連載小説
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先輩と二月
 喉が渇いたので、この休み時間の間になにか飲み物買おうとラウンジへ歩いていると。

「あ」
「ん?ああ、後輩か」

 階段を降りて一階の渡り廊下に差し掛かる折に、先輩がジャージ姿で歩いてきた。汗が先輩の尻尾を湿らせてて、タオルは使い物になってなさそうだ。前の時間が体育だったんだろうな。
 近づくだけで、先輩が多量に汗をかいた時の濃い匂いがする。

「後輩もラウンジか?」
「ですね。飲み物買いにいくところだったんですけど」
「一緒にいくか。休み時間ではなかなか会えないからな」
「すぐ着替えなくていいんですか?」
「制服が汗で濡れることを嫌って、汗が乾くまでジャージで授業を受ける者もいるさ。私もその一人だ」

 運動した後だから暖かいだろうしな。わざわざ冷え冷えの制服に身体を通したくはないって気持ちはわかる。

「体育で何やってたんですか?」
「そりゃもちろん、マラソンだよ。校庭を七回まわるやつ。後輩もやってるだろ」
「三年も同じのやるんですね……」
「辟易するよ。くたくただ」

 とか言ってる割には先輩の表情に余裕が見えるけど、そのへんは魔物娘のスタミナの多さだろうなぁ。
 どうでもいいけど先輩、胸大きいのに走ってしんどくないのかな。同級生のホルスタウロスの子はマラソン走った後にグロッキーになってて、彼氏さんが血相変えて保健室に運んでたけど。

「長距離走をするのは悪くないが、できればカリキュラムに取り入れないでほしいよ。自販機のスポーツドリンクが頻繁に売り切れになって、運動部の子らが困っていた」
「ジャグがある部活は部費でスポドリ粉買ってるんじゃ」
「それだってすぐ空になるほどだと。うちの部活は牛乳が余るのに」

 買い出し担当が買いすぎるだけなので同列に扱っちゃいけないでしょ、とは突っ込めなかった。当人が目の前にいるし。
 そうして並んで歩いて、ラウンジに入る。二台設置されている自販機の前にいくらか人がいるくらいで、混んでいるというわけではなかった。理由は明白だ。

「ああ、スポドリが売り切れてる。案の定だよ」
「戻りますか?」
「いや、いい。水でもありがたいくらいだ。買おう」

 硬貨を入れて購入し、自販機から離れる。先輩はすぐにキャップを開けて飲んでいた。

「……酒は命の水とは言うが、今ほどその言葉を否定できる瞬間はないな。水は命の水だ」
「そりゃ、命は水からできましたからね」
「頭痛が痛い、みたいな感じだな」
「馬から落馬とか」
「事前予約とか。ああ、でもやっぱり酒は命の水かもしれない。というより、酒は命のガソリンだな」
「バイオガソリンですか」
「アルコールが含まれてるからな」

 自分で言った言葉に自分で苦笑しながら、先輩は水を呷る。飲み下すたびに喉が上下に動く。飲み口を離すと唾液の糸が先輩の唇からペットボトルに伸びて、それを先輩は手の甲で拭う。なんかやけにエロく見える。

「あ、そうだ」
「なんですか?」
「ジャージの下は体操着なんだが、今脱いで渡したほうがいいかな。それとも部活まで熟成させるか」
「は?」
「私の汗が染み込んだ脱ぎたての体操着がいいか、それとも乾燥させて待つか、という話だ。今日のオカズに使うといい」
「……要りませんよ」

 ふーん、となにか含みを持たせた目で、小首を傾げながらニヤニヤと見つめてくる先輩。目を逸らす。

「まあ、わざわざ使用済みでなくても、きみはいつでも私を抱きしめて匂いを嗅げるからな。贅沢なやつめ」

 何も言い返せなくて、先輩から肘で突かれてもやり返せなかった。言い訳しか出てこないし、そもそも先輩の体操着なんて欲しいに決まってるだろ。





 料理部って銘打つ以上、クッキーやらマフィンやらのお菓子ばっかりを作ってるわけにもいかない。この部活は調理を学ぶための部活なんだということをしっかり自覚して、うんぬんかんぬん。

「で、今年度にお菓子以外の調理をした回数は何回だったかな」
「十回にも満たないんじゃないですかね」
「うちの顧問が放任主義で助かるね」

 クッキーを齧りながら笑う先輩につられて、苦笑をこぼす。

「先生は学年主任ですから。この部活は大きなことが起こるわけでもないし、お仕事を消化するほうが忙しいのはしょうがないですよ」
「運動部はちゃんと指導しないといけないからな。こっちは部員が勝手に作るもの選んで作るだけだから放っといて問題はない。先生は災難だな」
「来年度は大変かもですね。もしまた先生が学年主任にならなければ、の話ですが」

 そういうわけで、料理部はかなり自由な部活だった。

「次はきみが部長だぞ。がんばれ」
「そんなこと言ったって、現時点だって実質俺が部長じゃないですか。夏からずっと俺に雑用押し付けてきてるの忘れませんからね」
「きみが私を忘れないようにする狙いは、どうやら成功だったみたいだな」
「ああ言えばこう言う……」

 コップに牛乳を注ぎきり、空になった牛乳パックの口を開ける。
 今日は部員全員でクッキーパーティだ。自分らで作ったクッキーを食べながらわいわいお話する部員たちはとても姦しい。うるさい。
 空気を読んでかわからないけど、彼女らがこっちに絡んでこないのが救いだ。

「実際、少し危惧しているんだ。私が学校を去った後で、きみがどこぞの女に引っ掛けられないかとね」
「……そんな男に見えますか、俺」
「引っ掛けられそうだな。ちょろそうだ。非常に」
「大丈夫ですよ……てか俺、高校までぜんぜん女の子と関わりなかったですし」
「だからだよ。私じゃないと免疫ないだろう。私以外の女を見るなとは言わないが、私以外の女に触るなとは言わせてもらおう」
「は、はい」
「ユニコーンをバイコーンにしたりするなよ。ハーレムはダメだ」
「しませんって」
「本当か?」
「本当です」

 先輩、独占欲強いのか。ちょっと嬉しい。

「卒業したら高校生活で使った制服からジャージまで全部郵送するからな」
「マジでそれだけは勘弁してください」
「いいじゃないか。私の匂いに包まれるといい」
「親に先輩の制服見つかったらどう言い訳すればいいんですか」
「彼女からオナニー用にプレゼントとして貰った、で済む話じゃないか。何を恥ずかしがる必要がある」
「逆になんで恥ずかしがらないんですか!」
「私は当事者じゃないからな。当然だよ」

 はっはっは、と先輩は楽しそうに笑う。悪魔よりも悪魔してんなこの人。

「でも、そうだな。もし後輩が私の新鮮な汗の匂いにしか興奮しない場合は、送ったとしても邪魔になるか。ふむ」
「使用済み制服フェチでも、制服とかかさばって邪魔なだけでしょうよ……」
「かもしれないな。うーむ、どうすればいいかな」

 先輩はクッキーを食べるのを一旦やめ、頬杖をつきながら真剣に悩み始めた。

「別に、毎週土日に会えばいいじゃないですか。実家はここから電車で一本の距離なんですよね」
「そうだが、ダメだ。その案は既に却下済み」
「なんでですか?」

 そういえば先輩が大学入試受けるのを取りやめた理由聞いてなかったな、と思っての質問だったんだけれど。

「なんでって、花嫁修業をしてる姿は見せたくないからだよ。きみにもう一度、一目惚れをさせるって決めたから」

 真剣な眼差しでそう宣言する先輩に、心臓が鷲掴まれたようで。

「……そんなことしなくても、たったいま惚れなおしたっぽいですよ」
「だから言っただろう、きみはちょろいんだよ」
「ああ」

 なるほど、説得力ある言葉だった。
16/04/18 17:00更新 / 鍵山白煙
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