第六話 魔人武術の伝授
「魔人武術と呼ばれる武術がある」
エドは言った。その手には二振りの剣がそれぞれ握られている。
刃は諸刃、全長はエドの身の丈ほどもあり、人間では構えることすら難しいだろうとイーサンは思った。
「魔物は基本的に、人間よりも強い。だが、魔物の中にも戦うことが苦手な種族が居る。ラタトスクである俺の先輩もそうだし、パピヨンであるプラムもそうだろう?」
イーサンは頷いた。
グリーンワームの頃のプラムなら、襲われそうになっても触角から発せられる匂いで敵を撃退できるが、今のプラムが戦う姿など想像できない。
現に主神騎士たちに対して何もできなかった。自分も含めて。その時の記憶が蘇り、イーサンは奥歯を噛みしめる。
エドは続ける。
「ある日、そういった戦えない魔物を伴侶とした男の抵抗むなしく、彼らが魔物狩人に狩られるという事件が起きた。これに危機感を持った魔王軍は、インキュバスが扱えて、なおかつ習得が容易な武術を求めた。伴侶を守りたいが、力が足りないと嘆く者がそれだけ多かったんだな。世界各国から武術の心得を持つあらゆるインキュバスが集められて、会議が開かれた。俺も参加したんだが、元勇者だとか、不死身の傭兵と呼ばれた男だとかも来ていて、とにかくすごい顔ぶれだった」
その会議の事を思い出したのか、エドは感慨深そうに頷いた。
「志望者に初歩的な剣技を学ばせればいい、という案。魔法書の無料配布を行えばいい、という案。色々な案が出たが、個人の資質や住んでいる場所の違いが大きすぎた。会議の末、『インキュバスの身体能力と魔力を用いた新しい武術』を考案し、それを広めるという案が採用された。それが『魔人武術』だ」
エドの表情が真剣さを帯びた。
「話は終わりだ。これより、魔人武術をお前に教える」
イーサンは息を呑んで身構える。
エドとイーサンが居るのは、避難所の最下層にある訓練場だ。
木人や訓練用の木剣などが置かれた広い部屋で、床には砂が敷き詰められている。
エドは、二振りの剣を床に突き刺した。
「まずは、これを使え」
そう言ってイーサンに差し出したのは、握りこぶしほどの丸い石だ。
表面にはびっしりと細かい文様が描かれている。
「これは?」
「エムリス石。魔人武術を世に広めるために、うちの魔術師が発明した、人の経験を記録できる石だ。魔力を通して再生すれば、その経験を学ぶことができる」
「どうやって使えば?」
「額に当てて、目を閉じろ。石が勝手に魔力を使って、記録が再生される」
イーサンはいまいちピンと来ないながらも、エムリス石を額に当てて目を閉じた。
映像が頭の中に流れ込んでくる。
狭い一室の中。水の中にいるように視界がぼやけていて、目の前で豊満な体をしたスキュラが激しく喘いでいる。
自分ではない男の悲鳴じみた喘ぎ声。どうやら記録の主のようだ。手足を触手で拘束され、半ば強制的に性交させられている。
『アアアアアア!!!パスティナ!いきなり神経接続魔法は!やめっ!!?』
『んっ!ビクビクって、すごい……私もずっとイキっぱなしだから、頭が痺れちゃうでしょ?ゆっくり動いてあげる』
とん、とん、とスキュラの腰がねっとりと動き、男の呼吸が荒くなっていく。
『はあはあ……もう、これ以上は……』
『だーめ、せっかくクイン・ディアナまで来たんだから、もっと楽しみましょ?』
『休憩させて……』
『今してるでしょ?そうだ、お尻に入れたら元気になるかしら』
その一言と共に、スキュラの嗜虐的な笑みが目前に迫る……
「なんですかこれ!?」
いきなり頭に流れ込んできた光景に、思わず石を床に叩きつけた。
「ん?どうかしたか?」
「どうしたも何も!これのどこが武術なんですか!」
「馬鹿な。世界中の武術家が考え合った武術だぞ。それを武術と言わずして何が武術なんだ」
「じゃあ、見てみて下さいよ」
イーサンが石を拾い上げて渡すと、エドはそれを額に当てた。
そして、すぐに離した。
「あー、これは……間違えた。友人の旅行土産だ」
「でしょう?」
「悪かったな。こっちが本物だ」
そう言って、エドは別のエムリス石を取り出してイーサンに渡した。
イーサンは疑いの目を向ける。
「今度は本物ですよね」
「大丈夫だ。いいから再生してみろ」
「わかりました……」
イーサンはしぶしぶと石を額に当てた。
石が光を放ち、イーサンの頭の中に光が吸い込まれていく。あらゆる武器を使った武術の基礎、基本的な技の数々。それが光と共に流れ込んでくる。
光が収まると、イーサンは目を開けて、驚いた顔で石を見つめた。
「すごい……」
「どうだ?」
「何年も修行したような気分です。身体に武術の動きが染み込むような」
「よし、次は実践といくか」
エドは部屋の端から、木人を運んできた。
硬い木の丸太を削ったもので、見るからに頑丈そうに作られている。
「戦いの基本は格闘だ。こいつを思いっきり殴ってみろ」
「え?そんなことをしたら、手が痛いんじゃ……」
「そうならないための魔人武術だ。拳に魔力を込めてみろ」
エドが両手に拳を作ると、拳を緑色の光が包み込んだ。
イーサンもエムリス石の記録を基に、拳に魔力を帯びさせると、拳は黄色の光に包まれた。
「それが、魔人武術の基本だ。魔力で強化した拳や剣で、敵を倒す」
「どうして、俺の魔力と、エドさんの魔力の色が違うんですか?」
「サバトの研究によると、伴侶にした魔物によって違うらしいが、詳しくは分かっていない。まあ、気にするな。魔力は魔力だ」
「分かりました」
イーサンは気を取り直して、木人に向かい合うと、頭にあたる部分に拳を叩き込んだ。
バシッ!という小気味よい音と共に、木人の表面が円形に歪んだ。
その威力に反して、拳は魔力に守られているおかげか、痛みは全くない。
「いいぞ!殴りまくれ!」
「はい!」
ストレート、アッパー、フック、ボディブロー。
回し蹴り、かかと落とし、前蹴り、飛び膝蹴り。
エムリス石の記録にあった基本的な技を、自分なりに組み合わせつつ、木人に叩き込んでいく。
インキュバスの体力のおかげか、息はまったく切れない。
夢中に技を叩き込んでいくうちに、それが楽しくなっていくのを感じていた。
何度も、何度も、魔力を帯びた拳が木人に叩き込まれていく。
そこまで。とエドに止められた時には、木人はハンマーでボコボコにされたような無残な姿になっていた。
「上出来だ。次は剣を使ってみるか」
エドは床に刺した二本の剣のうち、一本をイーサンに渡すと、もう一本を両手で握ってイーサンに向けて構えた。
イーサンも同じように構えてみると、インキュバスの筋力のおかげか、剣の長さのわりに素直に構えることができた。
「魔力を込めてみろ」
エドの言葉に従って魔力を込めると、イーサンの剣は黄色の光を帯びて輝いた。
エドの剣も魔力を帯びて、緑色に輝いている。
こうして魔力を帯びた剣を向けあっていると、今にも打ち合いが始まりそうな空気になっていくのを感じて、イーサンはあわてて聞いた。
「あの、最初は木剣とかで打ち合いしないんですか?」
「時間が無い。それに、この剣は魔界銀で出来ている」
エドが剣の刃に指を滑らせた。
だが、深く切ったはずの指から血が流れるどころか、そこには切り傷すらできていない。
「魔界銀の刃は肉の代わりに魔力を斬る。木剣で打ち合ってケガするよりも安全というわけだ」
言うがいなや、エドはイーサンに斬りかかった。
イーサンはとっさにそれを受け流すと、首を狙って突きを繰り出す。
突きをかわしたエドは、距離を取って構え直す。
エドは自分の身体に染み付いた剣の技に驚いた。それに、魔力が通っているおかげか、自分の手足のように剣を動かせる。
「いいぞ。次はそっちから打ってこい」
「はい!」
イーサンが袈裟斬りで斬りかかると、エドはそれを弾いて逆袈裟で返す。
逆袈裟を斬り上げで受けて火花が散る。数度、剣の打ち合いが続き、イーサンの胴薙ぎをエドは受け流し、立ち位置が入れ替わる。
黄色の軌跡と緑色の軌跡が交差し、ぶつかり合い、火花を散らす。
何度も立ち位置を入れ替えながら打ち合いは続き、エドの斜め右下からの切り上げを受けようとした時だった。
エドの剣が消え、頭上に緑色の弧月が描かれた。
気が付くと、イーサンの首元にエドの剣が突き付けられていた。
「見えたか?」
エドの問いに、イーサンは頷いた。
「はっきりと」
「虚式・おぼろ残月。最後の手段に取っておくといい」
エドは剣を下ろし、ふうと一息ついた。剣の光が消えていた。
イーサンも疲れを感じ、剣に魔力を流すのを止めた。
「エド!大変だよ!」
その時、扉が勢いよく開かれて、ミールが飛び込んできた。その後ろにはプラムの姿もある。
「先輩、どうしたんです?ため込んでいたクルミを盗られたんですか?」
「私はリスじゃない!そうじゃなくて、これを見て!」
ミールが見せたのは、ガラスの管のようなものがはめ込まれた木の板だった。
ガラスの管には目盛りが刻まれていて、中は目盛りいっぱいまで赤い色の液体で満たされている。
エドはそれを驚きの表情で見つめた。
「魔力計が振り切ってるじゃないですか。どこで測ったんです?」
「主神騎士団の大教会。魔力の感知が得意な子が教えてくれたの。それで、プラムちゃんに上空から測ってもらったら……」
「プラムが!?」
イーサンはプラムの方に素早く振り向いた。
「プラム、何かあったらどうするんだ!?」
プラムは真剣なまなざしで、イーサンを見つめた。
「イーサンのために、何かしてあげられないかと思ったの」
「主神騎士に見つかったらどうなるか分かっているのか!?プラムが居なくなったら俺は……」
「イーサン」
エドが横口を挟んだ。
「お前が俺の任務を手伝う時、プラムはお前を見送らなきゃならないんだ。この意味が分かるか?」
「どういうことです?」
「先輩は俺が任務を遂行できるように、全力で情報を集めてくれる。最後は俺を信じて、見送る事しかできないからだ。プラムも、どんなにお前の支えたとしても、最後はお前を信じて見送る事しかできない。だから、お前のためにできることはなんでもする。分かるか?」
「……はい」
イーサンはうなだれた。プラムの気持ちを汲んでやれない自分が情けなくなってしまう。
そんなイーサンの傍に、プラムはそっと寄り添った。
「気にしないで。イーサンが私のことを大切に思ってくれてるって、たくさん知ってるから」
「プラム……」
しんみりとした雰囲気の中、ぷぷぷと笑いを漏らしたのはミールだ。
それから、人差し指でつんつんと、エドのわき腹をつつく。
「エドのおせっかい焼き〜。ほんとは優しいんだ〜」
「うるさいです。後でぶち犯しますよ。それで、魔力計が振り切った原因は?」
ミールは思案に暮れている。
「わからない。けど、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「主神騎士団の誰かが魔物化したとか」
今度はエドが思案に暮れる番だった。主神騎士団の戦力に、もしも魔物が加わった場合、任務の難易度は格段に跳ね上がるだろう。
ふと、エドは懐から不別のオーブを取り出した。
オーブは赤い光を放っていた。サリアの救援信号だ。
「誘われていますね……」
「うん、私もそう思う」
エドは、プラムに慰められているイーサンの方を向いた。
「イーサン」
「はい、なんですか?」
「2時間後に任務に出発する。魔力を充填しておけ」
「はい……って、魔力を充填?」
「あー、アレだよアレ。分かるだろ?」
「……あっ!」
イーサンは魔力充填の意味を察して、顔を赤らめた。
まだインキュバスになって日が浅いせいか、魔物の価値観に染まりきれていない。
ばつが悪そうに頭をかくエドのわき腹を、ミールがつんつんとつついた。
「アレだってさ。アレって何かな?口では言えない事なのかな?ミールお姉さんに教えてくれないかな?かな?ひゃあ!?」
突然悲鳴を上げたのは、エドが尻尾をわし掴んだためである。
そのまま、エドはミールをがっちりと脇に抱えると、世にも恐ろしい声で言った。
「先輩、覚悟はできてますよね」
「ひゃ〜!犯されるー!殺される―!」
かん高い悲鳴と共に、二人は訓練場から去っていった。
二人が去るのをぽかんと見ていたイーサンとプラムは、はっと見つめ合うと、どちらともなく手をつないだ。
「……部屋に行くか」
「……うん」
二人は初々しい恋人のように顔を赤らめると、訓練場を後にした。
20/10/29 01:34更新 / KSニンジャ
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