連載小説
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物語のかけら〜ある国王の手記〜

私はフォン=エルハイム=フリードリヒ三世。エルハイム王国の国王だ。
貧しくもなく、さほど豊かでもない国。主な産業は農耕と近くの鉱山の鉄鉱石の産出だ。
国民は皆主神教の敬虔な信徒達で、争いを好まず日々平和に暮らしている。
国の一番大きな教会にいる司教も清貧を心がける敬虔な信者。欲に溺れることもなく、子供たちに文字や計算を教え、病める者、弱き者に施しをする素晴らしい方だ、
極めて大きな幸福は無いものの、皆ささやかな幸せで満足できる……そんな素晴らしく、何の変哲もない国だった。

さて、そんな何の変哲もない日々。私の人生を大きく変えるある出来事が起きた。
あれは私が執務室で届けられてきた嘆願書に目を通し、その対応を見定めている時だった。
たとえ国が逼迫していなくても、何かしら不満が出てくるのは世の常。しかし、その不満をないがしろにするようでは真の王とは言えないだろう。閑話休題。

ふと、夜風を感じて後ろを振り向く。今日は少し冷えるので、窓は締めておいた筈なのだが……

「今晩は、国王陛下。ご機嫌はいかがかしら?」

風になびくカーテンの向こうに、誰かが立っていた。そんな馬鹿な、少なくともここから地上までは3階もある。普通の人間がまともにここまで来られるはずがない。
そして、そのカーテンに映るシルエットに明らかに異質なものが映っていた。

頭にはねじれた角。
腰あたりにはコウモリのような翼。
そして、腰から伸びて自在にうねる尻尾。
それは紛れも無く……

「悪魔……!」
「あら、悪魔じゃいけなかったかしら?」

慌てるな……まずはどうする……!?衛兵を呼ぶか?それとも身を守るために剣を取るか……!?
そんな慌てた気配を察知してか、カーテンの向こうの影がクスクスと笑い始める。

「そんなに怯えなくてもいいじゃない。別に貴方をとって食べようなんて気は無いのよ?」
「何……?」

悪魔と言えば人間の魂を貪り喰らう邪悪な存在ではなかったか……?
物によっては血肉を食らう種類もいる筈だ。それが何故……?

「あ、でも気に入っちゃったら別の意味で食べちゃうかも♪」
「……っ!」

やはり私はここでこの悪魔に食われるのか……!魂か、肉か……。相手の悪魔の力量が未知数であるだけに衛兵を呼んで太刀打ちできるかすら分からない。こんな物の相手は勇者でもないと務まらないというのに……!

「ブルブルと怯えちゃって……か〜わい♪」
「っく……えいへ……」

流石にもう一人は限界だ。衛兵を呼ぼうと口を開けた所で私は固まってしまった。
夜風にカーテンが煽られ、闖入者の姿が月明かりに照らし出される。


その姿は、あまりにも美しすぎた。


………………
…………
……

「……か。……いか!」

頭がどこかぼんやりとしている。
どこか遠くから声が……

「陛下!どうされました!?」
「む、済まない……。少し呆けていたようだ。」

どうやら昨夜のことが衝撃的過ぎて頭から離れないようだ。
このままではいかんな……政務にも支障が出る。

「この後の予定ですが、隣国の姫との会食が……」

私は呆れながら手を振った。今はその話どころではない……というより、昨日の彼女が頭から離れない。

「またその話か……私はまだ誰も娶るつもりは無いと言っているだろう。」
「しかし陛下、貴方様は未だ一人の身……お早い内にお世継ぎを作らなくては万が一の事があった時にどうするのです。」
「その時は豚にでも王冠を被せて玉座に座らせておけばよかろう。私も嘆願書に目を通しているとは言え、家臣の方が余程有能ではないか。」

実際にその通りで、今のこの国は国王が居なくても十分運営していけるほどに有能な家臣が揃っていた。
私は事務仕事こそ人並み程度にしかこなせないが、人を見る目だけは備わっていたのだ。
私を陥れようとした政敵を見破り、忠実な家臣を手に入れられたのは幸運以上の何物でもないだろう。

「お戯れを……貴方様が居なければ国民は一所に纏まりません。象徴としての国王が必要なのです!」
「全く……お飾り無くしてはままならない国というのも考えものだな……。いっその事政を全て国民に任せてみてはどうだ?少なくとも私は必要なくなるだろう。」

すると、目の前の家臣……カシムは満面の笑顔でこう言い放った。

「陛下、いい加減にしないと本気で怒りますよ?」
「……済まない。」

正直言うと今もこの男が怖くてたまらない。かつての教育係であったこの男が。



私は執務室で手記に筆を走らせながら昨夜の事を思い起こしている。
あの銀髪の悪魔はなんと名乗ったか……そう、ミリアと言ったか。
悪魔とは思えぬ美貌、妖艶な笑み、心がどこまでも見透かされそうな真紅の瞳……。
そして、本来ならばおぞましいとさえ思える筈の異形の部分……蝙蝠の如き翼や、長くうねる尻尾、黒く鋭い角ですらもまるで一つの芸術品か何かのようとさえ思えてしまったのだ。
そう言えば彼女は言っていたか……


──面白い人。また、来てもいいかしら?──


あの時は思わず呆けて頷いてしまったが……一体私の何が気に入ったと言うのだろうか。
顔も体型も中庸。伝説の英雄のような体つきもしていなければ、賢者のような深さもない。
民からも「凡才王」などと呼ばれているのだ(これは中傷ではなく親しみを込めて呼んでいるらしい。ちなみに私もそれなりに気に入っている)。

「また今夜も来るのだろうか……」

誰にでも無く、ただ一人呟く。
どうやら知らぬ間に……私はあの悪魔に心底惚れ込んでしまったらしい。



「こんばんは、国王陛下。それともフォンと呼んだほうがいいかしら?」
「あぁ、フォンで構わない。近頃はめっきりその名で呼んでくれる友人がいなくなってしまってな。」

あれからほぼ毎夜ごとに彼女は私の部屋へと訪れた。
次に会った時は恐怖こそなかったものの、自覚してしまった自分の内面に若干うろたえてしまったのだが。

「ここ、素敵な国ね……。生活は豊かではないのに皆幸せそうに暮らしている。」
「あぁ、私一人で作り上げた物ではないが……私の誇りの一つだ。」

先代の父は名君と名高き王であった。
私はその何恥じぬよう必至に努力し、国を豊かにしようと家臣共々知恵を絞りあったものだ。
さらに、治安が悪化しないよう各街には精鋭部隊とも言える兵達が駐屯している。
皆が皆国の為に働く誠実な兵達だ。

「私達の国の事は……以前話したかしら?」
「あぁ……魔物達と人間が手を取り合う世界……だったか。にわかには信じられないな。もはや魔物が人を食らう存在では無くなっていたというのは。」

これは彼女が一番最初に話した事だ。
魔物は人を食らわず、傷つける事もない。人間の男性を求め、愛しあう存在なのだと。

「ここの人達は私達とは真逆だけど……確かにそこには幸せがある。もしかしたら幸せの形なんて人によって様々なのかもね。」

やはり、夜空の月を見上げる彼女は……美しかった。
夜風にサラサラとした銀髪が流れ、その髪のスクリーンの間から向こう側の星々が顔をのぞかせる。
そして、引き寄せられるように目線が行ったのは……彼女の口元……薄桃色の……

「何を見ていたのかしら?」

どうやら彼女をじっと見つめていた事に気づかれたらしい。
いたずらっぽそうな微笑を浮かべてこちらへと顔を寄せてくる。
ほんの少しの甘い香りが備考をくすぐり、火が出そうなくらい顔が熱くなる。
何分まともに女性と接したことなど皆無なのだ。

「君を見ていた……と答えれば満足かな?」
「あら、意外と素直。」

隠していても仕方がない。むしろ、彼女に対しては嘘がつけそうに無かった。

「それじゃ、どこを見ていたのかしら?胸?足?それとも……」

宙に浮かびながら彼女が足を組み替える。
彼女が履いているものが際どすぎて色々と見えそうになるが、私が見ていたのは元からそこではなかった。

「あら、ここも違うわね……。一体どこを見ていたの?」
「……」

なんとなく気恥ずかしくなって顔を背けると、彼女が浮いた状態から床に降り立ち、こちらへと距離を詰めてきた。

「ふふ……か〜わい♪」
「ふむっ!?」

腕を私の首にまわしてきたと思った時にはもう遅かった。
ほとんど強引に顔を彼女の方に向けられて唇を奪われていた……。
さらに唇を割って舌が私の中へと侵入してくる。もはや頭の中では思考がまとめきれず、ほとんどパニック状態だ。
これを書いている今だからこそ落ち着いているが、その時は完全にそれどころではなかった。

「ん……ぷはぁ、ごちそうさまでした♪」
「ぁ……ぅ……」

この時に至ってはもう既に月明かりでも私の顔が真っ赤になっているのが分かっただろう。
思考には靄がかかり、視界に入るのは目の前いっぱいに広がる彼女の顔だけ。

「本当に貴方って不思議ね……私にここまでされてまだ押し倒さないでいるほうが難しい筈なのに。」

この辺りの記憶はかなり曖昧だ。
確か……脇の下に腕を入れられて……そのまま持ちあげられて運ばれたのだったか。
そして柔らかい場所に寝かされた。多分、ベッドだった筈。

「でも……もう骨抜きになっちゃったみたいね。」

彼女が服の留め具に手を掛けて外す。すると、ほとんど一瞬で彼女の服が脱げて裸体が顕になった。
普段から露出度が高かったために予想できていたが……眩しくなるほどに彼女の体は美しかった。

「本当に、変な人。私のそばにいても魅了の影響を受けないし、見とれるのも純粋に私が綺麗だったから。」

彼女の細い手が私の服へと伸びてくる。
一つずつボタンが取り払われていく。
大して厚くもない胸板が現れるのにさほど時間はかからなかった。

「本当だったら押し倒したかったんじゃない?組み伏せて、胸に触って、この硬いのをいっぱいアソコに突き入れて……」

彼女の手が胸板を這い、下腹部へと伸びてズボンの上から股間に触れた。
私のそこは今までにないほどに固く膨張していたに違いない。

「ねぇ、何で?我慢していたの?それとも言うほど私は魅力がなかった?」

別に、そういう訳ではない。ただ、夜に会って二人で夜空を見上げるのが楽しくて……。
そういう関係が心地よくて……。そして何より……。

「君との関係を……壊したくなかった。」
「……」

靄がかかる頭で何とか言葉を搾り出す。
彼女の事は好きだ。しかし、何をどうすればいいのかがさっぱり分からない。
今までが仕事一筋であったため、女性の扱いというものがわからないのだ。
下手な行動を起こして彼女に嫌われるのが、この世の何より恐ろしかった。

「本当に……真面目で、馬鹿で、鈍くて……」
「済まない……」

彼女の顔がだんだんと私の顔へと近づいてくる。

「可愛くて……素敵で……面白くて……」
「ミリア……?」

ほとんど鼻が触れそうなくらいな距離になり、彼女の目と目が合う。



「愛しい人……」



彼女の唇が優しく私の口と重なる。
先ほどの貪るような口づけではなく、どこまでも愛しさが溢れるような口づけ。
さほど時間も経たずに唇が離れていく。

「私だって……我慢していたのよ……?ちょっといいなって思える人がいて……何回も逢う内にそれが好きに変わって……。」

彼女の体が私の腰の方まで引き下がっていく。
何をするのかと思いきや、彼女が私のズボンを引き下ろし始めた。
咄嗟に止めようとしたが、その後に何があるのか……という好奇心と期待のほうが勝ってその手を止めた。

「貴方にはわかるかしら?好きな相手と結ばれたいと思っても相手がその気になってくれないもどかしさ……。」

ズボンの下の下着まで引き下ろして、私の逸物が空気に晒される。
ヒヤリとした外気に晒されると同時に彼女の熱い吐息が吹きかかり、思わず背筋が震える。

「関係を壊したくないとか言っていてもここは正直なんだから……。こうして……じゅる……はむ、ちゅう……おちんちんを弄られるのを期待してたんでしょう?」

まるで女神のように美しかった彼女が、お世辞にも綺麗とは言えない私の逸物を舐め回している。
これはいけないという思いと当時に、もっとして欲しいという全く逆方向の欲望が頭をもたげる。

「はぁ……♪ピクピクしてきた。こうやって……くびれの所をなぞって……れる……気持ちいい?」
「あぁ……気持ち……いい」

その言葉に気を良くしたのか、再び熱心に私の逸物を舐めしゃぶりだす彼女。
あの神々しいまでの美しさは一転し、妖しい魅力に満ちあふれた姿となっている。

「ミリア……何故……?」
「何故?好きな人と肌を重ねるのに理由が必要?」

好きな人。つまりそれは彼女が私の事を好いてくれているという事なのだろう。
私ではあまりに畏れ多いと思っていた。彼女程の者が私に好意を抱いてくれるとは思えなかったのだ。

「私を……?」
「貴方……よく人から鈍いとか女心が分からないとか言われてない?」
「……割と。」

ようやく何度も訪問しては肩を落として帰っていく他国の姫君の理由が分かったような気がした。そうか、私は鈍いのか。

「ずじゅるるるる!」
「はうぁ!?」

唐突に逸物に走る快感に思わず妙な呻き声を上げてしまった。
見ると、彼女が恨めしげにこちらへ視線を送ってきていた。

「こういう事している時に他の女の子の事考えるの禁止……」
「済まない……」

こうして女性を怒らせてしまう事から見ても……いや、よそう。あまり別の事を考えても彼女が怒りそうだからだ。

「もう……いいかしら?」
「ん、何が、だ?」

股間を覆う暖かさが消え、唾液まみれの逸物が空気に晒されたことで冷たく感じる。
彼女はと言うと再びこちらへとにじり寄り、私の逸物に手を添えた。
そして、彼女自身の秘裂へと宛てがう……

「いい、わよね?」
「……っ」

喉を鳴らして口の中の唾を飲み込む。いや、唾など無かったか……極度の緊張によって私の口の中はほとんど乾ききっていたのだから、それは覚悟を決めるために無意識的に行った事なのだろう。

「ん……っ……」

彼女の割れ目がゆっくりと私の逸物を飲み込んでいく。
つ、と。結合部から一筋の赤い雫が垂れ落ちる。

「ミリア、血が……」
「初めてなんだから……この位は当たり前でしょう?」

初めて、と言う事が今一理解できなかったが、恐らく最初はこうして血が出る物なのだろう。
こういう事に関しては全く知識が無いので彼女の言いなりになるしかない。

「大丈夫なのか……?」
「平気よ……。思ったより痛くないわ。あと……少し……」

ずぶずぶと彼女が私の逸物を飲み込んでいき、全て入りきってしまった。
結合部からは彼女の血とは別に何か透明な液体が漏れ出してきている。

「これ……かなり、クるわね。動かしてもいいかしら?」
「ま、待て……何か出そうで……」
「だ〜め♪私は“ソレ”が欲しいんだから。」

彼女が膣内を蠢かしながらゆっくりと上下に体を揺らす。
得体の知れない感覚が私の全身を駆け巡り、体全体を強張らせる。
この感覚が怖いような……もっと欲しいような。そんな複雑な感情が入り乱れ、正常な判断能力を奪っていった。

「っく……っは……」

逸物の中を押し上げるように何かが勢い良く吹き出した。
その押し出された何かは行き場を失ったのか結合部から少し漏れ出してきている。

「これは……一体……」
「一体て……まさか貴方オナニーもしたこと無かったの?」
「何だ、それは?」

私の言葉にミリアの動きが完全に止まる。……いや、中だけは貪欲に動き続けていたが。
何か……致命的におかしい事を言ってしまったのだろうか。

「ちなみに女性とこういう事をしたことは?」
「今までの記憶の中では、無い。」
「子供がどうやって作られるかは?」
「コウノトリが運んでくると聞いた。」
「今私と貴方がしている事は?」
「知らぬ。」

彼女がげんなりとした様子で私にもたれかかってくる。
どうやら私の中の常識は彼女の知っている常識から何かが致命的なまでに欠如していたらしい。

「貴方……今年で幾つよ。」
「確か28になるはずだ。それがどうかしたか?」
「……貴方って凄まじいまでに天然記念物なのね。その歳まで性教育を受けていないどころかオナニーすらしたことも無いって……王様じゃなくて実は聖人だったりしない?」
「まさか、私がそんな畏れ多い人物な訳が無いだろう。どこにでもいる普通の国王だ。」
「普通の男の人は28まで性的な知識が皆無なんて事は無いわ……」

政務が忙しすぎたせいだろうか。仕事以外の事にはついぞ興味が湧かなかった物だ。
贅沢な食事などしている余裕があったら国を豊かにするために使うし、遊ぶ暇など皆無だった故に自分と同じ年代の者がどういった余暇の楽しみ方をしているかすら知らなかったのだ。

「そうか、私ぐらいの年代であればこういう事をするものなのだな。」
「いやいやいやいや、貴方遅れすぎよ。普通こういうものは大体20過ぎる前に経験する物だし、下手をすると十代前半で異性と体を重ねるケースもあるのよ!?」
「ふむ、そうなのか?」
「どれだけ世間とズレてるのよ……貴方が普通じゃないとようやく再認識できたわ……。」

どうやら私は世間の常識とはかなりかけ離れているらしい。かくも王族とは孤独な物なのだな……。

「何か感傷に浸っているのかもしれないけれど……少なくとも貴方よりも若い歳の王族でも十二、三人は妾を囲って毎日こんな事をしていてもおかしくないのよ?」
「何、それは誠か。」
「これで枯れているわけじゃないのが正直信じられないわ……」

ちなみにこのやり取りの最中にも三回程先程の感覚が襲ってきていた。我ながらよく表情に出さなかったものだ。

「さて……それじゃ、今まで女の味を知らなかった国王様にはたっぷりと楽しんで……」
「済まない、ミリア……もう、出ない……」

最後の一回を彼女に気づかれる事もなく漏らすように出し、私の意識は闇へと沈んでいった。

「え、ちょ……終わり!?うわ、ホントに沢山出してる!?ねぇ、しっかりして!ねぇってば!」

………………
…………
……

「…………か……ぃか……!」
「……っは!?」

私を呼ぶ声でようやく目が醒めた。隣には私を揺り起こしているカシムが。

「済まない、また呆けていたようだ。」
「陛下、どうもお疲れのようですが……最近はどうなさったのですか?」

まさか毎夜ごとに淫魔とまぐわっているなど言えるはずもなく……
まぁ心配してもらえるのであれば返って好都合だろう。

「少し仕事に根を詰めすぎてな……済まないが今日の食事は何か精の付くものを頼みたい。」

私の言葉に周囲が凍りつく。
常に私を護衛する近衛も、慌てている事を見たことなど一度もないようなカシムでさえ驚愕に目を見開いていた。
どうやら私の言葉には周囲を徹底的に凍りつかせる特性があるらしい。

「粗食でも文句一つ言わない陛下が注文を!?誰かおらぬか!」
「お、おい……カシム」
「ここに」
「今日の昼食には滋養の付く物を頼む。陛下立っての願いだ。」
「は、はいぃ!」

メイドは殆ど素っ頓狂な声を上げて走りさってしまった。
どことなく嬉しそうな声を上げていたのは何故だろうか。

「いやはや……これで城のコックも報われるというものです。何しろ陛下は使用人の賄いのような物しか食べないといつも嘆いてしましたから」
「……何だかとんでもない事になってしまったような気がするぞ。」

その日の昼食にはこれでもかと言わんばかりに豪勢な料理が出され、当然食べ切れなくなったがために残された料理は城に勤めている兵や使用人に回され、殆ど宴会のような騒ぎになってしまった。
私が自分の願望を言うのがそこまで珍しかったのだろうか。
やれやれ……これだけの物を作るだけの金があればどれだけの設備研究費に回せただろうか……こんな事を考えてしまう辺り、やはり私は普通の王族としては生きられないのだろう。

………………
…………
……

あれから3年が経った。
ミリアはというといつのまにやらちゃっかりと私の妾として城に住み着くようになった(周囲も当然のように受け入れていた)。
無論姿は完全に人の物となっており、彼女曰く魅了の魔力というのも止めているので露呈する心配は全く無いとの事。
カシムは彼女を妃に、とずいぶんと前から言っているが、彼女はそのたびに辞退している。
なんでも今の身分のほうが色々と気ままでいいらしい。

彼女の在り方……というか、その身に掛かる費用の事に使用人は完全に度肝を抜かれていた。
何しろこれが女性が身だしなみに掛ける費用なのか、というぐらいに少ない。
彼女曰く、「特に何もしなくてもこの容姿は保っていられるから」だそうだ。
それ故に彼女の部屋には(と言っても私の部屋と兼用だが。)化粧品といった化粧品が殆ど無い。
女中達が酷く羨ましがっていたのをよく覚えている。

「あの子達も魔物になればそんな苦労はしなくて済むのにね。」

などと言っていたが、一応この国は教会領を名乗っているのでそれはやめさせた。

彼女との夜の営みは毎夜行われている。……というよりは、彼女にとっての食事兼子作りなのだそうだ。

「正直これだけあれば他に何もいらないわ。あ、でも貴方が望むなら他にも色々してみたいな〜なんて」

これ以上書くと惚気話になってしまうので割愛する。もしこの手記を見たのがミリア以外であるのならば彼女から直接聞いてくれたまえ。

彼女と体を重ねる内、自分の体が徐々に変化していくのが感じ取れた。
いくら体を動かしても疲れない上に、徹夜で体を重ねても翌日に響かないなど、自分でも恐ろしいと思ったものだ。
彼女が言うにはインキュバス化、という物らしい。
なんでも魔物の伴侶として最適化された人間の形、だそうだ。
私としては徹夜で仕事をしても問題無くなったことで喜んだものだが、今度はやたら強い性欲に悩まされることになった。これもインキュバス化の影響だという。

そしてさらに数ヵ月後のある日、私の人生を大きく変える出来事が訪れた。



「ねぇ、フォン。」
「どうしたんだ、ミリア。まぐわいたいのならばまずはこの書類を片付けなければ……」
「これ、触ってみても平気でいられる?」

そう言うと彼女は自分の腹をさすらせた。
私と彼女が共に生活するようになって、一番真っ先にされたのが性教育だった。
どうやって子供ができるのか、その仕組などをみっちりと一週間実技込で、だ。
そう、その意味を自覚できるようになる程度には教えられた。

「まさか……」
「そう、貴方の子よ。」

どうも最近彼女の下腹部が大きくなって来たと思ったらそういう事だったのか。
子ができた、と言うのはどうも複雑なものだ。嬉しいような、少し戸惑うような……
しかしやはり嬉しいという感情が大半を占めているのは間違い無いだろう。

「陛下、追加の嘆願書をお持ちしました。お疲れでしょうがこれで最後なので……」
「おぉ、カシムか。調度いい、報告しよう。」

私は彼女の肩を抱いてその腹部に手をかざす。徐々にカシムの顔が青ざめていく……これはこれで愉快ではあるが。

「子供ができたそうだ。」
「1ヶ月って所かしら?」

彼の手から資料の束がドサリと重たい音を立てて落ちる。周囲に紙という紙がばらばらと飛び散っていた。あぁ、集めるのが面倒だな……。

「陛下……貴方という人は……」

今度は彼の顔が青からだんだんと赤くなっていく。これは……久しぶりに雷が落ちるか?

「妃でもない内から妾を妊娠させてどうするのですか!貴方は馬鹿か!」
「ふむ、これは国王侮辱罪になるのか?」
「割とどうでもいいわね。本当の事を言っても侮辱にはならないもの。」
「そうか、なら問題ないな。」

今さらりと毒を吐かれた気がしなくもないが、本当の事なら仕方が無いな。

「失礼、こうなっては致し方がありません。ミリア様には直接王妃になって頂きます。」
「えぇ〜……」
「えぇ〜じゃありません!つきましては貴方様のご両親に婚姻の報告をしなければなりません。」
「え゙ぇ!?父様と母様に会うの!?」
「今日こそは所在を吐いて頂きますよ。いくら高貴な出の方とはいえ身元があやふやでは示しが付きません。」

そう言えば彼女の両親……魔王の事については一切情報を与えてなかった。
まさか彼女が魔王の娘だなどとは言えるはずもない。

「本当に勘弁してよぉ……父様も母様も私がどこで誰とくっつこうとも反対なんかしないからぁ……」
「貴方様の方が良くてもこちらには良くない理由があるのです。身元がはっきりしなくては他国からつつかれる材料にもなってしまいますから。」

断固拒否するミリアと食い下がるカシム。いやはや……話の収拾が付かなくなってきた。

「カシム、あまり彼女を困らせるな。」
「しかし陛下、このまま彼女の身元が不明となれば隣国の不興を買い、下手を打てば戦争にもなりかねないのですよ?国民の生活が一定水準にキープされているとはいえ我が国は軍備に力を入れている訳ではありません。攻めこまれれば敗北は必至です。」
「うむぅ……」

確かに我が国は弱小国。国民を飢えさせぬよう食料確保とインフラの整備に力を注いできた故か、軍備に関しては周囲の国から見れば一回りか二回りも遅れていると言えなくもない。

「ならばこういう案はどうだ?」
「案、とおっしゃいますと?」

私はミリアが持ち込んだ小説の事を思い出していた。
それに書かれていた事をほぼ現実にしてしまえば良い。

「ミリアとの子は私が街に降りた際に遊びで出来た子だとすれば良い。その子供と母親の身柄は私が酔狂で預かったとすれば特に目くじらも立つまい。」
「陛下……貴方という人は……」

どうやら私という人物は部下を大いに苦労させる性質があるようだ。
現に目の前のカシムなどは頭を抱えてめまいを抑えている。

「彼女がそれで納得する筈が無いでしょう……身元不明とはいえ彼女もどこかの貴族のむす「それで構わないわ。」えぇ〜……」

それは彼女も同じだったらしく、今度の彼はミリアを信じられない物でも見るかのような視線を送っている。

「私の我儘でここにいさせて貰っているのだからこの国の不利益になるような事はしたくないわ。だったら私は町娘という身分でも甘んじて受けるわよ?」

この一言で完全にカシムの心がへし折られたらしく、のろのろと散らばった書類を拾い集めると私の机の上に置く。
そして、去り際に言い放った。

「かしこまりました。それではそのように取り計らいましょう……。」

そして、彼は一礼をすると私の部屋を出ていった。
彼が出ていった部屋に再び静寂が戻ってくる。外からは鳥のさえずりと優しく風の吹く音だけが聞こえてくる。

「町娘でも構わないとは言ったけど……私との事は遊びなんかじゃないわよね?」
「無論……という以前に私にはそのような遊びがある事すら知らなかったからな。考えすら及ばなかっただろう。」

世の中と言う物は様々な遊びがあるものだ。
それが、人に褒められたものかそうじゃないものかは別として。

………………
…………
……



さらに半年後、ミリアの腹部が赤ん坊一人入る程度の大きさになった頃に彼女が産気づいた。
時刻は深夜、部屋には私と彼女以外の誰もいない。

「ミリア、私に何かできる事はあるか?」
「えぇと……お湯と……タオルを沢山。それと貴方以外の人は部屋に入れないで。」
「何?こういうものは産婆がいたほうが良いのではないか?」
「私の子供よ?生まれてくる子供が人間と全く同じ姿をしている訳がないでしょう。そんな時にここの人が子供を見たらどういう事になるか……」

普段は忘れていたが、本来であれば彼女は魔物……そしてここの民は魔物を未だに人食いの化物と信じている者ばかりだ。
そして生まれてくる子供は少なくとも彼女と同じ姿をしているに違いないだろう。
その結果どういった事が起こるのか。


─悪魔の子が生まれた─


そうなったが最後、私達の子供はその場で処分され、それを生んだ彼女も同じように槍玉にあげられるだろう。
無論そこいらの人間程度が彼女をどうにか出来るとも思えないが、結果的に待ち受けるのは私と彼女の別離だ。
問題はそれだけではない。
国王の妾が魔物だった。
それだけで隣国に攻め入る口実を与えてしまう。
結果、この国の国土が焼き尽くされるのは目に見えている。
ならば、今出来る事は彼女の出産を私達以外の者が知ること無く済ませる事だ。

「大丈夫……」

ミリアが私の手を取って励ましてくれた。
本来であれば非常に苦しい思いをしているのは彼女だろうに。
励ます立場にあるのは私だろうに。

「落ち着いて……とにかく清潔なタオルと火傷をしない程度のお湯を沸かしてきて……」
「分かった。少し待っていてくれ。」

彼女の手を離し、自らの頬を叩いて気合を入れ直す。
さぁ、ここからは全世界でも初めてであろう王族自らの助産夫だ。



「何故私はこんな技術まで身に付けているのだろうな。」

衛兵に見つからぬように天井の梁を伝い、物陰から物陰へ移り、時に小さな爆発を魔力によって起こして気を反らせながら調理場まで辿り着く。
いやはや、普通の人間時代にはできなかった芸当だな。

「炎を竈に入れ……湯を沸かすのであったか。薪は……これだな。」

まさか私が在位中に調理場に立つことなど誰が予想しただろうか。
そんなことを考えながら薪に着火の魔術を使いながら考えつつ、お湯を沸かすために鍋に水を入れ、竈に掛ける。

「さて……沸かしている間にタオルの調達だ。こういう物はどこに……」

ふと目線を向けた棚から白い布のような物が顔を覗かせている。

「成る程、こういった所にも用意がされている物なのだな」

後から聞けば実はこのタオル、ミリアがあらかじめここに隠しておいた物らしい。
彼女の先見の明はこの頃から既に頭角を表していたのだった。



………………
…………
……

「陛下、そろそろお目覚めになられる時間ですよ。陛下。」

扉の外でカシムが私を起こす声が聞こえてくる。
私とミリアはというと、ベッドの上で様々な疲れにぐったりとしていた。
お産の最中の事は殆ど覚えていない。わかるのは双方共に必死だったという事だけだ。
私と彼女の間には、タオルに包まれてすやすやと安らかな寝息をたてる赤子がいる。
彼女とは違って小麦畑のような金色の髪をした女の子。
生まれた時から角と尻尾、蝙蝠のような翼こそあったものの、今はミリアの術によって完全に隠されている。

「おめでとう、ミリア」
「……うん、ありがと。」

「陛下、入りますよ……」

いつまで経っても私からの返答がなかった事に業を煮やしたのか、扉を開けてカシムが入ってきた。
そして、ベッドの上の惨状(?)とベッド脇に置いてある盥に目を向けて愕然としていた。

「陛下、これは一体……」
「あぁ、カシム。見てくれ。」

まだ疲れが抜けない体を叩き起こし、赤子を抱き上げてカシムへと見せてやる。

「娘だ。可愛いだろう?」

その場で卒倒したカシムはその日一日目を覚まさなかった。



さらに数ヶ月の時が過ぎた。
娘はすくすくと成長し、這って歩く事ができるまでとなった。
娘が成長する様というのは見ていて飽きない。つい政務を忘れて見入ってしまい、カシムに叱られることもしばしばあった。
そんなある日、きな臭い噂が城へと流れてきた。

「隣国との境に大量の兵が?」
「はい、まるで戦の準備でも始めようという雰囲気だったと……」

カシムから報告を受け、何が狙いなのかを予想立ててみる。

「国土は劇的に豊かだという事もない。奪ってまで手に入れたい物などあるのだろうか……」
「技術も並の人間が知恵を絞ればいくらでも出てくる程度の物しかありません。加えて貴金属などの金属資源が発見されたという情報もありませんから……」

となると増々狙いがわからない。
私とカシムが共に頭を悩ませていると、謁見室に平民らしき男がほうほうの体で入ってきた。
番兵は止めるでもなく、むしろ付き添っている辺りかなりの急ぎの用件なのだろう。

「何用か。」
「り、隣国の兵隊様から書状を……!どうか受け取ってくだせぇ!」

カシムがその書状を受け取り、私の前に広げる。
そこにはこう書いてあった。

『フォン=エルハイム=フリードリヒ三世殿
貴殿は再三に渡る我が国との縁談を破棄し、我が国家の名を著しく傷つけた。
その上町娘に手を出し、その女を囲うとは王族として見過ごし難い愚行である。
よって我が国は貴殿らに宣戦布告をし、貴殿の領土全てをわれらが手中に収めるべく侵略戦争を仕掛ける。
和解は受け付けぬ。最後の一兵に至るまで手は抜かぬのでそのつもりで戦争を受けられたし。
フェルマエ王国 女王 アエルマ=ダ・フェルマエ=ライズハート』

「戦争を仕掛けてくると言う事は分かったが……つまりどういう事なのだ?」
「向こうの王女様との縁談を3回も破談にした挙句建前とは言え町娘を事実上妃にしてしまったのだからそれは向こうが怒っても不思議ではありませんよ……。」
「むぅ……私としては断ったつもりは無いのだが……」
「向こうが呆れて帰ってしまったのならば同じ事です。幸いこういった事態を想定して軍備を進めましたが……フェルマエ首長国相手ではいささか分が悪いですね。何しろ相手は軍事大国……向こうと同盟関係を結ぶために縁談を推し進めていたのですが……こうなってはどうしようもありませんね。」

どうやら彼も戦争を回避しようと方々に手を回してくれていたらしい。
そう考えると私は予想以上に彼に迷惑をかけていてしまったのだろう。

「済まないな、カシム。」
「その言葉は聞き飽きました。今は攻めこまれた時の為に被害を最小限に食い止める方法を考えましょう。」



「そういう訳でこの国はもうすぐ戦争へ突入する。」
「……ごめんなさい、言葉の意味がよくわからなかったわ。もう一度言ってくれる?」

衝撃的過ぎてうまく伝わらなかったようだ。

「もうすぐこの国は戦争になるのだ。だから君達はこの国を離れて安全な場所まで逃げ延びてくれ。」
「お断りよ。」

静まり返る部屋の中に無邪気なアニスの笑い声が響いている。

「ミリア、わかってくれ。この国には相手方の軍勢を押しとどめるだけの兵力がない。つまりはまず間違いなくこの城まで攻め込まれる事になるだろう。そうなれば君にもアニーにも危害が加わる。せめてお前達だけでも安全な場所へ……」
「あのね、私が誰だかわかって言っているの?」

彼女は変身を解き、リリムの姿へと戻る。
その身から溢れ出る物はいつもの妖艶な魅力ではなく、壮絶なプレッシャー。

「フォン、今すぐ相手国の進軍予想経路の村人を立ち退かせて。この城まで真っ直ぐ行かせるのよ。」
「しかしそれでは……!」
「だから、誰に物を言っていると思っているの?」

その細い指で私の頬を撫でてくる。
いつもは快感が走って身震いするにも関わらず、今は彼女が酷く恐ろしい存在に思えた。

「私は、魔王の娘よ?雑兵の1個師団や2個師団、私が前に立つだけで無力化するわ。そして貴方は宣言すればいい。この国を救ったのはこの私だと。いくら魔物に反感を持つ人々でも我が身が可愛い事には変わりないわ。まず間違いなく魔物に対する差別は消えてなくなるでしょうね。自分の……保身のために。」
「君は……元からこの国を乗っ取るつもりで私に近づいたのか?」

彼女はクスリと笑い、唇を重ねて来た。

「そんな訳無いでしょう?最初は気まぐれ、次は恋、そして最後に……」

彼女が人間の姿に戻っていき、部屋の扉へ手を掛ける。
振り向いた彼女は、こう言った。

「愛、よ。アニーの事、よろしくね。」



私はアニスを抱いて隠し通路へと繋がる隠し部屋へと身を隠していた。
臆病と罵られるかもしれないが、何よりもミリアの頼みだ。この戦いが終わるまで安全な場所に身を隠していてくれ、と。

「心配しなくていいぞ。お前の母上は強いんだからな。」

アニスは無邪気にきゃっきゃと笑うだけだ。こんな状況にあってもこの子はむずがらず、笑顔を振りまいている。
もしかしたら私などよりも余程強いのかも知れない。

「やれやれ……まさか俺達が奇襲部隊に選ばれるなんてな……」
「文句を言うな。それだけ期待をされているという事だ。我々が王の首を取ればこの戦いが終わる。無駄な犠牲を増やさぬためにも……」

隠し通路の方から男が十人ほど出てきて、私と目が合った。
これは……まずい。

「いやはや、これはこれはお揃いで。今日は我が城の見学かな?」
「……あんた、微妙に周囲とズレているとかよく言われないか?」
「……たまに。」

アニスをきつく抱きしめ、部屋の隅まで下がる。
部屋の扉に手を掛けたが最後、私共々アニスまで殺されかねない。

「さて、国王。この場で我々に首を差し出していただこう。何ならば公開処刑という扱いでも構わない。」
「……娘は、どうなる。」
「血筋を残すわけには行かないからな。この場で処分になる。悪く思うな、これもあんたが悪い事だ。素直に縁談を成功させていればこのような状況にはならなかった。」

さて、どうしたものか。この状況では間違いなく詰みだ。
ミリアは正面玄関で人払いをし、一人で迎撃に当たっている。
といっても、彼女の魅了で兵を無効化しているだけなのだが。
それでも攻め入ってきた兵を全て骨抜きにするにはまだまだ時間がかかるだろう。

「万事……窮すか。」

もはやこれまで。あとは殺されるだけという時に、腕の中のアニスがもぞもぞと動き出した。

「……アニー?」
「ぅぁ……?ぁー……?」

彼女は布から顔を出して襲撃者の顔をじっと見つめている。
一体何を……

「あは……♪きゃはは……きゃー♪」

かと思いきや、無邪気に笑い出した。
この状況に置いてもこの子はこんなにも無邪気に笑えるのか。
もしも生き延びることができれば彼女はもしかしたら恐ろしい大物になれるかも……


─ゾクリ─


突如、背筋に悪寒が走る。
いや……悪寒?違う、これは……快感?

「……隊長?どうしたんですk

部下と思わしき男の腹に私に話しかけてきていた男の拳がめり込む。
さらに剣を振るって周囲の兵を薙ぎ払った。部下達が困惑しながらも隊長格に向けて剣を構える。

「……王よ」
「何だ、寝返るとでも言うのか?」

男は顔を半分だけこちらに向け、ニヤリと笑った。
さらに、剣を向けている部下もだんだんと仲間へ剣を向けている数が多くなっていく。

「何故だろうな……今お前が抱えている赤子を殺すのが惜しいと……いや、絶対に守らねばと思うようになってしまった。」

さらにこちらへと剣を向ける兵の数が減り、ついには後続の兵士が入ってくると先に入ってきた兵士がそちらへと剣を向けるようになった。

「どんな妖術を使ったのかは知らぬ。しかし、今その赤子が死んでしまうと……気が狂ってこちらが死んでしまいそうだ。故に、我々はお前達に助太刀しよう。」

そして、その兵士達と後続組との戦闘が始まった。
私はいったい何が起きているのかも分からず、部屋の隅できつくアニスを抱きしめるだけだ。

「フォン!攻め込んできた兵士の無力化が終わった……って何事!?」
「ミリア、か。一体何が起きているのか私のほうが聞きたい。」

アニスはというと未だに無邪気に笑い続けている。まるで剣戟の音が童謡か何かだとでも言うかのように。

「うそ……これ、魔力による魅了!?しかももの凄く強力……。」
「そう、なのか?」

彼女が私の側へ掛け寄り、アニスの額を撫でる。
心配だったから、というよりは何が起きているのか見極めようとしているようだった。

「信じられない……今まで気づかなかったけど、この子の潜在魔力って私達とほぼ同じぐらいはあるわ……。」
「そんなに、凄い事なのか?」
「……下手をしたら、この子をめぐって国が戦争を起こすぐらいには。彼らを見て。」

兵士達は殆どの敵を倒し尽くし、この子をまるで女王か何かのように傅いている。

「本来であれば魅了というのはせいぜい気持ちが良くなって反抗する気が無くなる程度の物なのよ。でも……この子のはそれを完全に上回って信仰の対象にもなりそうな勢いなのよ。しかも、自我もはっきりとしている。ここまで完全な魅了なんて見たことがないわ。」

今まで知らなかった娘の一面を知って戦慄しているさなか、隠し部屋の中へとカシムが入ってきた。

「王、全ての戦闘が終了しました。敵兵は全て投降……ミリア様は一体どういう方法を……」
「カシム、少し話があるわ。」

まくし立ててくるカシムを彼女が押しとどめる。
一体彼女は何を。

「実はね、私も娘も人間ではないのよ。」
「……は?」

そう言うと彼女はその場で変身を解いてしまった。
いつもの淫魔の姿に戻った彼女を見てカシムは唖然としている。

「おい、ミリア。一体何を……」
「私達は……この国を離れなくてはならなくなったわ。彼を連れてこの国を出る。」

いきなりの爆弾発言だった。

「あの……何が何やら……つまりその角や羽は本物、という事ですか?」
「えぇ。」
「人間でないというのも?」
「そうね。」
「国を出る、というのは?」
「文字通りの意味よ。私は既に人知を超える力を使ってしまった。貴方も知っているようにたった一人で兵を止めるような、ね。本当は今回の事を使って魔物の無害を主張するつもりだったのだけど……」

彼女は未だニコニコと太陽のような笑みを浮かべ続ける娘の頭を撫でてカシムへと言う。

「別の問題が浮かび上がったわ。私の娘が戦争の火種になる可能性がある。私一人でも危険な存在だというのに、その上爆弾を抱えるのなんて嫌でしょう?」
「……ミリア様。」

やれやれ、と言うようにカシムは自らの眼鏡を指で押し上げた。
ようやく合点が言ったというか、喉のつかえが取れた、というようなその表情は妙に晴れ晴れとしていた。

「私が抱えていた疑問が一気に氷解しましたよ。何故いきなり貴方が城内に増えても誰も怪しまないのか……何故陛下自身が子供を取り上げたのか。貴方が人外の者というのであれば納得が行きます。」
「カシム……」

彼は……表面上は顔に出さなかったが、いくつもの疑問を彼女に抱えていたようだ。
それをあえて口に出さなかったのは……

「陛下、私が彼女に対する疑念を貴方に話さなかったのは……彼女といる貴方が今までにないほど幸せに満ちていたからです。」

彼は隠し部屋の扉を開け、光の溢れる通路へと一歩踏み出す。

「お行きなさい……後の事は私が引き受けます。」
「政は……どうするのだ?」
「そう、ですね。」

彼は後ろを振り向かず、まるで明日の天気の事を話すかのように大体の予定を語った。

「王族が完全にいなくなっては王政という物は成り立ちません。ここは一つ、民から代表を選び出して政治に参加させてみましょう。後は野となれ山となれ、ですね。幸いこちらに寝返ったフェルマエ王国の兵士は山ほどいますから防衛兵力には事欠きません。なんとか、やってみます。」
「……頼んだぞ。」
「かしこまりました。」

恐らく、彼のこの一言を聞くのはこれが最後だろう。
扉が軋みながらゆっくりと閉まっていき、ばたりと音を立てて閉じた。
あとに残されたのはミリアと私とアニス。それと、アニスに傅くフェルマエ王国の兵士達。

「さて、行きましょうか。幸い隠し通路もあるし、護衛ならこの人達に頼めばいいわ。やってくれるわね?」
「はっ!」

一言威勢よく返事をすると、彼らは先だって通路の中へと入っていった。

「これからどうするのだ?」
「ん〜……まずは知り合いのバフォメットに色々頼もうかしら。この子の魅了もある程度封印しなきゃならないし。王族として暮らすことなんてもうできないから普通の生活の準備もしなきゃならない。魔王城に戻ってもいいけど……あの子の前で貴方とくっついていると目の毒だからそれは無理ね。封印ついでにそこで住む場所と仕事も見つけましょう。やることは山ほどあるわよ。」



こうして私達はモイライへと移り住む事になった。
ティリアという少女……いや、幼女と言うべきだろうか。彼女があの有名な大悪魔バフォメットだと聞かされた時には信じられなかったものだ。
そこでアニスの魅了を可能な限り封印し、ミリアもリリムとしての魔力を大幅に封印した上で姿を普通のサキュバスと同じ物へと変えた。(とはいえ、変わったのは髪色と角、翼と尻尾の色程度の物だったが)

私達はこの街でティリアの伝手を辿り、冒険者ギルドを開くことになった。
初期メンバーは私達に護衛として着いて来たフェルマエ王国の兵士達。
彼らも初めは魔物がどういう存在なのかを知ってカルチャーショックを受けていたが、彼女たちが完全に危害を加えるような存在ではないとわかるとあっという間に順応していった。やはり人間の適応能力と言う物は素晴らしい。
アニスの魅了が完全に抜けきると、彼らはやがて魔物の妻子を持つようになった。
それからだろうか。彼らの能力が飛躍的に伸び、冒険者としての腕が上がると今度は私達のギルドの名が上がり始め、様々な依頼が舞い込んでくるようになる。
順風満帆。そういう言葉が非常に似合っていた。
私は国王時代の事務仕事の経験を生かして情報の整理や名簿や帳簿の記帳作業などを請負い、ミリアはその人脈を利用してさらにギルドの拡大に務めた。
夫婦二人三脚。そこにアニスや彼らも含めてこれからも私達にギルドは大きくなり続けるのだろう。
この手記を付けるのも忙しさ故にだんだんと手に付かなくなってきた。
私がこの手記に何かを書きこむのもこれで最後になるだろうが、これだけは確実に言えるだろう。

私は今、最高に幸せだ。

………………
…………
……

あの人の手記をギルドの隅の資料棚から偶然見つけ、ついつい読みふけってしまった。
ちなみにあの人の故郷であるあの国は現在魔界となっている。
しかし人々の生活自体は全く変わらず、かつてと変わらぬ清貧を尊び、日々の糧に感謝を捧げる生活を送っているらしい。その中には魔物達の姿もいるのだとか。

「懐かしいわねぇ……もう30年近くも前になるかしら。」

私達の寿命というのは比較的長い。
それ故に日々の密度と言う物が薄く、一日一日が特別、とはお世辞にも言い難い。
その魔物の中にあって私はこの手記が書かれた数年間は非常に密度の濃い、充実した日々だったと思う。
恋をして、愛しあって、子供を産んで、大切な人を守って……あの人と出会って本当に良かったと思う。

「あの子も……できれば普通のお嫁さんとして普通に暮らして貰いたいわね。」

浮かんでくるのは娘の想い人の事。
異世界の傭兵として血に塗れ、今この世界でも自らの体を削りながら自分の世界を救わんとする青年。
アリスという魔物とは正反対の存在。
しかし、娘が何らかの争いに巻き込まれた場合に確実に彼女を守れるとしたら……彼を置いて他はいないかもしれない。

「あの子は……自分の娘の為に打算で彼を自分とくっつけようとする私の事を知ったら……私を嫌うかしら。」

いつの間にか、彼の存在は私の中で「得体の知れない異邦人」から「娘を確実に守ってくれそうな心強いナイト」となっていた。我ながら最低な考えだとは思うが、誰だって自分の娘は可愛いのだ。

「はぁ……これ以上考えても泥沼に嵌るだけね。止めましょ。」

ため息を一つ吐いて手記を元あった場所へと返す。
さて、今日の夕飯は何にしようか。


12/03/20 19:34更新 / テラー
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■作者メッセージ
〜あとがき〜

40000ビュー記念SSフレンブルク家の過去のお話。
冴えないおっさんのミリアさんの旦那も昔は変な意味ではっちゃけていました。無知って恐ろしい……。

恒例の感想返信。この場を借りて謝辞をば。

>>マイクロミーさん
じわじわと抹殺計画。でも彼だと手ぬるい抹殺計画では真っ向からへし折ってしまうそうな。

>>銀さん
上は黒い。昔から連綿と受け継がれるセオリーと言いますか。
最初は一筋縄でギルドに入れさせないためだった設定がまさかここまで膨らむとは……

>>流れの双剣士さん
基本無能に見えますけれど無能ばかりでは一つの集団は維持できませんからね。
切れ者は少なからずいるかと。
パロディも前は付けていたような気はするのですが、パロディ成分があまりにも希薄だったので小ネタ程度は無視していいかな、と。

>>ネームレスさん
あくまで模倣品ですけどねぇ。ミスリルとか駆使して総重量5キロ程度……本家から見ればさらにチート臭いw
狙っている子はいたのでしょうけどやんわりと断ってはいたみたいです。内心どんな顔をしていたのだろうか……

>>名無しさん
何らかの形でインキュバスになっていたら恐ろしいことになっていたかも……コワイコワイ。
彼は黒幕でもあり、スイッチ的な役割を持つ人物でもあります。具体的には自爆スイッチ的な。
この後にアルテアがアルターに殺されるとアルターの行動原理がなくなるため、また違った話が展開されるかもしれません。書く気は……ありませんがw

「人間の命は安い。特に俺ら傭兵という人種はな。だったらその安い生命を削って誰かを救えるならそれほど嬉しいことは無いと俺は思う」
『もはやこれは病気みたいな物ですからね。銃を取り上げてもナイフ1本で戦場に向かいそうです』

>>Wさん
今までには無かった撹乱系の装備。直接的な火力はありませんが、紙防御のアルテア君にとって攻撃を受ける機会を減らすと同時にある程度の装甲も得られるため相性はかなり良い方。しかし、ダミーコートはまだ真価の半分ぐらいしか出し切れていなかったり……どう使うかはもう少し先に。

それと姉ちゃん関係ありません。

>>『エックス』さん
あの人数を動かすエックスさんには毎回驚かされますよ。すり合わせが大変すぎて自分には無理……w
ってサラマンダーではなくリザードマンでしたか……口調の熱血具合から言ってサラマンダーだと思っていました。

「ロバート」
「ん?なんうぼぁ!?」
「……やっぱりトラップか」
「人を人柱にすんな!」

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