連載小説
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第十話・蜥蜴と青年と修羅
一つの御伽噺がある。

正義の槍使いと双剣使いのリザードマンの旅物語。

それは広く知れ渡り、子供たちは二人の物語を母の膝の上で聞いて育つのだ。

初めて正義を知り、

初めて道徳を二人の物語を通して学んでいく。

しかし、二人はあくまで架空の人物だった。

まるで神話のように、誰の心にも生きている架空の人物だったのである。

だがある日のことだった。

存在しないはずの『虚構』が、急に熱を帯びた『現実』として現れた。

架空の英雄『クーレスト』と『フュリニィ』

史書において僅か五行足らず、そして数枚の領収書ではあったが、

彼らは確かにこの大地に熱を残していたのであった。



「………………プハァ、生き返ったぁ!」
「ここ最近ろくなもの食べちゃいなかったしな」
焚き火の前で青年とリザードマンが一心不乱に分け与えられた肉と酒を食べていた。
青年の名はクーレスト、リザードマンの名はフュニリィという。
焚き火を挟んでクーレストの真正面に座る男は、どこか呆れ顔で一心不乱で肉と酒に食らい付く二人を見ながら、胸元からくしゃくしゃになった紙巻煙草を一本取り出して咥えると、マッチで火を点けて紫煙を空へ、ふぅ、と吐き出した。
「……………お前ら、よくその肉を食えるな」
「何か言いましたか?」
「すまない、よく聞こえなかった」
「……………………いや、何でもない」
何か聞きかけた男だったが、無愛想な表情のまま何もなかったことにした。
元々クーレストたちが食べている肉は、とある街で買った安い干し肉だったのだが、何の肉であるかは明記されておらず、『大特価!鹿…と思う 鹿…じゃないかな 鹿…かもしれない干し肉のようなもの』というスッキリしない看板が下がっていただけなのであった。
男もクーレストたち同様に旅人なので『肉には違いない』と思い、捨て値も良いところの安さだったのも相まって大量に買い込んでしまったのだが、あまりのクセの強さと表現し難い想像絶する不味さのために、どんな非常時でもいつも口にすることを躊躇っていた干し肉なのである。
「………空腹とは、本当に最高のスパイスなのだな」
二人に聞こえないように男はボソッと呟く。
「それにしてもクー、お前が悪いんだぞ」
「……………ごめん」
「ごめんで済んだら魔王軍はいらん。だいたい人助けするのは良いとして、もう少し人を見る目を養ってもらわないと身体が持たん。今回だって……」
聞けば二人は人助けをしたつもりだったのだが、それ自体が盗賊の罠であり、何とか撃退こそ出来たものの、戦闘のどさくさに紛れて旅費などが入ったバッグを盗まれてしまい、何日もろくなものを食べていなかったのだという。
「まさか村そのものが盗賊の罠とは思わなかったな」
「いやいやいや、あんなデカイ婆さんがどこにいる」
「フュー、人を外見で判断しちゃいけないぞ?」
そのやり取りを見ていて、無愛想だった男はやっと笑った。
口元を僅かに歪ませる程度の笑顔だったが、元々表情が乏しい男には大きな変化だった。
「あ、助けてもらったのにまだ名乗ってもいませんでしたね。俺はクーレスト・ロックフォード。見ての通りの正義の味方なナイス冒険者。『クー』って親しげに呼んでもらっても構いません」
「何なんだ、その見ての通りの正義の冒険者見習いって。私はフュニリィ・アスフィベル。クーの真似をすると……ご、ご覧の通りのリザードマンだ。呼びにくかったら『フュー』で構わない」
「………俺は………『ジョン・ドゥーエン』だ」
ジョン・ドゥーエン、と男は名乗った。
それを聞いてクーレストは怪訝そうな顔を露骨に浮かべる。
「…ジョン・ドゥーエン、つまり『誰でもない』ってことですか?」
「…まぁ、そういうことだ」
本名を無警戒に名乗れるほど綺麗な身体ではない、とジョンは苦笑いを浮かべる。
「……私は何となくわかっていたよ。何と言うか、あなたは普通じゃない。纏っている空気が私たちとも何かが違うような気がする。犯罪者特有の危うさと子供のような純粋さが奇妙に混ざり合っているように思えるな」
「…………フッ、当たらずしも遠からじというところだな。一つだけ言えるのは金のないお前らに本名を告げたが最後、この首が一瞬の内に消し飛んでしまうかもしれないということだ」
それだけ高額な賞金首だとジョンは言う。
おそらくは冒険者であるクーレストはジョンの本名を知っているのかもしれない。
「いや、俺たちは恩人に刃を向けるような真似はしませんよ」
そう言ってクーレストはジョンの左腕が義手であることに気が付いた。
反射的に自分の右腕の義手に、クーレストは手を伸ばす。
「……ああ、これか。昔……そう昔だな。昔ちょっとした『事故』……そう何でもないちょっとした『事故』で失った。お前の右腕もそうみたいだが、それでそれはどこで作られた義手だ。俺も人のことを言えた義理じゃないが相当造りが酷い」
ギシリ、とジョンの無骨な義手が軋んだ音を立てる。
確かにジョンの言う通り、クーレストの義手は酷いものだった。
「……実は俺たち魔術錬金都市ミッドベイガルズに行くつもりなんです」
そう言ってクーレストは、右手の義手と旅の目的を語った。
リザードマンのフュリニィと夫婦になるためには、彼女の両親にその強さを認めてもらう必要があるのだが、クーレストたちが詳しく語りたがらない『とある事件』において右手を失ってしまったがため、彼女の両親に認めてもらうためにも新たな右手ともなる義手を求めて魔術錬金都市ミッドベイガルズへと旅を続けていたのだという。
しかし先述の盗賊の罠に嵌り、窮地は脱したものの旅費や必要最低限な必需品などを失い、不便さを補うために泥棒市で買った粗悪な安物の義手を付けているのだが、とてもではないが雑で安価な義手はクーレスト本来の右腕の代わりにはならなかった。
「……………ミッドベイガルズか。なるほど、あそこなら良い技術者もいるだろうが、それに見合うだけ値もかなり張る。泥棒市の安物程度では確かに日常生活にもさぞ困っていような」
クーレストの現状に同情するように顔をしかめたジョンだったが『それにしても』と、クーレストとフュニリィの二人をゆっくりと見回して不意に苦笑いを浮かべた。
「リザードマンという種族は、どいつもこいつも実に面倒臭い」
「………それは我々に対する侮辱でしょうか?」
侮辱であればただでは置かない、とフュリニィは怒りを込めた鋭い目線をジョンに向ける。
リザードマンを侮辱したツケは高く付く。
彼女の闘争本能は、彼女の意思とは無関係に剣の柄をグッと握り締めていた。
しかしジョンは目の前の燃え盛る危険が気付かないのか、ただただ紙巻煙草の味と香りを楽しむかのように、平然と目を閉じたまま口元には微かに微笑みさえ浮かべているのである。
それが、彼女のリザードマンとしてのプライドに酷く障った。
「フュー!」
やめろ、とクーレストが叫ぶ暇もなく、フュリニィの剣が抜き放たれる。

だが、抜き放たれた剣はジョンに向かうことはなかった。

「……………っ!」
剣は抜き放たれた。
抜き放たれたのだがフュリニィの剣を持つ右手の甲に、東方造りの湾刀が収まっているであろう蒼い鞘の一撃が、ピッタリと寸止めで当てられていた。
いつ当てられたのか。
その瞬間をクーレストもフュリニィも目で捉えられなかったのである。
フュリニィの背中に冷たい汗が流れ落ちる。
この湾刀がもし鞘から抜き放たれていたなら……と考えた時、二人の脳裏には決して楽観視出来ない凄惨な結果がもたらされていただろうと、腹の底から冷たい恐怖が訪れていた。
「落ち着けよ、御両人」
そう言ってジョンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……なるほどな。こうして他人の怒りに付け込むことが出来れば、かの如く容易に敵の虚を突ける。……我奥義を得たり、とは言わぬが次は同じ手は食わぬぞ……サクラめ…」
「……何を言っているんだ」
「…………ああ、すまん。常々ぶち殺したいと思っている男のことを少々思い出していた。あまり熱くなるなよ、リザードマン。別にお前のことを侮辱した訳じゃない。俺もリザードマンには少なからぬ縁があってな。どこまでも真っ直ぐで、人間を簡単に諦めさせない迷惑な女たちだ。それで面倒臭いと言ったんだ、俺は」
侮辱ではなかった、と理解したフュリニィではあったが、それ以上に現段階で埋めようのない実力差をまざまざと見せ付けられて、彼女のプライドは侮辱された以上に傷付いていた。
クーレストだけでなく、自分よりも強い人間が他にもいたこと。
それも桁違いの化け物が目の前にいることに。
「………フューが、大変失礼しました」
「気にするな。俺も退屈凌ぎにはなった」
あれが退屈凌ぎ……とフュリニィは絶句する。
しかし傷付けられたプライドは、すぐに強い向上心へと摩り替わっていた。
人間とはどこまで強くなれるのか。
強力な武器も持たない脆弱な身体でありながら、どこまで行くのだろうか。
ならば強靭な肉体という武器を持った我々人ならざる者たちは、どこで立ち止まってしまっているのだろうか、と彼女は目の前のクーレストとジョンの姿に魅入っていた。
「………さっきの続きだ。ミッドベイガルド、あそこは慈善活動で何かしてくれる訳ではない。例え知り合いであろうとな。特にお前らは一文無し、それも荷物のほとんどを奪われた状態。そこでだ」
ジョンは自分の荷物から地図を取り出すと、ある地点に印を付けてクーレストに投げ渡した。
「これは………帝国領の…?」
「ここから一番近い合戦場だ。本当に金に困っているなら、金色の揚羽蝶を描いた紅色の旗を掲げている軍に志願しろ。こいつらは心の底から殺したくなるようなムカつく連中ばかりだが、辺境ヴァルハリア教会圏では一番貨幣価値が高い報酬を払うし、聞いたところによると食料や衣料品なども支給されるらしい」
「貨幣価値が高い……まさかあの『名もなき町』…?」
冒険者の端くれであるクーレストは記憶の中からその名を搾り出す。
「さすがだが、その名はもう古い。今は『学園都市セラエノ』だ。やつらは今、信じる者たちのために辺境反魔勢力元締めである『ヴァルハリア教会』と戦争している。教会連中の頭には常に信仰と神があるが、セラエノの馬鹿どもにはそれがない」
ジョンは何かを思い出すように、煙草の煙を夜空へふぅっと飛ばす。
「魔王への忠誠も、主神への帰依もない。それで中立かと言われれば中立ですらない。恐ろしいまでに完全な個人的な理由の集合体、どこまでも完全な『人間』の集まりだ。人間も魔物も……そういえば天使もいたな。そのすべてが『個人的な理由』という共通点だけで一つの目的のために動いている」

「…………まさに、混沌」

フュリニィの発した核心を突いた言葉に、ジョンは『そうだ』と短く吐き捨てると、まるで苦虫を潰したように顔をしかめて言葉を続けた。
「そうだ、混沌だ。善も悪も聖も邪も正も悪も、何もかもが一切合財混ざり合いながら顔を覗かせる。もしもやつらの軍に志願する気になったなら、心を強く持って気を付けろ。混沌に飲み込まれぬようにな」
ああ、とクーレストは心のどこかで納得した。
目の前の男、ジョン・ドゥーエンは『混沌』から抜け出したのだろう。
彼は『誰でもない』と名乗っているにも関わらず、『ジョン・ドゥーエン』という圧倒的な個性は、巨大な何かに埋没してしまうことを拒んでいる。
クーレストは、そう感じた。
「……フュー、俺は行ってみようと思う。路銀がなくなって君にも惨めな思いをさせたし、何よりミッドベイガルドに向かうためにも食料や他のものも必要だ。また……危険な思いをさせるかもしれないけど…」
「私の心は決まっている。お前が向かうところが私の行き先だ。私はどこまでもお前に付いていくと決めているのだから余計な心配は無用だよ。頼むから、置いていくような真似だけはしないでくれ」
「ありがとう、フュー……そして…」
フュリニィの目をじっと見詰めていたクーレストだったが、くるりとジョンの方に向き直すと、その場で立ち上がって深々と頭を下げると感謝の言葉を述べた。
「あなたも、行き倒れていた俺たちを助けていただいたり、道を示していただいたり、本当にありがとうございました。ジョン・ドゥーエン………おそらくはウェールズ・ドライグ」
フッとジョンは唇の端を歪ませて笑う。
「俺はジョン・ドゥーエンだよ、冒険者」


ジョンと別れたクーレストとフュリニィは、『セラエノと敵対する勢力を見てみろ』という彼の助言に従い、ムルアケ街道に陣取るセラエノ軍へ志願する前に、フウム残党軍がどんなものなのか後学のために様子を見てみることにした。
実際にフウム残党軍と出くわすことはなかったのだが、彼らの通り過ぎた後というのは『凄惨』『無残』『悲惨』という言葉でしか表現することが出来ず、そういう地獄のような光景を知っているクーレストですら思わず目を背けたほどだった。
人間が人間を殺す光景。
人間が人間を人間として殺さない最低な地獄。

二人の心に純粋な怒りが芽生えた。

これを許してはならないという純粋な思い。

たったそれだけが二人をセラエノ軍へと導く。

御伽噺の住人だったクーレストとフュリニィが、現実世界のムルアケ街道セラエノ軍に足跡を残したその日、偶然にも同じようにその地獄を許さぬ『魔王』がこの世界に対する反逆行為に動くのであった。




余談

ムルアケ戦役終戦後、クーレストとフュリニィが本来の目的地である魔術錬金都市ミッドベイガルドに辿り着いた時、どういう訳か奪われたはずの二人の荷物がハーピーの宅配便によって届けられていた。
受取人だった二人の知人は首を傾げていたものの、送り主が誰なのか二人は何となくわかっていたのだが、その名をクーレストもフュリニィも終生語ることはなかったと言われている。
そして時を前後して、ある地方の山村を住処に悪事を働いていた盗賊団が、首領から末端構成員に至るまで尽く皆殺しにされて放置されていたのを、麓の街にまで届くようなあまりの腐臭のために調査に乗り出した騎士団によって発見された。
現場の状況から同じ盗賊団同士の諍いであると判断されているが、真相は今も闇の中である。


13/03/30 23:44更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
こんばんわ、やっとこの外伝も十話を迎えました。
今回のゲストは『腐乱死巣』様よりお借りした

クーレスト・ロックフォード
フュニリィ・アスフィベル

そして度々ではありますが『ホフク』様より

ウェールズ・ドライグ(ジョン・ドゥーエン)

をお借りしてお送り致しました。
お楽しみいただければ嬉しいのですが、
実のところこの外伝のメインキャラはアドライグなので
今後どれだけ出番が増えるのか……とちょっぴり不安に(汗)。
もしかしたら本編でのクックのような出演に…なんて
今からすでに試行錯誤の連続だったりします。
どうぞ苦笑いで見守ってやってくださいorz(土下座)

では最後になりましたが
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
今度は第11話でお会いしましょう(^^)ノシ

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