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第七話 天使に堕とされる日

懲罰房の中で、一つの影がうずくまっている。
一つしかない小さな窓からの光が、主神騎士の鎧と、男の顔を照らし出す。
強い意志を秘めた瞳だった。
その姿を、イーサンかプラムが見れば、ガレスの凶刃から二人を守ってくれたあの騎士だと気付いたはずである。
扉の外の足音に気づき、男は立ち上がる。
男は主神騎士の中でも古株の部類に入る。みっともない姿を晒すのは騎士の誇りが許さない。
果たして、扉を開いたのは、男に背信の容疑をかけて懲罰房送りにした本人だった。
「マーティン、生きてるか?」
冗談交じりの親しげな声である。
廊下の明かりを背にしたガレスは、影を纏ってマーティンの前に立っていた。
「ガレス、どういうつもりだ?」
「何が?」
「騎士団の仲間を次々に魔物に変え、しかもあらぬ容疑で俺をこんなところに入れるとは。すぐに緊急会議を開いて、お前を騎士団から追い出してやる!」
「仮に会議を開いたとして、誰がお前の味方をする?」
「まだ魔物にされていない騎士がいるはずだ」
ガレスは忍び笑いを漏らした。
「そんな奴はもう居ないんだよ。魔物になっていないのはお前だけだ。」
「なんだと!?」
ガレスは小さな木の実を取り出して、マーティンに見せた。
「それは?」
「虜の果実だよ。団員と関係が深い女に、ずっとこいつを食わせていた。封鎖中で食べ物がこれしかないって言ったら、簡単に食べてくれた。サキュバスになった女と生真面目な騎士どもが結ばれるのは、ちょっとした見ものだったな」
「なんてことを……」
マーティンは目を覆った。
主神騎士であるマーティンにとって、魔物化は死よりも苦しい事である。
「……どこでそれを?」
「街の門で商人どもからせっせと集めてくれただろ?忘れたのか?」
マーティンはかつて街門で行われていた、厳しい検査を思い出す。魔物の息がかかった商人をあぶりだすためのものだった。
中には虜の果実を持ち込もうとする商人が居て、全没収した後に街から追放していた。
その時の虜の果実が、まさかこんなことに使われるとは。
「背徳のために騎士団を利用したのか!?」
「そうだ。虜の果実の収集、街の封鎖、騎士団の魔物化。全て計画通りだ」
「一体何が目的だ!?答えろ!」
「それよりも、先にやることがある」
ガレスは、背を向けて廊下を歩き出した。
マーティンは後に続くしかない。

懲罰房のある地下から、階段を上って居住区へ。
そこは主神騎士たちが私室を持つ一角だ。
二人は一言も話すことなく、歩き続けた。
マーティンは目の前で背中を見せるガレスに襲い掛かろうと考えたが、できなかった。
たとえこの身を犠牲にしてでも、ガレスの邪悪極まりない計画を止める覚悟はあった。
だが、今のガレスはただならぬ鬼気を帯びており、たとえ全力で襲い掛かろうとも、一太刀で切り伏せられる未来しか見えなかった。
ガレスの足が止まった。そこはマーティンの私室の前だった。
「お前の部屋だ。先に入れよ」
マーティンはうながされるまま扉を開き、部屋に入る。
ろうそくの仄かな明かりに照らし出された小さな部屋は、物寂しさすら感じさせた。
聖書が並んだ本棚。書類が整頓された机。整えられたベッド。
部屋を彩るはずの壁には、主神騎士の記章が飾られているだけ。
騎士の職務に実直なマーティンらしい、簡素で整然とした部屋である。
ベッドに腰かけた1人の魔物を除けば。
幼い少女だった。
教会のシスターのための純白の夜服を着て、長い裾が床に垂れている。
見るだけでどきりとするような白く艶めかしい肌、腰まで伸びる銀色の髪、大きな瞳は慈愛を含んだ視線をマーティンに向けている。
もし、頭に天使の輪があれば、マーティンはこの少女が神の使いであると断言しただろう。
しかし、頭からは天使の輪の代わりに、魔物の証たる角が生えており、腰からは悪魔の翼と長い尻尾が伸びている。
嬉しそうに、魔物は口元に笑みを浮かべた。
「マーティン坊か。すっかり大きくなった」
「……なぜ、俺の名を?」
マーティンは目の前の少女がサリアだと気づかない。
無理もない。マーティンが最後に会った時、サリアは既に50を超えていたのだから。
ガレスは言った。
「お前には苦労させられる。お前は孤児で身寄りもいない。教会の職務に忠実で、浮いた話など一つもなかった。まさに高潔な孤独だな。お前こそ主神騎士の模範だ」
「おい、ガレス!説明しろ!」
「説明?ふふふ、私についてか?それともこの子についてか?」
サリアの笑い声が部屋に響く。この子?一体誰の事だ?
「おやおや、気づかないかね。自分のベッドだろうに」
サリアが立ち上がって脇によけると、ベッドの一部が盛り上がっているのが見えた。その中で、何かが動いているようにもぞもぞと音を立てている。
「お前自身に浮いた話は無かった。だが、お前の高潔さはあるものを呼び寄せた」
ガレスの言葉など耳に入らず、マーティンはベッドに向かっていく。
マーティンの心音が高まる。そんなはずがない、あの子は街の外に逃がしたはずだ。
毛布を掴んだ時、中の動きがぴたりと止まる。
中の者は、見られるのを恐怖しているのか、あるいは期待しているのか。
嫌な予感を振り払いながら、マーティンは毛布をめくり上げた。

「ルーシェ……」
呟きに対し、少女は熱を帯びた視線で返した。
薄く白いワンピースに、身体を覆うように流れる金色の髪。
何より目を引くのは、頭に浮かんだ白い輪と、背から生えた純白の羽。
少女は天使だった。同時に、魔物娘図鑑にはエンジェルと記される魔物でもある。
ベッドの上で身体を丸め、右手が股間に伸びているのは、少女がここで自慰を行っていたことを示していた。
「どうしてだ……?街の外に逃げろって言っただろう」
「だって、マーティンが心配で……ここに戻ったら、あの人たちがマーティンに会わせてくれるって……それで、ベッドの中に居ろって言われて……そうしたら、マーティンの匂いがして、気づいたらこんな……」
マーティンはガレスたちに振り向いた。怒りの表情が浮かんでいる。
「ルーシェに何をした!?」
「何もしていない。それよりも驚いたな、あの堅物のマーティンが、まさか自室で天使を飼っていたとは」
「違う!飼ってなんて……!この子は……!」
「ここ数か月、食事を部屋で取るようになったり、街で見かけない少女を連れ歩いているのが目撃されたり、まさかバレてないと思ったのか?」
口を一文字に引き絞って黙りこむマーティンに、ガレスは更に言った。
「部屋で天使を飼っている。その事実を教会にばらしたらどうなるかな。どう思う、サリア?」
「うむ、両者ともに火刑は免れんだろうな。生きたまま焼かれる天使……さぞかし見ものだろうて」
「や、やめろ!」
さっとマーティンの顔が青くなる。
「頼む、お願いだ。俺はどうなっても構わない。ルーシェだけは……ルーシェだけは助けてくれ」
「マーティン……」
彼の苦しみを感じ取ったのか、ルーシェの手がマーティンの手にそっと重なる。
その温かさに、マーティンはぞくりとした。
その手に導かれて、一たびベッドに吸い込まれたら、ルーシェのぬくもりに包まれて二度と抜け出せない。
そんな事を考えてしまうような、危険な感触だった。
「なあ、マーティン。二つに一つだ」
ガレスの顔が、にやりと歪む。破滅的な契約を持ちかける悪魔ですら逃げ出すような笑みだ。
「このことを教会にばらすか、それとも彼女と繋がるか」
「どういうことだ?」
「魔物になるんだよ。俺らと同じようにな」
戦慄が、背筋を駆け抜けた。
人間であることを捨て、魔物になるという罪の重さ。
主神騎士たるマーティンには、到底受け入れがたいものである。
ルーシェの存在を抜きにすれば。
「なあ、いずれそうなる予定だったんだろう?」
ガレスの言葉が、ルーシェとの日々を思い起こさせる。

ある日、突然空から舞い降りてきたルーシェ。
あなたの善行に惹かれて来たと言われて、戸惑うしかなかった。
騎士団の仲間に隠さなければならないため、苦労は絶えなかったが、ルーシェの純粋な姿に少しずつ惹かれていった。
寝食を共にするうち、孤児である自分には無縁だった人の温もりを、ルーシェに求め始めているのも感じていた。
いずれそうなる、確かにそうかもしれない。
ルーシェの手を握り返すが、震えが止まらない。
心身に染み付いた主神の教えが、悪魔の誘いを拒んでいるのだ。
「そうだ、俺の目的を話していなかったな」
マーティンを後押しするように、ガレスは宣言した。
「俺の目的は――」
それを聞いた瞬間、マーティンの心が凍り付いた。
あまりにも恐ろしく、あまりにも無謀とも思えた。
しかし、この悪魔の如き男は成し遂げるだろう。
たとえ、騎士団を犠牲にしてでも、愛する者を失おうとも、たった一人でもやり遂げるだろう。
その矛盾の寒波が、マーティンの心を襲ったのだ。
「マーティン……」
もう一度、ルーシェの声が呼びかける。
「ルーシェ……」
手を握り返す。もう震えてはいなかった。
代わりに、凍り付いた心を溶かすための熱を求めていた。
ベッドに倒れこみ、ルーシェの唇に貪り付く。
手は、華奢だが柔らかい体をまさぐって、敏感な部分を本能的に探している。
そのどちらに対しても、ルーシェは献身的に受け入れつつ、もう逃がさないというように足で腰を抱え込み、翼で身体を包み込み、背中に手を回して抱き着いている。
唇が離れると、ルーシェは純粋無垢な顔に似合わぬ器用さで、マーティンのペニスをズボンから引きずり出すと、自身の性器にあてがった。
勃起したペニスと、濡れそぼった膣口が触れ合った瞬間。
マーティンは我に返り、ルーシェは淫靡にほほ笑んだ。
迷いを与える余地を与えず、ルーシェは腰に回した足で自らの中へペニスを突き込んだ。
優秀なハンターは、何週間もの間獲物を追い続け、そして狩るという。
数か月間追い続けた、マーティンという極上の獲物を狩り遂げたルーシェの心の中は、達成感という言葉では言い表せないほどに熱い感情で満ちていた。
心が満ちていたのは、マーティンも同じである。
長い間、毛布にくるまっていた身体は熱く、肉棒を突き入れるたびに敏感に反応する肢体は、マーティンの支配欲を心地よく刺激する。
これ以上に感じればどんな反応するだろうか、どうすれば気持ちよくなるのか。
キスをするたびに幸せそうな微笑みを浮かべるルーシェの姿が、さらに欲望をくすぐり、腰を突き込む勢いが更に上がっていく。
もっと熱をくれ、もっと温もりをくれ。
マーティンが二人を包み込むように毛布をかぶると、そこに淫蕩極まる繭が出来上がる。
繭の中から響く水音と喘ぎ声が、それを聞いたものの性欲を刺激する。
それは、ガレスとサリアも例外ではない。
既に服を脱いで全裸になったサリアは、机に手を置いて尻を突き出し、そこにガレスの怒張が叩きつけられていた。
幼い体では受け止められぬほどに大きいペニスが突き込まれ、銀色の髪を乱れさせながら、獣のように喘ぐサリア。
あー、あー、ともはや人の言葉とは思えぬ喘ぎ声を聞きながら、ガレスは悪鬼の如き笑みを浮かべていた。
全てを手中に、我が野望を達成せん。と。

おお、神よ。主神よ。あなたは眠っているのか。
この背徳と禁忌の宴をご覧あれ。
愛液と精液と唾液と、人が出しうるあらゆる液体にまみれたこの宴を。
一目見れば、純粋な天使は卒倒し、主神は心臓発作で倒れかねぬ、この堕落と欲望の宴を。
長い時間が経ち、繭の動きが止まり、サリアが白目を剥いて精液の海に沈んだ頃。
毛布をまくって、意識のないルーシェを抱えたマーティンが出てきた。
その目は、ルーシェと交わる前とは別物の、魔力にみなぎった目に変わっている。
「ようこそ、俺たちの世界へ」
対面座位の姿勢で、ぐったりとしたサリアを抱きしめたガレスが、手を差し出した。
マーティンは、笑いを浮かべてその手を握った。
その笑い顔は、全身に魔力をみなぎらせる快感を知った者特有の、覇気に溢れた凄絶なるものだった。

かくして、主神騎士団は魔に堕ちた。
主神の教えに、身を投じたままに。

20/11/05 11:08更新 / KSニンジャ
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