連載小説
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楽しそうに本を読む貴方
家から最寄りの駅まで歩いて10分。
そこから電車に乗って各駅停車で2駅先にある図書館で過ごすのが僕のライフワーク。
もちろん、人並みより少しだけ読書が好きなつもりはあるけれど、それ以上に図書館の空気が好きなんです。

静かで落ち着いていて、他より空気がひんやりしていて。
ページをめくる音にペンが紙の上を走る軽い音、たまに大きく息遣いが聞こえると一つの物語の終わりを感じさせる。
さぁ、物思いに耽っている間に目的地に到着です。
今日はどの本を読もうかなと考えながら僕は図書館の門をくぐった。


『司書さん、こんにちは』


入ってすぐには質素なカウンターがあり、そこにはいつも一人の女性が座っています。
長い髪を後ろに流し、眼鏡をかけた目はパソコンに向けたままのその人。
僕が初めてこの図書館に来た小学生の時から高校生になった今でもずっと司書をしている人。


『はい、こんにちは。今日も来たのね、きみ』


「きみ」っていうのは司書さんが僕を指す時の呼び名。
貸し出しカードを見ている司書さんは知っているはずの僕の名前を呼ばず、なぜかいつも「きみ」と呼んでいる。


『はい、ここは僕のもう一つの自室みたいなものですから。司書さんの次くらいには本の場所を覚えている自信がありますよ?』


そんな冗談を言って笑っても司書さんは特段反応することはなく、相変わらず仕事の真っ最中。
別に怒ったわけでも、僕の冗談がつまらなかったわけでもなく、司書さんはそう言う人なんです。
10年近く、週に何度も顔を合わせて会話を交わせばその人がどんな性格かくらい子どもの僕でも分かります。

次に僕が目を向けたのは司書さんの手元にあるバインダー。
その日に図書館へ届けられた本の名前が一覧になっていて、作者やどの棚に置いてあるかも一目瞭然なそれ。
いつものように「司書さん、お借りしますね」と一声かけてそれに目を通す。
それに対して司書さんはパソコンに目を向けたまま「どうぞ」と短く返事する。


『あ、この本...少し前にニュースで取り上げられたエッセイ集だ。図書館に届いたんですね』


その本は家族や出会い、別れにまつわるエッセイがまとめられた一冊。
確か本の作者の父親が亡くなったのをきっかけに、自身のこれまでの作品をまとめて本にしたんだっけ。
この作者の本はまだ読んだことはないけれど、エッセイ集は好きなジャンルだし、よし今日はこれを借りてみよう。
さて目的の本も決まって保管されている棚に足を向けようとしたその時、


『その本をご希望ですか?それなら私も一緒に行きましょう』


司書さんからそう声がかかった。


『え、司書さんお仕事中でしょ?本くらい自分で探せるから大丈夫ですよ?』


男子高校生を掴まえてまさか本の一冊も探せないと思われているんだろうかと少し不満顔になる僕を他所に、司書さんは「ふぅ」っと小さく息を吐くと席から立った。
それまで椅子に腰掛けていた時は当然僕が見下ろす形だったのに、今となっては僕が司書さんを見上げることになる。
僕の身長が特別低いわけじゃない。
まぁ、平均。クラスで言えば前から3番目くらい。でも決して小さいわけではない。
それなのに司書さんの顔はずっとずっと上。
身長で例えるなら軽く180cmはあるだろうか。


『いいえ、その本の位置は人では届きません』


そう、司書さんは人ではない。
上半身は普通の女の人に見えるけれどお腹から下、人で言う二本の足の変わりに付いているのは長い胴体とそこに並ぶたくさんの肢。
この際、分かりやすく言おう。


「ムカデ」


司書さんは「大百足」という名前を持つ、人ではない魔物の女性。
虫のムカデのように地面を這わず、体を持ち上げているからその分、身長...と言っていいのだろうか。
とにかく高いところにも手が届く体型をしていた。

隣を歩きながらチラリと横目で司書さんを見やる。
こんなにたくさん肢が並んでいるのにとても滑らかに動くその様子は機械的でありながら生物の持つ柔らかさやしなやかさ、そして確かな肉感を持っている。


『きみ、あまり女性をジロジロみては失礼ですよ?』


そんな僕の視線に気付いて司書さんからお小言をもらってしまった。
でもその顔に怒りや不快感は見当たらず、からかい甲斐のある相手に対する明らかなイジワルである。
そんなことは端から分かりきっている僕は「はい、ごめんなさい」と、あまり誠意を込めない謝罪を口にした。
僕の言葉を聞いた司書さんといえば、「ふふっ」と満足げに笑う始末である。


『さて、この本棚ですね』


そんなやり取りをしている間に目的の場所に到着。
司書さんはさらに体を持ち上げ、ゆうに2mは越える高さの本棚を物色する。
そんな位置にあったのでは、誰も本を借りられないのでは?と思いつつ目的の本が届くのを待ちわびる。


『残念ですが、貸し出し中のようです』


しかし、期待した一冊は僕の元に届けられることはなく、司書さんからの言葉に肩を落とす。
少し前とはいえ、ニュースにも取り上げられた一冊だし借りたい人がいるのも当然。
早い者勝ちの図書館では良くあることだった。


『あー、そうですか...残念ですけど仕方ないですね』


しかしこんな場所にある本を借りるとはどんな人物なのか、少し興味の沸いた僕はダメ元で司書さんにあるお願いをしてみる。


『司書さん、司書さん。その本、借りた方は分かりますか?』


体をいつもの位置に降ろした司書さんは一瞬考えるような表情をしてからこう言った。


『個人情報に触れない範囲であれば。例えばいつ借りたとかこれまでどんな本を借りたとか、そのくらいであれば問題ないでしょう』


僕のお願いに対して、司書さんからは模範的な回答が返ってきた。
魔物の女性と共存するようになってからより一層厳しくなった個人情報の取り扱い。
それもそのはず。
魔物の女性はなかなか強引なところがあって、好きな人の名前や連絡先、住んでいる場所が分かると押しかけ女房からの既成事実があとを絶たないらしい。



司書さんもそうなんだろうか。



一瞬そんな考えが思い浮かんだが、すぐに頭を振ってかき消していた。
まさか、いつも図書館にいて、着飾っているところも見たことがないこの司書さんにそんな相手がいるはずがない。
いつの間にか先に歩き始めていた司書さんのあとを、僕は小走りに追いかけた。


カウンターに戻ってくると、司書さんは慣れた手つきでパソコンを操作し始めた。
本のタイトルから現在、誰に貸し出しているのか検索してくれているのだろう。


『分かりましたよ。ああ、どうやら貸し出しはきみが来るつい10分ほど前。これまでの貸し出し履歴を印刷するので少しお待ちください』


司書さんはそこまで言うと席を立ち、後ろに置いてあるプリンターに印刷用の紙をセットする。
すぐに作動音がし始め紙が一枚プリンターに取り込まれると、すぐに少しずつ吐き出されてきた。


『こちらがその方の貸し出し履歴です』


司書さんはそう言うと一枚の紙をカウンターに置いた。
名前の部分がペンで塗りつぶされたそれを手に取ると、上から順に目を通していく。

最初に書いてあるのは児童書。
確か男の子が竜の住んでいる島に冒険に出るお話しだったはず。

次はシリーズ物の動物記。
しかもこれは僕もお気に入りの狼の話が記されていた一冊。


どれもこれも僕の記憶に残っている思い出の一冊言っても過言ではないタイトルばかり。
この人とは趣味が合いそうだなと思いながら最新の情報まで目を通し終えた。
貸し出し履歴を読んだだけのはずが、これまで読んだ本の思い出が蘇り、何と言うか一冊の本を読み終えたあとのような満足感を覚える。


『...どうしました?にやにやして』


そんな感情に包まれていた僕とは正反対に司書さんからは辛らつな言葉をいただく。


『いえ、この方...僕と本の趣味が似ているなって思いまして。何と言うか、運命的なものを感じて』


そう言った僕だが、司書さんは後ろを向いてプリンターのところで何やらガチャガチャと作業をしながら「そうですか」と短く答えただけだった。
せっかく僕が素敵な出会いのきっかけに巡り逢えたというのに、司書さんはあまり興味なさそうで少しだけさみしい気がした。


『それより司書さん、この英数字って何ですか?』


それは印刷された貸し出し履歴の一番上、塗りつぶされた名前のすぐ右に記されていた。


「C191」


何かを判別する印字のようだがそれらしいモノは思い浮かばない。
個人を特定するにしては短すぎるし、かといってランダム情報ではなく何かルールを持って設定されているように見える。
紙を片手に「うんうん」唸りながら考え事をしていると、司書さんがぱっと紙を取り上げてしまった。


『これは...ああ、個人情報...とはまでは言いませんが、ある程度絞れてしまう情報ですね』


それをみただけですぐに分かってしまうのは司書さんがこの図書館の司書さんだからなのか、それとも頭の回転が早いのか。
きっと前者であろう。


『それで、結局どういう意味なんですか?』


それが一体どういう意味で何の情報なのかが気になって仕方ない僕は司書さんに近づいてそう言った。


『私の話を聞いていなかったのですか?個人情報ではないが、ある程度絞れてしまうと言ったでしょう。であれば教えることはできません』



『ええええ!僕の運命の人かもしれないんですよ!』


何としても知りたい僕はかなり大げさな表現を使って司書さんを口説き落とそうとする。
何だかんだと付き合いの長い間柄だし、ヒントくらいはくれるんじゃないか?
そう期待した僕の耳に届いたのは


『な、何を馬鹿なことを...!』


という、今まで聞いたこともない司書さんの大きな声だった。
司書さんはすぐにハッとすると近くに利用者がいないか確認し、自分を落ち着かせるように息を吐く。
思ってもいない自分の大声がよほど恥ずかしいのか、司書さんの顔が少し赤くなっていた。


『...きみ、変なことを言わないように。運命とかそういうのは相手の事をよく知ってから言うものです』


『それなら尚更ですよ!名前も分からない、絞り込むヒントもないんじゃその人がどんな人か分からないじゃないですか』


周りを気にするようにお互い顔を近づけ、内緒話のように主張し合う。
どうやら今日は司書さんの調子が悪いらしい。
僕が司書さんに対して優位に振舞えるなんて初めての出来事だった。


『...運命だというなら、本当に運命だと思うなら、自分の手で何とかしなさい。私もこれまでそうしてきました』


しばらくのにらみあいの末、司書さんの口から出たのは意外な言葉だった。
いや、意外だったのは言葉じゃない。
顔、表情だ。

いつも僕をからかう時でもない、煙に巻くでも、世間話するでもない。
どこか真剣な目。

そんな表情に気圧されてしまってはそれ以上食い下がることは僕には出来なかった。
しぶしぶではあるが、何とか自分の頭を使って答えを探すしかない。
こんなことなら推理小説をもっと読んでおくべきだったかなと思いつつ、その日は図書館を後にした。


『ふふ、それではきみから答えを聞けるのを楽しみにしていますね』


帰り際の僕に司書さんはそう言うと、何とも楽しそうなワクワクした子どものような表情をしている気がした。
19/07/19 19:39更新 / みな犬
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■作者メッセージ
ご無沙汰しております。ブラックな世界から無事に帰ってくることができました。
リハビリ...というと2人に失礼ですが、昔を思い出しながら少しずつ書いていこうと思いますのでお付き合いいただけると幸いです。


定番って最高ですよね。

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