連載小説
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『"ブーモー"で豚バラ炒め定食を食す』
「たかだか客の分際でナマ抜かすんじゃねぇよ、この淫売が!」
……客の……分際……ですって……?
「店が終わった後、裏に来いや、嬢ちゃん。ここは俺らの店だぜ?ヨソモンに何も言われる筋合いはねぇよ!」
……何様なのだろうか、この豚と牛は。この発言達から推測するに、彼女らは魔力を通常の魔物クラス……よりもかなり抑えているとはいえ曲がりなりにも王女である私に堂々喧嘩を売った……そう認識していいわけね。えぇ分かったわ分かりましたとも……受けてやろうじゃない。

「……分かったわ」

――貴女達に叩き込んであげるわ。店の流儀を超えた、サービス業としては必要最低限にして土台であり不可欠な――ホスピタリティを。

――――――

流石に第二十三女ともなれば、王女としての業務が特別あるわけでもない。家族全員で集まる必要のある式典くらいは参加しなきゃならないけど、そんなの今まで生きてて一回あったっきり。私に課せられているのは単に普段の立ち居振る舞いの注意だけだ。後は……勇者ゲットに忙しい姉や妹の業務の代理かしら。
勇者堕落は他の姉妹は割と積極的に行ってはいるけど、私は其処まで積極的に行っているわけじゃない。だって最低でも料理上手で才気溢れる人が欲しいけど、そんな人って、勇者には居ないもの。
『――料理コンテストに出られるような人なら、私はわりと知ってるんだけど、紹介しようかい?』
友人にして時勢に合わせた婚活本を多数執筆している、結婚相談所か何かをやっているエキドナがそう気さくに私に人の顔とプロフが載ったスクロールを渡してきたけど、そういうのじゃないのよねぇ。何というか……完成間近じゃなくて、自分で育てていくような……リャナンシー的な……あぁもぅ。
そんな思いは兎も角として、私は喫茶"パラベラム"でカプチーノを待ちつつ、パラパラとナドキエ出版発行の旅雑誌のコラムを読んでいた。へぇ……ジパングの珍味『ナットー』がブレイクしそう……物好きが居たものねぇ。あれは大陸では人を選ぶわよ。

『――くっ、臭いぞっ!なんだその妙な臭いのする物体は!……は、ま、豆?これが豆だと!?冗談も大概にしろ。そんな奇妙奇天烈な臭いがする物体が豆であるはずがないだろう。それにそんな物が旨いはずが――って平然と食おうとするなぁぁぁっ!』

……ナドキエ出版でのアルバイトで大陸挟んでわりとご近所のドラゴンと龍……確かドラゴンの方は黒の鱗で、龍の方は黄金色をしていたかしら?の対談が企画されたとき、それのセッティングのために私が駆り出されて、事前に互いの土産について確認する事になったんだけど……龍側のそれをドラゴン側に(内実は伏せて)見せたときの反応がこれよ。よりによって藁ごと完全に炭化するまで焼きますか。咄嗟に避けたから私自体は無事だったけど、藁と一緒に箸とお椀がおじゃん……お気に入りのセットじゃなくて良かった……本当に。あのドラゴン、変に珍品好きとか言うから、大陸じゃまずほぼ大半の人が慣れない物を持って来ちゃったんじゃん……。
因みにドラゴンは龍にフォアグラを渡そうとしてたけれど、製法の都合上マズいから何とか説得して取りやめてもらった。そして……両者、酒の類をお土産に持たせることが出来ました。ふぅ、やっぱり酒は関係と交流の潤滑油だNe☆
……まぁ、どちらもかなりの酒豪だったから良かったけど、もし片側でも酒乱だったら不味いことになったわ……何せドラゴンが持ってきたのが天下に名高い『ドラゴンスレイヤー(89%)』、龍が持ってきたのも『三千世界(サンゼンセカイ、と読むらしい、89%)』……どっちも一杯で殆どの生物の記憶が飛ぶ代物よ……それをジョッキと杯で……私?当然避けたわよ。職務中の飲酒は厳禁と言いますか、それ以前にあれを飲むのは母上含めて明らかな死亡フラグ……酒が強すぎるわ。まぁ、今もなお食の世界で語り継がれる伝説の"食いしん坊サバト"の主催者『ビュシャス=ベラワーフ』は度数95の酒を瓶でいけたらしいけど……何なのその化け物バフォメットは。
ともあれ、異文化交流は難しきかな。ナットーを受け入れられる猛者は中々いないんじゃなかろうか。試してみてトラウマを作らなきゃいいんだけどね。刻みネギとカラシ、あと卵をお勧めしておきますか。
「お待たせ致しました」
「ご苦労様♪」
チップを手渡しつつ、私はカップの取っ手を持ち、クリームごと澄んだ焦げ茶色の液体を、ゆっくりと流し込む。
「……」
クリームにほんのり覆われた舌先から染み入るように、コーヒーの香り。プレッツェルを片手に優雅な朝食と洒落込むには最適だっていうのも解るわね。苦みが油分を洗ってくれるのでしょう。ぼんやりとした頭が、舌がややひりひりする熱と共に広がる焦がし砕いたコーヒー豆の風味によって程良く形をもっていく……。
「……御馳走様♪」
どこかのコテージを借りてちょっと探求してみようかしら。なわやをて今感じた風味を軽くメモしつつ……私は夜の商店街に躍り出た。
時刻は、あと一時間で日付が変わる頃……かしらね。店じまいは三十分後。ならそろそろ向かいますか。拳を打ち合わせつつ、私は昼間と似たような……けど怒りを込めた足取りで、昼間と同じ道を通って"ブーモー"の裏へと歩みを進めていった……。

――――――

『あの店?あぁ、肉は美味いけど店員が最悪って評判よ?』
『以前は是正しようとした客が居たんだけど、その客がみーんな彼女達の奴隷にされてからは客は何も言わなくなったわ。料理も美味くなっちゃったし』
『最早見せ物の一つなんじゃない?レイプクッキング』
そんな評価が『黒羽同盟』の中でまことしやかに囁かれているので、気になって足を踏み入れる事にした、わけなんだけど……つか、レイプクッキングって何よ、何さ。騎乗位の状態で奴隷の腰の震動に合わせてフライパンを振るの?そんなナドキエ出版の雑誌に描いてあった、豚とワーキャット的猫耳生命体のチャーハン道中記じゃあるまいし。
「へぃ、らっしゃい」
ランチタイムギリギリ、滑り込みで入った時、私の肌を刺すような異様な香りが私の全身に叩きつけられた。何だろう、産まれて初めて、"霧の大陸"生まれの"ジパング"独自進化種、ラーメン、それも濃厚豚骨ラーメンを作る店に踏み入れたときのあの異様に獣臭い感じ。それをさらに強調し、煮詰めて、何か不純物を混ぜ込んだような、色々な意味で圧倒される香りは。
しかも踏み下ろした足が感じる、脂や汗が膜を張ったような感触。デビルバグすら転びそうな滑る床だ。まともに濡れ拭きしているんだろうか。気になる。
らっしゃいと言う店主らしきミノタウロスの前のカウンター席が見渡せる、テーブル席に私は腰掛けた。見る限り案内する店員とか、メニューを渡す店員とかが居ないし、勝手に座ってもいいだろう。
「おいおい嬢ちゃん!テーブルは多人数席だぜ。連れでも居んのか?居ねぇならカウンター席にしてくれや」
――なら初めからそう言えや。
「あら、御免なさい」
内心カチンと来ながらも、私は店主の言葉に従い、カウンター席に座る。店に漂う異様にむっとした香りが一段と濃くなり、私は幽かに眉をしかめる。盛って良く言うならばワイルド、悪く言うならば――大ざっぱで不潔。下町の悪印象の部分を詰め込んだ下品さが見え隠れする。
――っと、いけないいけない。思ったより腹立っているわね。深呼吸せず落ち着かないと。……そしてまだ来ないメニュー。刺さってもないしテーブルに貼り付けられてもいないじゃない。……で、ちょっと周りを見回してみると……あぁ、紙で貼ってるのね。やけに脂が付いているけど。
何々……見事に肉料理が中心ね。カツか……丼か……落ち着きなさい。今の私は何腹よ。店について調べたいのもあるけど、お腹が空いているのも事実。そのために何を食べるか……それが重要よ……あ。
「――すみません、豚バラ炒め定食一つ!」
「あいよ!豚バラ一丁!」
豪快な返事。これは好感触……なんだけど、あれ?他の店員がタルそう?こんな時はあれだ。『風囁(ウィンドウィスパー)』。バレないように魔力は調整したから半径30m圏しか通じないけど、それで十分だろう。正直、この店がそこまで広いとは思えないし。
さて、盗聴レッツゴー。
『……でよ、奴隷の金で1-8-17の三連単当ててなぁ♪』
『お前あれ当てやがったのか!奴隷様々だなぁ!』
……おいおい。勤務中に賭博の話かい。しかもカツアゲ込みかい。奴隷も可哀想に……それでも可愛ければOKなのかしら?何と言うか哀れ……。
『……(スパー)』
……って、神聖な調理場でモクを吸うな!皿に灰が入ったらどうするのよ!信じられない!従業員教育されてるのかしら!?
『おらぁ!おらぁ!もっと突き上げやがれ!パッションが足りねぇんだよパッションが!』
『ブッ、ブヒィィィィィィィィッ!』
……まさか冗談めかして考えた騎乗位の勢いで体を揺らしてフライパンを震わす調理法だなんて……どんな調理法よ。しかも一人じゃないし。こんなんで良くまともな飯が作れるわね。何か特別な物でもあるのかしら……。
……っと、そろそろ良いかしら。私は魔法を解除し、テーブルに手を置いて待つことにした。……雑巾拭きが甘いんじゃないかしら。ペットリしてる。
――あ、出来たらしい。店員のオークの一人が大盛りご飯と豚バラ肉と豚汁を……豚汁?まさか定食で豚と豚を被らせるなんてびっくりだ。トントンフィーバーしてるわけね……。

――ドンッ。

……指。器の中に指を突っ込みながら、汁が若干飛び散る勢いでテーブルに向けて振り下ろした。豚汁にも入ったし、豚バラ肉の汁も思いっきり触れている。信じられない。
「"ブーモー"名物、豚バラ炒め定食、お待ち!」
随分勢い良く下ろしてくれたもんだ。恵んでやってるとでも考えているんだろうか。あー何か腹立ってきたぞ……?
おっといけないいけない。まずは食しないと……。えっと……?
「……ふむ……」
ガッツリ飯スタイルね。まず普通の女性ならノーセンキューも良いところの量だわ。成人男性が掌を水を掬うように合わせて、仮に上から隠そうとしたとして、端っこから肉の端が見えるほどの量。ざっくざっく大量に盛られた炒めモヤシとミックスベジタブルには、豚バラの脂に加えて塩胡椒にオイスターソース……いい感じに定食屋じゃない。
豚バラの方にもオイスター風味のソースが掛かって、さらに手元にも追加用ソース、胡椒、マヨネーズ、そして七味がセットされている。これで麦酒を飲むと中々美味しそうなセッティングね……居酒屋としてもやってるのかしら。……にしてもやっぱり瓶がテカってるんだけど。真面目に掃除しなさいよね。
しかしながら、豚バラに豚汁とは……挑戦的なメニューじゃない。最初から被らせてくるなんて、中々にアバンギャルドよ。しかも見た感じ豚汁も肉中心だし。ダイエット?何それ美味しいの?って感じたわ。
さて……。では、ご飯も来たようだし、ご賞味と行きましょうか。

「――いただきます」

私は割り箸を綺麗に割り、そのまま豚バラに向けて無造作に降ろし、肉を掴む。確かに肉は良質だ。肉に適度に指す霜に加えて、豚バラに元々多い脂がふるふると震え、食べる人の食欲をさらに進めているかのように感じられる。
さらさらと脂と共に流れるソースの流れを見計らい……口に含み、舌に乗せ、咀嚼、咀嚼、咀嚼。

「――」

――オイスターじゃない。このソースはオイスターソースじゃないわ。あの舌先で水分を奪い去って喉を乾燥させる独特の辛みが、このソースからは感じられない……!それでいて、ソースそのものの味は損なわない……いや、豚に振られた塩味によって適度に濃縮され、豚の味が染み込んだ脂の膜を突き解して私達の舌に『旨い』とは何かを伝えてくる……!?
――いやー驚いたわ。これは美味しい。確かに評価するわ。将来的に大陸全土の腹ペコ達の聖地にもなりえるわね、この味は。もう少しどんな風味があるか、味わってみようかしら。
豚肉自体も良質で、少し噛み切ればあとは舌先で蕩けていく。蕩ける側から溢れ出す豚バラの脂風味。飯を食らえと言っているようなものね。
……ただ、ライスがおざなりなのは頂けないわ。肉に自信があるのは分かるんだけど、ご飯が立っていないわ。どちらかと言えばベタっとしている。水加減をちゃんと計れば、さらに美味しく食べられるのに……。
「……ふう」
肉の下に隠れた、もやし+炒められた玉葱。ソースが掛かった場所をしゃっくり口に入れる。……うん、中々。モヤシの苦みとなるヒゲはちゃんと剥かれているし、シャクシャクと適度な水分もある。目にする分には妙なフライパン捌きだったけれど玉葱自体にも火はしっかり通っている。甘くて美味しいわ。これはまさにガッツリ行くチカラメシね。オーガやアカオニが好きそうだわ。後は筋肉質な魔物はこういうのを適度に好みそう。……流石に食べ過ぎたらダイエットを命じられそうだけど。
盛られたべっちょりご飯と豚皿を何往復かした後、私はまだ手を付けていない豚汁の、お椀を手にした。……うわー、何かぬるぬるしてるー。ラーメンのお碗もここまでぬるってないわよー……?
ごくり、と一度唾を飲み干し、私は箸を伸ばし、豚汁に浸かった豚肉を数片掴んだ。……野菜がない!?ちょっと待ってまさか文字通りの『豚汁』なの!?流石にそれは無茶じゃないの!?ラーメンの豚骨スープも同然じゃないの……!
ま、まぁいいわ。まずは口に入れて判断しましょう……。私は色々と戸惑いつつも、豚肉を口に運ぶ。たれ落ちる豚の脂が、妙にキラキラ輝いている……。

「……」

……わー、すっごいギトギトしてるー。これは絶対豚汁という名の別のもの、言うならば『豚汁(ぶたじる)』だ。
確かに味噌の味はする。野菜の味も幽かにする。けどそれよりも何よりも豚の脂が半端な量ではない。まるで味付けされたラードを湯に溶かしたものを舌に塗り付けているようなコッテリ感。完全にご飯をかっ込むための物だわ……まさに『全てをおかずにご飯を食らえ』って感じよ。
こ、これは腹ペコ族じゃないとキツいわ……美味しい、美味しいのよ。ただカロリー度外視して食べるとしたら、って但し書きが必要になるけど……。
「……」
まぁ、ヴァンパイアお断りの"ガテン飯"の大盛り(ご飯三号分)を食した私ですもの。平然と食べ終えられるわけで、とにかく無我夢中で飯をかっ込んでいるわけなんですが。

「……御馳走様でした」

さて……これで完食。あぁ……普通の娘ならお腹が間違いなくパンパンね……。腹を満たすというベクトルを突き詰めればこうなるのか。にしても……あのソース……ちょっと研究してみようかし……ら……?

「――君!何なんだこの配膳は!」
「あ?何言ってんのアンタ」

……店の一角で、恐らく私と同じく初来店したと思われる細身の男性が、店員の一人であるオークに逆上している。適度に波立っている脂ぎった豚汁の表面から推測するに、例によって親指を入れたのだろう。
「……」
私は先に会計だけとっとと済まそうとしたが……いや待てよ、こんな店のことだ。金を払ったらとっとと追い出されかねない。この先の展開が気になる以上、さらに注文しようとしたところにたまたま騒動が起こって行く末を注視している立場でいた方が合理的だろう。この声だ。外にもとうに響いているはず。
私がそんなことを勝手に考えているときに、男性はなってないとばかりにまくし立てていく。
「汁物に指が入っているじゃないか!しかも先程味見して舐めた指を、拭きもせず!一体君らの衛生観念はどうなっているんだ!」
ごもっとも。つーか拭いてなかったのか……吐き気はないが、流石に色々酷すぎね。潔癖厳禁令でも出されているのかしら。
「はぁ?何言ってんのさ。頼んだもん出してんのに文句言われる筋合いねぇんだけど?」
「なっ!?何だって!?」
あまりの暴言に唖然とする男性。私としても、正直その言いぐさはないわー。店側のスタンスとしてそれはどうなのよ。寧ろ従業員をどう教育してんのか気になるわよ?
「い、一体どういう教育をされているんだ!君らはここを食事処として認識しているのか!」
「だから何だってんだよ?食事処ってのは飯を食わせる場所だろ?アンタら客が好きで頼んでんだからアタシ等がどう出そうが構わねぇじゃねぇか」
……うわぁ。ふと視線を逸らした先にいた客は、我関せずと言わんばかりに箸を進める。完全に悪女に惚れた貢ぐ君みたいなものね……まぁ、彼らの腕っ節じゃ下っ端オークに敵うか怪しいものだけど。
「なっ!何という暴言……許せん!店長!この店の店長は何処にいる!」
あまりの無礼さに堪忍袋の緒が切れたのか、店長を求め男性は叫ぶ。その顔は完全に真っ赤だ。目も血走っている……が、体系的に頼りない。
「はぁ?店長?アンタが店長に物申すの?ウケル〜!!」
怒り心頭の客をはやし立てつつ、彼女は震える彼を背に、厨房に向かって呼びかける。
「て〜んちょ〜っ。コイツが店に文句あるみたいっすよ〜」

「……あぁ?俺の店になんか文句有んのか?」
「俺らの飯を喰わせてもらう分際で、なぁにナマ抜かしてんだか」

果たして出てきたのは、先程まで私の目の前にいた、巨大な包丁を手にしたミノタウロスと、先程レイプクッキングなる珍妙奇天烈な調理法を実践していたオーク……ダブル店長なのね。序列は……ミノタウロスの一瞥でオークが下がったところを見ると、ミノタウロスの方が上みたいね。
「あ、貴女がここの店長か!」
「おうともよ。俺が店長の『ノジック=タフライ』だ。で、ウチの店に何か文句あんのか?」
あまりの体格差にたじろぐ男性だったけど、それでも言いたいことは言うつもりなのだろう。一度深呼吸をし、キッ、と睨みつけ、口を開く。
「一体貴女はこの店の現状についてどうお考えですか!?備品の洗浄も、従業員教育もまるで行き届いていない!こんな店に客が居るのが信じられないくらいだ!」
次第に声を荒げていく彼とは対照的に、ノジックは眉一つ動かさない。……聞いてんのかしら。聞いてないんじゃないかしら?
「おまけに交わりながら料理を作り、挙げ句その手を洗わずに客が食べる物に突っ込み渡すなど、料理一切に対する冒涜以前に、単純に汚いじゃないか!そんな店員が作った飯なんて、衛生的に信用がなるものか!」
「――ほう、つまりお前は、俺の飯が食えねぇ、と?」
ノジックが発した一言。それに私は、人間が感じるであろう生物的な危機感を覚えた。彼女の逆鱗、主義主張の一切が、下手をしなくてもこの言葉に込められている――そのように感じられたのだ。だが、怒りのあまり興奮しきった男性は、その生物的な警告に――気付くこともない。
「その通りだ!あんな衛生管理を怠ったとしか思えない物を客の前に出し――ぐぇっ!」
――最後まで言わせなかった。店主――ノジックが、客の胸倉を掴み、持ち上げたのだ。浮かび上がり、胸を圧迫する苦しさから顔を紅潮させた彼を、彼女は逆に鋭い視線で睨み返し、一喝。

「――ここは俺らの店で、ルールは俺らだ。ここでのルールは、頼んだ飯は喰うこと、ただそれだけだ。俺の飯が食えねぇ、ましてや頼んどいて口に入れねぇなんてルール無視の奴の言葉なんざ、端っから聞く耳も持たねぇよ!
やっちまいなぁっ!」
その言葉と共に、オークの店員の一人が彼を羽交い締めにする。ひきつる彼の目の前で、別のオークの従業員が指をコキコキ慣らしながら、嫌らしい笑顔を浮かべ、ファイティングポーズを取った。そのまま、大きく振りかぶって――。

「……そこまでよ。それ以上いけない」

……流石にここまでの暴言を聞かされて、狼藉行為すら行われて耐えられる私じゃない。振り下ろされる拳を受けつつ、男を掴むオークの体を少し回転させて、首に肘を突きつけた。
「――ひっ!」
驚きのあまり腕を放し、男性は解放される。何が起こったのか呆然とする彼の前に、私は礼儀作法で習った優雅な歩行で移動し、優雅さとは無縁の仁王立ちで彼女らを威圧した。
「――なっ!?」
驚く彼女達に私が投げ掛ける視線は、私史上最高に……冷気が籠もっていた事だろう。後ろ手で彼を外に逃がしつつ、感情のままに、私は店長に告げた。込めたそれは、怒り。
「……正直、食べさせていただいたけど、よくこれを食わせる気になれたわね。
味には自信があるんでしょう。確かに肉の味は良かったわ。ソースも含めてね。コンセプト的にも、パワフルな店なんだって事は分かりやすい。
けどねぇ……最悪よ」
いきなり見ず知らずの女に最悪呼ばわりされて、店主二人の額に青筋が浮かぶ。気にしてなるもんか。言いたいことは言わせてもらう。清掃、配膳、態度……全て纏めてこの言葉で十分!

「――貴女達からは、『この店を愛してもらおう』という気が感じられない!それだけで自慢の料理の味も不味くなるわ!人が嫌がる物を無理矢理食べさせる権利なんて誰にもない!自己満足で飯を作るなら内々だけでやって頂戴!」

――――――

「……っで、この期に及んであんな事言われたのよねぇ……」
客の分際で、なんて。そんな事、思っても口に出さないでしょ、普通。アレは流石に切れたわ。あの尋常でなく腐った性根、整体レベルで叩き直す……。

「……」

いや、整体レベルじゃ生温いか。完膚無きまでに叩き込むしかないわねぇ……。裏通りに来た時点で予想はしていたけど、まさかここまで私の予想通りになるなんて。
この頃都に流行るもの、夜討ち不意打ち騙し討ち、ってね……気配でバレバレよ。クノイチだったらゲニンからシュギョウをやり直しさせられるくらいバッレバレね。全く…………不意を討つでもなく囲って突撃をする気かしら。ありうるわね……。
などとよそ事を考えつつ、私は足を進めていく。無防備に見せつつ、隙を全く見せず……。
そして、私が"ブーモー"の店に着く、一つ前の通りに入るのと同時に――私は体を捻り、背後に迫る油まみれのオークの土手っ腹を踵で真芯から貫いた!
「――ぶげぼぉぉっ!!」
吹っ飛ぶオークに目もくれず、私はそのまま別のオークを蹴り上げつつ、背後のさらに別のオークの首に足を絡めフランケンシュタイナーで落とす。
私の隙を狙って、二匹のオークが鈍器を振り下ろすけど、それを絞め落としたオークの体を盾に防ぎ、私は再び踵で、今度はオークの首を打ち据えるとそのまま地面に向けて踏み下ろした。そして相手が反応できない速度で間合いを詰めると……鳩尾に勢い良く膝を打ち当てた。
「――ごぶぶぅっ!」
……旧魔王時代のゴブリン語の如く曇った叫び声を挙げ、六人目のオークが倒れ伏す。他愛ないものね。不意打ち+力点をずらす脂の使用でコレなんだし。
……にしても下半身が脂でギトギトね。肉体美を誇示するマッスル男子の腹筋をそのまま挟んで塗り付けてあげたいくらい。どんだけ塗り付けたのよ……っと。
「全く……」
まだ居たのね。私の戦力は百八人までいるわなんて今時流行らない(*´ω`*)な顔した冗談があるのかしら。まぁいいわ。黒騎士なんて危険な事をやっている妹には劣るとはいえ、中位ドラゴンとタイマンを張れる程度には実力のある私の体術……。

「……その身に、刻みなさい」

――――――

包丁を用いると、特殊工作員を圧倒する戦闘能力を持つコックが、大陸にはいる。彼は丁度、御母様の生誕何百周年か(詳しい年齢は教えてもらえなかったけど、兎に角丁度区切りがいい年)のパーティーで、パーティの料理を担当していたらしい。
私はその料理を食べて――食の虜になった。同時に、水晶に記録された彼の戦いの姿にも、影響を受けた。
誰もが言う。料理は人を幸せにするものだと。
また誰もが言う。人を幸せにするには力が必要だと。
つまり――クッキング・ニード・パワー。
だから私は、料理スキルと一緒に格闘スキルも鍛えた。その過程で、精神的な素養も学んだ(不完全だけど)。料理で幸せにするための力を、付けるためにやってきたのだ。
私にとって料理とは、誰しもが救われるものでなくちゃいけない。こんな……このような料理店と呼ぶのも烏滸がましいような店は、私は到底許すことが出来ない。

だから私は――食べた人を幸せにするために、今、拳を振るいます。

――――――

「……ほう、来たか。逃げ出したかと思ったぜ」
余裕綽々そうなノジックとは対照的に、オークの方は冷や汗をだらだら流していた。無視決定。
「……誰が逃げるものですか。自分で売った喧嘩を買われたんですから」
表情を変えず、澄ました顔で私は拳を打ち付ける。ぱちぃん、という乾いた音が、日付を変えようとしている夜の町に響く。
二人して臨戦状態なのに対し、まさかの展開だったのかオーク店長の方は表情をひきつらせている。気にしたら負け、と私はただノジックだけを見つめていた。
「……やる前に聞くが、前言撤回する気はねぇんだな?」
ノジックが私に、ドスの利いた声で私に問う。今更?
「……当たり前。今更問うなんて、私に怖じ気づいた?」
ハッ、と笑い倒すノジック。まぁ予想出来た反応だ。彼女もまた、種族特有の巨体の一つである拳を激しく打ち鳴らすと、そのままずしん、と地面を揺らした。
「――何されても文句は言わねぇな……」
「そっちこそ、粋がるのを止めたらどうかしら?下手な慈善は、勘ぐられるだけ……よっ!」
いつの間にか姿を消したオーク店長に向け、私は両肘を心臓の辺りに打ち当てた。無造作に振り当てられた肘は、見事に彼女の体を吹き飛ばした。
哀れにも絶叫をあげながら吹っ飛んでいく彼女を気にすることもなく、私は中指を立て、前後に動かした。ノジックの額に、青筋が浮かぶ。
「――余程、痛い目を見なきゃ分からねぇらしいな……!」
怒りのあまり、纏うオーラが膨れ上がる。こりゃ並の魔物なら足が竦むわね。身長と気迫が合わさり最強に見えるもの。
とはいえ、こうもノってくれるとは……ねぇ。プライドを傷つけられたのかもしれないけど……そんな程度で傷つくなら、初めから持つべきではないわね。持つべきプライドは、自省と研磨の中で築き上げるものだもの。研磨無しで差別だ何だ騒ぐのは愚者の戯れ言よ……!
「――うおらぁぁぁぁあああああっ!」
力任せが主軸のミノタウロスとはいえ、基本的な格闘技術はある。彼女の場合、それがボクシングスタイルらしい。抜き身の拳でボクシング、拳が当たれば間違いなく落ちるわね、普通は。
「……」
でも軌道が短調じゃなかった単調。そして明らかにラディカルグッドスピードが必要ね。ガーゴイル級ボクサーのリザードマン:ロージー=レックスの方が遙かに速いわよ。遅い遅い遅すぎる……苦情に気を付けなっ。
「どうしたっ!防戦一方じゃねぇか!やっぱり口だけか!?」
一方のノジックはすっかり勝利モードだ。まぁ、傍目から見たら仕方ないわね。だって私、全く手を出さず最小限の衝撃を受けているだけだし。……避ける?魔王の娘に逃走はないのよ……じゃなくて、避けたら慢心してくれないじゃない。
「喰らいなぁぁぁぁぁっ!」
今回私がやるのは……その慢心を完膚無きまでにへし折ることなんだから……覚悟!

「――いだだだだだだだだっ!いでぇっ!だだっだだだだだだだ、ば、ばなじやが――だだだだだだだ……!」
「……暴れると、折れるわよ。これ、力の問題じゃないから」
――アームロック、極まった。お前、調子ぶっこき過ぎた結果よ。淑女的な対応をするまでもなくつけあがっちゃって……。
現在『スモウ』のワールドワイド化をもくろむグラバンマ家の末裔の河童相手なら兎も角、筋力的にさして差のないこのミノタウロス程度に抜けられる道理もないわ。
痛みを訴えるノジックに、私は心底冷たい声で囁く。痛みにかき消されようが、知るか。
「……いい、食事ってのはねぇ……甘美で、幸福で、夢見心地で、何より救われてなきゃいけないのよ。歯で切り潰され、舌先で蕩け、心と体が歓喜に震える、それが理想の食なのよ。人は歓喜を求めて食するの。
その夢見心地の喜びのために、舞台設定は必要なの。分かる?いわば店長はエンターティナーの主催者。"お客様"に喜んでいただくために、様々な趣向と工夫、そしてメンテナンスをするものなのよ……」
「ぐぁあああっ!おっ、折れるいぎぁぁぁぁぁぁぃっ!」
手加減は若干緩めている。それ位しないとこいつらは逆恨みしかねないからねぇ。
「……で、その前提があって初めてルールが成り立つのよ。店舗ルールは、客に喜びを伝えるものでなければならないわ。間違っても……行為を見せつけたり、汁物に行為に及んだ直後の指突っ込んだり、タバコを客の前で吸ったりと客を不快にする行為を肯定するものであってはならないのよ……!」
ぎりぎり……。筋肉の腱は切れない程度に関節を極めている私……は、その言葉を言い終えるのと同時に、一瞬でアームロックを解除し、そのままノジックに一撃を加えた。
脳を揺らす、首への強烈な肘の一撃、それだけでノジックの意識は闇に落ちる。それを確認することなく、私はそのまま向かってくるオーク店長の手の関節を打って武器を落とすと、そのまま顔から頭にかけて片手で握り、体を持ち上げた。所謂アイアンクローのスタイルだ。
「――さぁて、どうしてくれようかしら」
痛みと恐怖のあまり涙目になる豚に、私はにっこりと微笑んだ。我ながらどうしてこんな笑みが出来るのだろうと惚れ惚れするような、アグレッシブな笑みだ。そのアグレッシブさに豚の顔に青が差す。
……私が今回一番許せないのはコイツだ。有らん限りの痴態を見せつけつつ料理を作り、客の分際と客を蔑ろにしたのみならず、ここに来るまでに部下三十人に闇討ちさせ、豚自身もリンチプレイを狙った……余罪だけで私的には役満よ。
「……ねぇ……。誰が、客の分際、ですか……。誰が、喰わせてもらっている分際で、ですか……ねぇ」
ぎり、と手に籠める力を強める。痛みに泣くことすら出来ずただ震える奴の面といったら……何も感じさせない。
「……大陸で拡大している"ガテン飯"のおやっさんの言葉、知ってる?『腹空かしてる働き盛りの若ェのにうめぇもんたらふく喰わしてやりてぇんだ』、っていうの。泣けるでしょ?おやっさんの心意気に。
貴女達が目指す方向性と合致しているのに、この差は何かしらねぇ……」
他の店の大盛りはこの店の普通。それはこの店も"ガテン飯"も変わらない。けどね……心が違いすぎるのよ。喰わせたいだけのこことは違い、"ガテン飯"は明日への活力を与えようという暖かみと活気がある。
ぎりり……さらに指に力が籠もる。そろそろ痛みで気絶するかしら。させないわ。したら叩き起こすから。目が恨みから媚びに変わっても許さない。もう許してやれよと言われても絶対に許さないわ。
こいつらの体に……全力で叩き込むから。

「……さぁて、レッスンを始めましょうか。店を開くのに必要な最低限の心意気……ホスピタリティを……ね♪」

「ブッ……ブヒィィィィィィィィィィィィッ!」
哀れな豚の鳴き声が、敗北宣言よろしく夜の町に高らかに響き渡った。

――翌日、臨時休業となった"ブーモー"では、豚の甲高い声と共に、マナー講師の厳しい叱咤が外まで漏れ響いていたという……。
そしてナーラ来襲事件後、"ブーモー"の客は徐々に増えていったというが……それはまた別のお話。

fin.
13/04/10 23:23更新 / 初ヶ瀬マキナ
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■作者メッセージ
井の頭ロクロー氏が第一話の時にあんな事言ったので、つい書いてしまいました。
後悔なんて、あるわけない。

因みに私は、家系ラーメンやガテン飯系の丼屋・安物中華料理店に特有の、油で滑りやすくなった床が苦手だったりして……。

基本的に自分はモンコレのカードに書かれた断片的な物語のようなものが好きで、こうして一つの物語の中にちりばめたりしています。
もし書いてみたいという奇特な方がいらっしゃったらご自由にどうぞ。

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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33