさしい卵のおいしそうな香りが、鼻をくすぐる。


「固まらず、できた」
「うん、そこでチキンライスを卵の真ん中に置けば、ほら!」
「できた……!」
「うんうん、完成だよ」


まるで写真に写る料理のように美しい……とはいかないが、それが手作りのおいしいオムライスという具合だった。
目をつぶってもう一度オムライスを見る。
思い浮かべるのは崩れてしまったもの。
以前作った物よりきれいになったオムライスが現れる。
インゲの手伝いがあったとはいえ、自分一人ではたどりつけなかった道だった。

「ありがとう、インゲのおかげよ」
「これで父さんにまともなオムライスを出せるわ」

ダウマーがお礼を言うと、インゲはドワーフらしい可愛らしい笑みでおどけて見せた。

「桐谷さんもにっこりだね」
「あいつはその後余計な一言が尽きそうだけど」

とたんにげんなりとした顔で言うも、脳裏に真面目な顔でダウマーの作ったオムライスを食べ、その後笑顔でダウマーをなでる桐谷の姿がよぎった。
子ども扱いをされるようで腹が立つが、同時に心が温かくなるような…不思議な気持ち。

「ダウマー……ごめん、すごいい笑顔でそのまま見てたいんだけど……」

インゲの言葉に現実に戻る。
目の前ではインゲが顔を赤くして少しもじもじしている。
その姿はとってもかわいいが、自分がどんな笑顔をしていたのだろう?
とにかく慌てて真面目な顔を作る。
インゲは追及してくるかと思ったが、そうではないように心の中でほっと溜息を一つ。


「明日、家に料理を習いに来る人が来るから手伝ってくれる?」
「何か手伝えることがあれば言ってちょうだい」
「?ええ、構わないけど」

インゲはほっとしたようにありがとうと言った。
彼女は後ろを向いて口元を隠したのだが、自分のことで手一杯のダウマーはもちろん気が付かない。
ずいと身を乗り出してきた。


「その子、ちょっと気難しいけど我慢してね」
「わかったわ、多少のことは我慢するわよ」


インゲが誘ってくれた買い物は手伝わなかったのに料理の練習と言う自分の要求を通してしまったうしろめたさもあって頷いて了承する。

肝心の誰が相手なのか聞かぬままに。

ダウマーは安請け合いやあまり考えず答えるとしっぺ返しを食らうことになると身をもって体験することになるのだが、それを知る由もなかった。









**










日があけて、ダウマーは空を見上げる。
比較的に涼しい天気だったが、それでも暑いことには変わりない。
インゲの家をノックして、ドアを開けて家の中に入ると空調の効いていることにほっとしてしまう。


「インゲ―、来たわよ」
「はーい。いってた人は先に着てるから……」
「インゲ!次はここを教えてくださいま……」


ダウマーの返事より先に、台所からエプロンを付けたままダウマーのオレンジ色の髪の毛とは違う金髪のドワーフがとっとっとっと音を立てながら走ってきた。
丁寧にそろえられた金色の髪の毛と、絵本で見た青い海のように青い瞳はきりりと細い。
育ちの良さがわかる手触りの良い美しい刺繍が加えられた上質なエプロンを身に着けていた。
ダウマーの表情が固まる。


「「___え?」」


そして、その金髪のドワーフもダウマーの方を向く。
見たことがないようなやらかい笑顔で話していたのだが、ダウマーの方を見た途端に。


笑顔のまま、凍り付いた。
一方のダウマーと言えば顔が引きつっていたが。


「「なんであんた(あなた)が、ここに!」」


アンナである。
ダウマーにとってやたらと自分に突っかかってくる、実に嫌みなドワーフだ。
そもそもなぜ彼女がエプロンをここに来て立っているのか。
今日ここでダウマーはインゲから料理を学ぶはずで、冗談でもアンナと鉢合わせるはずがないのだが。


「ダウマー。悪いけど、今日はあなたの相手をしてる暇はないのですわ。出てってくださ  る?」
「アンナ。あんたは料理する必要性はないわよね。帰って銀細工の練習をしないと追いつけな
いんじゃない?」


互いに笑顔だったが、言葉の応酬の後すぐににらみ合う。
が、それも長くは続かなかった。


「今日は三人で料理を作ろう?ねっ」


インゲが二人の肩を抱いてそう提案してきたからだ。
二人も料理の師匠である彼女の提案に対して邪険にすることは出来なかったのだ。
かと言って素直に仲直りするほど素直でもなかったが。


「インゲ、悪いけど(申し訳ないのですが)」

「何かな?」

「こいつとだけは無理!」
「この娘とだけは遠慮させてもらいますわ!」


2人は払いのけない程度にインゲの腕を下ろしてきっと睨み合う。


「えへへ、ふたりとも息がぴったりだね」


インゲがにっこりと笑うが、二人とも笑うどころではない。
この二人の息がぴったりなどと機嫌を悪くさせるのでみんな指摘はしないのだがインゲはお構いなしだ。
この2人が喧嘩しだすとなかなか止められないものだが、インゲはその点慣れっこである。


「ダウマー、ご飯をといだらジャガイモをいためてね」
「アンナ、今日は落しぶたのやり方を教えてあげるね」

「ちょっとインゲ!?」
「私の話はまだ終わってませんわよ」
「2人とも手を動かして。料理は完成させて食べるまでが仕事なんだから」


2人の抗不満をさらりと受け流していつものののんびりさが信じられないようにてきぱきと指示を出していく。
しょうがないのでダウマーとアンナは作業に取り掛かっていく。
こういう時のインゲが止められないのは二人ともよく知っているからだ。

ダウマーとアンナと言う対立する二人を友人に持つだけあると、周囲の人々は思っていた。


(だいたいアンナとは初めて会った時から気が合わなかった)


プリプリと怒りながら、動かすダウマー。
村の年を取ったドワーフたちが言うエルフだってこんなに嫌な魔物ではないだろう。
イライラしているからか、かつてのアンナの姿がはっきりと思い出せてしまう。


「私の家庭教師から教えてもらったやり方が正しいに決まってますわ!」


アンナは家族と共に村に引っ越してきて、学校に転校してきたのだが教授に対して自分の家庭教師の方がすごいと言い出したのだ。
教授は特に気にしていない様子だったが、ダウマーにとっては大問題だ。
後で家庭教師から教授のすごさを教えられてアンナは考えを改めたのだがダウマーは納得していなかった。


「ちょっとダグマール!それともダグマー…?ああ、ダウマーでしたか。教授のところへ案内してくださる?」
「あんた…喧嘩売ってるの?」


特にダウマーはアンナが最初の時、教授の腕に疑念を抱いたり自分の名前を間違えられたことを根に持っていた。
教授の件はともかく、名前を間違えられたことに今でも腹を立てているのは単純にアンナが気に食わないだけであろうが。
このやりとりから後もアンナもやたらとダウマーに突っかかるようになったのでお互いさまと言うべきか。恐らく教授の付き合いが長いことなどの嫉妬や相性の問題もあるのかもしれない。

ともかく二人は、同じ師を持ちながら授業や遊びでもなにかと対立が絶えないのであった。

「「……」」


それから数分間、アンナとダウマーの間に会話がなかった。
さして広いわけでもない台所なのにできる限り顔を合わせてないようにすら見える。


「ちょっとアンナ、切り過ぎよ。注意が足りないんじゃない?」
「ダウマー、煮汁を暖め過ぎなのでは?が雑さが出てましてよ」


そんな二人の間に初めに交わした一言がこれである。
お互い料理の指摘は正確だが、いちいち一言が余計である。
視線を合わせてないように見えてちゃんとお互いを見ている証明だが、インゲでなければこの空気は辛いに違いない。
そのインゲと言えば、楽しそうに鼻歌を歌っている。



ダウマーはできる限り無心になろうと振り返った時。



「えっと、次は蒸したジャガイモを……ひゃあ!?」


濡れた床を踏んづけてしまったインゲが足を滑らせてしまう。
両手にはボウルをもったままで、手をつくこともできない。
間に合わないと感じつつも、走るダウマー。


「危ないですわっ!」


その瞬間、インゲの周りを光が覆う。
とっさに唱えたアンナの魔法がインゲを支えたのだ。
急いでかけつけてインゲを抱きかかえると、魔法がきれたようでインゲの柔らかい体の重みを手に感じる。
昔と変わらない、柔らかなにおい。


「……ふう。ありがとう、二人とも。ぶつかると思ったよ」


インゲは驚いた顔をしたと思ったらすぐに花も咲くような笑顔になっていた。
怪我しそうになったことなどどこ吹く風、いつもと変わらぬ彼女にダウマーとアンナはつられるように苦笑した。
ダウマーは今度はおだやかにアンナの方を見た。


「その。ありがとう、アンナ。あんたの魔法がなければ間に合わなかったわ」
「……いいえ。できることをしただけですわ」


真っ先に行動したのはあなたなのですから。


彼女も笑みを崩さず返答した。
その言葉はお世辞で言っているわけではないのは分かった。





「…あんたの手、料理で怪我したんだね」
「失態でしたわ、あなたに指を見られていたことに気づかなかったなんて」





ダウマーとしては褒めたつもりでその話題を出したのだが、アンナは嫌なことを知られたと言わんばかりに顔をしかめた。
彼女は努力を見られるのを嫌がる節があるようだ。


「別に見たくて見たわけじゃないけどね。貸して、切るは私がやるわ。今なら私の方がてきぱきできるから」
「……以前のあなたなら考えられない行動ですわね」
「それはこっちの台詞よ」


お互い憎まれ口をたたきながら料理に戻るが、言葉ほどにはとげとげしい空気ではない。
雑談のネタを考えようとして、この前訪れた人間のことを思い出し、アンナに人間の知り合いはいるのか、と尋ねようとする。
だが、次の言葉がダウマーの心臓を止めんばかりだった。


「あの背の高い方が、貴方を変えたのかしら?」


アンナの言葉に、ダウマーがちょっとおどろいて目を見開く。
心臓がバクバクいっていた。
金髪のドワーフの顔を見るが、彼女は嘘やからかいの言葉を言っているようには見えなかった。


「アンタまでそんなことを……インゲに聞いたの」
「私、口軽くないよ?」


リビングの方で忙しそうにしていたインゲが不満げに口をとがらせて言った。
言うとすぐにまた戻っていったが。
アンナはコホンと咳払いをする。


「貴方が包丁を見せた時にあの方を見たのですわ。というか村にいれば大体のことは耳に入りますの」
「あんた、なんだかんだであたしのこと見てるわよね」
「当然ですわ」


うんざりとした声で話すダウマーに頷いてみせるアンナ。
皮肉のつもりだったのだが、彼女には何か思うところがあったのだろう。
少し怯んだダウマーに、アンナは言葉を続ける。


「わたくしはあなたの作品を見たとき、嫉妬にかられたくらいですもの」
「あたしの?」


アンナはこくんと頷いた。


「あんなに精密に、銀をあやつれるものなのか。長じれば、どれだけ高みに昇るのか、と」
「……ふうん」
「あの日、わたくしの銀が輝いたとき「初めて先にいけた」と思ったものですの」


教授に包丁を見せに言ったあの日アンナが先に銀細工を光らせたのはダウマーにとって衝撃だったが、それ以上に。
アンナにとってみれば初めての勝利だったのだろう。
教授から見ればそれは五十歩百歩であったかもしれないが。


「正直、過大評価よ。実際のアタシは」


思わず、自分を卑下する言葉を口から出すダウマー。
自然と三角巾でまとめた頭もさがり、目は下を向く。
それを聞いてふふ、と金髪のドワーフは笑う。
いつも見下した顔ではなく、普通の女の子が浮かべる自然な笑み。


「あなたは、いつまで立っても魔界銀に心を映せない。そんな魔物でしたもの」


けれど、とアンナは言葉を止める。
いつもどうり、勝気で、ちょっと偉そうだけど。
誇り高いアンナの姿があった。


「今のあなたは−ー違うでしょう? 」
「当然よ、アタシは前へ進んでいるんだからね」
「ええ。ですから、あらためて。」
「わたくしより先に行く、わたくしの認めたライバル。ダウマー・スミト。あなたに正式に宣戦布告しますわ」
「わかってる……アンナ。その勝負、受けて立つわ」

「でもその前に。」
「ええ」


よく炊けたご飯の匂いが鼻をくすぐる。
そして、肉じゃがの甘い醤油の匂いが食欲をかき立てていた。


「ご飯だよね!うん……たけてるよっ」
「今はみんなで料理を囲んで、楽しまなくちゃね」
「ええ。私たちの作った物を精一杯味あわなくては」


三人で手分けして作った料理。
今はライバルのドワーフも、そしてその二人を見守るドワーフも一緒の食卓に着く。
にぎやかな食事が始まる。




「ちょっと!味が濃すぎるんじゃないの!」
「貴方の味覚がおかしいだけですわ!」
「……2人ともご飯は落ち着いて食べなよ……」



お互い胸を打ち明け合っても、やっぱり気は合わない。
それでも、お互いに少しは向き合えるようになれたのだろうか。
少なくとも三人の顔には、笑顔が浮かんでいた。










***










「桐谷と出会って、あたしが変わった、か」


髪を少し撫でる。
あそこでは否定したものの、彼と出会ってから変化したのは自分でもなんとなくわかっていた。
料理を習ったり、アンナに素直な態度をとれるようになったのが何よりの証拠だろう。
それにしても、男一人と会って変わるなど、自分にも魔物娘らしいところがあったのだろうか。


そう思いながら家に帰ると父…フレゼリクがひょっこり顔を出してきた。

「おお、ダウマー。桐谷くんから届け物がある。あけて見なさい」
「あいつから?」

髭をなでながら言う父の言葉をうけて部屋に行くと、段ボールがあった。
包み紙を開けると、何やら衣服と手紙が入っていた。
丁寧に封筒を開けると、手紙を広げる。

「『ダウマーへ。最近これなくてごめん。でも君の様子はフレゼリクさんやマリーさんから聞いている。頑張ってるみたいだね』…父さん、母さんあいつといつの間に……」

当然のことながら人間社会では連絡するための機械が必須である。
フレゼリクやマリーはそれらを持っていたが、ダウマーはまだ使ったことがなかった。
なので、連絡を取ろうと思えば父や母と連絡を取るのは当然と言えた。
問題なのは父や母がいつの間にか桐谷と連絡しあって自分の情報を交換し合っていたということである。
そ言えば連絡も取ってないのに桐谷はやけに自分の料理の腕に詳しかったような……。

「『君は銀細工だけでなく料理にも力を入れてくれているようでとてもうれしい。』……別にそんなんじゃないっての」
「『それで、君が最近運動もやって少し寝不足気味だと僕は思っている。だから君にこれを贈ろうと思う。勝手なことだけど、少しでも休めると嬉しい。本当はゆっくり休んでほしいんだけど、好きなことに向かい合っいる君が一番魅力的だと思うから』」


トクン

その時、大きく心臓が動いた気がした。


箱の中の衣服を取り出す。
仕立てのいい、兎のパジャマ。
それは、桐谷からの贈り物だった。
おそらく、安くはない。これを買うために、彼は最近これ無かったのだろう。


「桐谷……」


ダウマーはその時、思った。
桐谷のことをもっと知りたい、と
自分がどれほど彼のことを知っているのだろう?
インゲ、教授のことは知っている。
やや、癪だけれどアンナのこともある程度理解できる。

だから、桐谷のことも彼女達と同じくらい知りたい。
この感情がなんなのか、ダウマーにはまだわからなかった。

と、彼女が思い出に浸る時間は長くは続かなかった。
なぜならけたたましいノックが響いたからだ。


「ダウマー!よかったら今すぐそのパジャマを見せてくれ!写真を撮ってインスタに載せるから……」


ドアの奥からそんな声が聞こえた。
ダウマーは娘の着替えに熱意を上げる父に大きなため息をつくのだった。








彼女がもう一度包み紙を見ると、もう一つ小包があった。
形の良い眉毛をひそめて空ける。




翠色の瞳孔が見開く。
やや堅実な作りで、やや装飾に欠ける包丁。
それは彼女が造り、桐谷に送った道具だった。


「!どう、して……」


知らぬうちに体が小刻みにゆれる。
一体、どうしたというのか。
彼の心境に、どんな変化があったというのか。

答えは出ることがなく、彼女の思考回路は迷路を迷うように混乱していくのだった。
17/12/24 22:21更新 / カイント
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■作者メッセージ
今回作った物
オムライス、肉じゃが


今回初めて次回に続く形になりました。はたして、桐谷君に何があったのでしょうか?

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