第七十六話・蝶は飛び立ち、戦場を征く
ロウガにとってそれは望まぬ旗揚げであった。
しかし帝国の危機、理不尽な教会・王国連合軍の侵攻も捨て置けないことだと感じていたために、ロウガは心の底から援軍を断らなかったのは自らの不明と言い聞かせ、進んで戦争へと足を踏み入れた彼女たちが後世に残すかもしれない汚名を、すべて自分の名において被る覚悟を固めた。
援軍として軍を動かすことを、ラピスに正式に伝えると彼は喜び涙した。
「神は…、我らを見放していなかった!」
「神は……、見放している。お前も、帝国も、教会も、王国も、俺も、彼女たちも。神は誰一人見守っていない。ラピス殿、老人の戯言と聞き流してくれても構わん。だが、その脳漿の片隅で覚えておいてくれ。世界は誰に対しても平等だ。すべては平等に見捨てられている。神に愛されているなどという思い上がりが教会のような悲劇を生むのだということを…。」
ラピスはこの時のロウガの言葉を、この旅を振り返った日記に綴っている。
それだけ彼にとってロウガとは異質な存在だったのだろう。
彼はこう残している。
『私は衝撃を受けた。親魔物国家は我々が神を信仰するように、その魔王を絶対的なものと捉えていると思っていた。しかし、彼の目にはそれがないと思える。彼は神を否定した。以前の私ならその言葉にすぐに熱を帯びた反論をしていただろう。だが彼は神の正義も、教会の正義も、そして自分たちの正義すら否定した。絶対者に愛されているという思い上がり、という私…、いや皇帝陛下ですら思いも寄らぬ考えは、如何なる人生を歩んだが故の言葉なのだろうか…。私たちは今こそ考えねばならないのかもしれない。自分たちの世界の殻を打ち破り、まったく異なった世界を、もっと知らなければならない。』
戦争後の世界で、彼は哲学者として名を残す。
その哲学は彼の名をとってラピス論として、戦後哲学3大流派の一つとして隆盛し、後世の人々に様々な影響を与え続けることとなるのである。
出陣の日。
それは大会議室でロウガが押し切られた翌日の晴れた朝だった。
朝日が昇り、あたりが明るくなった頃、中央広場には名もなき町改め、学園都市セラエノを守らんと集まった義勇兵たち2000人がすでに整列し、今か今かとその時を待っていた。
ロウガに内緒でアスティアたちがヘンリー=ガルドに依頼して用意させた、東洋系のデザインで揃えた赤い鎧に身を包んだ2000人は、誇らしげに彼らが選んだ総大将を待ち続けていた。
決して戦争が好きだという人々ではない。
それでも守りたいものがあるからと、各々が自ら剣を取って立ち上がった。
人間の男女、そして魔物たちが入り乱れた集団に、サクラやサイガも混ざっていた。
サイガの妻、コルトは子供が幼いことを理由にロウガが参戦を許さなかった。
「……サクラ、俺は生きて帰るぞ。子供の顔を生きて見たいし、どうせ死ぬのならあの子が嫁に行くのをしっかり見届けてから死にたいからな。」
「…もちろんだよ。僕だってそうさ。マイアさんのために死ぬことは許されない。僕は、約束したんだ…。あの人を支えられるだけの価値ある男になるんだって…。」
二人は拳をぶつけ、互いの無事を祈る。
その時、人々のざわめきが大きくなった。
「ロウガだ!」
その声に誰もが総大将のために設置された壇上に注目した。
彼らと同じ真っ赤な鎧に身を包んだ男は、ゆっくりと壇上に上がると無言のまま彼らを見下ろしていた。
その姿に誰もが息を飲む。
総大将らしい、豪奢な東洋系の魚鱗の鎧。
真っ白になった長い髪を整え髷を作り、普段の彼とは似ても似付かない程、威厳と覚悟を宿した目が義勇兵として集った彼らを見詰めていた。
義勇兵たちは、彼の姿を見て思わず姿勢を正す。
これが自分たちの選んだ総大将なのだと。
この男の下にいる自分たちが彼の名を貶める姿勢を見せてはいけないと。
早朝の静けさの中、ただ無言の対話が続いていた。
やがてロウガが溜息を吐き、口を開いた。
「……今なら、間に合うぞ。」
それは今なら戦場に向かわず、逃げても良いという意思表示。
誰もがその言葉の意味を知っても尚、身動きすらしなかった。
「…今なら間に合うんだ。そうでなければ、この戦争の間…、俺はお前たちの命を駒にしなければならない。お前たちを兵と呼び、俺はお前たちを手足の如く動かさなければならなくなる。それは……、お前たちの知らないロウガという為政者の所業だ。引き返すなら……。」
しかし、誰もそれを聞いても動かない。
ロウガはそんな彼らの思いに感謝した。
それと同時に謝罪していた。
こんな状況にしてしまったこと。
そしてこんな状況になって尚自分を慕ってくれることを。
「ならば……、我が兵たちよ!!」
義勇兵たちがざわめく。
やっとロウガが自分たちを兵と認めた。
彼らはそのことに喜び、静かにその闘志と戦意を高揚させていた。
「我らはこれより、反魔物国家、神聖ルオゥム帝国へと援軍へと赴く!諸君らより500を割いてこれを先鋒とし、傭兵3000と共に帝国の危機に、我らの義を示す。かの帝国は云わば我らの敵とも言えるだろう…。だが、俺たちはこれまでの教会とやらに付き従ったやつらとは違う。傷付き、敵である俺たちに助けを求めた彼らを見捨ててはおけない。だからこれだけは厳守してほしい。これは私闘ではない。帝国を襲う教会に恨みや憎しみが各々に持ち合わせていることは重々承知しているが、その憎しみのまま戦えば諸君らはやつらと同じ所まで堕ちるということを覚えておいてほしい。
行くぞ、お前たちの手で……、世界を目覚めさせるぞ!」
ついに人々から鬨の声が上がる。
それは辺境の小さな町が、やがて世界の分岐点となるための産声のようだった。
―――――――――――――――――――――――
「総大将、紅龍雅!」
「応!」
指名を受け、龍雅は片膝を突いて、総大将の任を引き受けた。
「…この町の連中は腕は立つが、戦というものには慣れていない。多少難儀するとは思うが、ゆっくり慣らしてやってくれ。俺たちの中で戦を経験して、生き抜く術を知っているのはお前だけなんだからな。」
「任せろ。やばい時は逃げるから。」
「………頼むぜ、ほんと。」
ロウガは苦笑いを浮かべた。
だが言葉とは裏腹に龍雅の自信あり気な顔にロウガは安心する。
「副将、アルフォンス!」
「そ、そんな…!ロウガ様、それはどうか別の方にお任せください!!私の如き新参者にそのような大役は、身に余るものでございます!!」
「お前だからこそ頼みたい。お前しかいないんだ。龍雅を公私共に支えてやってくれ。」
「……!?」
「…あいつが話してくれたよ。お前、龍雅に決闘を申し込んだんだってな。それがリザードマンならば求愛行動だ。まったく、あいつのどこが良かったのかね?」
「……その、お互いに…、国と故郷を捨てた身ですし…。お互いに武に行き、武に倒れることを望んだ者同士で気が合ったのもなんですが……、時折見せる寂しげな顔を……、それに気付いてしまうくらいに彼を目で追っている私に気が付いてしまいまして…。」
「必ず、生きて帰れ。生きて帰ったら俺とアスティアで仲人くらいなら引き受けてやるからな。ガーベラに二度も家族を失わせるようなことはするなよ。」
「御意。」
その返事は言い過ぎだ、とロウガは溜息を吐く。
一度天を仰ぎ、深呼吸をするとロウガは副将補佐に意外な人物を指名した。
「副将補佐、サイガ!」
「……え、俺!?」
兵卒の中からサイガは人々を掻き分けて壇上に上がる。
「サイガ、今日限りでバイトはクビだ。お前は龍雅の下で戦を、戦場を学んで来い。手柄を立てようと思うな。アルフォンスと共に龍雅を支えろ。お前にはサクラと共に、これからの学園を担ってもらうつもりだからな。」
それは事実上、サクラを後継者だと公言したものだった。
サイガは震える。
自分と親友が、彼の創った居場所の未来を担うという言葉に。
「…どの程度やれるかわからないけど、やるだけやってみます!」
「期待しているぞ。」
「はい!」
サイガは嬉しさのあまり駆け足で壇上を降りる。
そのまま走って妻のコルトに報告に行ってしまったサイガを、ロウガは彼の若さが羨ましいと笑って見送った。
「参謀、バフォメット……いや、イチゴ!」
「が、学園長殿!ワシの本名は言わない約束じゃろ!!」
彼女のイチゴという本名に、兵卒たちから笑い声が漏れた。
普段の彼女の言動に似合わぬ可愛らしい名前に、戦の前の緊張が薄れていく。
「…そんな約束したっけか?」
「したじゃろ!!ワシが学園で臨時講師を引き受けた時に、最初の契約で交わしたじゃろうが!!!何があってもワシの本名は絶対にバラさないという神聖な契約を忘れたとは言わせんぞー!!!」
「………お前は参謀として先鋒の指揮を任せる。お前の策と趣向を戦場で存分に爆発させて来い。」
「シカトするんじゃないのじゃーーーーーー!!!!」
「…………すまん。お前専用、お前にもっとも相応しい気品ある白馬を用意しておいたから、それで気を直してくれ。」
「え、マジで。ならば許すのじゃ♪」
白馬に跨り、颯爽と戦場を駆け抜ける自分を想像して、イチゴはあっさりとロウガを許す。
しかし、彼から贈られた馬が白馬は白馬でも、彼女の身長に合わせ、ポニーだったとわかった瞬間、彼女のキレっぷりはまさに筆舌に尽くし難く、後々までめでたい酒の席では語られる笑い話として残っている。
この後発表された人事を紹介すると、ドラゴンのダオラを筆頭将軍として、アマゾネスのアキ、双子のエルフのリンとレン、以上の4将軍が抜擢され、リザードマン自警団、アマゾネスたちを含めた兵500と傭兵3000が先鋒隊として、この日の午前中に出立した。
後軍はロウガが指揮し、1000人の兵が補給物資と共に少し送れて出立する。
ロウガの補佐にはアスティアただ一人。
サクラやマイア、そしてアヌビスなどの残った者たちが学園都市の防御、及び砦や防御壁の建造のために残る。
神聖ルオゥム帝国へ向かうセラエノ軍。
ロウガは反対したのだが、龍雅による提案と各諸将たちに押し切られ渋々と採用された真紅の旗に描かれた蝶が、青い空に翻っていた。
―――――――――――――――――――――――
ああ、空が高えなぁ…。
アタシもアマゾネスとして、何度も戦ったり集落の争いに参加したもんだけど、こうして自分たちの旗を掲げて、戦場に赴くなんか思いもしなかったな。
それにしても馬の背中ってのは見晴らしが良いもんだねぇ。
自分で歩かなくて良いってのは楽チン楽チン。
「アキ。」
「………え、ジーク!?」
アタシの旦那、ジークフリードが馬に乗って駆け寄って来た。
「…ジーク、しばらく弁当はいらねえから家で大人しく待っていろって言ったはずだよ。それにその出で立ちはどういうつもりなんだい?」
兵卒と同じ赤い鎧に身を包んだジークは、いつもと変わらない笑顔。
「ロウガに頼んで、アキの副将にしてもらった。」
「……アタシよりも弱いあんたがかい?」
「そりゃあ、俺はアキよりも弱いよ。お前に負けて、お前の旦那に納まっちゃたのが俺たちの馴れ初めだけど、女が戦っているのに、男が指咥えて守られているってのも何だか変な話じゃないか。俺だってこうやって主夫やる前は、剣士の端くれだったんだから任せろよ。」
馬鹿野郎…。
これから戦場に行こうってやつが……、そんな良い笑顔するんじゃないよ…!
アタシだって、あんたと離れたくなかったけど、そうしなきゃ……。
あんたにもしものことがあったら…、アタシはどうやって生きれば良いんだ。
「末期の酒、交わしたじゃないか…。」
「ああ、固めの杯をな。」
「……馬鹿、あんたはもしもの時のために残ってなきゃいけないんだ。アタシが死んだら、一族の誰かとあんたは子供を残さなきゃならない。それがアタシらアマゾネスの掟、アマゾネスの夫たるあんたの役目だ…。」
「それをやるのは構わない。お前がそれを望むんだったら、俺はお前の望む通りに子供を残そう…。でも、例えそうなったとしても、心から愛するのはアキ。お前だけだ。お前の一族の誰かと子供を残そうと、俺は生涯お前を忘れないし、きっとお前以上に誰かを愛することはないよ。」
顔を、まともに見れない。
馬鹿みたいに恥ずかしいセリフを、真顔で言いやがって…。
でも、それはきっと真実。
ジークは……、本当にアタシだけを愛し続ける。
永遠なんて言葉は存在しないのに、永遠にその愛がそこにあり続けると錯覚してしまうくらい、アタシを愛してくれる。
「………アキ、死ぬ時は……、一緒だよ。」
「―――――っ。」
駄目だ……。
戦場に征こうかってしているのに、泣いたら駄目だ…!
「……ば、馬鹿…!」
「馬鹿で結構。そうでもないと、アキと一緒に生きていけない。」
「…………ジーク、それでも駄目だ。一緒には死んでやれない。」
駄目かい、という顔をしてジークはアタシを見る。
アタシはそんな旦那に首を振って答えた。
「一緒に死んでやるもんか!あんたは絶対アタシが守る。あんたが天寿を全うするまでアタシがずっと守り続けてやる!だから、生き残るぞ…。」
「おう、俺だってしぶとさだけは負けねえからな!」
今の今まで、アタシは死んでも町の連中やアタシの生徒たちを守るつもりでいた。
でももう死ぬ気はない。
絶対に、力の限り生き残ってジークを、生徒たちを守り続けてやる。
……何だか、学園長に乗せられた気がする。
あのおっさん、こういう仕返しが好きそうだもんな。
「アキ、絶対生き残ろうな。俺たちの未来のために。」
「ああ、しぶとく生き残ってやろう。あんたとアタシの生徒たちのために!」
……ああ、空が高い。
空ってこんなにでかくて、高くて、綺麗なものだったんだな。
「アキ、泣いてるの?」
「……うるせえ。」
上を向いていないと、涙がこぼれちまうじゃないか!
そこは、わかってても黙ってくれよ……。
本当に気が回らない男だよ。
アタシの……、最愛の人は…、さ。
しかし帝国の危機、理不尽な教会・王国連合軍の侵攻も捨て置けないことだと感じていたために、ロウガは心の底から援軍を断らなかったのは自らの不明と言い聞かせ、進んで戦争へと足を踏み入れた彼女たちが後世に残すかもしれない汚名を、すべて自分の名において被る覚悟を固めた。
援軍として軍を動かすことを、ラピスに正式に伝えると彼は喜び涙した。
「神は…、我らを見放していなかった!」
「神は……、見放している。お前も、帝国も、教会も、王国も、俺も、彼女たちも。神は誰一人見守っていない。ラピス殿、老人の戯言と聞き流してくれても構わん。だが、その脳漿の片隅で覚えておいてくれ。世界は誰に対しても平等だ。すべては平等に見捨てられている。神に愛されているなどという思い上がりが教会のような悲劇を生むのだということを…。」
ラピスはこの時のロウガの言葉を、この旅を振り返った日記に綴っている。
それだけ彼にとってロウガとは異質な存在だったのだろう。
彼はこう残している。
『私は衝撃を受けた。親魔物国家は我々が神を信仰するように、その魔王を絶対的なものと捉えていると思っていた。しかし、彼の目にはそれがないと思える。彼は神を否定した。以前の私ならその言葉にすぐに熱を帯びた反論をしていただろう。だが彼は神の正義も、教会の正義も、そして自分たちの正義すら否定した。絶対者に愛されているという思い上がり、という私…、いや皇帝陛下ですら思いも寄らぬ考えは、如何なる人生を歩んだが故の言葉なのだろうか…。私たちは今こそ考えねばならないのかもしれない。自分たちの世界の殻を打ち破り、まったく異なった世界を、もっと知らなければならない。』
戦争後の世界で、彼は哲学者として名を残す。
その哲学は彼の名をとってラピス論として、戦後哲学3大流派の一つとして隆盛し、後世の人々に様々な影響を与え続けることとなるのである。
出陣の日。
それは大会議室でロウガが押し切られた翌日の晴れた朝だった。
朝日が昇り、あたりが明るくなった頃、中央広場には名もなき町改め、学園都市セラエノを守らんと集まった義勇兵たち2000人がすでに整列し、今か今かとその時を待っていた。
ロウガに内緒でアスティアたちがヘンリー=ガルドに依頼して用意させた、東洋系のデザインで揃えた赤い鎧に身を包んだ2000人は、誇らしげに彼らが選んだ総大将を待ち続けていた。
決して戦争が好きだという人々ではない。
それでも守りたいものがあるからと、各々が自ら剣を取って立ち上がった。
人間の男女、そして魔物たちが入り乱れた集団に、サクラやサイガも混ざっていた。
サイガの妻、コルトは子供が幼いことを理由にロウガが参戦を許さなかった。
「……サクラ、俺は生きて帰るぞ。子供の顔を生きて見たいし、どうせ死ぬのならあの子が嫁に行くのをしっかり見届けてから死にたいからな。」
「…もちろんだよ。僕だってそうさ。マイアさんのために死ぬことは許されない。僕は、約束したんだ…。あの人を支えられるだけの価値ある男になるんだって…。」
二人は拳をぶつけ、互いの無事を祈る。
その時、人々のざわめきが大きくなった。
「ロウガだ!」
その声に誰もが総大将のために設置された壇上に注目した。
彼らと同じ真っ赤な鎧に身を包んだ男は、ゆっくりと壇上に上がると無言のまま彼らを見下ろしていた。
その姿に誰もが息を飲む。
総大将らしい、豪奢な東洋系の魚鱗の鎧。
真っ白になった長い髪を整え髷を作り、普段の彼とは似ても似付かない程、威厳と覚悟を宿した目が義勇兵として集った彼らを見詰めていた。
義勇兵たちは、彼の姿を見て思わず姿勢を正す。
これが自分たちの選んだ総大将なのだと。
この男の下にいる自分たちが彼の名を貶める姿勢を見せてはいけないと。
早朝の静けさの中、ただ無言の対話が続いていた。
やがてロウガが溜息を吐き、口を開いた。
「……今なら、間に合うぞ。」
それは今なら戦場に向かわず、逃げても良いという意思表示。
誰もがその言葉の意味を知っても尚、身動きすらしなかった。
「…今なら間に合うんだ。そうでなければ、この戦争の間…、俺はお前たちの命を駒にしなければならない。お前たちを兵と呼び、俺はお前たちを手足の如く動かさなければならなくなる。それは……、お前たちの知らないロウガという為政者の所業だ。引き返すなら……。」
しかし、誰もそれを聞いても動かない。
ロウガはそんな彼らの思いに感謝した。
それと同時に謝罪していた。
こんな状況にしてしまったこと。
そしてこんな状況になって尚自分を慕ってくれることを。
「ならば……、我が兵たちよ!!」
義勇兵たちがざわめく。
やっとロウガが自分たちを兵と認めた。
彼らはそのことに喜び、静かにその闘志と戦意を高揚させていた。
「我らはこれより、反魔物国家、神聖ルオゥム帝国へと援軍へと赴く!諸君らより500を割いてこれを先鋒とし、傭兵3000と共に帝国の危機に、我らの義を示す。かの帝国は云わば我らの敵とも言えるだろう…。だが、俺たちはこれまでの教会とやらに付き従ったやつらとは違う。傷付き、敵である俺たちに助けを求めた彼らを見捨ててはおけない。だからこれだけは厳守してほしい。これは私闘ではない。帝国を襲う教会に恨みや憎しみが各々に持ち合わせていることは重々承知しているが、その憎しみのまま戦えば諸君らはやつらと同じ所まで堕ちるということを覚えておいてほしい。
行くぞ、お前たちの手で……、世界を目覚めさせるぞ!」
ついに人々から鬨の声が上がる。
それは辺境の小さな町が、やがて世界の分岐点となるための産声のようだった。
―――――――――――――――――――――――
「総大将、紅龍雅!」
「応!」
指名を受け、龍雅は片膝を突いて、総大将の任を引き受けた。
「…この町の連中は腕は立つが、戦というものには慣れていない。多少難儀するとは思うが、ゆっくり慣らしてやってくれ。俺たちの中で戦を経験して、生き抜く術を知っているのはお前だけなんだからな。」
「任せろ。やばい時は逃げるから。」
「………頼むぜ、ほんと。」
ロウガは苦笑いを浮かべた。
だが言葉とは裏腹に龍雅の自信あり気な顔にロウガは安心する。
「副将、アルフォンス!」
「そ、そんな…!ロウガ様、それはどうか別の方にお任せください!!私の如き新参者にそのような大役は、身に余るものでございます!!」
「お前だからこそ頼みたい。お前しかいないんだ。龍雅を公私共に支えてやってくれ。」
「……!?」
「…あいつが話してくれたよ。お前、龍雅に決闘を申し込んだんだってな。それがリザードマンならば求愛行動だ。まったく、あいつのどこが良かったのかね?」
「……その、お互いに…、国と故郷を捨てた身ですし…。お互いに武に行き、武に倒れることを望んだ者同士で気が合ったのもなんですが……、時折見せる寂しげな顔を……、それに気付いてしまうくらいに彼を目で追っている私に気が付いてしまいまして…。」
「必ず、生きて帰れ。生きて帰ったら俺とアスティアで仲人くらいなら引き受けてやるからな。ガーベラに二度も家族を失わせるようなことはするなよ。」
「御意。」
その返事は言い過ぎだ、とロウガは溜息を吐く。
一度天を仰ぎ、深呼吸をするとロウガは副将補佐に意外な人物を指名した。
「副将補佐、サイガ!」
「……え、俺!?」
兵卒の中からサイガは人々を掻き分けて壇上に上がる。
「サイガ、今日限りでバイトはクビだ。お前は龍雅の下で戦を、戦場を学んで来い。手柄を立てようと思うな。アルフォンスと共に龍雅を支えろ。お前にはサクラと共に、これからの学園を担ってもらうつもりだからな。」
それは事実上、サクラを後継者だと公言したものだった。
サイガは震える。
自分と親友が、彼の創った居場所の未来を担うという言葉に。
「…どの程度やれるかわからないけど、やるだけやってみます!」
「期待しているぞ。」
「はい!」
サイガは嬉しさのあまり駆け足で壇上を降りる。
そのまま走って妻のコルトに報告に行ってしまったサイガを、ロウガは彼の若さが羨ましいと笑って見送った。
「参謀、バフォメット……いや、イチゴ!」
「が、学園長殿!ワシの本名は言わない約束じゃろ!!」
彼女のイチゴという本名に、兵卒たちから笑い声が漏れた。
普段の彼女の言動に似合わぬ可愛らしい名前に、戦の前の緊張が薄れていく。
「…そんな約束したっけか?」
「したじゃろ!!ワシが学園で臨時講師を引き受けた時に、最初の契約で交わしたじゃろうが!!!何があってもワシの本名は絶対にバラさないという神聖な契約を忘れたとは言わせんぞー!!!」
「………お前は参謀として先鋒の指揮を任せる。お前の策と趣向を戦場で存分に爆発させて来い。」
「シカトするんじゃないのじゃーーーーーー!!!!」
「…………すまん。お前専用、お前にもっとも相応しい気品ある白馬を用意しておいたから、それで気を直してくれ。」
「え、マジで。ならば許すのじゃ♪」
白馬に跨り、颯爽と戦場を駆け抜ける自分を想像して、イチゴはあっさりとロウガを許す。
しかし、彼から贈られた馬が白馬は白馬でも、彼女の身長に合わせ、ポニーだったとわかった瞬間、彼女のキレっぷりはまさに筆舌に尽くし難く、後々までめでたい酒の席では語られる笑い話として残っている。
この後発表された人事を紹介すると、ドラゴンのダオラを筆頭将軍として、アマゾネスのアキ、双子のエルフのリンとレン、以上の4将軍が抜擢され、リザードマン自警団、アマゾネスたちを含めた兵500と傭兵3000が先鋒隊として、この日の午前中に出立した。
後軍はロウガが指揮し、1000人の兵が補給物資と共に少し送れて出立する。
ロウガの補佐にはアスティアただ一人。
サクラやマイア、そしてアヌビスなどの残った者たちが学園都市の防御、及び砦や防御壁の建造のために残る。
神聖ルオゥム帝国へ向かうセラエノ軍。
ロウガは反対したのだが、龍雅による提案と各諸将たちに押し切られ渋々と採用された真紅の旗に描かれた蝶が、青い空に翻っていた。
―――――――――――――――――――――――
ああ、空が高えなぁ…。
アタシもアマゾネスとして、何度も戦ったり集落の争いに参加したもんだけど、こうして自分たちの旗を掲げて、戦場に赴くなんか思いもしなかったな。
それにしても馬の背中ってのは見晴らしが良いもんだねぇ。
自分で歩かなくて良いってのは楽チン楽チン。
「アキ。」
「………え、ジーク!?」
アタシの旦那、ジークフリードが馬に乗って駆け寄って来た。
「…ジーク、しばらく弁当はいらねえから家で大人しく待っていろって言ったはずだよ。それにその出で立ちはどういうつもりなんだい?」
兵卒と同じ赤い鎧に身を包んだジークは、いつもと変わらない笑顔。
「ロウガに頼んで、アキの副将にしてもらった。」
「……アタシよりも弱いあんたがかい?」
「そりゃあ、俺はアキよりも弱いよ。お前に負けて、お前の旦那に納まっちゃたのが俺たちの馴れ初めだけど、女が戦っているのに、男が指咥えて守られているってのも何だか変な話じゃないか。俺だってこうやって主夫やる前は、剣士の端くれだったんだから任せろよ。」
馬鹿野郎…。
これから戦場に行こうってやつが……、そんな良い笑顔するんじゃないよ…!
アタシだって、あんたと離れたくなかったけど、そうしなきゃ……。
あんたにもしものことがあったら…、アタシはどうやって生きれば良いんだ。
「末期の酒、交わしたじゃないか…。」
「ああ、固めの杯をな。」
「……馬鹿、あんたはもしもの時のために残ってなきゃいけないんだ。アタシが死んだら、一族の誰かとあんたは子供を残さなきゃならない。それがアタシらアマゾネスの掟、アマゾネスの夫たるあんたの役目だ…。」
「それをやるのは構わない。お前がそれを望むんだったら、俺はお前の望む通りに子供を残そう…。でも、例えそうなったとしても、心から愛するのはアキ。お前だけだ。お前の一族の誰かと子供を残そうと、俺は生涯お前を忘れないし、きっとお前以上に誰かを愛することはないよ。」
顔を、まともに見れない。
馬鹿みたいに恥ずかしいセリフを、真顔で言いやがって…。
でも、それはきっと真実。
ジークは……、本当にアタシだけを愛し続ける。
永遠なんて言葉は存在しないのに、永遠にその愛がそこにあり続けると錯覚してしまうくらい、アタシを愛してくれる。
「………アキ、死ぬ時は……、一緒だよ。」
「―――――っ。」
駄目だ……。
戦場に征こうかってしているのに、泣いたら駄目だ…!
「……ば、馬鹿…!」
「馬鹿で結構。そうでもないと、アキと一緒に生きていけない。」
「…………ジーク、それでも駄目だ。一緒には死んでやれない。」
駄目かい、という顔をしてジークはアタシを見る。
アタシはそんな旦那に首を振って答えた。
「一緒に死んでやるもんか!あんたは絶対アタシが守る。あんたが天寿を全うするまでアタシがずっと守り続けてやる!だから、生き残るぞ…。」
「おう、俺だってしぶとさだけは負けねえからな!」
今の今まで、アタシは死んでも町の連中やアタシの生徒たちを守るつもりでいた。
でももう死ぬ気はない。
絶対に、力の限り生き残ってジークを、生徒たちを守り続けてやる。
……何だか、学園長に乗せられた気がする。
あのおっさん、こういう仕返しが好きそうだもんな。
「アキ、絶対生き残ろうな。俺たちの未来のために。」
「ああ、しぶとく生き残ってやろう。あんたとアタシの生徒たちのために!」
……ああ、空が高い。
空ってこんなにでかくて、高くて、綺麗なものだったんだな。
「アキ、泣いてるの?」
「……うるせえ。」
上を向いていないと、涙がこぼれちまうじゃないか!
そこは、わかってても黙ってくれよ……。
本当に気が回らない男だよ。
アタシの……、最愛の人は…、さ。
11/02/04 20:08更新 / 宿利京祐
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