連載小説
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その約束の先には
頭が痛む。
その痛みで、段々と意識がはっきりしていく。

『ぐっ・・う・・・』

鈍く痛む頭を摩ろうと手を動かした小吉だったが、その手は縛られ自由を奪われていた。
状況の掴めない中、小吉は働かない頭で記憶を遡る。

『俺は・・家で使えそうな物をまとめて、それから翡翠の元へ帰ろうと・・・』
見慣れた景色に意識が完全に覚醒する。ここは、・・・俺の家だ。

『漸く起きたか』


しかし目の前の闇から聞こえた声に働き出した思考は停止する。
その声は暗い暗い沼の底から響く、泥の様にまとわりつく声だった。
『・・・ところで、翡翠とはあの百足のことか?』
闇の中から足が見え、腹が見え、手が見え、胸が見え、そして顔が見えた。


『佐助・・・』

佐助は無様に寝転ぶ俺を見下ろし、手に鉈を持ちながら近付いてきた。
『その百足の居場所を教えろ。そうしたら親友の好で、命だけは助けてやる』
佐助はそう言うと俺の目の前に鉈を打ち付けた。
寝転ぶ床に鉈がめり込む。その刃には俺の顔が映りこんでいた。
・・・教えてやる道理はない。俺一人死ぬことで翡翠と、腹の子が助かるのであれば。

『佐助よ、自分の命惜しさに居場所を教える様なら、わざわざ村まで来るわけないだろう』
その言葉に佐助は鼻で笑うと「そうだな」と答え、手を縛る縄を引いて俺を起こした。
『では、このままお前を森に連れて行き百足を誘い出すとしよう』
佐助は不敵に俺を見ると、俺を家から連れ出すと森へ向かった。
外はいつの間にか雪が降り始めていた。

『佐助、今からでも遅くない。考え直してくれないか?』
俺は何とか佐助を思い留まらせようと声を掛けた。
しかし、そんな俺に佐助は目も向けず先を歩くよう鉈で突いてくる。
考え直すつもりは無いらしく、どうやっても翡翠を殺したいらしい。
佐助は俺の親友だ。
だが、だからと言って愛する妻と腹の子を殺させるわけにはいかない。

『・・・うぉっ!』
どうしたものかと考えながら歩いていたせいか、俺は木の根に足を引っ掛け転んでしまう。
『佐助、悪いが手を引いてくれるか?手がこれじゃ、起きるに起きれん』
夜の森の暗さと、降り積もる雪。
その上、両手を前で縛られている状態では一人で起き上がるのも辛い。
佐助にもその事が伝わったのか、しぶしぶという感じではあったが俺の手を掴み引き起こす。

『・・・悪いなっ!』
しかし、それは俺の作戦だった。
俺は正面に立つ佐助へ思い切り体をぶつける。
佐助は呻き声を上げ、後ろへ倒れこむ。
その隙を見逃さず、佐助が起き上がる前にその場を走り出した。

『小吉っ!?俺を騙したのか!!!』
森の中に佐助の声が木霊する。

俺は佐助の声を聞きながら、翡翠の待つ巣穴を目指して覚束ない足を動かした。
しかし、すぐ近くに佐助がいる上、すでに積もり始めた雪のせいで、森はいつも以上に静まり返っている。
これでは一歩踏み出しただけで、雪を踏みしめる足音が佐助の耳に届いてしまう。
ゆきも佐助の味方をしているという事だろうか・・・


佐助の様子を伺おうと隠れている木から顔だけ覗かすと、先ほどまで尻餅をついていた佐助の姿が見当たらない。
背筋を言い様の無い悪寒が走り、咄嗟に後ろを振り向く。
そこには血走らせた目を剥き、鉈を振り下ろそうとする佐助が居た。


このままいけば、あの鉈が俺の頭に打ち込まれてしまう。
しかし俺の体はその状況に反応する事が出来ず、振り上げられた鉈を見上げる事しかできない。
これが運命かと諦めた俺だったが、降り頻る雪の一粒が偶然俺の目に入り、痛みに驚いた俺は無意識に身を屈める。
その結果、俺の頭に振り下ろされた鉈は、すぐ後ろの木に打ち込まれた。
『なっ!!!』

予想外の俺の動きと、鉈が木に打ち込まれたことで佐助は焦りの顔を浮かべた。
頭の中に、諦めかけた俺をいつもの調子で説教するゆきの姿が浮かんだ。
そうだな、翡翠と約束したのだ。「必ず帰る」と!

俺は目の前の佐助に手加減抜きで蹴りを入れた。
それを受けた佐助は受身も取れず、そのまま後ろに吹き飛ぶ。
それを確認してから木に食い込んだ鉈の刃に手を縛る縄を当て、一気に滑らせた。
ぶつりと音を立てて縄は切れ、俺の手は自由になる。
頭上の鉈は思った以上に深く木に食い込み、とてもじゃないがちょっとやそっとでは抜けそうに無かった。
しかし、これなら佐助に取られる心配もないと思い、再び木々の中に隠れる。


『どこに行ったぁぁ!!!小吉ぃぃぃぃぃ!!!!!!!』


狂ったような佐助の慟哭が、俺の心臓を警鐘の様に打ち鳴らす。
二度も俺から反撃を喰らい、佐助はかなり興奮している。
恐らく、次に見付かった時は先ほどの俺同様に一切の手加減無く襲ってくるだろう。
息が乱れる。
これでは佐助にすぐに見付かってしまう。何とか呼吸を整えなくては・・・

だがその瞬間、背中に熱と衝撃が走り体から力が抜ける。
膝が崩れたものの、何とか手で体を支え後ろを振り向いた先には佐助がいた。
その手には先ほどの鉈ではなく、「鎌」を持って。
迂闊だった・・・まさか、鉈以外にも別の刃物を持っていたとは。
俺は手探りで手元にあった木の棒を掴むと、佐助に対して思い切り振り抜く。
それは佐助の顎に当たると中程から折れ、森の闇に消えていった。
木の棒が折れる程の強さで顎を殴られた佐助は声も上げる事無く、顔から地面に倒れこむ。

ふらふらと佐助に近付き、口元に手を当てた。
「呼吸をしている」
どうやら運良く気絶させられたようだ。
無事が確認できた以上、ここに残る必要は無い。
佐助が目を覚ます前に何としてもこの場を離れなくては。

俺は力の入らない体に鞭を打ち、歯を食いしばって立ち上がる。
膝には力が入らず、ふら付いてその辺の木に何度もぶつかりながら一歩一歩進む。
頭にあるのはたった一つの約束。
『ひ、翡翠・・・今、帰るからな・・・!』





いつの間にか積もった雪が、完全な冬の訪れを感じさせる。
しんとした山の中、岩肌の見える地面に空いた穴の奥深くに、ぽたぽたと水の滴る音が響く。
巣穴の入り口に出来たつららが焚き火の熱で溶け、地面に滴り落ちる音だ。


『翡翠よ、いるか?』
その声に翡翠が顔を上げると、巣穴を見下ろす小吉の姿があった。
夜中になって漸く戻ってきた小吉を、翡翠は落とす事がないよう大事に抱え下へと運ぶ。
小吉が寒くないように焚き火の近くに腰を下ろすと、小吉は翡翠に体を預けるような体勢で百足の体の上に横になった。

『・・・心配かけたな』
『はい、でも約束通り戻って来てくださいました』
『変わりなかったか?』
『小吉様こそ』
『俺はこの通り、ぴんぴんしている』
『それは良かった』


『大雪で足止めされてな、帰るのが遅くなってしまった』
『そうでしたか』
『お主がこの地に来た時はまだ秋だったが、もうすっかり冬になってしまったな』
『そうですね。今までは季節の移り変わりなど気にしたこともありませんでしたが、今では懐かしく思います』



『・・・ところで、翡翠よ』
『何でしょう』
『お主、椛を見たことはあるか?』
『もみじ・・・ですか?』
『そうだ。赤子の手のような形をした木の葉でな』
『いえ、存じ上げません』
『そうか・・・ならば、次の秋が来たら、お腹の稚児と一緒に見に行こう』
『それは、今から楽しみでございます』
『腹の子も、きっとお主に似た美しい子であろうな』
『小吉様ったら、今からずいぶんお気の早いことで』
『いやいや、本当に楽しみだ』



『小吉様?』
『・・・少し、疲れたようだ』
『では、このまま少しお休みください』
『悪いな・・・』
『いえ、小吉様の体が冷えぬよう、翡翠が抱いておりますので』
『それは助かる。それでは、お言葉に甘えさせてもらうか』
『はい、お休みなさいませ』




ぽたぽたと水の滴る音がする。
つららの先からは相変わらず水が滴っていた。
安らかな顔で眠る小吉の髪を撫で、翡翠は優しく笑う。


ぽたぽたと水の滴る音がする。
その音は眠る小吉の顔に落ちる、翡翠の涙が立てた音だった。
『小吉様・・・』
声を掛けても小吉は微動だにしない。
『今は、ゆっくりとお休みくださいませ・・・』
抱きしめる腕から伝わる熱が段々と薄れていく。


ぽたぽたと水の滴る音がする。
その音は眠る小吉の背から滲む、血の流れ落ちる音だった。
『ああ、こんなに大きな傷があると言うのに・・・』
翡翠が声に出せたのはそこまでだった。
静かに眠る小吉の体を抱きしめ、翡翠は声を殺して涙を流した。
せめて小吉の前でだけは悲しみにくれる顔を見せることがない様に。
もう二度と、その声を聞き、体温を感じる事が叶わないとしても。


その年、村は大雪に覆われた。
雪は三日経っても、五日経っても止む事はなかった。
そして村の人間は全て麓の里へ下り、かつて小吉が住んでいた村は無人と化した。
冬が終わり雪が全て溶けても、村人が戻ってくることはなかった。





それからいくつもの季節が巡り、その山にもまた秋がやって来た。
『母様、早く早く!』
色鮮やかに染まった森の中を、一人の少女が駆ける。
その体は腹から下が百足のものであったが、活発そうな可愛らしい顔をしていた。
『あまり急ぐと転びますよ』
その後ろを同じく百足の半身を持つ、母親と思しき女性がゆっくりと歩いている。
『でも、これを早く父様に見せたくて!』
そう言うと、少女は胸に抱えた掌を覗き込んだ。

やがて母娘は一本の大きな木の前に立つと、静かに手を合わせる。
『父様、今日は綺麗な椛を持ってまいりました!』
手を合わせた少女は持っていた椛の葉を掌に乗せると、その大きな木に掲げるようにして見せる。
少女の頭に並ぶ一対の触角は、ご機嫌に揺れていた。
その後、少女は木から舞い落ちる葉を追いかけ、拾っては着物の袖に入れ、また次の葉を追いかける。
そうやってしばらく走り回っていたがその内疲れたのか、その木に背中を預けるような体勢で寝息を立て始める。

『もみじったら・・・こんなところで寝てしまっては、風邪を引きますよ?』
百足はそんな少女の隣に座ると寒くないように体を抱き寄せ、懐かしむように空を見上げる。

雪のように降る木の葉が一枚、百足の手元に落ちた。
それを見た百足は少女の頭を優しく撫でると、少女を起こさないよう、静かに空に語り掛ける。





『小吉様、今年も椛が綺麗でございます』



14/03/23 16:07更新 / みな犬
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■作者メッセージ
連載小説第二弾「片百足」これにて完結です!
この話も初投稿作「冬眠しない蛇」と一緒で、会議中に思いついた話でした。

最初からこう終わらせるつもりで書いてはいましたが、このまま終わらせていいものか、やはりハッピーエンドにするべきか悩みました。
しかし、魔物娘と人間との間にはきっとこんな結末もあるんではないか思い、貫くことにしました。
結末に関しては受け入れがたい方もいらっしゃると思いますので、ご意見は承ります・・・!

それでは!最後まで見ていただき、ありがとうございました。
・・・・この次は皆さんが笑って読めるような作品を投稿したいと思います!!!
今日から1/6まで引きこもるぞー!!!!

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