その思いの行き着く先は
実に数日振りになる我が家へ帰るべく、巣穴を後にする。
岩肌の続く山を降り、鬱蒼とした森を抜け、家族に等しい者を失くした丘を過ぎ、村に帰ってきた。
村は最後に見た時と変わらぬ様子で、皆が畑仕事に精を出していた。
森から歩いてきた俺を見つけた村の人間は、死人でも見たかのような顔をして大声を上げる。
どうやらしばらく留守にしていた間に、俺は百足に喰われたんじゃないかともっぱらの噂だったらしい。
皆が口々に心配しただの、体は何ともないかだのと声を掛けてくれた。
それが嬉しくもあり、心配をかけたと言うことに申し訳なさを感じる。
『心配かけてすまなかった。俺はこの通り怪我もない』
俺をぐるりと囲むように騒いでいる皆へ頭を下げる。
『・・・実は、今日は村の皆に大事な話があって戻ってきたのだ』
そして、愛する者のために何としてでもやり遂げないといけないことがある。
すっかり冬になり、雪が降る前に作物が枯れないよう藁を敷く作業が一段落した夕方。
俺の話を聞くために村の人間が続々と集まる。村で決め事をする時に使っている寄合い所は人間で溢れかえっていた。
男も女も全ての村人が集合した。その中には死んだ目をして俯いている「佐助」の姿もあった。
大きく一度、深呼吸すると俺は皆の顔を見て話を始める。
『皆、わざわざ集まってもらいすまない。どうしても皆に伝えなくてはいけないことがあり、俺は村に帰ってきた』
誰も口を開かず、俺の次の言葉を待つ。
『大事な話とは・・・あの、百足のことだ』
しかし、その言葉を口にした瞬間、皆が一様に顔を青くして動揺を口にする。
『皆が動揺するのも分かる。しかし、今からする話は決して村にとっても悪い話ではない』
「悪い話ではない」その一言がきっかけで、少しずつ動揺は収まりはじめた。
『実は、俺はあの百足と一緒に暮らしておる』
だが、折角収まりはじめた動揺も、俺の発したこの一言で一気に吹き上がる。
『お、おい!小吉よぉ、一体どういう意味だ?あれと一緒に暮らしてるってのは・・・』
一人の村人が腰を上げ、俺に質問してくる。他の者も皆が同じ様に頷き、俺の返答を待つ。
『言葉の通りの意味だ。文字通り、あの百足と寝食を共にしておる』
俺は包み隠すことなく、ありのままを伝える。
『ちょ、ちょっと待て!話が見えねえよ!皆に分かるように説明してくれ!』
しかし、それは余計に皆を混乱させただけだった。
『すまない。そうだな、順を追って話そう』
話を急ぎ過ぎた事を反省し、あの夜の話から俺は話す。
『村で家畜が減り始めた時、俺はそのことに違和感を憶えてな。夜に鶏小屋の近くで番をしていた。すると、そこに現れたのがあの百足だった・・・』
俺は思い出す。
そうだ、あの夜から全ては始まったのだ。
俺という一人の人間と、人を殺さず喰わない人食いの化け物の話。
俺は全てを話した。
あの百足が何のためにこの村に来たのか。
何故、村の家畜は減ったのに、村の人間は襲われなかったのか。
行者が百足退治に行った時も、近くに居た村の者には一切手を出さなかったのか。
そして、今、どのような状態にあるのか。
姿が変わり、人との子を宿し、全ての事柄が自分の存在そのものが原因だと責める、哀れな百足の話。
その者と夫婦になり、子を育て、これからは共に生きていくと決意した事。
もちろん、村には迷惑をかけない。いくら人喰いではなくとも受け入れられない者もいるだろう。
だから、俺たちは山の奥でひっそり暮らす。ただ、これだけは皆に知ってもらいたかった。
『あやつは、人を殺す事も喰う事も決してしない。どうか、それだけは信じてほしい』
誰も口を開かない。
誰も言葉を発しない。
俺の顔を、皆が魂の抜けたような顔で見ている。
『・・・・・・それで、』
漸く声が聞こえた。それは一番後ろで話を聞いていた佐助だった。
『その百足は今どこにいるんだ?』
『・・・それを聞いてどうするつもりだ?』
佐助の目は翡翠の待つ巣穴よりも暗く濁った色をしていた。
『そんな事、決まっている。あの気色の悪い肢を全て切り落とし、体の節ごとに捌いて、ゆきの墓の前で丸焼きにしてくれるまでよ』
翡翠の予感は最悪の形で的を射た。
理解されない、受け入れられない事は覚悟していた。
村の人間から袋叩きにされ、山に打ち捨てられる事さえも覚悟した。
しかし、まさか佐助がここまで追い詰められているとは考えもしなかった。
『ゆきを殺したのは百足ではない、行者だ!』
佐助の予想外の発言に俺は声を荒げた。
自分達が助かるために、目の前の百足に供物として投げ捨てたばかりか、逃げられないよう首を切った。
ゆきは理由も分からぬまま絶望の内に息途絶えたのだろう。
あの時に見たゆきの顔は俺も忘れる事が出来ないでいた。
『・・・お前は、ゆきが生まれた日の事を覚えているか?』
しかし、佐助から投げかけられたのは、またも予想外の言葉だった。
『いや、その時は俺もまだ五つだったからよくは憶えておらぬ』
『俺は憶えている。あいつは生まれた時、息をしていなくてな。取り上げた産婆が尻をしこたま叩いて、漸く産声を上げたんだ』
・・・・知らなかった。
元気が取り柄で、五つも年上の俺や佐助を良い様に手玉に取るゆきの事だ、生まれた時から喧しい位の産声を上げたのだろうといつも思っていた。
『だからかな、あいつはいつまで経っても尻の痣が消えなくてな。いつもその事をからかってやったものだ』
俺は、夜遅くまで佐助が畑仕事をしていると手伝うといって聞かなかったゆきの姿を思い出す。
そして、そんなゆきに佐助は決まって「尻の青い子どもは早く寝ろ」と言っていた。
『兄と言う贔屓目に見ても、ゆきはこの村で一番の器量だと思っておる。・・・皆も知っての通り、俺の家も親が居ない』
俺と佐助、ゆきが特に仲が良かった理由は家庭環境が似ていたというのが大きかった。
俺の親は二人とも病で死んだ。佐助とゆきの父親は戦に巻き込まれ、母親は俺の父と同じ病で一年前に死んだ。
『ゆきは俺と違って気が利いてな。料理は勿論、裁縫や洗濯。まだ遊びたい盛りだろうに、家の事は何でも一人でやってしまう』
俺も何度かゆきに飯をご馳走してもらった事がある。
着物の穴を塞いでもらい、溜まった洗濯物も文句一つ零さずに笑いながら片付けてくれた。
『兄である俺の将来を心配し、口うるさく嫁はまだか恋人はまだかとお袋と説教ばかりしてきたものだ』
一年前に死んだ佐助の母親とゆきは本当に仲が良くて、仕事をするにも料理をするにも一緒だった。
俺や佐助が馬鹿をした時には二人並んで正座させられ、あの小さな手で拳骨されたこともあった。
佐助にとって、ゆきは残された最後の家族だったのだ。
口うるさくも世話焼きな妹は、佐助にとって何よりも掛け替えの無い唯一の存在だった。
俺は何も答えることが出来ず、ゆきとの思い出を口にする佐助を見ている事しかできない。
『小吉、お前も知ってるよな。・・・ゆきは、まだ十三だったんだぞ?』
目から涙を零し、血が滲むほどに拳を握る親友がそこにはいた。
俺には佐助に何と声を掛けたら良いのか見当もつかなかった。
それまでの日常が、一方的に奪われる。
『だから、俺はあの百足を許すことは出来ない』
それが佐助の答えだった。
他の者は皆が下を向き、口を挟む事すらしない。
恐らく、ゆきを失くしてからの佐助は余程酷い状態だったのだろう。
しかし、だからと言って俺も引き下がるわけにはいかない。
『佐助よ、お前の言いたい事は分かった』
『ならば・・・』
『しかし、もう一度言う。ゆきを殺したのはあの行者どもだ、百足ではない!』
俺は佐助の目を真正面から見据え、引くことなくありのままを伝える。
『百足も同じだっ!!!!』
しかし、佐助は血走った目を俺に向け、村中に響くほどの大声で叫ぶ。
十年以上一緒にいる俺も初めて見るその姿に鳥肌が立つ。
『やつさえ来なければ、ゆきは死なずにすんだ!』
確かに佐助の言う通りかもしれない。
大百足という存在を恐れ、行者の手を借りて退治しようとした結果に起きた悲劇。
ならば、大百足という存在がなければ結果は違ったのだろう。
ゆきは今日も元気に兄の世話を焼き、俺と小吉は畑を耕す。
分かっている。本当は自分でも分かっていたのだ。
だが、それでも・・・
『俺は、あの百足のことが好きだ。だから、頼む。あいつを許してやってくれ・・・』
俺は頭を床に擦り付け、ただ許しを請う。
随分と都合の良い話だと思う。
唯一の家族を、生まれた時から見守ってきた妹を奪われた佐助に。
『・・・そうか。それがお前の答えなのだな、小吉』
佐助は小さくそう零すと、そのまま寄合い所を出て行った。
『すまねぇな、小吉。正直言って、俺たちもあの百足を受け入れることは出来ねえ』
佐助の背を見送り、一人の村人が声を上げる。
『あの百足は人を喰わねぇって話だが、それを簡単に信じられねぇよ。それにあの百足が人喰いでなくても、生まれてくる子もそうとは限らねぇだろ?』
男の言う事は尤もだった。
翡翠と直接言葉を交わし、思いを交わした俺だからこそ信じられる。
そして、生まれてくる子も決して人喰いに育てることはしないだろう。
『だから、もう二度と・・・この村には近付かねぇでくれねぇか?』
それが村にいる人間全ての「総意」だった。
村人は一人また一人と出て行き、寄合い所には俺一人だけが残された。
俺の願いは受け入れられず、ただ時間だけが過ぎただけだった。
俺は一人、寄合い所を出ると数日振りとなる我が家へと向かった。
もう二度と戻ることがない「我が家」へ。
『ただいま』
数日振りに帰った我が家はいつもと変わらず、俺を迎えてくれた。
もう二度と村へ戻ることが叶わない以上、持って行ける物は持って行こうと思ったのだ。
『これは親父の使っていたお猪口か。俺は酒が飲めないから、親父はいつも詰らなさそうに一人で飲んでいたっけ』
炊事場に置いてある猪口を手に取り、それを眺める。
親父はいつも俺の事を心配していた。
十八にもなる、立派な大人だと言うのに、早く結婚しろだの嫁と子どもは大事にしろだの。
そんな事は親父の背中を見てきた俺には分かりきっている事だと言うのに。
『こっちはお袋の着物だな。翡翠には一着しか持たせていないし、替えも必要だろう。何着か持っていくか』
炊事場にある目ぼしい物は粗方まとめた俺は、普段寝床に使っている部屋へと向かう。
そこにある箪笥には、死んだお袋の品が大切に仕舞われている。
俺の親父はお袋の事を大層大事にしていたらしく、残された品はその全てが色褪せる事無く大事に仕舞われていた。
次々に出てくる家族の品に俺は思いを馳せる。
ここは俺が生まれ、そして今日まで生きてきた場所。
家族と共に日々を暮らし、そしてたくさんの人に支えられてきた。
『とんだ親不孝者だな・・・』
そう零した声は夜の闇の消え、小吉は翡翠の待つ巣へと戻るべく我が家へ別れを告げた。
今から帰るとすっかり夜中になってしまうなと思い、寂しがり屋で心配性な百足の事を思い出すと足早に歩き出す。
しかし、その足は突如として頭部を襲った衝撃に淀み、膝から崩れる。
小吉の手にした荷物は地面へと転がり、意識は闇へと落ちていく。
頭を殴られ気を失った小吉を見下ろす佐助の手には、鈍く光る鉈が握られていた。
岩肌の続く山を降り、鬱蒼とした森を抜け、家族に等しい者を失くした丘を過ぎ、村に帰ってきた。
村は最後に見た時と変わらぬ様子で、皆が畑仕事に精を出していた。
森から歩いてきた俺を見つけた村の人間は、死人でも見たかのような顔をして大声を上げる。
どうやらしばらく留守にしていた間に、俺は百足に喰われたんじゃないかともっぱらの噂だったらしい。
皆が口々に心配しただの、体は何ともないかだのと声を掛けてくれた。
それが嬉しくもあり、心配をかけたと言うことに申し訳なさを感じる。
『心配かけてすまなかった。俺はこの通り怪我もない』
俺をぐるりと囲むように騒いでいる皆へ頭を下げる。
『・・・実は、今日は村の皆に大事な話があって戻ってきたのだ』
そして、愛する者のために何としてでもやり遂げないといけないことがある。
すっかり冬になり、雪が降る前に作物が枯れないよう藁を敷く作業が一段落した夕方。
俺の話を聞くために村の人間が続々と集まる。村で決め事をする時に使っている寄合い所は人間で溢れかえっていた。
男も女も全ての村人が集合した。その中には死んだ目をして俯いている「佐助」の姿もあった。
大きく一度、深呼吸すると俺は皆の顔を見て話を始める。
『皆、わざわざ集まってもらいすまない。どうしても皆に伝えなくてはいけないことがあり、俺は村に帰ってきた』
誰も口を開かず、俺の次の言葉を待つ。
『大事な話とは・・・あの、百足のことだ』
しかし、その言葉を口にした瞬間、皆が一様に顔を青くして動揺を口にする。
『皆が動揺するのも分かる。しかし、今からする話は決して村にとっても悪い話ではない』
「悪い話ではない」その一言がきっかけで、少しずつ動揺は収まりはじめた。
『実は、俺はあの百足と一緒に暮らしておる』
だが、折角収まりはじめた動揺も、俺の発したこの一言で一気に吹き上がる。
『お、おい!小吉よぉ、一体どういう意味だ?あれと一緒に暮らしてるってのは・・・』
一人の村人が腰を上げ、俺に質問してくる。他の者も皆が同じ様に頷き、俺の返答を待つ。
『言葉の通りの意味だ。文字通り、あの百足と寝食を共にしておる』
俺は包み隠すことなく、ありのままを伝える。
『ちょ、ちょっと待て!話が見えねえよ!皆に分かるように説明してくれ!』
しかし、それは余計に皆を混乱させただけだった。
『すまない。そうだな、順を追って話そう』
話を急ぎ過ぎた事を反省し、あの夜の話から俺は話す。
『村で家畜が減り始めた時、俺はそのことに違和感を憶えてな。夜に鶏小屋の近くで番をしていた。すると、そこに現れたのがあの百足だった・・・』
俺は思い出す。
そうだ、あの夜から全ては始まったのだ。
俺という一人の人間と、人を殺さず喰わない人食いの化け物の話。
俺は全てを話した。
あの百足が何のためにこの村に来たのか。
何故、村の家畜は減ったのに、村の人間は襲われなかったのか。
行者が百足退治に行った時も、近くに居た村の者には一切手を出さなかったのか。
そして、今、どのような状態にあるのか。
姿が変わり、人との子を宿し、全ての事柄が自分の存在そのものが原因だと責める、哀れな百足の話。
その者と夫婦になり、子を育て、これからは共に生きていくと決意した事。
もちろん、村には迷惑をかけない。いくら人喰いではなくとも受け入れられない者もいるだろう。
だから、俺たちは山の奥でひっそり暮らす。ただ、これだけは皆に知ってもらいたかった。
『あやつは、人を殺す事も喰う事も決してしない。どうか、それだけは信じてほしい』
誰も口を開かない。
誰も言葉を発しない。
俺の顔を、皆が魂の抜けたような顔で見ている。
『・・・・・・それで、』
漸く声が聞こえた。それは一番後ろで話を聞いていた佐助だった。
『その百足は今どこにいるんだ?』
『・・・それを聞いてどうするつもりだ?』
佐助の目は翡翠の待つ巣穴よりも暗く濁った色をしていた。
『そんな事、決まっている。あの気色の悪い肢を全て切り落とし、体の節ごとに捌いて、ゆきの墓の前で丸焼きにしてくれるまでよ』
翡翠の予感は最悪の形で的を射た。
理解されない、受け入れられない事は覚悟していた。
村の人間から袋叩きにされ、山に打ち捨てられる事さえも覚悟した。
しかし、まさか佐助がここまで追い詰められているとは考えもしなかった。
『ゆきを殺したのは百足ではない、行者だ!』
佐助の予想外の発言に俺は声を荒げた。
自分達が助かるために、目の前の百足に供物として投げ捨てたばかりか、逃げられないよう首を切った。
ゆきは理由も分からぬまま絶望の内に息途絶えたのだろう。
あの時に見たゆきの顔は俺も忘れる事が出来ないでいた。
『・・・お前は、ゆきが生まれた日の事を覚えているか?』
しかし、佐助から投げかけられたのは、またも予想外の言葉だった。
『いや、その時は俺もまだ五つだったからよくは憶えておらぬ』
『俺は憶えている。あいつは生まれた時、息をしていなくてな。取り上げた産婆が尻をしこたま叩いて、漸く産声を上げたんだ』
・・・・知らなかった。
元気が取り柄で、五つも年上の俺や佐助を良い様に手玉に取るゆきの事だ、生まれた時から喧しい位の産声を上げたのだろうといつも思っていた。
『だからかな、あいつはいつまで経っても尻の痣が消えなくてな。いつもその事をからかってやったものだ』
俺は、夜遅くまで佐助が畑仕事をしていると手伝うといって聞かなかったゆきの姿を思い出す。
そして、そんなゆきに佐助は決まって「尻の青い子どもは早く寝ろ」と言っていた。
『兄と言う贔屓目に見ても、ゆきはこの村で一番の器量だと思っておる。・・・皆も知っての通り、俺の家も親が居ない』
俺と佐助、ゆきが特に仲が良かった理由は家庭環境が似ていたというのが大きかった。
俺の親は二人とも病で死んだ。佐助とゆきの父親は戦に巻き込まれ、母親は俺の父と同じ病で一年前に死んだ。
『ゆきは俺と違って気が利いてな。料理は勿論、裁縫や洗濯。まだ遊びたい盛りだろうに、家の事は何でも一人でやってしまう』
俺も何度かゆきに飯をご馳走してもらった事がある。
着物の穴を塞いでもらい、溜まった洗濯物も文句一つ零さずに笑いながら片付けてくれた。
『兄である俺の将来を心配し、口うるさく嫁はまだか恋人はまだかとお袋と説教ばかりしてきたものだ』
一年前に死んだ佐助の母親とゆきは本当に仲が良くて、仕事をするにも料理をするにも一緒だった。
俺や佐助が馬鹿をした時には二人並んで正座させられ、あの小さな手で拳骨されたこともあった。
佐助にとって、ゆきは残された最後の家族だったのだ。
口うるさくも世話焼きな妹は、佐助にとって何よりも掛け替えの無い唯一の存在だった。
俺は何も答えることが出来ず、ゆきとの思い出を口にする佐助を見ている事しかできない。
『小吉、お前も知ってるよな。・・・ゆきは、まだ十三だったんだぞ?』
目から涙を零し、血が滲むほどに拳を握る親友がそこにはいた。
俺には佐助に何と声を掛けたら良いのか見当もつかなかった。
それまでの日常が、一方的に奪われる。
『だから、俺はあの百足を許すことは出来ない』
それが佐助の答えだった。
他の者は皆が下を向き、口を挟む事すらしない。
恐らく、ゆきを失くしてからの佐助は余程酷い状態だったのだろう。
しかし、だからと言って俺も引き下がるわけにはいかない。
『佐助よ、お前の言いたい事は分かった』
『ならば・・・』
『しかし、もう一度言う。ゆきを殺したのはあの行者どもだ、百足ではない!』
俺は佐助の目を真正面から見据え、引くことなくありのままを伝える。
『百足も同じだっ!!!!』
しかし、佐助は血走った目を俺に向け、村中に響くほどの大声で叫ぶ。
十年以上一緒にいる俺も初めて見るその姿に鳥肌が立つ。
『やつさえ来なければ、ゆきは死なずにすんだ!』
確かに佐助の言う通りかもしれない。
大百足という存在を恐れ、行者の手を借りて退治しようとした結果に起きた悲劇。
ならば、大百足という存在がなければ結果は違ったのだろう。
ゆきは今日も元気に兄の世話を焼き、俺と小吉は畑を耕す。
分かっている。本当は自分でも分かっていたのだ。
だが、それでも・・・
『俺は、あの百足のことが好きだ。だから、頼む。あいつを許してやってくれ・・・』
俺は頭を床に擦り付け、ただ許しを請う。
随分と都合の良い話だと思う。
唯一の家族を、生まれた時から見守ってきた妹を奪われた佐助に。
『・・・そうか。それがお前の答えなのだな、小吉』
佐助は小さくそう零すと、そのまま寄合い所を出て行った。
『すまねぇな、小吉。正直言って、俺たちもあの百足を受け入れることは出来ねえ』
佐助の背を見送り、一人の村人が声を上げる。
『あの百足は人を喰わねぇって話だが、それを簡単に信じられねぇよ。それにあの百足が人喰いでなくても、生まれてくる子もそうとは限らねぇだろ?』
男の言う事は尤もだった。
翡翠と直接言葉を交わし、思いを交わした俺だからこそ信じられる。
そして、生まれてくる子も決して人喰いに育てることはしないだろう。
『だから、もう二度と・・・この村には近付かねぇでくれねぇか?』
それが村にいる人間全ての「総意」だった。
村人は一人また一人と出て行き、寄合い所には俺一人だけが残された。
俺の願いは受け入れられず、ただ時間だけが過ぎただけだった。
俺は一人、寄合い所を出ると数日振りとなる我が家へと向かった。
もう二度と戻ることがない「我が家」へ。
『ただいま』
数日振りに帰った我が家はいつもと変わらず、俺を迎えてくれた。
もう二度と村へ戻ることが叶わない以上、持って行ける物は持って行こうと思ったのだ。
『これは親父の使っていたお猪口か。俺は酒が飲めないから、親父はいつも詰らなさそうに一人で飲んでいたっけ』
炊事場に置いてある猪口を手に取り、それを眺める。
親父はいつも俺の事を心配していた。
十八にもなる、立派な大人だと言うのに、早く結婚しろだの嫁と子どもは大事にしろだの。
そんな事は親父の背中を見てきた俺には分かりきっている事だと言うのに。
『こっちはお袋の着物だな。翡翠には一着しか持たせていないし、替えも必要だろう。何着か持っていくか』
炊事場にある目ぼしい物は粗方まとめた俺は、普段寝床に使っている部屋へと向かう。
そこにある箪笥には、死んだお袋の品が大切に仕舞われている。
俺の親父はお袋の事を大層大事にしていたらしく、残された品はその全てが色褪せる事無く大事に仕舞われていた。
次々に出てくる家族の品に俺は思いを馳せる。
ここは俺が生まれ、そして今日まで生きてきた場所。
家族と共に日々を暮らし、そしてたくさんの人に支えられてきた。
『とんだ親不孝者だな・・・』
そう零した声は夜の闇の消え、小吉は翡翠の待つ巣へと戻るべく我が家へ別れを告げた。
今から帰るとすっかり夜中になってしまうなと思い、寂しがり屋で心配性な百足の事を思い出すと足早に歩き出す。
しかし、その足は突如として頭部を襲った衝撃に淀み、膝から崩れる。
小吉の手にした荷物は地面へと転がり、意識は闇へと落ちていく。
頭を殴られ気を失った小吉を見下ろす佐助の手には、鈍く光る鉈が握られていた。
14/03/23 15:50更新 / みな犬
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