後篇『ジパング花火競技会』
「それではこれより、『ジパング花火競技会』の開催を宣言いたします☆」
数ヶ月前、突然『銅島花火工房』にやってきたリリスのレーンが陽気に開会宣言をし、武志と葵の夢の舞台の幕が開けた。
開幕宣言を聞いた観客から一斉に歓声が沸き起こる。
会場には何万人もの魔物娘やインキュバスが押し寄せ、ある者は伴侶に寄り添いながら、またある者は屋台で買った料理やお菓子を口一杯に頬張り花火が上がるのを待っている。
会場に満ちる活気や歓声は今まで聞いた事が無いほどに熱く、大きい。
ちなみにこの競技会が行われる会場は、バフォメットや龍、九尾の稲荷などが力を合わせて作りだしたある種の異空間となっている。そこでは温度や湿度、空気の循環など全てが魔術によってコントロールされ、花火を見るのにも、打ち上げるのにも最適の空間となっているのだ。
「(本当に最後なのか…。)」
競技会に初めて参加する武志は、独特の雰囲気に圧倒されながら手に持った競技会のパンフレットに視線を落とす。そのパンフレットは出場する花火師の紹介やスポンサーの広告、今回の見どころなどが細かく書かれている参加者の必需品だ。
そのパンフレットに記された花火を披露する順番を記したページには、確かに『銅島花火工房』が最後に書かれている。
―――銅島花火工房が花火を打ち上げるのは、一番最後にしてくれ。
あの日、妻である葵はリリムに向かって要望、というより無理難題を臆することなく堂々と言い放った。
妻の答えを聞き不遜に笑うリリムを目の前に、武志は―――大いに慌てふためいた。
当然である。
夢の舞台として長年頑張ってやっと掴んだチャンスが葵の発言で水泡のように一瞬で消えてしまうかもしれない。目の前で妖艶に微笑むこの魔物娘は実際に自分たちを出場禁止に出来る権限を持っている存在なのだ。
しかもそれだけではない、国内で最も有名な競技会に出場できなくなった新米の花火工房なんてレッテルは挽回すらできない致命傷になりかねない。悪い噂ほど想像もしない尾ヒレがつき、何よりも早く人の耳に広まるのが世の常でもある。
「ではわけを、聞きましょうか〜☆」
だがレーンは葵の無茶な提案に腹をたてるどころか、おもちゃを目の前にした子供の様な眼を妻に向けながら、その言葉の意図がなんなのか質問する。
全て正直に答える、が…葵はレーンの目をしっかりと見て質問に答えようとしたが、数秒何か思案した後に突如くるりっと武志の方に視線をうつして、
「すまない、武志。お前は席を外してくれないか?」と言った。
「え、なんで?」妻の意図をなんとか自分の¥も聞きたいと食い下がる。
「アタシとこの人だけで話がしたいんだ。」
だが、妻の意思は固いようでどうやら譲る気はないようだった。
「でも…。」
「頼む。」
「…。」
「安心してくれ、アタシはお前を…信用している。それだけは信じてくれ。」
武志の両肩を大きな手でつかみ、向けられた真っ直ぐな視線に嘘は感じられなかった。
「分かりました☆それなら仕方ありませんね〜♡」
「ぜ、絶対に言うなよ!?」
「もう、こんなに匂いが充満するくらい愛し合うだけじゃ足りないなんて〜。この贅沢もの♡」
「う、五月蠅い…!」
時間にすればほんの数分だったと思う。
妻の願いを聞き入れ、武志は二人の話が終わるまで外に出ていた。我ながら馬鹿だと思ったが、まるで動物園の熊みたいにその場をうろうろとさまよった。無駄だと分かっていてもじっとしてはいられなかった。
すると突然玄関の扉が開き、何故か大いに照れて顔を真っ赤にした葵と、上機嫌でカラカラと快活に笑うレーンが出てきた。
「武志さん、私たち競技会は葵さんの提案を飲もうと思います☆」
「え?」
なんと目の前のリリムは妻の無茶な提案を受け入れると言っている。
「奥様の情熱的かつ魅力的なプレゼンテーションにこのレーン、いたく感服いたしまして♪」
「はあ。」
「前例が全くない試みですが、若手枠の『銅島花火工房』さんが披露する花火を今回のトリにさせていただきます♡」
一体、葵がどんな交渉をしたのかは分からないが、どうやらことは葵の思い通りに進むようだった。レーンはよい花火を作ってくださいねと妻に言葉を残し陽気に帰って行った。
そういった経緯で我が『銅島花火工房』は初出場の若手枠ながらなんと競技会のトリをかざることになったのである。
あの日、葵が何故自分に席を外させレーンにどんな言葉を伝えたのか、そして競技会の最後にどんな花火を打ち上げるのかを武志は未だに聞かされていない。
不安が無いと言えば嘘になる。
武志は葵を心の底から信じている。妻としても花火師としても。彼女がどれだけ自分に幸せをくれたか、彼女がどれだけこの競技会に向けて技術を研さんしているかをよく知っている。
だが、さすがに何も教えられないと不安に思うなと言う方が無理な話だ。
「長らくお待たせいたしました。以上で開会式を終了とし、これより花火を打ち上げたいと思います♪」
突然一際大きな歓声が上がったことに驚き、武志は落としていた視線をパンフレットから外した。
いよいよ観客が待ちわびた花火が上がる段になり、観客のボルテージもより一層高くなっている。
現在、武志はステージ袖にある関係者席に一人で座っている。そこは盛り上がる観客や花火が上がる雲ひとつない見事な夜空なんの障害も無く見える特等席で、花火師や花火師の家族だけが入る事が出来る。
一方、妻の葵は花火師として競技会のオープニングに参加している。
開会式は魔王や勇者が座る席よりも一段低い場所に参加する花火師が一堂に会すると言うのがこの競技会の通例らしい。
そしてレーンが言ったように開会式が終わり、直接は見えないが花火師たちは自分たちにあてがわれた席へと引き返しているようだ。
「ただいまっと。」
そんな事を思っていると、武志のいる部屋に狭そうに身をかがめながら葵が入ってきた。
「お帰り〜。はい、飲み物。」
「ああ、ありがとう。やっと一息つけるよ。」
舞台から戻ってきた妻の目には若干の疲労の色が見えている。
これほど多くの人間の目の前に立つことなど普通に生活していればまず無いことだ。彼女が疲れないわけがない。労いも兼ねて冷たいお茶を手渡すと、葵は美味しそうに喉を鳴らしてそれを飲んだ。
「疲れた?」
「ああ、隣に師匠がいなかったらヤバかったかもな。」
同じ四国代表と言う事で彼女の師は隣の席だったらしく、やはり不慣れな事でも頼れるものが居ると随分と違うようだ。
「おっ、いよいよ始まるみたいだぞ!!」
冷えたお茶を美味そうに飲んでいた葵は巨体を揺らし、身を乗り出して上空を見上げる。
武志も慌てて夜空へと目をやると、独特の破裂音と共に空に沢山の花火が上がっていた。
夜空を彩る花火とそれを歓迎する観客の歓声によって競技会の火蓋が遂に切っておとされたのだ!!
大きな爆発と共に流星群となって夜空をかける仕掛け
はるか上空で破裂し、大きな鳳凰となって優雅に飛ぶ仕掛け
別の地点から打ち出され、一つが勇者、もう一つが魔王となり愛おしげに抱き合う仕掛け
会場の四方で同時に破裂し、まるで天の川のように夜空を満たす仕掛け
はたまた動きは無いが、人間では出しえない全く形の崩れない円や幾何学模様で観客の目を釘付けにするモノ
絶妙なバランスによって見たことも無いような七色に変化するモノ
純粋の己の魔力での発色を魅せるモノ
『ジパング競技会』で披露される花火の数々は武志が今まで見た事のないようなものばかりだった。
仕掛けの精緻さ、規模の大きさ、遊び心、そのどれをとっても全てが一級品。
まさに国内最高峰と呼ばれるに相応しい花火師が端正に仕上げた花火は上がる度に観客を魅了した。
武志もそれまで感じていた不安を忘れ、葵とそれらを楽しんだ。
そしてあっという間に時間は過ぎ、いよいよ『銅島花火工房』が打ち上げる番が巡って来た。
観客は、ざわついている。
仕方ないとも思う。名も無い花火工房が何故最後なのか、一体どんな仕掛けを見せるつもりなのだろうかと疑問に思わない方がおかしい。
武志はそっと葵を覗き見るが、妻は無言でただ虚空を睨みつけている。そんな彼女に話しかけようとした瞬間―――
ドォンという今まで打ち上げられた花火の中では一番大きいのではと思うような破裂音が響いた。
その音と共に、葵が丹精込めて作りだした花火が夜空を彩る。
妻が作り出した花火は今まで武志が見たことも無いような大きな花火だった。
何万人も収容しているこの会場さえも包んでしまうような真円の華が、星一つない夜空に咲き誇る。
大きさは違うが、彼女の魔力が醸し出す独特の青緑色を誇らしげに放つその姿は初めて見た彼女の花火とよく似ているように武志は思った。
雪だ!!
武志は首が痛くなるのも忘れて花火を見上げていると、観客席からそんな声が聞こえてきた。
よく目を凝らすと、彼女の肌の様な美しい青緑色をした火花はゆっくり、ゆっくりと観客に向かって落ちてきているようだ。
風一つすら吹かないこの異空間を、観客席に向かってゆっくりと降り注ぐ花火の様はまさに風のない日に深々と降り積もる雪そのものだ。
観客は今まで見たことも無い演出に声すら上げられずに口を開けて眺めている。
それは武志も同じで、降り注ぐ花火の美しさと冬の様な静寂さに圧倒されていた。
だが、彼女の仕掛けはまだ終わらなかった。
観客の手が雪のように降る火花に届くかといった距離まで落ちてきた瞬間突然点滅し、まるで意思があるかのように動き始めたのだ!!
まさにそのタイミングを狙ったかのように会場を照らすライトが全て消え、暗闇の中で何千、何万…いやもっとかもしれない夥しい光が点滅し一斉に動く様は壮観の一言に尽きる。
以前、ホタルイカの涼を見た時に似たような光景を見たが、そんなものとは比べ物にならないほど葵の花火が作り出した光景は美しかった。
観客は今までの静けさが嘘のようにその動く火花に歓声をあげ熱狂する。
「雪螢。」
「ゆきぼたる?」
「ああ、この花火の名前だ。」
それまでひたすら沈黙していた葵が口を開く。仕掛けが無事に成功したことで安心したのか、ほっとした表情をうかべている。
「お前が見せてくれた絵に描かれていた雪を見た時、アタシはその雪がまるで命の炎を燃やす蛍に見えた。そのインスピレーションを元にアタシはこの仕掛けを思いついた。」
そういって葵は近くで漂っていた火花の一つを優しくつかみ取りそっと武志の側に放った。
それは不思議な体験だった。
自分の方に向かってふわふわと浮遊し、まとわりつく花火は熱くないのだ。
そして蛍のように実態は無い。ふれようとするとすり抜けてしまう。
「苦労したよ、魔力を花火一つ一つに籠めて、熱を発しない仕掛けと蛍のような動きをプログラミングするのはよ。」
「だからこそ、お前には何も知らない状況でこの花火を見てほしかった。」
「ああ、だから…」
「あの時はすまなかった。でも…」
「大丈夫だよ、葵の気持ちは痛いほど分かるから。」
それに―――こうやって葵の作る美しい花火を見る事が出来たから。そう言って武志は笑顔を向ける。
葵は武志の笑顔を見て武志の言わんとする事を悟ったのか、ほっと一つ息を吐き出して目の前に広がる光の海に視線を落とした。
会場にいる全ての観客は童心に返ったように彼女の作りだした蛍と戯れ、光を追っている。その姿をひどく優しく、母が子をいつくしむ様に眺めながら、静かに葵は独白を始めた。
「アタシがどうして花火師になりたいって思ったか…。」
「うん。」
「アタシには小さい頃から一つの夢があった。」
―――矮小で、くだらないアタシの夢。
「それは人を笑顔にするって夢。笑っちまうだろ?ウシオニのアタシがそんな似合わない夢を抱いてるなんて…。」
「葵…。」
「小さい頃から家族が笑ってくれるのが嬉しくって、色々馬鹿な事をした。漫才のまねごとをやってみたり中途半端に覚えた落語を話してみたり。優しい母さんや父さんは下手っくそなアタシの芸でも腹の底から笑って、笑顔を見せてくれた。」
でも…
「家族以外の人間や魔物はアタシの姿を見ただけで怖がって逃げちまう。『ウシオニが出た!!』って言って、な。」
ふっと彼女の目に影が差す。
彼女は決して口にはしないが、辛い事や悲しい事、ウシオニという種族でしか見られないといったことが沢山あったのかもしれない。それは彼女が既に自分の中でけりをつけた、触れてはいけない過去のように武志は感じた。
「そんなある時、アタシは両親に内緒で、神社で行われた地元の祭りにこっそりと遊びに行った。忘れもしない、汗が噴き出すような暑い夏の日だった。アタシは境内の中にある建物の影に隠れて、祭りに来ていた連中を盗み見ていた。この日のために用意したであろう可愛らしい浴衣を着飾った魔物娘たち、その横でそんな姿に見惚れて鼻の下をのばした男達、的屋や金魚すくいではしゃぎまわる子供たち。」
でもその中にアタシが入ったらきっと彼らの笑顔を、楽しい時間を壊してしまう。
「そう思ったら、アタシはその場を動けなくなった、金縛りにあったみたいに。そしてどれだけ時間が経ったかは分からないが、完全に日が暮れてあたりが暗くなったその時、空に花火が上がった。」
「花火が…。」
「その花火の美しさにアタシは見惚れてしまってね。あれだけ人前に出るのが怖かったのに気がついたら飛び出して空を見上げていた。その花火は本当に綺麗でよ、上がる度に鼓動が高鳴った。」
少しでもよく見えるところで見たいと思って、建物の蔭から飛び出して夢中で眺めたよ。そう言って彼女は鼻の頭を掻きながら照れ臭そうに笑った。
「だが、次々とリズムよく上がる花火を見ていたアタシはふと我に返った。今、自分は物陰に隠れず堂々と人前に立っているってね。」
やあ、綺麗だね
玉屋〜
君の方が美しいよ、なんちゃって。
もう、調子がいいんだから♡
慌てて辺りを見回したけど、周りにいた客はみんな笑顔で空を見上げて歓声をあげていた。
アタシが人前に出てもその場の笑顔は壊れていなかった。
「みんな、隣に誰がいるかなんて気にならないほど花火に見惚れているんだって分かった。その瞬間、アタシは思った。すぐそばにいるウシオニの恐怖すら忘れさせる『これ』ならアタシでも多くの人を笑顔にしたいって夢も叶えられるかもしれないってな。」
「それで、葵は花火師になったんだね…。」
「ああ、それでアタシはいつかのお前さんのように祭りの主催者に誰があの花火を作ったのかを聞き出した。」
「まさか、それが!?」
「おう、おそらくお前が想像している通り、あの日見た花火を作ったのは師匠だった。」
偶然って怖いよなと言って葵はけらけらと笑う。
それでもよ、そう言って彼女は笑うのを辞めて真剣な目をこちらに向けつつ言葉を続ける。
「そのお陰でアタシは花火師と言う人生の指針を手に入れ、夢の舞台でこれだけ多くの客を前に花火を披露できた。そして何より…」
―――武志と出会えた。
「そんなアタシの現在の夢はな、過去の夢とちょっと違うんだ。」
葵は不敵な笑みを浮かべながら武志を見る。
「ん?どういうこと?」
「アタシの現在の夢はな…」
大きな手でそっと優しく武志の手を取り、豊満な胸に誘いつつ今まで聞いた中で一番優しい声で葵は甘く囁いた。うっすらとたまった涙と熱に浮かされたまなざしは、まるで何かを懇願するように揺れる。
「だれかって言う不特定多数じゃなく大切な夫、銅島武志をアタシの作った花火で…そしてアタシ自身の手で笑顔にしたい。アタシの夢をこれからも叶えさせて、くれるかい?」
普段の男らしくさっぱりとした態度とは打って変わった、しなやかで艶っぽい仕草と声。じっとこちらをみつめる蟲惑的なまなざしは今まで見た事が無いほど美しく武志を誘う。
それらが紡ぎ出す彼女の本心に対する答えは一つしかない。
それ以外、ありえない。
絶対に。
だから、優しく握られた手を握り返しつつ武志は答えた。
「勿論さ、最愛の妻の願いを…断るわけがないでしょ?」
「ありがとう、ありがとう。」
武志の返答を聞いた葵は二言感謝の言葉を口にした後、ゆっくりと武志を引き寄せ抱きしめた。
目の前には幾千、幾万もの蛍が明滅しながら妖しく光り、人々はその光に酔いしれている。
今はただ、彼女の作りだした命の光を眺めつつ、誰よりも大切で愛おしい妻の体温を感じたくて武志は優しく葵を抱きしめたのだった。
数ヶ月前、突然『銅島花火工房』にやってきたリリスのレーンが陽気に開会宣言をし、武志と葵の夢の舞台の幕が開けた。
開幕宣言を聞いた観客から一斉に歓声が沸き起こる。
会場には何万人もの魔物娘やインキュバスが押し寄せ、ある者は伴侶に寄り添いながら、またある者は屋台で買った料理やお菓子を口一杯に頬張り花火が上がるのを待っている。
会場に満ちる活気や歓声は今まで聞いた事が無いほどに熱く、大きい。
ちなみにこの競技会が行われる会場は、バフォメットや龍、九尾の稲荷などが力を合わせて作りだしたある種の異空間となっている。そこでは温度や湿度、空気の循環など全てが魔術によってコントロールされ、花火を見るのにも、打ち上げるのにも最適の空間となっているのだ。
「(本当に最後なのか…。)」
競技会に初めて参加する武志は、独特の雰囲気に圧倒されながら手に持った競技会のパンフレットに視線を落とす。そのパンフレットは出場する花火師の紹介やスポンサーの広告、今回の見どころなどが細かく書かれている参加者の必需品だ。
そのパンフレットに記された花火を披露する順番を記したページには、確かに『銅島花火工房』が最後に書かれている。
―――銅島花火工房が花火を打ち上げるのは、一番最後にしてくれ。
あの日、妻である葵はリリムに向かって要望、というより無理難題を臆することなく堂々と言い放った。
妻の答えを聞き不遜に笑うリリムを目の前に、武志は―――大いに慌てふためいた。
当然である。
夢の舞台として長年頑張ってやっと掴んだチャンスが葵の発言で水泡のように一瞬で消えてしまうかもしれない。目の前で妖艶に微笑むこの魔物娘は実際に自分たちを出場禁止に出来る権限を持っている存在なのだ。
しかもそれだけではない、国内で最も有名な競技会に出場できなくなった新米の花火工房なんてレッテルは挽回すらできない致命傷になりかねない。悪い噂ほど想像もしない尾ヒレがつき、何よりも早く人の耳に広まるのが世の常でもある。
「ではわけを、聞きましょうか〜☆」
だがレーンは葵の無茶な提案に腹をたてるどころか、おもちゃを目の前にした子供の様な眼を妻に向けながら、その言葉の意図がなんなのか質問する。
全て正直に答える、が…葵はレーンの目をしっかりと見て質問に答えようとしたが、数秒何か思案した後に突如くるりっと武志の方に視線をうつして、
「すまない、武志。お前は席を外してくれないか?」と言った。
「え、なんで?」妻の意図をなんとか自分の¥も聞きたいと食い下がる。
「アタシとこの人だけで話がしたいんだ。」
だが、妻の意思は固いようでどうやら譲る気はないようだった。
「でも…。」
「頼む。」
「…。」
「安心してくれ、アタシはお前を…信用している。それだけは信じてくれ。」
武志の両肩を大きな手でつかみ、向けられた真っ直ぐな視線に嘘は感じられなかった。
「分かりました☆それなら仕方ありませんね〜♡」
「ぜ、絶対に言うなよ!?」
「もう、こんなに匂いが充満するくらい愛し合うだけじゃ足りないなんて〜。この贅沢もの♡」
「う、五月蠅い…!」
時間にすればほんの数分だったと思う。
妻の願いを聞き入れ、武志は二人の話が終わるまで外に出ていた。我ながら馬鹿だと思ったが、まるで動物園の熊みたいにその場をうろうろとさまよった。無駄だと分かっていてもじっとしてはいられなかった。
すると突然玄関の扉が開き、何故か大いに照れて顔を真っ赤にした葵と、上機嫌でカラカラと快活に笑うレーンが出てきた。
「武志さん、私たち競技会は葵さんの提案を飲もうと思います☆」
「え?」
なんと目の前のリリムは妻の無茶な提案を受け入れると言っている。
「奥様の情熱的かつ魅力的なプレゼンテーションにこのレーン、いたく感服いたしまして♪」
「はあ。」
「前例が全くない試みですが、若手枠の『銅島花火工房』さんが披露する花火を今回のトリにさせていただきます♡」
一体、葵がどんな交渉をしたのかは分からないが、どうやらことは葵の思い通りに進むようだった。レーンはよい花火を作ってくださいねと妻に言葉を残し陽気に帰って行った。
そういった経緯で我が『銅島花火工房』は初出場の若手枠ながらなんと競技会のトリをかざることになったのである。
あの日、葵が何故自分に席を外させレーンにどんな言葉を伝えたのか、そして競技会の最後にどんな花火を打ち上げるのかを武志は未だに聞かされていない。
不安が無いと言えば嘘になる。
武志は葵を心の底から信じている。妻としても花火師としても。彼女がどれだけ自分に幸せをくれたか、彼女がどれだけこの競技会に向けて技術を研さんしているかをよく知っている。
だが、さすがに何も教えられないと不安に思うなと言う方が無理な話だ。
「長らくお待たせいたしました。以上で開会式を終了とし、これより花火を打ち上げたいと思います♪」
突然一際大きな歓声が上がったことに驚き、武志は落としていた視線をパンフレットから外した。
いよいよ観客が待ちわびた花火が上がる段になり、観客のボルテージもより一層高くなっている。
現在、武志はステージ袖にある関係者席に一人で座っている。そこは盛り上がる観客や花火が上がる雲ひとつない見事な夜空なんの障害も無く見える特等席で、花火師や花火師の家族だけが入る事が出来る。
一方、妻の葵は花火師として競技会のオープニングに参加している。
開会式は魔王や勇者が座る席よりも一段低い場所に参加する花火師が一堂に会すると言うのがこの競技会の通例らしい。
そしてレーンが言ったように開会式が終わり、直接は見えないが花火師たちは自分たちにあてがわれた席へと引き返しているようだ。
「ただいまっと。」
そんな事を思っていると、武志のいる部屋に狭そうに身をかがめながら葵が入ってきた。
「お帰り〜。はい、飲み物。」
「ああ、ありがとう。やっと一息つけるよ。」
舞台から戻ってきた妻の目には若干の疲労の色が見えている。
これほど多くの人間の目の前に立つことなど普通に生活していればまず無いことだ。彼女が疲れないわけがない。労いも兼ねて冷たいお茶を手渡すと、葵は美味しそうに喉を鳴らしてそれを飲んだ。
「疲れた?」
「ああ、隣に師匠がいなかったらヤバかったかもな。」
同じ四国代表と言う事で彼女の師は隣の席だったらしく、やはり不慣れな事でも頼れるものが居ると随分と違うようだ。
「おっ、いよいよ始まるみたいだぞ!!」
冷えたお茶を美味そうに飲んでいた葵は巨体を揺らし、身を乗り出して上空を見上げる。
武志も慌てて夜空へと目をやると、独特の破裂音と共に空に沢山の花火が上がっていた。
夜空を彩る花火とそれを歓迎する観客の歓声によって競技会の火蓋が遂に切っておとされたのだ!!
大きな爆発と共に流星群となって夜空をかける仕掛け
はるか上空で破裂し、大きな鳳凰となって優雅に飛ぶ仕掛け
別の地点から打ち出され、一つが勇者、もう一つが魔王となり愛おしげに抱き合う仕掛け
会場の四方で同時に破裂し、まるで天の川のように夜空を満たす仕掛け
はたまた動きは無いが、人間では出しえない全く形の崩れない円や幾何学模様で観客の目を釘付けにするモノ
絶妙なバランスによって見たことも無いような七色に変化するモノ
純粋の己の魔力での発色を魅せるモノ
『ジパング競技会』で披露される花火の数々は武志が今まで見た事のないようなものばかりだった。
仕掛けの精緻さ、規模の大きさ、遊び心、そのどれをとっても全てが一級品。
まさに国内最高峰と呼ばれるに相応しい花火師が端正に仕上げた花火は上がる度に観客を魅了した。
武志もそれまで感じていた不安を忘れ、葵とそれらを楽しんだ。
そしてあっという間に時間は過ぎ、いよいよ『銅島花火工房』が打ち上げる番が巡って来た。
観客は、ざわついている。
仕方ないとも思う。名も無い花火工房が何故最後なのか、一体どんな仕掛けを見せるつもりなのだろうかと疑問に思わない方がおかしい。
武志はそっと葵を覗き見るが、妻は無言でただ虚空を睨みつけている。そんな彼女に話しかけようとした瞬間―――
ドォンという今まで打ち上げられた花火の中では一番大きいのではと思うような破裂音が響いた。
その音と共に、葵が丹精込めて作りだした花火が夜空を彩る。
妻が作り出した花火は今まで武志が見たことも無いような大きな花火だった。
何万人も収容しているこの会場さえも包んでしまうような真円の華が、星一つない夜空に咲き誇る。
大きさは違うが、彼女の魔力が醸し出す独特の青緑色を誇らしげに放つその姿は初めて見た彼女の花火とよく似ているように武志は思った。
雪だ!!
武志は首が痛くなるのも忘れて花火を見上げていると、観客席からそんな声が聞こえてきた。
よく目を凝らすと、彼女の肌の様な美しい青緑色をした火花はゆっくり、ゆっくりと観客に向かって落ちてきているようだ。
風一つすら吹かないこの異空間を、観客席に向かってゆっくりと降り注ぐ花火の様はまさに風のない日に深々と降り積もる雪そのものだ。
観客は今まで見たことも無い演出に声すら上げられずに口を開けて眺めている。
それは武志も同じで、降り注ぐ花火の美しさと冬の様な静寂さに圧倒されていた。
だが、彼女の仕掛けはまだ終わらなかった。
観客の手が雪のように降る火花に届くかといった距離まで落ちてきた瞬間突然点滅し、まるで意思があるかのように動き始めたのだ!!
まさにそのタイミングを狙ったかのように会場を照らすライトが全て消え、暗闇の中で何千、何万…いやもっとかもしれない夥しい光が点滅し一斉に動く様は壮観の一言に尽きる。
以前、ホタルイカの涼を見た時に似たような光景を見たが、そんなものとは比べ物にならないほど葵の花火が作り出した光景は美しかった。
観客は今までの静けさが嘘のようにその動く火花に歓声をあげ熱狂する。
「雪螢。」
「ゆきぼたる?」
「ああ、この花火の名前だ。」
それまでひたすら沈黙していた葵が口を開く。仕掛けが無事に成功したことで安心したのか、ほっとした表情をうかべている。
「お前が見せてくれた絵に描かれていた雪を見た時、アタシはその雪がまるで命の炎を燃やす蛍に見えた。そのインスピレーションを元にアタシはこの仕掛けを思いついた。」
そういって葵は近くで漂っていた火花の一つを優しくつかみ取りそっと武志の側に放った。
それは不思議な体験だった。
自分の方に向かってふわふわと浮遊し、まとわりつく花火は熱くないのだ。
そして蛍のように実態は無い。ふれようとするとすり抜けてしまう。
「苦労したよ、魔力を花火一つ一つに籠めて、熱を発しない仕掛けと蛍のような動きをプログラミングするのはよ。」
「だからこそ、お前には何も知らない状況でこの花火を見てほしかった。」
「ああ、だから…」
「あの時はすまなかった。でも…」
「大丈夫だよ、葵の気持ちは痛いほど分かるから。」
それに―――こうやって葵の作る美しい花火を見る事が出来たから。そう言って武志は笑顔を向ける。
葵は武志の笑顔を見て武志の言わんとする事を悟ったのか、ほっと一つ息を吐き出して目の前に広がる光の海に視線を落とした。
会場にいる全ての観客は童心に返ったように彼女の作りだした蛍と戯れ、光を追っている。その姿をひどく優しく、母が子をいつくしむ様に眺めながら、静かに葵は独白を始めた。
「アタシがどうして花火師になりたいって思ったか…。」
「うん。」
「アタシには小さい頃から一つの夢があった。」
―――矮小で、くだらないアタシの夢。
「それは人を笑顔にするって夢。笑っちまうだろ?ウシオニのアタシがそんな似合わない夢を抱いてるなんて…。」
「葵…。」
「小さい頃から家族が笑ってくれるのが嬉しくって、色々馬鹿な事をした。漫才のまねごとをやってみたり中途半端に覚えた落語を話してみたり。優しい母さんや父さんは下手っくそなアタシの芸でも腹の底から笑って、笑顔を見せてくれた。」
でも…
「家族以外の人間や魔物はアタシの姿を見ただけで怖がって逃げちまう。『ウシオニが出た!!』って言って、な。」
ふっと彼女の目に影が差す。
彼女は決して口にはしないが、辛い事や悲しい事、ウシオニという種族でしか見られないといったことが沢山あったのかもしれない。それは彼女が既に自分の中でけりをつけた、触れてはいけない過去のように武志は感じた。
「そんなある時、アタシは両親に内緒で、神社で行われた地元の祭りにこっそりと遊びに行った。忘れもしない、汗が噴き出すような暑い夏の日だった。アタシは境内の中にある建物の影に隠れて、祭りに来ていた連中を盗み見ていた。この日のために用意したであろう可愛らしい浴衣を着飾った魔物娘たち、その横でそんな姿に見惚れて鼻の下をのばした男達、的屋や金魚すくいではしゃぎまわる子供たち。」
でもその中にアタシが入ったらきっと彼らの笑顔を、楽しい時間を壊してしまう。
「そう思ったら、アタシはその場を動けなくなった、金縛りにあったみたいに。そしてどれだけ時間が経ったかは分からないが、完全に日が暮れてあたりが暗くなったその時、空に花火が上がった。」
「花火が…。」
「その花火の美しさにアタシは見惚れてしまってね。あれだけ人前に出るのが怖かったのに気がついたら飛び出して空を見上げていた。その花火は本当に綺麗でよ、上がる度に鼓動が高鳴った。」
少しでもよく見えるところで見たいと思って、建物の蔭から飛び出して夢中で眺めたよ。そう言って彼女は鼻の頭を掻きながら照れ臭そうに笑った。
「だが、次々とリズムよく上がる花火を見ていたアタシはふと我に返った。今、自分は物陰に隠れず堂々と人前に立っているってね。」
やあ、綺麗だね
玉屋〜
君の方が美しいよ、なんちゃって。
もう、調子がいいんだから♡
慌てて辺りを見回したけど、周りにいた客はみんな笑顔で空を見上げて歓声をあげていた。
アタシが人前に出てもその場の笑顔は壊れていなかった。
「みんな、隣に誰がいるかなんて気にならないほど花火に見惚れているんだって分かった。その瞬間、アタシは思った。すぐそばにいるウシオニの恐怖すら忘れさせる『これ』ならアタシでも多くの人を笑顔にしたいって夢も叶えられるかもしれないってな。」
「それで、葵は花火師になったんだね…。」
「ああ、それでアタシはいつかのお前さんのように祭りの主催者に誰があの花火を作ったのかを聞き出した。」
「まさか、それが!?」
「おう、おそらくお前が想像している通り、あの日見た花火を作ったのは師匠だった。」
偶然って怖いよなと言って葵はけらけらと笑う。
それでもよ、そう言って彼女は笑うのを辞めて真剣な目をこちらに向けつつ言葉を続ける。
「そのお陰でアタシは花火師と言う人生の指針を手に入れ、夢の舞台でこれだけ多くの客を前に花火を披露できた。そして何より…」
―――武志と出会えた。
「そんなアタシの現在の夢はな、過去の夢とちょっと違うんだ。」
葵は不敵な笑みを浮かべながら武志を見る。
「ん?どういうこと?」
「アタシの現在の夢はな…」
大きな手でそっと優しく武志の手を取り、豊満な胸に誘いつつ今まで聞いた中で一番優しい声で葵は甘く囁いた。うっすらとたまった涙と熱に浮かされたまなざしは、まるで何かを懇願するように揺れる。
「だれかって言う不特定多数じゃなく大切な夫、銅島武志をアタシの作った花火で…そしてアタシ自身の手で笑顔にしたい。アタシの夢をこれからも叶えさせて、くれるかい?」
普段の男らしくさっぱりとした態度とは打って変わった、しなやかで艶っぽい仕草と声。じっとこちらをみつめる蟲惑的なまなざしは今まで見た事が無いほど美しく武志を誘う。
それらが紡ぎ出す彼女の本心に対する答えは一つしかない。
それ以外、ありえない。
絶対に。
だから、優しく握られた手を握り返しつつ武志は答えた。
「勿論さ、最愛の妻の願いを…断るわけがないでしょ?」
「ありがとう、ありがとう。」
武志の返答を聞いた葵は二言感謝の言葉を口にした後、ゆっくりと武志を引き寄せ抱きしめた。
目の前には幾千、幾万もの蛍が明滅しながら妖しく光り、人々はその光に酔いしれている。
今はただ、彼女の作りだした命の光を眺めつつ、誰よりも大切で愛おしい妻の体温を感じたくて武志は優しく葵を抱きしめたのだった。
13/08/02 09:55更新 / 松崎 ノス
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