ep弐・犬はいなくとも熊退治（前編）
「おおおおおおおおおお！！！」
「にゃああああああ！！！」
斬ッ……
狼牙の振り下ろした太刀が大きな弧を描いて、小型の肉食獣・ジャギィの頭を割る。
グラリと力なく倒れたジャギィは、痙攣を起こしてピクピクと蠢きながら、傷口から噴水のように血を垂れ流して地面を赤く染める。
返り血を浴びた狼牙は太刀を構えたまま、倒れたジャギィを睨み付けていた。
その姿は、まるで無慈悲な鬼神の如く。
「ひ……ひ…。」
その足下にはネコマタのガチャが震えていた。
狼牙の斬撃はガチャごと斬り捨てる勢いだった。
邪魔になればお前ごと斬る、という狼牙の言葉に嘘はなく、ガチャの姿を視界に納めていたにも関わらず狼牙はその太刀を渾身の力を込めて振り下ろしたのだった。
ガチャは未だ痙攣の止まない死に逝くジャギィを見て、心底青くなった。
もしも後少し、回避が遅かったら自分もそこに転がっていたのだ。
「……………ふっ！！」
ピュッ……
痙攣を止めないジャギィの首を、狼牙は再び太刀を振り下ろして刎ねた。
「にゃー！！」
ドバッと吹き出る夥しい出血に、ガチャは悲鳴を上げて顔を背けた。
「……よし、こいつの皮でも鱗でも剥いでおけ。」
ジャギィが死んで、完全に動かなくなったことを確認した狼牙は、ガチャに剥ぎ取りを命じると、自分はさっさと次の標的を探しに歩き始めた。
「だ……、旦那さん…！！」
「………何か用か。」
あまりに素っ気ない狼牙に、ガチャは目に涙を溜めて、涙声で叫ぶように声を振り絞る。
「今…、今ウチごと殺そうとしたにゃ！？」
「だからどうした。」
まったく意に介さない狼牙に、ガチャは何も言えなくなる。
今の狼牙にとって、もっとも必要なのは力なのである。
ただ、ジンオウガの圧倒的な力に届きたい。
無垢な子供のように願うその姿は血生臭くて、子供のガチャにですら容赦なく、孤独で、危うくて、研ぎ澄まされた太刀のように暗く冷たい印象を与えた。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜！！」
ガチャの目に溜めた涙がボロボロと零れる。
だが、ガチャに振り向くことなく歩き出した狼牙は、まったく気付かずにガチャを置いて、どんどん先へと歩き続ける。
「……早く来い。一度村に帰るぞ。」
やはり振り返ることもなく狼牙は、命令するような厳しい口調で言った。
ひっく、ひっく、と泣きじゃくるガチャだったが、声を上げて泣けばまた怒られるかもと思い、狼牙と距離を開け、声を殺して泣きながら後を付いていく。
最悪な滑り出し。
まったく別の意味合いではあったが、奇しくもこの二人の感想は同じだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「おや、お帰り……っとネコは一緒じゃないのかい？」
村に帰ると俺は真っ先に武具工房へと立ち寄った。
工房の外の揺り椅子の上に、ゆったりと寝そべるように腰かけるのは工房の主人で、自分の腕に作れない武具はないと豪語するサイプロクスだ。
本名はわからない。
だが、村人は誰もが彼女のことをオババと呼ぶ。
見た目は、俺より少し年上なくらいにしか見えないのにな…？
「ああ、あいつは先に風呂に行ってる。」
「どうせ、泣かしたんだろう？」
「すぐに泣くようガキだ。」
そう吐き捨てると、オババは読みかけの本を閉じてゆっくり首を振った。
「ガキはどっちだい。」
「ああ！？」
「そうやってすぐ喧嘩腰になるのは若い証拠さね。まぁ、アタシには関係ない話だ。これ以上首を突っ込む気はないよ……で、鎧でも作りに来たんかい？」
オババの言葉にカチンと来たが、言い争っても無駄なので俺は背負っていた太刀を乱暴に工房のカウンターに叩き付けた。
「斬れ味が悪くなった。」
「やれやれ、乱暴な子だねぇ。見せてごら……こりゃあ…。」
「どうした？」
オババは大きな目を瞑って、こめかみを押さえると引き攣った口で言った。
「どんな斬り方をすればここまで駄目になるんだい？」
「何のことだ。」
「刀身に油が回っている。血が染み付いて、なかごが腐りかけてる。骨ごと斬ろうとして鋸みたいに刃こぼれが酷い。よくもまあ……、一回の依頼でここまで出来たものだよ。」
修理は無理だね、とオババは俺の太刀を投げる。
「例え修理したとしても、今度はこれ以上に壊してくれるだろうね。」
「そうでもなければ……、やつに…、ジンオウガに届かない。」
「………馬鹿だね。ジンオウガに惚れちまうなんか正気の沙汰じゃないよ。あいつはこの渓流が産んだ食物連鎖の頂点だよ。ただの人間があんな化け物に敵う訳が……って諦める気はないって顔してるね。」
俺は無言で頷いた。
諦めるならハンターを辞めている。
諦めるくらいなら、あの日、あのまま死んでいる。
「まったく、ハンターってやつは…。どいつもこいつも死にたがりの集まりだよ。よこしな……、何をってツラするんじゃないよ。材料だよ、材料。このまんまじゃ、どうしようもないだろう。少しはマシなものに仕上げてやるから、あんたはその血生臭い身体を風呂で洗って来な。ちょっと拵えが変わっちまうけど、今よりイカした太刀に打ち直してやるよ。」
「ひっく……ひっく…。」
「まあまあ…、そんなことが…。」
「ひどいのにゃ…。旦那さんはウチのことを斬ろうとしたにゃ。」
お風呂に浸かりながら、ウチは村長さんの胸の中で鳴き続けた。
旦那さんが初めから冷たくて、ウチをジャギィごと斬ろうとしたことが悲しくて、身体はお風呂でポカポカになったけど、ウチの心は凍て付く雪山のように寒々してた。
「ウチ……、やっぱりいらない子供だったのにゃ…。」
だからウチは孤児だった。
そう思うと、涙が止まらなくて、悲しくてどうしようもなくなった。
「う〜〜〜〜ん……、ガチャちゃん。」
「……にゃ？」
「本当はハンターさんのプライベートなことは漏らしちゃいけないルールがあるのですけど、絶対に喋らない自信があるなら、一つだけ教えてあげても良いですわよ？」
「……ウチ、口だけは堅いにゃ。」
村長さんが教えてくれた。
旦那さんがここに来る前、ポッケ村にいた頃…。
旦那さんはお姉さんと一緒に狩りをする一流ハンターだったらしいこと。
ただお姉さん以外の人と一緒に狩りに出ることがなく、お姉さんが自分の仲間たちと狩りに出ると、旦那さんはいつも一人だったということ。
オトモも連れず、ただ一人で太刀を振るい続ける旦那さん…。
徹底的にお姉さん以外の人を拒み続けた旦那さん。
だから旦那さんは誰も頼らない。
だから旦那さんはオトモであるウチも頼らない…。
「……そういう経緯があって、彼はあんな性格になっちゃったようなのです。ただ一人で強敵を屠り続けた自信が、たった一匹のジンオウガに砕かれた。そのせいで、あんな性格が加速してしまったような気がしますが、ガチャちゃんもハンターさんも時間を掛けて分かり合えば良いのですよ。だって、彼は借金を返し終わるまで、絶対にこの村から離れられないんですもの♪」
「………うん、ウチ……、頑張る。」
正直な話、旦那さんの性格に若干不安が残っているけど…。
ウチは旦那さんの傍を離れたくない。
だって……、雇用契約とは言っても、初めて出来た家族だもん。
「さて、そろそろ彼もお湯に浸かりに来る頃でしょうね。工房のあの娘に、時間稼ぎしてもらうように頼んでいましたから、そろそろこちらに来る頃ですわ。あ……、そ☆う☆だ、うふふふふふふ…♪こんな可愛いガチャちゃんを苛めた罰と借金のカタついでに、あの重度のシスコンハンターさんにはちょ〜〜〜っと厄介な依頼を引き受けていただきましょうかしら♪」
楽しそうに笑う村長さん。
一体、旦那さんの借金はどれくらいなのか気になったけど、あの旦那さんがまったく頭の上がらない村長さんに、羨望と軽い嫉妬を禁じ得ないウチだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
《依頼内容：渓流にて以上の依頼を申し付けます。
・近頃、渓流の非狩猟エリアにてアオアシラが出没し、
村人が大怪我を追う事態になりました。
温厚なあの娘が何故人を襲ったのか理由が気になりますが、
出来ることなら説得して、渓流の縄張りへと帰るように説得してください。
もしも説得を受け入れていただけない時は…………。
以上のことを申し付けます。
よろしくお頼みしますわね。 あなたの村長より》
依頼内容を書いた木札をしまい込むと、俺は溜息を吐く。
相変わらず休む暇はないが、貧乏暇なしとはよく言ったものだと俺は厭きれる。
説得しろ、ということは、アオアシラなる生物は人化したグリズリーの変種なのだろう。
ジンオウガはただの人化からさらに突然変異を起こした、いや、進化した生物といったとこか。
もしも説得が失敗に終わった場合………、これは駆除しろということだな。
「やれやれだ…。」
空を見上げると突き抜けるような青い空。
ああ、ポッケ村で姉さんと一緒に見た空もこんなに青かったっけな。
生肉を肉焼きセットでグリグリと焼きながら、俺は長閑に空を眺めていた。
あ、大きな鳥の影…。
クック先生は元気に繁殖しているだろうか…。
「だ、だ、旦那さ……。」
ガタガタと面白いぐらいに震えているガチャ。
せっかく人が良い気分で思い出に浸っていたというのに…。
「何だ？」
「さっきからジャギィとか、ブルファンゴを無差別に殺しすぎにゃー！！」
何だ、驚かせやがって。
どうやら別のエリアに行って採取をしてきたらしいな。
ブルファンゴとは……、説明するのも面倒な狂暴なボタン肉。
もとい、ちょっと狂暴で面倒な小型の猪のことである。
「お前だって、さっきこんがり肉を食っただろう。」
「殺したてホヤホヤだって知ってたら食べなかったにゃー！！！」
新しい太刀、『鉄刀』の切れ味を試したいという理由もあったのだが、ガチャと別行動を取っていた俺は、道すがら出会った小型の肉食モンスターから蟲まで、すべてを斬り殺してきた。
どうやらガチャはそこに残してきた大量の死体を見て腰を抜かしたらしい。
「まったく……、良い加減に慣れろよ。」
「死体に慣れたらお終いにゃー！！」
…………それはそうかもしれない。
思えば俺もハンターになりたての頃は、ケルビ一匹斬るのにも怖がっていたような気がする。
まぁ、それも一匹斬ってしまえばどうと言うこともなく。
「ガチャ、お前も一人前のハンター…いや、オトモを目指すんだったら覚えておくんだ。俺たちハンターに『モンスターを斬る』という言葉はない。心の中で『斬る』と思った時には、すでに太刀は振り下ろされている。ぶっ殺すと思った時には、すでに行動し終わっているべきだ。それが理解出来た時、誰もお前のことを『マンモーニ（ママっ子）』と呼ぶことはなくなるだろう。」
「ウチ、マンモーニなんて呼ばれたことないにゃー。」
姉さんの受け売りに、ガチャは歯切れの悪い返事をして頷いた。
俺も最初はそうだった。
姉さんの言葉を、『言葉』ではなく『心』で理解するのに時間がかかったものだ。
俺はガチャを育てるつもりはないが、もしもこいつに相応しい主が現れた時、その心構えを心のどこかに刻んでいてくれたなら、その時はきっと両者の役に立ってくれるだろう。
………む、こんがり肉にまぶす香辛料が切れてしまった。
「ガチャ、ちょっとそこの木からハチミツ取って来い。」
「えー、ハチミツにゃ！？まさか…、まさかそのお肉に…！？」
「ハチミツをぶっかけると絶妙な味が加わるんだ。良いから取って来い。俺はこんがり肉ソムリエの名の下に、火にかけた肉から離れることは出来ない。絶妙な火加減を逃してしまうと、こんがり肉はただのコゲ肉になってしまう。」
「旦那さん、お野菜も取った方が良いにゃ。」
ブツブツ言いながらも、ガチャは蜂の巣の出来ている木に向かった。
木の上から滴り落ちるハチミツを、ガチャはポーチから小瓶に集めながら、機嫌が良くなったのか、２本の尻尾をピコピコと揺らして、俺に聞こえないように小さな声で歌っていた。
「とっろとっろハッチミツ〜。きらきら〜♪」
段々乗ってきたのか、本人も気が付かない内に歌声が大きくなり、軽やかなステップまで踏んで、自分のメロディーと落ちてくるハチミツに合わせて踊り始めた。
さては落ちてくるハチミツを少し舐めているな？
ガサガサガサガサ……
パキッ……
ズン……
ズン……
「にゃ、にゃに！！」
………来たか。
俺が無差別に小型モンスターを斬ったもう一つの理由。
「クックック……、やっぱりこれだけ縄張りを荒らせば嫌でも出て来るってもんだな。ジンオウガにも荒らされてないテメエの縄張りを我が物顔で荒らされて頭に来くさったみてえだな、おい。わざとらしく死骸をそのままにして、テメエの縄張りのど真ん中でのんびりと美味そうな匂いをさせていた甲斐があったってもんだ。ガチャ、戻って来い！！」
俺がガチャを呼び戻そうと叫んだ瞬間だった。
パキパキ………
グボギッ
「にゃー！！！」
たった一撃、腕を振っただけで蜂の巣がぶら下がっていた木が薙ぎ倒された。
間一髪でガチャは難を逃れたが、パラパラと降り注ぐ鋭い破片から身を守るように身体を丸めて、一目散に走って俺の下へと戻ってきた。
だが、俺にガチャを気遣う心など微塵もなかった。
ただ、目の前に現れた強敵に心が震える。
木が薙ぎ倒されて舞い上がった砂埃と、緑の葉の吹雪の向こうにアオアシラがいる。
「良いぜ、良いぜ！ジンオウガに勝るとも劣らぬ膂力、縄張りを荒らされて研ぎ澄まされた凶暴性！とりあえず説得なんざ後回しだ！！テメエを超えて、この縄張り最強の雄になってみせ……る……！？」
砂埃が治まり、緑色の吹雪が治まって見えてきた姿は、
人化したグリズリーの変種などではなく、
あまりに馬鹿馬鹿しくて笑ってしまいたくなるような
１ｔ級の普通の『ヒグマ』だったのである。
無 駄 だ 、 説 得 は 諦 め た ぜ ！ ！
「にゃああああああ！！！」
斬ッ……
狼牙の振り下ろした太刀が大きな弧を描いて、小型の肉食獣・ジャギィの頭を割る。
グラリと力なく倒れたジャギィは、痙攣を起こしてピクピクと蠢きながら、傷口から噴水のように血を垂れ流して地面を赤く染める。
返り血を浴びた狼牙は太刀を構えたまま、倒れたジャギィを睨み付けていた。
その姿は、まるで無慈悲な鬼神の如く。
「ひ……ひ…。」
その足下にはネコマタのガチャが震えていた。
狼牙の斬撃はガチャごと斬り捨てる勢いだった。
邪魔になればお前ごと斬る、という狼牙の言葉に嘘はなく、ガチャの姿を視界に納めていたにも関わらず狼牙はその太刀を渾身の力を込めて振り下ろしたのだった。
ガチャは未だ痙攣の止まない死に逝くジャギィを見て、心底青くなった。
もしも後少し、回避が遅かったら自分もそこに転がっていたのだ。
「……………ふっ！！」
ピュッ……
痙攣を止めないジャギィの首を、狼牙は再び太刀を振り下ろして刎ねた。
「にゃー！！」
ドバッと吹き出る夥しい出血に、ガチャは悲鳴を上げて顔を背けた。
「……よし、こいつの皮でも鱗でも剥いでおけ。」
ジャギィが死んで、完全に動かなくなったことを確認した狼牙は、ガチャに剥ぎ取りを命じると、自分はさっさと次の標的を探しに歩き始めた。
「だ……、旦那さん…！！」
「………何か用か。」
あまりに素っ気ない狼牙に、ガチャは目に涙を溜めて、涙声で叫ぶように声を振り絞る。
「今…、今ウチごと殺そうとしたにゃ！？」
「だからどうした。」
まったく意に介さない狼牙に、ガチャは何も言えなくなる。
今の狼牙にとって、もっとも必要なのは力なのである。
ただ、ジンオウガの圧倒的な力に届きたい。
無垢な子供のように願うその姿は血生臭くて、子供のガチャにですら容赦なく、孤独で、危うくて、研ぎ澄まされた太刀のように暗く冷たい印象を与えた。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜！！」
ガチャの目に溜めた涙がボロボロと零れる。
だが、ガチャに振り向くことなく歩き出した狼牙は、まったく気付かずにガチャを置いて、どんどん先へと歩き続ける。
「……早く来い。一度村に帰るぞ。」
やはり振り返ることもなく狼牙は、命令するような厳しい口調で言った。
ひっく、ひっく、と泣きじゃくるガチャだったが、声を上げて泣けばまた怒られるかもと思い、狼牙と距離を開け、声を殺して泣きながら後を付いていく。
最悪な滑り出し。
まったく別の意味合いではあったが、奇しくもこの二人の感想は同じだった。
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「おや、お帰り……っとネコは一緒じゃないのかい？」
村に帰ると俺は真っ先に武具工房へと立ち寄った。
工房の外の揺り椅子の上に、ゆったりと寝そべるように腰かけるのは工房の主人で、自分の腕に作れない武具はないと豪語するサイプロクスだ。
本名はわからない。
だが、村人は誰もが彼女のことをオババと呼ぶ。
見た目は、俺より少し年上なくらいにしか見えないのにな…？
「ああ、あいつは先に風呂に行ってる。」
「どうせ、泣かしたんだろう？」
「すぐに泣くようガキだ。」
そう吐き捨てると、オババは読みかけの本を閉じてゆっくり首を振った。
「ガキはどっちだい。」
「ああ！？」
「そうやってすぐ喧嘩腰になるのは若い証拠さね。まぁ、アタシには関係ない話だ。これ以上首を突っ込む気はないよ……で、鎧でも作りに来たんかい？」
オババの言葉にカチンと来たが、言い争っても無駄なので俺は背負っていた太刀を乱暴に工房のカウンターに叩き付けた。
「斬れ味が悪くなった。」
「やれやれ、乱暴な子だねぇ。見せてごら……こりゃあ…。」
「どうした？」
オババは大きな目を瞑って、こめかみを押さえると引き攣った口で言った。
「どんな斬り方をすればここまで駄目になるんだい？」
「何のことだ。」
「刀身に油が回っている。血が染み付いて、なかごが腐りかけてる。骨ごと斬ろうとして鋸みたいに刃こぼれが酷い。よくもまあ……、一回の依頼でここまで出来たものだよ。」
修理は無理だね、とオババは俺の太刀を投げる。
「例え修理したとしても、今度はこれ以上に壊してくれるだろうね。」
「そうでもなければ……、やつに…、ジンオウガに届かない。」
「………馬鹿だね。ジンオウガに惚れちまうなんか正気の沙汰じゃないよ。あいつはこの渓流が産んだ食物連鎖の頂点だよ。ただの人間があんな化け物に敵う訳が……って諦める気はないって顔してるね。」
俺は無言で頷いた。
諦めるならハンターを辞めている。
諦めるくらいなら、あの日、あのまま死んでいる。
「まったく、ハンターってやつは…。どいつもこいつも死にたがりの集まりだよ。よこしな……、何をってツラするんじゃないよ。材料だよ、材料。このまんまじゃ、どうしようもないだろう。少しはマシなものに仕上げてやるから、あんたはその血生臭い身体を風呂で洗って来な。ちょっと拵えが変わっちまうけど、今よりイカした太刀に打ち直してやるよ。」
「ひっく……ひっく…。」
「まあまあ…、そんなことが…。」
「ひどいのにゃ…。旦那さんはウチのことを斬ろうとしたにゃ。」
お風呂に浸かりながら、ウチは村長さんの胸の中で鳴き続けた。
旦那さんが初めから冷たくて、ウチをジャギィごと斬ろうとしたことが悲しくて、身体はお風呂でポカポカになったけど、ウチの心は凍て付く雪山のように寒々してた。
「ウチ……、やっぱりいらない子供だったのにゃ…。」
だからウチは孤児だった。
そう思うと、涙が止まらなくて、悲しくてどうしようもなくなった。
「う〜〜〜〜ん……、ガチャちゃん。」
「……にゃ？」
「本当はハンターさんのプライベートなことは漏らしちゃいけないルールがあるのですけど、絶対に喋らない自信があるなら、一つだけ教えてあげても良いですわよ？」
「……ウチ、口だけは堅いにゃ。」
村長さんが教えてくれた。
旦那さんがここに来る前、ポッケ村にいた頃…。
旦那さんはお姉さんと一緒に狩りをする一流ハンターだったらしいこと。
ただお姉さん以外の人と一緒に狩りに出ることがなく、お姉さんが自分の仲間たちと狩りに出ると、旦那さんはいつも一人だったということ。
オトモも連れず、ただ一人で太刀を振るい続ける旦那さん…。
徹底的にお姉さん以外の人を拒み続けた旦那さん。
だから旦那さんは誰も頼らない。
だから旦那さんはオトモであるウチも頼らない…。
「……そういう経緯があって、彼はあんな性格になっちゃったようなのです。ただ一人で強敵を屠り続けた自信が、たった一匹のジンオウガに砕かれた。そのせいで、あんな性格が加速してしまったような気がしますが、ガチャちゃんもハンターさんも時間を掛けて分かり合えば良いのですよ。だって、彼は借金を返し終わるまで、絶対にこの村から離れられないんですもの♪」
「………うん、ウチ……、頑張る。」
正直な話、旦那さんの性格に若干不安が残っているけど…。
ウチは旦那さんの傍を離れたくない。
だって……、雇用契約とは言っても、初めて出来た家族だもん。
「さて、そろそろ彼もお湯に浸かりに来る頃でしょうね。工房のあの娘に、時間稼ぎしてもらうように頼んでいましたから、そろそろこちらに来る頃ですわ。あ……、そ☆う☆だ、うふふふふふふ…♪こんな可愛いガチャちゃんを苛めた罰と借金のカタついでに、あの重度のシスコンハンターさんにはちょ〜〜〜っと厄介な依頼を引き受けていただきましょうかしら♪」
楽しそうに笑う村長さん。
一体、旦那さんの借金はどれくらいなのか気になったけど、あの旦那さんがまったく頭の上がらない村長さんに、羨望と軽い嫉妬を禁じ得ないウチだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
《依頼内容：渓流にて以上の依頼を申し付けます。
・近頃、渓流の非狩猟エリアにてアオアシラが出没し、
村人が大怪我を追う事態になりました。
温厚なあの娘が何故人を襲ったのか理由が気になりますが、
出来ることなら説得して、渓流の縄張りへと帰るように説得してください。
もしも説得を受け入れていただけない時は…………。
以上のことを申し付けます。
よろしくお頼みしますわね。 あなたの村長より》
依頼内容を書いた木札をしまい込むと、俺は溜息を吐く。
相変わらず休む暇はないが、貧乏暇なしとはよく言ったものだと俺は厭きれる。
説得しろ、ということは、アオアシラなる生物は人化したグリズリーの変種なのだろう。
ジンオウガはただの人化からさらに突然変異を起こした、いや、進化した生物といったとこか。
もしも説得が失敗に終わった場合………、これは駆除しろということだな。
「やれやれだ…。」
空を見上げると突き抜けるような青い空。
ああ、ポッケ村で姉さんと一緒に見た空もこんなに青かったっけな。
生肉を肉焼きセットでグリグリと焼きながら、俺は長閑に空を眺めていた。
あ、大きな鳥の影…。
クック先生は元気に繁殖しているだろうか…。
「だ、だ、旦那さ……。」
ガタガタと面白いぐらいに震えているガチャ。
せっかく人が良い気分で思い出に浸っていたというのに…。
「何だ？」
「さっきからジャギィとか、ブルファンゴを無差別に殺しすぎにゃー！！」
何だ、驚かせやがって。
どうやら別のエリアに行って採取をしてきたらしいな。
ブルファンゴとは……、説明するのも面倒な狂暴なボタン肉。
もとい、ちょっと狂暴で面倒な小型の猪のことである。
「お前だって、さっきこんがり肉を食っただろう。」
「殺したてホヤホヤだって知ってたら食べなかったにゃー！！！」
新しい太刀、『鉄刀』の切れ味を試したいという理由もあったのだが、ガチャと別行動を取っていた俺は、道すがら出会った小型の肉食モンスターから蟲まで、すべてを斬り殺してきた。
どうやらガチャはそこに残してきた大量の死体を見て腰を抜かしたらしい。
「まったく……、良い加減に慣れろよ。」
「死体に慣れたらお終いにゃー！！」
…………それはそうかもしれない。
思えば俺もハンターになりたての頃は、ケルビ一匹斬るのにも怖がっていたような気がする。
まぁ、それも一匹斬ってしまえばどうと言うこともなく。
「ガチャ、お前も一人前のハンター…いや、オトモを目指すんだったら覚えておくんだ。俺たちハンターに『モンスターを斬る』という言葉はない。心の中で『斬る』と思った時には、すでに太刀は振り下ろされている。ぶっ殺すと思った時には、すでに行動し終わっているべきだ。それが理解出来た時、誰もお前のことを『マンモーニ（ママっ子）』と呼ぶことはなくなるだろう。」
「ウチ、マンモーニなんて呼ばれたことないにゃー。」
姉さんの受け売りに、ガチャは歯切れの悪い返事をして頷いた。
俺も最初はそうだった。
姉さんの言葉を、『言葉』ではなく『心』で理解するのに時間がかかったものだ。
俺はガチャを育てるつもりはないが、もしもこいつに相応しい主が現れた時、その心構えを心のどこかに刻んでいてくれたなら、その時はきっと両者の役に立ってくれるだろう。
………む、こんがり肉にまぶす香辛料が切れてしまった。
「ガチャ、ちょっとそこの木からハチミツ取って来い。」
「えー、ハチミツにゃ！？まさか…、まさかそのお肉に…！？」
「ハチミツをぶっかけると絶妙な味が加わるんだ。良いから取って来い。俺はこんがり肉ソムリエの名の下に、火にかけた肉から離れることは出来ない。絶妙な火加減を逃してしまうと、こんがり肉はただのコゲ肉になってしまう。」
「旦那さん、お野菜も取った方が良いにゃ。」
ブツブツ言いながらも、ガチャは蜂の巣の出来ている木に向かった。
木の上から滴り落ちるハチミツを、ガチャはポーチから小瓶に集めながら、機嫌が良くなったのか、２本の尻尾をピコピコと揺らして、俺に聞こえないように小さな声で歌っていた。
「とっろとっろハッチミツ〜。きらきら〜♪」
段々乗ってきたのか、本人も気が付かない内に歌声が大きくなり、軽やかなステップまで踏んで、自分のメロディーと落ちてくるハチミツに合わせて踊り始めた。
さては落ちてくるハチミツを少し舐めているな？
ガサガサガサガサ……
パキッ……
ズン……
ズン……
「にゃ、にゃに！！」
………来たか。
俺が無差別に小型モンスターを斬ったもう一つの理由。
「クックック……、やっぱりこれだけ縄張りを荒らせば嫌でも出て来るってもんだな。ジンオウガにも荒らされてないテメエの縄張りを我が物顔で荒らされて頭に来くさったみてえだな、おい。わざとらしく死骸をそのままにして、テメエの縄張りのど真ん中でのんびりと美味そうな匂いをさせていた甲斐があったってもんだ。ガチャ、戻って来い！！」
俺がガチャを呼び戻そうと叫んだ瞬間だった。
パキパキ………
グボギッ
「にゃー！！！」
たった一撃、腕を振っただけで蜂の巣がぶら下がっていた木が薙ぎ倒された。
間一髪でガチャは難を逃れたが、パラパラと降り注ぐ鋭い破片から身を守るように身体を丸めて、一目散に走って俺の下へと戻ってきた。
だが、俺にガチャを気遣う心など微塵もなかった。
ただ、目の前に現れた強敵に心が震える。
木が薙ぎ倒されて舞い上がった砂埃と、緑の葉の吹雪の向こうにアオアシラがいる。
「良いぜ、良いぜ！ジンオウガに勝るとも劣らぬ膂力、縄張りを荒らされて研ぎ澄まされた凶暴性！とりあえず説得なんざ後回しだ！！テメエを超えて、この縄張り最強の雄になってみせ……る……！？」
砂埃が治まり、緑色の吹雪が治まって見えてきた姿は、
人化したグリズリーの変種などではなく、
あまりに馬鹿馬鹿しくて笑ってしまいたくなるような
１ｔ級の普通の『ヒグマ』だったのである。
無 駄 だ 、 説 得 は 諦 め た ぜ ！ ！
11/07/20 23:18更新 / 宿利京祐
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