動き出した裏社会・前編
風星学園地下のエルノール・サバトでは、凱とヨメンバーズが懐かしい顔ぶれとの再会を果たしていた。
それは第零特殊部隊、通称ゼロの隊員たち。
彼女たちの話によると、デオノーラに命じられたアルトイーリスが人間界に派遣する隊員を選抜し、「龍堂凱を一日でも早くハイランド辺境伯領に赴任させよ」との王命の下、人間界へやって来たのだ。
ハイランド辺境伯叙任の際のデオノーラの言葉が現実となったのである。
ゼロの隊員たちにとって、瑞姫は妹も同然。
婚姻した事に多少の不平は漏らしたものの、彼女らは瑞姫の元気な姿にひと安心と言ったところだ。
リーダー格のドラゴン・ルキナが口を開く。
「さて、我らが来た意味、分かってるだろうな? ガイよ」
核心を突く言葉に、言葉を出せない凱。
それでも言わなければならないのが現実。
「ハイランド辺境伯として、一日でも早く赴任せよ――竜女王の言葉、でしょ?」
「その通り……と言いたいとこだけど、我らとて暴れたいのはあったんだよ、ははは」
そこかしこに苦笑が漏れる。
と、そこに遠声晶の唸る音がする。瑞姫のからだった。
「はい。うん……うん……。わたしに電話? 誰から? ……え? わかった、電話してみる」
手にして応答する瑞姫だったが、何を聞いたのだろうか、顔が真剣になる。
遠声晶を切った瑞姫は、全員に向けて声を出す。
「ごめんなさい、わたしあてに電話があったみたいで、これからすぐにかけなきゃいけなきゃいけないみたいです」
「でんわ……?」
通信連絡の手段を魔道具で賄える魔界では、電話という言葉は聞きなれないもの。
駆け出していった瑞姫に代わり、凱は人間界における電話について説明したものの、人間界に過ごした魔物娘でないゼロの者たちには今一つ理解してもらえなかった。
凱は仕方なく話題を変え、食文化を中心にした話をしてしていると、瑞姫が戻ってきた。
浮かない表情の瑞姫に、凱は優しく話しかける。
「どうしたんだ、瑞姫?」
「お兄さん、相談したいことがあるの……」
「……分かった。じゃあ、別の部屋で――」
念話を使えば済む話だが、それをここで行えば何をしているのかバレてしまうのが明らかだ。ゆえに、別の部屋で話を聞かれないようにとの意図をもって、瑞姫は凱を連れ出そうとしたのだ。
だが、ルキナを先頭にゼロの竜たちは身を乗り出す。
「『妹』が困っているのに、我らを除け者にするのは良くないな」
名目を付けて暴れようとする、彼女たちの意図が目に見えている。
屈強な竜の集団に気圧された瑞姫は、観念して事情を話す事にした。
彼女によると、電話を寄越してきたのは母・沙裕美で、彼女の先輩が自分の娘の事で相談したいと言い、その相手に瑞姫を指名してきたのだという。
明らかに年上の女性を相手にどうして瑞姫を指名したのか、彼女にも皆目見当がつかない。
「相手の事は聞いたかのう?」
「母の先輩で、白川友希(しらかわ・ゆき)って人です。その娘でななみさん、という人のことで相談したい、と。今は結婚して本宮(もとみや)ななみ、だそうです」
一同は首を傾げる。
瑞姫の母の先輩で、さらにその娘――明らかにつながりの無い関係の者に、どうして瑞姫を引き合わせる必要があるのか、と。
「瑞姫一人で行くのか?」
凱の問いかけに、瑞姫は頭(かぶり)を振る。
「わたし一人じゃ、きっと無理。お母さんも一人で行きなさいって言ってないし……」
「まずは……相手に聞いてみるしかないな」
瑞姫は特別クラスの寮に住む母から、相手の連絡先を聞いていた。
恐る恐る電話する瑞姫の手を、凱は優しく握り、ゆっくりうなずいて励ます。
そうして始まった電話は長々とした会話の後、日取りが決まったところで区切りとなる。
「随分と電話長いな」
「聞いてる限りだと話好きのおばさん、って感じだった。それで、できれば今すぐにでも話したいって言ってるの」
釈然としない気持ちを抱えたまま、瑞姫は凱を伴って白川友希が住むマンションへ赴く。
二人が対面した彼女は多少若作りしていて小ざっぱりとしており、年齢を経た女性とはとても思えない雰囲気を持っていた。
話を聞いた二人だったが、嫁いでいった娘・ななみが結婚三年目になる夫との関係に悩み始めており、三回目の結婚記念日が心配なのだという。最近は次女のちひろが夏目会傘下の組にいるチンピラにベタ惚れし、ななみの家へ一緒に押し掛けるようになったのだという。
凱は夫である本宮修一(もとみや・しゅういち)のことを訊いたのだが、何か引っかかるものを感じていた。
「電話しておくから、ななみの家にそのまま行って欲しい」と場所と部屋番号を言われて話を打ち切られ、ますます訳が分からなくなった二人は、エルノールとルキナの二人に応援を頼み、同行してもらう事になった。
◇◇◇◇◇◇
教えられた場所に到着した瑞姫ら一行だが、四人で手をつないで飛行していたため、それほどの時間は要していなかった。ただ、魔物娘の三人は到着するや、人化の魔法で人間の姿に変身しているが。
それなりに立派なマンションだが、時間は夕方。インターホンに出なかったので、買い物に行っている可能性も考えるが、少し遅れて女性の声がインターホンから響く。
『はい』
「本宮さんのお宅で……間違い、ないですか?」
『はい。本宮ですが』
「わたし、あなたのお母さまから、こちらにうかがうよう言われた、龍堂、瑞姫、と申します」
応対した瑞姫は言葉を途切れさせながらも頼まれてやってきた事を伝える。
『あ、はい! さっき、お母さんと電話してましたので。今開けますね』
言い終えるのと同時に自動ドアが開く。
入っていく四人だったが、凱は周囲を警戒して一番最後にエレベーターに乗り込む。
他の三人から顰蹙(ひんしゅく)を買うも、彼は過去の経験から来る癖がこのような所で出てしまっていたのだ。
オートロックのマンションに入る時、ロックを解除した時が一番危険である。
ロックの解除に便乗してマンションに入り込み、悪事を働く者がいるからだ。
凱も実はこれをやられた経験がある。実際は父も含めてだが。
「次女が夏目会のチンピラとつるんでいる」と聞いて、余計に昔の癖が出てしまったのである。
幸いにも杞憂ではあったが、毎度毎度このような事をされては周囲――特に人間からしてみれば、うんざりさせられるだけだろう。
部屋に到着した四人を出迎えたのは、ふんわりとした黒い長髪が美しい、まさに美人妻と呼ぶに相応しい容姿の女性だった。
「あら、四人も!?」
「ごめんなさい。わたし一人ではきっと無理だと思ったので……」
「と、とにかく上がって。皆さんも」
女性に促されて、四人は部屋に上がる。
ソファーに座ろうとした四人だったが、手狭になるだろうからと凱とルキナはその辺で座り込んだ。
飲み物を用意するななみだったが、凱は彼女にまとわりつく負の気を感じていた。
早速これをエルノールに耳打ちする凱。彼女は黙ってこれにうなずくのみ。
「初めまして。お母さまから紹介を受けました、龍堂瑞姫です」
「こちらこそ初めまして。本宮ななみです」
「こちらはわたしが通っている学校の学園長、こちらはわたしを指導してくださる先輩。そしてこちらが、わたしの、夫になった人です」
最後の言葉にななみは驚く。まさかの学生婚、それも16歳の身であるからだ。
ななみは上司である夫と社内恋愛で結婚したが、ここまで早いのは見た事が無い。
普通に考えても、そのようなレアケースは見た事が無いのが当たり前だが。
「回りくどい話は嫌なので、本題に入りますね」
「は、はい……」
「あなたのお母さまから、結婚生活に悩んでいると聞かされました。どうして高校生のわたしに、このような話を持ちかけたんですか?」
考えてみれば確かにおかしい。
結婚して数年になる女性が、なぜ高校生の少女にこのような相談をするのか?
人生の先輩でもあるななみが、どうして瑞姫を相談相手に指名したのか?
実際に瑞姫がドラゴンになった事は全国規模で知られてしまっている。
それゆえに彼女の両親は、風星学園の特別クラス学生寮に住み込みで働くしかなくなるまでに追い詰められたのだが、ななみはそれを知らない。
エルノールがここで問い質す。
「ななみ殿。お主がどのような考えで我が生徒を呼び付けたかは知らんが、どうも面倒事の臭いがしてならん。本当の目的は何じゃ?」
冷たい口調で問いながら、エルノールは自身の人化を解き、バフォメットとしての本来の姿に戻った。
押し黙るななみだったが、しばらくしてようやく口を開く。
「――笹川商事を、ご存じですか?」
彼女の言葉に、エルノールと凱の頬がわずかに動く。
「私は以前、笹川商事の本社営業部・販売促進課に勤めていました。夫とはそこで知り合って結婚したんですが、夫の様子が最近おかしくなってきているんです。どうも、修一さんのことを会社の上層部が調べていたみたいで、私も『ご主人の昇進も仕事もなくなってもいいのか?』とゴルフ接待に連れていかれた際に、上得意先の神田常務から脅されたんです」
それとこの話がどうつながるのか? ――と思った矢先、ななみが再び口を開いた。
「夫が、そこにいる男の方の先輩で、私の母が瑞姫ちゃんのお母さんと知り合いであるのを知られていたんです。それに私も……元いた会社の男の人たちから迫られてて……。それだけじゃない、妹が連れてくるガラの悪い男とか、スポーツジムのコーチとか、町内会の会長さんとか、スーパーの雇われ店長とか……」
あらゆる方向から下劣な男たちに狙われている事を、ななみは薄々感づいていたのだ。
美し過ぎる容姿ゆえの、理不尽な災難である。
「……前のわたしみたい……」
「そうじゃのう。じゃが、それだけでは瑞姫を呼んだ事への理由にならん。回りくどい話はそれ以上要らぬ。ここに呼んだ訳を話して貰おう」
「……瑞姫ちゃんを笹川グループに引き込め、と言われたんです。それができなければ、夫婦が路頭に迷うぞとか別れさせる、と……」
そういうと、ななみは顔を伏せて泣き出してしまった。
軽く知り合っている程度の関係まで使ってくる人間社会の悪辣さに、瑞姫も凱も怒りを隠せない。
だが、少し変でもある。魔物娘を受け入れない笹川商事が、どうして瑞姫を欲するのか理解が出来なかった。
そこにずっと黙って座り込んでいたルキナが声を出す。
「そんなもの我らが捻じ伏せてやろうではないか。下らん理由で我らの妹、いいやデオノーラ様の『娘』を奪わんとするばかりか、伴侶からも引き裂こうなど、貴様ら人間が許そうとも我らが許さん」
「お主等は単に暴れたいだけじゃろうが。この世界はお主等が思っているほど簡単なものではないんじゃぞ」
この世界の人間たちは法律を時に矛、時に盾として用いる。
殊に大企業、ヤクザ、警察の三つは法律を巧みに扱う。
しかも、実際にこの三つと静鼎学園が結託している事を知る者は少ない。
人間界の権力や法律をドラゴニアの竜たちに言っても無駄である事は、実はエルノールが一番理解していた。
力が無ければ図鑑世界では生き残れない。ドラゴニアで生きるとなればなおの事である。強さこそが法であるという慣習は、図鑑世界ではまだ根強いのだから。
「本宮ななみよ、例えお主等が路頭に迷おうが心配無い。わし等で面倒見てやるわい」
「――え?」
突然の振りに、ななみは思わず泣き止んでしまう。
「そうじゃのう。学生寮の寮長・寮母の枠が丁度空きそうなんじゃ。住み込みで入ってくれると嬉しいんだがのう?」
「わ、私だけですか?」
「誰がお主だけと言うた。お主等と言うたぞ?」
そこへ固定電話の着信音が鳴り響く。
ななみが慌てて取りに行くと、すぐに落ち込んだ声で応対して受話器を置いた。
「ご主人からかのう?」
「はい……今日も遅くなるって……」
「残業を強いるとは。人間とはいつの世も他者を駒にする事しか考えんのう」
「それでも、年収で七百万は稼いでくれてるんです」
「テメェの身と心を休日出勤や休日の接待にすり減らして、か?」
凱の痛烈な一言が、ななみの機嫌を一気に損ねる。
だが、凱がこれに謝る気は無い。彼はこの世界の社会の仕組みに対して興味を無くしていたのだ。
「ある意味ではこの者の言う通りじゃ。そもそも、何故(なにゆえ)そうまでして瑞姫を得ようとするんじゃ? お主等はそれを分かっておるのか?」
エルノールの指摘に、ななみはぐうの音も出ない。
目的を知らされていない証拠でもあったからだ。
「まあ良いわ。お主等が知らされておらんとなれば、力で口を割るしか無かろう」
「何だよ、結局そっちになるじゃないか」
ルキナはそう言ってカラカラと笑う。
「んじゃあ腹ごしらえと行こうか。台所借りるぜ……とその前に、これ置いとく。釣りは要らん」
そう言って、凱は取りだした財布から一万円札を二枚抜き、それを食器棚に置く。
彼が料理を始めるのをすぐに察した瑞姫もキッチンに駆け寄る。
「あ、わたしも」
「え、あ、ちょっと!」
「まあ、黙って見ておれ」
勝手に台所に向かう凱と瑞姫――
それを止めようとするななみ――
ななみを阻止するエルノール――
そんなやり取りをルキナは冷淡な眼差して見るだけ。
ところがそこに招かれざる客がやってくる。
「お姉ちゃーん、ヤッホー!」
「ちぃーす」
現れたのはボブカットの少女と、容姿からして非常識なガラの悪い男。
「ごめんね、みその。お姉ちゃん、今、大事な話をしてるところだから」
「えー! 隼人がお姉ちゃんのご飯食べたいっていうから連れてきたのにー!」
「そういうことっすんで、メシたのむっすわ」
隼人と呼ばれた男が、明らかに無礼かつ横柄な態度で椅子にどっかりと座り込む。
それを見た凱はわざとらしく挑発してみる。
「予約分以外は作らねえ。失せな、存在そのものが非常識なクズチンピラ」
「あんだとコラ」
扱き下ろされてキレた隼人は、キッチンにいる彼の肩に手をかける。
「おい、ガキがキッチン立つんじゃねぇよ」
「――料理の邪魔だ」
「おめーが失せろっつってんだゴルァ!」
次の瞬間――
「邪魔すんじゃねえ!」「邪魔なんだよ!」
「ぐほっ?!」
隼人は凱と瑞姫の肘打ちで叩き伏せられ、凱に襟首を掴まれ、玄関まで引きずられる。
「なにしやがんだ放せゴルァー!」
「隼人に何すんのよ! 放せよぉ!」
「――足元がお留守」
「ぎゃっ」
みそのと呼ばれた少女が凱に食って掛かるも、瑞姫のさり気ない足払いであっさり転倒。
隼人も暴れて抵抗するが、まったくの無駄だった。
「飯や金を集るだけのチンピラは……ゴミ捨て場に帰りな!」
ドアを開けたと同時に凱は隼人を外に放り投げ、彼の靴をエントランスから外へ勢いよく投げ捨てると、そのままドアの鍵をロックする。
「ちくしょぉ! 覚えてろクソったれが!」
隼人は靴下のまま、這う這うの体でマンションから逃げていった。
◇◇◇◇◇◇
「お姉ちゃん! こいつら追い出して!」
みそのは凱を指差して怒鳴りつけるが、これにエルノールがニヤニヤしながら反論する。
「あのアホは兄上が料理してるのを承知で邪魔したではないか」
「隼人はお姉ちゃんの料理が食べたいの! プロでもない男の作る料理はマズいだけなんだよ!」
これにエルノールとルキナは大爆笑する。
「いやぁー、ここまで世間知らずなのも初めて見たよ、あはははは」
「本当じゃのう」
「〜〜〜〜〜!」
顔を真っ赤にしたみそのは、床を踏み鳴らしながら、ななみの部屋を後にした。
隼人を追いかけに行ったのだろう。
「うちの妹が……申し訳ありません」
「詫びの一つも出来ん者同士、お似合いじゃな。ま、あの程度の者共に謝罪を求めるのは無駄じゃがのう」
およそ一時間くらいが経ち、米が炊き上がるとともに出来上がったのは家庭的な中華料理の数々。
ななみは驚愕するも、次の一言とともに落胆する。
「うちの主人……修一さんは、グラタン以外、あまり口にしようとしない人なので……」
凱も瑞姫も、これには呆れてしまう。
「それしか食わねえのは問題だが、あんた逆に大変じゃねえの? グラタンばっかで飽きねえか?」
「でも修一さんは――」
「それ、言い訳ですよね? わたしはこの人が作ってくれる料理なら何でも好きです。だから、わたしも作れるようになりたいって思えたんです。今ではわたしやもう一人の魔物娘さんの料理を美味しい、大好きって言って食べてくれますから」
言っているとインターホンが鳴り、ななみが駆けて応答する。
「はい」
『今帰ったよ』
「今開けますね」
一分ほどして声が響く。
「ただいまー」
入ってきたのは眼鏡をしたスーツ姿の男。ななみが男を出迎える。
「お帰りなさい、修一さん」
「あれ? お客さん?」
「え、ええ」
女性三人に男一人という大人数に男は驚く。
だが、それ以上に驚いたのは凱だった。
「え、まさか……本当に、あの本宮修一さん?」
「ん? 何で俺の名前を知ってる?」
「竜宮凱……と言えば分かりますか?」
「あ……あああ! きみは、凱君なのか!?」
「はい」
「きみが小さい時、勉強を教えていた頃が懐かしいよ。お父さんは元気にしてるかい?」
「父は、高校卒業の日に亡くなりました。今は婿養子となり、龍堂凱と名乗ってます」
「あ……、すまない」
「いいんです。聞かれなければ分からない事ですから」
「俺の父が転勤になって、きみのことを見てやれなかったな」
「過ぎた事です。さあ、今日は俺が妻とともに料理作りました。どうぞ」
メガネのサラリーマンこそが、ななみの夫・本宮修一であった。
席に着く修一の目の前に並ぶ料理を見て、引きつった表情となる。
「今日、グラタンじゃないのか」
「ごめんなさい……」
「本宮先輩。グラタンが好きなのは悪いことじゃないですよ? けど、それ以外口にしないのも問題じゃないですか?」
凱の指摘に何も言えない修一。そこに瑞姫が追い打ちをかける。
「好き嫌いはよくありません!」
「瑞姫、好き嫌いはそう簡単には治らん。だからこうして食べてもらうんだ」
「え? みずき? まさかこの子が!?」
「ほほう、我らの妹について何か知っているな? 飯食ってから詳しく聞かせてもらおうではないか」
「そう凄むでない。折角の兄上の料理が不味くなるではないか」
仕方なく凱の料理を口にした修一だったが、食べた瞬間に驚愕してしまっていた。
「こんなに美味いの、ななみの料理以外知らない……」
「え、本当……。美味しい」
「俺のは生きるために覚えたものですから」
凱は却ってバツの悪そうな表情で返答する。
◇◇◇◇◇◇
食事が終わった後、食器洗いでキッチンへ行ったななみを余所に、エルノールは修一に問い質す。
「率直に問う。笹川商事が我が生徒、龍堂瑞姫を欲する理由は何じゃ?」
「おれ――いえ、私が言われたのは、『魔物娘専門の部署を立ち上げるから、風星学園の龍堂瑞姫を口説き落としてこい』、とだけで……」
「わし等魔物娘の間では、笹川商事は魔物娘断固拒否を貫く商社として有名じゃぞ。そんな会社が、今になってどういう風の吹き回しじゃ?」
「本当にそれ以上は聞かされていないんです。本当に、それだけしか」
本部で働く者に対し、簡潔な命令のみとはおかしなものである。まして専門部署を立ち上げるなどという重要事項ともなれば、せめて理由は伝えるものだ。
「そのくらい自分で考えろ」と上層部は返すのだろうが、何にせよ上層部の秘密事項だと言外に伝えているとしか思えない。
「嫌な予感しかしないのう」
「え、それはどういう――」
「成功すればそれで良し、出来なければお主はクビ。ただそれだけの事じゃ。あわよくばお主の妻を奪い取るかもしれんのう」
「っ!?」
「あれだけの器量好しじゃ、狙う男は多いじゃろうて」
「ま、まさか、ななみに限って……」
「その油断が命取りなんですよ、先輩。人間なんぞを無暗に信じたら……地獄見るぜ……俺のように」
怨念が噴き上がりそうになる凱の手を、瑞姫が取る。
「大丈夫だよ、あなた。わたしが、わたしたちがいるから、大丈夫」
「うむ。流石は我らの妹、伴侶の扱いに慣れてきているな」
「瑞姫も少しは立派になってきておるのう。人間社会ではこうはいかぬ。――本宮修一よ。もし会社をクビになろうが心配は無用じゃ。わしがお主等夫婦の仕事を世話してやる」
それから一時間ほどして、凱たちは学園に帰る頃合いになる。
「くれぐれも、自分と奥さんの近辺に気を付けて」
凱は去り際にそう告げ、特別寮に帰るのだった。
それは第零特殊部隊、通称ゼロの隊員たち。
彼女たちの話によると、デオノーラに命じられたアルトイーリスが人間界に派遣する隊員を選抜し、「龍堂凱を一日でも早くハイランド辺境伯領に赴任させよ」との王命の下、人間界へやって来たのだ。
ハイランド辺境伯叙任の際のデオノーラの言葉が現実となったのである。
ゼロの隊員たちにとって、瑞姫は妹も同然。
婚姻した事に多少の不平は漏らしたものの、彼女らは瑞姫の元気な姿にひと安心と言ったところだ。
リーダー格のドラゴン・ルキナが口を開く。
「さて、我らが来た意味、分かってるだろうな? ガイよ」
核心を突く言葉に、言葉を出せない凱。
それでも言わなければならないのが現実。
「ハイランド辺境伯として、一日でも早く赴任せよ――竜女王の言葉、でしょ?」
「その通り……と言いたいとこだけど、我らとて暴れたいのはあったんだよ、ははは」
そこかしこに苦笑が漏れる。
と、そこに遠声晶の唸る音がする。瑞姫のからだった。
「はい。うん……うん……。わたしに電話? 誰から? ……え? わかった、電話してみる」
手にして応答する瑞姫だったが、何を聞いたのだろうか、顔が真剣になる。
遠声晶を切った瑞姫は、全員に向けて声を出す。
「ごめんなさい、わたしあてに電話があったみたいで、これからすぐにかけなきゃいけなきゃいけないみたいです」
「でんわ……?」
通信連絡の手段を魔道具で賄える魔界では、電話という言葉は聞きなれないもの。
駆け出していった瑞姫に代わり、凱は人間界における電話について説明したものの、人間界に過ごした魔物娘でないゼロの者たちには今一つ理解してもらえなかった。
凱は仕方なく話題を変え、食文化を中心にした話をしてしていると、瑞姫が戻ってきた。
浮かない表情の瑞姫に、凱は優しく話しかける。
「どうしたんだ、瑞姫?」
「お兄さん、相談したいことがあるの……」
「……分かった。じゃあ、別の部屋で――」
念話を使えば済む話だが、それをここで行えば何をしているのかバレてしまうのが明らかだ。ゆえに、別の部屋で話を聞かれないようにとの意図をもって、瑞姫は凱を連れ出そうとしたのだ。
だが、ルキナを先頭にゼロの竜たちは身を乗り出す。
「『妹』が困っているのに、我らを除け者にするのは良くないな」
名目を付けて暴れようとする、彼女たちの意図が目に見えている。
屈強な竜の集団に気圧された瑞姫は、観念して事情を話す事にした。
彼女によると、電話を寄越してきたのは母・沙裕美で、彼女の先輩が自分の娘の事で相談したいと言い、その相手に瑞姫を指名してきたのだという。
明らかに年上の女性を相手にどうして瑞姫を指名したのか、彼女にも皆目見当がつかない。
「相手の事は聞いたかのう?」
「母の先輩で、白川友希(しらかわ・ゆき)って人です。その娘でななみさん、という人のことで相談したい、と。今は結婚して本宮(もとみや)ななみ、だそうです」
一同は首を傾げる。
瑞姫の母の先輩で、さらにその娘――明らかにつながりの無い関係の者に、どうして瑞姫を引き合わせる必要があるのか、と。
「瑞姫一人で行くのか?」
凱の問いかけに、瑞姫は頭(かぶり)を振る。
「わたし一人じゃ、きっと無理。お母さんも一人で行きなさいって言ってないし……」
「まずは……相手に聞いてみるしかないな」
瑞姫は特別クラスの寮に住む母から、相手の連絡先を聞いていた。
恐る恐る電話する瑞姫の手を、凱は優しく握り、ゆっくりうなずいて励ます。
そうして始まった電話は長々とした会話の後、日取りが決まったところで区切りとなる。
「随分と電話長いな」
「聞いてる限りだと話好きのおばさん、って感じだった。それで、できれば今すぐにでも話したいって言ってるの」
釈然としない気持ちを抱えたまま、瑞姫は凱を伴って白川友希が住むマンションへ赴く。
二人が対面した彼女は多少若作りしていて小ざっぱりとしており、年齢を経た女性とはとても思えない雰囲気を持っていた。
話を聞いた二人だったが、嫁いでいった娘・ななみが結婚三年目になる夫との関係に悩み始めており、三回目の結婚記念日が心配なのだという。最近は次女のちひろが夏目会傘下の組にいるチンピラにベタ惚れし、ななみの家へ一緒に押し掛けるようになったのだという。
凱は夫である本宮修一(もとみや・しゅういち)のことを訊いたのだが、何か引っかかるものを感じていた。
「電話しておくから、ななみの家にそのまま行って欲しい」と場所と部屋番号を言われて話を打ち切られ、ますます訳が分からなくなった二人は、エルノールとルキナの二人に応援を頼み、同行してもらう事になった。
◇◇◇◇◇◇
教えられた場所に到着した瑞姫ら一行だが、四人で手をつないで飛行していたため、それほどの時間は要していなかった。ただ、魔物娘の三人は到着するや、人化の魔法で人間の姿に変身しているが。
それなりに立派なマンションだが、時間は夕方。インターホンに出なかったので、買い物に行っている可能性も考えるが、少し遅れて女性の声がインターホンから響く。
『はい』
「本宮さんのお宅で……間違い、ないですか?」
『はい。本宮ですが』
「わたし、あなたのお母さまから、こちらにうかがうよう言われた、龍堂、瑞姫、と申します」
応対した瑞姫は言葉を途切れさせながらも頼まれてやってきた事を伝える。
『あ、はい! さっき、お母さんと電話してましたので。今開けますね』
言い終えるのと同時に自動ドアが開く。
入っていく四人だったが、凱は周囲を警戒して一番最後にエレベーターに乗り込む。
他の三人から顰蹙(ひんしゅく)を買うも、彼は過去の経験から来る癖がこのような所で出てしまっていたのだ。
オートロックのマンションに入る時、ロックを解除した時が一番危険である。
ロックの解除に便乗してマンションに入り込み、悪事を働く者がいるからだ。
凱も実はこれをやられた経験がある。実際は父も含めてだが。
「次女が夏目会のチンピラとつるんでいる」と聞いて、余計に昔の癖が出てしまったのである。
幸いにも杞憂ではあったが、毎度毎度このような事をされては周囲――特に人間からしてみれば、うんざりさせられるだけだろう。
部屋に到着した四人を出迎えたのは、ふんわりとした黒い長髪が美しい、まさに美人妻と呼ぶに相応しい容姿の女性だった。
「あら、四人も!?」
「ごめんなさい。わたし一人ではきっと無理だと思ったので……」
「と、とにかく上がって。皆さんも」
女性に促されて、四人は部屋に上がる。
ソファーに座ろうとした四人だったが、手狭になるだろうからと凱とルキナはその辺で座り込んだ。
飲み物を用意するななみだったが、凱は彼女にまとわりつく負の気を感じていた。
早速これをエルノールに耳打ちする凱。彼女は黙ってこれにうなずくのみ。
「初めまして。お母さまから紹介を受けました、龍堂瑞姫です」
「こちらこそ初めまして。本宮ななみです」
「こちらはわたしが通っている学校の学園長、こちらはわたしを指導してくださる先輩。そしてこちらが、わたしの、夫になった人です」
最後の言葉にななみは驚く。まさかの学生婚、それも16歳の身であるからだ。
ななみは上司である夫と社内恋愛で結婚したが、ここまで早いのは見た事が無い。
普通に考えても、そのようなレアケースは見た事が無いのが当たり前だが。
「回りくどい話は嫌なので、本題に入りますね」
「は、はい……」
「あなたのお母さまから、結婚生活に悩んでいると聞かされました。どうして高校生のわたしに、このような話を持ちかけたんですか?」
考えてみれば確かにおかしい。
結婚して数年になる女性が、なぜ高校生の少女にこのような相談をするのか?
人生の先輩でもあるななみが、どうして瑞姫を相談相手に指名したのか?
実際に瑞姫がドラゴンになった事は全国規模で知られてしまっている。
それゆえに彼女の両親は、風星学園の特別クラス学生寮に住み込みで働くしかなくなるまでに追い詰められたのだが、ななみはそれを知らない。
エルノールがここで問い質す。
「ななみ殿。お主がどのような考えで我が生徒を呼び付けたかは知らんが、どうも面倒事の臭いがしてならん。本当の目的は何じゃ?」
冷たい口調で問いながら、エルノールは自身の人化を解き、バフォメットとしての本来の姿に戻った。
押し黙るななみだったが、しばらくしてようやく口を開く。
「――笹川商事を、ご存じですか?」
彼女の言葉に、エルノールと凱の頬がわずかに動く。
「私は以前、笹川商事の本社営業部・販売促進課に勤めていました。夫とはそこで知り合って結婚したんですが、夫の様子が最近おかしくなってきているんです。どうも、修一さんのことを会社の上層部が調べていたみたいで、私も『ご主人の昇進も仕事もなくなってもいいのか?』とゴルフ接待に連れていかれた際に、上得意先の神田常務から脅されたんです」
それとこの話がどうつながるのか? ――と思った矢先、ななみが再び口を開いた。
「夫が、そこにいる男の方の先輩で、私の母が瑞姫ちゃんのお母さんと知り合いであるのを知られていたんです。それに私も……元いた会社の男の人たちから迫られてて……。それだけじゃない、妹が連れてくるガラの悪い男とか、スポーツジムのコーチとか、町内会の会長さんとか、スーパーの雇われ店長とか……」
あらゆる方向から下劣な男たちに狙われている事を、ななみは薄々感づいていたのだ。
美し過ぎる容姿ゆえの、理不尽な災難である。
「……前のわたしみたい……」
「そうじゃのう。じゃが、それだけでは瑞姫を呼んだ事への理由にならん。回りくどい話はそれ以上要らぬ。ここに呼んだ訳を話して貰おう」
「……瑞姫ちゃんを笹川グループに引き込め、と言われたんです。それができなければ、夫婦が路頭に迷うぞとか別れさせる、と……」
そういうと、ななみは顔を伏せて泣き出してしまった。
軽く知り合っている程度の関係まで使ってくる人間社会の悪辣さに、瑞姫も凱も怒りを隠せない。
だが、少し変でもある。魔物娘を受け入れない笹川商事が、どうして瑞姫を欲するのか理解が出来なかった。
そこにずっと黙って座り込んでいたルキナが声を出す。
「そんなもの我らが捻じ伏せてやろうではないか。下らん理由で我らの妹、いいやデオノーラ様の『娘』を奪わんとするばかりか、伴侶からも引き裂こうなど、貴様ら人間が許そうとも我らが許さん」
「お主等は単に暴れたいだけじゃろうが。この世界はお主等が思っているほど簡単なものではないんじゃぞ」
この世界の人間たちは法律を時に矛、時に盾として用いる。
殊に大企業、ヤクザ、警察の三つは法律を巧みに扱う。
しかも、実際にこの三つと静鼎学園が結託している事を知る者は少ない。
人間界の権力や法律をドラゴニアの竜たちに言っても無駄である事は、実はエルノールが一番理解していた。
力が無ければ図鑑世界では生き残れない。ドラゴニアで生きるとなればなおの事である。強さこそが法であるという慣習は、図鑑世界ではまだ根強いのだから。
「本宮ななみよ、例えお主等が路頭に迷おうが心配無い。わし等で面倒見てやるわい」
「――え?」
突然の振りに、ななみは思わず泣き止んでしまう。
「そうじゃのう。学生寮の寮長・寮母の枠が丁度空きそうなんじゃ。住み込みで入ってくれると嬉しいんだがのう?」
「わ、私だけですか?」
「誰がお主だけと言うた。お主等と言うたぞ?」
そこへ固定電話の着信音が鳴り響く。
ななみが慌てて取りに行くと、すぐに落ち込んだ声で応対して受話器を置いた。
「ご主人からかのう?」
「はい……今日も遅くなるって……」
「残業を強いるとは。人間とはいつの世も他者を駒にする事しか考えんのう」
「それでも、年収で七百万は稼いでくれてるんです」
「テメェの身と心を休日出勤や休日の接待にすり減らして、か?」
凱の痛烈な一言が、ななみの機嫌を一気に損ねる。
だが、凱がこれに謝る気は無い。彼はこの世界の社会の仕組みに対して興味を無くしていたのだ。
「ある意味ではこの者の言う通りじゃ。そもそも、何故(なにゆえ)そうまでして瑞姫を得ようとするんじゃ? お主等はそれを分かっておるのか?」
エルノールの指摘に、ななみはぐうの音も出ない。
目的を知らされていない証拠でもあったからだ。
「まあ良いわ。お主等が知らされておらんとなれば、力で口を割るしか無かろう」
「何だよ、結局そっちになるじゃないか」
ルキナはそう言ってカラカラと笑う。
「んじゃあ腹ごしらえと行こうか。台所借りるぜ……とその前に、これ置いとく。釣りは要らん」
そう言って、凱は取りだした財布から一万円札を二枚抜き、それを食器棚に置く。
彼が料理を始めるのをすぐに察した瑞姫もキッチンに駆け寄る。
「あ、わたしも」
「え、あ、ちょっと!」
「まあ、黙って見ておれ」
勝手に台所に向かう凱と瑞姫――
それを止めようとするななみ――
ななみを阻止するエルノール――
そんなやり取りをルキナは冷淡な眼差して見るだけ。
ところがそこに招かれざる客がやってくる。
「お姉ちゃーん、ヤッホー!」
「ちぃーす」
現れたのはボブカットの少女と、容姿からして非常識なガラの悪い男。
「ごめんね、みその。お姉ちゃん、今、大事な話をしてるところだから」
「えー! 隼人がお姉ちゃんのご飯食べたいっていうから連れてきたのにー!」
「そういうことっすんで、メシたのむっすわ」
隼人と呼ばれた男が、明らかに無礼かつ横柄な態度で椅子にどっかりと座り込む。
それを見た凱はわざとらしく挑発してみる。
「予約分以外は作らねえ。失せな、存在そのものが非常識なクズチンピラ」
「あんだとコラ」
扱き下ろされてキレた隼人は、キッチンにいる彼の肩に手をかける。
「おい、ガキがキッチン立つんじゃねぇよ」
「――料理の邪魔だ」
「おめーが失せろっつってんだゴルァ!」
次の瞬間――
「邪魔すんじゃねえ!」「邪魔なんだよ!」
「ぐほっ?!」
隼人は凱と瑞姫の肘打ちで叩き伏せられ、凱に襟首を掴まれ、玄関まで引きずられる。
「なにしやがんだ放せゴルァー!」
「隼人に何すんのよ! 放せよぉ!」
「――足元がお留守」
「ぎゃっ」
みそのと呼ばれた少女が凱に食って掛かるも、瑞姫のさり気ない足払いであっさり転倒。
隼人も暴れて抵抗するが、まったくの無駄だった。
「飯や金を集るだけのチンピラは……ゴミ捨て場に帰りな!」
ドアを開けたと同時に凱は隼人を外に放り投げ、彼の靴をエントランスから外へ勢いよく投げ捨てると、そのままドアの鍵をロックする。
「ちくしょぉ! 覚えてろクソったれが!」
隼人は靴下のまま、這う這うの体でマンションから逃げていった。
◇◇◇◇◇◇
「お姉ちゃん! こいつら追い出して!」
みそのは凱を指差して怒鳴りつけるが、これにエルノールがニヤニヤしながら反論する。
「あのアホは兄上が料理してるのを承知で邪魔したではないか」
「隼人はお姉ちゃんの料理が食べたいの! プロでもない男の作る料理はマズいだけなんだよ!」
これにエルノールとルキナは大爆笑する。
「いやぁー、ここまで世間知らずなのも初めて見たよ、あはははは」
「本当じゃのう」
「〜〜〜〜〜!」
顔を真っ赤にしたみそのは、床を踏み鳴らしながら、ななみの部屋を後にした。
隼人を追いかけに行ったのだろう。
「うちの妹が……申し訳ありません」
「詫びの一つも出来ん者同士、お似合いじゃな。ま、あの程度の者共に謝罪を求めるのは無駄じゃがのう」
およそ一時間くらいが経ち、米が炊き上がるとともに出来上がったのは家庭的な中華料理の数々。
ななみは驚愕するも、次の一言とともに落胆する。
「うちの主人……修一さんは、グラタン以外、あまり口にしようとしない人なので……」
凱も瑞姫も、これには呆れてしまう。
「それしか食わねえのは問題だが、あんた逆に大変じゃねえの? グラタンばっかで飽きねえか?」
「でも修一さんは――」
「それ、言い訳ですよね? わたしはこの人が作ってくれる料理なら何でも好きです。だから、わたしも作れるようになりたいって思えたんです。今ではわたしやもう一人の魔物娘さんの料理を美味しい、大好きって言って食べてくれますから」
言っているとインターホンが鳴り、ななみが駆けて応答する。
「はい」
『今帰ったよ』
「今開けますね」
一分ほどして声が響く。
「ただいまー」
入ってきたのは眼鏡をしたスーツ姿の男。ななみが男を出迎える。
「お帰りなさい、修一さん」
「あれ? お客さん?」
「え、ええ」
女性三人に男一人という大人数に男は驚く。
だが、それ以上に驚いたのは凱だった。
「え、まさか……本当に、あの本宮修一さん?」
「ん? 何で俺の名前を知ってる?」
「竜宮凱……と言えば分かりますか?」
「あ……あああ! きみは、凱君なのか!?」
「はい」
「きみが小さい時、勉強を教えていた頃が懐かしいよ。お父さんは元気にしてるかい?」
「父は、高校卒業の日に亡くなりました。今は婿養子となり、龍堂凱と名乗ってます」
「あ……、すまない」
「いいんです。聞かれなければ分からない事ですから」
「俺の父が転勤になって、きみのことを見てやれなかったな」
「過ぎた事です。さあ、今日は俺が妻とともに料理作りました。どうぞ」
メガネのサラリーマンこそが、ななみの夫・本宮修一であった。
席に着く修一の目の前に並ぶ料理を見て、引きつった表情となる。
「今日、グラタンじゃないのか」
「ごめんなさい……」
「本宮先輩。グラタンが好きなのは悪いことじゃないですよ? けど、それ以外口にしないのも問題じゃないですか?」
凱の指摘に何も言えない修一。そこに瑞姫が追い打ちをかける。
「好き嫌いはよくありません!」
「瑞姫、好き嫌いはそう簡単には治らん。だからこうして食べてもらうんだ」
「え? みずき? まさかこの子が!?」
「ほほう、我らの妹について何か知っているな? 飯食ってから詳しく聞かせてもらおうではないか」
「そう凄むでない。折角の兄上の料理が不味くなるではないか」
仕方なく凱の料理を口にした修一だったが、食べた瞬間に驚愕してしまっていた。
「こんなに美味いの、ななみの料理以外知らない……」
「え、本当……。美味しい」
「俺のは生きるために覚えたものですから」
凱は却ってバツの悪そうな表情で返答する。
◇◇◇◇◇◇
食事が終わった後、食器洗いでキッチンへ行ったななみを余所に、エルノールは修一に問い質す。
「率直に問う。笹川商事が我が生徒、龍堂瑞姫を欲する理由は何じゃ?」
「おれ――いえ、私が言われたのは、『魔物娘専門の部署を立ち上げるから、風星学園の龍堂瑞姫を口説き落としてこい』、とだけで……」
「わし等魔物娘の間では、笹川商事は魔物娘断固拒否を貫く商社として有名じゃぞ。そんな会社が、今になってどういう風の吹き回しじゃ?」
「本当にそれ以上は聞かされていないんです。本当に、それだけしか」
本部で働く者に対し、簡潔な命令のみとはおかしなものである。まして専門部署を立ち上げるなどという重要事項ともなれば、せめて理由は伝えるものだ。
「そのくらい自分で考えろ」と上層部は返すのだろうが、何にせよ上層部の秘密事項だと言外に伝えているとしか思えない。
「嫌な予感しかしないのう」
「え、それはどういう――」
「成功すればそれで良し、出来なければお主はクビ。ただそれだけの事じゃ。あわよくばお主の妻を奪い取るかもしれんのう」
「っ!?」
「あれだけの器量好しじゃ、狙う男は多いじゃろうて」
「ま、まさか、ななみに限って……」
「その油断が命取りなんですよ、先輩。人間なんぞを無暗に信じたら……地獄見るぜ……俺のように」
怨念が噴き上がりそうになる凱の手を、瑞姫が取る。
「大丈夫だよ、あなた。わたしが、わたしたちがいるから、大丈夫」
「うむ。流石は我らの妹、伴侶の扱いに慣れてきているな」
「瑞姫も少しは立派になってきておるのう。人間社会ではこうはいかぬ。――本宮修一よ。もし会社をクビになろうが心配は無用じゃ。わしがお主等夫婦の仕事を世話してやる」
それから一時間ほどして、凱たちは学園に帰る頃合いになる。
「くれぐれも、自分と奥さんの近辺に気を付けて」
凱は去り際にそう告げ、特別寮に帰るのだった。
20/07/16 06:04更新 / rakshasa
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