連載小説
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会いに行った日のこと
「ねぇ、桐谷。なんでカレーの中に卵が入っているの?」

首を傾げて尋ねる。ダウマーにとって温泉卵を入れたカレーと言うものにはなじみがなかった。
そうドワーフが訪ねると、桐谷は少し笑みを浮かべるとかがんでいった。

「僕が君くらいの背丈の頃、家族そろっておいしいカレー屋に行ったんだ。そして、一番おいしかったのが卵カレーでね。それから晩御飯にカレーが出る日には必ず

卵カレーをねだったんだ」
「……みんな卵やカレーが大好きよね」

ダウマーは露骨ではないが子ども扱いされたことにムットするが、とりあえず桐谷がこのカレーにとても思い入れがあるのがわかった。
思い出のもの、と言うものは理屈を超えてしまうものだ。インゲは今でも自分の作った髪飾りを身に着けてくれるし、
自分の銀細工も教授がいなければここまで熱心にやらなかったかもしれない。

「じゃあさ、あたしも今度教えてくれない?」

彼が好きなカレーなら、自分が作っても損はないだろう。
桐谷を満足させられる料理を作れれば、彼に貸を作ることもできるかもしれない。
ダウマーは少し笑みを浮かべて提案するが、桐谷は寂しそうに笑った。

「それは無理だよ。だって、僕たちはもう会えないんだから】
「え……」

桐谷はエプロンを脱ぐと、そのまま玄関に向かった。
呆然としていたダウマーは、慌てて追いかける。

「待ちなさい!どこへ行くの、一体どういう意味なの!?」

思わず呆然としたダウマーは慌てて追いかけるが、玄関のドアは開かず……。
自分の叫びは虚空へと消えていった。

思わずバネのようにはね起きる。
いつもの、見慣れた自分の寝室だった。


「夢、か……」



ぐつぐつと煮えるカレーを見つめる。
そして、お湯の中で温めておいた卵を開く。
固ゆで卵。

ダウマーはため息をつく。
最後に会った日に、卵カレーの思い出を聞かされてから何回か挑戦しているが、なかなか
上手くいかない。

あれから、桐谷との連絡はとれ無かった。
彼と連絡を取れる両親に聞いても、首を振るだけだった。


それからの日々、ダウマーの様子はいつもと変わらない生活をしているように見えた。

家に帰れば料理をして、空いた時間に銀細工を作る。
インゲと話して、教授の元へ通って、アンナとぶつかって。
料理するようになったこと、アンナと会話するようになったことをのぞいて。
桐谷がいないこと二もまるで慣れてしまったかのようだ。

だが、その一方で旅行のための準備を進め包丁を作成するなどいつもとは違うことをしていた。
こうやって最近卵カレーに挑戦しているのもそれだ。

三角巾とエプロンを外して、一休み。
ふと、鏡を見る。
翠色の目も、桃色に近い肌の色も同じだった。
なのに。


「……我ながら、酷い顔ね」


姿見に移る自分の顔は寝不足だった時のように目に活力がない。
じっと鏡を見ていると、目もとの黒子(ほくろ)がなぜか涙を流しているように見えた。


「やっぱり、待っているだけなんてあたしにはあわない」


まるで自分に言い聞かせるようにつぶやく。
ぼんやりと時計をながめると、両親が家に帰ってくる時間だ。
自分が、話があると二人を呼んだのだ。

ダウマーはある目的のために準備をしていた。
そしてその計画はインゲには話してある。


手にしたのは、自分で作った大人サイズの包丁。
やがて、鍵を開ける音が聞こえた。
両親の声が聞こえてきたので、玄関まで向かった。


「父さん、母さん。あたし、街へ行こうと思うの」


食事の席でダウマーはそう宣言した。
両親は顔を見合わせ、向き直ると頷いた。
何と言っていいかわからないと言いたげな釈然としない表情だ。
やがて父フレゼリクが口を開く。

「それはいいが…何をしに?」
「街へ行く。そして桐谷を探し出す」

言った自分が驚くくらいはっきりと答えていた。
フレゼリクは目を見開き、そして言いにくそうに答えた。

「ダウマー、それは……」

フレゼリクは困ったように髭をなでる。
そのままマリーと目を合わせると、マリーが口を開いた。


「ねぇ、ダウマー。それはちょっと難しいわ。街の中から1人を探すのは地面に落ちた針を探すくらい難しいのよ?
それに桐谷君を見つけたとしても、避けられる可能性もあるわ」


豪快な母にしては珍しく言い聞かせるような言い方。
無理もないだろう。桐谷を恋人だと言ったことはない。二人とも、自分だけでなく桐谷を心配しているのだろう。
その上で、自分を説得しようとしているのだと思う。
父がうなずいて母の言葉を引き継ぐ。


「母さんの言う通りだ。それに今の彼はそっとしておいたほうがいいのかもしれない……
人間の、心の傷は時が立つことでしか癒せないこともあるんだ」


なるほど、大人として正しい意見だ。
だいたい街に探しに行くなど、無謀極まりないだろう。
桐谷だってもしかしたら自分に会いたくないのかもしれない。
それでも。


「父さん母さんが言っていることは正しいと思う。でも、きっと今いかなければ絶対に後悔する。あたしも、桐谷も」


なぜだろう、この言葉だけは二人にも伝えなくてはならないと思っていた。
根拠も何もあったものじゃない。
桐谷が聞けば冗談じゃないと眉を顰めるかもしれない。
それでも、自分の言葉に嘘はつきたくなかった。
マリーは驚き、フレゼリクは椅子から立ち上がる。微笑んで、ダウマーの柔らかな髪の毛をなでた。


「わかった。ダウマーの好きにしなさい」
「フレゼリク……」

父の言葉に、母が驚く。
フレゼリクはマリーを抱き上げて、やさしく抱きしめた。

「マリー、もう私たちの本心をごまかすのはやめよう。私たちの娘を信じようじゃないか。君だってダウマーを信じているんだろう?」
「……当り前よ。ずるいじゃない。抱きしめてそんなこと言われたら反対できないわ」

マリーは静かに、しかし力強く答えるとダウマーににっこりと笑う。
いつもの力強い笑みだ。


「そうね。ダウマー、こうなったら絶対に会ってくるのよ!あなたのことだからもう準備はしてあるのよね?」
「うん」

ダウマーはしっかりとマリーの瞳を見て頷く。するとマリーはあははと豪快に笑った。
そして背中をバシバシ叩いてくる。

「さっすが私の娘!」
「いたいよ、お母さん」

ダウマーも抗議しながらも、いつか笑顔になっていた。
するとマリーも打って変わってやさしい顔をして、じっと見る。

「後片付けはお父さんとお母さんでやっていこう。今日は早めに寝なさい」
「ありがとう、父さん母さん……お休みなさい。」

ダウマーはそう言うと自分の部屋へ向かった。
娘がいなくなった後、フレゼリクとマリーは顔を見合わせた。


「後で怒られそうね…」
「娘のためだ、我慢しよう」



***



早朝。
見知った道を歩き、通い慣れた場所へなんなくたどりつく。

特に立派、と言うわけではないが落ち着いた雰囲気のある家だ。

あける前に深呼吸。
ノックすると、ドアが開いた。

「君が家に来るのは久しぶりだな」

教授は見慣れた白衣姿でなく、ジーンズにYシャツとラフな姿で出迎えてくれた。
いつもは首飾りにしている銀の指輪も、今は薬指にはめている。
別に教授だっていつも白衣を着ているわけがないのだが、多忙な彼女と言えば白衣のイメージがあった。

「教授……話があるんです」

ダウマーがおずおずと口を開く。
顔が少しこわばったような気がした。
教授はなにかを悟ったような顔をすると、招き入れるようなしぐさを取った。

「立ち話も何だ、家へ入りなさい」
「はい」

いつもはまとめてい髪の毛も今日に限っては下ろしていた。
片眼鏡(モノクル)をしていないと大分印象が変わるようにも思えた。

通されたリビングは、片付いているけれども物が多い不思議な印象を受ける。
少し見渡してみると、数々の賞や偉い人たちと並んでいる写真もある。
なかにはとても美しい細工の写真も。
目を引いたのは。

教授が男の人と並んでいる写真と、自分たち生徒と並んでいる写真や自分の両親と映っている写真もある。
何だか照れ臭くなった。

「人との待ち合わせまで時間がある。部屋の中でも見ていてくれ」

紅茶の準備をする教授を見ると、彼女も所帯を持った普通のドワーフに見える。

そんな彼女も新鮮なのだけれど、少し気になることがあった。
動き自体はきびきびしているのだが、なんだか気だるげで少し具合が悪そうに見える。
教授、と呼びかけると彼女は振り向いた。
同時に長い赤毛が揺れる。

「具合、悪いんですか?モノクルもしていませんし」
「どうしてそう思う?」

彼女はそう言ってふふっと笑った。

「まあ、確かに具合は良くない。モノクルはまぁ、ポケットの中だ」
「いつもつけている印象がありました……」

おいおいと教授は言うと、腰を下ろす。
ダウマーも座るように足されおずおずと椅子に座る。

「あれは父からの贈り物なんだ。普通は時計だったりするのに、変わっているだろう?」
「そうなんですか」

考えてみれば教授は目が悪いという話も聞かないのに、なぜにモノクルをしていたのか考えたこともなかった。
父からの贈り物だと考えれば納得した。
もっとも、モノクルから少しの魔力反応を感じるので、マジックアイテムとしての効果もあるのだろう。

「雑談はここまででいいだろう。ダウマー、私に話したいことがあるようだね?」
「はい。実は……」




「それで学校や銀細工の練習を休みたい、と」
「駄目、ですか?」

事情を説明したダウマーは心配そうに眉を下げた。
今までさぼりたいなど言ったことがないダウマーにとって、正直休むことを口にするだけでも気が引ける。
目の前の調子の悪そうな教授を見ればなおさらそんな思いは強まる。

心配そうにダウマーが訪ねると教授は首を振った。
どうやら杞憂だったようだと胸をなでおろし、顔を上げた。

だが、教授は心配そうな顔でダウマーを見ていた。
それは教師や師匠としての顔とも違う、まるで母親のような目線だ。


「ダウマー。はっきり聞こう。桐谷君は君にとってなんだ?」
「……教授に、それが関係あるんですか?」

少し赤面した後、非難するように翠色の瞳でじっと見る。
いくら教授でも、まるでずかずかと心の中に入り込むような言葉にムッとして強い口調でダウマーも答えた。
いつも教授には隠し事なしで向き合っているつもりだったから。
言い捨てるように答えた後、ちょっと態度が悪かったかなとダウマーは気まずい思いで教授を見る。
反抗的な態度を取ってもすぐにこうなってしまうのだ。

「なぁダウマー、君は優秀な生徒だ。」

突然褒められてぽかんとした後、少し顔を赤らめる。
そのまま褒められて喜んでしまってはしょうがない。
顔に力を入れて、教授の次の言葉を待つ。

「今回の桐谷君のことは私も心配だ。しかし、もし行って拒絶されれば君は傷つくことになる」
「……確かにそうかもしれません。でもあいつをほっておきたくはないんです」

教授は頷く。
それにしても、なんだか言い方がいつもの教授らしくない。
なんだか感情がいつもより籠っている気がして、教師としてより年長のものがまるで子供を説得しているかのようだ。
いつもは教えるものと教えられるものの差があるとはいえ、対等な目線で話してくるので何だか変な感じだ。

「ダウマー。私は君の教師で、師匠だ。そして君の先生でもある。街へ行って桐谷君を探すのは困難だ。
みすみす可能性が0に近いことは賛成できない」

もっともなことである。
ダウマーだって自分がどれほど無謀なことを口にしているかはわからないわけがない。
今だって教授が自分を思って説得してくれているのは痛いくらい理解していた。

「魔物娘にとって、愛する人を見つけることは比べ物にならないほど大きな事を意味する。
それでも、「シゼリヤ」を目指す君の夢が劣るとは私には思えない」

シゼリヤ。
その言葉を聞いてダウマーは心が揺れた。
魔界銀細工師で最高峰の称号であり、シゼリヤと称される者たちが作るアクセサリーは
魔王の娘たるリリム達にも愛されると言う。

それを目指すのは、確かに自分の指針でもあった。

それでも。

「教授、あたしの方からも聞かせてください。私に銀細工を教えてくれたのはあたしに才能があるからですか?」

突然の質問に、彼女は少し驚いたような顔をしたがすぐに理知的な表情を取り戻した。
教授は首を振る。

「……確かに君に才能はあるだろう。教えようと思ったのは私の意思だが」
「教授がいなければ、私が銀細工師の道を歩まなかった……そんなことを考えたことは?」

教授は腕を組む。
右眼を手を当てると答えた。

「私が言わなくても君は目指しただろうな。もっとも、普段の君の態度を見れば私の影響も0とは言えないだろう」

うぬぼれたわけではないが、教授は言った。
ダウマーもうなずく。
0のはずがない。教授はずっとダウマーの憧れの人だったからだ。
だからこそ、彼女を納得させなければならない。

「教授に出会わなければあたしは……うまくなれなかったと思います。出会い、と言うのはとても大きいんです」
「そうだな、私も否定はしない。この国に事故のような形で訪れたが、そのおかげで今の人生があるからな」

教授は少し優しい顔をした。
指の指輪がきらりと光る。
……教授は、どんな気持ちでここに住み、そして人生を送ってきたのだろう。
ダウマーにはわからない。
それを知りたいという気持ちがあるのは確かだが、今は一つのことに集中しなければ。
ダウマーは意識を集中させると、続ける。

「インゲにも言われました……ついでにアンナにも。あたしは、あいつの出会いで自分が変わったんだと思います。だから、
あいつが、桐谷が何かあるのなら助けてあげたい。もし拒絶されても、何もしなかったことに理由をつけて誤魔化したりしたくないんです」
「君らしくない、感情的な言葉だな」

その通りだ。
以前の自分がこの言葉を聞いたのなら面食らって、呆れただろう。
銀細工の時間を削ってまで会えるかどうかわからない人を探しに行くなんて。
色ボケしていると、思ったかもしれない

それでも。

「アタシは教授と比べて子供です、でも」

ーー彼女の目を強く見つめ返す。 教授のことを、こんな目で見るのは初めてだった。
だけれど、ここだけは、引くわけには行かなかった。

手をぎゅっと握る。
ダウマーは下を向いていて気づかなかったのだが、教授がダウマーの肩を抱こうとして座った。

「理屈に合わないこの気持ちを無視出来ないことは、あたしが一番知っています」

顔を上げて、教授と見つめ合う。
教授は少し考えた上で、口を開いて。
拍手が聞こえた。
久寿でもダウマーのものでもなかった。


「もういいと思いますよ、教授」
「……いつからそこにいた」

一触即発の空気。そんな空気を破ったのはドワーフ学校では聞くことの少ない男性の声。
サングラスに顔が隠れているが、誰だかすぐにわかった。
仕立てのいい白い皮のジャケットに、仕立ての良いズボン。
黒い髪の毛を清潔な感じにまとめている。
この暑い時期に服を着こんでいる彼は_____。

「あんたは……」
「どうも、また会いましたね」
「上岡さん……打ち合わせにはまだ時間があったはずだが」
「ええ、村を見てもらった後、上がらせてもらいました」


部屋に入ってきたのは以前であった青年だった。
村の誰かに会いに来て、ダウマーとぶつかりそうになったお金持ちそうな男だった。
脳裏に浮かぶのは、夏なのにスーツを着てこの村に訪れた童顔の青年……。

「どうも、上岡立礼(かみおかたつひろ)です。よろしく」
「ダウマー・スミトよ。で、あんたは」

なぜここにいるのか。そう言いたかったが、それどころではない。
自分の宣言を聞かれていたのかと思って手を当てて顔を赤面させる。
だから口が乱暴になってしまっているのは勘弁してほしい。

「僕はドワーフと知り合いになりたくて。それも優秀な腕を持つドワーフとなら知り合いたいと思っているんだ」

後者は親のためだけどね、といたずらする子供のように笑う。
よろしく、と手を差し出してくる。

「君のことは良く知っているんだ。君のことは良く聞かされていてね。
名前は言えないけど。
負けん気が強く腕が良くて一生懸命。インゲちゃんもそう言っていたんだ」
「いや、誰よ……わかったわ、握手すればいいんでしょう?」

なんとなく異性の腕をつかむのは気が引けたが、そのまま握手する。
前は特に何も感じなかったのに、どうしてだろう。

それに、インゲ以外に自分のことを良く知っているとは誰のことだろうか。
なんとなくアンナが思いうかんだが、あの女が自分のこと誰かに褒めるとは考えにくい。
教授か誰かだろうか。

「君の良く知ってい人だよ。そのうちわかるさ」

上岡はそう言って童顔の顔にいたずらっぽく笑みを浮かべる。

一度会った時から思っていたのだが、彼は背丈があまり高くないようだ。
基本的に日本人の背丈はドワーフ達と比べれば見上げるほどだ。
彼も教授やダウマーと比べて背は高いのだが、首を上げなくても目線を合わせるのに苦労しない程度だ。
桐谷とは違って家の高さに不自由しているようにも見えない。

「教授。彼女の旅費は僕が出しましょう。未来への投資と言うことで」
「申し出はありがたいが、これは彼女の問題だ」

ダウマーと握手を終えると、上岡そう言った。
上岡の言葉に、教授は冷静に答えた。
教授の言うことは正しい。
一度会っただけの人ににお金を出してもらう理由はないし、そもそも投資と言うのも変だ。
アクセサリーをバザーなどで売ったことはあるが、それも学校の行事で商売がらみのことはしたことがない。

「なら、商談と行こう。ダウマーさん。君の作った銀細工のアクセサリーを購入したい。それならどうかな?」
「それは、構わない、けど」

そういってダウマーの首飾りにしているアクセサリーを指さした。
上岡が言うところによれば、友人の妹にプレゼントにするらしい。
魔界銀の製品は現在では専門家でなければ扱えないことになっている。
当然と言えば当然だ。

うっかり人間を同意なく魔物化したりすれば魔物娘全体にひびが入る可能性がある。
そのため、人間界に流通している魔界銀を利用した銀細工は、人体を傷つけない特性はそのままに、人間を魔物化しないような工夫が施されている。

ドワーフ達の学校でも人間社会への配慮は十分学ぶし、社会に出るために人間学の講習を受けることが義務付けられている。
魔物と人間の統一を急ぐ魔物たち、所謂急進派の間ではより人間の支持を得るための一層の努力に努めているらしい。

この世界の産業を邪魔しないためとか、魔界銀の紛(まが)い物を防ぐためだとかは理由はダウマーには良くわからない。
ともかく、魔界銀は高価であるのは確かだ。
教授は少し考えたが、やがて頷いた。

「わかった。彼女が作ったアクセサリーの保証はと責任は私がもつ。ただし、こちらからも条件を。旅費と期間は三日間のぶんに限るものと
する」
「商談成立ですね」
「教授!?」

笑顔の上岡とそれに頷く教授にダウマーはがたりと立ち上がる。
教授はダウマーの肩に手を置いた。
やさしい顔つきで、言い聞かせるように語り掛けてくる。

「ダウマー。理由はどうあれチャンスをつかんだのは君だ。活かすかどうかは自分次第だ」
「自分次第……」

何が何でも桐谷を探しに行くつもりだったが、教授を巻き込んでしまったことは気がかりだった。
もし、桐谷に合えなかったら。もし、何らかのことで時間外を越えてしまったら……。
教授は、母が子供に教えるような優しい目つきでダウマーを見た。

思わずどきりと緑色の目を見開く。

「ダウマー。忘れるな。魔物娘の一番の力は人を愛し癒すことだ」 「君にも誰かを癒すことはできるはずだ、私はそう信じている
だからーー桐谷についても、もっとよく考えるのだ。ダウマー・スミト」
「……はい!」

ダウマーは教授の目をしっかり見つめると、頷いたのであった。
上岡はニコニコしたその顔で見た後、教授と相談があるから借りるねと言った。

「あの、その…ありがとう」
「いいんだ。桐谷君、見つかるといいね」

ダウマーはそれに笑みで答える。
上岡がサムズアップすると、ダウマーもぎこちない動きでそれに合わせた。


ダウマーが急いで家に戻ると、用意しておいたバッグを持つ。
上岡から受け取ったお金を確認する。
それと、さっき彼に渡したアクセサリーを身に着けた。
また新しく作った大人用の包丁を鞄にしまい込むと、バス停まで急いだ。

ふと地面に目を向けた時、黄色い花が目に入った。
夏のタンポポだ。
急ぐ身ではあったが、足を止めるとタンポポを取った。

桐谷と出会った時も、この花があった。
せっかくだから、この花にも桐谷を探すのを手伝ってもらおうと思った。



「あ、ダウマー!」
「遅いですわよ、本当にあなたはガザツなのですから」


そこにいたのはインゲと、なぜか金髪縦ロールのドワーフがそこに立っていた。
相変わらずその生意気そうな

「アンナ、あんたまでどうして」


アンナは手を腰に当ててふふんと笑った。
自慢気な笑みだ。

「当然ですわ。貴方がいなければ教授に十分な時間と教えを乞うことができるのですから」
「……アンタねぇ」

ダウマーはハァとため息をつくと、アンナは真面目な顔をした。

「……ちゃんと見つけてくるんですのよ」
「わかってるわよ」

ふと、アンナの顔を見ていると上岡を思い出した。
じっと見られて困惑するアンナに訪ねようとしたとき、インゲが口を挟む。
「えへへ、すっかり仲良しだね」
「「それだけはちが(います)うわ!!」」

いつの間にかお互い近付いていたことに気づいて、慌てて離れる。
インゲはそんな二人を笑顔で見守ったあと、ダウマーに抱き着いた。
ダウマーも、そんなインゲを抱きしめ返す。
遺憾なことに、それを見守るアンナはとてもやさしく見守っていた。

やがてどちらともなく離れると、ダウマーは行ってくるね、と言った。

「あれ、ダウマー。その花、どうしたの?」
「……あたしのお供、かな?」
「なんですの、それ」

興味深げに聞いてくるインゲに、ダウマーは誤魔化すように苦笑して答えた。
その答えに、微笑むインゲに対してアンナは怪訝そうにつぶやく。
そうしているうちに丁度来たバスのエンジン音を聞きながらバスに乗り込む。


「ダウマー!頑張ってね!ちゃんと恋の花、咲かせてね!」
「ちょっ、ちょっとインゲ、声が大きいですわよ」


ダウマーはバスの中で少し赤面した。
自分と桐谷はそんな関係ではない、と言い返すところなのだが。

なら、桐谷が自分にとってどんな存在なのだろう?
考えても、答えは出なかった。


男んでいたあの日、ぼんやりとした青年……桐谷との出会い。
会って一言、「おや、タンポポ」と言われたものだ。
そう思い出しながら、カバンの中のタンポポをながめる。

自分の瞳と同じ、緑色の葉っぱ。
その後、教授に言われたからとは言え、彼のために包丁を作成した。
インゲと一緒に、三人で頑張ったこと。

彼に影響されて、桐谷と一緒に料理を作ったこと。
厳しかったけど、料理を作る楽しさと食べてもらう嬉しさを知ったこと。

料理を通じてアンナのプライベートを知ったこともあった。
……その桐谷がいなくなって、ぽっかりと胸に穴が開いたような気分になった。



駅を降りると、都会は以前桐谷と訪れた事がある場所だというのに違った姿を少女に見せていた。
この大勢の中から人を探せるのか、少し心配になるが手で頬を叩いて気合を入れる。

「よし」

あれから数十分。捜索の手がかりは掴めては掴めていなかった。
忙しい中聞いて回っているのだ、しょうがない。
だいたい知り合いでない一個人の特徴を人間が覚えるのは訓練でもしない限り土台無理があるのだ。

こういうときにドワーフ、さらにエルフ族以外の魔物娘が町に住んでいれば捜索に大いに役立つことだろう。
ダウマーの能力では近くにいるかどうかは分からなかった。
もしいたとして、協力を惜しまず協力してくれるだろうが、かわりに桐谷に一目ぼれなんてことになればさらにややこしいことになってしまう。
もっとも、彼が誰と付き合おうと勝手なのだが。

「あいつに一目ぼれする、魔物……」

ずきり。

彼に恋する魔物のことを思い描こうとして、なぜか胸に痛みが走った。
もしその魔物が桐谷を元気づけてくれるのなら、とても良いことだと思う。
それなのに。
もうそのことについて考えたくなかった。

「それでも、あえないままなんて、嫌だ」

誰に聞かせるわけでもなく、ダウマーは呟いた。
そうだ、もし会って拒絶の言葉を受けるとしても。
絶対に本人の言葉を聞くまでは帰らない。
そう決めたのだから。



「……嫌になったわけじゃなく、ただ疲れただけなんだから」


ダウマーはそう言い訳しながら机に突っ伏していた。
現在ダウマーは子供でも座れそうなカフェに腰を下ろしている。
節約のためにも、夜になっても見つからなかったときにカフェを宿代わりに利用しようと考えていたのだが、予定が狂ってしまった。

こんな事になったのも、交番の前を通ってしまったからだった。

その時に補導される可能性が頭によぎったのが行けなかった。

悪いことに交番の警官と一瞬目があってしまい慌てて速足でその前を走り抜ける。
かえって誤解されそうだが、そのまま走っていき気が付くとまま適当な店に駆け込んでいた。
そこが、今いるカフェと言うわけだ。

「危なかった」

早々に出ていこうとしたのだが、「店員に何を注文しますか?」と聞かれてしまった。
注文せずに入るのは悪いのでココアを頼んだのだが、目が合っただけで補導されるかもしれないと焦ってしまうとは……。

ダウマーが自分の情けなさにため息をついていると、泣き声が聞こえた。


顔を上げると、ある一組の親子が目に入った。
ぐずっている赤ん坊をなんとかなだめようとしている姿を見て、自然と足が動いていた。
椅子に座りながら赤ん坊をなだめる母親が顔を上げてダウマーを見る。

「あなた一体……」

小さな子供がどうして近づいてきたのか、と言いたげだ。

母親が何かを言う前にダウマーがふと手をかざして、撫でるような風を顔にかける。
頬をくすぐられた赤ん坊は泣き止み、思わず笑った。

本当は人助けとは言え相手の許可を得ず学外で魔法を使うのは良くないのだが、仕方がない。
そのままその場を離れようとしたが、母親が呼び止めてきた。

「ありがとう、助かったわ。お嬢ちゃんは一人で来たの?」
「ええ、人に会いに来たんです」
「そう。小さいのに偉いのね」

子供じゃありませんと言いそうになったが、やさしげに笑う女性にまあいいかと言う気分になる。
適当にお茶を濁してその場を去ろうとするが、首をぐいぐいと引っ張られているのに気づいた。

ベビーカーの赤ちゃんがダウマーの首飾りを引っ張っているのだ。
慌てて母親は赤ん坊から首輪を取り上げようとするが、うまくいかない。

「ちょっと、この子ったら!ごめんなさいね、今」
「欲しいの?ならあげるわ」

ダウマーはそのまま手を後ろに回すと、首輪を外してそのまま赤ちゃんに握らせる。
赤ん坊に飲み込む危険性のあるものは渡してはならないのだが、魔界銀なら人を傷つけることはないから安心だ。

「そんな悪いわ、こんな高そうなもの……。せめてお金を……」
「大丈夫です、私が作ったものですから」
「でも」

財布を取り出して戸惑う母親にダウマーはにっこりと笑って手を振ると、その場を離れた。


薄暗くなった頃、歩く人々の視線が多くなったように感じた。
心配そうにこちらを見て、遠巻きにひそひそと話す人々を何回か見かけた。

(……?何かしら。外国人が珍しいのかな?)

最初はそう思っていたダウマーだが、どうやらそうではないらしい。街を歩き回っていた
時にもこの国の人間とは違う外見の人々を何度か見かけからだ(もっともダウマーのような
ピンクオレンジの髪の毛は見かけることはなかったが)。
その人々はなぜか外国語らしき言葉で「大丈夫か?」と言うことを聞いてきた。


その訳を気づくのにさほど時間はかからなかった。
サラリーマンらしき男が左右を見渡して、おずおずと声をかけに来た。

「ねぇ君。もしかして迷子かい?」
「いえ。ご親切にどうも」

ダウマーはそうお辞儀するが男は納得しているようには見えなかった。
男はなおも話を続けようとしたがダウマーは急ぎの用があるので、と慌ててその場を離れた。

(油断していた……!)

同じ場所を何度もグルグルと回っていたのだ。怪しまれるのは当たり前じゃない、とドワーフの少女は歯噛みした。
勿論その考えは外れではないのだが、一つ考え違いがあった。
ダウマーは気づいていないことだったが、彼女の珍しい髪色に加えその容姿は一度見たら忘れがたいものだったからだ。

一度見ただけでは関心を寄せないだろうが、必死そうに動き回る彼女を見たら庇護心を寄せる人間も出るのも仕方がないことだろう。

「あっ」

鞄から零れ落ちそうになったタンポポを拾った時、青い制服の男性がこちらに近付いてくるのが見えた。

___警察だ。

この国の、衛兵、警邏の役人。
時に、子供の保護も担当するらしい。
ダウマーはやや焦りを感じる。

「お嬢ちゃん、迷子かな?」
「いいえ、人を探していて…」

まずい返答だったと今さらになってダウマーは気づいた。
これでは迷子だと言っているようなものだ。
案の定警官はああ、やっぱりと言う顔をしている。

これでは身分証明書を見せても家に連絡されてしまう可能性が高い。
おまけにラッピングがしてあるとはいえ包丁を荷物に持ってきているのだ。
変な目的とは思われなくても、変な誤解を与える要素があるのはまずい。
さて、どうしたものかと悩んだ時。

「こんなところにいたのか」

振り向くと、ガタイのいい男性が声をかけてきた。
誰かと思って怪訝そうに男を見る。
そこで気が付いた。

ややいかついその顔に見覚えがあった。
半袖のシャツにベージュ色のジーパンとカジュアルな落ち着いた格好をしている。
脳裏にコック姿の彼の姿が思い浮かんだ。
同時に口内に香辛料の味に、唾液が増えていく。
にわかにお腹が空いてきた。

なぜカレー屋のマスター呼ばれていた男が自分に声をかけてくれたのかわからなかったが、目の合図でなんとなく察した。

ダウマーはマスターに抱き着くと「おじさん!」と叫んだ。
彼女としては幼女のふりをして見知らぬ人を巻き込むなど赤面では済まないほど恥ずかしいのだが、
この時はなりふりかまってられなかった。

「この子はあなたの関係者ですか?」
「ああ……魔物だ。滞在許可証もある。見るか」
「いえ、結構です。では本官はこれで」

マスターのはったりにダウマーは警察が確認を取ったりしないか心配だったが、それは杞憂だったようだ。
警官は帽子を掴んで会釈すると、その場を後にしようとする。
成り行きを見ていた幾人かの野次馬もなんとなくさっしたようでそのまま解散していった。
ダウマーはその時、「あのっ」と声をかけた。

「ごめんなさい……迷惑をかけちゃって」

警官が振り向く。
面倒ごとを避けられたのに、声をかけてしまった。
彼だって親切心や職務に忠実だから、声をかけてきたのだろう。
本当は足早にその場を去るべきだが、言っておかなければと思ったのだ。

自分にとっては余計なお世話でも、親切を無視するのは自分にはできなかった。
頭を下げると合わせてツインテールの髪も揺れる。

「見つかってよかった。迷子にならないように気を付けてね」

ダウマーが顔を上げると、警官はかがんでダウマーに目線を合わせて、少しだけ笑うと
その場を去っていった。
ダウマーはアラらめてマスターにお礼を言おうとしたとき、その大きな肩幅を向けており
「行くぞ」と告げたままずんずん歩いて行ってしまう。
ダウマーも慌てて後をついていった。


向かった先はあの日桐谷と訪れたカレー屋とさほど離れていないところにある一軒家だった。
ドアを開けると、ダウマーは言いそびれたお礼を言おうとする。

「あの、ありがとうございます、マスター」
「今日はもう遅い。飯を食ったら今日はもう帰れ」

マスターは食器を洗いながらそう答えた。
至極もっともな正論だ。
本当は一言あやまって、これ以上迷惑をかけないよう帰るべきだろう。

「あの…桐谷…桐谷君の所へ行きたいんです。彼の家をご存知じゃありませんか?」
「いくら客でも個人の情報を教えるわけには出来ねぇな」

食器を洗いながら至極まっとうなことを言われる。
ここは情で訴えるのはドワーフらしくない手だ。

「桐谷は、なにか苦しんでいると思うんです」

マスターは何も話さない。だが、なぜだか話を無視されているとは思わなかった。
ダウマーは近所のことを考え大声ではなく、しかしはっきりとした口調で続けた。

「桐谷がなにか抱え込んでいるなら、それを聞きたい」
「あたしは、あいつにいろんなものをもらったから……」

いつの間にかマスターは手を止めていた。
ゆっくりと腰を下ろし、ダウマーに目線を合わせる。

「人間ほっといた方が立ち直りが早い時もある…拒絶されるかもしれない。それでもいくのか?」
「はい。本人の口から聞けるのなら」

お互いに目線を合わせる。
そのまま時間が過ぎるように思えたが、マスターがため息をついた。
そして、ダウマーの頭にポンと手を置く。

「ドワーフは頑固だな」
「性分ですから」

マスターは少し待っていろと言うと、メモ用紙に何やら書き込んで破るとダウマーに手渡してくれた。

「オレの甥であいつのダチやっているやつの家だ。そこにいなきゃ俺にもどうしようもねぇ」
「いいんですか?」

マスターはゆっくりと立ち上がる。
やや大儀そうだが、顔つきは心なしか優しげに見えた。

「俺は魔物に助けられたことがあるからわかるが、あいつらは人間に危害は加えねぇ。お嬢ちゃんは純情みたいだから
そこも安心だな」
「なんですか純情って」
「気にすんな」

「あの、ありがとうございます。マスター」
「ふん」

マスターは背を向けて、しかし少し笑ったような声が聞こえた。

「あたし、ダウマー・スミトって言います。こんど、また食べに来ます。……できれば桐谷と一緒に」
「元気づけてやってくれ」
「できることはします」

ダウマーはにっこりと笑うと、マスターも今度は歯を見せて笑ってくれた。
ダウマーもつられてはにかむが、ダウマーはもう一つ頼みごとをすることにした。

「あの、マスター。もう一つだけお願いがあるんです」
「なんだ、金が足りねぇのか」

ダウマーは首を振る。
料理人が応じてくれるかわからないが、思い切って口を開く。

「あの、卵入り牛筋カレーの作り方について、アドバイスを聞きたいんです。あ、駄目だったら、あきらめるけど……」

マスターはこの時初めて、ぽかんと口を開けると今度こそ声を上げてひとしきり笑った。
ダウマーはマスターのそんな姿を困惑して見つめるのだった。

「いいかダウマー。卵はな、暑い時と寒い時で時間を変えるんだ。詳しく言うとだな…」






「ありがとう、マスター。行ってきます」

が、外に出ようとしたときマスターの太い腕で掴まれてしまう。

「地図読まずにどうやって行くつもりだ?」
「あははは……」



そこは小さなアパートだった。
チャイムを鳴らそうとして、手が届かないことに気づく。何とか背伸びして、やっとボタンを押すことができた。
一分もしないうちに、ぶっきらぼうな感じの青年がドアを少し開けて、こちらを怪訝な顔で見てきた。
派手な色のシャツに、髪を茶色っぽく染めている。

怪しい、と思っていることがありありとわかる顔だ。
無理もない。
こどもが夜に突然訪ねてくれば警戒心を抱くのも当然だろう。

「あの…夜分遅くに私ダウマーと言います。桐谷さんはこちらの方へいらっしゃっていませんか?」
「……悪いけど、桐谷って人はここにはいないよ。それと、どうしてここに桐谷がいると思った?」

ダウマーはできる限り丁寧な態度でそう尋ねる。
はたから見れば子供が緊張しながら訪ねているように見える。
青年もそう思ったのか、少し表情が柔らかくなった。

「……カレー屋のおじさんから、桐谷さんがここにいると聞いたんです」
「はぁ、あのお叔父貴がね……わざわざ遠くまで疲れただろ?夜も遅いから、今日はもう帰りな」

子供を諭すような口調にカチンときそうになるが、なんとか我慢をする。
手を合わせて懇願するように男を見た。


「お願いです、どうしても彼に会いたいんです。すこしでもいいので、彼のことについて何かしてっていたら教えてください」
「……気持ちは分かるが、君と俺は初対面だよな?学校で知らない人を信用しちゃいけないと、教わっただろ?」

青年はできる限り優しい声で語りかけてきたが、その声に少なからず警戒心が混じっていた。
ダウマーも自分が強引で目の前の青年に迷惑をかけていると思ったが、ここで引き下がることはできなかった。
慌てていてダウマーはドアを掴んで待って!と叫ぶ。
気づかないうちに目の前の青年がドアを掴んでいた。
ドアが閉まらないことに不信感を持った青年はやがてダウマーの耳に目を向けた。


険しい、目だった。


「お前、まさか魔物か?」


ダウマーは驚いたが、小さくうなずいた。
基本的に魔物を知っている人間は、現代では友好的な異邦人として知られていることが多いそうだが、
彼もそう思ってくれているとは限らない。

だが、人間と偽ることもしたくはなかった。
ダウマーが頷いたのを見て、彼はますます目を険しくする。


「とにかく、今日はもう帰れ。アイツ今日は誰にも会いたくねぇんだとよ」


どうやら彼はもともと口がいい方ではないらしい。
青年はそうそっけない口調でもう一度ドアを閉めようとするので、慌てて
ドアを掴む手にさらに力を籠める。
ダウマーの強い力にドアを動かせず、びっくりした顔でこちらを見てきた。

「この先にいるのね?」

嘘をついたことに罪悪感を抱いたのか青年は目をそらす。
青年のここにはいない、と言うのはうそだとわかったがそれを責めるつもりはない。
きっと桐谷の「誰にも会いたくない」という気持ちにこたえて嘘をついたのだろう。


ダウマーは頭を下げる。


「お願い、少しでいいから合わせて」
「駄目だ。それにあいつに会ってどうにかできるって言うのかよ」

青年はそう目付きの良くない目をダウマーの碧色の瞳に向ける。
魔物が何ができる、とでもいいたげな視線だった。

「わからないわよ、そんなこと……でも、桐谷がそんな状態ならなおさらほっておけないじゃない」


今度は目をそらさず青年の目を見つめた。
先に目をそらしたのは青年のほうだった。
ケッと男は悪態をつく。

「とにかく帰れ、俺は魔物だろうが人間だろうが見知らぬ奴を家に上げるほどお人好しじゃねえからな」
「待って!」

青年が話は終わりだとばかりにダウマーが手を離したすきにドアを閉めようとする。
ダウマーは自分でも気が付かないうちに手が飛び出していた。

「つぅっ……」

バンとという乱暴な音と共に、鋭い痛みが手に走った。
青年が息をのむ音が聞こえる。
ダウマーの小さな手が、ドアに挟まれていた。
自分で言うのもなんだが、心臓に良くない光景だなと他人事のように思った。
もちろん、それを見せられる方はたまったものではない。

「この馬鹿っ危ねぇだろ!」
「近くで怒鳴らないでよ」

大声で怒鳴られた。
挟んだのは自分のほうなのに理不尽な気がしたが、迷惑をかけたのは間違いない。
青年が顔が真っ青になっているのをみると、ダウマーもなんだか罪悪感を感じた。

「平気よ、これくらい……」
「平気じゃねえだろっ」

口は悪いが心配してくれているようだ。
強い力で手を掴んだ。


「くそ、ガキはこれだから……来い!」


手を引っ張られ部屋に連れていかれる。
はたから見れば子供が連れ込まれている光景だが、期せずして部屋に入ることができた。

男は座ってろ、とダウマーに言った後とバタバタと部屋の中をひっくり返している。
ダウマーは部屋をきょろきょろと眺めた。

父親の部屋に雰囲気が似ていたが、ゲーム機や雑誌がつんであり、片付いてはいるがやや雑多な印象を受けた。
というか、パソコンや携帯の充電がこんがらがっていて危なくないのだろうか。

暫くして、男は救急箱を持ってダウマーの隣に座った。
手を掴んでダウマーの腕を見る。

「おい、嫌がらず手を出せって……あれ?」

男はキョトンとした顔でダウマーの手を見る。
ちょっと赤いものの、綺麗そのものだ。

魔物娘は人間とは比べ物にならないくらい頑丈なのだ、当然だろう。


「全然怪我してない…?」
「言ったでしょ、平気だって。言っておくけど連れ込んだのはあなただからね」

男はそんなのありかよ、と言いたげだったが、首を振った。
男の手付きは優しかったが、ダウマーはなぜだか触られるのをさけようとして少し距離を取った。
なぜそんな行動をとったのかわからないが、男は特に気づいていないようだ。

「悪かったな。手を挟んじゃって」
「こっちだって強引だったわ」
「魔物だろうが人間だろうが、痛いものは痛いだろ?」


意外だった。
魔物と聞いて態度を変えたので、不信感を持たれていたのかと思っていたから。
おまけに強引に食い下がったから嫌がられているのではないか、と感じていた。


「あなた、やさしいのね」
「お世辞はやめろ。相手を痛がらせて喜ぶような精神してねぇんだよ」


男は照れ臭そうに鼻をかいた。
言葉の乱暴な言葉遣いとは裏腹にそんなに悪い人物ではないようだ。
ダウマーはそんな彼の様子に微笑んだ時だった。




「いい加減にしてくれ!何度同じこと言わせるんだよ!」





突然の大声にびくりと体を震わせる。
聞き覚えのある声。
男はちっと舌打ちして立ち上がった。

ダウマーも慌ててついていく。
隣の部屋では、背の高い青年が苛立たし気にスマホを置いていた。


「おい、カズ。またか」
「まただ、クソ!こっちの気も知らないで、畜生!」
「……気持ちは分かるが、ガキがいるんだ、今だけはあんま騒ぐな」

桐谷はえっと呟いてこちらを向く。
ダウマーは気まずげに彼の濃い茶色の目を見つめる。
2人は思いを抱えたまま見つめ合ったが、それは長くは続かなかった。


「えっと……久しぶり、桐谷」
「どうして、来たんだ、ダウマー」


グサリと刺されたような痛みが彼女の心臓に走った。
彼から飛び出したのは、はっきりとした拒絶の言葉。
想像しなかったわけではないのに、それでもつらかった。


「あの、」
「衛二、なんで彼女がここにいるんだ!」
「知るか、お前に用なんだとよ」

衛二(えいじ)と三平のことだろうか。
ダウマーが何かを言う前に、彼は視線をそらしてしまった。
まるで子供じみた態度で隣の彼に八つ当たりする。


「ダウマーに帰るように言ってくれ」
「自分で言え、お前の知り合いだろ。チッお前が前もって説明しなかったせいでえらい目に合ったぜ」


そのまま彼は手を掃うと、あきらめたように桐谷はダウマーに向き直った。
ふてくされているようなしぐさは、普段の彼と似つかわしくなくやや子供のように見えた。


「こんな姿を見られたくなかったよ。特にダウマー、君にはね」


青年は大きくため息をつくと、吐き捨てるように言った。
ドワーフの少女はどんなことを言っても彼を傷つけるような気がして彼を見つめる事しか出来ない。
彼は落ち着きなく手を握ったり開いたりしていると、やがてあきらめたようにため息をついた。


「ダウマー、なぜここへ来たんだい?」
「それは、そうね。なんで包丁を返したのか、気になっちゃって」


嘘はではない。でも、「自分が嫌いになったのか」「もう会えないと思ったから」とは言えなかった。
だが、そんなことを言えば。


「電話や手紙じゃダメだったのかい?」
「……あんたの口から聞きたかったの。それじゃ、ダメ?」

やはり電話でもいいだろうと言われた。
今言った言葉も、桐谷を追い詰めるのではないかとダウマーは思った。
まるでいじけているような彼の態度を見ていると、自分がいじめっこのように思ってしまう。

けれど。
今の桐谷に、嘘はつきたくなかった。


「聞きたくないかもしれないけど……犬にかまれたと思ってあきらめてほしい」

彼は遠慮がちに、そう言った。

彼がそう言うのなら、聴いて辛い思いをするだろう。
けれど決して聞かないという選択肢はない。
そんな強い意志を見せてダウマーの方を見た。

「うん。全部、聞かせて」

ダウマーにできることは、桐谷の話を全部聞く。
三平は買い物に行ってくる、と言って部屋を出て行った。


「先に断っておくとこれは不幸自慢にしか聞こえないと思う。でも、本当は人に知られたくはないことだ……矛盾しているよね」



「僕の両親は一言でいえばお人好しだけど生活力の無い人でね。努力しても報われない、そんな人生を送っていたんだと思う」


彼は悲しげな顔を浮かべた。
お人好し、のところで皮肉っぽく口を曲げて言った。


「両親が切りつめていたから、ご飯は普通に食べれたよ。でもゲーム機とかそう言うのは買ってもらえなくて口で言わなかったけど不満だった」
「流行にもついていけず、共通の趣味もない。会話が続かないんだ」
「たまに遠出する場所と言えば祖母の家。祖母に頭が上がらない父親に祖母にあれこれ言われる母親。子供心にもとてもしんどくてね」

みんなが嫌いな授業の時間が唯一つ、安らげる時間だったと言うと彼はおどけて、コミュ障だろ?と笑った。
ダウマーは少しも笑うことができなかった。
どういっても彼を気づ付ける事しかできない。
そう思ったが、何とか絞り出すように言った。

「……ごめんなさい、あたしにはわからない。そのあたり事は察することしかできないわ」

両親は愛してくれていたし、インゲやアンナと出会ってからは良くも悪くも孤独を感じたことはなかった。
それに、尊敬する師匠の後を追いかけるのに必死だったからだ。
桐谷はそれに皮肉ではない笑みを浮かべた。


「いいんだ。僕の人生は僕にしかわからない。もしわかるよなんて言ってたら怒っていたところだ。
けど、羨ましいね。周囲に恵まれている君がすこしだけ神経に触るよ」

彼の一言がぐさりと刺さる。
自分とこの青年が相いれない部分があると言われているようで、言いようのない悲しみに襲われる。
ダウマーは平然とした態度を取ったつもりだが、第三者が見てもあまり隠せているようには見えないだろう。
桐谷は少しだけ視線を逸らすと、話を続けようと言った。


「真面目だけど面白みのない……いい子。そんな評価がついて回った。当然さ、自分の本心を打ち明けられる友達なんていなかったからね。
 けど、すぐにわかったんだ、両親が無理をしているってね……僕はそんな両親を喜ばせようと料理を作ったのさ。
 現金なもんで、遠慮して勉強しなさいと言っていた両親も自分たちに余裕がなくなってくると、途端に料理は僕の役目になった」

捨て鉢気味の言い方だが、彼は自然と優しい顔をしていた。
さっき彼は両親を避けず無用な言い方をしていたが、同時に両親を悪く言うのは許さない。
なぜかそんなふうな思いを抱いているような気がした。


「実際、料理と言うのは便利さ。大きい割にとろくさくて個性がない僕でも料理を作るのが得意と言えばみんなそう言うやつだと認識してくれる。
 実際頼まれて作れば好評だ。いざという時はヒーロー扱いなんだ、みんなの見る目が変わる。わかるかい?あれは気持ちのいいものよ」

「……嘘偽りなく、桐谷の料理はすごくおいしいと思う」

「それはよかった」

もっともただの便利屋だって三平に言われたけどね。
彼は見たことがない皮肉気な顔で笑う。

「最初はみんな喜んでくれても、それはいつか当たり前になる。
 感謝の言葉はだんだんとぞんざいになって、やらないのか?と言う目でみてくるのさ。
 人間どんなにいいことでも当たり前に与えられるとそれに気づかないと母さんも言っていたよ」

「私は、自分勝手だったから。でも、桐谷の怒りはもっともだと思う」

ダウマーは何と返答したらいいかわからないが、自分が思う通りも言うと桐谷は知っていという。
ちょっとムッとしないでもなかったが、自覚していることなので特に反論をしない。

「だけど君を見ると眩しくて仕方がないよ……一生懸命夢を追って、でも本当は心優しい」
 一方の僕は大きいだけで誰も振り向きもしないデクのぼう。それが僕ってやつさ」
「そんなこと」
「そうだよ。知識に詳しい?それはそうさ。やってれば自然に覚える。それにみんな知ってて当たり前だとおもんだ。あれだけ知ってるんだからってね
 ダウマー。君に教えてるときもああしなければ気になって仕方ないからさ。
 教えるからには徹底的に。決して優しさとかそう言うのじゃない」

桐谷は投げやりに呟いた。
やけに多弁なのは、自分を恥じているからだろうか。
ダウマーはうなづいて先を促す。

「まぁ僕はたった一つのとりえである料理で身を立てたいと思っていた。祖母は反対していたけど。
 大学に通いながらつづけたけど調理師試験に落第して祖母と喧嘩。おまけに母親にまで当たって大ゲンカ。で、えいじ……三平の内に居候と言うわけさ。
 中学時代からの友…知り合いなんだ。つまり、あいつには迷惑をかけっぱなしだってことさ」

なぜか三平のことを衛二とよぼうとして言い換えてしまう。
彼のことを友人と思いながらも、迷惑をかけている引け目からか知り合いと言っているのかもしれない。
そんなところにも、ダウマーは桐谷が送ってきた人生を思ってしまった。

「正直うんざりしていた。夢も何もかも諦めて、大学もやめて就職でもしようかなってさ」

彼は、普段の穏やかな顔にすこしだけ羞恥の色を浮かべた。
眉間にしわを寄せて、ため息をつく。

「だから君に包丁を返したわけだ。恥の上塗りになるから君には言わなかったけど、おかげで余計なお金を使わせちゃったけど。
 失敗だったよ。勝手な形でわかれれば見放すと思ったのにさ。
 さあ、もうわかっただろ。君には満足できない結論だったかもしれないけど、これで目的は達せられたよね?
 あいつに迷惑もかけるのもなんだから帰ってもらってもいいかな?」

「そうね、事情はわかったわ。でも、私の話はおしまいじゃない」

ダウマーはそう言って後ろを向こうとする桐谷の服を掴むが、桐谷はその手をはがした。
払いのけられるかと思ったが、彼は強引に話を打ち切ろうとするつもりはないようだ。
代わりにおどけてオーバーに手を上げる。

「まさか僕がいなければ寂しい、と言いたいのかい?」

うぬぼれが過ぎたねと彼は自嘲気味に言った。
ダウマーはそれに沈黙をもって答える。
桐谷はわざとらしく舌打ちをすると、ぶっきらぼうに答えた。

「仮にそうだとして、僕のことなんかすぐに忘れるよ」
「忘れたくないから来たの」

すぐに言い返す。
確かに、桐谷の事情は分かった。
弱みを自分に見せてくれたことも。

だからこそ、今度は自分の意地を見せるときなのだ。

「和人」
「何かな」

深呼吸。
桐谷は冷笑していたが、少なくともこちらの話を無視せず聞いてくれるようだ。
拒絶しているように見せかけて、隠せない優しさが見え隠れしているように思った。

「今度は私の話をする。……無視してくれても構わない。あたし……あの日、銀細工を作ることを教授に禁止されていたの」
 何したらいいかわかんなくて、そん時にあんたにぶつかった」

キョトンと桐谷は目を見開いた。
桐谷は頷いているが、からかうような顔でダウマーを見る。

「何したらいいかわかんなくてぶつかったとは斬新だね。漫画みたいだ」
「そうね。で、あんたを教授の所に連れてって。包丁を作って。あんたと一緒に料理を作って」

きっとそのころから。

「桐谷が自覚無でやったのは分かっている。でも、あたし……。
 あんたのおかげで変われたの」


桐谷は浮かべていた冷笑を消す。


「だから、あたしは桐谷とお別れなんてできない。」

一瞬の沈黙。
ダウマーはまるで見守るような目で桐谷を見る。
ピンクオレンジの髪の毛をなでながら、息を吐く。

「あんたはみんなに笑顔になって欲しかったんだよね」
「ちやほやされたかっただけだよ」
「でも、あんたがあたしの前で見せた笑顔を、偽物だとはとても思えない」

桐谷は真顔になる。
いや、ポーカーフェイスはほとんど保てていない。
間違いない、自分の発言に怒っているのだ。

眉毛をぴくぴくさせている。
動きも落ち着かなくなっていた。

「残念だよ、ダウマー。君は人の心に土足で入り込まない人……いや、魔物だと思っていたのに」
「あたしの言うことに腹を立てるのは当然だと思う。嫌われてもいい、」

本当は嫌われたら立ち直れないかもしれない。でも。
ダウマーは口内が乾きそうになるのをつばを飲み込んで続ける。

「でも、あたしがいちばん怖いのは何の言葉もなく終わってしまうこと。出会えなくなってしまう事」
「だから、こうやって言葉で探ることしかできない」

(それを長い間あたしは分からなかった……。)
教授は大人として。インゲは信頼して心の中に入ってきてくれた。
アンナとはぶつかり合った。
でも、それは相手に甘えた関係だったかもしれない。
そして、それを気づかせてくれたのは。

「和人と出会えてなかったら、気づけなかった。だから、あんたの力になりたいの」

桐谷は落ち着かないように身じろぎしていたが、やがて真顔になった。
立ちあがると、身長のせいもあってか少し威圧感を感じる。

「とてもイライラする。いじけてるところを見られて、力になりたいだって?……ははは、冗談がきついねダウマー」
「哀れみで言っているんじゃないわ」

その瞬間、胸ぐらをつかまれた。
おどろく暇もなく、体を持ち上げられる。
力はそれほど強くは感じなかったが、桐谷の抑えている激情が伝わってくるような気がした。

「余計に悪い」

淡々と呟いたことがかえって刺激してしまったのかもしれない。
ダウマーは自分の言い方が彼を傷つけてしまったかと思ったが、この場合どんな言葉でも彼の激発は避けられなかったかもしれない。

「力づくで追い出してもいいんだよ?もちろん力ではかなわないけど、魔物は人間には危害は加えないんだってね。
 わかったら、駅までそのまま送っててあげよう」
「殴りたいなら、殴ればいい」

ダウマーは呟いた。近くにいる分、彼の怒りがはっきりと伝わってきた。
その時、桐谷の手がダウマーの右手に移った。
息をのむ音が聞こえる。
包帯を巻いた手を見られてしまったようだ。

「その傷……」
「間違ってドアに手を差し込んじゃったの」

ドジね、あたしと自嘲気味にいったが、桐谷はダウマーをゆっくり下した。
本来は穏やかなその顔が、苦しげにゆがむ。

「どうして、そこまで……僕はそんなこと、頼んじゃいない」

ぎりぎりと握りしめた拳から血がにじんでいた。
ダウマーは桐谷の手を自分の頬に寄せる。

「それ以上自分を傷つけたりしないで。あたし、そっちのほうが嫌だよ……」
「そんなのは、君の都合じゃないか」

うなだれて何もしゃべらない桐谷を見て、彼の方に触れる。
もう少し体が大きければ、からだを抱きしめてあげることもできたのかもしれない。
ふと、台所を見た。食器の様子を見ると特に食べていないようだ。


「台所借りるわよ!」
「え」

桐谷は突然の宣言にキョトンとしたままだったが、構わない。
少し汚れてはいるが手入れはされているようだ。

冷蔵庫の中は悲しいことに、自分の家よりは材料がそろっていた。
インスタント食品ばかりだった自分のことは忘れ、材料を確認していく。
その時、ドアを開ける音が聞こえた。

「おーい、話は終わったのか―」

三平だ。ダウマーは駆け寄って彼のズボンを掴む。

「あんた、ちょっとカレールーを買ってきて!」
「はぁ?何言ってんだ?てか、何人の家で料理を」
「お願いだから!」

ダウマーの剣幕に驚いた顔して、お互いに目を合わせる。
目をそらしたのは三平のほうだった。

「買ってくりゃいいんだろ、勝手な魔物だぜ」

ありがとう、と言うと彼は「たかが料理でそこまで言うかよ」と掻きながら言った。
そんな必死そうな顔をしていたのだろうか。
腑に落ちない思いをしながらお金を渡すと彼はため息をついて買い物に行った。
彼には随分迷惑をかけてしまったが、そのことを考えるのは後だ。

ジャガイモの皮をむきながら、鍋に水を入れて沸かす。
あの時は桐谷が傍にいてくれたが、今は自分1人だ。
しかも、今度は新しいことに挑戦しようとしているのだ。

(半熟卵……)


米ををとぎながら考える。
桐谷が家族の思い出のカレーは牛筋肉のはいった卵入りカレーだと言っていた。
料理が苦手だった母親が作ってくれたという、思い出のカレー。
正直ダウマーは卵料理はそれほど得意と言うわけではないのだが、挑戦してみる。

お湯を沸騰させてからちらりと部屋の時計を見る。
12分ほどだろうか、と出しておいた卵を見る。
卵を三つ分いれる。

暫くして、玄関が開く音がした。
青年の足音を聞きながら緊張が走る。
果たして、三平はビニール袋を突き出す。

「ほれ。カレー粉と牛筋肉だ。チッ、男の一人暮らしには贅沢過ぎるよ、ホント」
「借りるわよ!」

ビニール袋を彼の手からひったくるように受け取ると、牛肉を受け取る。
ダウマーの小さな手で目で見える血や汚れ、脂身を除ていく。
たっぷりの水を入れた鍋に牛すじを加える。

(……毎日、これだけ料理するなんて。和人、大変だっただろうな)

鍋を見ながらドワーフはそんなことを考えた。
加圧が終わって保温に切り替わったら、煮汁を捨てて肉を水洗いしていく。

その時、視界がぶれた。

「!」

疲労、だった。
ダウマーもここ慣れない環境で歩き回り、そして今は自分とは違う背丈の人々が使う台所で料理をしていたのだ。
知らず知らずのうちに疲れやストレスが溜まっていたのだろう。

何より、誰かのために意気込むのは体力を使うものだ。
そしてそれ…「誰かのため」と言うのはぎりぎりまで限界を忘れさせるのである。

(もう少し……なのに)

その時、ふらりと揺れるダウマーの肩を抱く者がいた。

「……かず、と?」
「肉切りくらいなら僕がやるよ」

桐谷は無表情に見えたが、少しだけやわらかな表情を作る。

「慣れているからね」



そして、数十分後。
カレーは―出来上がっていた。

「これで最後ね。」
「もういいだろ。なんでカレーを作ってんだ?」

三平はそう尋ねる。
ダウマーは少し考えた末、にっこりと笑った。

「アタシが作りたかったから」

三平は肩をすくめるだけだった。和人も頬をかいている。

そして、最後の仕上げだ。
三人分のよそったご飯にいいい匂いのカレーをかけると、卵を手に取る。
心臓が少しだけ早くなるのをを感じながら、ダウマーは卵を割ってカレーにかける。

ぽちょんと出てきたのは、半熟卵。

「出来た……!」

和人の、思い出のカレーだ。




***




小さな折り畳み式テーブルの上で、カレーを囲んで三人で座る。
ダウマーもスプーンを握っている。

カレーの香ばしい匂いが鼻をくすぐっているのだが、まだ手を付けていない。
本人は気づいてないが、和人のほうをこっそり何度も確認している。
一方の和人もじっとカレーを見ているだけだ。
それに対して三平はそんな二人を見ながらため息をつくと、「頂きます」と小さく言うとカレーを口に運んだ。

「チッこんな日にカレーなんて……」

だが、三平はカレーを口に入れたとたん目を見開く。

「うまっ!なんだこれ、うめぇぞ?」
「大げさよ」
「おおげさじゃねぇよ、ほら!お前らも食えよ」

ダウマーは呆れながらカレーを口に運ぶ。
マスターが作ってくれたカレーや和人の料理ほどではないが。

それでも自分が作ったとは思えない味だった。
自画自賛のようで恥ずかしいが、おいしかった。

(いけた……!)


そして、和人の方を見る。
無表情のままだったが、長い腕を動かしてスプーンでカレーをすくい、口に運ぶ。
租借。
たった数秒の間だったが、ダウマーは心臓が止まりそうな思いでそれを見ていた。

「美味しい……」

和人の台詞にほっとする。三平が「感想薄いな」と茶化すような笑ったのでダウマーもつられて笑いそうになる。
安心したのか自分もカレーを口に運ぶてが早くなっているような気がした。和人の次の言葉を聞くまでは。

「僕の母は半熟卵を作れなくてね。いつも固ゆでになっていたよ」

和人の抑揚のない声に固まる少女。
事情が知らない三平はそうなのか?と聞いている。
2人の会話が遠くに聞こえていた。

(しまった……聞き間違えた…!)

ダウマーの額に汗がにじむ。
口の中のものも味がわからなくなっていて、三平が大丈夫か?と心配そうに聞いてきたが、自分が返事をできたのか
怪しい。
やはり、自分の腕で和人を料理で喜ばせるなど不可能だったのだろうか。

「マー……ダウマー?」
「ご、ごめんなさい!」

ダウマーは声をかけられたことにびくりとして後ろに転びそうになる。
桐谷の顔が目の前に迫っていた。
彼の大人しいが、強い目線の濃茶い色の目が自分の顔を映していた。
思わず目をそらしてしまいそうになる。
そのまま彼が近づいてきて……。

「ありがとう」

気が付けば、抱きしめられていた。
彼の少しだけ汗と異性匂いを感じてしまい、鼓動が早くなる。

「君が作ったカレーのメニューは、思い出の品なんだ」
「……でも、和人のお母さんは」
「失敗したものが、思い出になっちゃ変かい?」
「それは…」

確かに、失敗した料理でも。
自分の母は喜んでくれた。
そして父も。
それは、和人にとっても同じだったのだ。

「家族で行ったレストランのメニューなのさ」
「母にねだったけど……と言うわけさ。自分で作れるようになってからはお願いしなくなったけど」

そして、彼はこの日初めての笑顔を浮かべた。
やさしげな、あの笑顔。

「教えていたつもりが、君に教えられたよ。ありがとう、ダウマー」
「教えてくれたのは、和人だから」

ダウマーもつられて笑顔になる。


「で、お二人さんよ。食事中にイチャイチャしてもいいんだけどさ、冷めるよ」

三平が茶化すようにカレーを口に含みながら言った。

「ごめん」
「ごめんなさい……」



***



「今日は世話になったね、ダウマー」
「そう言えば、和人って呼んでくれたんだな」
「う」

気が付けば今までは和人のことを桐谷と呼んでいた。
急に名前で呼んでしまったことにきづき、気恥ずかしさに襲われる。
ダウマーの顔は真っ赤になってもじもじしているのだが、男たち二人はあえて突っ込もうとはしなかった。

「ねぇ…和人。もし、家がいずらいなら……」
「若し逃げなくちゃいけない時は、ダウマーの所へ行こうかな」
「えええっ!!あたしははいいけど、父さんも母さんも…でも」

あたふたするダウマーに和人は笑顔ででも、と言った。
ダウマーはからかわれたように感じてムッとくる。
だけど、和人の笑顔を見て笑顔になる。

「男なら戦い抜くべき、だろ?」
「あんたその言葉好きよね。キャラに合ってないわよ」

家から出るとき、三平が玄関まで迎えに来てくれた。
駅までは送らねえけどよ、と頬を書きながら言った。

「ドワーフさんよ、今度来るときはいきなりじゃなくアポを取ってくれよな」
「う…ごめんなさい」
「ふん、まあ今度来た時は電車代くらいは貸してやる」

なんだかんだで彼にも迷惑をかけてしまった。お辞儀してありがとう、と言うと彼は「気を付けてな」と小さく答えた。

「そうだ、ダウマー。見送る前に、電話してもいいかな?」
「え、いいけど」

ダウマーは和人の背中を見る。
知らず知らずのうちに笑顔を浮かべていることに、しばらくして気づいたのだった。










「もしもし、母さん……ああ、後で帰るよ。心配しないで、その前に」

「温泉卵のカレー、作って欲しいんだけど」
18/05/01 00:36更新 / カイント
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■作者メッセージ
続編が遅れに遅れて申し訳ありません(土下座)
ダウマーと桐谷のお互いの距離が近づいたのを感じられたら幸いです。
さて、次の話も頑張らなくては……

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