連載小説
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先輩と風邪
 休み時間も昼休みも、今日に限って先輩はどこにも居なかった。

「今日、部長は風邪でお休みだって」
「……え、バカでも風邪引くんですか?」
「あの人一応頭いいから」
「ああ、そういえば」

 部活の時間になってようやく、先輩と同じクラスの部員に接触して話を聞くことが出来た。
 ちょっと軽く衝撃だ。ずっと飄々としているから、先輩が病気になるところなんて全く想像できなかった。

「はい、これ今日やったところのメモとプリント入ってるやつね。進路調査の大事なプリントだからちゃんと届けてあげて。無くしても先生に言えばもう一枚くれると思うけど」
「いえ、しっかり届けます。まず部活やってからですかね」

 部員のサキュバスから渡された封筒を鞄にしまって部室を振り返ると、その場にいる部員たちが皆次々に帰る準備を整えていた。
 面食らって何も言えないでいると、部員が笑う。

「今日くらいはフリーでいいんじゃない?」
「え、いや新入部員入って間もないんで部活やらないと……」
「あの子、春先の気温の変化に弱いから。こういう時はそばに居てあげてよ、彼氏としていいところを見せられるチャンスなんだし」
「だからって部活中止にするほどじゃないですし、俺が行かなくても」
「いいからいいから、行ってきなさい。弱ってる女の子には頼れる人が必要だからね」

 友達よりも彼氏のほうが適任でしょ、とウインクをしながら背中を叩いてくる。

「ちょ、ちょっと……」
「じゃ、そういうわけであたしたちは帰るよー。はい撤収撤収」
「……」

 口々にお疲れ様ーだのがんばれーだのちゃんと風邪移してもらいなよーだのすっごい他人事な声をかけられながら、部員たちは引き止める隙も見せずあっという間にいなくなった。
 そうして部室に一人取り残される。

「……本当、魔物娘っていっつも強引なんだよなぁ」

 なんてことを呟く俺も、どうにも素直になれないけれど。
 彼女たちの優しい気遣いに心の中で感謝しながら、鞄から携帯を取り出した。





 マンションのインターホンで先輩を訪ねてオートロックを解除してもらい、教えられた階へエレベータで移動する。
 このマンションは綺麗なだけじゃなくて、エントランスにはふかふかのソファーやら高そうな机と椅子やらが置いてあったり、大きさの割りに部屋番号の数が少なかったり、なんていうかもう見るからに高級マンションだった。
 きょろきょろしながら先輩の住む番号に向かい、扉の脇に備え付けられたチャイムを押す。すぐにがちゃりと鍵が外される音がドアから響き、

「おかえり、あなた」
「ふざける体力あるなら帰りますよ」
「地獄より辛い。すごくフラフラする」
「はいはい」

 ドアを開けて開口一番がそれだったので、風邪引きだとしても先輩は先輩なんだな、とすこしほっとした。
 奥に引っ込んでいく先輩の後を追いながらお邪魔させてもらい、室内に上がる。

「うわ、すごいお酒くさい」
「換気はしてるんだけど……においがこびり付いてるかな」

 アルコールの匂いが強いことを除けば、案外先輩の家は綺麗なものだった。それどころか、なんか間取りが2LDKくらいあって内装もすごいオシャレだ。

「……一人暮らしでしたよね」
「そうだよ。立ってるのもしんどいからてきとうに頼む」
「転ばないでくださいよ」

 電話で聞いた限りでは食欲が出ず、とりあえず市販の常備薬は飲んでおいたけど一向に熱が収まらないらしい。来る途中にスーパーで買ったものを一旦キッチンで広げ、LDKと隣り合わせになっている寝室で横になっている先輩を見る。
 パジャマ姿で寝っ転がる先輩っていうだけで、普段ならまともに見られないと思う。だけど今の先輩はけほけほ苦しそうに咳をしていて、本当に弱っていた。

「とりあえず卵粥を作ります。先輩って食べられないものありましたっけ」
「……あー、エビとカニがアレルギーだ。言ってなかった」
「大丈夫です。普通は卵粥にどっちも使いません」
「……ご覧のとおり、今の私は頭が働いてない」

 エビとカニか。覚えておかなくちゃな。
 レトルトのご飯を温め、鍋に水とご飯を入れる。煮立てた後に調味料を入れ、卵を溶いて投入。ささっと混ぜたら火を止めて蓋をし、蒸らす。これで完成だ。

「やたら手際が良いな、後輩……」
「風邪を引いている人に凝った料理は食べさせられませんからね。りんごも剥いてタッパーにパックしておきますよ」
「うん」

 元気だったら「その優しさに濡れた。私をファックしていい」とか言いそうなのにな。ろくなことを言わない先輩というのも、なんか。複雑だ。

「後輩……」
「なんですか?ワインはダメですよ」
「ありがとう。助けに来てくれて」
「助けにって、そんな大げさな」

 先輩の方に顔を向けると、大げさじゃないさ、と熱のある顔で苦笑される。

「普段の私は自炊しないからな……冷蔵庫に食べるものもなくて、かなり参った」
「卵もご飯もないなんて電話口で聞いた時は驚きましたよ。せっかく料理部に入ってるんですから実生活でも役立ててください」
「ふふ……そうだな。もうちょっとしっかりしないといけないかな」
「餓死したら元も子もないですからね」

 丼に粥を移し、引き出しかられんげを取り出して粥に差し込み先輩の方に運ぶ。

「お待ち遠様」
「待った、というほどでもないかな。普段使わないキッチンで、後輩がご飯を作ってくれるのを見るのはなかなか新鮮だった」
「使ってくださいよ……食器も金物類もちゃんと分けられてて綺麗に揃えられてるのに、ちょっと埃被ってましたよ」
「お恥ずかしい限り。誰かが毎日ご飯を作ってくれれば幸せなのにな」
「先輩だって作れるでしょう」

 れんげで粥を掬い、一口食べる先輩。

「うん、美味しい」
「どうも」
「後輩が気遣ってくれた味がする。愛があるよ愛が」
「微妙に想像しにくい食レポですね……」
「私が私のために料理を作ってもまあまあ美味いという程度だが、後輩が私のために作ってくれる料理は一億倍美味い。骨身にしみる」

 すごく喜んでるのは伝わった。こうして見るとやっぱり、辛そうな表情の先輩よりも少しでも笑ってる先輩のほうが好きだな。
 一口食べたことで空腹だったことを思い出したのか、もしくは本当に美味しいからもっと味わいたいのか、食欲不振が嘘のようにひょいひょいれんげを動かし始める先輩。

「ふふふ」
「なんですか?」
「いや、なんだ。こうして後輩にお粥を作ってもらって、それを横で見られているというのが……とても幸せだな、と思って」
「死期を悟った人みたいなこと言ってますよ、大丈夫ですか」
「大丈夫だ。美味いものを食べてるせいか、なんだか元気が出てきた」

 すぐに完食して、満足気な息を吐いて再び横になる先輩。
 小皿に取り分けておいた、小さく切ったりんごも差し出す。爪楊枝を突き刺して、横になってても食べやすいようにしておいた。

「食後のデザートっていうには何もしてないですけど、りんごもどうぞ」
「あーん」
「元気が出てきたって言ってませんでしたかね」
「いやー辛いとっても辛い。げほんごほん」
「まったく……」

 あー、と口を開けて差し出されるのを待つ先輩。ひな鳥か。
 こうやって先輩の甘えに答えてあげるから調子に乗るんだろうなぁ、と思いながらも先輩の期待には逆らえない自分がいて、まあ、なんでもいいか。

「はい」
「あーん、ん」
「はい」
「ん、ちょ、あーん」
「はい」
「んぐ、ちょっと」
「はい」
「やめろ」

 先輩は自分の口を抑えて待ったをかけてきた。

「あーんしてって言ったじゃないですか」
「……きみはたまにサディスティックなことをするよな」
「サドの人はマゾの人を喜ばせるためにやるんです。この場合は違います」
「じゃあ、後輩はなんだ?」
「ここぞというときに普段の先輩の振る舞いの仕返しをしてるだけです」
「……わかった、訂正しよう。きみは容赦がない」

 残ったりんごは冷蔵庫に入れておけば、自分が帰った後でも先輩はてきとうに食べるだろう。タッパーの蓋を閉めて、冷蔵庫まで足を運ぶ。がぱりと開く。

「先輩、冷蔵庫の中がおつまみしかないんですけど」
「後輩が言ったように、私は料理できるからな。つまみのレシピしか知らないが」
「普段何食べて生きてるんですか?雑草?」
「今の世の中は便利だ。コンビニやらスーパーやら、ジャンクフード屋も大衆料理屋もある。ものぐさしても困らない世界は素晴らしいよ」
「そんなだから風邪引いただけで食べるものなくなるんですよ……」
「宅配ピザやら宅配寿司は病人には荷が重いしな。まあ、私には後輩がいてくれたから問題なかったさ」

 頼られるのは嬉しいっちゃ嬉しいけども……。
 あとなにかやることないかな、とちょっと考えて、食後すぐだし薬飲ませないといけないことに思い至る。

「先輩、薬どこに置きました?」
「そこの戸棚。一番右のところ」

 薬箱らしきものがあった。常備薬一式が揃えられてるけど、だいたいどれも新品に見える。胃腸薬系がやたら豊富で使われた形跡が多いのは、大体予想してた。
 風邪薬を取って、コップに水を注いで一緒に持っていく。

「何から何まで頼って面目ないな。ん、ん」
「面目ないと思うなら、風邪なんかさっさと治して学校に来てください」
「そうだな。ふふ、今日は私が居なくて寂しかっただろう」
「本当ですよ。一人で待ち惚けくらったんですからね、俺」
「悪かった悪かった。今度からは直接メールして助けを求めよう」
「そうしてください。というか、なんで今日そうしなかったんですか」

 んー、と先輩はちょっとなにかを躊躇ったあと、

「……昼ごろに電話しようと思ってたんだがな。私も寂しくて、風邪も辛いし……そんなときに後輩の声を聞いたら泣くんじゃないかと思って、できなかった」
「……そんなところでかっこつけないでください」
「かっこつけてるんじゃない。見栄を張ってるだけだよ」
「そうですね。先輩だからですか」
「ああ。先輩として」

 そうして虚勢を張る先輩も、いつものようにキザったらしく見えた。
 でも、弱っている先輩にはそれが強がりだということを隠すことができていなかった。先輩らしくありたいという強がりも、それも彼女の魅力ではある。
 だけど、

「……それでも、電話してくださいよ。俺はあなたの後輩である前に、あなたの彼氏なんですから」
「あ……う、」
「彼女なら彼女らしく、見栄張ってないで助けてって言えばいいんですよ。俺、あんまりヒーローって柄じゃないですけど」
「そんな、ことない」
「じゃあ、これからはなんでもどんどんお願いしてください。先輩のためになることならしてあげますから」
「うん……うん」

 弱々しくも愛おしそうに抱きついてきた先輩の背中を撫でながら、苦笑を漏らす。

「俺も、風邪を引いたら先輩に助けを求めます。実家暮らしですけど、でも先輩には居てほしいですから。いいですよね」
「うん……」
「ああ、もう……そういう風に素直になってくれればいいんですよ」

 肩口が濡れていくのを感じながら、先輩の背中を撫で擦り続ける。男は女性の涙に弱いっていうのは本当なんだな、なんて言葉を実感するのはちょっと風情がないかな。
 しばらくそうして、先輩の嗚咽が止むのを待つ。時間はだいたい三分くらいか、もうちょっと長い程度。

「……はい、ティッシュ」
「ん……」

 ようやく離れた先輩の表情には、初めて等身大の少女の面影が見えた。
 かみ終えたティッシュを受け取ってゴミ箱に捨てようとして、

「なあ」
「うわ」

 ぐい、と袖を引っ張られる。ベッドの上に尻餅をつき、先輩の顔が急接近してくる。その瞳は潤んでいて、泣いていたからそれは当たり前なんだけど、風邪とは違うある種の熱が帯びていた。
 ああ、そういえばここは先輩の家だった。うっかり忘れていたし、今更思い出した。今日、帰れるかな。

「……風邪を移したら治る、っていう迷信に聞き覚えはないか」
「……移すなら移すなりに、ちゃんと後で面倒見てくださいよ」

 もちろんだ、と先輩は微笑み、風邪がしっかり移るように長く長く、互いの唇を重ね続けた。
16/04/11 16:30更新 / 鍵山白煙
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