『"稲荷のお店"できつねうどん定食を食す』
「……700」
「1200や」
「……765」
「1192や。堪忍してんか」
「……573」
「ってものっそ減っとるやないか!アホ抜かすな!1333!」
「……は冗談として」
「冗談やったんかい……顎外れるかと思うたわ」
「……850にしてくれない?流石に出せるのはこのくらいが限度なの」
「1000や。850やとウチも商売上がったりやねん」
「……じゃあ900」
「……950や」
「900」
「……」
「900。それ以上上がるならこの話、無かったことにして、別を……」
「……だぁぁ!しゃあない!それで手を打ったる!
山葵一箱900、それを五箱や!」
――――――
『デルフィニウム』の料理長さんに頼まれていた山葵を四箱、宿にお釣りと一緒に届けると、私は先ほどの商談相手の刑部狸:スズリ=マーブックに追加で300支払った。目を丸くするスズリ。
「?何のつもりや?」
「一箱は私用だからね。業務(バイト)とは別のところでは、最初に言った値段で買うのがポリシーなの」
流石に金がある状況で業務経費で値切るなんて狡いことはしたくないし。他の子からしたら変かもしれないけれどね。
「さっきあんだけ容赦なく値切ろうとしたあんさんの言う台詞ちゃうで……ま、おおきに」
ピコピコとまんまる狸耳とふかふか尻尾を振るスズリ。けど明らかに動きが不服そうだ。仕方ないわね。売る相手が『狐』だし、なるべくふっかけようにも毎度の如く煙に巻かれている上に値切られたら……吝嗇家が多い刑部狸からすれば腹は立つでしょう。
でも私は知っているし、ハンスもランちゃんも知っている。彼女が抱く夢の一つ――山葵の大陸伝播計画の実行のために、宿の協力が必要だと考えているから、嫌悪を押し留めて取引を進めていることを。
「……これも未来のためや。今にみとりぃ……。ウチの一歩先を行く、一味売っとる烏天狗を今に追い抜かしちゃる……。ウチが大陸に山葵を広めちゃる……。山芋も拷問以外で使われるようにせな……」
……仁義なき、香辛料戦争、か。ケンタウロスが作るマスタードとも一バトルありそうね……っていうか、とろろってそんな使われ方されていたの?一体全体何処の国よ、全く……あ。
『ねぇねぇ知ってる〜?とろろって擦った物を肌に付けると美容に良いんだよ〜!』
……以前フェアリーやピクシーにデマを一斉に流しやがったインプが居やがりましたか。汚いな流石インプきたない。あのデマで何組のカップルが苦悶を味わったことか……。そう言えばそれが原因で今でも一部の地域じゃ持ち込み不可よ……美味しいのに。
『なっ!何でこんな物入れなきゃならないのよ!禁止よ禁止!錦糸卵よ!』
……何でそこで錦糸卵を出したの、スキュラ族長娘さん。と言いますか何故そこまでとろろを目の敵にしているのかしら。……あぁ、そう言えば以前ジパングの海に行ったことがあったらしいから、アレかしら……。まぁジパング故致し方ないわね。
さて。山葵を手に入れたことだし、私も一度、部屋に戻りますかね。手紙も溜まっていることだし……まぁ、大半は店を開かないか?でしょうけど。ごくごく稀に別件の手紙が来ていることだし……。
「……『帰還(リターン)』」
と言うことで、部屋に帰還。さて、早速自作魔力抜き農場で働く魔女達に労いと訓練をしないとね。定期的にしているから、今日はその復習と行きましょうか。
――――――
「――かなり良くなったわね。魔力コントロールが以前に比べて良くなっているわよ」
これでベンジャミンも文句を言うことはないでしょう。魔力自体の底上げも含め、彼女達の魔法使いとしての実力は上がったはずよ。
「「有り難う御座います!」」
体育会系かと思われる一礼をする魔女数名。サバト内部自体に序列があるから仕方ないけど……可愛らしさがなぁ……。まぁここで2%-笑顔全開で「ありがとう!リリムのおねえちゃん!」なんて言われても困るけど。寧ろその笑顔は男に見せてやりなさい。
何も私は彼女達にただ働きさせていたわけではない。この脱魔温室で働くこと、それ自体がある種の修行になっている。魔法生物や空気中に存在する魔力を、人間界平均よりも若干低く強制的に保つ空間になっているこの温室中で、魔力を使わせて手伝わせているのだ。農作業は基本、力が必要。魔力は兎も角身体能力は推して知るべしな魔女は、魔力を使わなければ耕すことすらままならないでしょうし。
自身に魔力を纏わせ定着させる身体強化術、道具にもその範囲を延長させる身体強化術の延長、魔力でその道具を模した、しかも性能を強化したものを創り出す具現術……これらは体力が尽きがちな魔女の必需品なのよねぇ。だから維持すること自体が難しいこの空間でやらせるだけで、コントロールと魔力上限、そしてスタミナが同時に付くわけ。
マッスル……という訳じゃないにしろ、美に必要な筋肉もついているみたいだし……。一時魔界で流行した"メルセズブートキャンプ"よろしくキツイ運動でのダイエットとして募集かけてみようかしら……単純に訴えられるわね。
まぁ、何れにせよ上々の仕上がりに満足した私は、そのまま意気揚々と部屋に戻ろうとして……魔女の一人に止められた。ベンジャミンサバトの魔女リーダー、アジコだ。
「リリム様、我らがサバトの魔術訓練、誠に有り難う御座います!お陰様で、更なる合同術式の使用が可能になりました!」
「いいのよいいのよ。こっちだってほとんど只でこき使っているようなものだし」
……とは言いつつ、しっかりとバイトで稼いだお給金は支払っていますとも。ナドキエ出版だけじゃないわ。新しい味覚の探究ついでに色々な山や色々な川及び海を巡って、鉱山や海底資源開発をやったりしているもの。勿論必要以上のことはやらないわ。大体はこの地域のドラゴンやシービショップに売り渡しているし。
後は温泉かしらね。経営は現地の人や魔物に任せて、自分はただ雀の涙ほどのマージンを貰うだけだ。
その辺りの事情を、当然アジコは理解している。それでもこう礼を言うということは……あの娘達、相当レベルアップしたみたいね。嬉しくなっちゃう♪
「で、何の合同術が使えるようになったの?」
それを聞いたところ、彼女はよくぞ聞いてくれました!と胸を反らした。私を見上げるのと平行して行える辺り、かなり便利なポーズだ。
「よくぞ聞いてくれました!幾つかありますが、リリム様にとっても嬉しい、『ビニールハウス内の全ての作物がどんな状態か、一瞬にして判明する』合同術です!」
……地味〜けど、ちょっと待てよ。これって……?
「これって、もしかして人間にも使えたり?」
「勿論ですっ!領域指定さえすれば、細かいスペック含め、全て判明し、この魔用紙に書き込まれます!さらに文字に触れれば相手の位置をピンポイントで伝え、最短経路を教える親切機能付き!」
おお、それは確かに魅力的だ。特に理想的な『お兄さん』を求める独身バフォメットからすれば相当嬉しい術だろう。素直に拍手すると、アジコは嬉しそうに飛び跳ねるのだった。うむ、可愛い。
「では、私はそろそろ戻るわね。本当に、畑の面倒、ありがとう!」
「ありがとうございましたー!」
大声で一礼するアジコを背に、私は赤い月を背景に部屋に滑り込んだ。最近は魔力セキュリティも発達しているから、外から魔力認証をすれば一発。いい時代になったものね♪やはり怠惰と臆病は発明の母よ♪
旅に出るとか行っておきながら何で家に帰るか?当たり前じゃない。だって、時折手紙を出してくるのよ?大半は店舗予定地の案内とかお見合い写真とかだけど、時々見逃しちゃ不味い類の奴が混ざっていたりする。ナドキエ出版のバイトとか。
「ん〜……」
魔力探知をフルに使いつつ、私は読むモノと読まないモノを峻別していく……毎回増えるなぁ……ん?
「……この魔力は……何処かで覚えがあるような……?」
一度仕訳の手を止め、そのまま感じ覚えのある魔力の在処を探る。……妙に分厚い封筒だな……差出人は……と。
「……あぁ、あの会談の金龍さんか」
宛先はナドキエ出版。それがこちらにリダイレクトされてきたのか。ふむふむ。
ちょっとしたワクワク感を抱きつつ、私は早速封筒を開き、中身を確認することにした……。
――――――
"あの"大陸を越えた会談の後、ドラゴンと龍の二人は仲良く交流しているらしい。山に暮らすドラゴンは定期的に採れる宝石を用いた宝石細工と、山の幸を龍に送り、龍の方は自身の力が及ぶ川の水を使った極上の酒と農作物をドラゴンに送っている。そして、半年に一回くらい、近況報告名目で集まり、山菜と野花を肴にお酒を酌み交わしているそうだ。
今回私にナドキエ出版経由で封筒を送ってきたのは、その龍――鏡水(かがみ)――みたい。なになに……前文やお礼の文は飛ばして……。
『――さて、この度弊社にお手紙を寄せましたのは、【双龍会談】の立役者の一人であるナーラ様に、会談成立の御礼として、私より高位の龍であります"黄龍"様のお膝元、ジパングの『伍神村』にて特上のうどんを味わっていただきたいからで御座います。
聞くところに拠りますと、ナーラ様は世界の美食を求め、貴賎問わず様々な店に出向いていらっしゃるとのこと――』
――社長、バラしたな。私がバラすはずもないし、人事不省になるほど酒を飲んだこともないし。バレても問題ない当たり障りのない内容だけど……コンプライアンス大丈夫かしら、あの出版社。
しかし……うどんか……。考えてみれば、デルフィニウム夏期限定冷やし肉うどんくらいしか食べたことが無かったわね……。麺類はパスタが中心だったし。ラーメンが中々大陸で巡り会わない以上、うどんやソバは推して知るべし、と。
『――きっとお気に召して頂けるかと存じます』
水神の加護ぞあれ。龍を、それも高位の龍を崇拝している村での随一のうどんという事は、それだけ美味な水を使っていることでしょう。水が美味しければ、それを用いてこねる麺はどれほどの味かしらねぇ……。
「……よし、行くか!」
そうとなれば話は早い。住所を確認して行きますか!封筒には例によって手形が入っているし!外見と魔力を整えてれっつごー。
――――――
「……ゎぉ」
座標、間違えたかしら。村と言うからには相当田舎じゃないのかって事は覚悟していたんだけど……これは紛うことなき隠れ里のようね。ま、まぁ実際港からの道はあるみたいだから……まだ獣道よりはマシよね。
見渡す限りの森、森、森。ちょっと甘い香りがするのは、ハニービーとアルラウネがいる証拠ね。……信頼と実績のデビルバグは当然いるわけだけど。この子達が暮らせない場所はあるのかしら……あぁ、大陸北と山岳地帯くらいね。寒いもの。
ちょっと土を指ですくって舐めてみる。……うん、良い土。これは良い作物が育ちそうね。蚯蚓が掘り返したあとが幾つもあるし。多分探ってみたらノームとかウンディーネも居るんじゃないかしら?魔界に落とすのは他の御姉様や妹達が勝手にやるだろうから私はノータッチだけど。
「……」
そして、これも出来ればノータッチで居たかったんだけど、前に出られたらしょうがないわね。
野盗……それも集団か。何を食べたらそうなるのかしらね。ミルクよ。ホルス乳業のミルクを飲むべきなのよ。世界中の人が飲めば犯罪がなくなるのよ!
「……」
無言で包囲網を縮めている……逃がす気はないみたいね。ならば覚悟しなさい。複数でかかったとしても……。
「――ケイシー=マクレーン流には敵わないっ!」
一人目を顎への一撃で昏倒させた後、ナイフ(魔界銀は使ってないわ)の鍔で二人目の刃物を受け止める。そのまま金的を蹴り上げ、蹴り倒した勢いでジャンプする。掴もうとした三人目の男にフランケンシュタイナー。イヌガミケを作った後、体勢を低くして四人目を足払い→落とす。五人目が振り下ろす刃を転がって避けつつ、六人目の脇をすり抜け五人目の軌道上に置く。その二人を互いに頭突きさせ……怯んだところでどちらも顎を打ち上げる……何でか、コロンビアって浮かんだけど気にしない。
「……さて、残るのは貴方だけかしら」
そう隊長格らしき男を指さしつつ、私は回し蹴りで背後に近付く男を蹴り飛ばす。木に当たったけど……ドリアードだったりしないよねぇ。後で確認して謝ろうそうしよう。
「テメェ……ナニモンだ?」
「通りすがりの旅のグルメよ」
「お前のようなグルメがいるか!」
「ところがどっこい……これが現実……圧倒的現実……ッ!」
それにグルメの強さ、今日日珍しくないとは思うんだけどねぇ、珍獣グルメハンターがいるくらいだもの。
「まぁいい!そのグルメがんな辺鄙な場所に何の用だ!」
「私はうどんを食べに来ただけよ。それよりも貴方こそ、こんな辺鄙な村の近くでどうして野盗なんてハイリスクノーリターンな仕事をしているのかし……らっ!」
起き上がろうとしてきた男を足で沈め、ぐりぐりと背中を刺激する。あぁ、段々感じてきているみたいね。吐息が伝わってくるわ。
「……は?うどん?」
そりゃ唖然もいいところよね。うどん目当てで来た謎のグルメに見事に惨敗しているんだから。
「あぁ、ぁああっ♪そ、そこはだ、だ、だぁ、ぁ、ぁぁぁぁああああああああああっ!」
……あ、やりすぎた。どうやら逝かせてしまったらしい。直に足で扱いたわけではないけど……驚きの威力。流石私。
「――えふっ」
パンツを盛大に汚した男をそのまま一旦気絶させ、私は再び野盗と向き合う。目の前の異常な光景に困惑しているみたいだけど……あらあら、黙っちゃった。
「……ねぇ、なら退いて貰えるかしら?早く村に行きたいんだけど」
取り敢えず私にとって重要なのは、この男が道を塞いできたり突っかかってきたりすると村への到着が遅れることなのよ。折角の美味料理を眼前にして温和しくしているほど私は温厚ではないのよ。手を汚すことも厭わないわ。食の恨み……分かるでしょ?
「部下を伸されて引き下がるほど、俺は人間腐っちゃいねぇよ……」
ならまともな職に就きなさいよ、っていうのは明らかな上から目線かしら。何れにしても、怨むんなら自分か神様にしてね。ぶちのめされ希望の相手に、手加減する気はないの。
「あらそう。じゃ♪」
――瞬歩とその速度を保ったままの膝蹴り、それだけで野盗の頭目の体は吹き飛び、滑らかな土の地面に擦れ、重力が勢いを完全に弱めるまで転げていった。相手が悪かったわね。他の姉妹なら兎も角、私は食を邪魔するなら容赦しないの。
……しまった、理由を聞きそびれた。……でも色華をわざわざ使いたくないしナー。ま、村の人に聞いてみるかしらね。
「そうと決まればっと♪」
私はダークエルフ愛用の緊縛紐を使って、野盗達の体を丁寧に……絶対抜けられない縛り方をして刃物を奪い取るのだった。
――無茶なさいますね、旅の御方――
「……あ、ドリアードさん?御免ね。荒らしちゃった?」
縛り終えた辺りで聞こえた声の方向に顔を向けると、そこには樹木から人間の上半身を生やした魔物――ドリアードの一人が胸をなで下ろしていた。
――いえいえ。この程度の荒れならば私達でも容易に修繕出来ます――
言うが早いか、ノームの一人がひょっこり顔を出して、土を元通りの形にしていく。一分も経たないうちに、私が荒らした土は元通りになり……木も、元の姿を取り戻していた。生命力って凄いね。
――それよりも、野盗の集団を一人で退治、捕縛して下さるなんて……有り難う御座います。感謝してもしきれません――
「それほどでもないわ」
あの手合いくらい倒せないと魔王の娘の名が廃る……とも思わないでもないけど。口振りから推測するに、野盗に困らせられていたみたいね。
「それにしても、どうしてこんな辺鄙な場所に野盗が出るのかしらね。何かお宝でもあるのかしら?」
――はい――
あっさり答えたわね、このドリアード。まぁ、野盗が居る理由が他にあるか?なんて聞かれたら私は浮かばないけど。
――旅のグルメの方、貴女がこれから行かれるであろう伍神村は、嘗て前魔王の時代にジパングの守護神であった黄龍様と、その部下である四神を信仰しております――
民間信仰、か。大陸の'拝蛇教'や'メルティックラブ'みたいなものね。そしてそんな曰くの場所には当然……御神体が存在する。
――黄龍様は現在も御存命であらせられますし、各所に散らばっていたという四神の装備も今は殆ど村に戻っていると聞きます。力を、金を求めた野盗が村を襲撃し、村は防衛を続けている……いくら戻せる力があるとはいっても、この辺りの自然が傷つくのはいつだって辛い……――
ドリアードにとって、この辺りの自然は家族のようなものだって考えれば、まぁ確かにそうね。ちょっと悪いことしちゃったかしら。
しっかし、四神のお宝ねぇ……正直、この手のお宝話、私は特に興味を持てないけど、"角無し天使"の妹だったら興味を示すかしらねぇ。無くなったお宝の方に興味が向くんじゃないかしら。
「有り難う。興味深かったわ。……こいつら、どちらに送るべきかしら」
村の規模は分からないけど、正直村の牢獄に送ってはいけないような気がする。わざわざ危険物を内に招いても迷惑なだけだろう。
――あぁ、それならご心配なく。私が麓の町まで転がしていきます――
……え?
「……転がす?」
何か今、聞いてはいけない一言を聞いてしまった気がする。寧ろ、本来であれば温厚な彼女らが口にすることはないだろう言葉が、フルートのような可愛らしい声で紡がれた気がする。一応聞き返すと、ドリアードは笑顔のまま口を開いた。
――はい。草達でさらに体の自由を奪って、罪状及び出自の熨斗を付けて、転がしていきます――
彼女の、笑顔が、怖い。……ここから麓の町までどんだけあると思ってんのよ……。その間砂利とか岩とかに自由激突させるとは……やっぱり自然は怒らせてはいけないわね。
――無論、この様な方々と祝言を挙げたいなどという奇特な方がいらっしゃれば、差し上げますわ。そう言えば、この山の途中には大陸から渡ってきたというダークエルフが集落を作っていらっしゃって、生きのいい奴隷を絶賛募集中だとか――
……黒い、黒い黒い黒すぎるわよこのドリアード。今まで生きてきてこんなに黒いドリアードを目にしたことなんか無いんだけど。自業自得とはいえ、野盗に同情する日が来るとは思わなかったわ……。
「じ、じゃあ頼んだわ。では、私はこれで」
――うふふふふ……では、行ってらっしゃい♪――
恐らくいい笑顔をしているだろうドリアードを振り返ることなく、私は逃げるようにその場を後にした……。
自然を怒らせるの、ダメ、ゼッタイ。普段温厚な存在ほど、怒ったときの反動が怖いのだから……。
―――――
澄んだ水の流れに耳を傾けつつ、私は川沿いに進んでいく。適度に滑り止めの雑草を生やした道は、自然や景観を壊さずに歩道を作るという目的に適っているみたいね。変に丸太を地面に打ち付けるよりも、よっぽどいいわ。
……まぁ、風がコエダメ(デビルバグやベルゼバブが好きそうな香りを放つ場所。植物や農作物の肥料になるらしい)の異臭を運ぶのは仕方ないわね。というか、一部の教会領よりこれでも衛生面でかなり優れてるってどういうことなの……?一部教会領は魔物軍勢云々よりもまずこっちを改めなさいよ。
……しっかし、まさか四神のお宝はカイトという青年が装備して村にはなく、今や四精霊及び龍の子供がその宝となっているとはねぇ。我が母上の魔力の影響だと分かってはいるけど、凄い事になっているわね。元々はこっちからの侵略を防ぐためのものだったのが、いつの間にやら魔界の協力者とは。……正確には違うだろうけど、下手な事をしなければ問題ないわけでしょ。というか情報更改されていないって事は、またあの手の輩が来るんじゃなかろうか……うわぁ。伍神村も大変ね。
と、関係ない与太思考を繰り返しながら私が到着した場所は――何処か寂れたようにも見える庵だった。何というか、'ジパング昔話'に出てくる民間人の庵をそのまま現実化させたらそうなるんじゃないかってぐらいそのままの庵だった。
「……」
念のため村の人に描いてもらった地図を確認する。寸分違いもなくあの場所だ。取り敢えず近付いてみよう。
「……」
……どうやらやっているらしい。『稲荷のお店』という、白炭で炭板に描かれた看板が何処か哀愁をそそる。哀愁とは違うか。懐かしさ、とも言えるかもしれない。素朴さ。
いいじゃないか。変に繕わず、ありのままをさらけ出す店。過剰装飾の店ほど案外味はそうでもない可能性が高いと私は知っているじゃないの!恐れるな!私!
「……あ、音がするわね」
バン、バン、バン。荒々しくも、一本図太い芯の入った音が、庵から響く。その一音一音に、魂が入っているのが私には感じられた。ウドン……麺類。相当のコシがあるのかもしれない。
美味の予感に、私は口に溜まった唾液を飲み込んだ。自然とお腹も、くきゅる、と不協和な音を奏で、私の脚をせかす。待ちなさい。どれだけ堪え性がないのよ、いやしんぼさんね。
……さて、行きますか。
「いらっしゃいませー♪」
暖簾を潜る私を出迎えてくれたのは、金色の毛が上下ともにふかふさしている稲荷。妖狐と違うと感じたのは、その妖力が主人の元に行き、その主人のやる気――言うならば、その『麺を作る気』を強化するに至ったのを、私が感じたからよ。
主人は厨房に潜っているらしい。魔力の流れからそう判断した私は――厨房から流れてくる出汁の旨い香りを鼻孔に捉えた。
……幾万の人が座り、適度に柔らかくなった畳の上に、ちょこんと正座した私は当然、沸き上がる本能に従って告げたわ。
「――きつねうどん定食を一つ」
「畏まりました♪……きつね定食一つ!」
そう厨房に向かって呼びかけると、出迎えてくれた稲荷さんはそのまま別の厨房へ……あれ?厨房二つ?一体どういうことなのかしら……。まさかイチャラブ対策?結婚すると妖力が増すからそうしているのかしら……?まぁいいわ。まずは店を見てみましょう。
……どちらかと言うと小さいお店なのねぇ。まぁ、ちょっとした村の料理店、ってところかしら。窓を見れば、適度に整えられた草木が見える。自然そのまま……ではないのはきっと不快感となるモノを減らそうとする心意気ね。
差し出されたお茶の味……麦の風味が美味しいわね……へぇ、こっちでは麦をお茶にするんだ……。思わず目を細める。堅苦しさを削り、心を和やかな心地にさせる柔らかな味だ。さらさらとした麦の風味がとても美味しい。きっと夏にスポーツの後で冷たいこれが喉から胃袋にかけてすぅっと染み込んだら、爽快感ゲット!でしょうね。
「お待たせいたしました。いなり寿司で御座います」
稲荷の店には当然付き物のいなり寿司。でもちょい待てよ。確かきつねうどんにはお揚げが付き物……ってことは、お揚げが被っている形になるのかしら?
そんなことは気にしなくていいわね。大事なのはそこに何が染み込んでいるのかだし。当然、味付けは違っていることでしょう。
では……備え付けの箸を手にとって……。
「……頂きます」
箸で、いなり寿司を挟む。時としてツルツルの米が崩れる質の悪い物もあるけど、これは違う。箸を受け入れるように柔らかく、それでいて確固とした感触を私の指に伝えていく。持ち上げても、米粒一つ漏れることはない。ただ、じんわりと揚げに染み込んだ出汁が滲むだけだ。
そのまま私は……手を受け皿にするように下に沿え、箸で'掴んだ'いなり寿司をそっと口に運び……一口。
「――」
滲んだ出汁は、しかし水滴状になって箸から垂れ落ちることはなく私の歯や舌を濡らし、棘のない暖かな甘みを広げていく。そこから中身の五目ご飯の、五色の酸味が先の甘みを素朴に引き立てている。それでいて、どこか物足りない……と言ったら語弊があるか。これだけでは満足させない、もっと欲しいと私の食欲に訴えかけていく。それこそ、三個のいなり寿司では足りないくらいに。
ちょっとした米を使ったオードブル、ってところね。前にジパングで食べた黒稲荷のような存在感はない、あくまで引き立て役として存在するいなり寿司……ナイジョのコウ、って奴かしら。ジパングの夫と妻の役割を考えたら……何だっけ?テイシュカンパク?カンパクって何だったかしら……今度"マイコはん"に聞いてみよう。
――ダンッ!……ダンッ!
「……」
一音、一音。性も根も籠もった一撃を小麦粉に叩き込んでいる様をこの音から感じるわ。
あ、止んだ。と言うことはそろそろ茹でるのかしら。さて……出汁はどんな感じなのかしらね。そして、魂の籠もった饂飩の弾力は、一体どんなものなのかしら……。
『うどんは生地作りの時に足で踏むのよねぇ♪』
……小麦粉プレイは斬新過ぎよハンス。どんな大人の運動会の罰ゲーム会場よ。私に出したのはそれじゃないって分かっているから普通に食べたけど、他の本館に泊まるお客さんは食べたらしいから……好評だったらしい辺りがあの宿ね。
まぁそんなことは兎も角、私はいなり寿司を食べ終えると、うどんが茹であがるのを心待ちにしつつ、麦茶を一口。……うん♪サラサラしていて美味しい♪これは夏場に飲みたいわね……っと。稲荷さんがあちらに向かったって事は、出来たみたいね。
「お待たせいたしました♪きつねうどんで御座います」
――音もなくテーブルの上に置かれた、狐の尾の模様があしらわれた器。その表面に黄金色と焦げ茶色の中間色をした液体が外から投げかけられる穏やかな光によって、まるで夕凪の海岸のようにきらきらと光る。その光が透かす液体の中身、緑の山菜に、葱。そして半分浮かび、半分液体が染み込んだ油揚げ。
「……」
ぺろり、と油揚げをめくると、そこには少なくとも外観上は溶ける事なく存在しているうどんが、深海に眠る太古の竜の如く鎮座している。因みにその竜は今は旦那を得てイチャコラしているけどそれはさておき。
「――ッ!」
そのうどんを見たとき、私の心臓が大きく高鳴ったのが分かった。これを食べたい。口に入れ、歯で咀嚼したい。そのまま嚥下し食道を通る感覚を、舌に染み入る味覚を味わいたい……!
一目で分かる、凄み。ベタな表現で言うならば"魂"を込めて練り、叩き、延ばし、切り、茹でたのがよく分かる。だって……まるで麺がスープの中で煌めいているかのよう……!
「……」
私は無言で箸を取り、うどんを一本、箸で摘む。……ずしり、とした重さが伝わってくる。うどんが出汁を吸ってなお、千切れることなく伝えてくる重み……それを私はゆっくりと黄金色の水面から地表へと寄せ、そのまま引きずり出し――口へと運び、一噛み。
――瞬間、私に電流が走る――ッ!
「――!!!!!」
……確かにいなり寿司で満足させないのは正解だわ。だって、これ……すっごく弾力が有るもの。
しかも弾力があるだけじゃない。その弾力の中に小麦の甘みや、出汁にほんの微かに含まれる酸味が、麺から染み出して歯から舌へと垂れ落ち、血流に乗せて全身に巡り巡っていく……それはまさに、断面積1cm弱平方の中に広がる小宇宙……!
そう言えば、食の基本は咀嚼、育もまた然りだって、私の敬愛する料理人の一人も言っていたっけ……。兎に角、一本一本噛みしめること、噛みしめ咀嚼し髄の髄の髄まで味わい、そこから新たな何かを得ること、それこそが食という行為であり、自らを育てることでもある、と。
その方は確か"食育"を推進していたわね。食によって体と心を健やかに育てること。このうどんは……間違いなく人を育む……!
「――」
ずるずると流し込むのは体に良くない。兎に角噛んで、味わって欲しい。音楽でいう俺の歌を聴け、というものとは違う、麺に精魂込める漢の心意気――!
噛む、噛む、噛む、噛む噛む噛む噛む噛む噛む噛みしめる。その度に甘み、甘み、甘み甘み甘みが、確固とした食感が私の中に広がっていく。
うどんの味を邪魔しない出汁は、油揚げとの相性も良い。薄口の昆布出汁は、ソイソース出汁のような攻めの姿勢はなく、寧ろ受け。ともすれば激しさすら覚えるうどんの攻めを柔らかく受け止める、優しい静水……いや、静出汁……。
少しずつ……少しずつ……私はうどんを口にしていく……。まるで樹齢百年を越す木の年輪を、一つずつ一つずつ、ゆっくりと削り取るように……。
重く、大きく……強い。こんなにも『強く』て、美味しい麺類は、今まで味わったことがなかったわ……。ようやく、一口一口味わってようやく食べ終えることが出来た。
「……」
そして……主無き出汁や具を、私は味わうように飲み、口にした。飲み干した後の「……ふぅ……」の心地よさといったら……ない。
「――御馳走様でした」
ムギチャを最後に口にし、私は食事を終える挨拶をした。まるで人の人生をそのまま受け入れたような剛のうどんに、私のお腹は満足の波紋を全身に広げていった……。
――――――
……儲け物だったわね。確かにこれは美味しいわ。純粋に、混じりっ気ない旨味という物が味わえたのは大きいわ。
これをこの村の人は食べているのか……それは当然、気迫も気力も段違いになるわけね。しかも価格が銅貨三枚だっけ?ジパングは安さが売りなの?もっと上げてもいいのよ?
とはいえ、この水が汚されない限りは、だけどね。
「……そうねぇ」
”秘宝”に危害が加われば、まず間違いなくこのうどんの味も三割から五割、落ちるでしょうね。それは私としても望まないわ。なので……野盗が水を汚すなら、私はそれに抗うために全力を尽くすとしましょうか♪
今後、度々寄らせて貰うわね♪勿論、道中の野盗はのめして……ね。
end.
「1200や」
「……765」
「1192や。堪忍してんか」
「……573」
「ってものっそ減っとるやないか!アホ抜かすな!1333!」
「……は冗談として」
「冗談やったんかい……顎外れるかと思うたわ」
「……850にしてくれない?流石に出せるのはこのくらいが限度なの」
「1000や。850やとウチも商売上がったりやねん」
「……じゃあ900」
「……950や」
「900」
「……」
「900。それ以上上がるならこの話、無かったことにして、別を……」
「……だぁぁ!しゃあない!それで手を打ったる!
山葵一箱900、それを五箱や!」
――――――
『デルフィニウム』の料理長さんに頼まれていた山葵を四箱、宿にお釣りと一緒に届けると、私は先ほどの商談相手の刑部狸:スズリ=マーブックに追加で300支払った。目を丸くするスズリ。
「?何のつもりや?」
「一箱は私用だからね。業務(バイト)とは別のところでは、最初に言った値段で買うのがポリシーなの」
流石に金がある状況で業務経費で値切るなんて狡いことはしたくないし。他の子からしたら変かもしれないけれどね。
「さっきあんだけ容赦なく値切ろうとしたあんさんの言う台詞ちゃうで……ま、おおきに」
ピコピコとまんまる狸耳とふかふか尻尾を振るスズリ。けど明らかに動きが不服そうだ。仕方ないわね。売る相手が『狐』だし、なるべくふっかけようにも毎度の如く煙に巻かれている上に値切られたら……吝嗇家が多い刑部狸からすれば腹は立つでしょう。
でも私は知っているし、ハンスもランちゃんも知っている。彼女が抱く夢の一つ――山葵の大陸伝播計画の実行のために、宿の協力が必要だと考えているから、嫌悪を押し留めて取引を進めていることを。
「……これも未来のためや。今にみとりぃ……。ウチの一歩先を行く、一味売っとる烏天狗を今に追い抜かしちゃる……。ウチが大陸に山葵を広めちゃる……。山芋も拷問以外で使われるようにせな……」
……仁義なき、香辛料戦争、か。ケンタウロスが作るマスタードとも一バトルありそうね……っていうか、とろろってそんな使われ方されていたの?一体全体何処の国よ、全く……あ。
『ねぇねぇ知ってる〜?とろろって擦った物を肌に付けると美容に良いんだよ〜!』
……以前フェアリーやピクシーにデマを一斉に流しやがったインプが居やがりましたか。汚いな流石インプきたない。あのデマで何組のカップルが苦悶を味わったことか……。そう言えばそれが原因で今でも一部の地域じゃ持ち込み不可よ……美味しいのに。
『なっ!何でこんな物入れなきゃならないのよ!禁止よ禁止!錦糸卵よ!』
……何でそこで錦糸卵を出したの、スキュラ族長娘さん。と言いますか何故そこまでとろろを目の敵にしているのかしら。……あぁ、そう言えば以前ジパングの海に行ったことがあったらしいから、アレかしら……。まぁジパング故致し方ないわね。
さて。山葵を手に入れたことだし、私も一度、部屋に戻りますかね。手紙も溜まっていることだし……まぁ、大半は店を開かないか?でしょうけど。ごくごく稀に別件の手紙が来ていることだし……。
「……『帰還(リターン)』」
と言うことで、部屋に帰還。さて、早速自作魔力抜き農場で働く魔女達に労いと訓練をしないとね。定期的にしているから、今日はその復習と行きましょうか。
――――――
「――かなり良くなったわね。魔力コントロールが以前に比べて良くなっているわよ」
これでベンジャミンも文句を言うことはないでしょう。魔力自体の底上げも含め、彼女達の魔法使いとしての実力は上がったはずよ。
「「有り難う御座います!」」
体育会系かと思われる一礼をする魔女数名。サバト内部自体に序列があるから仕方ないけど……可愛らしさがなぁ……。まぁここで2%-笑顔全開で「ありがとう!リリムのおねえちゃん!」なんて言われても困るけど。寧ろその笑顔は男に見せてやりなさい。
何も私は彼女達にただ働きさせていたわけではない。この脱魔温室で働くこと、それ自体がある種の修行になっている。魔法生物や空気中に存在する魔力を、人間界平均よりも若干低く強制的に保つ空間になっているこの温室中で、魔力を使わせて手伝わせているのだ。農作業は基本、力が必要。魔力は兎も角身体能力は推して知るべしな魔女は、魔力を使わなければ耕すことすらままならないでしょうし。
自身に魔力を纏わせ定着させる身体強化術、道具にもその範囲を延長させる身体強化術の延長、魔力でその道具を模した、しかも性能を強化したものを創り出す具現術……これらは体力が尽きがちな魔女の必需品なのよねぇ。だから維持すること自体が難しいこの空間でやらせるだけで、コントロールと魔力上限、そしてスタミナが同時に付くわけ。
マッスル……という訳じゃないにしろ、美に必要な筋肉もついているみたいだし……。一時魔界で流行した"メルセズブートキャンプ"よろしくキツイ運動でのダイエットとして募集かけてみようかしら……単純に訴えられるわね。
まぁ、何れにせよ上々の仕上がりに満足した私は、そのまま意気揚々と部屋に戻ろうとして……魔女の一人に止められた。ベンジャミンサバトの魔女リーダー、アジコだ。
「リリム様、我らがサバトの魔術訓練、誠に有り難う御座います!お陰様で、更なる合同術式の使用が可能になりました!」
「いいのよいいのよ。こっちだってほとんど只でこき使っているようなものだし」
……とは言いつつ、しっかりとバイトで稼いだお給金は支払っていますとも。ナドキエ出版だけじゃないわ。新しい味覚の探究ついでに色々な山や色々な川及び海を巡って、鉱山や海底資源開発をやったりしているもの。勿論必要以上のことはやらないわ。大体はこの地域のドラゴンやシービショップに売り渡しているし。
後は温泉かしらね。経営は現地の人や魔物に任せて、自分はただ雀の涙ほどのマージンを貰うだけだ。
その辺りの事情を、当然アジコは理解している。それでもこう礼を言うということは……あの娘達、相当レベルアップしたみたいね。嬉しくなっちゃう♪
「で、何の合同術が使えるようになったの?」
それを聞いたところ、彼女はよくぞ聞いてくれました!と胸を反らした。私を見上げるのと平行して行える辺り、かなり便利なポーズだ。
「よくぞ聞いてくれました!幾つかありますが、リリム様にとっても嬉しい、『ビニールハウス内の全ての作物がどんな状態か、一瞬にして判明する』合同術です!」
……地味〜けど、ちょっと待てよ。これって……?
「これって、もしかして人間にも使えたり?」
「勿論ですっ!領域指定さえすれば、細かいスペック含め、全て判明し、この魔用紙に書き込まれます!さらに文字に触れれば相手の位置をピンポイントで伝え、最短経路を教える親切機能付き!」
おお、それは確かに魅力的だ。特に理想的な『お兄さん』を求める独身バフォメットからすれば相当嬉しい術だろう。素直に拍手すると、アジコは嬉しそうに飛び跳ねるのだった。うむ、可愛い。
「では、私はそろそろ戻るわね。本当に、畑の面倒、ありがとう!」
「ありがとうございましたー!」
大声で一礼するアジコを背に、私は赤い月を背景に部屋に滑り込んだ。最近は魔力セキュリティも発達しているから、外から魔力認証をすれば一発。いい時代になったものね♪やはり怠惰と臆病は発明の母よ♪
旅に出るとか行っておきながら何で家に帰るか?当たり前じゃない。だって、時折手紙を出してくるのよ?大半は店舗予定地の案内とかお見合い写真とかだけど、時々見逃しちゃ不味い類の奴が混ざっていたりする。ナドキエ出版のバイトとか。
「ん〜……」
魔力探知をフルに使いつつ、私は読むモノと読まないモノを峻別していく……毎回増えるなぁ……ん?
「……この魔力は……何処かで覚えがあるような……?」
一度仕訳の手を止め、そのまま感じ覚えのある魔力の在処を探る。……妙に分厚い封筒だな……差出人は……と。
「……あぁ、あの会談の金龍さんか」
宛先はナドキエ出版。それがこちらにリダイレクトされてきたのか。ふむふむ。
ちょっとしたワクワク感を抱きつつ、私は早速封筒を開き、中身を確認することにした……。
――――――
"あの"大陸を越えた会談の後、ドラゴンと龍の二人は仲良く交流しているらしい。山に暮らすドラゴンは定期的に採れる宝石を用いた宝石細工と、山の幸を龍に送り、龍の方は自身の力が及ぶ川の水を使った極上の酒と農作物をドラゴンに送っている。そして、半年に一回くらい、近況報告名目で集まり、山菜と野花を肴にお酒を酌み交わしているそうだ。
今回私にナドキエ出版経由で封筒を送ってきたのは、その龍――鏡水(かがみ)――みたい。なになに……前文やお礼の文は飛ばして……。
『――さて、この度弊社にお手紙を寄せましたのは、【双龍会談】の立役者の一人であるナーラ様に、会談成立の御礼として、私より高位の龍であります"黄龍"様のお膝元、ジパングの『伍神村』にて特上のうどんを味わっていただきたいからで御座います。
聞くところに拠りますと、ナーラ様は世界の美食を求め、貴賎問わず様々な店に出向いていらっしゃるとのこと――』
――社長、バラしたな。私がバラすはずもないし、人事不省になるほど酒を飲んだこともないし。バレても問題ない当たり障りのない内容だけど……コンプライアンス大丈夫かしら、あの出版社。
しかし……うどんか……。考えてみれば、デルフィニウム夏期限定冷やし肉うどんくらいしか食べたことが無かったわね……。麺類はパスタが中心だったし。ラーメンが中々大陸で巡り会わない以上、うどんやソバは推して知るべし、と。
『――きっとお気に召して頂けるかと存じます』
水神の加護ぞあれ。龍を、それも高位の龍を崇拝している村での随一のうどんという事は、それだけ美味な水を使っていることでしょう。水が美味しければ、それを用いてこねる麺はどれほどの味かしらねぇ……。
「……よし、行くか!」
そうとなれば話は早い。住所を確認して行きますか!封筒には例によって手形が入っているし!外見と魔力を整えてれっつごー。
――――――
「……ゎぉ」
座標、間違えたかしら。村と言うからには相当田舎じゃないのかって事は覚悟していたんだけど……これは紛うことなき隠れ里のようね。ま、まぁ実際港からの道はあるみたいだから……まだ獣道よりはマシよね。
見渡す限りの森、森、森。ちょっと甘い香りがするのは、ハニービーとアルラウネがいる証拠ね。……信頼と実績のデビルバグは当然いるわけだけど。この子達が暮らせない場所はあるのかしら……あぁ、大陸北と山岳地帯くらいね。寒いもの。
ちょっと土を指ですくって舐めてみる。……うん、良い土。これは良い作物が育ちそうね。蚯蚓が掘り返したあとが幾つもあるし。多分探ってみたらノームとかウンディーネも居るんじゃないかしら?魔界に落とすのは他の御姉様や妹達が勝手にやるだろうから私はノータッチだけど。
「……」
そして、これも出来ればノータッチで居たかったんだけど、前に出られたらしょうがないわね。
野盗……それも集団か。何を食べたらそうなるのかしらね。ミルクよ。ホルス乳業のミルクを飲むべきなのよ。世界中の人が飲めば犯罪がなくなるのよ!
「……」
無言で包囲網を縮めている……逃がす気はないみたいね。ならば覚悟しなさい。複数でかかったとしても……。
「――ケイシー=マクレーン流には敵わないっ!」
一人目を顎への一撃で昏倒させた後、ナイフ(魔界銀は使ってないわ)の鍔で二人目の刃物を受け止める。そのまま金的を蹴り上げ、蹴り倒した勢いでジャンプする。掴もうとした三人目の男にフランケンシュタイナー。イヌガミケを作った後、体勢を低くして四人目を足払い→落とす。五人目が振り下ろす刃を転がって避けつつ、六人目の脇をすり抜け五人目の軌道上に置く。その二人を互いに頭突きさせ……怯んだところでどちらも顎を打ち上げる……何でか、コロンビアって浮かんだけど気にしない。
「……さて、残るのは貴方だけかしら」
そう隊長格らしき男を指さしつつ、私は回し蹴りで背後に近付く男を蹴り飛ばす。木に当たったけど……ドリアードだったりしないよねぇ。後で確認して謝ろうそうしよう。
「テメェ……ナニモンだ?」
「通りすがりの旅のグルメよ」
「お前のようなグルメがいるか!」
「ところがどっこい……これが現実……圧倒的現実……ッ!」
それにグルメの強さ、今日日珍しくないとは思うんだけどねぇ、珍獣グルメハンターがいるくらいだもの。
「まぁいい!そのグルメがんな辺鄙な場所に何の用だ!」
「私はうどんを食べに来ただけよ。それよりも貴方こそ、こんな辺鄙な村の近くでどうして野盗なんてハイリスクノーリターンな仕事をしているのかし……らっ!」
起き上がろうとしてきた男を足で沈め、ぐりぐりと背中を刺激する。あぁ、段々感じてきているみたいね。吐息が伝わってくるわ。
「……は?うどん?」
そりゃ唖然もいいところよね。うどん目当てで来た謎のグルメに見事に惨敗しているんだから。
「あぁ、ぁああっ♪そ、そこはだ、だ、だぁ、ぁ、ぁぁぁぁああああああああああっ!」
……あ、やりすぎた。どうやら逝かせてしまったらしい。直に足で扱いたわけではないけど……驚きの威力。流石私。
「――えふっ」
パンツを盛大に汚した男をそのまま一旦気絶させ、私は再び野盗と向き合う。目の前の異常な光景に困惑しているみたいだけど……あらあら、黙っちゃった。
「……ねぇ、なら退いて貰えるかしら?早く村に行きたいんだけど」
取り敢えず私にとって重要なのは、この男が道を塞いできたり突っかかってきたりすると村への到着が遅れることなのよ。折角の美味料理を眼前にして温和しくしているほど私は温厚ではないのよ。手を汚すことも厭わないわ。食の恨み……分かるでしょ?
「部下を伸されて引き下がるほど、俺は人間腐っちゃいねぇよ……」
ならまともな職に就きなさいよ、っていうのは明らかな上から目線かしら。何れにしても、怨むんなら自分か神様にしてね。ぶちのめされ希望の相手に、手加減する気はないの。
「あらそう。じゃ♪」
――瞬歩とその速度を保ったままの膝蹴り、それだけで野盗の頭目の体は吹き飛び、滑らかな土の地面に擦れ、重力が勢いを完全に弱めるまで転げていった。相手が悪かったわね。他の姉妹なら兎も角、私は食を邪魔するなら容赦しないの。
……しまった、理由を聞きそびれた。……でも色華をわざわざ使いたくないしナー。ま、村の人に聞いてみるかしらね。
「そうと決まればっと♪」
私はダークエルフ愛用の緊縛紐を使って、野盗達の体を丁寧に……絶対抜けられない縛り方をして刃物を奪い取るのだった。
――無茶なさいますね、旅の御方――
「……あ、ドリアードさん?御免ね。荒らしちゃった?」
縛り終えた辺りで聞こえた声の方向に顔を向けると、そこには樹木から人間の上半身を生やした魔物――ドリアードの一人が胸をなで下ろしていた。
――いえいえ。この程度の荒れならば私達でも容易に修繕出来ます――
言うが早いか、ノームの一人がひょっこり顔を出して、土を元通りの形にしていく。一分も経たないうちに、私が荒らした土は元通りになり……木も、元の姿を取り戻していた。生命力って凄いね。
――それよりも、野盗の集団を一人で退治、捕縛して下さるなんて……有り難う御座います。感謝してもしきれません――
「それほどでもないわ」
あの手合いくらい倒せないと魔王の娘の名が廃る……とも思わないでもないけど。口振りから推測するに、野盗に困らせられていたみたいね。
「それにしても、どうしてこんな辺鄙な場所に野盗が出るのかしらね。何かお宝でもあるのかしら?」
――はい――
あっさり答えたわね、このドリアード。まぁ、野盗が居る理由が他にあるか?なんて聞かれたら私は浮かばないけど。
――旅のグルメの方、貴女がこれから行かれるであろう伍神村は、嘗て前魔王の時代にジパングの守護神であった黄龍様と、その部下である四神を信仰しております――
民間信仰、か。大陸の'拝蛇教'や'メルティックラブ'みたいなものね。そしてそんな曰くの場所には当然……御神体が存在する。
――黄龍様は現在も御存命であらせられますし、各所に散らばっていたという四神の装備も今は殆ど村に戻っていると聞きます。力を、金を求めた野盗が村を襲撃し、村は防衛を続けている……いくら戻せる力があるとはいっても、この辺りの自然が傷つくのはいつだって辛い……――
ドリアードにとって、この辺りの自然は家族のようなものだって考えれば、まぁ確かにそうね。ちょっと悪いことしちゃったかしら。
しっかし、四神のお宝ねぇ……正直、この手のお宝話、私は特に興味を持てないけど、"角無し天使"の妹だったら興味を示すかしらねぇ。無くなったお宝の方に興味が向くんじゃないかしら。
「有り難う。興味深かったわ。……こいつら、どちらに送るべきかしら」
村の規模は分からないけど、正直村の牢獄に送ってはいけないような気がする。わざわざ危険物を内に招いても迷惑なだけだろう。
――あぁ、それならご心配なく。私が麓の町まで転がしていきます――
……え?
「……転がす?」
何か今、聞いてはいけない一言を聞いてしまった気がする。寧ろ、本来であれば温厚な彼女らが口にすることはないだろう言葉が、フルートのような可愛らしい声で紡がれた気がする。一応聞き返すと、ドリアードは笑顔のまま口を開いた。
――はい。草達でさらに体の自由を奪って、罪状及び出自の熨斗を付けて、転がしていきます――
彼女の、笑顔が、怖い。……ここから麓の町までどんだけあると思ってんのよ……。その間砂利とか岩とかに自由激突させるとは……やっぱり自然は怒らせてはいけないわね。
――無論、この様な方々と祝言を挙げたいなどという奇特な方がいらっしゃれば、差し上げますわ。そう言えば、この山の途中には大陸から渡ってきたというダークエルフが集落を作っていらっしゃって、生きのいい奴隷を絶賛募集中だとか――
……黒い、黒い黒い黒すぎるわよこのドリアード。今まで生きてきてこんなに黒いドリアードを目にしたことなんか無いんだけど。自業自得とはいえ、野盗に同情する日が来るとは思わなかったわ……。
「じ、じゃあ頼んだわ。では、私はこれで」
――うふふふふ……では、行ってらっしゃい♪――
恐らくいい笑顔をしているだろうドリアードを振り返ることなく、私は逃げるようにその場を後にした……。
自然を怒らせるの、ダメ、ゼッタイ。普段温厚な存在ほど、怒ったときの反動が怖いのだから……。
―――――
澄んだ水の流れに耳を傾けつつ、私は川沿いに進んでいく。適度に滑り止めの雑草を生やした道は、自然や景観を壊さずに歩道を作るという目的に適っているみたいね。変に丸太を地面に打ち付けるよりも、よっぽどいいわ。
……まぁ、風がコエダメ(デビルバグやベルゼバブが好きそうな香りを放つ場所。植物や農作物の肥料になるらしい)の異臭を運ぶのは仕方ないわね。というか、一部の教会領よりこれでも衛生面でかなり優れてるってどういうことなの……?一部教会領は魔物軍勢云々よりもまずこっちを改めなさいよ。
……しっかし、まさか四神のお宝はカイトという青年が装備して村にはなく、今や四精霊及び龍の子供がその宝となっているとはねぇ。我が母上の魔力の影響だと分かってはいるけど、凄い事になっているわね。元々はこっちからの侵略を防ぐためのものだったのが、いつの間にやら魔界の協力者とは。……正確には違うだろうけど、下手な事をしなければ問題ないわけでしょ。というか情報更改されていないって事は、またあの手の輩が来るんじゃなかろうか……うわぁ。伍神村も大変ね。
と、関係ない与太思考を繰り返しながら私が到着した場所は――何処か寂れたようにも見える庵だった。何というか、'ジパング昔話'に出てくる民間人の庵をそのまま現実化させたらそうなるんじゃないかってぐらいそのままの庵だった。
「……」
念のため村の人に描いてもらった地図を確認する。寸分違いもなくあの場所だ。取り敢えず近付いてみよう。
「……」
……どうやらやっているらしい。『稲荷のお店』という、白炭で炭板に描かれた看板が何処か哀愁をそそる。哀愁とは違うか。懐かしさ、とも言えるかもしれない。素朴さ。
いいじゃないか。変に繕わず、ありのままをさらけ出す店。過剰装飾の店ほど案外味はそうでもない可能性が高いと私は知っているじゃないの!恐れるな!私!
「……あ、音がするわね」
バン、バン、バン。荒々しくも、一本図太い芯の入った音が、庵から響く。その一音一音に、魂が入っているのが私には感じられた。ウドン……麺類。相当のコシがあるのかもしれない。
美味の予感に、私は口に溜まった唾液を飲み込んだ。自然とお腹も、くきゅる、と不協和な音を奏で、私の脚をせかす。待ちなさい。どれだけ堪え性がないのよ、いやしんぼさんね。
……さて、行きますか。
「いらっしゃいませー♪」
暖簾を潜る私を出迎えてくれたのは、金色の毛が上下ともにふかふさしている稲荷。妖狐と違うと感じたのは、その妖力が主人の元に行き、その主人のやる気――言うならば、その『麺を作る気』を強化するに至ったのを、私が感じたからよ。
主人は厨房に潜っているらしい。魔力の流れからそう判断した私は――厨房から流れてくる出汁の旨い香りを鼻孔に捉えた。
……幾万の人が座り、適度に柔らかくなった畳の上に、ちょこんと正座した私は当然、沸き上がる本能に従って告げたわ。
「――きつねうどん定食を一つ」
「畏まりました♪……きつね定食一つ!」
そう厨房に向かって呼びかけると、出迎えてくれた稲荷さんはそのまま別の厨房へ……あれ?厨房二つ?一体どういうことなのかしら……。まさかイチャラブ対策?結婚すると妖力が増すからそうしているのかしら……?まぁいいわ。まずは店を見てみましょう。
……どちらかと言うと小さいお店なのねぇ。まぁ、ちょっとした村の料理店、ってところかしら。窓を見れば、適度に整えられた草木が見える。自然そのまま……ではないのはきっと不快感となるモノを減らそうとする心意気ね。
差し出されたお茶の味……麦の風味が美味しいわね……へぇ、こっちでは麦をお茶にするんだ……。思わず目を細める。堅苦しさを削り、心を和やかな心地にさせる柔らかな味だ。さらさらとした麦の風味がとても美味しい。きっと夏にスポーツの後で冷たいこれが喉から胃袋にかけてすぅっと染み込んだら、爽快感ゲット!でしょうね。
「お待たせいたしました。いなり寿司で御座います」
稲荷の店には当然付き物のいなり寿司。でもちょい待てよ。確かきつねうどんにはお揚げが付き物……ってことは、お揚げが被っている形になるのかしら?
そんなことは気にしなくていいわね。大事なのはそこに何が染み込んでいるのかだし。当然、味付けは違っていることでしょう。
では……備え付けの箸を手にとって……。
「……頂きます」
箸で、いなり寿司を挟む。時としてツルツルの米が崩れる質の悪い物もあるけど、これは違う。箸を受け入れるように柔らかく、それでいて確固とした感触を私の指に伝えていく。持ち上げても、米粒一つ漏れることはない。ただ、じんわりと揚げに染み込んだ出汁が滲むだけだ。
そのまま私は……手を受け皿にするように下に沿え、箸で'掴んだ'いなり寿司をそっと口に運び……一口。
「――」
滲んだ出汁は、しかし水滴状になって箸から垂れ落ちることはなく私の歯や舌を濡らし、棘のない暖かな甘みを広げていく。そこから中身の五目ご飯の、五色の酸味が先の甘みを素朴に引き立てている。それでいて、どこか物足りない……と言ったら語弊があるか。これだけでは満足させない、もっと欲しいと私の食欲に訴えかけていく。それこそ、三個のいなり寿司では足りないくらいに。
ちょっとした米を使ったオードブル、ってところね。前にジパングで食べた黒稲荷のような存在感はない、あくまで引き立て役として存在するいなり寿司……ナイジョのコウ、って奴かしら。ジパングの夫と妻の役割を考えたら……何だっけ?テイシュカンパク?カンパクって何だったかしら……今度"マイコはん"に聞いてみよう。
――ダンッ!……ダンッ!
「……」
一音、一音。性も根も籠もった一撃を小麦粉に叩き込んでいる様をこの音から感じるわ。
あ、止んだ。と言うことはそろそろ茹でるのかしら。さて……出汁はどんな感じなのかしらね。そして、魂の籠もった饂飩の弾力は、一体どんなものなのかしら……。
『うどんは生地作りの時に足で踏むのよねぇ♪』
……小麦粉プレイは斬新過ぎよハンス。どんな大人の運動会の罰ゲーム会場よ。私に出したのはそれじゃないって分かっているから普通に食べたけど、他の本館に泊まるお客さんは食べたらしいから……好評だったらしい辺りがあの宿ね。
まぁそんなことは兎も角、私はいなり寿司を食べ終えると、うどんが茹であがるのを心待ちにしつつ、麦茶を一口。……うん♪サラサラしていて美味しい♪これは夏場に飲みたいわね……っと。稲荷さんがあちらに向かったって事は、出来たみたいね。
「お待たせいたしました♪きつねうどんで御座います」
――音もなくテーブルの上に置かれた、狐の尾の模様があしらわれた器。その表面に黄金色と焦げ茶色の中間色をした液体が外から投げかけられる穏やかな光によって、まるで夕凪の海岸のようにきらきらと光る。その光が透かす液体の中身、緑の山菜に、葱。そして半分浮かび、半分液体が染み込んだ油揚げ。
「……」
ぺろり、と油揚げをめくると、そこには少なくとも外観上は溶ける事なく存在しているうどんが、深海に眠る太古の竜の如く鎮座している。因みにその竜は今は旦那を得てイチャコラしているけどそれはさておき。
「――ッ!」
そのうどんを見たとき、私の心臓が大きく高鳴ったのが分かった。これを食べたい。口に入れ、歯で咀嚼したい。そのまま嚥下し食道を通る感覚を、舌に染み入る味覚を味わいたい……!
一目で分かる、凄み。ベタな表現で言うならば"魂"を込めて練り、叩き、延ばし、切り、茹でたのがよく分かる。だって……まるで麺がスープの中で煌めいているかのよう……!
「……」
私は無言で箸を取り、うどんを一本、箸で摘む。……ずしり、とした重さが伝わってくる。うどんが出汁を吸ってなお、千切れることなく伝えてくる重み……それを私はゆっくりと黄金色の水面から地表へと寄せ、そのまま引きずり出し――口へと運び、一噛み。
――瞬間、私に電流が走る――ッ!
「――!!!!!」
……確かにいなり寿司で満足させないのは正解だわ。だって、これ……すっごく弾力が有るもの。
しかも弾力があるだけじゃない。その弾力の中に小麦の甘みや、出汁にほんの微かに含まれる酸味が、麺から染み出して歯から舌へと垂れ落ち、血流に乗せて全身に巡り巡っていく……それはまさに、断面積1cm弱平方の中に広がる小宇宙……!
そう言えば、食の基本は咀嚼、育もまた然りだって、私の敬愛する料理人の一人も言っていたっけ……。兎に角、一本一本噛みしめること、噛みしめ咀嚼し髄の髄の髄まで味わい、そこから新たな何かを得ること、それこそが食という行為であり、自らを育てることでもある、と。
その方は確か"食育"を推進していたわね。食によって体と心を健やかに育てること。このうどんは……間違いなく人を育む……!
「――」
ずるずると流し込むのは体に良くない。兎に角噛んで、味わって欲しい。音楽でいう俺の歌を聴け、というものとは違う、麺に精魂込める漢の心意気――!
噛む、噛む、噛む、噛む噛む噛む噛む噛む噛む噛みしめる。その度に甘み、甘み、甘み甘み甘みが、確固とした食感が私の中に広がっていく。
うどんの味を邪魔しない出汁は、油揚げとの相性も良い。薄口の昆布出汁は、ソイソース出汁のような攻めの姿勢はなく、寧ろ受け。ともすれば激しさすら覚えるうどんの攻めを柔らかく受け止める、優しい静水……いや、静出汁……。
少しずつ……少しずつ……私はうどんを口にしていく……。まるで樹齢百年を越す木の年輪を、一つずつ一つずつ、ゆっくりと削り取るように……。
重く、大きく……強い。こんなにも『強く』て、美味しい麺類は、今まで味わったことがなかったわ……。ようやく、一口一口味わってようやく食べ終えることが出来た。
「……」
そして……主無き出汁や具を、私は味わうように飲み、口にした。飲み干した後の「……ふぅ……」の心地よさといったら……ない。
「――御馳走様でした」
ムギチャを最後に口にし、私は食事を終える挨拶をした。まるで人の人生をそのまま受け入れたような剛のうどんに、私のお腹は満足の波紋を全身に広げていった……。
――――――
……儲け物だったわね。確かにこれは美味しいわ。純粋に、混じりっ気ない旨味という物が味わえたのは大きいわ。
これをこの村の人は食べているのか……それは当然、気迫も気力も段違いになるわけね。しかも価格が銅貨三枚だっけ?ジパングは安さが売りなの?もっと上げてもいいのよ?
とはいえ、この水が汚されない限りは、だけどね。
「……そうねぇ」
”秘宝”に危害が加われば、まず間違いなくこのうどんの味も三割から五割、落ちるでしょうね。それは私としても望まないわ。なので……野盗が水を汚すなら、私はそれに抗うために全力を尽くすとしましょうか♪
今後、度々寄らせて貰うわね♪勿論、道中の野盗はのめして……ね。
end.
13/04/10 23:23更新 / 初ヶ瀬マキナ
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