図書館に通う貴方
「では、コレはきみに差し上げます」
そう言って司書さんが手渡してくれた例の貸し出し履歴を見ながら電車に揺られる。
結局、貸し出し履歴の印刷は1枚では収まらず、A4用紙3枚にもなった。
少し情報を整理してみよう。
改めてこの貸し出し履歴を見て気づいたことは5つ。
1.一番古い履歴は今から8年前で、そこから週に2冊程度を継続して借りている
8年前といえば、僕が図書館に通い始めた時期と同じくらいだ。
こんなに本の趣味が合うんだから、どこかの棚の前で顔を合わせていたかもしれないと思うと、やっぱりどこか運命的なものを感じる。
2.借りている本のジャンルや作者に偏りは感じられない
最初のうちは児童書や絵本を借りているが、5年前からは歴史書や伝記物を借り始め、この2年は純文学や詩集などを借りている。
まるで子どもの成長に合わせて読む本が変わっているような印象だ。
そう考えると、この履歴の主と僕は年齢が近いのかもしれない。
うん、これは良いヒントになりそうだ。
3.どの本も借りてから3日以内に返却している
このことから読書が好きなだけではなく、それに充てる十分な時間のある人であることが想像できる。
やっぱり僕と同じくらいの学生の可能性が高い。
部活や塾があるといっても、朝から晩まで仕事の社会人に比べれば本を読む時間はたっぷりある。
4.この人は本当に僕と好みが似ている
履歴にある160冊余りの本すべてというわけではないが、それでもほとんどが僕も読んだことのある本だった。
もし女の子ならそれこそ運命かもしれないし、男だったら…いい友人になれるだろう。
5.そして、最後に「C191」
「個人情報ではないが、ある程度絞ることができる」
司書さんは確かにそう言っていた。
例えば性別や貸し出しカードを作った時期のような、ある程度グループわけができる情報なのかもしれない。
でも、性別はふつう「M」か「F」だし、3桁の数字じゃ年月日を表すことはできない。
それに「C」があるってことは、A・Bもあるんじゃないか?
さう考えると数字だって1から191まであると考えるのが自然だろう。
ということはつまり、最低でもAからCの3種類×191の573通りがあるのか!?
平凡な普通の高校生である僕にそんな規則性なんて分かるとは到底思えない。
そこまで考えたところで、ちょうど電車が自宅の最寄り駅に到着し。
貸し出し履歴の紙をバックに仕舞い一先ず電車を降りる。
駅からの帰り道でも考えを巡らせるが、他にピンとくることはなく自宅へと帰り着いてしまった。
『ただいまー』
玄関を開けて家に入ると奥から夕飯のいい匂いがしている。
どうやら今日のメニューは肉じゃがらしい。
そのままリビングへ進んだ僕に母が声をかけてきた。
『あら、今日は早かったのね。図書館に行くって言ってたから、あと1時間は帰ってこないかと思ったけど』
キッチンで手を洗いながら、「目的の本が貸し出し中だったんだ」と答えると、「あらそう、残念だったわね」と返ってきた。
この話もこれで終わりだと思った僕はうがいをしようと思い、口に水を含むと天井を見上げてブクブクやり始める。
『それにしても、あんた本当にあそこの司書さんが好きよね〜』
『んぐっ!?…げほっげほっ!!!』
何の脈絡もない母からの発言にうがい中の水を飲みこみそうになって慌てて吐き出した。
「どうしたの急に?大丈夫?」なんて言う母の言葉を無視してうがいをやり直し終えると、母が座っているソファーの正面に座る。
『母さん、さっきの何?僕が司書さんを好きって、どういうこと?』
『だってあんた、司書さんに会いに図書館に行ってるでしょ?』
『ち、違うって!僕は図書館が好きなだけだよ!』
『だから、司書さんがいるからじゃないの?』
『そうじゃなくて!本当に、ただ図書館が好きなの!それだけ!』
どうやら母の頭の中では僕が司書さんのことを好きで、司書さんに会いたいがために図書館に通っていると思っていたらしい。
それは誤解だと必死に説明する僕に対して、母は「そうなの?」と意外な様子。
確かに司書さんは物静かで大人っぽいし、長い髪や知的な眼鏡の似合う綺麗なお姉さんではあるけども...
そもそも僕は司書さんの趣味や年齢はおろか名前だって知らないんだから。
そんな僕が司書さんを好きなんていっても説得力のカケラもないではないか。
『母さんもあんたが小さいときに一緒に図書館に行って、何度か話したくらいだけど…
物静かだし、小さくて人見知りだったあんたにも優しく話しかけてくれて良い人だなぁって思ったものよ』
一人考え込んでいた僕を他所に、母は話を続ける。
当時、確か小学校2年生くらいだっただろうか。
この街に引っ越してきて、まだ学校に友だちのいなかった僕は母に連れられてあの図書館に行ったのだ。
その時の記憶ははっきりとは覚えてないけど、その時から司書さんは司書さんをしていたことだけは覚えている。
『母さん、初めて司書さんを見た時に驚いちゃってね。司書さんは笑って「気にしないでください」なんて言ってくれたけど、悪いことしたなぁって今でも思うのよ』
司書さんを含め、魔物の女性は例外なく顔やスタイルが整っていて、性格はやや強引ではあるものの人の男性に愛情を持って寄り添ってくれるからとても人気がある。
つまりモテる。
でも、見た目が人と大きくかけ離れている種族もあって、その人たちはコンプレックスを抱えていることがあるらしい。
ムカデやクモは嫌われ者だったりするし、どうしても苦手って人もいるから難しいところだ。
『まぁ、あんたはすぐに懐いて「司書のお姉ちゃんに会いたいー!」ってよくダダこねてたけどね』
「そ、そうだっけ?」と、母から目を逸らしてとぼけてはみたものの僕の頭の中には確かにその光景が記憶に残っていた。
思い出してみると、小さいときはずいぶんと司書さんに甘えていた気がする。
一人っ子で友だちのいなかった当時の僕は母に連れられていった図書館で出会った司書のお姉さんがお気に入りで、おすすめの本を教えてもらっては片っ端から読んだのだった。
そんな母との会話が一段落したあと、夕飯と入浴をすまし2階の自室へ戻る。
結局、新しい本を借りることができず、時間を持て余してしまった僕は貸し出し履歴の紙を片手に司書さんとのやり取りを思い返す。
あの履歴の本人であれば「C191」が自身の何を表しているのかすぐに分かるんだろうけど、僕に分かるのは自分のことくらいだ。
『自分のこと…そうか!僕の履歴にも同じような情報が書かれているはずだから、それを見れば分かるんじゃないか!?』
我ながら頭が冴えている!
僕には「C191」が何かは検討もつかないが、自分のことであれば話は別だ。
頭文字のアルファベット、3桁の数字。
それぞれが何を意味するのか分かる可能性が高い。
それが分かれば同じ考え方で相手のことも見当がつくかもしれない。
そうと決まれば今夜はさっさと寝て、また明日、図書館に行って司書さんと知恵比べしてみよう。
普段何かとからかってくるあの司書さんを見返すチャンスの到来に僕は自然と笑みがこぼれてくるのだった。
次の日、学校の授業が終わると急いで駅に向かい、その足で図書館へ向かう。
もしかしたらあの司書さんから「すごいですね、さすがです」とか、賞賛を受けることが出来るかもしれない。
『こんにちは、司書さん。昨日ぶりです!』
『ああ、きみですか。今日も来たのですね、まぁいつものことですが...』
いつもと変わらずパソコンでお仕事中だった司書さんは僕の方を向き、軽口交じりのあいさつを返してくれた。
『ところで、何かいいことでもあったのですか?ずいぶんと嬉しそうな顔をしていますね』
どうやら顔に出ていたらしい。
昨日、司書さんからもらった貸し出し履歴の紙をカウンターに置いて司書さんの顔を見る。
司書さんは最初に紙を見て、それから僕の顔を見てしばらく沈黙すると「分かったのですか?」と言った。
『いえ、分かったわけではありません。でも、これから分かると思います!』
僕の自信満々な態度と物言いに司書さんは真剣な表情で見つめ返してきた。
さっそく司書さんに僕自身の貸し出し履歴を印刷してもらえないかお願いする。
『ああ、なるほど。「C191」が何を指すかは分からなくても、自分の貸し出し履歴に何と書いてあるか分かればそこから推測できると言うことですか』
僕の考えを一瞬で理解した司書さんに驚きつつ、「まぁ、そういうことです」と自慢げに胸を張る。
司書さんは「まぁ、いいでしょう」と言うと、昨日と同じようにカウンターの後ろにあるプリンターを操作し始めた。
さて、ようやく謎が解けて僕の運命の人が誰か分かる時がきた!
『はい、どうぞ』
そう言うと司書さんは印刷されたばかりでまだ温かい紙を僕に手渡してくれた。
目を瞑って深呼吸をし、そこに印刷された文字とついにご対面する。
『何も...書いてない...?』
何も書いてない!
そう、何も書かれていない!
僕の目が瞬間的に悪くなったわけでも、塗りつぶされているわけでもない。
僕の名前のすぐ横に書かれていると思ったアルファベット1文字プラス3桁の数字がないのだ!
『し、司書さん!これ、一体どういうことですか!?何で何も書いてないんですか!?』
目論見が外れたこと以上に、「何も書かれていない」という事実に僕は混乱した。
そこまで一気に捲し立てた僕がすぐ目の前の司書さんを見ると、とても楽しそうに笑っている。
『ふふふ...簡単な話ですよ。きみに“ソレ”は必要ないということです』
『…必要ない?僕には必要ないのにこの人には必要で、しかも個人の特定に繋がる!?』
なんだそんな話!
聞いたことないぞ。
もしそれが本当なら完全にお手上げだ。
司書さんはにこにこしながら「降参しますか?」なんて聞いてくるけど、このまま素直に引き下がる気にはなれない。
一度、ゼロから考え直してみよう。
検討も付かない「C191」にこだわったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。
僕の貸し出し履歴ともう一つの貸し出し履歴。
いくら見比べてみても違いなんて名前とその横の文字列、そして数冊程度の貸し出し履歴の違いだけだった。
数冊程度の違い...?
『司書さん、あくまでも司書としての立場で答えて欲しいんですけど
これだけの本があって、全く別人の貸し出し履歴がほとんど同じってあり得るのかな?』
『まぁ、普通に考えて“あり得ない”ですね』
やっぱりそうだ!
そもそもそこから変だったんだ。
この図書館に一体何冊の本があるのか調べたことはないし、検討もつかないけど数万から数十万に収まる数とは思えない。
それなのにこれだけ貸し出し履歴が一致しているということは、どちらかがもう片方に合わせる以外には考えにくい。
当然、僕が相手の貸し出し履歴に合わせて借りるなんてしていない。
相手のことをよく知りもしないのにそんなこと出来るわけがない。
それが出来るってことはつまり...
『...この人は僕のことを知ってる?』
『はい、その通りです』
独り言のつもりで呟いた言葉に司書さんが反応する。
その表情はとても嬉しそうに見えて少し、いやかなり悔しい。
でも、真相にはかなり近づいている気がする。
それでもまだ何か、すごく当たり前の事を見落としている気がする。
8年前からの貸し出し履歴
しかもそれは意図的に僕と同じだった
普通の人より多く本を読む時間がある人物で
図書館に届いてすぐの本をチェックできる
そして、あの高い棚から本を取ることができた
『司書さん』
『はい、何でしょう』
『これって、司書さん?』
『はい♪』
また司書さんにからかわれた〜〜〜〜〜!!!!!!
隣でそれはそれは楽しそうに笑う司書さんを尻目に僕は盛大なため息を吐いた。
考えてみればおかしなところは他にもあったのだ。
まず第一に、あんな高い棚の本を司書さん以外が取れるはずがないし、仮に司書さんに頼んで取ってもらったのだとしても、そのことを司書さんが忘れるわけがないのだ。
個人情報を盾に「C191」が何かを教えてくれないくせに、貸し出し履歴は難なく僕に渡してくれた。
自分の履歴ならまぁあげてもいいかと思ったんだろう。
それに司書さんなら仕事の一環として本を読む時間も人より多く確保できる。
謎が解けると同時に何とも壮大なイジワルだったことを理解すると、一気に疲れがこみ上げて近くの椅子に座り込んだ僕に司書さんは話を続ける。
『ああ、一つだけ。きみの勘違いを正しておかなくてはいけませんね。
私ときみ、2つの貸し出し履歴ですが私がきみと同じ本を読んだのではありません。
きみが私と同じ本を読んだのです』
『きみはよく私にこう言いましたよね。「司書さん、何かおすすめの本はないですか?」と』
まさか...
『だから教えてあげたのです。私が読んで面白いと感じた本を、きみに』
よくよく見れば貸し出し履歴の年月日は司書さんが先で、僕があとの日付だった。
『つまり司書さんは全部分かった上で、僕をからかって遊んでいたと...』
『まぁ、人聞きの悪い』
今更しらばっくれても何も取り繕えないことくらい分かっているだろうに、それでも司書さんはくすくす笑いながらそんなことをのたまう。
『じゃあこの「C191」って結局なんだったんですか?』
『ああ、それですか。少し待っていてください』
司書さんはそう言うと図書館の奥の方に歩いていってしまう。
一体、何事だろうと思ったが一先ず言われた通り座って待っていることにした。
『...これを』
戻ってきた司書さんそう言うと一冊の分厚い本...
かなり年季の入ったソレを僕の目の前に置いた。
『何ですか、これ?』
『これは“魔物娘図鑑”と呼ばれるものです。私たち魔物が人と一緒に暮らすようになって以降、世界中の図書館にいつの間にか現れたと聞いています』
魔物娘。
人ではないもう一つの共存相手。
『別名をクロビネガと言って、新しい魔物が世界に現れると人知れずページが増えるそうです。
そしてその191番目、そこに書いてあるのが...私たち、大百足のことです』
クロビネガの頭文字は「C」、そしてそのページ番号というわけだ。
『つまり、あれは本の借り主が人か魔物か、魔物ならどの種族かを判別するための情報なんです』
全く想像していなかった結論に僕はただ黙って話を聞いていることしか出来ない。
『きみも知っての通り、魔物娘というのは例外なく人の男性を求め、好きな相手が出来るとその相手を自分色に染めたくなる性質です。
だからこそ、不用意に男性スタッフと魔物娘の利用者が接触を持たないようにカードに情報を載せているのです。』
「わざと本の貸し出しを延滞して男性スタッフに取りに来させようとする魔物娘があとを断たなかったもので」と司書さんは付け足すと、ごくごく自然に魔物娘図鑑=クロビネガを閉じようとする。
『ちょちょ、ちょっと待ってください!僕、このページまだ読み終えてません!』
今回のことを通してどれだけ司書さんのことを知らずにいたのかに気付き、少しでもそれを埋めたいと思っていた僕にとってこの本はまたとないチャンス。
大百足とはどんな性格で、どんな男性を好きになるのか気になってしかなかったのだ。
『いえ!これは、もう仕舞い、ます!...こら!本を離しなさい!!』
司書さんと本の引っ張り合いになってしまったが、離す気はさらさらない!
『僕はもっとよく知りたいんです!司書さんのこと!!!』
無意識のうちに出ていた言葉に司書さんの動きが止まる。
その隙に本を引っ手繰るとさっきのページを急いで捲る。
隣では司書さんが「あー」だの「やめなさい」だの言っているが気にしていられない。
僕には知る必要があるんだから!
『司書さん、昨日言いましたよね?
「運命とかそういうのは相手の事をよく知ってから言うもの」だって
だから知りたいんです!』
本を読む僕の隣でうな垂れた様子の司書さんにそう言いながら目的のページを読む。
読む。
読む。
読む。
時間にして5分もないくらい。
今にして思えば、それは僕にとっても司書さんにとってもお互いに忘れられない時間になったと思う。
その証拠に司書さんの顔はこれまで見たこともないくらい真っ赤になっていたからだ。
『き、きみ...それで、何か感想はないのですか?』
痺れを切らした司書さんが少し怒り気味にそう言うのをみて、何と言うか司書さんに対して初めて「かわいい」と感じていた。
これまではどちらかというとスマートな外見や性格も相まって、「綺麗」という印象を持っていたからだ。
『そうですね、すごく素敵だと思います。すごく一途で意外と甘えん坊そうなところとか、かわいいなって』
僕のその言葉を聞いた司書さんは目にも止まらぬ速さで顔を逸らし、片手をうちわ代わりに顔を仰いでいる。
おそらくさらに顔が赤くなってしまったんだろう。
これまで図書館の利用者と司書の関係だった時には知らなかった一面を知る度、自分の中で特別な感情が湧き上がるのを感じる。
きっと昔からそれこそ初めてここで司書さんと出会ってから今日までの時間の積み重ねが今になって溢れ出したのかも知れない。
『司書さん』
僕がそう呼ぶと司書さんは一つ深呼吸をしてこちらを向いてくれた。
顔はまだ赤いし、瞳にも少し涙がたまっている。
両手は居心地悪くモジモジしているし、普段は髪と一緒に後ろに流している2本の触覚も今は前を向いてぴょこぴょこと忙しなく動いていた。
『司書さんの言った通りでした。
「運命かどうかは相手のことをよく知ってから」
だから今、分かったんです。
僕は司書さんのことが好きです』
そう言って司書さんが手渡してくれた例の貸し出し履歴を見ながら電車に揺られる。
結局、貸し出し履歴の印刷は1枚では収まらず、A4用紙3枚にもなった。
少し情報を整理してみよう。
改めてこの貸し出し履歴を見て気づいたことは5つ。
1.一番古い履歴は今から8年前で、そこから週に2冊程度を継続して借りている
8年前といえば、僕が図書館に通い始めた時期と同じくらいだ。
こんなに本の趣味が合うんだから、どこかの棚の前で顔を合わせていたかもしれないと思うと、やっぱりどこか運命的なものを感じる。
2.借りている本のジャンルや作者に偏りは感じられない
最初のうちは児童書や絵本を借りているが、5年前からは歴史書や伝記物を借り始め、この2年は純文学や詩集などを借りている。
まるで子どもの成長に合わせて読む本が変わっているような印象だ。
そう考えると、この履歴の主と僕は年齢が近いのかもしれない。
うん、これは良いヒントになりそうだ。
3.どの本も借りてから3日以内に返却している
このことから読書が好きなだけではなく、それに充てる十分な時間のある人であることが想像できる。
やっぱり僕と同じくらいの学生の可能性が高い。
部活や塾があるといっても、朝から晩まで仕事の社会人に比べれば本を読む時間はたっぷりある。
4.この人は本当に僕と好みが似ている
履歴にある160冊余りの本すべてというわけではないが、それでもほとんどが僕も読んだことのある本だった。
もし女の子ならそれこそ運命かもしれないし、男だったら…いい友人になれるだろう。
5.そして、最後に「C191」
「個人情報ではないが、ある程度絞ることができる」
司書さんは確かにそう言っていた。
例えば性別や貸し出しカードを作った時期のような、ある程度グループわけができる情報なのかもしれない。
でも、性別はふつう「M」か「F」だし、3桁の数字じゃ年月日を表すことはできない。
それに「C」があるってことは、A・Bもあるんじゃないか?
さう考えると数字だって1から191まであると考えるのが自然だろう。
ということはつまり、最低でもAからCの3種類×191の573通りがあるのか!?
平凡な普通の高校生である僕にそんな規則性なんて分かるとは到底思えない。
そこまで考えたところで、ちょうど電車が自宅の最寄り駅に到着し。
貸し出し履歴の紙をバックに仕舞い一先ず電車を降りる。
駅からの帰り道でも考えを巡らせるが、他にピンとくることはなく自宅へと帰り着いてしまった。
『ただいまー』
玄関を開けて家に入ると奥から夕飯のいい匂いがしている。
どうやら今日のメニューは肉じゃがらしい。
そのままリビングへ進んだ僕に母が声をかけてきた。
『あら、今日は早かったのね。図書館に行くって言ってたから、あと1時間は帰ってこないかと思ったけど』
キッチンで手を洗いながら、「目的の本が貸し出し中だったんだ」と答えると、「あらそう、残念だったわね」と返ってきた。
この話もこれで終わりだと思った僕はうがいをしようと思い、口に水を含むと天井を見上げてブクブクやり始める。
『それにしても、あんた本当にあそこの司書さんが好きよね〜』
『んぐっ!?…げほっげほっ!!!』
何の脈絡もない母からの発言にうがい中の水を飲みこみそうになって慌てて吐き出した。
「どうしたの急に?大丈夫?」なんて言う母の言葉を無視してうがいをやり直し終えると、母が座っているソファーの正面に座る。
『母さん、さっきの何?僕が司書さんを好きって、どういうこと?』
『だってあんた、司書さんに会いに図書館に行ってるでしょ?』
『ち、違うって!僕は図書館が好きなだけだよ!』
『だから、司書さんがいるからじゃないの?』
『そうじゃなくて!本当に、ただ図書館が好きなの!それだけ!』
どうやら母の頭の中では僕が司書さんのことを好きで、司書さんに会いたいがために図書館に通っていると思っていたらしい。
それは誤解だと必死に説明する僕に対して、母は「そうなの?」と意外な様子。
確かに司書さんは物静かで大人っぽいし、長い髪や知的な眼鏡の似合う綺麗なお姉さんではあるけども...
そもそも僕は司書さんの趣味や年齢はおろか名前だって知らないんだから。
そんな僕が司書さんを好きなんていっても説得力のカケラもないではないか。
『母さんもあんたが小さいときに一緒に図書館に行って、何度か話したくらいだけど…
物静かだし、小さくて人見知りだったあんたにも優しく話しかけてくれて良い人だなぁって思ったものよ』
一人考え込んでいた僕を他所に、母は話を続ける。
当時、確か小学校2年生くらいだっただろうか。
この街に引っ越してきて、まだ学校に友だちのいなかった僕は母に連れられてあの図書館に行ったのだ。
その時の記憶ははっきりとは覚えてないけど、その時から司書さんは司書さんをしていたことだけは覚えている。
『母さん、初めて司書さんを見た時に驚いちゃってね。司書さんは笑って「気にしないでください」なんて言ってくれたけど、悪いことしたなぁって今でも思うのよ』
司書さんを含め、魔物の女性は例外なく顔やスタイルが整っていて、性格はやや強引ではあるものの人の男性に愛情を持って寄り添ってくれるからとても人気がある。
つまりモテる。
でも、見た目が人と大きくかけ離れている種族もあって、その人たちはコンプレックスを抱えていることがあるらしい。
ムカデやクモは嫌われ者だったりするし、どうしても苦手って人もいるから難しいところだ。
『まぁ、あんたはすぐに懐いて「司書のお姉ちゃんに会いたいー!」ってよくダダこねてたけどね』
「そ、そうだっけ?」と、母から目を逸らしてとぼけてはみたものの僕の頭の中には確かにその光景が記憶に残っていた。
思い出してみると、小さいときはずいぶんと司書さんに甘えていた気がする。
一人っ子で友だちのいなかった当時の僕は母に連れられていった図書館で出会った司書のお姉さんがお気に入りで、おすすめの本を教えてもらっては片っ端から読んだのだった。
そんな母との会話が一段落したあと、夕飯と入浴をすまし2階の自室へ戻る。
結局、新しい本を借りることができず、時間を持て余してしまった僕は貸し出し履歴の紙を片手に司書さんとのやり取りを思い返す。
あの履歴の本人であれば「C191」が自身の何を表しているのかすぐに分かるんだろうけど、僕に分かるのは自分のことくらいだ。
『自分のこと…そうか!僕の履歴にも同じような情報が書かれているはずだから、それを見れば分かるんじゃないか!?』
我ながら頭が冴えている!
僕には「C191」が何かは検討もつかないが、自分のことであれば話は別だ。
頭文字のアルファベット、3桁の数字。
それぞれが何を意味するのか分かる可能性が高い。
それが分かれば同じ考え方で相手のことも見当がつくかもしれない。
そうと決まれば今夜はさっさと寝て、また明日、図書館に行って司書さんと知恵比べしてみよう。
普段何かとからかってくるあの司書さんを見返すチャンスの到来に僕は自然と笑みがこぼれてくるのだった。
次の日、学校の授業が終わると急いで駅に向かい、その足で図書館へ向かう。
もしかしたらあの司書さんから「すごいですね、さすがです」とか、賞賛を受けることが出来るかもしれない。
『こんにちは、司書さん。昨日ぶりです!』
『ああ、きみですか。今日も来たのですね、まぁいつものことですが...』
いつもと変わらずパソコンでお仕事中だった司書さんは僕の方を向き、軽口交じりのあいさつを返してくれた。
『ところで、何かいいことでもあったのですか?ずいぶんと嬉しそうな顔をしていますね』
どうやら顔に出ていたらしい。
昨日、司書さんからもらった貸し出し履歴の紙をカウンターに置いて司書さんの顔を見る。
司書さんは最初に紙を見て、それから僕の顔を見てしばらく沈黙すると「分かったのですか?」と言った。
『いえ、分かったわけではありません。でも、これから分かると思います!』
僕の自信満々な態度と物言いに司書さんは真剣な表情で見つめ返してきた。
さっそく司書さんに僕自身の貸し出し履歴を印刷してもらえないかお願いする。
『ああ、なるほど。「C191」が何を指すかは分からなくても、自分の貸し出し履歴に何と書いてあるか分かればそこから推測できると言うことですか』
僕の考えを一瞬で理解した司書さんに驚きつつ、「まぁ、そういうことです」と自慢げに胸を張る。
司書さんは「まぁ、いいでしょう」と言うと、昨日と同じようにカウンターの後ろにあるプリンターを操作し始めた。
さて、ようやく謎が解けて僕の運命の人が誰か分かる時がきた!
『はい、どうぞ』
そう言うと司書さんは印刷されたばかりでまだ温かい紙を僕に手渡してくれた。
目を瞑って深呼吸をし、そこに印刷された文字とついにご対面する。
『何も...書いてない...?』
何も書いてない!
そう、何も書かれていない!
僕の目が瞬間的に悪くなったわけでも、塗りつぶされているわけでもない。
僕の名前のすぐ横に書かれていると思ったアルファベット1文字プラス3桁の数字がないのだ!
『し、司書さん!これ、一体どういうことですか!?何で何も書いてないんですか!?』
目論見が外れたこと以上に、「何も書かれていない」という事実に僕は混乱した。
そこまで一気に捲し立てた僕がすぐ目の前の司書さんを見ると、とても楽しそうに笑っている。
『ふふふ...簡単な話ですよ。きみに“ソレ”は必要ないということです』
『…必要ない?僕には必要ないのにこの人には必要で、しかも個人の特定に繋がる!?』
なんだそんな話!
聞いたことないぞ。
もしそれが本当なら完全にお手上げだ。
司書さんはにこにこしながら「降参しますか?」なんて聞いてくるけど、このまま素直に引き下がる気にはなれない。
一度、ゼロから考え直してみよう。
検討も付かない「C191」にこだわったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。
僕の貸し出し履歴ともう一つの貸し出し履歴。
いくら見比べてみても違いなんて名前とその横の文字列、そして数冊程度の貸し出し履歴の違いだけだった。
数冊程度の違い...?
『司書さん、あくまでも司書としての立場で答えて欲しいんですけど
これだけの本があって、全く別人の貸し出し履歴がほとんど同じってあり得るのかな?』
『まぁ、普通に考えて“あり得ない”ですね』
やっぱりそうだ!
そもそもそこから変だったんだ。
この図書館に一体何冊の本があるのか調べたことはないし、検討もつかないけど数万から数十万に収まる数とは思えない。
それなのにこれだけ貸し出し履歴が一致しているということは、どちらかがもう片方に合わせる以外には考えにくい。
当然、僕が相手の貸し出し履歴に合わせて借りるなんてしていない。
相手のことをよく知りもしないのにそんなこと出来るわけがない。
それが出来るってことはつまり...
『...この人は僕のことを知ってる?』
『はい、その通りです』
独り言のつもりで呟いた言葉に司書さんが反応する。
その表情はとても嬉しそうに見えて少し、いやかなり悔しい。
でも、真相にはかなり近づいている気がする。
それでもまだ何か、すごく当たり前の事を見落としている気がする。
8年前からの貸し出し履歴
しかもそれは意図的に僕と同じだった
普通の人より多く本を読む時間がある人物で
図書館に届いてすぐの本をチェックできる
そして、あの高い棚から本を取ることができた
『司書さん』
『はい、何でしょう』
『これって、司書さん?』
『はい♪』
また司書さんにからかわれた〜〜〜〜〜!!!!!!
隣でそれはそれは楽しそうに笑う司書さんを尻目に僕は盛大なため息を吐いた。
考えてみればおかしなところは他にもあったのだ。
まず第一に、あんな高い棚の本を司書さん以外が取れるはずがないし、仮に司書さんに頼んで取ってもらったのだとしても、そのことを司書さんが忘れるわけがないのだ。
個人情報を盾に「C191」が何かを教えてくれないくせに、貸し出し履歴は難なく僕に渡してくれた。
自分の履歴ならまぁあげてもいいかと思ったんだろう。
それに司書さんなら仕事の一環として本を読む時間も人より多く確保できる。
謎が解けると同時に何とも壮大なイジワルだったことを理解すると、一気に疲れがこみ上げて近くの椅子に座り込んだ僕に司書さんは話を続ける。
『ああ、一つだけ。きみの勘違いを正しておかなくてはいけませんね。
私ときみ、2つの貸し出し履歴ですが私がきみと同じ本を読んだのではありません。
きみが私と同じ本を読んだのです』
『きみはよく私にこう言いましたよね。「司書さん、何かおすすめの本はないですか?」と』
まさか...
『だから教えてあげたのです。私が読んで面白いと感じた本を、きみに』
よくよく見れば貸し出し履歴の年月日は司書さんが先で、僕があとの日付だった。
『つまり司書さんは全部分かった上で、僕をからかって遊んでいたと...』
『まぁ、人聞きの悪い』
今更しらばっくれても何も取り繕えないことくらい分かっているだろうに、それでも司書さんはくすくす笑いながらそんなことをのたまう。
『じゃあこの「C191」って結局なんだったんですか?』
『ああ、それですか。少し待っていてください』
司書さんはそう言うと図書館の奥の方に歩いていってしまう。
一体、何事だろうと思ったが一先ず言われた通り座って待っていることにした。
『...これを』
戻ってきた司書さんそう言うと一冊の分厚い本...
かなり年季の入ったソレを僕の目の前に置いた。
『何ですか、これ?』
『これは“魔物娘図鑑”と呼ばれるものです。私たち魔物が人と一緒に暮らすようになって以降、世界中の図書館にいつの間にか現れたと聞いています』
魔物娘。
人ではないもう一つの共存相手。
『別名をクロビネガと言って、新しい魔物が世界に現れると人知れずページが増えるそうです。
そしてその191番目、そこに書いてあるのが...私たち、大百足のことです』
クロビネガの頭文字は「C」、そしてそのページ番号というわけだ。
『つまり、あれは本の借り主が人か魔物か、魔物ならどの種族かを判別するための情報なんです』
全く想像していなかった結論に僕はただ黙って話を聞いていることしか出来ない。
『きみも知っての通り、魔物娘というのは例外なく人の男性を求め、好きな相手が出来るとその相手を自分色に染めたくなる性質です。
だからこそ、不用意に男性スタッフと魔物娘の利用者が接触を持たないようにカードに情報を載せているのです。』
「わざと本の貸し出しを延滞して男性スタッフに取りに来させようとする魔物娘があとを断たなかったもので」と司書さんは付け足すと、ごくごく自然に魔物娘図鑑=クロビネガを閉じようとする。
『ちょちょ、ちょっと待ってください!僕、このページまだ読み終えてません!』
今回のことを通してどれだけ司書さんのことを知らずにいたのかに気付き、少しでもそれを埋めたいと思っていた僕にとってこの本はまたとないチャンス。
大百足とはどんな性格で、どんな男性を好きになるのか気になってしかなかったのだ。
『いえ!これは、もう仕舞い、ます!...こら!本を離しなさい!!』
司書さんと本の引っ張り合いになってしまったが、離す気はさらさらない!
『僕はもっとよく知りたいんです!司書さんのこと!!!』
無意識のうちに出ていた言葉に司書さんの動きが止まる。
その隙に本を引っ手繰るとさっきのページを急いで捲る。
隣では司書さんが「あー」だの「やめなさい」だの言っているが気にしていられない。
僕には知る必要があるんだから!
『司書さん、昨日言いましたよね?
「運命とかそういうのは相手の事をよく知ってから言うもの」だって
だから知りたいんです!』
本を読む僕の隣でうな垂れた様子の司書さんにそう言いながら目的のページを読む。
読む。
読む。
読む。
時間にして5分もないくらい。
今にして思えば、それは僕にとっても司書さんにとってもお互いに忘れられない時間になったと思う。
その証拠に司書さんの顔はこれまで見たこともないくらい真っ赤になっていたからだ。
『き、きみ...それで、何か感想はないのですか?』
痺れを切らした司書さんが少し怒り気味にそう言うのをみて、何と言うか司書さんに対して初めて「かわいい」と感じていた。
これまではどちらかというとスマートな外見や性格も相まって、「綺麗」という印象を持っていたからだ。
『そうですね、すごく素敵だと思います。すごく一途で意外と甘えん坊そうなところとか、かわいいなって』
僕のその言葉を聞いた司書さんは目にも止まらぬ速さで顔を逸らし、片手をうちわ代わりに顔を仰いでいる。
おそらくさらに顔が赤くなってしまったんだろう。
これまで図書館の利用者と司書の関係だった時には知らなかった一面を知る度、自分の中で特別な感情が湧き上がるのを感じる。
きっと昔からそれこそ初めてここで司書さんと出会ってから今日までの時間の積み重ねが今になって溢れ出したのかも知れない。
『司書さん』
僕がそう呼ぶと司書さんは一つ深呼吸をしてこちらを向いてくれた。
顔はまだ赤いし、瞳にも少し涙がたまっている。
両手は居心地悪くモジモジしているし、普段は髪と一緒に後ろに流している2本の触覚も今は前を向いてぴょこぴょこと忙しなく動いていた。
『司書さんの言った通りでした。
「運命かどうかは相手のことをよく知ってから」
だから今、分かったんです。
僕は司書さんのことが好きです』
19/07/19 19:43更新 / みな犬
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