連載小説
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帰ってきた宇宙恐竜 白き魔姫と黒鎧の騎士
 ――浮遊島『ネオヴァルハラ』王城・地下三階特別牢獄――

(………………)

 帝国残党に敗北後、ゼットン青年と共に攫われたガラテアはそこに閉じ込められていた。
 その僅かに身体を覆う革製の下着は電熱を浴びて焼け焦げており、皮膚にも同様に重度の火傷がちらほら見受けられる。そのせいで雪のように白く美しい肌は所々傷ついて赤くなっており、その美貌も大分色褪せたものとなってしまっていた。

「モガモガ……」

 口には猿轡が咥えさせられており、このように喋る事もまともに出来ない。加えて両目には目隠し、両手首と両足首にはそれぞれ錠がはめられており、それから伸びる鎖は壁に繋がれているため、座る事すら出来ない有様だった。さらには白い両翼と尻尾にまで、ご丁寧にも重石を繋がれているという念の入れようである。
 そして、それらはいずれも魔術を封じる材質で作られているため、魔術を用いて脱出する事も出来ない。自身の優れた身体能力を用いようにも、さすがにオーガやミノタウロスほど膂力に優れているわけでもないので拘束の破壊は不可能である。

「モガガ……」

 メフィラスの雷撃によって焼かれたために脱出どころか生命維持で精一杯、しかも回復魔術を使おうにも魔術は封じられている。だが、そんな状態にもかかわらず、ガラテアの精神は己でも不思議な程落ち着き払っており、冷静な思考が出来たのだった。

(……今頃、皆何してるのかしら?)

 いろいろと思いを巡らせるガラテア。帝国残党が自身をまだ殺す気ではない事をガラテアは承知していたので、今のところは外部からの干渉を気にせずに生命維持だけに集中出来る。
 しかし、だからといって状況が気にならない程責任感が薄い彼女ではない。

(無事だといいのだけれど…)

 不幸中の幸いな事に、メフィラス達は目的を果たしたので戦闘をあれ以上継続せずに引き揚げた故、ガラテアの心配するような状況には陥っていない。
 もっとも、彼女等は今後魔王軍に居づらいかもしれないが。

(それと…お父様、お母様は捕まった私を心配してくれてるのかしら?)

 娘としてそれは気になるところであるが、二人の性格上放置するはずがないのはガラテア自身も重々承知している。姉妹達も彼女が捕まって平気でいられるような者などおらず、大いに心配してくれているだろう。

(でも、ここの場所が分からないから助けには来れないわね)

 視覚と身動きは封じられているが、リリムの持つ高い魔力感知能力により、己の置かれる環境の異常さは理解しているのはさすがと言えた。島全体を包む桁外れに強力で巨大な防御フィールドが、島に対する一切の物理的及び魔術的干渉を防いでいる事を、彼女は察していたのだ。
 それはたとえリリムがここにいようと、その魔力の一切が漏れ出るのを遮断しており、あらゆる探知系の魔術・呪術を無効化する事にも繋がっている。
 そして、転移魔術は予め行き先を指定する必要があるが、肝心の座標が分からなければどうしようもない。

(あ〜あ……白馬に乗った王子様が現れて、私を助けてくれないかしら)

 自身が脱出不可能な牢獄にいる事を理解しながら、そんな事をガラテアは考えてしまう。彼女にしてみれば、両親に助けられるという事は自身の失敗を彼等に尻拭いさせるという事であり、あまり体裁は良くない。
 しかし、見ず知らずの素敵な殿方に助けられるのはそれから一転、最高のシチュエーションと言え、実にロマンティックなものと言える。

(あぁん、ヨダレ出ちゃう…)

 死にかけにもかかわらず、その後の展開を想像するだけで秘部からはつい愛液が漏れてしまい、股布を濡らしつつあった。
 ただでさえ異常に退屈な場所故、妄想力と性欲ははちきれんばかりに増しているとはいえ、その淫蕩さは瀕死の状態でも失われない。

(でも、助けに来るのはヒョロヒョロの細面イケメン王子じゃなくて、精悍なマッチョ系王子がいいわね〜……で、私の胸を激しく揉みしだいてから吸いついて、犬みたいな格好で私を犯してくれるの。
 もしくは対面座位で彼の逞しさを感じながら犯されるのもGOODね)

 『白馬に跨った何処かの国の王子』が現れ、囚われの姫を救い出すというのはありふれた物語である。そして王子と姫は結婚し、末永く幸せに暮らすというのがお約束だが、もし助けられる姫が淫蕩の権化であるリリムならば、その結末は非常に淫らなものとなるだろう。

(……そうよ、まだ死ねない。そんな素敵な王子様が来ても、私が死体じゃ意味無いわ。殿方に犯されるにしたって、死姦されるのはゴメンよ)

 それを証明するかのように、リリムの頭はいずれ自分を助けに来るかもしれない素敵な殿方との交わりの事でいっぱいとなった。さらに、淫蕩な妄想はやがて生還の覚悟となり、彼女の生きる意思をより強固なものへと変えた。

(……それには、とりあえず寝ていた方が良さそうね。妄想すると退屈が紛れるけど、それで死んだら無意味だわ………………では、おやすみなさい………………)

 ガラテアは自らを強制的に眠りに入らせて魔術を使わない回復へ勤しむと共に、余計な体力・魔力の消耗を抑える事にしたのだった。










『リリムの様子はどうだった?』

 一方、王城・玉座の間にて。地下へ続く階段よりメフィラスが上がってきたのを見て、グローザムはリリムの様子を尋ねた。

『死にかけには違いありません。しかし私が手加減したとはいえ全身を焼かれたにもかかわらず、未だ生き続けているのは大したものですよ。
 現在も意識を閉じて回復に勤しんでいる故、治療をしてやる必要はなさそうです』

 メフィラスとしては死後に解剖を行うつもりであったが、まだその必要は無いらしい。しかしながら、彼女がしばらく生き続けるのならば、その内何らかのおぞましい実験に用いるつもりであった。

『男の方はどうだ?』
『彼も無駄に生命力の溢れた図太い男ですからねぇ。軽い治療だけで問題ありませんでしたよ』

 ゼットン青年も地下四階にある最終牢獄に相変わらず幽閉されている。
 結局クレア打倒は果たせなかったものの、あの死闘で結果的に暗黒の鎧の力の侵蝕度合いが目標値に達した。そのため肉体にこれ以上の負担を与えぬべく鎧を脱がされ、今はベッドで寝かされていた。
 余計な動きをされると面倒なのでメフィラスに意識を奪われているのは変わらないが、彼の部屋には世話係のメイドが幾人か付いている。ベッドのシーツも毎日取り替えてもらい、彼女等に毎日入浴させてもらうなど、鎖で吊り下げられただけのガラテアと比べれば遥かに上等な待遇が与えられていた。

『使用人付きとは恐れ入る』
『ゼットン君本人としての残された時間は少ないのです、その位はしてやろうと思いましてね。まぁ、意識が無いから全くその実感は無いでしょうが…』

 “日蝕”の時までとはいえ、哀れな服役囚にその程度の世話をしてやったところで、とやかく言われまい。

『フン、お優しい事だ』
『なぁに、そんなに長く続くものではありませんよ』
『………………』

 相変わらず目深に被ったローブで分からないが、この魔術師は青年の残酷な運命を愉しむかのように陰惨な笑みを浮かべている。少なくともグローザムにはそう見えたのだった。










 ――王魔界――

「ねぇねぇ、聞いたかい? ガラテア殿下が攫われたらしいよ」
「何ですって!? リリムを攫った不届き者がいるというの!?」
「なんでも、その下手人というのがエンペラ帝国の残党なんだとか」
「エンペラ帝国……って、かつて魔王軍と唯一互角に戦えたという、あのエンペラ?」
「そうだよ。しかもその生き残っていた残党というのがただの雑兵とかじゃなくて最高幹部の連中……よりにもよって、あの史上最強最悪の殺人狂集団と言われた“帝国七戮将”らしいんだ」
「へぇ、その名前は聞いた事あるわ。前に魔王軍を相当手こずらせたとか」
「そんなもんじゃないよ。まだ魔物が女性になる前、私の曾祖母の兄弟が奴等に殺されてるんだ。
 私の曾祖母以外にも、その時の世代には連中に兄弟姉妹を殺された魔物娘は相当多いんじゃないかな」
「そんな奴等がまだ生きてたっていうの?」
「そうだけど、それだけじゃないのさ。連中はあの“アーマードダークネス”を隠し持っていたというんだって。きっと、魔物娘への復讐を目論んでいるに違いないよ」
「まぁ、怖い! じゃあ、もうすぐ大きな戦が起きるのかしら?」
「分からないけど、その可能性はあると思うよ」
「でも、魔王様がいらっしゃるから安心ね」
「そうでもないかもよ…」
「? なんで?」
「魔王軍が負けるとは思わない。けど、七戮将は先代陛下に傷を負わせて撤退に追い込んだ程の実力者らしい。
 そう簡単に勝てる相手とも思えないな」
「もう! 不安になるような事言わないでよ〜っ!!」

 相当の実力者であるリリムが攫われた事による不安からか、こんな会話が城下町のいたる所で聞こえていた。





「何たる失敗だ! これでは魔王陛下に顔向け出来ん!」

 魔王城、とある一室。そこで大勢の魔物娘達の部下の前で声を荒らげるのは、帝国残党襲来時にグローザムと刃を交えたデュラハン、ナイア・ギャリングスである。
 そんな怒り心頭の隊長に対し、部下達は怯えてしまい、まともに声をかけられずにいた。

「くっ、リリムを攫われるなど前代未聞……! グローザムをあの時倒せていれば、こんな事にはならなかったものを!」

 執務机の前に腰掛けていたナイアだが、失敗の情けなさから来る苛立ちにより、両手でおもいきり机を叩いた。

(………………)

 隊長は憤るが、部下達はむしろ彼女がよく闘った方だと考えていた。彼女達も熟達した戦士故、グローザムの細かな動作や雰囲気などから、あの鎧の騎士の実力を看破しており、まず自分達では敵わない相手だとすぐに理解していたのである。しかも彼女達は魔王軍の中でも精鋭であり、そこらにいる魔物娘の戦士とはものが違うにもかかわらず、だ。
 その時点ではグローザムの生存のみが判明していたため、彼の情報だけが伝えられていた。そして、敵の五人の中でその異形の騎士を相手取る彼女達は他の部隊よりは幾分か有利だとは言えた。
 しかし、いざ目の当たりにした際に彼女等が気づいたのは、グローザムが当初の想定以上の怪物だったことだ。もし無闇に白兵戦を挑めば、次の瞬間には彼の四本の光刃のいずれかに斬り捨てられていた事は容易に想像出来たのだ。
 そして、剣術の腕だけではない。グローザムがエンペラ帝国健在時から既に最高クラスの氷属性の使い手だという事を彼女等は知っており、剣の腕よりはむしろそちらに注意していた。事実、アイギアルムの街が彼によって丸ごと氷漬けにされた事を鑑みれば、四本の光刃による防御不可能の斬撃など可愛いものだ。
 それとは対照的にナイアは炎属性の使い手である。『焦熱地獄』という二つ名が示す通り、ナイアは魔力によって生成した火球を口から吐き出す技を得意とした。
 その熱は凄まじく、大抵の氷属性魔法は相殺出来る程だったが、グローザムの吐き出す冷気はそれらとはモノが違い、吐いた火球を片端から一撃で消滅させてしまったのだ。これにナイアは驚愕し、迂闊に接近戦は挑めなくなった。
 結局、炎と氷の対決は互角で、やがて魔力を消耗し過ぎてジリ貧となったナイアは白兵戦を挑まざるをえなくなった。
 それでも、超耐熱処理を施したとはいえ魔界鉄製のバスタードソード二本で、あの狂気の斬撃を受けきったという事は特筆に値する。任務はしくじったが、皆殺しにされるのは防ぐ事が出来たのだ。

「隊長、任務には失敗しましたが、アイギアルム救出作戦において奇跡的に死者は出ませんでした。そして、その働きの一環は隊長にあり、我等ナイア隊一同はそれに感謝しております」

 見かねた隊員のリザードマンが、隊長を落ち着かせるべく感謝の言葉を述べた。そして彼女の言葉通り、隊員達は皆同じ気持ちであり、隊長には感謝こそすれ、失敗を責めるような者など誰もいなかった。

「しかし、失敗は失敗…」
「そう自分を責めるでない。それを申すなら、ワシにもその責任はある」
「!」

 ナイアがそう言いかけたところでドアを開けて部屋に入ってきたのは、当時クレアの見舞いのためにアイギアルムの街を訪ねていたケイトであった。

「ケイト殿…」
「ほほ、そんな表情をするでない」

 神妙な表情のナイア。一方、それを見たケイトはこのデュラハンを労るかのように柔和な笑みを浮かべた。

「ワシも同罪じゃ。そして、その失態を償いたいと考えておる」

 ケイトの場合はそもそも任務外の行動ではあったが、最終的にはアイギアルムでの戦いに関わっている。メフィラスの攻撃を防いだ他、彼女はクレアとカイザーゼットンを見送った後、敵の援軍到着の妨害を察知、魔術を用いてそれを防いでいたのだ。
 だが、異次元空間を自在に操るヤプールの力は凄まじく、彼の妨害を防ぐためにバフォメットの膨大な魔力量ですら尽きかける程の消耗を強いられた。そしてその努力も虚しく、結局援軍はガラテアを除いて異次元に取り残されてしまう。
 それでも彼女は奮闘し、少し時間がかかりはしたが、残された者を全員あの異次元より救い出す事が出来た。しかし、そのせいで彼女は七戮将との戦闘に参加出来なかった。
 夫のザンドリアスとその場で急いで性交に励んで魔力を回復させたものの、辿り着いた頃には時既に遅し。ゼットン青年を奪い返すどころか、あべこべにガラテアを囚われ、七戮将の魔力の残滓を追うことすら出来なかったのだ。

「……我等は一度しくじっている。陛下が我等をガラテア殿下奪還の際に用いてくれるかどうか…」

 悔しそうに歯噛みするデュラハン。いくら彼女等が優秀でも、一度失敗した以上はその実力に疑問符が付くのはやむをえない。魔王がそれを考慮すれば、次の作戦に実働部隊としていくら志願しようが、候補から外される事は十分ありえた。

「汚名をすすぎたいのは皆同じよ。陛下に対しそれを訴えれば、姫様の救出部隊に必ずや加えていただけるじゃろう」
「……成程、ケイト殿は陛下の信頼厚い御方。私が訴えるよりは効果的やもしれませぬ」

 意気消沈のせいか過度に謙遜するナイアだが、彼女もまた魔王軍幹部やディーヴァの中でも群を抜く実力の持ち主と言える。そしてそれは、かつて王魔界で行われた魔物娘武闘大会の特別御前試合においてクレアと闘い、秘技の応酬の末に勝利している事からも明らかだ。

「ケイト殿にはそれを是非お願いしたいが……欲を言うならエヴァ、ユウカ、バーバラも同じ気持ちでしょうし、連れて行ってやりたいのですが」
「確かにの。特にユウカとバーバラは本気を出せなかった故、辛かったじゃろう」

 『鬼神のユウカ』ことオーガのユウカ・ハンマーと、『竜王』ことドラゴンのバーバラ・ヴェルザー。いずれもディーヴァの名を許されて恥じぬ魔物娘であり、実際ユウカはデスレムと、バーバラはアークボガールと手加減した状態で闘っておきながら互角の勝負を演じていた。何より、その時バーバラはドラゴン形態になっていないのだ。
 二人とも援軍の将に選ばれただけはあり、ディーヴァとしての評価は最高のものを与えられている。それだけに本気で闘えば余波で周りに死者を出しかねない程の実力を誇るが、そのせいで味方に被害を出さぬよう常に力を抑えねばならない問題があった。
 故に味方が自分の周りに多数集結していたあの時では実力を発揮しきれなかったのだ。

「あの二人ほどの実力者が力を発揮しきれず、結果的に失敗となった事は不憫で仕方ありません。
 彼女達の名誉のためにも、是非陛下を説き伏せていただきたい!」
「もちろんじゃい。じゃが、二つ条件がある」
「条件?」

 急にケイトが勿体ぶってきたため、ナイアの表情が曇る。

「一つは、ワシも援軍に同行させてもらう事」
「! ああ…そういう事ならば、お断りする道理はございません」
「もう一つは談判にお主もついてくる事。いくらワシでも一人では陛下を説き伏せるのに心許ない故にな」
「私も?」

 デュラハンにとって、それは意外な申し入れであった。

「その“熱意”を陛下への訴えに活かしてもらおうと思ってのぅ」
「承知いたしました。この私が役に立つならば、是非!」

 バフォメットに同行するためにナイアが席を立ち上がると、先程のリザードマンを筆頭とする部下達は背筋を正し、一斉に敬礼する。

「隊長、我等ナイア隊一同は良い返事が陛下よりいただける事を期待しております!」
「…ああ、ありがとう。お前達の気持ち、無駄にしたくないものだ……」
「おう、ワシらに任せておけ。必ずや、良い報せを持ち帰ろう」

 部下達の敬礼を背に受け、ナイアは笑みを浮かべる。そして二人は部屋を出ると、魔王の座す玉座の間へ向かったのである。










(………………)

 どれ程の時間が経ったのだろうか。時折水滴の音がガラテアの耳に入ってくるのみで、他に外界の様子を知らせるものは何も無い。あまりの退屈さに、身体のダメージよりもそちらのせいで死にそうだと感じる程だ。
 享楽を好む魔物娘、そしてその最たるものであるリリムにとって、退屈とは最も忌避すべきものの一つと言っていい。まして男との出会いも何も無い、こんな牢獄での長い退屈など苦痛極まりない。

(……今のところ、魔力で身体のダメージは修復したけど……)

 それでも下手に敵へちょっかいを出されるよりはマシだと考え、治療に勤しんだ。おかげで身体の治療はほぼ完了したが、困ったことに別の問題が生じたのだ。

(そのせいで魔力が足りなくなるとはね……)

 肉体修復は概ね完了し、外傷による死亡の可能性は無くなった。しかし、そのために魔力を使い過ぎ、今度は餓死の恐れが出てきたのである。

(これはいよいよ白馬の王子様の出番ってワケね……)

 残念ながら、こればかりは如何に魔王の姫君の望みといえども叶いそうにない。なにせこの城は南極圏にある前人未踏の海域、そしてその遥か上空にある。さらにはありとあらゆる干渉を防ぐ最強の防御フィールドに覆われ、何者の侵入をも拒んでいた。

(私の方は保って三日ってトコかしら。フフ……これはいよいよ最期が近づいてきたってわけね)

 頭の中は冷静ではあったが、口惜しくはある。なにせ彼女はリリムという淫魔の中でも最高のものでありながら、未だ男を知らない。そして、男を知らぬまま死んでいくのは淫魔として真に恥ずべき事であり、それは彼女のプライドが許さなかった。
 しかし、傷は癒えようと未だ身動きすらままならぬ有様で、ただ今日死ぬのが明々後日死ぬのに変わっただけである。精さえあれば、こんな軛など微塵も怖くないのだが、彼女には愛する伴侶がおらず、したがってその精を受ける事も無い。

(ウフフ……処女のまま死ぬリリムなんて、私が初めてね)

 この状況にもかかわらず、相変わらず頭の中は冷静である。そのせいか、ガラテアはこの絶望的な事実を段々と受け止めつつあった。

(セックス……どんな感じなのかしら?)

 リリムでも処女故、彼女は性交について両親や姉妹、部下から見聞きした事しか知らない。体験した事が無い以上、想像しか出来ないのだ。そして良心は持ち合わせていた故、他の魔物娘へ夫との性交を見せるよう強要するような真似はさすがにしなかった。

(ふっ……リリムがこんな事を考えちゃオシマイだわ)

 ガラテアは我に返り、自嘲する。

(残念ながら王子様は来なさそうね………………あぁ一度でいいから、男の人と愛し合いたかった。そして激しく犯して欲しかったわ……)

 肉体及び精神的疲労により、意識の沈みつつあるガラテア。しかし、その未練は深く、やがて己の最期を呪う事となった。
 そして、その負の感情は彼女の身体の外に漏れ出していったのである。





 ――地下四階・最終牢獄――

「………………」

 そこのダブルサイズのベッドに鎖で縛りつけられていたのは、暗黒の鎧を脱がされたゼットン青年である。
 しかし意識を奪われていたはずの男は上階より発せられた負の感情、そして強力な淫魔の魔力を感知すると、閉じていた真紅の目を突如見開いたのだった。

「………………!」

 今現在、男は暗黒の鎧の力を使う事は出来ない。にもかかわらず、三重に巻かれていた自身を縛る鎖を、いとも容易く破壊したのである。

「……」

 解放された男は起き上がってベッドから降りると、部屋の前にあるインペライザー合金製の鉄格子の前に立った。

「フンッ!!」

 格子を両手で掴むと、なんとこれも簡単にへし曲げてしまう。そうして青年はそのまま牢獄を脱出し、おぼつかない足取りで同じ階に安置された物を探して歩き出す。

「……!」

 階自体は広いが、お互い引き合っていたので迷う事は無い。そこへすぐに辿り着いたゼットン青年は、目当ての物を見つめる。

「………………」

 目当ての品である『アーマードダークネス』は、インペライザー合金製の鎖で何重にも縛られ、同じくインペライザー合金で出来た壁に繋がれていた。

「〜〜ッ!」

 深呼吸した青年は、右手を総金属製の部屋の前にかざす。すると鎧を縛る鎖が震え出し、やがて千切れ飛んだ。
 こうして鎧は解放されると共に各部が分離、青年目がけて飛んで行く。

「………………」

 青年はそれに抵抗せず、為すがまま身体を捧げる。そしてそれをいいことに、バラバラになった鎧は彼の身体を覆い尽くす。

『オオオオ……ウオオオオオオォォォォァァァァァァァァ――――――――――――ッッッッ!!!!』

 やがて異物を受け容れたが故の激痛と共に装着が完了すると、全身から邪悪な波動が漏れ出し、城全体が震えるような強烈な咆哮をあげる青年。
 こうして、暗黒の凶戦士『カイザーゼットン』は再び起動したのである。





『これは…!?』
『まさか、あの小僧が!?』

 その頃、メフィラスとグローザムは溢れ出す邪悪な波動を感じ取っていた。

『馬鹿な!! 何故起動したのだ!?』
『まさか、あのリリムが何かしでかしたのですか…!?』

 残念ながら、ガラテアにはそんな意図など無い。一応リリムから漏れ出す魔力が強まった事にメフィラスは気づいていたが、大した問題も無かろうと考えて捨て置いていた。
 しかし、この魔術師が考えるよりも遥かに暗黒の鎧は敵の気配に敏感だったのである。

『こちらデスレム』
『『!!』』

 慌てていたところで、デスレムの声がメフィラスのモバイルクリスタルより伝わってきた。

『ただ今最終牢獄に向かった』
『起動の原因は分かりますか?』
『今のところ不明だ。だがすぐに――』
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……ン』
『? どうしました?』
『……奴だ。悪いが喋っている暇は無さそうだ』
『了解』

 メフィラスはデスレムを慮り、通信を切った。

『……我々も向かいますか』
『おう!』

 地下で暴れられては何かと面倒だったため、メフィラスとグローザムは急いで地下への階段を降りていった。





(……何かしら?)

 微睡んでいたガラテアだが、何度も響き渡る轟音によって目を覚ました。

(!? この邪悪な波動は一体……!?)

 飢えたリリムですら戦慄する程の禍々しい波動が下の階より放たれている。そしてそれ程の物にもかかわらず、ガラテアは今まで気づかなかったが、これは彼女の衰弱具合がひどいことを示していた。

(逃げなきゃ…!)

 本能的な恐怖を感じたガラテアは身をよじるが、虚しく鎖が鳴るだけである。その拘束は一向に外せそうにない。

「!?……モガアア!!」

 焦燥感に駆られたところで、爆発音が辺りに響き渡る。続いて、衰弱しきったリリムが悲鳴をあげる程、凄まじい衝撃が石造りの城全体、そして彼女の身体へと伝わったのだ。

「……ん、今の衝撃で取れた!?」

 しかし、そのおかげでリリムの目隠しと猿轡が上手くずれた。

「ふんぎぎぎぎぎぎぃぃ〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」

 だが、状況の解決にはなっていない。錠を破壊せねば、どちらにせよ逃げられないからだ。そのため、リリムは顔が真っ赤になるほど力を籠めて両腕を引っ張るがビクともしない。

「くっ! どうすればいいのよ!!」

 ままならぬ状況に癇癪を起こし、辛うじて開いた口で怒鳴るリリム。

「!?」

 やり場の無い怒りを床にぶつけていたところで、彼女のすぐ頭上を赤黒い破壊エネルギーが駆け抜ける。しかし間一髪、怒鳴った際に体を少し下げていたため、それに巻き込まれずに済んだ。

「あ、危なかった…! もう少し頭を上げてたら、首が取れていたわ!」

 デュラハンと違い、さすがのリリムも首が取れれば死んでしまう。

「!」

 ガラテアは恐る恐る周りを見渡すと、壁は光線のおかげで貫かれており、四階の端から端までの部屋が繋がってしまっていた。

「…これはチャンス!」

 だが、そのおかげで繋がれていた鎖も金具から外れた。リリムは絶好の機会だと考え、鎖を引きずりながらも牢から逃げ出そうとする。

「! あれは…!?」

 しかし、リリムはすぐに慌てて牢へ戻り、少しだけ顔を出して少し先にある階段部を覗きこむ。

『オオ…!』
『ガキがァ!! このグローザム様をナメるなァァッッ!!!!』

 リリムの目に入ったのは、四階の階段の手前でグローザムと槍を携えた謎の黒い騎士が激しい闘いを繰り広げている光景である。そして黒い方に対し、ガラテアは僅かに見覚えがあった。

(あれがアーマードダークネス!? いや、ゼットン君か…!)

 黒い騎士はガラテアが攫われる直前、一瞬だけ目にした青年と同じ顔をしていた。しかし、その時とはうって変わって邪悪な波動を全身から放出し、さらには顔中に痣のようなものが走っている点が異なる。

(それにしても、何故グローザムと闘いを!?)

 二人が何故戦闘になっているかは知らない。しかしガラテアから見て、青年はサイボーグを圧倒しているように見えた。
 何故なら恐るべき速さで繰り出され、しかも『万物を断ち切る』と恐れられし魔導激光剣を双刃槍の柄で平然と受け止めて鍔迫り合っている。さらには見事な槍捌きでグローザムを懐に入らせずに間合いの外へ追いやり、彼に反撃の隙を与えないのだ。

『ちっ!』
『………………』

 必殺の一撃を防がれ続けて苛立つグローザム。彼ほどの腕でも、この黒い騎士の間合いの中に入るのは困難だった。

『なっ!?……ぐぅっ!?』

 そして、勝負はすぐに決した。右手で支えられた黒い騎士の槍は振り下ろされた光刃の上二本を受け止め、左手はグローザムの左下の手を掴み取る事で死角からの刺突を防ぐ。さらには残る右下の手には左足で蹴り上げ、全ての光刃を封じたところで、槍の穂先より放たれた赤黒い破壊光線がグローザムの胸部装甲を貫いたのである。

『がっ……こ、この俺がぁ〜〜〜〜〜〜ッッ!!??』

 胴に大穴が開き、驚愕した様子でグローザムは後ずさる。

『……』
『ぐわぁぁ――――――――――――ッッ!!!!』

 とどめとばかりに黒い騎士は左手より強力な衝撃波を放ち、それを喰らったグローザムはバラバラに四散する。さらには周囲の壁や床にも衝撃の余波で亀裂や破砕が起きたのだった。

『……』
「!!!!」

 バラバラの金属片になった男に最早興味を失ったという風に、黒い騎士は振り返る。すると、牢屋から覗きこんでいたガラテアと目が合った。

(やば!)

 今更ながら後悔するガラテア。逃げようとしていた彼女だが、二人の闘いをつい足を止めて見入ってしまったのだ。

『オオ……』
「アデュー!」

 真紅の瞳がこちらを睨むのを見て別れの挨拶を告げながら、慌てて背を向けて逃げ出すガラテア。魔力が十分の普段ならばこんな醜態は見せないのだが、今は徒歩で逃げ出す他無い。

『オオオオ……!』
「あっ!……ぶべっ!」

 しかし、これまた運が良かった。新たな獲物に黒い騎士は躊躇せず槍の穂先より光線を放つが、ガラテアは慌てていたせいか足元の瓦礫に気づかず、それに足を引っ掛け、すっ転んだのである。そのせいで顔面は強打したものの攻撃はなんとか避ける事が出来、光線は突き当りまで飛んでいったのちに壁を破壊したのだった。

「いたた…」
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……ン』
「!!!!」

 咄嗟に顔を押さえるガラテアへ、金属の軋む不気味な音を立てながら歩み寄る黒い騎士。殺意に溢れながら、その顔は無表情そのものであり、後ろを振り返ったリリムはその無機質さに恐怖を覚えた。

「ひっ!」

 魔術の使えぬリリムは再び走って逃げるが、

『……』

 獲物を逃さぬべく黒い騎士は槍をかまえると、先程崩した突き当りの天井部に投げつける。そして槍の刺さった天井は轟音と共に崩落し、そこにあった階段も崩れた瓦礫で埋まってしまい、リリムは逃げ道を塞がれたのだった。

「うっ…!」
『……』

 引き返そうにも、後ろからは暗黒の鎧が迫っている。魔力をほぼ使い果たした今、最早逃げる事など出来ない。

「しょうがない。やるしかないわね…!」

 覚悟を決めたリリムは天井へ跳び上がり、突き刺さった双刃槍を引っこ抜く。

「……あと、空腹ですっかり忘れていたわ。あなたから逃げてちゃ、それを果たせないところだった」

 何かを思い出したらしいガラテア。そして双刃槍をかまえ、暗黒の鎧を威嚇する。

『………………』

 しかし、丸腰になっても黒騎士は微塵も怯む気配が無い。リリムをただその赤い瞳で見据えるのみである。

「私達が派遣された目的の一つはね、あなたを連れ帰る事」
『……』
「さぁ一緒に帰るわよ……ゼットン君!」

 だが、ガラテアの決意は変わらず、果敢に槍を向けて男に突っ込んでいった。

『……』

 リリムに対し、迎撃のかまえを取る黒騎士。いくら暗黒の鎧が丸腰とはいえ、彼女の方も餓死寸前、傍から見れば完全な自殺行為と言える。

「うっ!」
『オオ……』

 分かりきった結果であった。ガラテアの身体能力は確かでも、武器の扱いに関しては素人なのかあまりにも隙だらけで、槍が当たる事無く彼女は捕えられてしまった。
 そして黒い騎士は右手で彼女の首を掴むと、高々と掲げたのである。

「うぐっ…!」
『オオ…』
「……ウフッ……ウフフフフッ……!」
『……?』

 しかし、苦悶の表情を見せたのも束の間、ガラテアは絞め上げられながらも何故か笑い始めた。それを見た暗黒の鎧はリリムの意図が解らぬためか、無表情から一転し、怪訝そうな表情を浮かべている。

「こんな物はいらないわ…」
『?』

 なんとガラテアは今唯一の武器である、奪い取った双刃槍を後ろに放り捨ててしまう。何故わざわざ勝てる確率を減らすような真似をするのか、彼には分からなかった。

「だって、私はあなたと殺し合いたいんじゃなくて……」
『?』

 相変わらずガラテアの言いたい事が全く分からない黒い騎士は当惑した様子。その様を見たリリムはクスリと笑うと、彼の額の中央に右人差し指を当てる。

『!』
「“正気に戻って欲しい”んだもの!」

 ようやく彼はまずい状況だと気づいたが、その時には既に遅かった。
 リリムが捕まったのはそもそもわざと、どうにか彼の頭に直接触れられる距離に近づくためである。そして捕まった後笑い出したのは、少しでも隙を作るためだった。

『オ――』
「……“ブレイン・アウェーキング”!」
『グガ……ガガ……オオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッッッッッッッッ!!!!????』

 騎士がリリムの首をへし折るより早く、彼女の右人差し指によって青年の額に魔方陣が描かれる。すると筆舌に尽くし難い激痛が彼の頭を走り、男は両手で頭を押さえながら絶叫をあげ、蹲ってしまった。

「ハァ……ハァ……」

 放り出されたリリムは疲労困憊のあまり膝をついてしまう。一方、男の方はついに意識を失い、そのまま倒れ伏したのである。

「フゥ〜〜〜〜………………」

 ようやく危機から解放されたガラテア。自身を落ち着かせるために深呼吸し、呼吸を整える。

「上手く……いったわね」

 今更ながら青ざめるリリム。このやり取りは一か八かの賭けであり、たまたま上手くいった。

「あと少し遅ければ危なかったわ……」

 もし彼が余裕を見せること無くリリムに光線や衝撃波を放ったり、気を取られずに首をへし折ったりしていれば、彼女の命は無かっただろう。

「本当乱暴な……手間のかかるボウヤだわ」

 もう意識の無いこの青年に害は無い。それを知るガラテアは倒れ伏す男に語りかけると、ひっくり返して仰向けにしてやる。そうして、男の顔をまじまじと眺めたのである。

「ふぅ〜ん……成程、いろいろな雌をひっかけられたのが解る気がするわ……」

 痣が消えた青年の顔を見て、ガラテアは興味深い印象を抱いたようだ。

「……死んでないわよね?」

 暗黒の鎧が、青年の身体に途轍もない負担をかけていたであろう事は想像に難くない。そこで瞼をこじ開けて瞳孔を調べるが開ききっておらず、また真紅の瞳も黒に戻っていた。
 次いで胸に右耳を当て、続いて口元に移すが、心音は正常で、今までが嘘のように静かな寝息を立てていた。

「えっと次は……」

 青年の命に別状がない事を知って安堵すると共に、何故か頬を赤らめ、淫蕩な笑みを浮かべ出すガラテア。そして下半身をちらりと見やると、舌なめずりする。

「“下半身”よね…」

 驚くべき事に、彼女が未婚の男を見たのはこれが初めてである。さらには精神的な余裕が出来たせいか、目の前の雄の存在を改めて意識するようになり、ましてやこの淫魔の姫は相当飢えている。
 そんな空腹の彼女には、複数の魔物娘と交わっているこの男の強力な精の香りはたまらなく甘美で、我慢出来そうにない。

「う〜〜〜〜ん!!」

 魔物娘としての本分を果たそうとするガラテアは、暗黒の鎧の草摺や尻当てを引剥がそうと、翼をバタつかせながら顔を真っ赤にして力を籠める。しかしビクともせず、一向に脱げる気配は無い。

「……くっ……」

 欲しい物が目の前にありながら、ありつける事が出来ずに苛立つガラテア。

「欲しい…この子が欲しい……!」

 熱病に冒されたように呟くリリム。魔物娘の本能が彼女の精神的均衡を崩し、冷静な思考力を急速に奪い始めていた。

『駄目です』
「!」

 しかし辺りに聞き覚えのある耳障りな声が響き渡り、ガラテアは正気を取り戻す。そうして突如魔姫の体は黒い光球のようなものに包まれ、姿を消したのだった。





「う……」

 目が眩んだガラテアが再び目を開けた時、いつの間にか自分は城の外に移動していたのに気づく。その証拠に、背後にはさっきまでいたはずの石造りの巨城があった。

「ここは…?」
『これ以上我等の城を破壊されるのは困りますのでね、あなたを移動させてもらいました。これだけ離れれば、被害はもう出ないでしょう』
「!!」

 辺りを見回していると、再びあの耳障りな声が聞こえてきた。

「メフィラスね…」
『御名答です!』

 靄より響き渡る声は相変わらず不快で、嘲笑的なものである。

「まどろっこしい真似が好きみたいね」
『そんな事はどうでもよろしい。君がどうやってゼットン君を動かしたのかは知りませんが、おかげで大損害ですよ!』
「ああ…そういえば私の前で、やたらと大きい“くるみ割り人形”がバラバラに解体されたわね。その事かしら?」

 とぼけた様子で答えるリリム。グローザムが聞いたら、烈火の如く怒り出すだろう。

『! グローザムを胡桃割り人形呼ばわりとは……まぁ、本来なら私もゼットン君を取り押さえに行く予定だったのですが、結局後始末に追われてそれどころではありませんでしたのでね。
 しかも私が来ないのをいい事に君達は白昼堂々、いかがわしい行為に及ぼうとする始末…』

 ガラテアの愚挙には相当苛立っているらしく、魔術師の語気には怒りが籠っている。

「いかがわしい行為? 私は囚われの身になった哀れな青年から、鎧を剥がそうとしただけよ? 言うなれば、医療行為の一環かしらね?」

 ガラテアも言われっぱなしは癪に障るらしく、再び嘯いた。そもそもそのいかがわしい行為に関しては未遂であり、あくまでその疑惑でしかないのを逆手に取ったのだ。
 また、性交すれば両者共に回復したであろう事は間違いなく、このリリムの言うことは一応正しいと言える。

『白々しい物言いを…!』
「だって、嘘じゃないもの。あんな物を無理矢理付けられているなんて可哀相だわ」

 心底呆れた様子で、ガラテアは虚空に向かって反論する。

「そもそも、あのボウヤにあんな鉄屑は似つかわしくないわ。そして魔物にとっても、あの鎧は百害あって一利も無い。でも廃棄するのも面倒だから、あの鎧は返してあげる」
『……』
「その代わり、ゼットン君は連れて帰る。
 あんなガラクタを付けさせての強制労働なんてさせてられないわ。それに、彼の帰りを待っている人がいるのよ」
『……それは聞けない相談ですねぇ』

 分かりきった答えである。

『あなたは付録に過ぎませんから、その生死に大した影響はありませんが、本命である彼は違います。当然死なれては困りますし、もちろん渡すわけにも参りませんよ』
「前も聞いたけど、何故あのボウヤに拘るのかしら? 彼は強い方だとは思うけど、それはあくまで常識の範疇。
 あの子には悪いけど、勇者や魔物に比べたら素質は劣るわよ」
『彼に求めたのは戦士の素質ではなく、暗黒の鎧への“適性”ですよ。彼本人の戦士としての才能など些末事、ほぼ関係の無い話です』
「……」

 ガラテアとしては疑問を解消したかったが、メフィラスは重要な部分はボカし、最低限の事だけ答えた。

『……さて、くだらない話はこれ以上よしておきましょう』
「あら、何をするつもり?」
『慈悲で生かしておいたにもかかわらず、あなたはそれを踏みにじった。その罪は万死に値します』
「よく言うわ…」

 勝手に下された判決に対し、不快そうな表情でガラテアは吐き捨てる。

『何より、先程のような真似をされては面倒極まりない。これ以上の被害が出る前に、君には死んでもらうとしましょうか!』

 メフィラスの死刑宣告と共に、靄の中に電流が奔り出す。

「……最後に遺言を残してもいいかしら?」
『ほう!……下等生物といえども、最期には殊勝になるものですねぇ! よろしい、聞かせてもらいましょうか!』
「……〜〜〜〜」
『ん〜? 声が小さくて聞こえませんよ?』

 ガラテアは何か小声で呟いたが、そのせいでメフィラスには何を言ったか聞き取れなかった。そして、そんな彼の反応を見たリリムはクスリと笑う。

「聞こえなかった? ならば大声で言ってあげるわ………………“アンタみたいなゲス野郎は、どんな魔物娘でもお断りよ”ってね!!!!」
『!!……くっ、少しでも甘い顔をすれば調子に乗りおって!! 一丁前に減らず口を叩くなぁぁ〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!』

 淫魔の姫には似つかわしくない罵倒に激昂し、口汚く叫ぶメフィラス。さらに、彼の怒りに反応するかのように靄の中に雷光が煌めく。

「これで言い残す事は無いわ。さぁ、殺しなさい」

 言うだけ言ったガラテアは観念したらしく、目をつぶる。

『ならば、お望み通り殺してあげますよ!!!! 下等生物風情がぁぁぁぁ!!』

 しかし、雷撃はリリムを殺す事は無かった。

「――――心配すんな姉ちゃん、アンタは死なねぇ」
「!?」
『!?』

 突如虚空に響き渡る男の声で、死刑執行を遮られたのだ。

「俺が守るからだ」
『……誰ですか!? 姿を見せなさい!!』
「はぁ?……バカか、てめぇは?」

 男の声には怒りと若干の呆れが混じっており、何よりメフィラスの発言が的外れだと言わんばかりである。

「それだけしっかり隠れた奴が言えた台詞か!! てめぇの方が姿を見せやがれ!!!!」

 自分が隠れておいて何様だとばかりに、ガラテアの前方15m程へ、突如天より“槍”が投げつけられる。

「きゃっ!?」
『ぬぅっ!?』

 その衝撃は凄まじく、着弾した瞬間に辺り一帯の靄を吹き飛ばす。それに加え、靄と幻に隠れていた卑怯者の姿を曝け出させたのだった。

『わ、私の幻影が!? おのれぇ、何者です!?』
「ガタガタうるせぇな。そんなに俺の正体が知りたいか? なら、上を見てみろよ」

 申し出に従い、メフィラスもガラテアも上を見上げる。

『む!? き、貴様は!!』
「あ、あなたは!!」

 驚く両人。両足から魔力を噴出させながらフワフワと浮いている男の姿は、二人とも見知ったものである。

「ぜ、ゼットン君!!」

 槍を投げつけたのはゼットン青年その人、それも完全に自我を取り戻した姿である。暗黒の鎧を纏いながら先程同様顔に痣が無く、何より溢れ出る邪悪な魔力は無くなっていた。

「いやー、助かったよ姉ちゃん。ようやく“戻ってこられた”」
「!……ウフフ、お役に立てて何よりだわ」

 青年の復活を知り、ガラテアも嬉しそうな笑みを浮かべる。

『くっ、封じていた意識を取り戻したのですか! それも暗黒の鎧を逆に支配下においたですと!?』
「フフッ……えぇ、不憫に思って洗脳を解いたのだけれど、鎧の方は嬉しい誤算だったわね」

 狼狽するメフィラスを見たガラテアは、今度はおかしそうに笑い出す。

「そういうわけだ。理解したかね? まぁ、鎧の方の説明をすると長くなっちまうし、そもそもてめぇみてーなクソ野郎にそんな時間を使うのも勿体ないから、省略させてもらうがな」
『ほう、そうですか……しかしねぇ困るんですよ、ゼットン君。勝手に動き回られては、我々の計画に支障が出るじゃぁありませんか!』
「知ったことかよ。それに俺がどう動こうが俺の自由、てめぇらに指図されるいわれはねーよ」

 メフィラスの発言を聞いて舌打ちした青年は地に降り立つと、ガラテアを庇うかのように彼女の前へ立った。さらには地に突き刺した槍がフワフワと浮き上がると、彼の方に飛んでいき、再びその手に握られる。

「!……気をつけて!! 左右から来てるわ!!」

 魔力は無くとも感知能力は健在、リリムは男へ危機を伝える。

「心配しなさんな。今日の俺は、多分魔王の夫とかでもボコれそうなぐらい調子良いから」
「! ああそう…」

 復帰したてながら、青年は全く臆する様子が無い。それどころか、ガラテアがリリムなのを知ってか知らずか、真顔で傲岸不遜極まりない発言を述べ、魔王の姫はその美顔を引きつらせる。

『……魔王の夫を半殺しに出来るというのか!? それなら見てみたいものだな!!』
『グハハハハ!! 大きく出たな小僧!!』

 やがてゼットンの左側方より四本の光刃を煌めかせたグローザムが、右側方より巨大なフットマンズ・フレイルをかまえたデスレムが空間を叩き割って出現し、襲いかかってきた。

『『死ね!!』』
「……」

 不意を突かれて挟み撃ちにされた青年だが、その顔は余裕そのものであった。

「フン!」
『『ぬおっ!?』』

 襲いかかってきたタイミングが同じため、青年は攻撃を避けつつデスレムには左肘を、グローザムには右足で蹴りを同時に叩きこんで距離を取る。そして両者は迎撃された事で、体をふらつかせた。

「“カイザーインパクト”!!」
『ギャバァッッ!!??』
「“レゾリューム・バスター”!!」
『グゴアアアアァァァァァァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!??』

 まさに悪夢の再現というべき光景であった。
 グローザムは先程同様、衝撃波をもろに被弾して全身が爆砕。デスレムは槍の穂先から放った破壊光線が胴体に直撃、そのまま貫かれつつ流星の如く遥か彼方まで飛んでいったのだ。

「お?」
『き、貴様放せ!!』

 さらに、ゼットン青年は残ったグローザムの頭部を拾い上げると、砲丸投げの要領で無慈悲に投げ飛ばす。

『うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………………………!!!!』

 オーバースローで投げられたグローザムの頭部は悲鳴をあげながら高速回転し、デスレムと同じように遥か彼方まで飛んでいった。

「お〜、こりゃ新記録だな」

 放物線を描きながら飛んで行く生首を、男は嬉しそうに眺める。

「ウソ…」

 あまりにも早い決着に、リリムは呆気にとられていた。そして、それに気づいた青年は不敵な笑みを浮かべる。

「ん〜、別に不思議なことじゃないだろ?」

 男は己が今纏う禍々しい鎧をガラテアに見せびらかす。

「……まぁ、それはつまり俺の実力じゃないって事なんだけどね……」

 そこまで言った途端、改めて悲しい事実に気づいたらしく、ゼットンは急に落胆した。

「とはいえ、衰弱しきった魔物娘を守るには十分だろ」
「私を守ってくれるの?」

 ガラテアとしては、男の申し入れは意外であった。

「当然! 俺は困っている魔物娘(ただし未婚に限る)がいれば助ける主義だ」
「へぇ、期待していいのかしら?」
「落胆はしない程度にな」
「ふぅん…」

 先程の暴言は若さ故の大言壮語、今の不遜な態度も己の能力への過信かもしれない。しかし、ガラテアはこの男を信じてみようという気が起きた。
 ただし、どちらにせよ今の彼女が無力に等しいのは確か。それ故、誰かに頼らねばならないのは間違いないのだが。

「俺はド底辺出身のド平民だが、騎士の真似事ぐらいは出来る。それに…お姫様を守るってのは、男にとっての夢の一つじゃないかね?」
「…!」

 ゼットンはガラテアの方を向くと、見よう見真似ながら騎士風のお辞儀をする。

「どこのどなたかは存じ上げないが、僭越ながらこのゼットン! あなたの騎士を務めさせていただこう!」
(あらヤダ……この子、解ってるじゃない)

 白馬の王子様でこそないが、リリムには理想的なシチュエーションだとは言える。そのせいか、ガラテアには心なしか青年の顔が凛々しく見えた。

『………………』

 一方、茶番を眺める魔術師は、今まで見た事が無いほど苛立っていた。その理由は同僚をあっさり倒されたこともあるが、この男女が彼の事を完璧に無視していたのもある。

『私がここまでナメられるとはね…』

 彼も元は帝国のNo.2、つまり皇帝に次ぐ強さを誇った存在である。にもかかわらず、目の前の二人は大胆不敵にも彼を無視しており、それがこの魔術師のプライドを著しく傷つけたのだった。

「ねぇ…」
「ん?」

 魔術師が怒り心頭なのに気づき、ガラテアが指差す。

「あいつ、滅茶苦茶怒ってるわよ…」
「あら、本当だ」

 しかしゼットン青年は気楽なもので、全く慌てる気配が無い。

「余裕ね…」
「まぁ、どちらにせよアイツをブチのめさないと、ここから逃げられないよ」

 青年は不快そうに魔術師の方をちらりと見やる。

『ほう。出来るのですか、君に?』

 普段の飄々とした感じとはうって変わり、今のメフィラスの声からはただ怒りと殺意だけしか感じられない。

「出来る出来ないじゃなくて、やるんだよ。後ろでお姫様が見てるんだ、無様に負けられねぇ。何より、俺の負けは彼女の死だ」
『フフ、大きく出ましたね』
「ケッ、少なくとも負けはしねぇよ。てめぇらが一番よく知ってるんじゃねーの? この鎧の力をよ!!」
『そこまで大口を叩くのです。使いこなしたアーマードダークネスの力、是非見せてもらいましょうか!!』

 冷笑を浮かべるメフィラスへ啖呵を切るゼットン青年。そして姫を守るため、なりたての黒き騎士は邪悪な魔法使いへ双刃槍を向け、これを打倒すべく打ちかかったのである。
15/03/25 18:29更新 / フルメタル・ミサイル
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■作者メッセージ
備考:高強度チタン・ミスリル合金&インペライザー合金

 高強度チタン・ミスリル合金は鉄に高い強度を持つ事で知られるミスリルと、同じく高い強度を持つ新元素のチタンを加えて作られた合金である。
 鋼鉄の3〜4倍の強度を誇り、さらにはミスリルとチタンを多量に含むため、同じ大きさの鋼鉄製の鎧よりも大幅な軽量化を達成、さらには耐熱・耐蝕性も比較にならないほど上回る。
 ただし、当時の最新技術であったので高コストであり、一部の高級将校の甲冑に使用されたのみで、一般兵には手の届かない代物であった。
 また、アーマードダークネスはこの合金で造られている。魔界鉄の武器を簡単に弾き返し、そして見た目の割には非常に軽いのはこのためである。
 インペライザー合金はこれをさらに発展させたもので、鉄・チタン・ミスリルを基に、バナジウム・クロム・マンガンなどを微量添加し、タングステンを一定量加えたもの。
 タングステンが加わった事で桁外れの硬度と強度を得たが、比重が重くなりすぎたため、最早人間では使用不可能となった。
 そのため、帝国で使われていたゴーレム『インペライザー』に使われており、これが名前の由来である。また、ゴーレムを使わなくなった現在も、デスレムの鎧やMキラーザウルスの装甲などに使用されるなど、人間離れした怪力の持ち主や馬力のある機械には未だ用いられている。
 両者共現時点で最強の合金だが、その加工技術を持つのは帝国七戮将のヤプールのみである。そしてエンペラ帝国の冶金技術が廃れてしまった現在、これらの合金の基となる金属元素の存在そのものが魔物や各国から失伝してしまった。
 そして各国は未だこれらの元素の再発見にすら至っておらず、見つけたとしてもその硬度と化学的性質による加工難度から、実用化はほぼ不可能と言える。

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