決戦の朝
明け方になって、ヘルゲも目覚めた。
フリストとファーヴニルがグニタヘイズに居ないことを認め、隘路の実地検分を含めて探しに出ると、すぐに会えた。
「まさかあれから一睡もせずに?」
ヘルゲが驚きながら訊ねると、フリストは叱られた子供のような顔になり、ファーヴニルはどことなくばつが悪そうな顔になった。
「段取りを聞かせていただく。そのあとは二人とも少しお休みあれ」
凛とした語調で断言して、打ち合わせに入った。
「ロスヴァイセが着くまで、あと数時間。やはり歩調はエインヘリアルに合わせているようですね」
言い始めはそれで、段取りは次のような手配りである。
まず、空中にロスヴァイセを誘き寄せ、フリストと戦わせる。こうすればエインヘリアルの手こずりを知ってもすぐさま援護に駆けつけることは出来ない。が、フリストも同様である。
ただ、フリストにはファーヴニルという援護がある。咆哮で手傷を負わせ、その隙にフリストが止めを刺す。
その間、ヘルゲはエインヘリアル八人を相手に逃げ、隘路に誘い込む。隘路に仕掛けた罠は三つ。岩が落ちるのと落とし穴。そして夜明け前に到着した援兵十三人による弓矢の一斉射。
人一人走るのがやっとという隘路で、ヘルゲが残ったエインヘリアルと戦い、ロスヴァイセを仕留めたフリストが前後に挟撃して撃破する。
「打てるべき手は、全て打ったことになりましたか」
ヘルゲがぽつりと言った。
果たして勝てるか、という恐れを五部、期待を五部にした色合いが、その疲れ気味の表情に見て取れた。
「グニタヘイズからは出来るだけ離れます。彼女たちもファーヴニルのことを知っているでしょうし、邪推されたくはない」
その瞬間までファーヴニルの参戦を知られたくないという戦術的な配慮もあったが、後の憂いを避けたいという気遣いもあった。以前この枯れ山の洞窟で不意を討ったフリストの言葉とは思われない。が、本心である。
「忠告だ。二人とも、命を惜しむな。惜しむと骸を晒す羽目になるぞ」
「言われずとも。戦いに及ぶなら、それ以前に死を決していなくては勝てない」
フリストは言わずもがな、ヘルゲとてそれは心得ている。
が、不安がある。
今までのヘルゲなら、臆病さを開き直りで沈めて勇敢になれたが、今はどうか。フリストと睦言を交わし、その喜びを知った今、果たして本気で死ねるか。
(いや、いまさら俺の命は惜しくない。惜しくないと言い切れる虚栄は残っている。
問題は、俺だけが生き残った時のことだ・・・・・・)
男女の悲しい性なのであろう。
フリストとヘルゲには実力に圧倒的な隔たりがあるし、そのことを鑑みればヘルゲ如きの心配は侮辱以外の何物でもあるまい。そのことはヘルゲも判っているが、やはり愛する女が心配で仕方ない。
フリストの心配は、今更語るまでもない。
二人の表情を見比べて、ファーヴニルが気を遣って席を立った。
「少し眠る。現世に未練を残すなよ。無様なお前たちの最期は見たくない」
ファーヴニルの後ろ姿が見えなくなるのを見計らって、ヘルゲが口を開いた。
「フリスト、きっと貴女は自分は死んでもいいと思っていると思う」
図星を突かれて、フリストは悲しげに睫毛を伏せた。
(やはり・・・・・・)
ヘルゲの胸中で、悲しみと自責が疼いた。
戦況を圧倒的に不利にしているのも、恋人が死を厭わないのも、全てヘルゲの責だ。にも関わらず、自分の願いをただぶつけるのは、流石に厚顔で無恥だと言える。
だから、ヘルゲは自分の立場を最大限利用することにした。
「フリスト、そこに跪いて」
「はっ」
と、フリストは片膝を地につけ、頭を垂れた。
「我が騎士(マイン・リッター)、誉れ高き我が槍、命を授けます」
ヘルゲの命令は、睦言を除けば初めてのことだ。
フリストは厳かな気持ちで次の言葉を待った。
「必ず、勝ちますよう。ロスヴァイセなどに後れを取ってはなりません」
「はっ。勝利をお約束致します」
と、ヘルゲが膝を付くフリストの肩を掴んで、
「しかし、死んではなりません。私を死なせてもいけません。
我が命、しかと聞き届けてくれますね?」
無茶であろう。加護を失ったフリストは、ロスヴァイセ一人でも手に余る。そのうえ、ヘルゲがやられる前に駆けつけて、死闘の後のその体でエインヘリアルを相手にしなければならない。
が、無茶は信頼の証。フリストは感激して、目尻に涙を浮かべながら、
「拝命しかと承りました。我が王(マイン・ケーニッヒ)。この名に懸けて、必ずや」
涙声で、それでもしっかりと口にした。
ヘルゲは、もうフリストの心を手で撫でるようにして知っている。どう言えば昂り、どうすれば失望するかを知っている。
だから、本意でないことも言う。フリストに対して無論期待も信頼もしているが、それ以上に案じてもいる。言葉の通りの無茶をさせる気はさらさらない。
(なに、どうしようもなくなれば二人で死ねばいい。黄泉路も二人なら楽しい)
異常な考え方かもしれない。
が、本人たちにはそうではない。
片割れを失った世界で、寿命の尽きるまで生きるくらいなら諸共に散った方が心地よい。心と体の全てを預け合った恋人や義士たちの間にのみ、生まれ得る感情であろう。
「では私の槍よ、奮闘を期待し、幸運を祈ります。
今度は戦勝の美酒を、貴女の杯に注ぎたい」
「身に余る栄誉、必ずや頂戴いたします」
ヘルゲの差し出した手の甲に、フリストが口づける。立場としては逆にも見えるが、二人だけの儀礼である。構うまい。
フリストが立ち上がり、一度笑顔を交わすと、二人は互いに背を向けた。
ロスヴァイセとエインヘリアルが、その日の夕に到着しようとしていた。
フリストとファーヴニルがグニタヘイズに居ないことを認め、隘路の実地検分を含めて探しに出ると、すぐに会えた。
「まさかあれから一睡もせずに?」
ヘルゲが驚きながら訊ねると、フリストは叱られた子供のような顔になり、ファーヴニルはどことなくばつが悪そうな顔になった。
「段取りを聞かせていただく。そのあとは二人とも少しお休みあれ」
凛とした語調で断言して、打ち合わせに入った。
「ロスヴァイセが着くまで、あと数時間。やはり歩調はエインヘリアルに合わせているようですね」
言い始めはそれで、段取りは次のような手配りである。
まず、空中にロスヴァイセを誘き寄せ、フリストと戦わせる。こうすればエインヘリアルの手こずりを知ってもすぐさま援護に駆けつけることは出来ない。が、フリストも同様である。
ただ、フリストにはファーヴニルという援護がある。咆哮で手傷を負わせ、その隙にフリストが止めを刺す。
その間、ヘルゲはエインヘリアル八人を相手に逃げ、隘路に誘い込む。隘路に仕掛けた罠は三つ。岩が落ちるのと落とし穴。そして夜明け前に到着した援兵十三人による弓矢の一斉射。
人一人走るのがやっとという隘路で、ヘルゲが残ったエインヘリアルと戦い、ロスヴァイセを仕留めたフリストが前後に挟撃して撃破する。
「打てるべき手は、全て打ったことになりましたか」
ヘルゲがぽつりと言った。
果たして勝てるか、という恐れを五部、期待を五部にした色合いが、その疲れ気味の表情に見て取れた。
「グニタヘイズからは出来るだけ離れます。彼女たちもファーヴニルのことを知っているでしょうし、邪推されたくはない」
その瞬間までファーヴニルの参戦を知られたくないという戦術的な配慮もあったが、後の憂いを避けたいという気遣いもあった。以前この枯れ山の洞窟で不意を討ったフリストの言葉とは思われない。が、本心である。
「忠告だ。二人とも、命を惜しむな。惜しむと骸を晒す羽目になるぞ」
「言われずとも。戦いに及ぶなら、それ以前に死を決していなくては勝てない」
フリストは言わずもがな、ヘルゲとてそれは心得ている。
が、不安がある。
今までのヘルゲなら、臆病さを開き直りで沈めて勇敢になれたが、今はどうか。フリストと睦言を交わし、その喜びを知った今、果たして本気で死ねるか。
(いや、いまさら俺の命は惜しくない。惜しくないと言い切れる虚栄は残っている。
問題は、俺だけが生き残った時のことだ・・・・・・)
男女の悲しい性なのであろう。
フリストとヘルゲには実力に圧倒的な隔たりがあるし、そのことを鑑みればヘルゲ如きの心配は侮辱以外の何物でもあるまい。そのことはヘルゲも判っているが、やはり愛する女が心配で仕方ない。
フリストの心配は、今更語るまでもない。
二人の表情を見比べて、ファーヴニルが気を遣って席を立った。
「少し眠る。現世に未練を残すなよ。無様なお前たちの最期は見たくない」
ファーヴニルの後ろ姿が見えなくなるのを見計らって、ヘルゲが口を開いた。
「フリスト、きっと貴女は自分は死んでもいいと思っていると思う」
図星を突かれて、フリストは悲しげに睫毛を伏せた。
(やはり・・・・・・)
ヘルゲの胸中で、悲しみと自責が疼いた。
戦況を圧倒的に不利にしているのも、恋人が死を厭わないのも、全てヘルゲの責だ。にも関わらず、自分の願いをただぶつけるのは、流石に厚顔で無恥だと言える。
だから、ヘルゲは自分の立場を最大限利用することにした。
「フリスト、そこに跪いて」
「はっ」
と、フリストは片膝を地につけ、頭を垂れた。
「我が騎士(マイン・リッター)、誉れ高き我が槍、命を授けます」
ヘルゲの命令は、睦言を除けば初めてのことだ。
フリストは厳かな気持ちで次の言葉を待った。
「必ず、勝ちますよう。ロスヴァイセなどに後れを取ってはなりません」
「はっ。勝利をお約束致します」
と、ヘルゲが膝を付くフリストの肩を掴んで、
「しかし、死んではなりません。私を死なせてもいけません。
我が命、しかと聞き届けてくれますね?」
無茶であろう。加護を失ったフリストは、ロスヴァイセ一人でも手に余る。そのうえ、ヘルゲがやられる前に駆けつけて、死闘の後のその体でエインヘリアルを相手にしなければならない。
が、無茶は信頼の証。フリストは感激して、目尻に涙を浮かべながら、
「拝命しかと承りました。我が王(マイン・ケーニッヒ)。この名に懸けて、必ずや」
涙声で、それでもしっかりと口にした。
ヘルゲは、もうフリストの心を手で撫でるようにして知っている。どう言えば昂り、どうすれば失望するかを知っている。
だから、本意でないことも言う。フリストに対して無論期待も信頼もしているが、それ以上に案じてもいる。言葉の通りの無茶をさせる気はさらさらない。
(なに、どうしようもなくなれば二人で死ねばいい。黄泉路も二人なら楽しい)
異常な考え方かもしれない。
が、本人たちにはそうではない。
片割れを失った世界で、寿命の尽きるまで生きるくらいなら諸共に散った方が心地よい。心と体の全てを預け合った恋人や義士たちの間にのみ、生まれ得る感情であろう。
「では私の槍よ、奮闘を期待し、幸運を祈ります。
今度は戦勝の美酒を、貴女の杯に注ぎたい」
「身に余る栄誉、必ずや頂戴いたします」
ヘルゲの差し出した手の甲に、フリストが口づける。立場としては逆にも見えるが、二人だけの儀礼である。構うまい。
フリストが立ち上がり、一度笑顔を交わすと、二人は互いに背を向けた。
ロスヴァイセとエインヘリアルが、その日の夕に到着しようとしていた。
16/09/11 11:24更新 / 一
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