連載小説
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中編
 俯きながら教室へと戻ってきた菜々乃に、ジョロウグモの柊は予想していた菜々乃の表情とは違う事に気付き、声をかけた。

 「菜々乃ちゃん……?」
 「…………」

 柊の声にも返事をせずに、自分の席へ戻る菜々乃に、何があったのか聞いても大丈夫なのか一瞬悩んだが、聞く事にした。

 「如何なさったのですか?」
 「……ごめんって、言われました」
 「っ! ……そう、でしたか」

 朝のホームルームで紹介された彼女を見て、柊は新しい環境で緊張していると思っていたのだが、どうも様子がおかしかった。誰とも目を合わせないように名前を名乗り、出来るだけ目立つ事無く静かにしているその姿。隣の席という事もあり、寂しげにしている彼女に余計なお節介だとはわかっていたが放ってはおけずに声をかけたのだ。
 例え拒絶されてもいい。しかし無意識に菜々乃が孤独になろうとするのを見過ごす事が出来ないのが柊の性格だった。その点は玲人と似ている部分がある。まるで妹のよう≠ニいう認識も長女である柊と長男の玲人の共通点だ。

 「どうしても、抑えきれなく……なっちゃったんです」
 「…………」
 「私、玲人くんと、その、キス……、したく、なってしまって……」
 「そのお気持ち、とてもよくわかりますわ」

 柊も女であり、魔物娘。場所を問わず恋人との触れ合いを求めてしまう気持ちは、魔物娘ならば誰にでも持ち合わせている感情だ。
 学校側もそれはよく理解していて、恋人たちの感情が抑えきれなくなってしまった場合に利用できる完全防音完全個室制のベッドが多数ある保健室が用意されている。『学業も必要だが恋愛はそれよりも重要である』がこの学校の教育の方針の一つだ。

 「強引……すぎましたよね……」

 制服のスカートを握り締めて、今にも泣きそうな菜々乃に柊の心がちくりと痛んだ。
 だが、彼女になんと声をかければいいのか。事前に話を聞いている内に、菜々乃は阪野玲人に恋をしているのは明確で、柊は菜々乃の相談役になっていた。
 そして柊は昼食の時間に玲人に会いに行く菜々乃に一つアドバイスをしていた。
 「秘めた想いを何時までも大切にしては、そのままただの思い出≠ニして終わってしまいます。殿方にその気がなくとも、私は貴方を想っていますと素直になるのが一番ですよ」
 実際、柊はそれに従って今の恋人と親密になっている。想い人が居る菜々乃にも是非、と思いアドバイスをしたのだが……。結果は、謝られるという終わり方になってしまった。

 「申し訳ありません、菜々乃ちゃん。わたくしが余計な事を言わなければ……」

 謝罪する柊に、菜々乃は首を振って話を続ける。

 「苗字じゃなくって、名前で呼ぶだけで終わりにすれば、よかったんです……」 
 「ですが……」
 「雰囲気も、良かった……から。それで私、玲人くんの唇を」

 そこで柊は気付く。てっきり柊は阪野玲人が菜々乃を恋愛対象として見られないから謝ったのだと思っていた。しかし、菜々乃は今、雰囲気も良かったと言った。
 だとすれば。

 「菜々乃ちゃん」
 「は、はい……?」
 「よろしければ、その時の状況を詳しくお教えいただけますか?」

 その言葉の意味はわからなかったが、菜々乃は先ほどの出来事を細かく柊に伝えた。すると、柊は笑顔になり、菜々乃にこう言った。

 「終わってなどいませんよ、菜々乃ちゃん」
 「…………え?」
 「むしろこれから始まるのです。阪野くんは貴女の事を意識しているはずですよ」
 「で、でも……」
 「菜々乃ちゃん。ここで貴女が引いてしまったら、絶対に後悔してしまいます」
 「そう……なの、かな」

 柊はとびきりの笑顔で頷いた。
 目尻に溜まった涙を拭いて、菜々乃も笑顔を返す。

 「ありがとう、柊さん。私……頑張ります」
 「はい。わたくしも影ながら応援いたします♪」

 ――――菜々乃ちゃんの恋、必ず成就させます。
 だって、恋をしている菜々乃ちゃん、凄く可愛いもの♪
 菜々乃の何処か守ってあげたくなるような雰囲気は、玲人だけでなく柊にも影響した。それは菜々乃自身が持ち合わせている、無意識の魅力なのだろう。
 午後の授業が始まっても二人はこっそりとノートから一ページ切り取って筆談し、放課後からの作戦会議を開いた。そこで柊はまた一つアドバイスをした。
 それは…………。



 「あ……あの」

 今日の全授業が終了し、放課後。部活動に入部していない玲人はそのまま帰宅するだけだ。慶に貸した漫画をバッグに仕舞いこんでから、下校は菜々乃と帰るべきなのか、それとも一人で帰ってしまった方がいいのか悩んでいると教室にその本人がやってきたのだ。
 その身体でどうしても目立つ菜々乃と、手を繋いで登校した玲人の二人は既に学校内では噂になっていた。何せ、大百足は怪物≠ニ呼ばれた魔物娘だからだ。その菜々乃が教室にやってくる事で教室に残っていた生徒達がざわつき、そして玲人に注目した。
 玲人はというと、驚いた顔で固まっていた。
 昼食の時間の事で、玲人から菜々乃へ向かう事はあっても菜々乃から来る事はないと思っていたからだ。

 「……嫁がお出迎えだな」
 「嫁って言うな」

 玲人と同じように驚いていた慶が呟き、その脳天に軽いチョップをお見舞いする。菜々乃はそれが聞こえていたのか、もじもじしている。
 ――――いや、これは注目されているからか?
 ならば、と玲人はすぐに菜々乃の手を取って歩き出した。

 「れ、玲人……くん?」
 「ごめん、あんなに注目されちゃ緊張するよな」
 「そんな、あの……」
 「迎えに来てくれたんだよね」
 「は、はい……。下校も、お願い……します」
 「うん。わかった」

 菜々乃が来てくれたのは嬉しい。だが、昼の事で玲人は菜々乃の顔を見られずに、常に前を歩いて菜々乃を引っ張るようにしていた。 

 「玲人、くん」
 「……なに?」
 「そんなに、あの、急がなく、っても」
 「あ…………。そう、だね」

 気がつけばもう学校の敷地からは離れていて、昨日玲人と菜々乃が出会った商店街の前まで来ていた。早歩きをしていた足を止めて、反射的に手を離そうとしたが、菜々乃が玲人の手を逃さなかった。

 「え?」

 そして菜々乃の方を振り向くと、地面をじっと見ながらたどたどしくもあったが菜々乃は言った。

 「あのっ、ちょっと寄り道っ。し……たい、です……」

 初めは勢いがあったのだが、地面へ落ちていく紙飛行機のように声量が低くなっていく。
 なんとか聞き取る事は出来る程度だったので、玲人は少々戸惑いながらも頷いた。

 「うん、特に急ぎの用事はないし、大丈夫だよ」
 「ありがとう、ございます。それで、えっと……雑貨屋さんに、行くんですけれど……」
 「……? うん、俺でよかったら」

 繋いだ手はそのままに、商店街の雑貨屋に二人が入ると、お洒落な日用品や海外から可愛いデザインの輸入品などが沢山並んでいて、利用する客も女性が多かった。もちろん、二人のようにカップルも居た。
 玲人は菜々乃がここへ誘う時に緊張していた原因がわかった気がした。しかし、それならば一人で来れば緊張する事もないはずである。真意がよくわからず、だが聞く事も出来ずに綺麗に品だしされているものを眺めていた。

 「こっち、です……」
 「何を買うつもり?」
 「私、前髪が長い、ですよね」
 「うん、長いね」
 「前髪で顔が隠れているから暗く見える……みたいで。それで、切ってしまおうとも思ったんですけど……柊さん、あ、えと、クラスのジョロウグモの柊さんがもったいないって……」

 菜々乃の話を聞きながら、玲人はクラスに友達が出来た事にほっとしていた。さらにジョロウグモと言えば淑女と呼ばれる程の魔物娘だ。まぁ、それは昼間だけなのだが、少なくとも学校に居る間はお淑やかな女性のはずだ。引っ込み思案な菜々乃にとっては友達としていい相談役になってくれるだろう。

 「俺もそう思う。菜々乃さん、の髪って綺麗だから」
 「そ、そうですか? 嬉しい……♪ 母からも、髪は大切にするように教えられていましたから。…………そっか、そういう事だったんだね……」
 「?」

 何か菜々乃が呟いた気がしたが、聞こえなかった。

 「あっ。えっと……、それで、髪留めを使えばいいんじゃないかって……」
 「なるほどね」
 「その髪留めを、玲人くんにも、選んで欲しいん……です」

 そう、それが柊のアドバイスだった。
 玲人を放課後デートに誘って、女性やカップルがよく利用している雑貨店を敢えて選び、そして玲人が選んだヘアピンをこれから使っていく、というものだ。
 ようやく玲人も何故誘われていたのか気付いた。しかし全て柊の思惑通りとはいかず、一人では悩んで選べないから自分を誘ったのだと思っているが。

 「そういう事なら、お安い御用だよ」
 「ありがとうございます……♪」

 それから二人は様々な髪留めを手にとってはこれでもない、それでもないと悩み、結果は二つに絞られた。一つは大き目のぱちんと留めるタイプの赤い髪留め。もう一つは月下香の花を模した装飾の髪留め。

 「うん、これでいいんじゃないかな」
 「はい……ありがとう、ございます」

 どちらか一つを選ばずに、どちらも買ってその日の気分で付け替えればいいという結論に達した。早速購入して二人は店を出た。
 ……これで少しは新山さん、じゃなくて菜々乃さんの印象も変わるだろうか?
 そんな事を考えていたら、偶然にも玲人の妹、紗枝子が先ほどの雑貨屋から出てきた。どうやら紗枝子も何かを探していたようで、手には店の名前が書かれたビニール袋。

 「あ、紗枝子」
 「…………」
 「こ、こんにち……は……」

 しかし玲人と菜々乃を見たかと思うと何も言わずにすたすたと歩いていってしまった。まるで他人の振りをしているかのように。
 相変わらず兄である玲人の存在を無視する紗枝子の態度に、苦笑いしながら頭を掻く。

 「ごめん、うちの妹愛想がなくって」
 「……いえ、私は大丈夫、ですから」
 「俺はともかく、菜々乃さんには会釈ぐらいはしろよな」
 「難しい年頃、なんだと思います」
 「そうなの、かな?」
 「私にも……ありましたから。変に意地張っちゃって……、親に冷たくなったり、とか」
 「あぁ、反抗期?」
 「多分……です、けど」

 ふーん、と返事をして空を眺めてから、玲人は首をかしげた。

 「だとしたら俺限定の反抗期なのか?」
 「……玲人くん限定?」
 「うん。親には普通の反応だし、たまに友達と楽しそうに電話してる声も聞こえてくるんだ」
 「妙、ですね」
 「別に何かおかしな事をした覚えはないんだけどなぁ……」

 思い返そうとしても、別段、紗枝子に嫌われる原因になりそうな事はしていないはずだ。例えば、風呂上りに全裸で歩き回るとか、年頃の女の子に失礼な事はしていない。暴力を振るった事はないし、どう考えても玲人にはわからなかった。結局、それは時が経てば解決するだろうと、楽観していた。

 「ま、いつか普通に戻るよ。きっと」
 「だといい、ですね」
 「けど菜々乃さんを無視したのは兄としてちょっと許せないな。身内ならまだしも、先輩なんだし」
 「そ、そんな事気にしなくっても……。私は、大丈夫、ですし」
 「いや、これは紗枝子の為にならないよ」
 「……うー、あんまり酷い事、言わないでくださいね?」
 「うん、注意と罵倒は違う。そこはしっかりするつもり」
 「は、はい……」

 その後も菜々乃は紗枝子の事を気遣って強く言わないように念を押し、明日もまた一緒に登校する約束をしてから別れた。
 あれだけ念を押されてしまっては、紗枝子に注意する事自体しにくいなと苦笑しながら玲人は家へ向かうのだった。



 帰宅してすぐ、玲人は紗枝子の部屋の扉をノックしてから、

 「紗枝子、ちょっと話があるんだけど」

 落ち着いた言い方で怒っていない事を示した。……が、紗枝子の返事はない。
 もう一度ノックの後に声をかけると、とても不機嫌そうにした紗枝子がゆっくりと出てきた。

 「…………なに」
 「わかってると思うけど、さっきの事で話がある」
 「…………だから、なに?」

 不貞腐れた態度の紗枝子に苛立ちが積もっていくが、菜々乃との約束がある以上、怒る事だけはしないように気をつけながら話を続ける。

 「雑貨屋の前で俺の友達が挨拶したのに、無視して行ったよな?」
 「それがなに?」
 「…………、彼女、菜々乃さんは俺の友達で紗枝子にとっては学校の先輩だ。面倒でも簡単な会釈くらいはしてくれよ」

 変わらず玲人を睨みつけながら、紗枝子は面倒臭そうにため息を一つ。

 「お兄ちゃんの顔に泥を塗ったから? はいはいごめんなさい」
 「…………」

 どうして紗枝子は玲人の神経を逆撫でするような言い方ばかりをするのか。年頃の女の子とは言え、ここまで露骨に嫌われていると、怒りを超えて悲しくなってくる玲人。

 「俺の顔はどうでもいい。ただ、紗枝子のその態度を少しでもどうにかして欲しいだけだ」
 「どうでもいいじゃん」
 「良くない。菜々乃さんは大丈夫だって言ってたけどな――――」
 「自分の彼女にあんな態度するなって言いたいの?」
 「だからそうじゃない。菜々乃さんは友達なだけだ」

 そう言うと、紗枝子はよりイライラしたのか部屋の扉を閉めようとして、すぐに玲人がそれを止めた。

 「……まだなんかあんの?」
 「話は終わってない。俺が言いたいのは、あんな態度じゃいけない事と、会釈ぐらいはしろって事」
 「終わってるじゃん」
 「紗枝子が反省しなきゃ意味がないだろ」

 そこでもう紗枝子の我慢の限界点に達したのか、怒りを込めて玲人を睨みつけながら、

 「うるさいなぁっ! だからごめんなさいって言ったでしょ、はいおしまい!」

 怒鳴り散らしてから部屋の扉を無理やり閉めてから鍵をかけた。
 残された玲人は閉じられた扉をじっと見つつ、その拳を思い切り叩きつけたくなったが菜々乃の言葉を脳内で反芻しながらぐっとこらえた。
 確かに罵倒はしないと約束した。実際に言葉に気をつけながら、話をしたつもりだ。だが、その相手である紗枝子があの態度では全く意味がなかったのではないかと思えてくる。

 「一階まで聞こえてきたわよ」

 玲人と紗枝子の母親、白蛇の紗緒理が先ほどの怒鳴り声を聞いて様子を見に来たが、玲人は無理に笑顔を作った。

 「あぁ、ごめん。でも問題ないから」
 「そう? お母さんの出番はない?」
 「うん。言いたい事は伝えたし、後は紗枝子本人が反省してくれればそれでいいよ」
 「ふぅん……? しっかりお兄ちゃんしてるのね」

 息子の成長が嬉しいのか、口元を隠しながら嬉しそうに笑う紗緒理。面と向かってそう言われると妙に照れ臭くなってくる。

 「そういうのは心の中で言ってよ。照れるから」
 「あら。やっぱり可愛い所は昔と一緒ね」
 「いいから、昔の事は……」

 紗緒理がからかったおかげで、玲人の中で渦巻いていた怒りがすっと抜けていくのを感じて、やはり母親は凄いな、と思う玲人だった。
 母親としての紗緒理はとてもよく出来た母で、いつも頼りになる。子供の玲人や紗枝子の意見を尊重していざと言う時にはフォローしてくれる、自慢の母親だ。
 ……唯一の不満点は未だに夫の隼と学生カップルのようにイチャイチャしている事だろうか。まぁそれは全世界の魔物娘の夫婦がそうであるから仕方のない事だが、実の息子や娘が見ると何とも言えない気持ちになるのだ。
 その日の夕飯も、玲人の成長がよほど嬉しかったのか、隼に喜々として報告していた。

 「ねーねーはやとぉ。今日ねー嬉しい事があったんだよー❤」
 「?」
 「玲人がねー、ちゃんとお兄ちゃんとして成長してたんだよー❤」
 「ちょ、やめて母さん」
 「そうか。それは嬉しいなぁ」
 「うん、さおりも嬉しい❤」

 身体を密着させて甘える紗緒理の頭を撫でる隼。その姿を見せられている子供の玲人はもはや黙って食事をとるしか出来ない。
 子供達の前だとしっかりとした母親なのに、隼の前だとどうしてこうも変わるのか。例えば一人称が子供達だと「お母さん」なのに隼の前だと「さおり」だったりとか。

 「……確かもう四十前じゃなかったっけ……」
 「何か、言った?」

 無意識でぼそ、と呟いた玲人の独り言に紗緒理は手に炎を発生させながら笑顔で聞いた。

 「いえ、滅相もありません。今日もご飯美味しいです」
 「……そう♪」

 母は強し。この国ではそんな言葉があるがまさしくその通りだな、と二人の雰囲気で甘く感じる夕飯を食べながら思う玲人だった。



 翌日、まだ日も昇っていない早朝。母親の紗緒理は慌てながら熟睡している玲人の身体を揺すった。

 「玲人、起きて。玲人」
 「ん、んん……?」
 「大変なの。今すぐ起きて」
 「……大変? なに、が?」

 枕元に置いた携帯を開けば、まだ時刻は午前五時半。設定したアラームよりも二時間早い。そんな時間に一体紗緒理は何を慌てているのか?

 「とにかくリビングまで来て」
 「あーちょっと待って、引っ張らないで……」

 寝ぼけながらも母親に引っ張られて一階へと降りていくと、そこには緊張しているのか少し顔を赤くして玲人のいつもの席に座っている新山菜々乃の姿がそこにあった。昨日玲人と一緒に買った大き目の赤いヘアピンをつけて。
 起きたばかりでぼーっとしていた意識が一気に目覚める。

 「え、菜々乃さん? どうして?」
 「……あ、あの……その……ごめんなさい」
 「さっき新聞を取りに出たら彼女が家の前に居たの。話を聞いたら、玲人を待ってたって言うから……」
 「それで家に入れた、と」
 「うぅ……ごめんなさい」

 こうなる事は菜々乃本人も予想していなかったのか、どんどん俯いていく。確かに起きる時間よりも早いし、どうしてこんな時間なのかもわからなかったが、それよりも玲人は俯く菜々乃にすれば瑣末な事だと判断した。

 「謝らなくていいよ。時間を決めてなかったのもあったし、仕方ないよ」
 「……でも」
 「いいのよ、ちょっと驚いちゃったけど、玲人がこう言っているんだし、ね? そうだ。菜々乃ちゃんはもう朝御飯は済ませた?」
 「いえ、まだ食欲がなくて……」
 「それなら、うちで食べていきなさい♪ 朝御飯を抜いたらお腹が空いて午前の授業に集中出来ないわ」
 「いえ、そこまでご迷惑は……」
 「いいからいいから♪ それにしても……」

 玲人をちら、と見てから口元を隠しながらくすくすと笑う紗緒理。

 「……な、なにさ」
 「やっと玲人にも彼女が出来たのねー、と思ったのよ」
 「〜〜〜っ!?」
 「いや、俺と菜々乃さんは……!」

 玲人と菜々乃が同時に赤面したのを見て、より機嫌が良くなった紗緒理は割烹着を着てからひらひら、と手を振って、

 「今日は頑張って朝御飯作るから、二人は玲人の部屋で待ってなさい♪」

 そう言ってから鼻歌を歌いながらキッチンへ。
 残された二人はとりあえず、玲人の部屋へと向かう。そこに紗緒理が声を弾ませて、

 「避妊なんてしたらだめよー」

 とさらに余計な一言を残した。おかげで菜々乃は耳まで赤くなり、少しのぼせてしまった。

 「母さんめ……冬の朝は凄くテンションが低いのに今日に限って凄く嬉しそうに……」
 「こ、子作り……親公認……」
 「菜々乃さん?」
 「あっ、いえ、なんでも……」
 「そか。とりあえず、部屋に……あ、ごめん、すげぇ散らかってるから待ってて」
 「う、うん……」

 先に部屋に入った玲人は、漫画などが散乱している部屋を無理やりどかせて道を作った。
 散らかった部屋に菜々乃を入れるのは恥ずかしかったが、あのままリビングに居ても紗緒理にからかわれるだろう。それならば恥を忍んで部屋に入れるしかないのだ。

 「とりあえず、えっと、ベッドにでも座って」
 「はい……」
 「っと、ごめん、寝癖直してくるから……」
 「そんなに、急がなくても……」
 「大丈夫。すぐ戻るよ」
 「あ、はい……」

 冷水で顔をさっぱりさせてから、髪を整え、玲人が部屋に戻ると菜々乃は枕を抱きしめながら顔をうずめていた。

 「あ……」
 「え? あ、あの、これはその、ちがっ」
 「ああいや、怒ってないから。大丈夫大丈夫」

 きっとクッションか何かだと思っていたのだろう。そう、そうに違いない。
 玲人はそう思い込むことにして、とりあえず菜々乃の隣に座った。

 「ごめんね、散らかってて……」
 「その、大丈夫ですよ。それに、こちらこそごめんなさい。玲人くんの睡眠を邪魔、しちゃって」
 「たまには早起きも悪くないよ。でも、どうしてこんな朝早くに?」

 そう聞くと、菜々乃の百足の身体が忙しなく動き始めた。

 「あの、昨日、私の髪留めを選んでくれて……それで、その、一番に……見せたくて」
 「……うん」
 「そうしたら、早く目が覚めてしまって」
 「なるほど、ね」
 「れ、玲人くん、どう、ですか?」

 恥ずかしがりながらも菜々乃は自分の素顔を改めて玲人に見せる。
 前髪に隠れてあまり見えなかった菜々乃の素顔は、少し目尻が下がっていて潤んだ瞳。長い睫毛に、小さめで可愛らしい唇。
 玲人はその素顔を見つめて、自分の心拍音がどんどんと鮮明に聞こえ始めて、音の間隔が短くなっていくのを感じた。不安ながらも自分を見つめる菜々乃の顔が、庇護欲をくすぐられる。
 なんとか感想を口にしようとしたが、その前に菜々乃が素早く顔を背けた。

 「や、やっぱり言わないでください。恥ずかしくて……聞いちゃったら、私……私……」
 「……うん、その」
 「…………はい」
 「今の……、髪留めを着けている時の方が、いいね」
 「〜〜〜〜〜っ」

 思わず感想を口にしてしまい、菜々乃は両手で顔を隠し、百足の身体は恥ずかしさを誤魔化すように動く。
 しまった……と思っても既に遅く、かと言って謝るのもはかえって失礼だ。結局玲人は黙る事しか出来なかった。

 「……玲人くんは」

 数分間の沈黙の後、ようやく落ち着いた菜々乃はそっと、玲人の手に触れた。

 「私を、いつもドキドキ……させるんですね」
 「…………」
 「玲人くんは、どう、ですか?」
 「……俺は」
 「…………」
 「俺、は……」

 そこで、玲人は言葉に詰まった。
 否定の言葉を考えた訳ではない。玲人も菜々乃と同じように心臓の鼓動が早くなっていて、苦しくなってくるくらいだ。しかし、これを安易に答えていいのか?
 その答えは、告白と同義なのではないか?
 はっきりとした気持ちを固めていないのに、今ここで彼女に伝えてしまっていいのか?
 それは彼女に対して、余りにも失礼すぎる行為ではないか?

 「玲人……くん?」
 「おれ、は」

 しかし、自己抑制とは全く逆の思考も同時に働く。
 この据え膳の状況を逃していいのか?
 しかも今日が初めてではない。昨日も菜々乃は玲人に同じ事を話しているのだ。これは最早、告白だ。そして昨日とは違って誰にも邪魔をされない。
 ならば、男なら、今目の前に居る女性を押し倒してしまえばいいのではないか?
 新山菜々乃は美人だ。内気で、放ってはおけないような危うさもある。ならば、守ってやるのが男ではないのか?
 気持ちをはっきりするなんて後でいい。心臓が早鐘を打っているのがなによりの証拠ではないか。
 新山菜々乃には、阪野玲人が必要なのだ。だから――――押し倒せ。

 「……くっ」

 玲人は文字通り、半分人間で半分が魔物のような存在だ。自己抑制をすると同時に欲望に忠実な面も存在する。
 理性と欲望がせめぎ合う。
 菜々乃を大切にしたい。
 菜々乃を無茶苦茶にしたい。
 しっかりと考えるのが先だ。
 今すぐ犯すのが先だ。
 ヤるな。
 ヤれ。

 「玲人くん」

 菜々乃の柔らかくて細い手が、玲人の手をしっかり握った。

 「私……玲人くんに、なら」

 どくん。
 玲人には、自分の心臓が一際大きく跳ねたように感じられた。
 続いて、鼓動の音が加速していく。

 「契りを――――」

 菜々乃が何かを言いかけたところで、部屋の扉が開かれた。
 母の紗緒理は分かっていて乱入してくる事などあり得ない。父の隼もこの状況を知っている筈だ。
 ならば、残るのは一人しかいない。

 「…………お兄ちゃんのバカ」

 昨日部屋に閉じ篭ったまま夕食の時間になっても姿を見せなかった妹の紗枝子が、人間の姿から一変し、髪が途中から蛇になっていて蠢いていて、下半身もまた蛇そのものになっていた。
 半魔人間だった紗枝子が、メドゥーサの魔物娘へと変化していたのだ。
 その紗枝子が、目に涙を浮かべている。

 「私……私だって……お兄ちゃんの事、お兄ちゃんの事…………っ!」

 さっきまでの雰囲気が一瞬にして消え去り、重い空気に包まれる。
 実の妹が、いつの間にか魔物娘へと変化していた。その状況に動揺し、玲人は紗枝子の瞳をしっかりと、見てしまった。

 「ずっと前から、好きだったのに――――!」

 紗枝子の感情が魔力に作用し、たちまち、玲人の身体は重くなり、やがて全身が石になっていく。
 玲人は訳が分からないままに、意識を失った…………。
13/03/13 05:14更新 / みやび
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■作者メッセージ
漸くキリがいい所までもってこれたと思います。
しかしまぁ、自分の書き方ってあれですね、事細かに書きすぎなんでしょうか。
うーん、うーん。

と、ここで一つ細かい事を。
母親の紗緒理が夕食の時に炎を玲人に見せたシーンがあったのですが、あれは玲人にぶつけるぞ、という意味ではなく、父親の隼にそれをぶつけて、ここでおっ始めちゃうぞ、という脅しなのでした。
スライムとかデビルバグとかなら近親相姦もアリアリアリーヴェデルチなんでしょうけど。

さて、急展開になってきましたが、次回で完結です。
まったりと、お待ちくださいませ……。

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