連載小説
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第十一話・楽園パレードへようこそ
― それは、遠い未来 それは、ほんの少し過去のお話 ―




嫉妬する

見事な手腕だったわ


そう彼女は、ポツリと自嘲気味に漏らした。
妖魔の国の女主人・デルエラ公は座り心地の良さそうなアンティーク趣味の椅子に深く腰掛け、気だるそうな仕草で肘掛にもたれ掛かる姿勢でそんな言葉を私にポツリと漏らしたのは、……そう、あれは西暦1905年に行われた三度目の二国間首脳会談のことだっただろうか。
かつての聖教国を陥落した頃のような漆黒の炎のような禍々しさはすでになく、妖しさと艶やかさに磨きが掛かり、それでいて王にこそ相応しい威厳を纏うその姿には、さすがは音に聞く次期魔王筆頭候補であると納得させられざるを得ない。
何気ない世間話の延長上だった、と思う。
デルエラ公は私も知らない過去を語っている時に、そう言ったのだった。
「見事な手腕、とは?」
「黒い狼………いえ、紅い蝶を率いた者…」
ああ、と私は納得した。
黒い狼の物語は私も知っている。
確かにあの王は旧世界を劇的に終わらせ………いや、完膚なきまでに破壊したと言った方が的確だろうか。なんせ、私の知る限り、黒い狼と呼ばれた王はこのデルエラ公ですら出来なかった『レスカティエ教』を『人々の心の中』から抹殺してしまったのだから。
デルエラ公が出来たのは、レスカティエ教国を滅ぼしたこと。
しかし逆に周辺諸国、及び多くの人々の心の中にレスカティエ教は深く根付くことになり、その結果異常なカルト教団的要素を孕みながらも、生き残ったレスカティエ教各宗派は人々から知識を奪い、自分たちこそ唯一絶対の神の代行者として無知な人々の上に君臨した。人々の心の奥底に眠る『未知』への恐怖心を巧みに利用しては信仰を爆発的に広げていき、未知への『恐怖心』をレスカティエ教国を滅ぼした魔物たちへの『憎悪』へと意図的にミスリードしていったのである。

そうして………この世界には、永遠に続くような『停滞した中世』が何百年も訪れた

実際に黒い狼自身がレスカティエ教を破壊した訳ではなく、彼に続く者たちが彼の方針を受け継いでいき、息詰まるような宗教と密接した長きに渡る中世を終わらせていったのだが、その切っ掛けを作ったのは紛れもなく黒い狼であるのは間違いないないだろう。
だから人々は、彼を破壊者として記憶しているのである。
「今にして思えば、私はレスカティエを滅ぼすべきではなかった」
「………デルエラ公、それは懺悔ですか?」
「懺悔なんて、私はしないわ。これはただの自らの過去に対する自己嫌悪」
ふう、と溜息一つ。
それだけで『デルエラ』という唯一無二の一個性は、何とも言えない眩い輝きを放つのだから、同じ女としてはそんな彼女に対して嫉妬と羨望を禁じ得ない。
「レスカティエは……滅ぶにしても、少なくとも人間の手で滅ぶべきだったわ。それも武力による滅亡ではなく、それこそ内部腐敗を原因として。レスカティエ教が如何に都合良く主神の言葉を捻じ曲げてきたか、如何に高位聖職者たちが汚職に塗れていたか、如何に人々を蔑ろにしてきたか。そういう実態を民草に知らしめ、さらに内部分裂を起こすように誘導出来ていたなら……人々は自らの意思でレスカティエ教を捨て去っていたのではないか………なんて思うのよ…」
デルエラ公は私の方を見ずに、ブツブツと自己嫌悪を吐露する。
たられば、の話だ。
だがもしも、もしもデルエラ公が外交手段も巧みに操ることが出来る人物であったなら、時間は掛かってもレスカティエ教国はおろか、その大元であるレスカティエ教そのものを人々の心から完全に屠れたのではないだろうか。
だが彼女はそれが出来なかった。
外交戦略ではなく、事の勝敗が非常に分かりやすい武力による侵略を選んだあたり、当時の彼女はあまり頭脳労働は得意とするところではなく、当時の魔王軍において血の気の多い武闘派の急先鋒だったことを考えれば、選ぶべくして選んだ手段だったのではないかと思えてしまう。
いや………魔王よりも、彼女こそが『正統』だったからではなかっただろうか。
魔王よりも魔物らしかったデルエラ公だからこそ、侵略という原始的で効果的な手段を本能的に選んでしまったのではないだろうか。
「………あなたでも後悔なさることがあるのですね」
私は少し、嬉しかった。
どんな理由だろうと、彼女が後悔していてくれていたことに、報われたような気がした。
「……そうね、私はやり方を間違えた。間違えたからこそ、レスカティエ一国攻め取ったまでは良かったけど、人間たちの無用な団結を呼び込み、後は一進一退の繰り返し。結局は母の理想の実現を遅らせてしまい、私自身の手で停滞した中世を作り出してしまったようなものよ」
「……………ありがとうございます」
「……どうして、お礼を?」
デルエラ公の漏らした後悔に、私が礼を述べて頭を下げると、デルエラ公は訳がわからないと言わんばかりに、まるで無垢な少女のようにキョトンとした表情を浮かべて首を傾げる。
「少なからず、後悔をしていただけていることに。何の縁もゆかりもない……というのは大袈裟ですが、私自身書物の中、誰かの口を借りた伝承だけでしか知らない祖国を滅ぼしたことに、あなた自身がどんな理由であれ後悔していると口にしてくれた。それだけで私の国民も、あなたに対する感情が少しは和らいでくれることでしょう」
「……………ねえ、このことは公文書から削除してもらえないかしら。仮にも私が後悔しているなんて知れ渡ったら、今まで築き上げてきた残忍で残虐で妖艶なイメージがガタ落ちじゃない」
「駄目です、削除なんかして差し上げません。デルエラ公、あなたもいい加減に完璧主義をお捨てになった方がよろしいかと。本当のあなたは残虐でも残忍でもなく、喜怒哀楽で表情がコロコロと変わり、他者を非常に気遣う優しくて可愛らしい愛情深い人物なのですから」
その方が人々に親しまれ、自然と民はあなたを慕ってくるでしょう、と進言したのだが、デルエラ公は顔を真っ赤にして口を尖らすと、もぞもぞと私にはよく聞こえないような声で何か文句を口にしている。
基本的に照れ屋な方なのだろう。
「………セシリア、あなた本当に彼女の一族なの?彼女はそんな風にズケズケと物を言う女じゃなくて、もっとこう……奥手でオドオドしてて、うん、人間だった時はちょっとイラッと来るタイプだったわ」
「褒め言葉として受け取っておきますよ。もっとも私はあの方に比べれば、一族とは名ばかりの傍流ですし、一族と言っても端っこの端っこ。一族を名乗るのもおこがましいくらいだという程、他人と呼んでも差し支えないレベルだというのに、よくもまあレスカティエ関係者も私を見つけ出したと関心しますよ。何せ私は自分がそういう血筋であるとも知らずに、ほんの14、5年前までは国王どころか、ただの代々続く貧乏売春宿の女主人だった訳ですし」
私の物怖じしない性格は、血筋云々などという抽象的なものから生まれたものではなく、そういう売春宿時代のいくつもの修羅場を潜った経験によって作られたものだろう。
それと同時に、貧乏ではあったが教育熱心だった父の影響で読み始めた書物の影響も強かったのだろうと思う。古代精神哲学、幻想的で不条理な神話文学、最先端の女性像を纏めた思想書などなどあったが、思えばその中にレスカティエ教関連の書物は皆無だったように思われる。死んだ父自身、自らの出自を知っていたようだが、それでもあまり信仰に熱心ではなかったから、おそらくかつてのレスカティエ教の誤りに何かしら思うところがあったのかもしれない。
「あなたを見ていると彼女……フランツィスカよりも、辺境統一王朝を開いたかのアドライク帝を思い出すわね。それともレスカティエ教の亜流、正統ヴァルハリア教の英雄ヴァル・フレイヤの方かしら」
「二人とも好きな歴史上の人物です」
書物でしか知り得ない人物。
だけど書物だからこそ憧れた人物。
そんな人物にデルエラ公から例えられて、私は嬉しくて胸が震えていた。
ただ例えられたからではなく、それをデルエラ公の口から例えられたことが嬉しかった。
「……無駄話も、そろそろ終わりにしましょう。ではセシリア……新生レスカティエ公国女王、セシリア・ミステル・レスカティエ陛下。十何世紀も前に結ばれるはずだった和平を。本当の意味で、古い世界を終わらせるために。そして母の理想を叶えるため、まずは争いのない世界を、ここから始めましょう」
握手を求めるように、デルエラ公は手を伸ばした。
本当に不器用な人なのだろう。
本当に欲しいものは、領地でも若い人間の精でもない。
魔物娘は、いやデルエラ公自身もただ人間の生きた心、融けるように熱くて優しい愛が欲しいだけなのに、それを口に出せないでいる。精を求める、というのは我々人間が食事をしないと生きていけないのと同じで、結局のところ生物的な本能に近い欲求なのだろうと私は思えるのである。
「ええ、デルエラ公。今度こそ、人類も魔物も神々も、新しいステージで生きていかなければいけません。あなたが人間に、いえ仮にも自らの所業で滅んだにも関わらず、恥知らずにもレスカティエを再び名乗る国家の主に心を開いてくれた。そのことを無為にしないためにも」
時代を終わらせ、始めるために。
心を開いてくれた彼女のために。
理由なんてものは、考えればいくらでもある。
だが、肝心なのはお互いを心から愛しいと思える真心なのだ。

私は差し伸べられたデルエラ公の手を握った。

この暖かい手の平を、二度と放さない。

放したく は ない



―――――――――――――――――――――――――――――――――


― 帝国歴15年 老人とリザードマン ―


深夜、その老人は美しいリザードマンを伴って現れた。
セラエノの紋の入った提灯の頼りない灯かりを頼りに、老人とリザードマンはゆっくりとした速度で一歩一歩踏み締めるかのように真っ暗な夜道を歩く。
老人は処刑場へ向かう。
死装束として白装束で身を包み、悲壮な覚悟の色を顔に浮かべている。
リザードマンは老人を気遣うように身体を支え、半ば目が見えていない老人の目になるかのように、同じゆっくりとした歩調で歩き、老人と同じ死装束を纏っていた。
「お待ちしておりました」
老人の前に旧フウム王国残党軍の若い兵士が出迎えに現れた。
20人程の若者たちは兵士ではあったが、誰もが非武装であり正装で老人を出迎え、武装と呼べるものは短剣ですら一切身に帯びていなかった。降伏してきた老人に対して、この若者たちは最大限の礼節を以って出迎えたのである。
「ロウガ王、お別れはお済みになられましたか?」
「………ええ、おかげさまで」
老人は短くそう答えた。
若者たちは礼儀正しかった。彼らは一様に神敵と呼ばれたロウガに対して最上位の敬意を払い、老人が自分たちの敵だとわかっていながらも、ある種尊敬の念を持っていることが見て取れた。彼らは皆、騎士や武官の子弟であり、数々の武勇伝を持つロウガに対して、敵対心と同時に憧れを抱いていたのである。
「……ロウガ王、我々は非常に残念であります。お時間があれば、武に生きる者の心得、武と共に生きる喜びの教えを乞うことも出来ましょうが、それも叶いませんでしょう。ロウガ王をこのまま刑場へとお連れするように仰せ付かっております」
奥方様も一緒に、と若者の一人は苦渋に満ちた表情で伝えた。
旧フウム王国の者とは言え、老人一人と魔物とは言え女一人を嬲り者にするのは彼らの好むところではない。若者たちは堂々と正面から老人を打ち破ってこそ、彼らの信仰する神の敵に打ち勝つということではないかと考えていただけに、老人の降伏は絶妙な肩透かしだった。
だからこそ、せめて最上級の礼を以って老人を迎える。

実に、青い。
実に、お人好しなのだ。

そんな若者たちの様子に老人もさすがに感心していたのだが、ふと気が付くと遠くから、微かではあったが確かに笑い声が老人の耳に聞こえてきた。視力をほとんどなくしてからというもの、年齢の割りには妙に聴覚だけが鋭くなったのだが、その老人の耳には明らかに目の前の若者たちとは違う、浮かれ切って乱痴気騒ぎを起こしている下品な笑い声が届いていた。
そんな老人の様子を感じ取った若い騎士は、心から申し訳なさそうに謝罪を口にした。
「……お気付きになってしまいましたか。実は我々以外の者たちは、ロウガ王降伏に色めき立ち、礼節を忘れ日が沈むと同時に酒盛りを始めてしまう始末。ロウガ王の処刑を仰せ付かった者こそ酒を断っておりますが、教養もなく、弱者を嬲ることを唯一の楽しみとしている者ですから、おそらくはあなたに非礼を働くものと思われます」
「無礼な……、それが降伏する王を迎える者の心得か…!」
老人の隣に控えるリザードマンが静かに抗議の声を挙げた。
しかし、どうにもならないのである。
若者たちの上官ですらロウガ降伏の報に浮かれてしまい、残党軍司令官シャルルに至っては喜びのあまり率先して兵士たちに酒を振舞って、祝杯を重ねに重ね、気が付けば泥酔して自分の帷幕のベッドの上で高いびきを掻いている始末であった。
無理もない。
ヴァル・フレイヤ率いるヴァルハリア教会騎士団ですら成し得なかった神敵討伐を、義勇軍とは名ばかりの敗残兵である自分たちが成し遂げてしまった。それも一切の戦火も交えず成し遂げたという喜びを、彼らは酒盛りで馬鹿騒ぎする以外に表現する方法を知らなかったのである。
これで、本国に帰れる。
これで、本国を取り戻せる。

ヴァルハリア教会大司教の名の下に
ヴァルハリア教会大司教の正義の下に、フィリップ王と共に凱旋出来る。

憐れなるかな、多くの残党軍将兵がそう思っていた。
「……………あの者たちは」
リザードマンに釣られるように、老人の口が開いた。
「………あの者らは、何も感じないのか。我らが一族郎党を尽く滅したにも関わらず、何一つ、一切の罪悪感も持たぬのか。こんな馬鹿げた戦で散った者たちを悼む想いもないのか。悪魔は……悪魔はどちらだと言うのだ…!」
「そ……それは…」
若者たちに返す言葉もない。
彼らは自分たちの味方を恥じていた。
恥じていただけに、老人の怒りの言葉に何一つ返せなかったのである。
老人が力なく震える手で拳を握る。
奪われた悲しみを、恨みを、怒りを非力な拳で握り込む。
力一杯握り締めた拳、弱々しくも食い縛った歯、激しい怒りと憎しみを燃やす何も見えない白く濁った目、老人の脆弱な五体すべてが内に秘めた禍々しい怒りを侵略者たちに向けていた 

――――――その時である。
夜の暗闇を引き裂いて、高々と笛の音が響き渡った



―――――――――――――――――――――――――――――――――


― 真夜中のパレード 笛吹き男が陽気にやってくる ―


夜の暗闇に、その笛の高い音が響き渡った。
それは何とも楽しげで、踊りたくなるような陽気な音色。
若者たちが何事かと身体を強張らせていると、陽気な笛の音は彼らの緊張感など何一つ気にする様子もなくどんどん近付いて来るのである。警戒する若者たちの松明のユラユラとした灯かりで、その音色を奏でる者は暗闇からぼんやりとした正体を現れた。

笛を吹く、真っ黒な衣装に身を包んだ道化師

赤や黄色の羽根飾りの帽子。
鼻の上から半分を隠すような薄笑いの仮面。
笛の音に合わせて軽やかに踊る仕草に似合わぬ立派な顎鬚。

何かひどくチグハグで 何かがひどく異様だった。

何故こんなところに道化師が。
何故こんなところで笛を吹いているのかと若い騎士たちが理解し難い光景に戸惑っていると、老人が暗闇からやって来た道化師の方を向きながら静かに口を開いた。
「………我が葬送曲、に御座います」
老人は言った。
かの者は偶然セラエノ軍に訪れた旅芸人一座の者であり、自分の処刑の立会い人でもあり、明るく軽やかな葬送曲を奏でてくれるよう、特に頼んだ道化師であると老人は言う。
同席させてほしいという老人に、若い騎士たちは戸惑った。
道化師一人同席させるくらい何と言うことはない。むしろ道化師が一人くらいいた方が、残党軍の乱痴気騒ぎも正当化出来るような気がして、若い騎士たちは戸惑いながらも老人の頼みを承諾した。
「おお、それはありがたい。私も妻も、出来ることならば明るく旅立ちたいもので御座いますからな。哀しいかな、我死すれば神の御許の安息を得られぬ故に御座いますれば」
「覚悟は出来ております。ですが、私はあなたと共に死すならばそれも良いと思っております。例え行き先が神の御許でなくとも、あなたとならば永遠の安らぎでございます」
そう言って、リザードマンは老人に寄り添った。
目がほとんど見えない老人と若く美しいリザードマン。
親と子、祖父と孫ほどの歳の離れた二人であるが、若い騎士たちの目にはそれがただ奇妙なものとして映らず、それは奇妙でありながらどこか儚くも美しく映っていた。
「道化師よ、この者らにご挨拶を」
老人がそう言うと、道化師は笛の音を止める。
そのまま道化師は、若いとは言っても騎士の身分にある若者に対して一切の遠慮もなく、ツカツカと歩み寄ると一番先頭にいる若者の手を無遠慮に力一杯握り締め、ブンブンと振り回すような荒っぽい握手をした。珍しいことに左手での握手である。道化師らしからぬゴツゴツした力強い手の感触に、若者は痛みに思わず顔をしかめていた。
そんな若者の様子も構わず道化師は笑っている。
いや、薄笑いの仮面を被っているから笑顔なのは変わらない。

「御機嫌よう、幸薄き隣人たちよ」

道化師は言った。
面白くもなく、まったく笑えない冗談を交えた挨拶だった。
「よ……ようこそ………えっと…?」
「名前などお気になさらず。どうせ素顔も晒せぬ臆病で陽気な『ただの道化師』で御座いますから。だからアタシもあんた方の名前など、興味も関心もござんせんのでお聞き致しませぬわい。お互い名無しで良うござんしょ」
ギリッ、と道化師の左手にさらに力が入り、若者はついに我慢出来ずに声を挙げてしまった。
「おやおや、騎士様や。そんな乙女のようなヤワな握力では……クックック…、十分な騎士働きは叶いませんぞ。それにしても何とも無粋な夜で御座いますなぁ。聞こえるのは華のない男どもの濁った笑い声、観客はあんたらくらいなもので、はっきり言って売れない見世物小屋よりもつまらない夜で御座いますわ。何よりも明かりが足りませんな」
明かりが足りない、ぼやく道化師に若者たちはどう答えて良いのかわからなかった。道化師はこちらの意図を一切読まず、道化師も彼の付けている仮面のせいで表情が見えないため、何を意図しているのか一切若者たちに読ませはしないのである。
まさに道化師。
若者たちは馬鹿にされている、そんな気にさせられる。
「は……はぁ……しかし、明かりはどうにもなりません…」
こんな夜分遅くで御座いますれば、と若者は何とか反論を試みるのだが、道化師は薄笑いの仮面の向こう側で、押し殺したような笑い声を上げて若者を嗜めるのである。
「どうもあんたらは頭が固い。ええ、そりゃもうミノタウロスの腹筋くらい、バフォメットの胸くらい絶望的にガッチガチで御座いますなぁ。そんなガチガチに固い頭じゃ女にゃモテませんぜ。明かりが足りなきゃ増やせば良い。そのくらい道行くサラマンダーやイグニスでも思い付くもんで御座んすよ」
「明かりを増やすって……一体どうやって…?」
「クックック…、まだお分かりでない。こうすりゃ良いんですよ」
道化師がそう言って、指をパチンと鳴らす。

まるで人魂が闇に浮かび上がるように
道化師の背後の暗闇に、無数の火の玉が浮かび上がった

「な……なっ…!?」
まるで奇術魔術のような常識ではあり得ない光景を目にして、若い騎士たちが慌てふためいた。闇に浮かび上がった火の玉がゆっくりと近付いてくる。そして近付いてきた火の玉の正体を若い騎士たちは見たのである。
火の玉の正体。

それは松明や火矢を構えたセラエノ軍であった

「おやおや、これしきのことで大慌てとは。そんなことではとてもとても………、クックック、『神敵ロウガ』を屠ることなど相成りませんぞ。なぁ、御老人もそう思うだろう?」
「ど、道化師殿!そしてロウガ王、これは……これは…!?」
何が一体どうなっているのか、皆目検討が付かぬ風で騎士たちが喚いた。
これはどういうことなのかと老人をしきりに問い詰めるが、老人もリザードマンも微笑むばかりで何一つ答えようとはせず、むしろ答えないことこそが答えなのだとその微笑みが言っていた。
老人の代わりに答えたのは道化師だった。
「では御教授しよう。諸君らはロウガの顔を知らず、伝え聞く情報のみでロウガを思い描く。それは時に邪悪で鋼の肉体を持つ大男であったり、人々を快楽に陥れる淫魔に近い退廃的な魔術士であったりもする。だが現実的に考えてそんな馬鹿な姿は、御伽噺か寓話の世界でのみしか通用しない」
そう言って、道化師は仮面を剥いだ。
仮面の下からは右目を大きな傷で塞がれて、初老のようでもあるがどこか若々しいようでもある、魔力に侵されている者特有の年齢を感じさせない素顔が現れた。
「幻想的な要素から現実的な情報を次々と洗い出してから、再びロウガを構成する。すると『老人である』こと、『目が見えていない』こと、エレナとの闘いの後『すでに第一線から退いている』こと、それらの条件を当てはめるとアラ不思議。弱々しく警戒心を一切抱かせぬ『神敵ロウガ』の完成である」
仮面を剥いだ道化師は、そう言って老人を紹介した。
最初は何を言っているのかわからなかった若者たちであったが、道化師の言葉が言い終わらぬ内に、段々と海の潮が引いていくように蒼褪めていき、道化師が何を言っているのかを理解してしまったことを深く後悔した。

理解しなければ幸福だったであろうに

「御機嫌よう、幸薄き隣人たちよ。諸君らとは初めてお目にかかるが、我こそは学園都市セラエノ軍総帥・沢木狼牙。諸君らヴァルハリア教徒の敵、人類を騙る偽りの木偶人形の敵である」
若い騎士たちは腰を抜かして座り込んでしまった。
本物のロウガを前にして彼らは誰一人逃げることも忘れ、ある者は恐怖にガチガチと奥歯を鳴らしながら泣き、ある者はブツブツと命乞いしながら無様に失禁し、ある者は現実を受け入れられずに気が触れて笑い出す。
「安心めされよ、お若いの。戦う意志なき者など、俺たちは歯牙にも掛けぬ故、さっさとどこにでもお逃げなさい。逃げたらそのまま剣を捨て、武を捨て、何もかも一切合財捨てて別人となって生きることをお薦めするが、もしも今ここで歯向かえば汝ら尽く撫で斬りに致す」
どうする、とロウガが問うと、若者たちは弾かれたように逃げ出した。
まるで出番が終わった役者たちが舞台袖へと消えていくように、腰が抜けたまま這いずりながら、意味不明な奇声と悲鳴を上げて、光も届かぬ暗闇の向こうへと消えていった。
「ロウガ、少し怖がらせすぎじゃないか」
いつの間にかロウガの隣にはアスティアが寄り添うように立っていた。
少しばかり困り顔で、幼子の悪戯を咎める母のようでもある。
「良いんだよ、これくらいで。やつらは二度と剣を持たなくなる」
「………それは否定しないが」
「恐怖で心を支配するのは間違っている。それは自覚しているよ、アスティア。だが俺の役目はそれで良い。俺は恐怖を振りかざすことで人々に剣を捨てさせる。後はサクラやマイアたちが、きっと俺の間違いを正してくれるだろう」
「………………魔王、か」
アスティアの脳裏に、ふとアドライグの言った言葉が過ぎった。
だから人々はロウガを恐れたのだろう。
意図せずもサクラやマイアが心からの善人である以上、ロウガの行為はさらに際立ち、人々の心を死後何十年経とうとも支配し続ける、もう一人の『魔王』として記憶し続けるのだろうとアスティアは推測する。
おそらく、それは当たらずとも遠からぬことだろうと確信しながら。
「……………それなら」
アスティアは微笑んだ。
戦場に似つかわしくない優しい微笑みだった。
「それなら私は『魔王』の妻だな」
「それが嫌なら離婚するか?」
「………馬鹿。魔王の妻、それも悪くないと言っているのがわからんのか」
どこまでもアスティアは付いてくる。
ロウガは改めてそれを感じ取り、ただ短く
「ありがとう」
とだけ口にした。

「………………さて」

真剣な眼差しでロウガは残党軍本陣の方へと向き直した。
浮かれて乱痴気騒ぎをしている笑い声はまだ途絶えることはない。
まだ彼らは神敵降伏を信じているのである。

「さて諸君、さて我が兵たちよ。さすがに夜も更けた。ムルアケ街道を虐げながら進んできた憐れな敗残兵たちは、未だ泡沫の甘い夢から帰ろうとはしない。罪なき死者の魂は諸君らに何を語る。聞こえようぞ、目を覚まさせろ。夢から引き摺り下ろせと言っている叫び声が。ならば精々愉快に、精々陽気に彼らに思い出せてやろうじゃないか。

 …………火矢を放て!音を打ち鳴らし、歌声を上げろ!
 我らは道化らしく、笑ってすべてをからかい尽くせ」


13/07/01 00:37更新 / 宿利京祐
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■作者メッセージ
こんばんわ、お久し振りです。
最近意図せず健康的で健全な生活を送っている宿利で御座います。
いやぁ、スポーツって良いものですね(遠い目)。
さて今回はロウガ出陣をお送りしました。
色々候補を考えてはいましたが、
紅龍雅とは真逆の武士らしからぬ方法の方がロウガにはしっくり来るんじゃないかと思って、
執筆してみたら本当に馴染んでいてビックリだったり…。
ちなみに今回のお話ですが、
実は前述のスポーツの関係でギックリ腰になって寝込んでいた際に
反吐が出るほど聞いていた『Sound Horizon』のある曲がモチーフです。
助けて、ぴこ魔神。

それでは最後になりましたが
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう(^^)ノシ

………………さて、もんクエのCGフルコンプしなきゃ

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