ep参・犬はいなくとも熊退治(後編)
それは熊と呼ぶにはあまりに大きく、
それは熊と呼ぶにはあまりに大雑把すぎる身体をしていた。
1tという超規格外のヒグマは馬鹿馬鹿しくなる程大きく、分厚い毛皮と脂肪の奥に秘めたパワーも、体重同様に規格外であることを臭わせる芳醇な雄度は対じするだけで十分に伝わってくる。
それだけで十分だというのに、超規格外のヒグマは縄張りを荒らされて興奮し、自分の縄張りの中央で呑気に肉を焼く血生臭い侵入者に、野生動物特有の純粋な怒りを露わに巨木を一撃で圧し折って、自らの力を示して侵入者を生きて帰さないことを言葉ではなく雰囲気で告げた。
二足で立ち上がると、およそ3m。
太い首。
太い足。
太い胴。
最悪、吐く息ですら太そうだ。
湿度の高い渓流のせいなのか、全身の毛皮を覆う苔で青く見えないこともない。
分厚く乾いた泥が太い前足を覆い、甲殻に見えないこともない。
名もない超規格外のヒグマは、以上の特徴から『アオアシラ』となった。
本物の人化したアオアシラの存在を忘れさせる程のカリスマ。
ジンオウガが渓流の狩人であるとすれば、このヒグマは渓流の暴君であろう。
「おいおい……、何でこんな化け物が渓流にいるんだ!?」
狼牙の嘆きは当然のことだろう。
暴君・アオアシラは荒く喉を鳴らす。
暴君は侵入者を許さない。
暴君は縄張りを荒らす者を許さない。
生れ落ちて十数年、それだけが暴君の誇りだった。
誇りを踏み躙った狼牙を、暴君は全力で屠ると決めたのだった。
「クマー!!」
「鳴いた!?意外に可愛い声だ!!!」
ちなみに熊とは『クマ』と鳴くから『熊』と名付けられたと言われている。
超規格外の大きさを誇るヒグマは、どこから出ているのかわからない可愛らしいハニーボイスで一鳴きすると、その鳴き声と正反対の剛の一撃を強靭な前足で繰り出した。
鈍い音がして地面が抉られ、狼牙の肉焼きセットが火の粉を撒き散らしながらバラバラになる。
「旦那さん!!」
土煙と肉焼きセットから立ち上る煙の中に消えた狼牙の名を、ガチャは叫んだ。
濛々と立ち上がる煙で視界が悪くなり、暴君は動きを止める。
暴君の放つ獣気に、ガチャも危険を告げるネコマタの本能に逆らえず動けない。
………ズン
暴君が一歩前に出る。
煙の向こうが見えない以上、確認したがるのは生物の性だ。
「閃っ!!!」
「…………!!!」
鉄刀が、まるで煙ごと暴君を断つように鋭く煌いた。
狼牙の抜き打ちに驚いた暴君は距離を取る。
そして超規格外の巨体を四つん這いに踏ん張ると、手傷を負わされた怒りを露わにする。
「旦那さん!!」
「喚くな、ガキが…。それにしても、あの手応えで両断出来ねえとは……。厄介だ……、あの脂肪と毛皮…。ただのヒグマがモンスター級になっちまうとは馬鹿馬鹿しくて笑えもしねえ。」
キンッ、と音を立て、狼牙は鉄刀をダラリと、やや下段気味に構える。
ジリジリと足の親指だけで距離を詰め、一人と一匹は互いに前に出るタイミングを計る。
一人と一匹の間に、赤い落ち葉が舞う。
ゆらり、ふわりと舞う落ち葉は右へ左へ行ったり来たり。
風に煽られて急速に地面に落下した瞬間だった。
ダンッ……
「殺す。」
力強く狼牙が左足で地面を蹴って、一気に間合いを詰め、太刀を大きく振り被る。
グボッ……
「クマーッ!!」
地面を抉って、四足の獣独特の姿勢で暴君が弾丸のように突進する。
自分の身体の強靭さを理解しているかのように最も攻撃的で、最も効果的な突進で砕けぬものはないと吼えるように、超重量の巨体が唸りを上げて、突進する。
今、渓流のとあるエリアで、人間とヒグマ。
超雄同士の存在とプライドを賭けた戦いが始まる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
宙を舞っている。
身体には衝撃。
ただ、目を白黒させて何が起こったのかわからない俺がいる。
ドシャァッ……
「ぐあぁぁぁ!!!」
地面に叩き付けられて、バウンドする身体。
凄まじいスピードで後ろに飛ばされ、自力で止まることも出来ずに俺は頭を地面に打ち付け、腹を打ち付けながら二度大きく跳ね上がって転がっていく。
ドンッ
「グフッ!?」
木に背中を叩き付けられて、やっと止まった。
背中を正面から打ち付けたことで、背骨が軋み、肺と腹から空気が一気に漏れる。
ズルズルと地面に落ちていく俺が目にしたのは、肩口から血を流しているヒグマ。
やつの足下には俺の太刀が転がっている。
……ああ、そうか。
俺の斬り込みでは、やつの突進を止められなかったのか…。
動けるか…、いや……無理か…。
背骨をやられた。
折れちゃいないが……、身体が痺れて言うことを聞かない。
回復する頃には俺はやつにとどめを刺されているだろう。
こんなところで……。
俺は…………。
俺はやっぱり………、姉さんには届かないのか…。
姉さんにも……、ジンオウガにも……。
俺は……ここで……終わりなのか……。
「クマーッ!?」
悲鳴を上げるヒグマに驚いて顔を上げると、顔から煙を上げてやつは怯んでいた。
奇声を上げて、痛みに悶えるヒグマはゴロゴロと転がる。
「旦那さん、今……、今笛を吹くにゃ!!」
息を荒くしてポーチを漁るガチャ。
ああ、なるほど…。
お前が……、小タル爆弾を投げたのか。
「にげ……。」
声が出ない。
だが出来る限りの方法でガチャに逃げろと命令する。
今、やつが怯んでいる隙に逃げろ。
笛なんか吹いたら、やつは自分を傷付けたお前を殺しにかかる。
だから、逃げろと手振りで指示するがガチャは首を強く横に振った。
「嫌にゃ…。」
決して大きくはなく、それでも強い意志を持ってガチャは拒んだ。
「嫌にゃ!ウチ、どんなに旦那さんに嫌われたって良い。でもここで逃げたら、ウチはずっと逃げなきゃいけなくなるにゃ!!ウチ、旦那さんのことが好きにゃ。だから、ウチは旦那さんのために………!?」
ガチャの言葉が止まる。
悶え苦しんでいたヒグマが、ゆっくりと体勢を立て直しつつあった。
小タル爆弾が直撃したせいで、右目は爛れて視界がハッキリしないのだろう。
やつは、俺を…。
そして爆弾を投げたガチャを興奮気味に探している。
「ガチャ!!!」
叫んで蒸せた。
俺の声と咳で、やつは俺の位置を特定出来たらしい。
「グルルルルルル…。」
唸る声ですら、可愛いハニーボイス。
だが、身体から吹き出ているのは声に似つかわしくない憤怒。
俺は咳き込むたびに、胃から込み上げるものを撒き散らしながら再び叫んだ!
「ガチャ、逃げろ!!」
だが、ガチャは弱いクセにやたら強い目で、今にも泣きそうなのにまた拒む。
「一人は嫌にゃ!!逃げるなら、旦那さんと一緒にゃ!!!」
「五月蝿え、ガキ!!弱いクセに逆らうんじゃねえ!!!」
「ウチ、ずっと一匹だったからわかるにゃ!!旦那さんもウチと一緒にゃ!!ウチとおんなじで、ずっと一匹だったにゃ…。お姉さんと離れ離れになって寂しくて、それでもお姉さんに追い付きたくて自分を追い詰めてる……、ウチとおんなじ弱い人にゃ!!!だから、ウチはわかるのにゃ。一匹は寂しいにゃ…。誰も一匹じゃ生きていけないのにゃ!!だから……、旦那さんのために、せめてウチだけでも………、ウチだけでも旦那さんのためにお役に立ちたいにゃ!!!」
力の限り角笛を吹くガチャ。
その音色に癒しを乗せて、俺の身体から苦痛を取り去っていく。
「これは……!?」
いつの間に……、回復笛の術なんかを…。
ガチャを見ると、震えているのにも関わらず、引き攣った笑顔で親指を立てる。
「旦那さん、ウチは大丈夫だから…。旦那さんはキャンプに逃げて…。」
一歩、ガチャは後ろに飛ぶ。
ヒグマは気が付いてしまった。
自分の右目を潰したのは、ガチャであることを…。
「旦那さん……。」
苦痛が和らいで起き上がろうとする俺にガチャは笑顔を向けた。
怖いのを我慢して、泣き出しそうな顔で…。
「さよなら…。」
同時だった。
ガチャが後ろを向いて走り出すと同時に、ヒグマが猛烈な突進でガチャを追う。
ヒグマがガチャを追って、あたりは静かになった。
呆然としたまま、俺はのそのそと落ちている太刀を拾う。
ズシリと重い…。
「おい……、俺は……、強いんじゃなかったのか?」
刀身に映る自分の顔に問う。
「俺はポッケ村ではG級ハンターじゃなかったのか?」
刀身の中の俺が死んだ目で睨んでいる。
「クシャルダオラを倒した、テオ・テスカトルを倒した、ラージャンを倒した、ラオシャンロンを倒したイャンガルルガを倒したミラボレアスもミラルーツもアマツカミもすべてのモンスターを倒した。俺一人の手で…、誰の力も借りずに、姉さんに追い付いたはずじゃなかったのか!!あんなヒグマ一匹に何故、遅れを取る!!!」
ジンオウガにやられた身体が完全じゃないから。
それは言い訳だ。
俺は……。
俺は……!
「ガチャにすら………勝てないじゃないか…!!」
泣いていた。
刀身の中の俺は、俺を睨んだまま泣いていた。
『誰も一匹じゃ、生きていけないにゃ。』
違う、俺は……。
俺は一人で姉さんに追い付いた。
追い付いて……、追い付いてどうなった…?
そこから先の俺はどうしたんだ…。
『自分を追い詰めている。』
そうしなければ強くなれない。
そうしなければ………そうまでしても姉さんに追い付けない…!
モンスターを倒せば自信に繋がると思っていた。
誰の力も借りずに生きていければ、俺は姉さんの目を正面から見れる。
そう信じていたのに…。
俺は結局何も掴めないまま………。
俺の手は……、何も掴めない…。
俺の手は……。
……………………まだ掴めるものがある!
俺は鞘に太刀を納めるとガチャの向かった先へと走った。
ガチャの笛で回復したのは疲労と苦痛だけ。
それでも今の俺には十分だった。
それ以上に、猛るものが……、生まれて初めて心の中に燃えていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
もう……駄目かも…。
走り疲れたし、ウチの武器も盾の代わりに使って壊れちゃった。
ごめんね、旦那さん…。
せっかくお揃いに出来たのに……、ウチの木刀折れちゃった。
「クマーッ!クマーッ!!」
勝ち誇ったように、アオアシラみたいなあいつは吼える。
勝ち、譲ってあげるにゃ…。
ウチ、もう走れない。
足を引っかかれてズキズキ痛むし、お腹を引っかかれてさっきから力が入らないの…。
浅い川に腰から下が浸かったまま倒れちゃったせいで、さっきからずっと血が流れっ放しで、ずっと寒くて仕方がないの…。
「旦那さん……、ウチ…、寂しいにゃ…。」
一匹になるのは嫌。
でも旦那さんが死んじゃうのはもっと嫌…。
だから寂しいのは我慢するの。
だって…、ウチは初めて旦那さんのお役に立てたんだもん。
「寂しいけど……、ウチ…、満足にゃあ……。」
キーンと音が段々と聞こえなくなってくる。
目を閉じれば、アオアシラみたいなあいつの姿も見えないし聞こえない。
身体の感覚も段々となくなっていく。
怖くない。
怖いない。
怖くない。
でも………。
「ウチ……………、旦那さんのこと……怖い人だけど好きだったにゃあ…。」
「クマーッ!!!」
アオアシラが腕を振り下ろす。
ウチは目を閉じて、覚悟を決めた…。
「テメエ、何してくれてやがらぁぁぁぁ!!!!!」
メメタァァァッ
「クマァァァァ!?」
すごい音がして、アオアシラの悲鳴のような声が聞こえて、ウチが目を開けると顔を押さえてアオアシラがゴロゴロと、ウチが爆弾を喰らわせた時のように転がって悶えていた。
「これで貸し借りなしだ、ガチャ!」
「だ……旦那さん…!」
そこにいたのは…、ウチの旦那さんだった。
あれ?
旦那さん、武器しまったまま…?
もしかして素手で殴った!?
「ほれ。」
旦那さんは手に持っていた瓶をウチに投げて寄こした。
割れないように肉球でしっかり受け止めると、中の緑色の液体がタポンと音を鳴らす。
これって…、回復薬グレート…。
「調合は苦手なんだが…、運良く手持ちの回復薬がなくなる前に1つだけ成功した。応急手当だが、飲んでおけ。飲んだら薬草を擦って、傷に塗っておけ。治りが早くなるはずだ。」
旦那さんが……、やさしい…?
「グルルルルル……、クマァーッ!!!!」
ザバッと水飛沫を上げて、アオアシラが体勢を立て直す。
ウチの爆破で焼け爛れた右目から、勢い良く血が流れている。
もしかして………、旦那さんはあの右目を殴ったの…?
「おうおうおう、やっと気が付いたかケダモノ野郎。さっきは悪かったなぁ。テメエを殺ろうってのに、俺の個人的な感情で台無しにしてしまってよぉ。だがなぁ……、だからってガチャを狙うってのは筋違いってもんだ。テメエを殺るなぁ俺だ。」
キンッ、という澄んだ音を立てて旦那さんが鉄刀を抜く。
今度はゆったりと、ウチの目から見ても自信に溢れた動作で太刀を構えた。
「そもそも……。」
「クマーッ!!」
「テメエ、俺の相棒に手を出してんじゃねえ!!」
相棒…?
ウチ……、相棒…?
「旦那さん、良いにゃ…?ウチ、旦那さんの傍にいても良いにゃ…?」
旦那さんは申し訳なさそうな笑顔を浮かべると、一度だけ頷いた。
フルフルと身体が震えて、目が熱くなった。
どんなに怖くても泣かなかったのに…。
どんなに痛くても泣かなかったのに…。
旦那さんに笑顔を向けてもらっただけで、ウチは泣いていた。
「ガチャ、お前は怪我の治療に専念しろ。後は俺が…。」
「俺が、じゃないにゃ…。」
涙を拭いて、旦那さんからもらった回復薬グレートを一気に飲み干すと、まだお腹と足がすっごく痛いけど、とりあえず動ける活力をもらったウチは旦那さんのようにニッコリ笑って立ち上がった。
「旦那さんが相棒って呼んでくれたにゃ。だったら、ウチらは死ぬも生きるも一緒にゃよ。」
「ガチャ………、お前はやつの死角から攻撃しろ。爆弾は?」
「後5発。」
ふっ、と旦那さんが笑う。
「上等!!」
派手に水飛沫を上げて、旦那さんが走る。
ウチは旦那さんの後ろを少し遅れて走り出した。
もう、怖くない。
ウチは本当に一匹じゃなくなった。
ウチは………ずっと旦那さんと一緒にゃ!
「仕掛けるぞ……、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「にゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
渓流に雄叫びが響き渡る。
獣たちは怯え、木々はざわめく。
この日、渓流を荒らしていた超規格外のヒグマは討たれる。
一人と一匹のハンターの手によって、渓流は再び束の間の静寂を取り戻す。
渓流を流れる川のせせらぎを聞きながら、河原に腰かけた男は空を見て微笑んだ。
長らく忘れていた心のゆとりを取り戻し、自分自身というもっとも強固な鎖から解き放たれて、男は傷だらけの身体で嬉しそうに空を仰ぐ。
彼の膝の上には一匹の幼いネコマタ。
ここは自分の縄張りだと言わんばかりに、男の袴を握って、頭を預けてスヤスヤと夢を見る。
男はそんなネコマタの頭を撫でていた。
さて、迎えはまだだろうか。
依頼完了の狼煙を上げて、空に消えていく煙をぼんやりと男は見詰めている。
紅葉舞う渓流。
孤独を強さと思い込んでいた男は、孤独では得られない力を得た。
だが、認めてしまうと心地良く。
男の胸に去来したのは、意外にも爽やかな秋風のような解放だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「いやぁ、人間変われば変わるものだね。」
そう言って、リザードマンのハンターは壁にもたれて話し出した。
首にスカーフを巻き、ハンターシリーズの装備に身を包んだ彼女は、彼の代理として村に留まり続けてくれているハンター、リザードマンのティア。
「そのようですわね。」
彼の変化が嬉しい私は、ニコニコとした笑顔で答えていた。
「しかし、村長も人が悪い…いや、狐が悪いと言ったとこだな。アオアシラがあんな化け物だって知っていながら、彼を送り出したとはね。一歩間違えれば彼は良くてバラバラ、悪くて死体も残らなかっただろうに…。」
「あら、私、勝算なしに人を送り込んだりしませんわ?」
「勝算は……、あったのか?」
勝算、というよりも私は彼の素質に賭けていた。
まったく素質のない者に、古龍が倒せるはずはない。
ましてやG級などという馬鹿げた階級にいけるはずはないのである。
「ふふ、まぁよろしいではありませんか♪彼が無事に帰って来てくれたおかげで、私たちも昨夜は美味しいお酒と美味しい熊鍋にありつけたのですし。」
「う、うん、あれは美味かった。もう残っていないのか?」
「ええ、ガチャちゃんと狼牙さんが残りは全部食べちゃいました♪」
「食欲だけは怪物級、か。」
お風呂に行きませんか、とティアを誘うと彼女は頷いた。
あのアオアシラもどきを彼が狩った今、しばらくは平穏な日々が続くでしょう。
そうなると、彼もティアも出番がなく、日の高い内から温泉に入れるという贅沢が出来る。
「今日は、一杯奢りますわ♪」
「そりゃ助かる。私もジンオウガにこっぴどくやられたばかりで懐が寂しいんだ。」
「旦那さん、良いの!?ウチ、こんな良いものもらっちゃって良いの!?」
「ああ、俺は別にいらんから。」
「わ〜い♪」
嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねるガチャ。
新品のアオアシラ装備を着せてもらって、ガチャは上機嫌だった。
「旦那さん、可愛い?ウチ、可愛いにゃ?」
「ああ、子供らしくて良いと思うぞ?」
「〜〜〜〜〜〜♪ウチ、村長さんにも見せてくるにゃ〜♪」
てってって、と走るガチャを見送って、俺はサイプロクスのオババに支払いをする。
オトモ用の装備は俺たちと規格が違うせいで、意外に高価だ…。
借金が減るどころか増えていくなぁ。
「はい、毎度。」
「なぁ、オババ。俺の太刀、強化出来そうかい?」
「馬鹿言うんじゃないよ。まだまだ素材が足りない。強化したけりゃピッケル持って、炭鉱夫みたいにキンカン掘ってきな。」
その言葉を聞いて溜息を吐く。
ポッケ村にいた時も同じようなやり取りをしたような気がする。
結局、俺たちハンターは『地道』と『根性』の言葉から逃れられないらしい。
「ふぅん?」
「何だよ、オババ。」
「あんた、変わったねぇ。どこが、って訳じゃないけど良い雰囲気になってきたじゃないか。今のあんたなら、少しくらいなら武具費用を負けてやっても良いね。武器を粗末に扱うこともなさそうだしさ。」
頭をワシワシと撫でられた。
慌てて距離を開けると、オババは楽しそうに目を細める。
「なるほど、あんたツンデレだったんだね。」
「違う。」
「でも男のツンデレは、需要が少ないんだからメリットないよ?」
「だから違う。」
第一、ツンデレってなんだよ。
そんなやり取りを交わしていると、また元気良くガチャが駆け戻ってきた。
どうやら村長たちから、望みの言葉をもらったらしい。
「ただいまにゃ♪旦那さん、ウチらもお風呂に行くにゃ。あの狩りの疲れは一晩眠ったくらいじゃ取れないのにゃ。ポカポカお風呂でのんびりして、湯上りのドリンクでリフレッシュするにゃよ〜。ウチが背中流してあげるから、早く早く〜♪」
「お、おい!?」
力強く俺の手を引っ張るガチャ。
そんな俺たちをオババはニヤニヤと見送った。
…不味い、何か変な勘違いをしているぞ。
「旦那さん…。」
不意にガチャが俺の方へ顔を向けた。
目が合うと、嬉しそうに満面の笑みを浮かべるガチャ。
「お揃いにゃ♪」
「何が?」
「旦那さんとお揃い。ほら、旦那さんのほっぺにも三本傷。ウチのほっぺにも三本傷♪」
「うーん……。」
若い娘さんが顔の傷がお揃いって喜ぶのもどうかと思う。
「ウチら腕の違いはあってもハンターにゃ。この道選んだ時から、綺麗な身体でいられるとは思っていなかったにゃよ。でも、ウチも女の子だから痛いのは嫌にゃ。それでもにゃ、それでもにゃ♪大好きな旦那さんとおんなじ傷って思うと嬉しいのにゃ。だって、これがウチらの絆にゃもん♪」
良い笑顔で言われると何も言えなくなる。
だが、俺の手を引くガチャの嬉しそうな顔を見てしまうと、それでも良いかと思えてしまう。
「なら、これからは頼むぜ。相棒」
「にゃん♪お任せにゃ♪」
天高く、里の紅葉は、赤々と。
お、一句出来た。
ガチャに手を引かれて走る昼下がり。
何も手に入れられなかった俺が初めて手に入れることが出来たのは、そんな何でもないような、どこにでもある穏やかで暖かな時間だった。
一方その頃、渓流の某所にて……。
「ハチミツうまうま♪」
大量のハチミツを抱えるようにして舐めまくる一匹の影。
その名もグリズリー変種、アオアシラさん。
つまり、本物のアオアシラである。
「ん〜、何か縄張りが五月蝿そうだけどハチミツが美味しいからどうでも良いや〜♪」
今日も渓流は平和なり。
世はこともなし。
ハチミツが美味しい、馬肥ゆる秋を誰もが満喫しているのであった。
それは熊と呼ぶにはあまりに大雑把すぎる身体をしていた。
1tという超規格外のヒグマは馬鹿馬鹿しくなる程大きく、分厚い毛皮と脂肪の奥に秘めたパワーも、体重同様に規格外であることを臭わせる芳醇な雄度は対じするだけで十分に伝わってくる。
それだけで十分だというのに、超規格外のヒグマは縄張りを荒らされて興奮し、自分の縄張りの中央で呑気に肉を焼く血生臭い侵入者に、野生動物特有の純粋な怒りを露わに巨木を一撃で圧し折って、自らの力を示して侵入者を生きて帰さないことを言葉ではなく雰囲気で告げた。
二足で立ち上がると、およそ3m。
太い首。
太い足。
太い胴。
最悪、吐く息ですら太そうだ。
湿度の高い渓流のせいなのか、全身の毛皮を覆う苔で青く見えないこともない。
分厚く乾いた泥が太い前足を覆い、甲殻に見えないこともない。
名もない超規格外のヒグマは、以上の特徴から『アオアシラ』となった。
本物の人化したアオアシラの存在を忘れさせる程のカリスマ。
ジンオウガが渓流の狩人であるとすれば、このヒグマは渓流の暴君であろう。
「おいおい……、何でこんな化け物が渓流にいるんだ!?」
狼牙の嘆きは当然のことだろう。
暴君・アオアシラは荒く喉を鳴らす。
暴君は侵入者を許さない。
暴君は縄張りを荒らす者を許さない。
生れ落ちて十数年、それだけが暴君の誇りだった。
誇りを踏み躙った狼牙を、暴君は全力で屠ると決めたのだった。
「クマー!!」
「鳴いた!?意外に可愛い声だ!!!」
ちなみに熊とは『クマ』と鳴くから『熊』と名付けられたと言われている。
超規格外の大きさを誇るヒグマは、どこから出ているのかわからない可愛らしいハニーボイスで一鳴きすると、その鳴き声と正反対の剛の一撃を強靭な前足で繰り出した。
鈍い音がして地面が抉られ、狼牙の肉焼きセットが火の粉を撒き散らしながらバラバラになる。
「旦那さん!!」
土煙と肉焼きセットから立ち上る煙の中に消えた狼牙の名を、ガチャは叫んだ。
濛々と立ち上がる煙で視界が悪くなり、暴君は動きを止める。
暴君の放つ獣気に、ガチャも危険を告げるネコマタの本能に逆らえず動けない。
………ズン
暴君が一歩前に出る。
煙の向こうが見えない以上、確認したがるのは生物の性だ。
「閃っ!!!」
「…………!!!」
鉄刀が、まるで煙ごと暴君を断つように鋭く煌いた。
狼牙の抜き打ちに驚いた暴君は距離を取る。
そして超規格外の巨体を四つん這いに踏ん張ると、手傷を負わされた怒りを露わにする。
「旦那さん!!」
「喚くな、ガキが…。それにしても、あの手応えで両断出来ねえとは……。厄介だ……、あの脂肪と毛皮…。ただのヒグマがモンスター級になっちまうとは馬鹿馬鹿しくて笑えもしねえ。」
キンッ、と音を立て、狼牙は鉄刀をダラリと、やや下段気味に構える。
ジリジリと足の親指だけで距離を詰め、一人と一匹は互いに前に出るタイミングを計る。
一人と一匹の間に、赤い落ち葉が舞う。
ゆらり、ふわりと舞う落ち葉は右へ左へ行ったり来たり。
風に煽られて急速に地面に落下した瞬間だった。
ダンッ……
「殺す。」
力強く狼牙が左足で地面を蹴って、一気に間合いを詰め、太刀を大きく振り被る。
グボッ……
「クマーッ!!」
地面を抉って、四足の獣独特の姿勢で暴君が弾丸のように突進する。
自分の身体の強靭さを理解しているかのように最も攻撃的で、最も効果的な突進で砕けぬものはないと吼えるように、超重量の巨体が唸りを上げて、突進する。
今、渓流のとあるエリアで、人間とヒグマ。
超雄同士の存在とプライドを賭けた戦いが始まる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
宙を舞っている。
身体には衝撃。
ただ、目を白黒させて何が起こったのかわからない俺がいる。
ドシャァッ……
「ぐあぁぁぁ!!!」
地面に叩き付けられて、バウンドする身体。
凄まじいスピードで後ろに飛ばされ、自力で止まることも出来ずに俺は頭を地面に打ち付け、腹を打ち付けながら二度大きく跳ね上がって転がっていく。
ドンッ
「グフッ!?」
木に背中を叩き付けられて、やっと止まった。
背中を正面から打ち付けたことで、背骨が軋み、肺と腹から空気が一気に漏れる。
ズルズルと地面に落ちていく俺が目にしたのは、肩口から血を流しているヒグマ。
やつの足下には俺の太刀が転がっている。
……ああ、そうか。
俺の斬り込みでは、やつの突進を止められなかったのか…。
動けるか…、いや……無理か…。
背骨をやられた。
折れちゃいないが……、身体が痺れて言うことを聞かない。
回復する頃には俺はやつにとどめを刺されているだろう。
こんなところで……。
俺は…………。
俺はやっぱり………、姉さんには届かないのか…。
姉さんにも……、ジンオウガにも……。
俺は……ここで……終わりなのか……。
「クマーッ!?」
悲鳴を上げるヒグマに驚いて顔を上げると、顔から煙を上げてやつは怯んでいた。
奇声を上げて、痛みに悶えるヒグマはゴロゴロと転がる。
「旦那さん、今……、今笛を吹くにゃ!!」
息を荒くしてポーチを漁るガチャ。
ああ、なるほど…。
お前が……、小タル爆弾を投げたのか。
「にげ……。」
声が出ない。
だが出来る限りの方法でガチャに逃げろと命令する。
今、やつが怯んでいる隙に逃げろ。
笛なんか吹いたら、やつは自分を傷付けたお前を殺しにかかる。
だから、逃げろと手振りで指示するがガチャは首を強く横に振った。
「嫌にゃ…。」
決して大きくはなく、それでも強い意志を持ってガチャは拒んだ。
「嫌にゃ!ウチ、どんなに旦那さんに嫌われたって良い。でもここで逃げたら、ウチはずっと逃げなきゃいけなくなるにゃ!!ウチ、旦那さんのことが好きにゃ。だから、ウチは旦那さんのために………!?」
ガチャの言葉が止まる。
悶え苦しんでいたヒグマが、ゆっくりと体勢を立て直しつつあった。
小タル爆弾が直撃したせいで、右目は爛れて視界がハッキリしないのだろう。
やつは、俺を…。
そして爆弾を投げたガチャを興奮気味に探している。
「ガチャ!!!」
叫んで蒸せた。
俺の声と咳で、やつは俺の位置を特定出来たらしい。
「グルルルルルル…。」
唸る声ですら、可愛いハニーボイス。
だが、身体から吹き出ているのは声に似つかわしくない憤怒。
俺は咳き込むたびに、胃から込み上げるものを撒き散らしながら再び叫んだ!
「ガチャ、逃げろ!!」
だが、ガチャは弱いクセにやたら強い目で、今にも泣きそうなのにまた拒む。
「一人は嫌にゃ!!逃げるなら、旦那さんと一緒にゃ!!!」
「五月蝿え、ガキ!!弱いクセに逆らうんじゃねえ!!!」
「ウチ、ずっと一匹だったからわかるにゃ!!旦那さんもウチと一緒にゃ!!ウチとおんなじで、ずっと一匹だったにゃ…。お姉さんと離れ離れになって寂しくて、それでもお姉さんに追い付きたくて自分を追い詰めてる……、ウチとおんなじ弱い人にゃ!!!だから、ウチはわかるのにゃ。一匹は寂しいにゃ…。誰も一匹じゃ生きていけないのにゃ!!だから……、旦那さんのために、せめてウチだけでも………、ウチだけでも旦那さんのためにお役に立ちたいにゃ!!!」
力の限り角笛を吹くガチャ。
その音色に癒しを乗せて、俺の身体から苦痛を取り去っていく。
「これは……!?」
いつの間に……、回復笛の術なんかを…。
ガチャを見ると、震えているのにも関わらず、引き攣った笑顔で親指を立てる。
「旦那さん、ウチは大丈夫だから…。旦那さんはキャンプに逃げて…。」
一歩、ガチャは後ろに飛ぶ。
ヒグマは気が付いてしまった。
自分の右目を潰したのは、ガチャであることを…。
「旦那さん……。」
苦痛が和らいで起き上がろうとする俺にガチャは笑顔を向けた。
怖いのを我慢して、泣き出しそうな顔で…。
「さよなら…。」
同時だった。
ガチャが後ろを向いて走り出すと同時に、ヒグマが猛烈な突進でガチャを追う。
ヒグマがガチャを追って、あたりは静かになった。
呆然としたまま、俺はのそのそと落ちている太刀を拾う。
ズシリと重い…。
「おい……、俺は……、強いんじゃなかったのか?」
刀身に映る自分の顔に問う。
「俺はポッケ村ではG級ハンターじゃなかったのか?」
刀身の中の俺が死んだ目で睨んでいる。
「クシャルダオラを倒した、テオ・テスカトルを倒した、ラージャンを倒した、ラオシャンロンを倒したイャンガルルガを倒したミラボレアスもミラルーツもアマツカミもすべてのモンスターを倒した。俺一人の手で…、誰の力も借りずに、姉さんに追い付いたはずじゃなかったのか!!あんなヒグマ一匹に何故、遅れを取る!!!」
ジンオウガにやられた身体が完全じゃないから。
それは言い訳だ。
俺は……。
俺は……!
「ガチャにすら………勝てないじゃないか…!!」
泣いていた。
刀身の中の俺は、俺を睨んだまま泣いていた。
『誰も一匹じゃ、生きていけないにゃ。』
違う、俺は……。
俺は一人で姉さんに追い付いた。
追い付いて……、追い付いてどうなった…?
そこから先の俺はどうしたんだ…。
『自分を追い詰めている。』
そうしなければ強くなれない。
そうしなければ………そうまでしても姉さんに追い付けない…!
モンスターを倒せば自信に繋がると思っていた。
誰の力も借りずに生きていければ、俺は姉さんの目を正面から見れる。
そう信じていたのに…。
俺は結局何も掴めないまま………。
俺の手は……、何も掴めない…。
俺の手は……。
……………………まだ掴めるものがある!
俺は鞘に太刀を納めるとガチャの向かった先へと走った。
ガチャの笛で回復したのは疲労と苦痛だけ。
それでも今の俺には十分だった。
それ以上に、猛るものが……、生まれて初めて心の中に燃えていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
もう……駄目かも…。
走り疲れたし、ウチの武器も盾の代わりに使って壊れちゃった。
ごめんね、旦那さん…。
せっかくお揃いに出来たのに……、ウチの木刀折れちゃった。
「クマーッ!クマーッ!!」
勝ち誇ったように、アオアシラみたいなあいつは吼える。
勝ち、譲ってあげるにゃ…。
ウチ、もう走れない。
足を引っかかれてズキズキ痛むし、お腹を引っかかれてさっきから力が入らないの…。
浅い川に腰から下が浸かったまま倒れちゃったせいで、さっきからずっと血が流れっ放しで、ずっと寒くて仕方がないの…。
「旦那さん……、ウチ…、寂しいにゃ…。」
一匹になるのは嫌。
でも旦那さんが死んじゃうのはもっと嫌…。
だから寂しいのは我慢するの。
だって…、ウチは初めて旦那さんのお役に立てたんだもん。
「寂しいけど……、ウチ…、満足にゃあ……。」
キーンと音が段々と聞こえなくなってくる。
目を閉じれば、アオアシラみたいなあいつの姿も見えないし聞こえない。
身体の感覚も段々となくなっていく。
怖くない。
怖いない。
怖くない。
でも………。
「ウチ……………、旦那さんのこと……怖い人だけど好きだったにゃあ…。」
「クマーッ!!!」
アオアシラが腕を振り下ろす。
ウチは目を閉じて、覚悟を決めた…。
「テメエ、何してくれてやがらぁぁぁぁ!!!!!」
メメタァァァッ
「クマァァァァ!?」
すごい音がして、アオアシラの悲鳴のような声が聞こえて、ウチが目を開けると顔を押さえてアオアシラがゴロゴロと、ウチが爆弾を喰らわせた時のように転がって悶えていた。
「これで貸し借りなしだ、ガチャ!」
「だ……旦那さん…!」
そこにいたのは…、ウチの旦那さんだった。
あれ?
旦那さん、武器しまったまま…?
もしかして素手で殴った!?
「ほれ。」
旦那さんは手に持っていた瓶をウチに投げて寄こした。
割れないように肉球でしっかり受け止めると、中の緑色の液体がタポンと音を鳴らす。
これって…、回復薬グレート…。
「調合は苦手なんだが…、運良く手持ちの回復薬がなくなる前に1つだけ成功した。応急手当だが、飲んでおけ。飲んだら薬草を擦って、傷に塗っておけ。治りが早くなるはずだ。」
旦那さんが……、やさしい…?
「グルルルルル……、クマァーッ!!!!」
ザバッと水飛沫を上げて、アオアシラが体勢を立て直す。
ウチの爆破で焼け爛れた右目から、勢い良く血が流れている。
もしかして………、旦那さんはあの右目を殴ったの…?
「おうおうおう、やっと気が付いたかケダモノ野郎。さっきは悪かったなぁ。テメエを殺ろうってのに、俺の個人的な感情で台無しにしてしまってよぉ。だがなぁ……、だからってガチャを狙うってのは筋違いってもんだ。テメエを殺るなぁ俺だ。」
キンッ、という澄んだ音を立てて旦那さんが鉄刀を抜く。
今度はゆったりと、ウチの目から見ても自信に溢れた動作で太刀を構えた。
「そもそも……。」
「クマーッ!!」
「テメエ、俺の相棒に手を出してんじゃねえ!!」
相棒…?
ウチ……、相棒…?
「旦那さん、良いにゃ…?ウチ、旦那さんの傍にいても良いにゃ…?」
旦那さんは申し訳なさそうな笑顔を浮かべると、一度だけ頷いた。
フルフルと身体が震えて、目が熱くなった。
どんなに怖くても泣かなかったのに…。
どんなに痛くても泣かなかったのに…。
旦那さんに笑顔を向けてもらっただけで、ウチは泣いていた。
「ガチャ、お前は怪我の治療に専念しろ。後は俺が…。」
「俺が、じゃないにゃ…。」
涙を拭いて、旦那さんからもらった回復薬グレートを一気に飲み干すと、まだお腹と足がすっごく痛いけど、とりあえず動ける活力をもらったウチは旦那さんのようにニッコリ笑って立ち上がった。
「旦那さんが相棒って呼んでくれたにゃ。だったら、ウチらは死ぬも生きるも一緒にゃよ。」
「ガチャ………、お前はやつの死角から攻撃しろ。爆弾は?」
「後5発。」
ふっ、と旦那さんが笑う。
「上等!!」
派手に水飛沫を上げて、旦那さんが走る。
ウチは旦那さんの後ろを少し遅れて走り出した。
もう、怖くない。
ウチは本当に一匹じゃなくなった。
ウチは………ずっと旦那さんと一緒にゃ!
「仕掛けるぞ……、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「にゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
渓流に雄叫びが響き渡る。
獣たちは怯え、木々はざわめく。
この日、渓流を荒らしていた超規格外のヒグマは討たれる。
一人と一匹のハンターの手によって、渓流は再び束の間の静寂を取り戻す。
渓流を流れる川のせせらぎを聞きながら、河原に腰かけた男は空を見て微笑んだ。
長らく忘れていた心のゆとりを取り戻し、自分自身というもっとも強固な鎖から解き放たれて、男は傷だらけの身体で嬉しそうに空を仰ぐ。
彼の膝の上には一匹の幼いネコマタ。
ここは自分の縄張りだと言わんばかりに、男の袴を握って、頭を預けてスヤスヤと夢を見る。
男はそんなネコマタの頭を撫でていた。
さて、迎えはまだだろうか。
依頼完了の狼煙を上げて、空に消えていく煙をぼんやりと男は見詰めている。
紅葉舞う渓流。
孤独を強さと思い込んでいた男は、孤独では得られない力を得た。
だが、認めてしまうと心地良く。
男の胸に去来したのは、意外にも爽やかな秋風のような解放だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「いやぁ、人間変われば変わるものだね。」
そう言って、リザードマンのハンターは壁にもたれて話し出した。
首にスカーフを巻き、ハンターシリーズの装備に身を包んだ彼女は、彼の代理として村に留まり続けてくれているハンター、リザードマンのティア。
「そのようですわね。」
彼の変化が嬉しい私は、ニコニコとした笑顔で答えていた。
「しかし、村長も人が悪い…いや、狐が悪いと言ったとこだな。アオアシラがあんな化け物だって知っていながら、彼を送り出したとはね。一歩間違えれば彼は良くてバラバラ、悪くて死体も残らなかっただろうに…。」
「あら、私、勝算なしに人を送り込んだりしませんわ?」
「勝算は……、あったのか?」
勝算、というよりも私は彼の素質に賭けていた。
まったく素質のない者に、古龍が倒せるはずはない。
ましてやG級などという馬鹿げた階級にいけるはずはないのである。
「ふふ、まぁよろしいではありませんか♪彼が無事に帰って来てくれたおかげで、私たちも昨夜は美味しいお酒と美味しい熊鍋にありつけたのですし。」
「う、うん、あれは美味かった。もう残っていないのか?」
「ええ、ガチャちゃんと狼牙さんが残りは全部食べちゃいました♪」
「食欲だけは怪物級、か。」
お風呂に行きませんか、とティアを誘うと彼女は頷いた。
あのアオアシラもどきを彼が狩った今、しばらくは平穏な日々が続くでしょう。
そうなると、彼もティアも出番がなく、日の高い内から温泉に入れるという贅沢が出来る。
「今日は、一杯奢りますわ♪」
「そりゃ助かる。私もジンオウガにこっぴどくやられたばかりで懐が寂しいんだ。」
「旦那さん、良いの!?ウチ、こんな良いものもらっちゃって良いの!?」
「ああ、俺は別にいらんから。」
「わ〜い♪」
嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねるガチャ。
新品のアオアシラ装備を着せてもらって、ガチャは上機嫌だった。
「旦那さん、可愛い?ウチ、可愛いにゃ?」
「ああ、子供らしくて良いと思うぞ?」
「〜〜〜〜〜〜♪ウチ、村長さんにも見せてくるにゃ〜♪」
てってって、と走るガチャを見送って、俺はサイプロクスのオババに支払いをする。
オトモ用の装備は俺たちと規格が違うせいで、意外に高価だ…。
借金が減るどころか増えていくなぁ。
「はい、毎度。」
「なぁ、オババ。俺の太刀、強化出来そうかい?」
「馬鹿言うんじゃないよ。まだまだ素材が足りない。強化したけりゃピッケル持って、炭鉱夫みたいにキンカン掘ってきな。」
その言葉を聞いて溜息を吐く。
ポッケ村にいた時も同じようなやり取りをしたような気がする。
結局、俺たちハンターは『地道』と『根性』の言葉から逃れられないらしい。
「ふぅん?」
「何だよ、オババ。」
「あんた、変わったねぇ。どこが、って訳じゃないけど良い雰囲気になってきたじゃないか。今のあんたなら、少しくらいなら武具費用を負けてやっても良いね。武器を粗末に扱うこともなさそうだしさ。」
頭をワシワシと撫でられた。
慌てて距離を開けると、オババは楽しそうに目を細める。
「なるほど、あんたツンデレだったんだね。」
「違う。」
「でも男のツンデレは、需要が少ないんだからメリットないよ?」
「だから違う。」
第一、ツンデレってなんだよ。
そんなやり取りを交わしていると、また元気良くガチャが駆け戻ってきた。
どうやら村長たちから、望みの言葉をもらったらしい。
「ただいまにゃ♪旦那さん、ウチらもお風呂に行くにゃ。あの狩りの疲れは一晩眠ったくらいじゃ取れないのにゃ。ポカポカお風呂でのんびりして、湯上りのドリンクでリフレッシュするにゃよ〜。ウチが背中流してあげるから、早く早く〜♪」
「お、おい!?」
力強く俺の手を引っ張るガチャ。
そんな俺たちをオババはニヤニヤと見送った。
…不味い、何か変な勘違いをしているぞ。
「旦那さん…。」
不意にガチャが俺の方へ顔を向けた。
目が合うと、嬉しそうに満面の笑みを浮かべるガチャ。
「お揃いにゃ♪」
「何が?」
「旦那さんとお揃い。ほら、旦那さんのほっぺにも三本傷。ウチのほっぺにも三本傷♪」
「うーん……。」
若い娘さんが顔の傷がお揃いって喜ぶのもどうかと思う。
「ウチら腕の違いはあってもハンターにゃ。この道選んだ時から、綺麗な身体でいられるとは思っていなかったにゃよ。でも、ウチも女の子だから痛いのは嫌にゃ。それでもにゃ、それでもにゃ♪大好きな旦那さんとおんなじ傷って思うと嬉しいのにゃ。だって、これがウチらの絆にゃもん♪」
良い笑顔で言われると何も言えなくなる。
だが、俺の手を引くガチャの嬉しそうな顔を見てしまうと、それでも良いかと思えてしまう。
「なら、これからは頼むぜ。相棒」
「にゃん♪お任せにゃ♪」
天高く、里の紅葉は、赤々と。
お、一句出来た。
ガチャに手を引かれて走る昼下がり。
何も手に入れられなかった俺が初めて手に入れることが出来たのは、そんな何でもないような、どこにでもある穏やかで暖かな時間だった。
一方その頃、渓流の某所にて……。
「ハチミツうまうま♪」
大量のハチミツを抱えるようにして舐めまくる一匹の影。
その名もグリズリー変種、アオアシラさん。
つまり、本物のアオアシラである。
「ん〜、何か縄張りが五月蝿そうだけどハチミツが美味しいからどうでも良いや〜♪」
今日も渓流は平和なり。
世はこともなし。
ハチミツが美味しい、馬肥ゆる秋を誰もが満喫しているのであった。
11/07/26 01:48更新 / 宿利京祐
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