「うーん…。下は絶対に…でも下だけ…いや、上も……欲しい…うーん…。」

妻がなにやら箱の様なものを抱えて家に戻ってきたのは、あやめの突然の訪問から30分くらい経ったころの事だ。
そして帰ってきたかと思うと、目の前にその箱を置いてリビングのソファーにどっかりと座り込み、何やらぶつぶつと呟きながら悩んでいるようだった。妻が帰宅するまでしていた庭仕事で汚れた手を綺麗に洗い、お茶の準備をしながらそっと春代の様子を観察する。すると蛇の尻尾先が一定の間隔でぴくぴくと揺れているのが分かる。尻尾の先をそのように動かしているのは真剣に何かを悩んでいる時に妻が無意識に行う癖の一つだ。つまりそれだけ真剣に悩まなければならない事があるのだろう、目を瞑りながら腕を組み眉間に深々と皺を寄せるその顔は何時になく真剣で鬼気迫る何かを感じさせる。

「はい、お茶が入ったよ。そんなに難しい顔してどうしたの？」
利一がお茶の準備を終えるころになっても、妻は微動だにせず何かを悩み続けているようだった。普段お茶を入れて貰う事の方が圧倒的に多いため、少し新鮮な気持ちを感じつつ春代の前にお茶を置き、自分もソファーに座りながら妻に尋ねる。
「ありがとう、旦那様。実はこれのことで、ね…」
「これは…何？」
改めて机の上に置かれたその物体を見るが、それがなんなのか利一には分からなかった。
「それはあーちゃんから貰ったものなんやけど…」
「ああ、そういえば少し前にあやめさんがここに来たよ。」
「うん。あーちゃんはこれをうちに渡す為に来てくれたの。それで…実はこれがらみで旦那様に是非とも協力してほしい事があって…」
春代は珍しく歯切れが悪く言葉を濁らせ下を向く。そんなに頼み難いことなのだろうか。
「どうしたの？僕ができる事だったら遠慮なく言ってね。」
その言葉を聞きありがとうと小さく礼を言った春代は、何か覚悟を決めたように顔を上げて話し始めた。


「実はこれはある目的のために作られた特製のサーバーなの。」
妻はそのサーバーとやらをひき寄せつつ話を続ける。
「特製の…サーバー？」
「この中に分身薬が入っていて…」
「え、分身薬ってサバトが販売している…あれかい？」
妻はこくりと顎をひいて肯定の意思を示す。
「これはあるバフォメットが極秘に開発したもので、従来の効果とは違う…分身薬の新しい効果を引き出す為に作られたサーバーなんだって。そんでうちのお願いっていうのは…」
「…。」
「旦那様に、その新しい効果が付加された分身薬を飲んでもらいたい、の。」
春代は、じっとこちらに真っ直ぐな視線を向けてくる。
いつになく真剣な表情と共に浮かぶ二つの赤い瞳には期待や喜色、情欲にぎらついているように利一には見えた。


「まあ、その新しい効果がついた分身薬を飲むことは吝かじゃないけど…そんなに僕が非協力的だと思われていたのかな？」
わざとらしくおどけながら春代に冗談を言う。
「いやいや、アホなこと言わんで！！旦那様はきっと協力してくれるって…うちは信じちょった！！！」
すると春代は素早く反論する。
普段は凛とした雰囲気なのに、子供が駄々をこねるように腕をふりまわしてむきになっているのが可愛らしくてさらにからかいたくなるが、それをすると話が進まなくなってしまいので、からかったことを素直に謝り質問する。
「ごめんごめん、冗談さ。それじゃあ…春代は一体何を悩んでいたの？」

「うーん…魔物娘の欲深さは、やっかいなものやなあ〜って悩んでた。」
春代は一拍間を空けすっと真顔になり、先ほどとは比べ物にならないほどの低いトーンで自分の悩みをそう表現した。
「ははっ、なんだいそれ。ひどく哲学的だね。」
どうやら彼女は利一に薬を飲ませると言う事で悩んでいたのではないと言う事に拍子抜けしつつ、予想外の答えが返ってきたので利一はなんだかとても可笑しくなった。

「この一回だけじゃないんやから、次の機会にそれをすればいいって頭では分かっちょる…やけどあれもこれも、全てを手に入れてしまいたい、魔物娘の本能を満たしたいっていう本当に欲深くて厄介な悩み。はあ…本当にどないしよ〜…。」
ため息を吐きつつ、頭を抱える春代が可愛らしくてそのまま見ていたい気持ちに駆られるが、ぐっと抑えて立ちあがる。悩んでいる時は何かしらのきっかけがあったほうが解決しやすいものだ。それにどうも春代の中では既に答えはかなり絞られているようにも見える。
「それじゃあ庭仕事でかいた汗をシャワーで流して準備をしてくるからさ、それまでの間に答えを出しておいてもらえる？」
「う〜ん…。それは今世紀最大の難問やね。」

ムンクの叫びの様に頬に手をあて、大げさに顔を歪める妻に苦笑いしつつ、利一は風呂場へと向かったのだった。




「答えは出たかい？」
シャワーを浴び、短パンにTシャツとラフな格好でリビングに戻ると机の上にガラスのコップが一つ置かれていた。中には無色透明の、一見すると水にしか見えないものが入っている。だが、おそらくそれは水などではなく分身薬なのだろう。
「…なんとか。なんだかどっと疲れちゃった。」
曰く『今世紀最大の難問』を何とか解決した妻の顔には確かに疲れの色が滲んでいるが、それ以上に達成感やこれから分身薬を使ってする行為を楽しみしているといった表情が隠し切れていない。
「お疲れ様。じゃあそんな奥さんの期待にこたえるために、旦那さんはこれを飲めばいいのかな？」
「ええ。あ、大丈夫だとは思うけど…念のために服は脱いでくださいね。」
「了解。じゃあ…飲むよ？」
いそいそと服を脱ぎつつコップを手に取り、確認するように妻に言葉をかける。
それを受けて一つ大きくうなずいた春代をじっと見詰めつつ、利一はコップの中の薬品を飲んでいった。

無色透明、無味無臭のそれは不思議なほどなんの味もしないが、胃へと薬が流れていく様子がいつも以上に敏感に感じられた。まるでそこから体を侵食されているような錯覚を覚えつつ利一は飲み干していく。そして全ての薬が胃の中へと落ちたその時―――

ドクンッ

体の中で今までに無い熱く強い脈動を感じたかと思うと、視界が白一色になり利一の体は目まぐるしく変化していった。












一瞬、目を覆うほど眩い閃光が室内に走ったかと思うと、そこには見事三人に分身した『利一たち』が立っていた。

そこにいる男達は、確かに夫である『山田利一』だ。
しかし、そこに『同じ姿に分身した利一』はいない。
三人に分身した彼らは…


―――三人がそれぞれ違う変化を起こしているのだ。



「ぅう…こ、れは…？」
一人は三人の中で一番背が低く、声も高く細い。
未だ成長途中だと思わせる柔らかな体つき、毛穴すら感じさせないつるつるとした肌、その股間にぶらさがる自ら触れたこともない様なピンク色をした大人サイズのペニスを除けば、オスの匂いすら感じさせないほど幼い姿をした利一はあまりの変化に戸惑いを隠せず、自分の体とこちらに忙しく視線を走らせる。まるで迷子になった子供の様な、そんな挙動不審な様がまさにその年頃の男児を思わせ、春代は思わず唾を飲み込んでしまう。



「若くなってる…？」
もう一人の利一は、背もある程度伸び隣の幼い利一より成長した姿をしている。
数年しか変わらないはずだが一番若い利一に比べると、うっすらと濃くなったひげや体毛、喉仏が張り出して低くなった声のトーンが強く成長を春代に感じさせる。しかし、それでもいつもの利一に比べれば匂い立つほど青臭い風貌だ。男の体を形成し始めた筋肉や骨格、幼さがかなり消え引き締まった凛々しさすら感じる顔つき、そして大人のペニスも違和感がかなり薄れるほど陰毛が生えそろいがっちりとした下半身は、既にオスとして目覚めた事を春代にアピールしているかのようだ。そんな思春期真っ只中の姿をした利一は幼くなった自分の体を、幾分冷静ながらも不思議そうに眺めている。


「春代さん。君のいっていた分身薬の新しい効果っていうのが…これなんだね？」
そして最後の一人は、先程の二人とは逆のベクトルに変貌していた。
油っぽさが減った髪の毛や皮膚、額や頬にうっすらと皺が寄っているところや白髪がかなり交じった頭髪を見ると否応なしに年齢による経年変化を感じさせる。いつもの利一も大人びた雰囲気をしているが、目の前にいる利一はそれとは比べ物にならないダンディな色気を放っている。僅かだがお腹が突き出し、背中などの筋肉がたるんだやや締まりの無い体形をしているのが気になるところだが、分身した他の二人と比較するまでもなく淫水にやけ、浅黒い色をしたペニスに目が釘つけになってしまう。そしてどうやら彼は三人の中で一番冷静にこの事態を把握しようとしているらしく、残り二人の姿を一瞥した後すぐに春代に質問をしてきた。


「本当に…旦那様が、分身するだけじゃなくて変化してもうた…」
三者三様の変化を遂げた夫を半ば呆然見詰めつつ、春代は社務所であやめが説明してくれた分身薬(改)の効果を思い出していた。





分身薬(改)の効果は分身だけでは無い。
サーバーを使用し分身薬を調節することで、分身した男性の年齢を変化させる事が出来ると言う代物なのだ。

『ショタからナイスミドルまで』というのが分身薬(改)のコンセプトらしい。
若返るのは本来であれば魔物娘向けの幼化の術を応用し、「ロリータ至上主義」であるバフォメットや魔女たちにとってはある意味掟破りともいえる幼化の術とは正反対の、使用者に対して成長を促進させるための呪文がこの分身薬(改)のために開発されたのだという。

ただ、バフォメットを始めとしたサバトのメンバーは、その術を研究することに抵抗はなかったそうだ。
なぜならあくまでその術で変化するのは男性であるからだ。「ナイスミドルのおにいちゃんに甘えるのは本望♪」とむしろ熱心に研究が進められたのだとバフォメットは笑ってあやめに言っていたそうだ。

そうした魔術を活用し、作られたのが例のサーバーである。
左端の緑色のボタンは若返らせるため、右端の赤のボタンは成長させるため、真ん中上部の黄色のボタンは使用する男性の現在年齢と変わらない分身を作るためのもの、そして真ん中にある青色のボタンは全ての設定を決めた後に押すスタートボタンの役割をしている。

年齢変化にはどちらのベクトルでも設定範囲内であれば好きに選ぶ事ができ、それらを操作して自分の嗜好や気分によって夫の分身を変化させ、様々なパターンで夫とのセックスを楽しめるようになっている。ちなみに全て同じ年齢の分身を作り出すこともできるし、春代がした様に分身一人一人の年齢を変えることも操作によって可能だ。なお春代の使用したサーバーは、夫との快適なセックスが出来るようにするため、ペニスの大きさは変化しないようになっている。まだ試行錯誤の段階なので、ペニスもその年齢に準拠したものにと望む者など様々な要望にこたえるため、そういった姿に変化するようなバージョンもあるそうだ。

勿論使用する男性の元々の年齢によって変化の幅はあるが、最も若返るように設定した状態で小学生程度の体格に若返り、もっとも成熟するように設定した状態で50代前後の年齢に変化するようこのサーバーは設計されている。その若返りや成長は薬を飲んだ男性の遺伝子から大まかに情報を引き出し、飲む男性が遂げてきたと思われる成長過程やこれから成長するであろう可能性が高い姿を想定し、分身を変化させるらしい。なので、使用者にもっとも適した変化が起こる仕組みとなっている。

また、そうして年齢が変化した分身には精神的にも変化が現れる。幼い姿になれば、幼く。年を重ねれば落ち着きや貫禄が加わるように術が施されている。

ちなみに分身薬を変化させることによってこの薬は作られるので、基本的な部分は変わらない。
男性が飲む量の多さで分身する人数は変化するし、分身たちの感覚の共有もなされている。なので、真ん中の黄色いボタンをおして使用すれば、普通に流通している分身薬と変わらず使用する事ができる。ただ、今回の春代がした場合のように年齢をばらばらにすると、その影響からか感覚の共有が無くなるわけではないが低くなる事が報告されている。姿かたちが変化することもあり、分身のある程度の自立性や独立性を望む声もあるらしく、そこも含めて調整中なのだとか。

それが、あやめに説明された分身薬(改)の全貌だ。
春代は今回初めて使用する事もあり、既に使用した事のあるあやめのアドバイスを参考にして、いきなり同じ年齢の利一を楽しむのではなく、様々な年齢の利一を堪能することにした。先程まで何を迷っていたのかと言うと、全ては分身の年齢をどうするかということで迷っていたのだ。

それでもなんとか自分の欲望に折り合いをつけ、若返りを作用させる分身は10代前半と10代後半に、そして成長する分身は50代前半の利一になるよう分身薬を調整した。その結果は―――まさに壮観の一言だ。


まさに夢の桃源郷に迷い込んだ春代に分身した利一たちがゆっくりと近づいてくる。
これから分身薬の効果が切れるまで、この夫たちに愛してもらえると考えただけで…春代の頭は沸騰しそうなぐらい熱くなっていく。




こうして、三人の夫と過ごす初めての夜がうるさいくらい高鳴る鼓動と共に幕を開けたのだった。

■作者メッセージ
というわけで、題名にもなった分身薬(改)の効果はただ分身するだけではなく、サーバーで設定した年齢に分身した男たちを変化させる事ができるという代物でした(笑)。

これは久しぶりに魔物娘図鑑�Tの魔物娘たちの魔術の辺りを読んでいてぼんやりと思いつきました。
サバトを開く彼女たちは分身薬を作る事ができ、なおかつ幼化の術を使えるのならば…その二つを組み合わせたものが出来るのではないだろうかと。そして若返らせる事が出来るならばその逆も出来てしかるべきであろうと。

そこで様々な矛盾や疑問点を解消するためにサーバーや魔術というなんともご都合なものを登場させ、自分なりの解釈や設定を盛り込みつつ『分身薬(改)』というものを作り出してみました。それでも突っ込みどころ満載なのは…作者の技量の無さとしか言いようがありませんが、あまり深く考えずに読み進めていただけると非常に助かります。

本当はこの分身薬の全貌と春代の話を一つにする予定だったのですが、思った以上に長くなってしまいそうなので分割することにしました。春代と利一たちの様子は後半で書いていこうと思います。


そしてこの作品とは関係ありませんが、前々作の「滲む愛を君へ」が10000viewを超えました。
魔物娘と出会い、初めて小説を書き始めた時に一つ目標としていた数字だったので、すごく嬉しいです。しかも自分の書く作品は王道的なものでは無く、読まれる方によっては受け入れられない様な内容・話ばかりですので、こうして沢山の方に読んでいただけて本当に嬉しいです。普段からコメントをしていただいたり、投票していただけることも含め、本当に感謝、感謝です！！