これからの道と新たな一歩と少しばかりの暗雲
「なあ、そういえば……」
怪我をした足の調子も本当に良くなっているようで、移動にはなんの支障もない。
今はまた小屋を目指しての道程である。
そんな中、シーフォンは先ほどの騒ぎで疑問に思っていたことがあったのを思い出した。
「俺たちを襲ってきたやつ、お前を捕まえたら報酬が貰えるみたいなことを言っていたんだが……」
「それはわっちもあやつの口から聞いていんす……恐らくじゃが、ヴィクセンのやつじゃろう……まったく、懲りんやつじゃの」
眉をハの字に曲げ、唇をへの字にしながら嘆息する。
「お前……あいつを知ってるのか?」
シーフォンは驚いたような口ぶりでタマノに問う。
「なんじゃ、ぬし様こそあやつを知っておるのかや?」
タマノも同じような顔をしてシーフォンに問い返した。
「知ってるというか……俺の家によくちょっかいをかけてきたんだよ、アイツは」
「そうじゃったか……それを聞いてひと安心じゃ。ぬし様があんな下郎と親しい仲じゃったらどうしようかと焦りんす」
「よっぽどのことがあったみたいだな……?」
タマノがここまで言うとは、とシーフォンは少し引き気味に言葉を発する。
「あったなんてもんじゃありんせん!! あやつ、4年程前にわっちを金で買おうとしんした!」
「な…………それは酷いな」
「このたわけがと一蹴してやったんじゃが、それからも事ある毎にわっちを手元に置こうとあの手この手で言い寄ってきんす……ほとほと呆れたもんじゃ。わっちの今回の旅には、少なからずあやつも理由に入っていんす」
「あいつ、人に迷惑かける病気は治ってないみたいだな……いや、魔物(タマノ)にまで迷惑をかけているから、むしろ悪化しているのか?」
呆れたようにシーフォンは毒づいた。
「……にしても、よくよく考えればあいつも変わり者だよな……」
「よく考えんでもあの童(わっぱ)はたわけ者じゃろう」
「いや、……まあそうなんだが、俺が言いたいのは、この反魔物領でお前を欲しがってるということだ。たいてい反魔物領の貴族サマは魔物嫌いが多いってのにな」
「ふーん……?そんなものなのかや?」
言ったシーフォンを横目で見ながら、タマノは薄ら笑いを浮かべた。
「……どうした?」
その視線をシーフォンが訝しむが、タマノははぐらかすように前に向き直った。
「何でもありんせん。……それよりほれ、ぬし様や、そろそろ着きんす」
タマノが指さした先にシーフォンは目をやる。
そこには、まだ少し距離があるので形は小さいが、とりあえず自分たちが目指していた小屋があった。
シーフォンはそこで息を吐いて、
「ふう……結構時間がかかったな。荷物があまり無かったのが幸いだった」
「もし重い荷物を持っておったとしても、ぬし様が持ち運んでくれるじゃろう? 頼りにしていんす」
さもそれが当然と言うように、くつくつと笑いながらタマノが語りかけてくる。
のでシーフォンは、
「このたわけが」
と、タマノの真似をして、やはり笑いながら答えた。
そうしているうちに、小屋は間近になっていた。
******
「…………。ありがとうございます、これで今回の道中も安全です」
「うむ。神のご加護がぬしらにあることを祈っていんす」
小屋の中。
出会ったときと同じように、ローブにスッポリと頭まで包まれたタマノが、旅人から銅貨を受けとる。
現在タマノには魔物である証の耳と尻尾を隠すため、修道女の装いをしてもらっている。
修道女ならば、このように顔が隠れていても怪しまれないからだ。
神の教えに従って各地で祈りを捧げる存在である彼女たちを疑おう者がいれば、旅に神の加護が得られず、自分たちが盗賊や魔物の危険にさらされるということをそのまま意味する(もっとも、その盗賊と魔物はここにいるのだが)。
もちろん彼女たちにそのような力がある訳ではなく、半ば迷信のようなものなのだがしかし、
「(大丈夫なのか、コレ……!?)」
シーフォンは沸き上がる不安を隠しきれなかった。
それからしばらくしてタマノが一息ついたようで、こちらにやって来たので小さな声で話しかける。
「あいつら……あんないい加減なお祈りで満足なのか……?」
「なにせ祈っておるのはこの可愛いわっちじゃからの。ぬし様もどうかや?」
悪戯っぽい笑みでタマノが言うのに、シーフォンは肩をすくめる。
「魔物除けのお祈りでタマノが離れていくのか?」
「くふっ……そんなことがあるわけありんせんの。……まあしかし、道中で災難に遭って命を落とせばもう文句は言えんじゃろうし、もしそこから助かってわっちにいちゃもんをつけに来ても、そこでわっちが『そのようなことに遭ってなお、ぬしらが永らえておるのは、我らが主神のご加護があったからでありんす』とでも言っておけばそれまででじゃろうて」
一息置いて、ズバリ。
「そもそもそんな迷信なんぞに頼るあやつらに非がありんす」
「おい……そこでいきなり背信に走るなよ……」
「どうせ文句を言いたかろうても、わっちらのことなどもう見つけられはせんじゃろう。ほれ、小遣いが少し増えたと言うことでぬし様も喜んでおきんす」
手の中の銅貨をチャッチャッと鳴らしながら、タマノが言う。
それに対して、シーフォンは少し深刻な顔をして、
「小遣い……と言うか懐具合は大事なことだが、お前は店を構えたいんだろう? それには途方もない金が必要だぞ? まともに行商をやっても10年はゆうにかかるし、扱う商品を仕入れるのにだって元手は要るしな……」
「そうじゃの……わっちもそれにはほとほと困っていたところでありんす……。そもそも、わっちは何を売り物にするかさえハッキリと決めてはおらんしの」
「やっぱり、何をするにも金は重要だな。当面の指標はどうやって金を稼ぐか考えるってことか……」
二人の間に沈黙が訪れる。それを破ったのはタマノだった。
「とりあえず、飯にせんかや? そろそろわっちは限界を迎えてぬし様を食べてしまいんす」
タマノが言った途端に、可愛く腹の虫が鳴り響いた。
「うお……、それは勘弁願いたいな」
「……冗談じゃ。わっちは水を酌みに行ってきんす。ぬし様は干し肉やらを切り分けておいてくりゃれ?」
「ああ、わかった、了解了解……」
行くタマノの背を見ながら、シーフォンは思った。
「(これから、どうなるのだろうか……大変そうだが、ようやく俺も、一歩踏み出せるときが来たのかもしれないな……!)」
******
「うーん……不味くはないんだけどな……、やっぱりこう、味気が無いな」
「そうじゃな……わっちもこれが何日も続くと思うとさすがにちと、の……」
月の光が阻まれるものを知らずに降り注ぐ透き通った夜。
しつらえたテーブルの上に並ぶのは、水と干し肉数切れに、保存がきくように少量の水で練ったライ麦パンだ。
このライ麦パンがどうにも堅く、水で戻さないと咀嚼すらままならないほどであって、それが二人にこのような感想を抱かせていた。
「まあでも、贅沢は言ってられないしな」
見れば周りの他の旅人たちも、同じような内容の食事だった。……だが、中にはぶどう酒を片手に語り合っている者たちも居た。
「ああ……、神の血か、羨ましいな……」
シーフォンは目を細めながらその光景を見やる。
「酒を呑む理由に神をも利用するとは、ぬし様ら人間もほとほとおかしな生き物じゃの」
「そんなこと言うな……誰もが四六時中、肩肘張って生きられる訳ではないんだからな」
「それもそうじゃの」
タマノはそちらを見つつ、ピクピクとローブの下の耳を動かしている。恐らく会話を聞き取っているのだろう。
しばらくして、タマノの眉が気持ち程度上がったのを、シーフォンは見た。
「…あいつらが何か言ってたのか?」
「…他愛のない話ばかりでありんす。『近くの鉱山町で新しい採掘方法が見つかったそうだ』やら、『妻が家から逃げ出したから、捜索を民間にまで依頼する伯爵が居るらしい』とかの……」
「逃亡中の妻か……見つけて伯爵に突き出しても、事情を聞いて匿っても、金にはなりそうだな」
シーフォンが真面目な顔で検討するが、タマノはサッパリと言った。
「まあ、そんな可能性は億に一つくらいしかないじゃろうの」
「……それもそうか。こんな広い世界で人ひとり捜すよりかは、もっと堅実な方法があるはずだ」
「さて、この話はこれで仕舞いじゃ。今日はさっさと部屋に行きんす」
話を切り上げて、席を立ち、こちらを見るタマノ。
その様子に、シーフォンは微かに違和感を抱いた。
部屋への道、シーフォンの前を歩くタマノはというと、
「(全く……勝手にヴィクセンの妻になどされておる……ほとほと呆れんした。それに気が付かんシーフォンも鈍いの。……まあ、そこが可愛いんじゃがな)」
呆れたりにやけたりと、表情をコロコロと変えていたのだが、あいにくとシーフォンからは見えなかった。
******
「…さてと、これからどうするのか、決まっておるのかや?」
部屋に戻って、ベッドに腰掛けながらタマノが言う。
当然ながら二人分の部屋を取るほどの金の余裕と、そもそもの話、空いている二人部屋がなかったので、ベッドは一つっきりである。
タマノが腰かけた瞬間に長年の劣化を経たベッドは軋んだ音を出し、うっすらと埃の被った麻布があまり心地いいとは思えない臭いを発する。
うはぁ、とシーフォンは思いながら、タマノが言ったことに答えた。
「どうするもこうするも、やはりこのまま親魔物領下の町、オルニオーヌを目指すしかないだろ」
「じゃが、気になることも少々ありんす」
「……? なんだ?」
「ヴィクセンじゃ。あやつがこのまま引き下がるとは、わっちにはどうにも思えん」
「ああ、しつこいからな……本当にあの下郎は」
「ぬし様も言うようになりんす」
「だが、だからといって率先的に振り払えるような懸念でもないな、それは。次にあいつが何かしてきたら、そのときは懲らしめてやろう。それでいいだろう?」
「そうじゃの。わっちもそれで賛成じゃ」
「楽しみだな」
「まったくじゃ。あの子童の腰を抜かしてやりんす」
窓の外の月を見やりながら言うタマノの眼が、獲物を狙う狐のように細く、輝いていた。
13/03/12 11:19更新 / ノータ
戻る
次へ