前篇
つまり、どんな美徳が栄誉や報償に値するか、良い社会ではどんな生き方が推奨されるべきかにかかわる信念を。経済的繁栄と自由を愛しながらも、われわれは正義の独善的要素をすっかり振り払ってしまうことはできない。
マイケル・サンデル・・・これからの「正義」の話をしよう
街と街とをつなぐ街道からはずれた場所に、今は打ち捨てられた教会の廃墟があった。昔は立派であっただろう建物だが、今は無残な姿を夜の闇にさらしている。
天井はすでに崩れ落ちて無く、仰ぎ見れば夜空の星々が淡い光を放っているのを見て取ることができる。
かつては、信仰の象徴であったシンボルは祭壇には無く、その奥のかつてはステンドグラスがはめ込まれていたであろう窓にも、今はその窓枠すら残ってはいない。
だが、そんな静けさだけが唯一の礼拝者のような場所に、激しい金属のぶつかり合う音が響いていた。
数年ぶりに灯されたであろう、蜀台の灯の光の中で、2人の騎士が戦っていた。
2人の騎士は、同じセクトに所属しているのであろうか、どちらも似通った鎧をまとい、同じ形状の剣で相手を責め、同じ形状の盾で相手の攻撃をはじいていた。
だが、よく見れば、片方は教会のシンボルが描かれたサーコートとマントを鎧の上に着けているのに対し、もう片方は無地のマントを鎧の上に羽織っているだけであった。
だが、戦いは教会のシンボルが入ったマントを身に付けた騎士が、無地のマントを身に付けた騎士を一方的に攻撃しているようだ。
「アルトヴィッヒ!なぜ俺達が闘わなければいけないんだ!」
無地のマントを身に付けた騎士が、盾で相手の攻撃を受けながら叫んだ。
だが、教会のシンボルが入ったマントを纏った者の答えはひどく冷めた口調であった。
「クラウニス。もはや我らは道をたがえたのだ、教会から貴殿を始末するよう命令された以上、この俺が貴殿を討つ!」
2人とも、クロス・ヘルムのヴァイザーが下りており、その表情を伺い知ることはできないが、その口調から2人が旧知の仲であることを伺い知ることができる。
「婚約者を殺すことが、お前の正義なのか。」
「私は、私が信じた者のために殉ずる。ただ・・・、それだけだ・・・。そして、その信じたモノの声に従い、貴殿を殺す!」
そう言いながら、アルトヴィッヒと呼ばれた騎士は、体の右後方から勢いよくサイドスィングを繰り出す。
放たれた斬撃は、軌道上にあった蜀台の上の蝋燭を何本か切断しながら、クラウニスと呼んでいた騎士に迫る。
クラウニスは、(クラウニスから見て)左方から来るその斬撃をあえて左手の盾ではなく、右手の剣で受け止める。そして、剣を受け止めた直後に繰り出された蹴りを盾で受け止めた。
「大振りのフェイントからの中段蹴りとは、あいかわらず変わっていないな・・・。」
攻撃を受け止められた騎士は、足を戻すと盾で押し出す形で体当たりをしかける。
クラウニスは、斬撃を受け止めた右手が前方にあったため、そのシールドバッシュを右肩から直撃を受け、そのまま後方によろめいてしまう。
「っぐ!」
「どうした、防戦一方では、そのままじり貧で私に一方的に殺されるぞ。少しは反撃したらどうなんだ?」
そのまま、クラウニスが後方によろめいた先で、彼は背中に堅い衝撃を受ける。どうやら、かつては教会のシンボルが置かれていたであろう、祭壇にまで追い詰められていたいようだ。
この機の逃すまいと、アルトヴィッヒが上方からダウンスィングで剣を振り下ろす。
背中が祭壇に密着していたために、体を回転させることでなんとか横に斬撃を避わすことができたクラウニスであったが。背中を相手に向けた瞬間、アルトヴィッヒが肩から体当たりを放つ。
それをまともに食らってしまったクラウニスは、バランスと崩し伏せ状態に転倒してしまった。
なんとか体を反転させ相手に向かったところで、その喉元に剣を向けられてしまった。
「クラウニス。これで終わりだ・・・む!」
「な!」
突如、自分に向ってくる魔力を感じたアルトヴィッヒが、反射的に盾を向けると同時に、廃墟内に激しい爆音が響き、廃墟に土煙が立ち込める。
魔法の直撃こそ避けたアルトヴィッヒであったが、爆発の衝撃波でわずかに飛ばされてしまう。
2人の距離が離れると、それを狙っていたかのようにクラウニスに向かって、女性の声が聞こえた。
「う〜〜ん。パパとママから聞いた話に比べて、あんまし強そうじゃないけど・・・。まあ、いいわ。今のうちよ、こっちに着いてきて。」
その声と共に、クラウニスに向かって手がさしのべられる。当の本人は訳が分からなかったが、とりあえずその声に従ってみることにし、その手を取った。
一方、アルトヴィッヒは剣を袈裟に振り下ろし、自分に纏わりつく土煙を払うと。幾分視界が晴れた中で、目当ての人物がいないことに気がついた。
「とんだ邪魔が入ったようだが・・・、いいだろう、クラウニスいずれ決着をつけてやる!」
今だに視界が晴れない中、アルトヴィッヒは遠ざかる2つの気配に向かって、静かに語っていた。そして、再び話始める。
「いつまで、そこで隠れている気になっているつもりですか?」
廃墟の中に、声がむなしく響いていくなか、彼の後ろに修道服に身をつつんだ一人のシスターが現れる。
「ありゃ〜、見つかっちゃいましたか。」
「何、こそこそと私の後を付け回していたのだ?そんなに、私が彼を討てることが考えられないのですか?」
「まあ、そんなとこです。」
「・・・」
そんなシスターの答えに、怒るでもなく剣を鞘に納めて、アルトヴィッヒは廃墟を後にした。
「って、私はこんなさみしい処においてけぼりですか!」
教会の廃墟から走り続けること、しばらくのち。2つの影がその走りをやめた。
いや、その影の片方は決して走っていた訳でなく、低空をもう片方の走者に合わせて飛んでいたのだ。
その影の一方であるクラウニスは、鎧を着て全力疾走したために、息も絶え絶えでその場に止まり、座り込んでしまう。
そして、クロスヘルムのヴァイザーを上げる。
「こ、ここまで来れば・・・、もう・・・、ふう・・・、追ってこないだろう。」
そういって、もう一つの影を見る。
その、もう1・2年すれば大人の外見を備えるであろう年頃の少女の姿をした人物は、頭部に小さな角を持ち、背中に生えた翼でクラウニスのそばを低空で飛行していた。
「しかし、なんでサキュバスが俺を助けたんだ?」
そんなクラウニスの問いに、彼女はのんびりとした口調で答える。
「それはですね〜。うちのパパとママに、あなたの事を聞いたので、興味が湧いたので合いにきてみました〜。」
「パパとママ?」
「でね。でね。」
「無視かい。」
「ようやく見つけたと思ったら、なんだか決闘の最中っぽかったんだけど、やられちゃいそうだったから助けてみました。」
「・・・」
「でも、なんで相手に手をださなかったの?そこまで弱くは感じないんだけど?」
「それは・・・。」
「私は、ミシェリス=ライニッヒネルト。貴方はクラウニスであっているでしょ?」
「って、また無視かい。」
「なんだか、適当にはぐらかされそうだったから、話を短縮してみました。」
「っぐ」
たしかに、クラウニスは出会ったばかりの少女に、なぜアルトヴィッヒと争うことになったのか素直に話す気ではなかったのだが・・・。
「また逢いましょう。元聖騎士様。」
そう言って、彼女は文字どおり飛び去って行った。
「何だったんだ?いったい・・・。」
そうは言いながらも、クラウニスは彼女の言葉を思い返していた。
(でも、なんで相手に手をださなかったの?そこまで弱くは感じないんだけど?)
空を見上げれば、そこは雲一つない満点の星空。静かな夜のなか、ふと、クラウニスはアルトヴィッヒと争う事になった出来事を思い返していた。
〜〜2年前〜〜
「ひさしぶりだな。クラウニス。」
酒場で酒をチビチビやっていた俺に、一人の男が話かけてきた。
「アルトヴィッヒか・・・。よく俺がここにいると分かったな。」
「1年前に、貴殿が脱退する際に鎧を拝借していっただろ?聖騎士団の鎧を使っている冒険者を探したら、あっさり見つけることができたぞ。」
「っぐ!」
「・・・、いや・・・、そう痛いとこを突かれたような顔をされても・・・、普通考えればすぐ気がつくと思うぞ?」
そう、1年前に俺は聖騎士団を脱退し、冒険者として各地を転々とするようになった。冒険者といっても、遺跡に潜ったり、人跡未踏の地を探検したりしない。ほとんどが、逃げたペットが主(どっかに嫁いでいったエキドナ)の居なくなった(すでに探索し尽くされ宝も無い)ダンジョンに潜ったので探してほしいとか、チーズ工場の倉庫に出没するラージマウスの盗賊団を捕まえてくれとかいう便利屋稼業みたいな仕事をしていた。収入は不安定になったが、嫌な上司の命令を聞かずにすむようになったのはありがたかった。
なによりも、親魔物領に自由に出入りできることが、自分には都合がよかった。
「もう、戻る気はないのか?」
「ああ、今更教会に戻る気はない・・・。」
アルトヴィッヒはため息をつきながら、続けた。
「いいかクラウニス、よく考えろ。教会は、3年前の事件の内容を知る者達の中で、自分達の息のかかっていない奴を始末したがっている。あれだけの人員を動かして、魔物1匹になす術もなく国ひとつが飲み込まれるという失態を、隠し通すつもりだ。」
「ああ、知っているよ。親魔物領域にいると、教会が一般人に隠している事柄が、嫌でも耳に入ってくる。教会が、あの事件の生き残り・・・、すなわちあの事件でインキュバス化、サキュバス化した元人間を次々に討伐対象にしていることをな・・・。」
「なら・・・。」
「1年前の俺がうけた指令。あれもそうだったんだよ・・・。」
その事件後、俺はどうしても3年前の事が知りたくなって、魔物に関するあらゆる情報を求めるようなった。教会の正義にうんざりしていたのもあったが、冒険者になることで自由に情報を集められるというのも、脱退した理由の一つだった。なにより、聖騎士団を脱退することで、親魔物領域で魔物に関する情報を集めやすくなると踏んだのだ。親魔物領域なら、教会の情報規制のようなものもないだろうと思ったからだ。
そして、ある図書館で見つけた“図鑑”で、あの魔物が“闇の太陽”と呼ばれる魔物であることを知った。
「1年前、貴殿は2匹の魔物を助けた。教会としては、背教者とするには純分な理由だ。おそらく、その事で貴殿に討伐命令が下されるもの時間の問題だ。」
「・・・」
「その命令が、俺に来ないことを祈ってるよ。」
旧知の仲とはいえ、目の前の男が命令を受ければ容赦なく俺を殺しに来ることは分かっていた。
そう、何よりも目の前にいる男は、俺の目の前でサキュバス化した(まだレッサーサキュバス状態だった)ある女性を殺したのだから。
あのとき、ヤツがいった言葉を俺は今でも忘れない。
(ここに人間は居なかった。いたのは1匹の魔物だけだ・・・)
〜〜3年前〜〜
その日、クラウニスは魔物を追い詰めていた。対象はサキュバスと、外見は人間であるがおそらくはインキュバスであろう1組の夫婦。とある村の近くの洞窟で、対象の魔物が目撃されたので、何かが起こる前に討伐するようにと村か教会へ相談があったらしい。
通常、その2種の魔物はサキュバスが魔王についたことで、先代の魔王の時代よりも強大な力を得たと言われている。そのため、単独での討伐を命じられた時は自分一人で討てるかと考えた。
だが、実際に戦ってみてその理由が分かった。
その一組の魔物達は、クラウニス一人で十分討伐可能な程度の強さしか持ち合わせていなかったのだ。
彼らは、戦うにはあまりにも不慣れとしか言いようがない程度のものでしかなかった。
サキュバスは、それなりに強力な魔法を使っては来るものの。魔法を放とうと精神を集中させるのだが、目の前で威嚇程度に剣を振ると、あっさりと集中が途切れて魔法が失敗に終わる。
インキュバスにいたっては、その辺に転がっていたであろう、太い木の枝を振り回しており、盾で受けるまでもなく簡単に避けれてしまう。
魔物達を追い詰めながら、クラウニスは考えていた。
なぜ、教会は俺を派遣したのだろうか?
単独で派遣したということは、一人でも討伐可能な程度の強さしか持ち合わせていないと踏んだからだろう。
だとすると、疑問が生まれる。ならば、なぜ教会はそのような事を把握していたのだろうか?さらに、その程度の強さしかないと知っているのなら、通常は討伐命令など下さず、冒険者のギルドに依頼を回すよう相談をつっぱねるはずだ。だが、なぜ教会はその相談を受け入れ、討伐を俺に命じた?
そう考えながらも、徐々に魔物達を洞窟の行き止まりに追い詰めていく。
もうすぐ逃げ場が無くなると気付いたインキュバスが、クラウニスに突進してくる。その突進に対して、クラウニスも盾を前に押し出す形でインキュバスに向かって突っ込む。
結果は、インキュバスの方が弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
それを見て、クラウニスは剣を前方に構えながらサキュバスに近づいていく。
サキュバスは完全に戦意を喪失したらしく、地面に尻もちをついている。
と、そこへ、先ほど壁に叩きつけられたインキュバスが2人の間に入り込み、クラウニスの前に立ちはだかる。だが、その姿はとても戦えるとは思えないものである。先ほど壁に叩きつけられたときに痛めたのか、右腕は力なく垂れ下がり、左腕は右肩を抑えている。
(なんなんだ・・・、この状況は・・・。)
魔物を討伐するとき、負けぬよう教会はある程度相手の戦力を計算し、それに勝てるよう戦力を送り込む。だが、今の状況は一方的に強者が弱者をいたぶっているとしか、彼には思えなかった。なにより、魔物を相手にしておきながら、自分はほぼ無傷なのだから。
そして、彼はあることに気がついた。
「そうか、お前達は2年前の・・・。」
そして彼は悩んだ、魔物とはいえ、愛し合う男女を殺すことが自らの信じる道なのか。
たしかに、彼らはここに住んでいるだけで、村に実害が発生している訳ではない。
悪を粛清することが、善の一つ使命であることを否定はしない。悪を滅ぼし、無辜の民を守ることが善たる自らの正義であると信じている。だが、目の前にいる魔物達が悪あるとは、決して感じることはできなかった。
そして、彼は「寛容」という道を選んだ。
彼は、魔物=悪という教会の正義ではなく、彼らの愛を尊ぶという道を選んだのだ。
その後、彼は教会へと引き返し、上層部の指示を仰ぐ間もなく、聖騎士団を脱退した。
11/01/16 09:23更新 / KのHF
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