連載小説
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前編
陽の光を遮る程に深い森の中、所々で木漏れ日が射し、湧き水の湖面に射した光は反射して神秘的ともいえる輝きを放っている。その中で本来、聞こえる筈の無い不自然なまでに張りの良い音が響き渡り‥その刹那、私の左手の甲は強烈な痛みと同時に強い痺れが襲いかかり、手の力が抜けて握っている木の棒を思わず落としそうになった。
打ち込まれた木の棒から視線を移し握られている手、腕へと追い直接の本人へ‥デュラハンのスニューウお姉様の顔を見た。右の目は見ている者の心を写し出す水のように青く、左の目は意志の強さを表すように炎のような赤みを帯びていた。そして、2つの目は力強い視線で私の顔を捉え、その表情に凛としたままに木の棒を納め‥口はゆっくりと開いていく。
「お姉様。私はまだ続けられます」
先に言葉を出したのは私。出る声を遮ろうと考えたからだ。
「あら‥そう?」
間合いを軽くあけたお姉様は納めた木の棒を再び構え直し‥実際の所、私達には血の繋がりは一切無く、そして‥お互いに母と呼び敬っているバフォメットのフロワお母様ともお互いに血の繋がりは無い。ヴァンパイアの私が陽の出ている間に自身の身を守る一つの手段として、お姉様に剣術を教わる事を決めて今に至っている。
「あら‥考え事かしら?余裕があるのね」
やはり、見透かされているように感じる。言葉を返すように振るった一撃は宙を舞い、反応する間もなく手痛い反撃で返された。お姉様の狙いは言葉の通り私の手の甲。狙われている場所が解りきっているのに‥昼の私に合わせた速度での打ち込みが不思議と躱すことや防ぐことも出来ない。
時間を忘れる程に木の棒を交え‥息が切れ振る速度も落ち、汗が目に入り右目が開けられない。両手の甲は見ていないものの、恐らく真っ赤になっているだろう。対してお姉様は表情に一切の乱れもなく涼しい顔のまま木の棒を納めた。
「今日はここまでね」
私に背を向けたお姉様は湧き水の方へと歩き出して……正直、私にとっては嫌な予感でしかない。
「ネーヴェ。その手の甲は痛むでしょう?早く冷やした方がいいわよね?それに‥熱をもった身体も冷ましたいでしょう?」
振り向いたその手元には水分をふんだんに含んだ布。滴り落ちる水滴が絞っていないことを示し……その表情は先まで厳しさを完全に失い、これから起こる事を楽しむように口元だけはいびつに歪みきっていた‥
「結構です!!!」
怒鳴るように返し、木の棒をその場に置き私はお姉様から離れるように背を向けてその場を後にした。

この森は庭同然でどれだけ歩いても迷うことは一切ない。適度な切り株を見つけて、その場所に腰を降ろして、そして‥今日の稽古を頭の中で何度も繰り返した。
私の攻撃が1回も当てられないのは‥絶対的な経験の―剣のために費やして、研鑽していった時間の差?なら‥その差を埋めていくには私は………
思考に割り込むように入ってきた足音。お母様もお姉様も私を探すような人達ではない。疑問が私の顔を動かしていく。

そこにいたのはこの森で見掛けない筈の人間。私は瞬時に切り株から離れた。そして‥稽古で使っている木の棒に手を掛けようと……
だが、置いてきた自身の迂闊さを呪い、同時に退く算段を……いや、既に囲まれている可能性もある。私がここで上手く退けたとしても、人間を追い払うためにお母様かお姉様の力を借りる事になる。それだけは出来ない。
考えが動きを硬直させて‥気がつけばその人間との距離は目と鼻の先に……退くことすら容易に出来ない状況になっていた。
私の母や父と同じようにこの場所で私はこの人間に……そして、いまこの場でこの状況を変えられる者などいない。覚悟に諦め。それらに近い感情で私はゆっくりと目を閉じた。

覚悟していた痛みや苦しみは一切感じることもなく……寧ろ、温かく包まれていくような感覚。私は母や父がいる場所に行けたのだろうか?幻想にも近い感覚。だが‥
「もう大丈夫だから‥だから……」
微かに聞こえた声。閉じた目をゆっくりと開けて‥そこにはこの人間に包み込まれるように抱きつかれていた事が困惑と混乱を呼び……だが、不思議と不快は一切無かった‥
目をゆっくりと閉じて、温もりと共に感じる鼓動が何よりも私を安心させて‥同時に今は亡き母も私に同じことをしていた事が脳裏に自然と甦っていった……


不意に訪れた肌寒さ。微かに目を開けて………その人間と初めて目が合った。顔立ちは中性的で性別は解らない。だが‥胸に膨らみが無かった事から男なのだろう。
男‥それも人間の……
瞬時に今までの事が思い出されて‥胸が今までに感じた事が無いくらいの激しく大きな音を響かせて、身体の内側から強い熱が出ているように感じる。人間は不思議な顔で私を見て‥何かに気が付いたような驚いた顔にすぐに変わり‥胸の音が聞こえているのか?瞬時に私自身を疑った。人間は左手で私の右の手を取り、右手は私の手の甲をかざして……微量な光と共に手の赤さと痛みがゆっくりと消えていき、左の手も同様にしていった‥。

まさか人間の施しを受けるとはな……不快な気持ちさえも湧いてこない自身に私の内心は困惑の色が広がりをみせていき‥
「ごめんなさい。不慣れだから、まだ上手くでなくて、まだ痛むなら……」
背を向けて湧き水の方に行き、振り返ったその手には水分を吸収した青い布があった。言葉を失い、次に起こる事が容易に想像が出来る。だが‥意に反して身体は全く動かない。そして‥全てがゆっくりと流れていくように感じた……
右手に巻かれた青い布。今まであった感情とは違う別の感情が内から沸き起こり、急激に塗り潰していく。僅かに残っている理性さえも支配されてしまいそうだ。だが‥人間などに痴態を見せるわけにもいかない。
残った理性を繋ぎ止めようと‥人間が私を見てなにかを言っているが‥聞き取れるだけの余裕もない。そして、抗えば抗うほど委ねろと内なる声が聞こえてくる。だが‥屈するわけにはいかない………



視界にぼんやりと映ったのは‥私の部屋とは違う知らない天井。
「ここは‥?」
思わず声に出して身体を起こし、辺りを見渡した。僅かな家財道具と簡素な作りから、家というよりもテントのようにも感じられる。ふと感じた手の違和感。視線を移し、巻き付けられた青色の布を見て……次第に甦っていく記憶。あれからだいぶ時間が経ったのだろうか?含まれていた水分は完全に乾燥している。
恐らく私はあの後‥あの人間の血を吸ってもいなければ、痴態も見せていない筈。そう結論付けた。眺めていた手は意に反して勝手に動き、頬へ温もりを伝え合うように当てられた。そして‥あの人間のことが自然と思い出されていった事が私の心に安らぎを与えていった‥

それから暫く待っていたが‥あの人間が戻ってくるこもなく、ここがどこか知るために一つしかない出入り口を越えて……
視界に飛び込んできたのは同じようなテントの集まり。私はテントとテントの間の細い通路を、周りの様子を探るように見て回った。ここには老若男女を問わず、あらゆる人間と魔物娘達もいる。
私の頭はここで一つの結論を導き出した。
恐らくは‥本来居た居場所を追われて自然と出来た集落と言うべきなのだろう。
「私と同じか‥」
呟きにも似た声が漏れた。幸せな顔をしている数組の魔物娘に男。細い道を走り回っている人間や魔物娘の子供達を見ては道を歩き……そして、不意に訪れた孤独感。
私をここに運んだのはあの人間の筈。なら‥きっとここ場所のどこかにいる。
自然と脳裏に浮かび上がる顔。そして、同時に今すぐ逢わなければけないと衝動に駆られていく。今が夜なら、空を飛んですぐに見つけられるだろう。だが‥日が出ている内は………目一杯の怨みを込めた視線を陽に送り、同時に目が眩むような光を返されて私は顔を背けた。
思い返せば‥あの人間の名前を聞いていない。だが‥顔と容姿は覚えている。それだけで十分だ。陽の元で弱った自身を奮い立たせて歩き、見える全ての人間を視界に入れて探しだした。


だが……
この集落は考えていたよりも広く、そして‥探すことに重点を置きすぎて帰り道を覚える事を忘れていた。それでも必ず逢える事を信じて、休みと歩きを交互に繰り返し……
気がつけば人の通りが少なくなった黄昏時。先とは違う色の陽の光が私の顔を照らしている。このまま二度と逢えなくなるのだろうか?小さかった不安は次第に大きくなり、胸に締め付けられるような痛みが襲い掛かってきた。嫌だ。すぐに逢いたい。独りになりたくない。孤独を振り払うように、ふと左手の甲を見て‥あの人が治してくれた傷‥。一つの案が思い浮かんだ。

忌々しい光が完全に消え失せ、辺りに闇が深くなっていく毎に全身に力の全てが行き渡り、既に私を遮るものなど存在しない。再び左手の甲を見て‥あの人が治してくれた回復魔法の魔力。その残滓さえも今なら感じ取ることが出来る。目をゆっくりと閉じて、心を落ち着かせて‥周囲から同じ魔力を持つ者を感じとるように探りはじめ……
居ない‥。不安に陥るよりも先に探る範囲を徐々に広げていき……見つけた。安心するのはまだ早い。私自身に言い聞かせ、絶対に見失わないように目を閉じたまま、周りの魔力―誰にも当たらないように道を‥その魔力を手繰り寄せていくように歩き出した。

もうたいぶ近い。一歩、一歩とあるく度に胸は嬉しさで溢れ、高鳴っていく。早く姿が見たい。目を開いて魔力を感じた方に視線を集中させた。
見えた‥。早くあの声を聞いて、同じ温もりを感じたい。歩いていた筈の足はいつの間にか早くなり、距離が目に見えて縮まっていく。ほんの少しの距離だったのに目の前に辿り着いた時、私は肩で息をしていた……
あの人と目が合い‥目粉るしく変わっていく表情。私は優しく包まれて‥
「ごめんなさい‥」
耳に届いた涙声。二度と離れないように背中に手を回し、温もりを鼓動を伝え合った‥

きっとこの人は私と同じような魔物娘の心を癒して回っている。そして、その存在はこの集落に必要不可欠で‥私を残していく事に思い悩み、葛藤したと思う。だから‥私は何も言わずに胸に頭を埋めた。
お互いの手が自然と離れ、鼻先が触れ合う距離。口がゆっくりと動き‥開かれる前に私は首を振った。

「帰りましょう」
暫く続いていた沈黙を破った声。私は頷いて、この人の手を取り同じ道を歩き出した。


私が目を覚ましたテントの中。だが、あの時とは違い今は2人でいる。そのことが何よりも安らぎと安心を感じて‥私は目を閉じて胸に左手を当てて……
頭の中で思い描かれていくその人の顔。同時に高鳴っていく胸。そして、一つの疑問が胸を突いた。
私はこの人の名前を知らない。覚悟を決めて、私から話を切り出そうと目を開き‥その人の顔が近い距離で視界に広がっていた。不思議そうに私を見ているその目。腕が伸びて私の額に当てられて、私は言葉を失った。
「顔が真っ赤だから‥でも、熱はないみたい。病気にならないと聞いていたけど……」
首を傾げて話を続けた。
「病気なら‥悪くなる前に明日はお医者さんの所に一緒に行きましょう」
私の口は確かに動いている感覚はある。ただ‥驚きのあまり声が追いつかないのだろう。その私を見たのだろうか?表情が次第にくもっていった‥。

以来、私もこの人も声を失ったように口を噤み沈黙が支配している中で話題を探しているその最中、今まで忘れていた出来事をを思い出した。だが……

突如として、耳が捉えた微かな声。その方向に集中し魔力を‥気配を探った。そして……
思い出せたこと。そして、この声の主が一直線にこの場所を目指しているその理由も、何よりもその原因に気付くことが遅すぎた‥。
13/09/21 10:45更新 / ジョワイユーズ
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