『オルト・ブラントーム研究所にてポテトパイを食す』
まかいも。
馬鈴薯型の芋がテンプレートとなる、寒冷地では主食にもなったりもするという魔界の植物。
【睦びの野菜】の別名っつか俗称として知られるそれの最大の特徴は、育てる魔物や土地、気候、湿度、魔力濃度によって幾らでも形や味を変える性質だ。
毎年新種が3つは出る程の多様性を誇るという事実は、裏を返せば安定した大量生産は難しいという事に他ならなかったりする。現にウチの畑だってまかいものクオリティは毎年安定しない。や、自分で言うのも何だけど良質よ?ただ如何せん味が毎年変わるのがね……。
マンダがまかいも焼酎を優先的に購入している理由も、その年に出たクオリティの酒を来年も維持できているか分からない、寧ろ別物に変異している可能性が九割強である以上は、逃したら最後という一面が強いからだったりする。まぁ……単純にまかいも焼酎が好きだからっていう一面もあるんだろうけど、ねぇ。
そんなマンダが、クオリティも味も安定していると太鼓判を押すまかいも焼酎がある。『月の甘露』と銘打たれたそれは、他の焼酎と一線を画すほどの甘味と深い味わいを誇り、カーマ氏が初めて口にしたときにポエムを一分以上語り続けるという程の上質な焼酎だ。
「元の芋が相当上質だねぇ、こりゃ。相当いい環境で育てられてるんじゃね?原料になったまかいも」
マンダが原材料に対してそこまで言うお酒は、ミエルグランデクラスじゃないと指で数えた方が早いくらい少ない。しかもこの『月の甘露』、そこそこ販売数が多いのよね。大衆酒でそこまで言うのは私の記憶が正しければこれと友人のチートファラオ一族の現当主"アネリリヴァス37世"が私にアウトソーシングした後で権利一切を買い取ったテキーラくらいじゃないかしら。アレも毎年安定しているしねぇ。
で、何処だろうか"黒羽同盟"に確認した結果……相談して一日後、今日の二日前にあっさり判明。え、酒瓶の裏にも書いていない物なのに何故分かるよ。本当に恐ろしいわぁー……どっから知ったよ。怖ーい怖いわー黒羽同盟怖いわー。
件のまかいもの生産地の名前、それは『オルト・ブラントーム研究所』。
情報によればヴァンパイアとその旦那、及び数名の研究員が"特産品"として出すその芋の品質の上昇と安定を目指しているという。あぁ、ブラントーム領なら仕方ないか。あそこは確か農産物が有名だったからねぇ。妹の野菜嫌いを直すためにあそこのまといの野菜をロールキャベツ代わりに使ったこともあったわねぇ……勿論他の姉妹及び旦那さんには許可を頂いたとも。そして来る永劫回帰……じゃなかったそしてその結果は……成功。特に苦手だったピーマンやトマトを普通に食べられるようになったのはでかいわね。ただ、野菜を食べたご褒美代わりに性行をせがむようになるのは予想外だったわ。妹よ、お前は犬か。
とまぁそんな身内事情を自室の机にもたれて想起しながら、今日も早速来ている手紙類を確認……って、お母様色々なイベント開き過ぎじゃありませんか!?『レスカティエ淫欲林檎祭〜カワレルノナラシロニナル〜』って、もう、ぶっかけ交わる気しか見えない。らしいといえばらしいんだけど……。
で、私達の畑の野菜を取り扱いたい卸がまた増えている。社や個人の来歴とか色々書いているけど、信用に足るかは別問題なわけで……あくまでも私が定めた先からしか売るつもりはないわ。そう、定めた先から、しかね。
「刻限少し前ね。アニータ」
「ひぇっへっへ、刻限通り到着は商人失格でさぁ」
ぱかり、と自室に置いてあるミミック共通ポータルとなっている箱の蓋が開き、中から現れたのは、明らかに肌が透けるレベルのレース風の布と、申し訳程度のリボンを肌に纏う、透いた橙髪と褐色肌の女性……言うまでもないがミミックだ。
名前はアニータ。"人喰い箱"なんて物騒な二つ名が付いているけれど、内実を知ればさもありなん。国家や人の心をジェンガに例えるとするなら、それを構成する材がそれぞれ何処に力が掛かっているか、その一切を理解しているかのようにピンポイントで安全且つ次の手を待つ人にとって致命的な場所を抜きにかかるからね。需要の理解能力と対応力、咄嗟のアレンジ力にそれを可能にする品揃え……いい腕してるわよ、この商人。そりゃ私も野菜を卸しますとも。
「今回は里芋だったかしら?」
「へい。魔界豚に合う芋があるって聞きやして、三箱ほど頂けやしませんかね?」
そうね、そろそろそういう季節だものねぇ。数日ほど前に私が魔女達と一緒に農園で大収穫作業を行ったのは記憶に新しい。今年も豊作だったわー。秋の神様ありがとう。ベンジャミンサバトいつもいつも有り難う。お陰でまた美味の追求が出来るのよねぇ!これを歓喜と言わずして何というか!
「ええ、構わないわよ。相場はこれでどう?」
「一般相場の八割弱ですかい。もうちょいなんとかなりやせんか?」
「煮つけると甘みが格段に増す霜降人参一箱つける、と言ったら?」
アニータは目を丸くし、そのままにっこりと微笑んだ。うん、人を喰ったような凶暴な笑顔ではないのが良いじゃないの。笑い声は紛う事なき人喰い箱だけど。
「へっへっ、有り難うございやす」
交渉は無事成立し、私は在庫にある人参一箱をアニータに渡す。アニータはそのままそれを箱に仕舞い……お、と何か思い出したように再び箱の中に戻っていった。まだお金を貰っていないんだけど、まさか財布を忘れたとか?やめてよ?私ツケは事前に期限を決めないと許さないって知っているでしょう?
と、再び箱を開いて出現。流石に逃亡はなかったか。その手には代金と……封筒?
「あたしとしたことが、客の依頼を忘れるところでしたぜ。
ロメリア様。貴女宛にブラントーム領から招待状が来ておりやす」
代金を受け取りながら、封筒を裏返すと、確かに其処にはブラントーム領の紋章が刻まれた蝋で封をされていた。……ブラントーム領?まさか、そんな偶然があったり無かったりするのかしら?
「――ねぇ、アニータ。その招待先って、『オルト・ブラントーム研究所』だったりする?」
「なんと、知っておりましたか……って、何驚いてらっしゃいます?」
出会いは偶然か、それか必然かは分からないけど、まさか行ってみようかと思ったときに向こうから招待されるとは思わなかったわよ。
「え、ええ。個人的都合でちょっと気になっていたから……」
「どんな都合か、お聞かせ願えやすか?」
「どんな商品をその研究所と取り引きしているか教えてくれるなら、ね」
アニータならマンダも知っているし、取引相手の一人だったりするらしいからね。確か妖狐化する【大吟醸・活狐天(かこてん)】の取引もやっていたはず。
「虜の果実、陶酔の果実等の魔界野菜が中心でさぁ。特に彼処のまかいもは糖度が高いので、中々人気が高いですよ」
「そのまかいもが焼酎に使われていて、マンダも太鼓判を押すほどの美味しさだから、産地を知りたかったのよ。で、機会があれば味わいに行ってみようかなって考えてたところに、貴女からこの封筒が渡されたってわけ」
これは何とも見事な渡りに船ね。しかも招待状だから、先方も私に来て欲しいんでしょう。願ったり叶ったり、ね。
「では、あたしは此処で失礼しやす。今度は良い調理器具揃えときやすね!」
「ええ、期待しているわ。次回は冬瓜と南瓜を用意するわねー」
しゅぽん、とポータルに消えるアニータを見送り、私は封筒に手をかけた。簡易の魔術ロック、今回は芋らしい。芋とその植生を魔力線で繋ぐクイズ形式だ。まず間違えないわ。引っかけもないしね。こうした創意工夫を凝らした封筒ロックが今の流行らしい。私もやってみようかしら。
で、正解をしたら簡単な芋の解説が出てきた。オルト・ブラントーム研究所にて作られている芋の質についての説明らしい。成る程、行く前に簡単な知識を付けてもらえるわけね。有り難いわ。
最後の画面まで見終わると、ブラントーム領の領標が付いた蝋が消え、封筒が独りでに開いた。中には招待状と、住所付きの簡単な手紙がある。
「ふむふむ……手漉きか、この紙……」
中々洒落ているじゃない所長さん。自然豊かなブラントーム領へ招待するのに此ほど的確な素材は無いんじゃないかしら。そのうち羊皮紙に取って代わるかもね。
で、肝心のお手紙の内容は……と。
『拝啓 ロメリア王女様
木々が赤々と染まり、迫る宵闇が煌々と照る木々の輝きに落ち着きをもたらす中秋、如何お過ごしでしょうか。
実りの秋、我がオルト・ブラントーム研究所で育った数多の作物も収穫の時を迎えております特に特産物である睦びの野菜は、例年よりもさらに蜜が滴る、良い出来となっております。王女様にも是非ともご賞味頂きたい、そう私共は考え、この招待状をお出し致しました。
招待状に記されているカレンダーの、御都合のよろしい日付のマスにチェックマークを入れ、その部分だけ切り取り同封されている封筒に入れ、当研究所まで返信お願いします。
当日は、招待状が通行証となりますのでご持参の上、来訪お願いします。ドレスコードは特に御座いませんが、朝晩の冷え込みが強くなりつつありますので、薄手のコートの着用をお勧めします。
住所は、転送ポータルの座標を招待状の裏に記しておきます。こちらをご利用下さい。
(なお、機密保持のため、一回限りの片道ポータルとなっております。詳細な住所は内密にお願いします)
貴女様とお会いできる日を、心よりお待ちしております。
――オルト・ブラントーム研究所所長 ルナ=ブラントーム』
そんなに畏まんなくたっていいのにねぇ、ため息と共に姉の顔を思い出し、流石に難しいかと苦笑い。表面上でも、礼儀はしっかりとしなきゃならない、か。
さってと、では日付を確認して……チェック付けてっと。
「しっかしホントに不定休なのはどこも変わらないねぇ」
農業故致し方ないわけなのは分かってはいる。魔女修行の一環で農業をやらせているから私もそれは分かる。当然休みを置いたりして労働条件は調えている。調えてなければ規律風姫――第六王女シプール御姉様の雷が飛ぶ。アレ毎回食らうのは地味に痛いのよねぇ。そもそもそんなに雷を食らう自分が悪い?あーあー聞こえなーい。こっちはこっちの考えがあるのよ。曲げられるくらいなら痛かろうがなんぼでも食らうわよ。
っと、いけないいけない思考が脱線したわ。兎も角……秋の味覚を求め、研究所へ――。
「――三日後にれっつごー!」
―――――――
銀杏の芳しい香りが広がる並木道を、私は一人歩いていた。もうじき金色の絨毯が敷かれるだろう地面は、まだ茶色と赤と金色がまばらである。
「んーっ、流石ブラントーム領、良い土しているわね♪」
そして私はその銀杏をいくつか拾い、軽く熱が籠もるように空間をいじって爆ぜさせた。魔力の無駄遣い上等だ。ほくほくとした銀杏の風味の方が大切だもの。
あぁ、秋の味覚、最高。茸類も魔力の有り無し関係なく豊富だし、お米も小麦も豊かだし。そして此処では芋が美味とくれば……ねぇ。
「……私にも一つプリーズ」
にやけ顔で紙袋の銀杏を摘んでいると、聞き覚えのある声が前方から。我に還って焦点を合わせると……って、何でこんな人気もないところにいるのよ。
「サフィ。此処にいても客は来ないわよ?」
しかも何かフードが変わっているし。寧ろパーカーって呼んだらいいのかしら。緑地に黒いボツボツがあって、フードの部分に黒い四角三つで顔が描かれている特徴的な柄だ。
「……商談が終了したからちょっと商品確認していたの。今度この格好に肖って芋色時限爆弾」
「待て待て待て待て何しでかす気よ」
時限爆弾てんな取り扱いし辛いものを何に使う気なのよ。寧ろ誰に売る。そしてその格好は何なのよ。
「……ちょっとした、リフォーム(国家転変)……♪」
あぁそうだ、このリッチ、過激派に武器卸しているんだった……。つかリフォームってそんな斬新な用語は想定してなかったわよ。
「……因みに爆弾の効果は?」
彼女はフッ、と微笑みながら、蚊の鳴くような声で、まるで悪戯を思いついた友人のように、私に耳打ちした。
「……爆発と共に、国一帯に芋の香りが広がって、その空気に当たっているうちにモスマンの鱗粉を浴びるのと同じ状態に……そして来る永劫」
「いやそのネタはいいから」
むぅ、とちょっと拗ねるサフィ。ごめん。メタ的な意味で天丼になるのよ。
「……同時に大量の魔力が領地全域を満たすから、爆心地は一瞬、寮の外れでも交わるだけであっと言う間に淫魔転生。そして来る永劫回帰(イモータライズ)……芋だけに」
……其処まで言いたかったのか。つか私とサフィの間に白く冷たい風が吹いた気がするけど気のせいよね、まだ冬は来てないわよね。
「……なお、これの製作にはデビルズサンクチュアリの皆さんにも協力して頂きました……大いに感謝」
「過激派御用達の技巧集団にして技工集団、っつかお母様黙認の独立部隊かい……」
こめかみ痛いわ……。規律風姫の扱きに耐え抜いたデーモンの姉妹が率いる魔界きっての特殊部隊。いろんな技術を持った魔物達が遊惰な暮らしを人間に強いるために様々な開発なり自己強化なりを行っている場所よ。上位陣はデルエラ御姉様の近衛部隊に名指しで採用されるくらい凄い集団だったりする。その精鋭集団がレスカティエをリフォーム(魔界転生)させる立役者となったのは歴史に残る大事件だったわね。ここ、多分親魔物領過激派の小学校では歴史で教えるでしょうね。
因みに魔王公認の時は当時の過激派リリム総出で御母様と御父様に頼み込んでたっけねぇ。その時は数週間、喧嘩もなく魔王城が不気味に静かだったわね……。熟議に熟議を重ねていた、その結果が黙認、と相成ったわけ。
因みに私も何回かそこに、調理講師役で呼ばれたりしたけれど……凄い熱意と、それを上回る爛れた欲望が凄かったわね。特にデビルの皆さんが。
『本物のプロは、媚薬なんて使わなくても人間をオトせるんですよね!?』
誰から聞いたよその話。寧ろ何で媚薬使用がデフォルトになっているのよ。その一言を聞いたときは眩暈なんて生易しいレベルじゃなかったわ……。
兎も角、学習意欲とそれに付随する実力は確かだから、サフィが協力を仰ぐのも正しい。あくまで彼女のスタンスは真理の追究だからね。それに過激も穏健も関係がないみたいだし。
でもこれだけは言っておこう。中立派すら魔物に染めてやろうなんて過激派もいるから、念には念を入れて、ね。
「……リオミーゴの襲撃を考えている姉か妹がいたらそれとなく止めさせて、或いは名前を私に教えて」
「……?」
不思議な顔をしつつも、サフィは肯いてくれた。流石にアルスを彼女らに奪われるわけにゃいかんのよ。私がアルスに会うときは親魔物領でも通じるレベルでしか魔力を漏らしてないし付着させないもの。所有権を示す御守りも含めて、何のために力を抑えているのか分かりゃしない。
……とはいえ、ちょっともどかしいのも事実かな。彼を迎えに行く術をしっかり考えとかないとね。
―――――
サフィと別れて暫く歩いたところで、ようやく件の屋敷が見えてきた。そろそろ黄昏時も近い時間、流石に昼間に吸血鬼のおわす領域に足を踏み入れるほど常識知らずではないわよ。
研究所というから何か無骨なイメージの外観をしているかと思ったけど……え、邸宅?しかも分かりやすいヴァンパイアの邸宅?やっぱりヴァンパイア領主の血縁者の施設、不格好なのは許せないか。それこそサフィの実験施設のような美的センス一切を虚空の彼方に投げ捨てた邸宅がが研究所だったら……寧ろサフィの実家のそれだったら。
「……無いわね」
親族がボコしに来るの早期余裕でした。ママにも秘密こっそり隠して(バレて)ちょっと(気に)障ってユニヴァァァァァァスなのは確定よね。お約束ね。変な様式美が出来ていそう。リョナンシーもそう目を血走らせながら叫びそうよ。
『様式美は大事なのよ!ボコォさせたらひぎぃ!いやぁざげぢゃうざげぢゃうよぉぉ!とか!そう口では言いながらも瞳は蕩け体は物欲しそうに男のたぎりをくわえて(以下略)』
……あー、思い出さない方が良かった。ハードプレイ好きだからねぇ……アレで実力は確かだから判らないわ……。
兎も角、私は研究所……というか邸宅に着いたわけで。招待状を手に持ち、呼び鈴を鳴らす。しおらしいサンダーバードの歌声のようなキンとした優しい音色と共に、目の前のヴァンパイアに忠誠を誓う男騎士が彫られた扉が開き、邸宅の中からメイドが一人、ゆっくりと歩いて出てくる。袖から見える羽の形から、ワーバットだっていうのが判るけど……ねぇ、ワーバットのメイドってどうよ。ハーピーにしても思うんだけど、指先ちゃんと使えるのかしら。
「いらっしゃいませ、ロメリア様。お話はルナ様より伺っております。
申し遅れましたが、私は当研究所にて秘書及びメイドを勤めておりますクレアと申します。以後、お見知り置きを」
丁寧に一礼をするワーバット。ここまで一切の恥じらいなし。日に当たっているのに立派なものだなぁ、なんてちょっとしみじみしてしまう。
クレアさんはそのまま言葉を続けた。何回も繰り返してきたのか、非常に手慣れている。
「当研究所の案内をルナ様より仰せつかっております。当研究所は建物内にて居住区と研究区に分かれておりまして、今私達がおりますのが居住区です。食堂が御座いますので後程、ルナ様との会食の折にご案内いたします。まずは当研究所の要、研究区をご案内しますね。
では、入館証を貸し出しますので、招待状の提出をお願いします」
他の野良ワーバットしか知らない人や魔物からすれば、黄昏時とはいえ信じられない光景だろう。私だってこれでもびっくりしているもの。しかも姿勢も完璧。よく教育されているわ。
「はい、こちらね。それにしても、姿勢も態度も洗練されているけど、何処で習得されたのかしら?一朝一夕で出来る代物でもないわよね?」
むしろ出来たら凄いわ。正真正銘の天才よ。さすがにそうではなかったみたいだけど。
「"規律風姫"シプール様の礼儀作法教室とナドキエ出版『メイド検定一級教科書(著者・イラスト:ムク=フィレン、注釈:ニージュ=ロンゲート)』の御陰です!」
御姉様すげぇ。各地でそんな教室を開いているの知っていたけど、まさかその実践者を目にするとは。確かに立ち居振る舞いを習うのにこれほどの適役はないでしょう。スパルタだけど。
そしてメイドは安定のムク=フィレン。しかも『未完時計の物語』の著者ニージュ=ロンゲートのミミックコンビ。そう言えば御母様がこの名前を見たときすっごく安堵していたわね……何かあるのかしら。まさか前魔王時代の何か?
深く考えてもしゃあない。私はひとまず納得して、彼女の案内を受けることにしたのだった。
「靴は脱いで下さいね」
「分かったわ」
【※館内は土足厳禁です】と記された看板の下、魔力ロッカーの中に私はいつもの靴を締まって、館内用の靴に履き替えたのだった。従業員用の靴箱もあるわ。……やっぱり館の主の靴箱は大きいわね。仕方ないわね。
ホールから見渡す辺りの内装は、研魔加工(魔力を帯びさせながら綺麗に削る加工。貴族邸宅の嗜み。私は出来ません)された色とりどりの魔鉱石に、魔灯花の術式を組み込んだ物を織り交ぜたものだった。魔力の流れがスムーズに行き渡っているだけでなく、万が一に侵入者が出たときのトラップになるように魔力溜まりとそれを吹き付ける微量の穴がある辺り、防衛手段も抜群だ。……あとやっぱりあったか、脱魔トラップ。あれ体がだるくなるから嫌いなのよね。人間が作る物の場合、飽和させて破壊すれば拡散兵器に早変わりするから早々に魔力を叩き込むのが正しい攻略法なのは……上位魔物の特権か。魔物が作るとえげつなくなるのよね。あとジョイレイン領の場合はただひたすら悪意しか感じられない。
……ただ、この間隔だと安地ができちゃうわけだけど。寧ろ最低限配置した感じ?脱魔トラップもレベルが足りないんじゃないかしら。あれか?経費削減?
「ここから真っ直ぐ進むと裏庭に出ます。その手前の扉が地下へと続く扉です。ホール左手前の扉は食堂に、奥の扉はサロンへと通じております。ドアには簡易式魔力キーが付いており、コマンドワードさえ唱えれば解錠施錠どちらも可能となっております」
「でもそれだと、ちょっと防犯体制が心配よね……」
「はい。不逞の輩に備えておかないと損害を被ることになります……が、諸事情が御座いまして」
「色々あるのねぇ……と、裏庭ね」
「靴を覆う布を足に巻き付けて下さい」
口には出さないけど推測するに多分お家都合だろう。多分当たっている自分の想像に若干辟易している私の前に、これまた石で出来た扉があった。その手前の左右の壁にも同じような扉がある。たぶんこれが地下へと続く扉なんだろう。
クレアさんは馴れた手付きで戸を開くと、其処には一面の畑が広がっている。日の光が当たるイイ立地だ。
植えられているのは小麦を中心とした作物だ。流石に日が暮れつつあったから昼間の蒼々としているだろう作物の様子は分からなかったとはいえ、暮れかけの赤い光に染まる作物というのも中々格好いい。育っている大きさから言って、そろそろ収穫時かもしれない。
「裏庭では日光が必要となる作物を育てております。ここで収穫された野菜は絶品ですよ」
「……土を舐めてみていいですか?」
「他者に広言しなければ構いません」
というわけで早速……おぉ、栄養豊か。再現は難しいけどやってみたくなるわね。これは小麦……というかパンの味も期待できるんじゃないかしら。
どれだけ広いか目測してみるけど、間違いなく私のところの畑よりはでかい。一大産業ともなるとこのくらいの規模になるんだろうか。逆に言えば質も高く量も多いだろうこの研究所の作物と同じくらい私のところの作物が評価されているともいえるわけだけど。だってあの"人喰い箱"が評価しているもの。彼女、あんな口調だけど物を見る目は確かだからね。
「……よし、待ってくれて有り難うね」
「いえいえ。では、次に地下をご案内いたします。ロメリア様、靴の布を回収しますね」
「はい、有り難うね」
見学者に対してはこうして清掃の手間を一つ減らすわけね。従業員はきっと、外履き用の靴を持っているに違いない。
ともあれ館内に戻った私は、クレアさんが地下への階段がある戸を開くのを待つのであった……。
――――――
地下へと続く階段を下りると、そこは一階よりもより無機質になった空間が広がっていた。とはいえ額縁にはスクロール撮影した研究所の写真と、その横には研究施設の説明が記された案内板が貼られているから見飽きることはない。何故これを一階に貼らないのかなぁ……間違いなく防犯上ね。ここにお招きされる、ってことは既に見せて問題ない対象と見なされてる、ってことでもあるわけか。魔王の娘特権なのかしら。それとも私の人徳?前者の方が大きそうね。
「このフロアは作物同士を混ぜ合わせて、より良質な作物を作るための交配実験フロアとなっております」
「害虫に強くするために害虫に強い種の花粉を雌蘂にくっつけたりするアレね」
「ご存知でしたか。流石はベンジャミンブランドの創始者」
「あぁ、外でそう呼ばれているんだ、私の野菜」
そりゃベンジャミンサバト全面協力で推進して、なおかつ私の名前は極力出すな、となったらそうなるわよね。彼女のサバトもまたベルフラウ様系列だもの。これで信者は増えていくわね……。
で、ガラスを思わせる壁から見える室内は、私が見たことがない植物達が目白押し。その色や形を、研究服を着たゾンビと人間、いや、インキュバスか、のペアがメモしているらしい。あ、奥の方の扉からグールが出てきて何か呼んでいるみたい。
「先程までいらっしゃったサフィ=S=ドゥライア様から、お菓子と共に頂いた独自研究データを解読したようです。サフィ様は私達の研究の外部協力者で、土壌改善や品質向上のための交配などの知識を私達に提供していただいております」
へ〜、多少サフィが絡んでいるんだ。遺伝とか、そうした要素はサフィが強いから、知識伝達はしてそうだ。そしてその返礼に芋を手に入れたり……うん、やりかねない。間違いない。あぁ、商売ってそういう事。
「こちらにある作物を用いたデザートは後程食堂にてお出しします。楽しみにしていて下さいね」
「はい!」
いや〜、にしても期待値大きいわね、トマトの下にはポテトが埋まっていたりとかそんな奇っ怪なものもあるとはいえ、殆どは思わず手に取ってしまいそうな形の綺麗なものが揃っていたりする。香りや味は確かめようがないけれど、本能がたらりと涎を垂らすのよ。これはいける、と。
「では、次のフロアを御案内いたしますね。次のフロアは茸の栽培所です。少し薄暗いので、足許にはお気をつけて」
了解、と一声、私はそのまま地下への階段を下りていった。
――――――
野菜嫌いの妹のが特に嫌っていたのが、魔界の茸系統だった。普通の茸も苦手だけれど、魔界の様々な毒を分解することで発生したそれが、お母様の力によって効果を変えられた"茸独自の効果"が生み出す味が、どうしてもえぐみとして感じてしまうという。好きなのはオトコダケだけとも公言しそうだったからね。
で、そんな昔の妹が見たら卒倒しそうな光景が目の前に広がっている。人工的に作られた木やそのチップ、或いは植物に根ざすように、色々な種類の茸、茸、茸。旧時代のマタンゴが混ざっていても違和感がないくらい多種多様の茸がわらわらわらと生命力を主張している。
中には毒キノコと言われる部類のものもある……但し、人間にとっての、ね。魔物にとってはその毒は活力というか勢力になるというか……あ、あんなにおっきなネバリダケは初めて見るわね。
「このフロアではご覧の通り、キノコの栽培及び交配実験を行っております。交配は茸同士だけじゃなく、肥料に魔界植物を混ぜてみたりといった実験的な行為もしております」
例えば、とクレアさんが取り出したものは、一冊のファイルだった。かなり付箋の数が多い。その中から一つを摘んで開くと、そこには私が見たこともない茸があった。何だろう、まるでキャベツの中心からタケリダケが生えているような形をしているんだけど。というかこのキャベツのような何かって……まといの野菜?
「タケリダケの効果だと、ズボンを勢い余って破り捨ててしまう方が多いとの声を受けて、まといの野菜を使った土壌にタケリダケを生やしてみたら、二万本に一本ほどの確率でこの変異種が生えてきたのですよ。
サフィ様によるとこれは男性が食べると、文字通りの裸のおつき合いがしたくなるそうです。その際、まず犯すことよりも脱ぐことを優先するようになってしまうとのこと」
「で、脱ぎ終わったら、ため込んだ性欲を一気にぶつけるようになると?」
頷き一回。人工育成じゃないとまず出ない品種よね。普通なら裸のお突き愛でなくても、ズボンをずらすだけでいいから……あ、サンドウォームは別か。
「流石に反動の大きさがあるという結果が旦那様の調査で分かりましたのと、希少品種なので表に出ることはまだ御座いません。養殖も出来ませんでしたし……」
「どう調査した……いえ、気にしない事にするわ」
全ての活動の裏には幾つかの失敗があって成り立っている。真理よね。ともあれ、かなり興味深いものも見れた。流石に倉庫を見るわけにもいかないし、この辺りで終了かしら。
と、クレアさんは首から吊した懐中時計を眺め始めた。私も自分のそれを眺めてみると……おお、もう外は夜か。ということはそろそろかしらね。
彼女は頷き、そして私に微笑んだ。
「以上で、当研究所の案内は終了となります。それでは、ルナ様がお待ちしております食堂へと御案内致しますね♪」
――――――
地下から一階へのドアを開けると、いきなりコウモリが、注文を取りに来た。メニューを手にとって確認すると。
「……何これ」
『恐怖の戦場※ミルクシェーキです』っていうのがメニューにあるんだけど。アレか、ここの研究員が戦闘服を着て馬鹿でかいホースから放たれるそれを辺り構わずまき散らす気か。どこの踊り場ですか。
「こら、それはいつぞやのドッキリ用偽メニューでしょ!ちゃんとしたメニューを持ってきなさい!」
「(ドッキリて、何をやってんのよこの研究所……)」
クレアさんに叱られてコウモリは亜高速で飛び去ると、今度はちゃんとしたメニュー……というかメモ書きを持ってきたらしい。クレアさんが感謝の言葉をコウモリに伝えると、器用に一礼して飛び去っていった。……普段何処に掴まっているのかしら。そんな柱らしき物はなかったんだけど。
「えー、こほん。お見苦しいところをお見せいたしました。誠に申し訳御座いません」
「気にしてないわよ。それよりも、正しいメニューを見せていただけませんか?」
「畏まりました」
手渡されたメニュー……というよりやっぱりメモ用紙にしか見えないそれを眺めると、そこには三種類の料理の名前が書かれていた。
『ポテトパイ―ジョルノ
ポテトパイ―ノッテ
ポテトパイ―アルバ
――他、紅茶、陶酔の果実酒、ブランデー、ペリエなどを用意しております』
「……ポテトパイ尽くしね」
三種類もあるのか。流石に全部食べきれるかしら。そしてどんな違いがあるのか……それはシェフが話してくれることでしょう。
「はい、今年も豊作でしたから、芋の魅力を引き立てる料理として当研究所で選ばせていただきました!」
今年"も"か。なら芋焼酎が安定して出回るのも頷けるわね。何も畑はあの裏庭だけじゃないでしょうし。
「へぇ……それは期待大ね」
その結果がポテトパイとは。どれだけ美味しいポテトパイなのかしら。そのポテトパイを口に含んだらどんな気持ちになるのでしょう……幸せでありますように。
ホールから右に曲がって、食堂のドアの前に着くと、クレアさんが何か耳をピクピクさせていた。よく見ると彼女、口を幽かに動かしている。そう言えばワーバットのメイドはもう一人いるんだっけか。二人は超音波か何かで話しているのかな?
「……ロメリア様、準備は完了しているようです。どうぞお入り下さいませ」
あぁ、部屋の様子を確認していたのね。で、もう既に所長もスタンバイしていらっしゃると。しかもクレアさんドア開いているし。
ならもうすることは一つ。私は失礼します、と一声、食堂におもむろに足を踏み入れたのだった。
「――改めまして、ロメリア様。ようこそ、我が『オルト=ブラントーム研究所』へ」
――ドワーフの職工が常人じゃ気が狂いそうな程に神経を使って、内側も含めて丹念に磨き上げたフルートが、然るべき人の手に渡り奏でられたかのよう。柔和で、風が通るようで、それでいて確固とした芯のある声。そこには目上の立場に相対する際に用いられる礼節と、それ以上の私に対する親愛の情が圧縮されているかのようだった。
とはいえ、御姉様が好きそうな堅苦しい礼服じゃなくて、どちらかと言えば他者を出迎えるに当たって必要最低限+αの、ややフランクな感じかしら。個人的には有り難い。ドレスコード無いからってこんな機動性重視のワンランク上なカジュアル服装で来た自分が恥ずかしくなるところだったわ。最悪シャバ(以下略)すればいいけどね。
あと、そんな館の主の後ろに控えている、執事服の男性……魔力の感じからして、間違いなく彼女の夫だろう。……ってことは、遺伝子について詳しい人か。誘いかけるつもりはないけど、ちょっとお話は聞いてみたいかも。
「初めまして、ルナ=ブラントーム様。ロメリアと申します。本日はこのような素敵な研究所にお招きいただき、誠に有り難う御座います」
「いえ、こちらこそ、来ていただいて誠に有り難う御座います。どうぞ、お掛け下さい」
もう一人のメイドが器用に椅子を引いたので、私は一言断って、荷物を横に置き、やや簡素な……けど良い木を使っている椅子に腰をかけた。この椅子、ドリアードの許可を得て作られた良質な椅子ね。この周辺の自然から作られたのかしら。
私が座ったのを確認して、ルナさんの夫と思しき人、いや、インキュバスが点てたばかりと思しき紅茶をカップに注いでいく。まるで外の紅葉の色を落とし込んだような澄んだ紅色の液体がカップの上で細波を打っている。……出来る。
軽く口を潤しつつ、私は改めてメニューに目を通す。……いや、これ、メニューじゃなくてこれから出す品のお品書きだわ。つまりこのポテトパイは三種類出てくると。
それを心の片隅で期待しながら待ちつつ、私はルナ氏との会話をしばし楽しむことにした。
「当研究所はいかがでしたか?」
「非常に興味深くて面白かったです。高いレベルで安定した土壌から産み出される作物は一体どれだけ美味しいことかと思いを馳せるのと同時に、『月の甘露』の美味しさも何か分かる気がしました」
「『月の甘露』……あぁ、我が研究所の睦びの野菜を使った焼酎のことですね。方々から好評を頂いております」
「好評なんてものではないですよ!大好評ですよ!私の親友に酒屋をやっているアカオニがいるんですが、大概を旨いかマズいかの二段階で分けるそのアカオニが原材料を褒めていたんですよ!『ほう、中々良い芋してるじゃねぇか』って!いやー私もその声につい二本ほど買って一人で晩酌――あ」
しまった、つい力説しちゃった。あー、ちょっとルナさん固まっちゃってるよ。どう軌道修正したものやら。……えぇいこのままで良いか。
「……おほん。あー、砕けた調子で話して良いですか?」
ちょっと唖然としながらも、ルナさん頷いてくれました。あ、彼女の夫もちょっと唖然としている。当然か。そして動じないクレアさん、流石である。
「ありがとう御座います。ということで……よろしくね」
姿勢を直しつつルナさんを見ると、あぁまだ固いわね。やっぱりリリムを前にするとそうなるのかしら。それとも貴族のたしなみ?何れにせよ、私と同じ卓に着いたからには、私に対する態度で貴族めいたものは不要!
「シプール様から耳にしておりましたが、ロメリア様」
「ロメリア」
「え?」
「砕けて良いわよ。少なくとも姉様がいない私の前でそんな畏まらなくていいわ。寧ろ宮廷料理でもないのに畏まるのが不自然よ」
「え、いやでもしかし」
「デモもストもしかしも犯しも無くてね、私はそうされるのが苦手なのよ。それにまだ次期魔王継承の可能性があるシプール御姉様は兎も角、さして実権もあったものじゃない私に今更目上の礼儀なんてねぇ」
強引に押し込んで、納得したような不服なような微妙な顔を見せるルナさんは……観念したとばかりにため息を吐いた。
「……わかったわ。本当に、シプール様から聞いてはいたとはいえ、実際に目にして話を交わすと、相当普通のリリムのイメージから外れているわね……」
「それも相当、ね。外見は流石に不思議の国の女王様には負けるけど」
たまに大量にお菓子を頼まれたりする、私の御姉様の一人にして不思議の国の支配者……という分には聞こえは良い我が儘で寂しがり屋な御姉様だ。因みにかのデルエラ姉様の一つ上だったりする。
ともあれ、私がリリムの中で相当な変わり者であることは周知の事実なのだろう。魔力で外見と魔力を誤魔化して男以外のものを摘み食いする妹が私以外にいるのなら是非とも顔を合わせたいわ。
「それにしても、そこにいらっしゃる貴方の旦那さん、ええと、お名前は」
「いいわよ」
「クドヴァン、と申します、ロメリア様」
あら、固い反応。ラフでいいのよ、と言おうとした私の言葉に、ルナさんは待ったを掛けた。
「申し訳ないがロメリア、クドヴァンにまでは強いないで頂きたい」
何故、と聞きたかったとはいえ、その真剣な面持ちに私は引かざるを得なかった。いい奥様ね。
「……失礼したわ。改めて……クドヴァンさん、貴方良い腕しているわね。ここまで美味しい紅茶は中々巡り会えないわよ。」
「勿体なきお言葉で御座います」
「誇っていいのよ、クドヴァン。貴方は魔王の娘随一の味覚を持つ彼女に認められたのだから」
そ、そこまで言われるとちょっと気恥ずかしいかしら……。リリムの中で一番の味覚の持ち主なのは自覚してるけど、こうも面と向かって言われるとそれはそれでこそばゆいわね……。
そして主君に褒められてなお態度を崩さずに業務遂行するクドヴァン氏はバトラーの鑑ね。魔王城にスカウト……無理よね。
「では、お客様の味覚に適う料理を提供させていただきますね。ロメリア様、本日のお品書きをご覧になって何か質問は御座いますか?」
私は少し考えるでもなく尋ねた。メニューの三種類のポテトパイ。何がどう違うのかしら。本当はお楽しみのつもりで待ってもいいのだけど、事前情報を頂けるなら貰っておきたいし。
「ええ、こちらに記された三種類のポテトパイ、それぞれどんな特徴があるのかしら?」
クドヴァン氏は横目でルナさんに了解を求め、彼女はそれに頷く。それを受けてクドヴァン氏もまた私に一礼をして、ざっくりと説明してくれた。内容は次のような感じだ。
『・ポテトパイ―ジョルノ
魔界いも。甘さを抑えたタイプで塩の相性がとても良い。魔界のキノコと組み合わせることも可能。じゃがいもとの交配を繰り返して創り出された、ブラントーム領の魔界いもの代表作。
・ポテトパイ―ノッテ
魔界いも。甘さを可能な限り引き出したタイプ。蒸して割ると蜜がとろけるほど糖度が高い。研究所の最新作。
・ポテトパイ―アルバ
魔界では珍しい、人間界のじゃがいも。男爵いも。ほくほくしている。マッシュルームやしめじなど、人間界のキノコと組み合わせることも可能である』
「ほへー……」
私は丁寧かつ簡潔なクドヴァン氏の説明に聞き入っていた。この説明をするのにどれだけ訓練したのかは分からないけれど、屋敷の主人――というよりは自らの妻に恥をかかすことのないよう修練を続けたのだということが見て取れた。まるでそれはアルスが私の舌を唸らせた料理を安定させるために鍋を振るっていたのと同じくらい、素晴らしいことだと感じられたわ。
で、肝心のポテトパイだけれども、こりゃ全部食べるっきゃないでしょ。いつ頼むのか?いつ食べるのか?今でしょ。個人的にはアルバがちょっと気になっている。何せ、私以外に魔界で普通の馬鈴薯を育てているところがあるとは思わなかったわけで。ちょっと食べ比べてみたくなったのだ。ノッテは多分焼酎に使われているまかいもよね。ジョルノは……兎も角、まずは食べてみるとしますか!
「オーダー、ジョルノ、ノッテ、アルバの順でお願いします」
畏まりました、とクドヴァン氏が厨房らしき所へと潜り、何か指示を飛ばしているのを見届けたところで、私はルナさんと再び会話を始めた。
「そう言えば、さっき言っていた不思議の国の女王様って、リリムなの?」
「ええ、そうよ。リリムにしてアリスっていう相当特殊な例なの。多分妹にもいないんじゃないかしら」
玩具箱をひっくり返す以前に誰がそんな玩具を考えたのって言いたくなるようなそれがそこら中に広がっている不思議な世界、それが不思議の国で、彼女はそこの支配者にして女王様であったりする。時折城に大量のお菓子の製造を依頼、と言うより命令してくるのよね、"トランプ兵"さんもお疲れ様よ。
で、私もその製造及び配送に時たま関わっているんだけど……機嫌損ねると厄介なのよねぇ、女王様は。カリスマ性は片鱗はあるとはいえ、それよりも子供っぽさが目立つというか、何というか、稚い。魔力以外は姉か疑わしいレベルで稚い。お菓子を笑顔満載で頬張る姿はとっても可愛いんだけどね。
と、そこまで話した辺りでルナさんは何か合点がいった様子で懐から何かを取り出し、私に見せてきた。これは、あぁ、不思議の国からの便箋ね。
「少し前に紫色をしたワーキャットがこれを郵便受けに入れてきたのよ。どうやら私達の睦びの野菜を貴女の御姉様はご所望らしいのだけど、支払い手段と運送方法が書いていないから……ロメリア、貴女は何処に不思議の国があるか……ってどうしたの?」
私はこめかみを押さえざるを得なかった。多分思いついたまま手紙を書いて偶々近くにいた"トランプ兵"に押し付けたんだろう。担当者、可哀想に。
手紙を受け取り中身を確認すると、果たして予想通りだった。せめて相手に送り先の時空座標とか引き取り担当者の名前とか記しなさいよ……。
仕方ないので私が教えることにしたのと、多分今現在進行形で駄々をこねている可能性が高い我が姉のために巨大で色がビビッドなロリポップ製作を決意するのだった……。
「ほへー……そんなおねえさまがいらっしゃるんですねー……」
「私もびっくりです。噂には聞いておりましたとはいえ、シプール様のような方かと考えておりましたから」
「……かの大国レスカティエの支配者デルエラ様は、今や魔界各所で見られる喫茶店トリコロミール、そのレスカティエ支店にて一日店長をやられたそうだ……」
「マジ!?え、そんなお茶目なの!?」
「私も耳にした事はあるが……ロメリア、本当なの?」
「ええ。あとシプール御姉様もあぁ見えてお茶目な点はあるわよ?詳しくは私の体に関わるから言えないけど」
「「「「「初めまして!ロメリア様!挨拶遅れまして申し訳御座いません!」」」」」
「わぁっ!びっくりしたぁっ!」
「……ここで働く研究員のみんなだ。では、改めて自己紹介しようか」
いつの間にやら、他の研究員も集まっての楽しい会話となっている。見事にアンデッドが揃い踏みである。ルナさんの話だとコックはグールらしい。アンデッド種の中では適役ね。何せ彼女らの口や舌は一級品だしねぇ。まぁ、教育されてなかったら出汁用の魔界コーチンの骨をバリバリ食べかねないんだけど。今ではその彼女も立派な魔王城コックの一人。懐かしいわね……。
「ところでロメリア様」
「はい?あと様は私に対しては」
「ロメリア様も人間界の植物を育てられているとか」
「ええ、色々育てているわよ。人参ピーマン馬鈴薯玉葱の基本セットから、南瓜だったり里芋だったり、まぁ色々ね。だから様は」
「そのコツってありますか?どうしても魔界で人間の植物を育てると魔力が入ってしまって変質してしまう物が多いのですよ」
「そうね、今回のポテトパイ――アルバも、何とか魔力を極微量に抑えることに成功した馬鈴薯を使っているのだけど、他の馬鈴薯の大半、いえ大多数は睦びの野菜に変じていたわ。まだ大量生産には至らないし、安定化も程遠い段階。でも聞く話では、ロメリアの畑では普通に馬鈴薯が育てられているとか。コツでもあるのかしら?」
「……もう呼び名はいいわ。んー、あるとすればまず土からして魔力を抜いた物を使って、空気中の魔力を抜いた空間を疑似的に作って、そこで魔力を放出せずに育てることかしら。実際私も相当苦労したわ……って、どうしたのかしら?」
何か私の言葉を聞いて皆さん頭を抱えて居るみたいだけど……。
「……ロメリア、あなたさらっと凄まじいことを言っているのよ。分かってる?」
「魔力を放出せずとか、空間から魔力を取り除くとか、どれだけ設備投資が必要になるのでしょう……」
……あー、分家だからお金がないって言っていたっけ。確かにアレをここの規模でやると資金がマッハだわ……。魔力吸収素材のアップグレードが必須だし。流石に多少効率よく出来そうとはいえ、他人の邸宅や研究に手を触れるのはなー。
「や、でも土くらいなら何とかなるんじゃない?ほら、旧時代に行われていた、ヴァンパイアが復活するときに作るアレを逆に行えば……」
「ふむ、手間は掛かるけどやる価値はありそうね。栄養は吸い取らず出来るかしら」
「出来るわよ。例えば……」
他の人がやや口ポカンしているのを後目に、私達は魔力技術の口伝を行っていた。他の従業員の皆さんは兎も角、バフォメットとサシでタイマンできる種族であるヴァンパイアである彼女なら、この"種"をうまく使えるはず。あとはそれを芽吹かせ、他の従業員が使える"花"を咲かせるだけ。期待しているわよ。土壌は問題がないんだから。
「……成る程、こんな方法があったのね」
「ま、普通は『土地の栄養価はそのままに魔力を抜こう』なんて考えないからねぇ。人間界の野菜をそのまま魔界で育てようなんて魔物しか試さないだろうし。私もいろいろ試している最中よ。もしかしたらこれよりも効率いい方法がそのうち開発されたりするかも」
ま、なにはともあれ、今後に期待ね。……と。
「お、いい香り」
そして厨房から届く芳香、これはまさしく蒸しあがり、調理された芋の香り。秋の風物詩にして、聖夜には指輪サイズの王冠を入れて王様ゲームを行うお菓子のそれの香りをこちらに届けてくる。幽かに焦げたようなその香りが、私の期待を否応なしに高める。
「どうやら第一段が完成したようね。多分あと二つもセッティングそのものは終わっているはずよ……聞こえるかしら?パイを刻む音が」
ええ、ザク、ザクと非常に気持ちの良い音が調理城から聞こえてくるわ。他の研究員の皆さんも同じように聞こえているみたい……胸が高鳴るわね。
「今までで一番良い音をしてるね」
「……うん……きっと……おいし……♪」
「まーた口火傷すっかな……食べんのは止めねーけどな♪」
「せめて冷ましてから食べましょうよ……一番乗りって毎回がっさり摘んで事故ってどうするんですか」
研究員のみんなも期待に胸を高鳴らせている。今まで、ということは何度もここでセルフ品評会のような物は行われていたんだろう。その彼女ら彼らが期待するというのだから……相当ね。
良い香りが近付いてくる。運び主はクドヴァン氏だ。中々良いギャルソンじゃないの。本当に良い夫婦よね、この二人。
皿の上に鎮座する、ほんのり湯気立つドーム型の物体……パイ生地で覆われたその中には、一体どれだけのまかいもが、そしてほかの物が詰められているのやら……。
見た感じ、形状は普通のパイだ。ドーム型に膨れた、(切れ目は入っているけど)ブラントーム領の領章が軽く刻まれたパイ生地の中に、一体どれだけのまかいもと、その他味付けのスパイスが含まれていることか……。
そしてその横には何か二種類のソースが……ソース?しかも量が均等じゃないわね。どういう事かしら。
そんな疑問を抱く私に、ギャルソン:クドヴァン氏は丁寧に一礼した。
「お待たせいたしました。ポテトパイ:ジョルノです。味を変える際には、ナーラ様はこちらの、他の皆さんはこちらのソースをお使い下さい」
こちらの、と渡されたのは、量が少ない方だった。香りから推測するに魔界牛の肉汁と魔界茸を使ったグレービーソースね。で……研究員サイドもそれは同じなのだけど、確実に違う物がある。魔界茸の内実ね。
私のに使われているのは……うん、やっぱりそうだ。"あるもの"だけ入れられていない。まぁ仕方ないけどね。味は恐らく彼女たちが味わう物に比べて数段は落ちているはず。とはいえ……入れてあったら私が食べられる筈もない。
「食後に、シェフに有り難う、って伝えたいのだけど、いいかしら?」
「ええ、構わないわよ」
クドヴァン氏の目配せに、ルナさんは優しく頷いた。こういう細かい気遣いが料理には必要なのよね。さもないと宗教上の理由やアレルギーが原因でどえらいことになるのは目に見えているわ。
クドヴァン氏が手慣れた動きで、八等分に切り分けられたパイをそれぞれの皿に乗せていく。クドヴァン氏の言葉から察するに、このパイは主食用なのだろう。断面にみっちり詰まった蒸かされたまかいもが、無骨ながらそれを主張している。当然バターも練り込まれているのだろう、朴訥とした自然の香りが漂ってくる。
私はその料理を前に、ルナさんに目配せをした。厳格に決められているかどうかは兎も角、食前の礼節はどの場所にもそれとなくあるものだ。今まで私一人の時はジパング式ので済ませていたけど、今回は招かれている身で、しかも招いた主が目の前にいるのだ。相手の流儀に付き合うのが道理でしょう。
彼女もそれを分かっているようで、クドヴァン氏が最後に席に着くのを確認すると、では、と一言、息を深く吸った。
「――我らに日々の糧を授け賜う精霊達に、心からの感謝を」
「「感謝を」」
祈る対象は、ここでは精霊らしい。農業をやっているならば納得の対象よね。主神に祈るわけじゃなし、堕落神に願うわけじゃなし。堕落神に願ったら堕落の果実ばかりになりそうなものだけどね。
そんな思索は兎も角として、私もその流儀に合わせて五精霊に祈る。ダークマターに祈る必要性は、魔界の茸があるからね。豊穣の魔力に対する感謝は、当然行うわ。
そのまま、フォークで固定しつつナイフでパイを一口サイズに切っていく。さくりとした音がした後にナイフ越しに伝わる感触は、滑らかな、よく蒸され粒を細かくされた芋のそれ。皿に当てないようにすい、とナイフを軽く引き、そのまま音を立てないように置く。そして、フォークの先端に刺さったそれを、私はゆっくりと口元に運んでいく。
顔に近付けると、この芋の持つ特徴的な香りがバターの香りと共に伝わってくる。使用しているのはホルスバターのようだ。割と万能とはいえ、芋を生かすこの料理でホルスバターとは……どんな味なのかしら。
あれこれ案ずるよりも……まずは一口。
――サクッ
「――!!」
これは凄い。舌先で芋を押した瞬間に、その熱でバターが溶けて芋とさらに混ざっていく!ごてごてしがちな芋の触感が、ミルクと一緒に口にしたようなすっごい滑らかな感触になってる!
それを包むパイも堅すぎず柔らかすぎず、適度な脆さで小気味良い音を奏でるし、散らしてあるアーモンドチップの香ばしさがたまらない!
何より……甘みを抑えた塩味というお勧め文通りのまかいもの味!その塩味が口の中でふわりあっさり広がっていく!
こ、これは麦酒が欲しくなるわ……いやいやまてまて、ここの流儀的にはワインかしら?というよりそもそもそれ以前にまだこのグレービーソース使ってはいないわ!
二口目……三口目……うん、幽かに香る甘いバターが塩っぱいまかいもの風味を引き立てている!アーモンドだけじゃなくてクルミのフレーバーも加わって……これはいい味……うん、美味しいわ!
「……(ごくり)」
このままでも美味しいそれに、濃厚な魔界牛の出汁を用いたグレービーソースを使ったらどうなるのかしら……どうなるのかしら!逸る心を抑えながら、私はそっと灰色のソースをかけていく。パイのパリパリ感は減るけれど、まぁ多少は仕方ないわね。
そのままパイを切り分け、口に運ぶ……ポテトに、ソースが染みてきているのが分かる。それを、何かに誘われるように口に運び、歯で噛み切り、舌に乗せた。
――!!!!!!!!
「……(ごくん)……ルナさん」
「どうしたの?まさか口に――」
「――赤ワインを、ボトルで頂けるかしら」
クドヴァン氏によるデキャンタを受けた赤ワイン、それを口に含みつつ、わたしはさっきのソースが掛かったパイの味を反芻する。
旨味という名の液体が、舌の熱を受けて気化して一気に膨張し、爆発的に全身を巡る。間違いなくこの風格はおかずにして主食。
元々魔界茸との相性が高い塩気のまかいもであるこれは、グレービーソースが含む旨味をギュッと濃縮し引き立てる。先ほどまでのバターの旨味とは全然違う、まるで肉を頬張っているかのような満足感――!
これは小さなパイでない限りポテトに直に練り込んじゃいけない代物だわ……。肉を食べる満足感を味わえるとはいえ、間違いなくこのパイの大きさだと途中でフォークが止まるもの、満たされすぎて。甘さと、旨味。そして高カロリー。これは自信作と言ってもいい代物よ……。
それにしても……このまかいも、万能ね。塩味を生かせばメインもサブも思いのままの名優じゃない!評判になるのも頷けるわ……と、あ。
「……あら、いつの間に」
気付いたら食べ終わっていたわね。美味しさのあまり自然とフォークが動いていたわ。ついでに口も。赤ワインの渋みすらも料理を引き立てていたもの。
周りを見回すと……研究員の皆さんもまかあらポーク(魔殿高原粗挽きポーク)のCMの子供達のようにほっぺたを押さえて美味しさを表現している。確かに美味しいものねぇ。まかいも自体の食感が不自然にならないように丁寧に処理されていることも含めて、中々良い腕を持った料理人よね。グールっていうくらいだから、もしかしたら昔の名料理人が復活したのかしら?と思えるくらい。
「如何かしら?」
ルナさんの問いに、私はにんまりと頷いた。
「これはお見事ね。主食にもメインディッシュにも添え物にも、それにもしかしたらデザートにも使える代物だと思うわ。品評会トップ受賞経験あるかしら?これ」
「まだ無いわね。次は第何回だったかしら?」
「第72回ね。甘味ばかりが芋の良さではないし、出してみたらどうかしら。何なら推薦状くらいなら書くわよ」
「そうね、お願いするわ……と、ナーラ……」
お、ちょっと視線が険しくなったわね。いや、険しくというよりは、挑戦的……かしら。
「何かしら?」
私の返答に、ルナはじっと私を見据えて、声を潜めつつ口を開いた。
「貴女、さっき言ったわよね。ポテトパイ=ジョルノを食べて、この睦びの野菜が、デザートにも使える、って。
確かにそれには一理ある。あるけどね――次のポテトパイ=ノッテを食べても、同じ事が思えるかしらね……ふふ♪」
「ほ、ほう……それは期待高いわね」
まさか彼女がこんな笑みを浮かべるとは思っていなかったわ。ちょっと引いたけど……それだけ期待深いわけで。さっきから新しい、シナモンにナツメグのスパイスが心地いい香りが辺りに広がっていく。というより、ザクリという音が無かったって事は、ここで切るって事?へぇ……。
外観はさっきのパイと変わらない。けど、何となく底が厚い気がする。それによって嵩上げされているそれは……パイと言うよりタルトかな?
「ナーラ、よく見ておきなさい。これが、"貴女の求めてきたまかいもを用いたパイ"よ。
さぁ、クドヴァン、切り分けよろしくね。ただし最初は、ナーラさんに断面を見せるようにお願いするわ」
そう、ルナさんは席を立ち、クドヴァン氏に場所をゆずる。クドヴァン氏はその言葉に頷くと、そのまま剣……いや、包丁をゆっくりと降ろし……ざくり、と音を立てて、パイを両断した。
――その時、私の全身に電流が走る……ッ!
え、うそ、断面から、あきらかにとろり、どろりって蜜が、蜜が溢れていく!?何!?これ芋よね!?林檎ですら蜜がトロリと溢れることは稀なのに!?
しかも、この蜜……とっても甘い香り。まるで熟したアルラウネの分泌する愛蜜のよう……。
「理解したかしら?食べたら、さらに凄いわよ」
えぇ、現状で何故妙に底が厚いのかは理解できたわ。普通ならこの時点で蜜でふやけかねないからなのね。
ざく、ざく。綺麗に六等分していくワザマエなクドヴァン氏。しっかりとろり融けた蜜をパイに掛けるという紳士を弁えた行動をさりげなく行っている辺り、御姉様の教育には感謝以外の何物でもないわね。
食べたら凄い、その言葉に私は期待しか覚えないわ。でも表面は冷静に……タルト生地部分を微かに残しつつ、ゆっくりと折る。このまま口に運んで……あぁ、香りからして、甘味料を使わない上品な甘さが分かる……。
心の唾を三回くらい呑み込んだところで……私はフォークを口に運び――甘美な香りをこれでもかと放つそれを、口に含んだ。
「――♪」
これは、改めなきゃならないわね。確かに、この芋がある限り、ジョルノはデザートには使えないわ。
サクサク感とウェット感の丁度美味しいところをとったようなそれは、生地に含まれる香辛料のフレーバーもあって程良く香ばしい。生地を切り取って砂糖をまぶして揚げるのも、お腹の具合を考えなければ非常に美味しいかもしれない。
下のタルト生地も、入念にバターが練り込まれ、ナッツやアーモンドのクランチが塩味を、微かに含ませたオレンジピールがほのかな酸味を含ませてくるなど、只の甘いクッキー生地で終わらない工夫が施されているのがいい感じだ。
でも、本題はそれらじゃない。何より語らなければいけないのは……そう、まかいも=ノッテの含む甘みだ。蜜が滴るところから予想はしていたけど……メロウとマーチヘアの猥談並に甘いわ!フードプロセッサーにかけてバラバラに引き裂いてから鍋で煮詰めたらハニーペーストなんか目じゃないくらい栄養豊富な離乳食になるんじゃないかしら。
ぬっとりと絡み付き、さっと引く。どこか献身的で、でも体には心には記憶にはしっかり刻み込む甘味……もしかしてと思って紅茶を一口呑むと。
「――あふぅ……♪」
紅茶の渋みによって、芋の甘みがさらに増す!これ浸して食べるなんてはしたないこともしてしまいそうよ!紅茶に砂糖を入れずとも芋の甘みでマッドハッターも太鼓判を押す甘口紅茶が出来上がってしまいそう……。
あー、間違いない。これはあのハートの女王様が畑ごと買い取って作らせかねない代物だわー。これで未完成だっていうのが驚きなくらいよ。今後の目標は安定化かしらね?
ともあれ……お菓子として上出来なくらい美味しかった。これで残すところは後一つ。ポテトパイ=アルバ。
曰く、私と同じ魔力抜き馬鈴薯で作ったパイ。どれだけ魔力が抜けているかとか、どんな味をしているかとか、ちょっと分析的に見ちゃうかしら。
「最後はポテトパイ=アルバ。人間界の馬鈴薯を、私達が育てて作ったパイよ」
「さっきの話のアレね」
「ええ。育成は極力魔力は入らないようにしてみたわ。魔力が入ると睦びの野菜になってしまうから」
「あ〜それ分かるわー。最初の方ってどうしても変わっちゃうわよねー」
畑を作る段階で、試しに魔界の土に数個の種芋を植えたら、一日も経たないうちに全部まかいもになっちゃった事もあったっけ……お味はちょっぴり甘くてほろ苦かったわ。まるでコーヒーかチョコレートだった。無論ビターな方のね。あれで土から変えていく必要性を痛感したわけよ。
「で、その場合ってどっちに変わったの?ジョルノ?ノッテ?」
「そのどちらでもないわ。新種として育てているわ」
まさかの新種登場である。
「はい、ちょっぴりピリ辛なお味でした。フライにすればいいおつまみになるかと」
しかもこれはパイには使いづらい味……。ざく切りにしてステーキと一緒に食べる?あ、良いかもしれない……にしても。
「……ほんっっと、まかいもって安定させるのが大変よね……」
こうも魔力によって味も形も変化する作物って、安定供給が本当に難しいのよね。さながら仕込み下手な料理人が経営する店の名物、みたいな物かしら。失礼な喩えかもしれないし、それもそれで味があるけどね。学生御用達の喫茶店で出てくる名物カレーがそんな感じだったわー……と。
「――来たわね」
三度登場、ブラントームの領章。今回のパイは……ほんのり塩味ってところかしら。兎に角芋を全面に出すみたいね。そしてジョルノと同じようにソースが登場。ジョルノとはちょっと毛色が違うみたいね……あ、分かったこれ全部人間世界の作物だ。
「魔界の作物の方が味がいいとか言っている魔物もいるわ。でも私はそうは思わない。人間界の作物だって、まだまだ捨てたものではないし、安易に魔力に浸すべきではないと思うの。その現段階での答えが、これよ」
現段階での、という辺り、まだまだ目指す先はあるらしい。同じ事を考えているのが私としては嬉しいわね。そう、魔界作物と人間界作物の味は簡単に比べられる物じゃないのよ。
丁寧に切られたそれを、私はさらに小さく切り、フォークに固定する。さくり、と軽やかな音と共に――ごろんとした芋の感触が伝わってきた。目が粗い。これは狙ったのかしら。断面から香り立つ、素朴なバターの香りが私の鼻腔を擽る。期待に胸が高鳴るままに、私はそれを一気に口に運んだ。
「――♪」
――すっっごいホクホクしてるよ!ジョルノとは違って、明らかに粗めに処理されたアルバは、漉すことによって忘れ去られる芋の感触をこれでもかとパイの殻越しに伝えてくる!この感触は紛う事なきバロン様、北の大地で根を張り育った力強い芋よ!
芋、そう芋なの。主食としても、メインディッシュとしても、サラダとしても使われる栄養食、その芋らしさをあえて素朴さを出すことによって伝えてくる……凄いわね、ここの料理人。
芋そのものの味も、柔らかくて、甘くて、ちょっと粉っぽい感触は無塩バターによって程良く和らいで……。
さぁて、ソースを掛けて口にしてみましょう……ぱくり。
――瞬間、私の瞼の裏に不思議な風景が浮かぶ。
畑仕事を終えた人間の少女と父親が、笑顔で家に戻る。時は既に黄昏で、ランタンがないと周りが見えないほど。
家の中は外よりはマシとはいえ、所々に影が目立つ。そこまで金がある家ではないのかもしれない。
土が体に付いた彼らを出迎えるのは、暖かな笑顔を浮かべる母親。そこには確かな親子の繋がりと、暖かみが見えた。
そして、彼女の手に持つ物を娘が目にすると、娘は喜び跳ねる。父親は呆れつつも、腹の音でも鳴ったのか、頭を掻くのだった、
その、手にする物こそ――。
「――これが、家族の営みなのかしらね……」
ほんの少しの牛肉に、占地やマッシュルームなどの茸。それらが織りなす素朴なソースは、柔らかな暖かみを以てポテトの味に新たな衣を着せていく。アルバはそれを支え、体の中へと大きく広げていく。子供のやんちゃを受け止める親のようだ。家族って、家族を思わせる味って、良いわねぇ……。
……と、感心していたとき、私は、私の舌が少しひりひりしているのを感じた。周りを見ると……あ、みんな同じ顔している。ルナさんも含めてだ。これはもやしがあるわね……。
「――ご免なさい、どうやらアルバの中に、さっき言った別の芋に変異したものが混ざっていたみたい……」
あぁ、やっぱり。件の辛い芋が混ざってたのか……どうやらこの家族は、親も悪戯好きらしい……。
ポテトパイを三つも口にした私のお腹は、既に満たされていた。口をワインで軽く洗い、他の人が食べ終わるのを待った後で……相手の流儀でごちそうさまを告げたのだった。
――――――
「本当にありがとうね、ロメリア」
「いえいえ。これくらいならお安いご用よ」
折角招かれてお食事を頂いたのに、何もしないのも嫌だった私は、不思議の国に向けてのお菓子製作を手伝い、ついでに不思議の国に運ぶことも請け負うことにした。まぁ次回からはちゃんと此処にゲートを繋いでトランプ兵の皆さんが運搬することでしょう。
「未完成っていうのが嘘だと思えるくらい素晴らしいお菓子だったわ。多分また催促が来るでしょうね」
つーか間違いなく催促する。必ずする。それはコーラドーの名物炭酸飲料を飲んだらげっぷが出てしまうくらい確実ね。
「その時は、流通量を考えつつ販売するわね」
「手加減してくれるかは分からないけどね……あの御嬢様だし」
「その時はその時で、どうにかしてみるわ。もしかしたらロメリアの手を借りることになるかも知れないけれど」
「菓子作り及び材料提供ならまっかせてー♪」
とまぁそんなお話を二人で交わしながら、少しずつ運び込む用のまかいもとお菓子を入れていく。多分向こうでは今か今かと芋を待つむくれた顔をした御姉様が待っていることでしょうし。……っと、これくらいで良いかしら。
「ええ、その時は期待しているわね♪」
笑顔で見送るルナさんに手を振りながら、私はゲートを開き――一度荷物を整理するために我が自室に戻ることにしたのだった。
「……さぁて、もう一踏ん張りしていきますか!」
fin.
馬鈴薯型の芋がテンプレートとなる、寒冷地では主食にもなったりもするという魔界の植物。
【睦びの野菜】の別名っつか俗称として知られるそれの最大の特徴は、育てる魔物や土地、気候、湿度、魔力濃度によって幾らでも形や味を変える性質だ。
毎年新種が3つは出る程の多様性を誇るという事実は、裏を返せば安定した大量生産は難しいという事に他ならなかったりする。現にウチの畑だってまかいものクオリティは毎年安定しない。や、自分で言うのも何だけど良質よ?ただ如何せん味が毎年変わるのがね……。
マンダがまかいも焼酎を優先的に購入している理由も、その年に出たクオリティの酒を来年も維持できているか分からない、寧ろ別物に変異している可能性が九割強である以上は、逃したら最後という一面が強いからだったりする。まぁ……単純にまかいも焼酎が好きだからっていう一面もあるんだろうけど、ねぇ。
そんなマンダが、クオリティも味も安定していると太鼓判を押すまかいも焼酎がある。『月の甘露』と銘打たれたそれは、他の焼酎と一線を画すほどの甘味と深い味わいを誇り、カーマ氏が初めて口にしたときにポエムを一分以上語り続けるという程の上質な焼酎だ。
「元の芋が相当上質だねぇ、こりゃ。相当いい環境で育てられてるんじゃね?原料になったまかいも」
マンダが原材料に対してそこまで言うお酒は、ミエルグランデクラスじゃないと指で数えた方が早いくらい少ない。しかもこの『月の甘露』、そこそこ販売数が多いのよね。大衆酒でそこまで言うのは私の記憶が正しければこれと友人のチートファラオ一族の現当主"アネリリヴァス37世"が私にアウトソーシングした後で権利一切を買い取ったテキーラくらいじゃないかしら。アレも毎年安定しているしねぇ。
で、何処だろうか"黒羽同盟"に確認した結果……相談して一日後、今日の二日前にあっさり判明。え、酒瓶の裏にも書いていない物なのに何故分かるよ。本当に恐ろしいわぁー……どっから知ったよ。怖ーい怖いわー黒羽同盟怖いわー。
件のまかいもの生産地の名前、それは『オルト・ブラントーム研究所』。
情報によればヴァンパイアとその旦那、及び数名の研究員が"特産品"として出すその芋の品質の上昇と安定を目指しているという。あぁ、ブラントーム領なら仕方ないか。あそこは確か農産物が有名だったからねぇ。妹の野菜嫌いを直すためにあそこのまといの野菜をロールキャベツ代わりに使ったこともあったわねぇ……勿論他の姉妹及び旦那さんには許可を頂いたとも。そして来る永劫回帰……じゃなかったそしてその結果は……成功。特に苦手だったピーマンやトマトを普通に食べられるようになったのはでかいわね。ただ、野菜を食べたご褒美代わりに性行をせがむようになるのは予想外だったわ。妹よ、お前は犬か。
とまぁそんな身内事情を自室の机にもたれて想起しながら、今日も早速来ている手紙類を確認……って、お母様色々なイベント開き過ぎじゃありませんか!?『レスカティエ淫欲林檎祭〜カワレルノナラシロニナル〜』って、もう、ぶっかけ交わる気しか見えない。らしいといえばらしいんだけど……。
で、私達の畑の野菜を取り扱いたい卸がまた増えている。社や個人の来歴とか色々書いているけど、信用に足るかは別問題なわけで……あくまでも私が定めた先からしか売るつもりはないわ。そう、定めた先から、しかね。
「刻限少し前ね。アニータ」
「ひぇっへっへ、刻限通り到着は商人失格でさぁ」
ぱかり、と自室に置いてあるミミック共通ポータルとなっている箱の蓋が開き、中から現れたのは、明らかに肌が透けるレベルのレース風の布と、申し訳程度のリボンを肌に纏う、透いた橙髪と褐色肌の女性……言うまでもないがミミックだ。
名前はアニータ。"人喰い箱"なんて物騒な二つ名が付いているけれど、内実を知ればさもありなん。国家や人の心をジェンガに例えるとするなら、それを構成する材がそれぞれ何処に力が掛かっているか、その一切を理解しているかのようにピンポイントで安全且つ次の手を待つ人にとって致命的な場所を抜きにかかるからね。需要の理解能力と対応力、咄嗟のアレンジ力にそれを可能にする品揃え……いい腕してるわよ、この商人。そりゃ私も野菜を卸しますとも。
「今回は里芋だったかしら?」
「へい。魔界豚に合う芋があるって聞きやして、三箱ほど頂けやしませんかね?」
そうね、そろそろそういう季節だものねぇ。数日ほど前に私が魔女達と一緒に農園で大収穫作業を行ったのは記憶に新しい。今年も豊作だったわー。秋の神様ありがとう。ベンジャミンサバトいつもいつも有り難う。お陰でまた美味の追求が出来るのよねぇ!これを歓喜と言わずして何というか!
「ええ、構わないわよ。相場はこれでどう?」
「一般相場の八割弱ですかい。もうちょいなんとかなりやせんか?」
「煮つけると甘みが格段に増す霜降人参一箱つける、と言ったら?」
アニータは目を丸くし、そのままにっこりと微笑んだ。うん、人を喰ったような凶暴な笑顔ではないのが良いじゃないの。笑い声は紛う事なき人喰い箱だけど。
「へっへっ、有り難うございやす」
交渉は無事成立し、私は在庫にある人参一箱をアニータに渡す。アニータはそのままそれを箱に仕舞い……お、と何か思い出したように再び箱の中に戻っていった。まだお金を貰っていないんだけど、まさか財布を忘れたとか?やめてよ?私ツケは事前に期限を決めないと許さないって知っているでしょう?
と、再び箱を開いて出現。流石に逃亡はなかったか。その手には代金と……封筒?
「あたしとしたことが、客の依頼を忘れるところでしたぜ。
ロメリア様。貴女宛にブラントーム領から招待状が来ておりやす」
代金を受け取りながら、封筒を裏返すと、確かに其処にはブラントーム領の紋章が刻まれた蝋で封をされていた。……ブラントーム領?まさか、そんな偶然があったり無かったりするのかしら?
「――ねぇ、アニータ。その招待先って、『オルト・ブラントーム研究所』だったりする?」
「なんと、知っておりましたか……って、何驚いてらっしゃいます?」
出会いは偶然か、それか必然かは分からないけど、まさか行ってみようかと思ったときに向こうから招待されるとは思わなかったわよ。
「え、ええ。個人的都合でちょっと気になっていたから……」
「どんな都合か、お聞かせ願えやすか?」
「どんな商品をその研究所と取り引きしているか教えてくれるなら、ね」
アニータならマンダも知っているし、取引相手の一人だったりするらしいからね。確か妖狐化する【大吟醸・活狐天(かこてん)】の取引もやっていたはず。
「虜の果実、陶酔の果実等の魔界野菜が中心でさぁ。特に彼処のまかいもは糖度が高いので、中々人気が高いですよ」
「そのまかいもが焼酎に使われていて、マンダも太鼓判を押すほどの美味しさだから、産地を知りたかったのよ。で、機会があれば味わいに行ってみようかなって考えてたところに、貴女からこの封筒が渡されたってわけ」
これは何とも見事な渡りに船ね。しかも招待状だから、先方も私に来て欲しいんでしょう。願ったり叶ったり、ね。
「では、あたしは此処で失礼しやす。今度は良い調理器具揃えときやすね!」
「ええ、期待しているわ。次回は冬瓜と南瓜を用意するわねー」
しゅぽん、とポータルに消えるアニータを見送り、私は封筒に手をかけた。簡易の魔術ロック、今回は芋らしい。芋とその植生を魔力線で繋ぐクイズ形式だ。まず間違えないわ。引っかけもないしね。こうした創意工夫を凝らした封筒ロックが今の流行らしい。私もやってみようかしら。
で、正解をしたら簡単な芋の解説が出てきた。オルト・ブラントーム研究所にて作られている芋の質についての説明らしい。成る程、行く前に簡単な知識を付けてもらえるわけね。有り難いわ。
最後の画面まで見終わると、ブラントーム領の領標が付いた蝋が消え、封筒が独りでに開いた。中には招待状と、住所付きの簡単な手紙がある。
「ふむふむ……手漉きか、この紙……」
中々洒落ているじゃない所長さん。自然豊かなブラントーム領へ招待するのに此ほど的確な素材は無いんじゃないかしら。そのうち羊皮紙に取って代わるかもね。
で、肝心のお手紙の内容は……と。
『拝啓 ロメリア王女様
木々が赤々と染まり、迫る宵闇が煌々と照る木々の輝きに落ち着きをもたらす中秋、如何お過ごしでしょうか。
実りの秋、我がオルト・ブラントーム研究所で育った数多の作物も収穫の時を迎えております特に特産物である睦びの野菜は、例年よりもさらに蜜が滴る、良い出来となっております。王女様にも是非ともご賞味頂きたい、そう私共は考え、この招待状をお出し致しました。
招待状に記されているカレンダーの、御都合のよろしい日付のマスにチェックマークを入れ、その部分だけ切り取り同封されている封筒に入れ、当研究所まで返信お願いします。
当日は、招待状が通行証となりますのでご持参の上、来訪お願いします。ドレスコードは特に御座いませんが、朝晩の冷え込みが強くなりつつありますので、薄手のコートの着用をお勧めします。
住所は、転送ポータルの座標を招待状の裏に記しておきます。こちらをご利用下さい。
(なお、機密保持のため、一回限りの片道ポータルとなっております。詳細な住所は内密にお願いします)
貴女様とお会いできる日を、心よりお待ちしております。
――オルト・ブラントーム研究所所長 ルナ=ブラントーム』
そんなに畏まんなくたっていいのにねぇ、ため息と共に姉の顔を思い出し、流石に難しいかと苦笑い。表面上でも、礼儀はしっかりとしなきゃならない、か。
さってと、では日付を確認して……チェック付けてっと。
「しっかしホントに不定休なのはどこも変わらないねぇ」
農業故致し方ないわけなのは分かってはいる。魔女修行の一環で農業をやらせているから私もそれは分かる。当然休みを置いたりして労働条件は調えている。調えてなければ規律風姫――第六王女シプール御姉様の雷が飛ぶ。アレ毎回食らうのは地味に痛いのよねぇ。そもそもそんなに雷を食らう自分が悪い?あーあー聞こえなーい。こっちはこっちの考えがあるのよ。曲げられるくらいなら痛かろうがなんぼでも食らうわよ。
っと、いけないいけない思考が脱線したわ。兎も角……秋の味覚を求め、研究所へ――。
「――三日後にれっつごー!」
―――――――
銀杏の芳しい香りが広がる並木道を、私は一人歩いていた。もうじき金色の絨毯が敷かれるだろう地面は、まだ茶色と赤と金色がまばらである。
「んーっ、流石ブラントーム領、良い土しているわね♪」
そして私はその銀杏をいくつか拾い、軽く熱が籠もるように空間をいじって爆ぜさせた。魔力の無駄遣い上等だ。ほくほくとした銀杏の風味の方が大切だもの。
あぁ、秋の味覚、最高。茸類も魔力の有り無し関係なく豊富だし、お米も小麦も豊かだし。そして此処では芋が美味とくれば……ねぇ。
「……私にも一つプリーズ」
にやけ顔で紙袋の銀杏を摘んでいると、聞き覚えのある声が前方から。我に還って焦点を合わせると……って、何でこんな人気もないところにいるのよ。
「サフィ。此処にいても客は来ないわよ?」
しかも何かフードが変わっているし。寧ろパーカーって呼んだらいいのかしら。緑地に黒いボツボツがあって、フードの部分に黒い四角三つで顔が描かれている特徴的な柄だ。
「……商談が終了したからちょっと商品確認していたの。今度この格好に肖って芋色時限爆弾」
「待て待て待て待て何しでかす気よ」
時限爆弾てんな取り扱いし辛いものを何に使う気なのよ。寧ろ誰に売る。そしてその格好は何なのよ。
「……ちょっとした、リフォーム(国家転変)……♪」
あぁそうだ、このリッチ、過激派に武器卸しているんだった……。つかリフォームってそんな斬新な用語は想定してなかったわよ。
「……因みに爆弾の効果は?」
彼女はフッ、と微笑みながら、蚊の鳴くような声で、まるで悪戯を思いついた友人のように、私に耳打ちした。
「……爆発と共に、国一帯に芋の香りが広がって、その空気に当たっているうちにモスマンの鱗粉を浴びるのと同じ状態に……そして来る永劫」
「いやそのネタはいいから」
むぅ、とちょっと拗ねるサフィ。ごめん。メタ的な意味で天丼になるのよ。
「……同時に大量の魔力が領地全域を満たすから、爆心地は一瞬、寮の外れでも交わるだけであっと言う間に淫魔転生。そして来る永劫回帰(イモータライズ)……芋だけに」
……其処まで言いたかったのか。つか私とサフィの間に白く冷たい風が吹いた気がするけど気のせいよね、まだ冬は来てないわよね。
「……なお、これの製作にはデビルズサンクチュアリの皆さんにも協力して頂きました……大いに感謝」
「過激派御用達の技巧集団にして技工集団、っつかお母様黙認の独立部隊かい……」
こめかみ痛いわ……。規律風姫の扱きに耐え抜いたデーモンの姉妹が率いる魔界きっての特殊部隊。いろんな技術を持った魔物達が遊惰な暮らしを人間に強いるために様々な開発なり自己強化なりを行っている場所よ。上位陣はデルエラ御姉様の近衛部隊に名指しで採用されるくらい凄い集団だったりする。その精鋭集団がレスカティエをリフォーム(魔界転生)させる立役者となったのは歴史に残る大事件だったわね。ここ、多分親魔物領過激派の小学校では歴史で教えるでしょうね。
因みに魔王公認の時は当時の過激派リリム総出で御母様と御父様に頼み込んでたっけねぇ。その時は数週間、喧嘩もなく魔王城が不気味に静かだったわね……。熟議に熟議を重ねていた、その結果が黙認、と相成ったわけ。
因みに私も何回かそこに、調理講師役で呼ばれたりしたけれど……凄い熱意と、それを上回る爛れた欲望が凄かったわね。特にデビルの皆さんが。
『本物のプロは、媚薬なんて使わなくても人間をオトせるんですよね!?』
誰から聞いたよその話。寧ろ何で媚薬使用がデフォルトになっているのよ。その一言を聞いたときは眩暈なんて生易しいレベルじゃなかったわ……。
兎も角、学習意欲とそれに付随する実力は確かだから、サフィが協力を仰ぐのも正しい。あくまで彼女のスタンスは真理の追究だからね。それに過激も穏健も関係がないみたいだし。
でもこれだけは言っておこう。中立派すら魔物に染めてやろうなんて過激派もいるから、念には念を入れて、ね。
「……リオミーゴの襲撃を考えている姉か妹がいたらそれとなく止めさせて、或いは名前を私に教えて」
「……?」
不思議な顔をしつつも、サフィは肯いてくれた。流石にアルスを彼女らに奪われるわけにゃいかんのよ。私がアルスに会うときは親魔物領でも通じるレベルでしか魔力を漏らしてないし付着させないもの。所有権を示す御守りも含めて、何のために力を抑えているのか分かりゃしない。
……とはいえ、ちょっともどかしいのも事実かな。彼を迎えに行く術をしっかり考えとかないとね。
―――――
サフィと別れて暫く歩いたところで、ようやく件の屋敷が見えてきた。そろそろ黄昏時も近い時間、流石に昼間に吸血鬼のおわす領域に足を踏み入れるほど常識知らずではないわよ。
研究所というから何か無骨なイメージの外観をしているかと思ったけど……え、邸宅?しかも分かりやすいヴァンパイアの邸宅?やっぱりヴァンパイア領主の血縁者の施設、不格好なのは許せないか。それこそサフィの実験施設のような美的センス一切を虚空の彼方に投げ捨てた邸宅がが研究所だったら……寧ろサフィの実家のそれだったら。
「……無いわね」
親族がボコしに来るの早期余裕でした。ママにも秘密こっそり隠して(バレて)ちょっと(気に)障ってユニヴァァァァァァスなのは確定よね。お約束ね。変な様式美が出来ていそう。リョナンシーもそう目を血走らせながら叫びそうよ。
『様式美は大事なのよ!ボコォさせたらひぎぃ!いやぁざげぢゃうざげぢゃうよぉぉ!とか!そう口では言いながらも瞳は蕩け体は物欲しそうに男のたぎりをくわえて(以下略)』
……あー、思い出さない方が良かった。ハードプレイ好きだからねぇ……アレで実力は確かだから判らないわ……。
兎も角、私は研究所……というか邸宅に着いたわけで。招待状を手に持ち、呼び鈴を鳴らす。しおらしいサンダーバードの歌声のようなキンとした優しい音色と共に、目の前のヴァンパイアに忠誠を誓う男騎士が彫られた扉が開き、邸宅の中からメイドが一人、ゆっくりと歩いて出てくる。袖から見える羽の形から、ワーバットだっていうのが判るけど……ねぇ、ワーバットのメイドってどうよ。ハーピーにしても思うんだけど、指先ちゃんと使えるのかしら。
「いらっしゃいませ、ロメリア様。お話はルナ様より伺っております。
申し遅れましたが、私は当研究所にて秘書及びメイドを勤めておりますクレアと申します。以後、お見知り置きを」
丁寧に一礼をするワーバット。ここまで一切の恥じらいなし。日に当たっているのに立派なものだなぁ、なんてちょっとしみじみしてしまう。
クレアさんはそのまま言葉を続けた。何回も繰り返してきたのか、非常に手慣れている。
「当研究所の案内をルナ様より仰せつかっております。当研究所は建物内にて居住区と研究区に分かれておりまして、今私達がおりますのが居住区です。食堂が御座いますので後程、ルナ様との会食の折にご案内いたします。まずは当研究所の要、研究区をご案内しますね。
では、入館証を貸し出しますので、招待状の提出をお願いします」
他の野良ワーバットしか知らない人や魔物からすれば、黄昏時とはいえ信じられない光景だろう。私だってこれでもびっくりしているもの。しかも姿勢も完璧。よく教育されているわ。
「はい、こちらね。それにしても、姿勢も態度も洗練されているけど、何処で習得されたのかしら?一朝一夕で出来る代物でもないわよね?」
むしろ出来たら凄いわ。正真正銘の天才よ。さすがにそうではなかったみたいだけど。
「"規律風姫"シプール様の礼儀作法教室とナドキエ出版『メイド検定一級教科書(著者・イラスト:ムク=フィレン、注釈:ニージュ=ロンゲート)』の御陰です!」
御姉様すげぇ。各地でそんな教室を開いているの知っていたけど、まさかその実践者を目にするとは。確かに立ち居振る舞いを習うのにこれほどの適役はないでしょう。スパルタだけど。
そしてメイドは安定のムク=フィレン。しかも『未完時計の物語』の著者ニージュ=ロンゲートのミミックコンビ。そう言えば御母様がこの名前を見たときすっごく安堵していたわね……何かあるのかしら。まさか前魔王時代の何か?
深く考えてもしゃあない。私はひとまず納得して、彼女の案内を受けることにしたのだった。
「靴は脱いで下さいね」
「分かったわ」
【※館内は土足厳禁です】と記された看板の下、魔力ロッカーの中に私はいつもの靴を締まって、館内用の靴に履き替えたのだった。従業員用の靴箱もあるわ。……やっぱり館の主の靴箱は大きいわね。仕方ないわね。
ホールから見渡す辺りの内装は、研魔加工(魔力を帯びさせながら綺麗に削る加工。貴族邸宅の嗜み。私は出来ません)された色とりどりの魔鉱石に、魔灯花の術式を組み込んだ物を織り交ぜたものだった。魔力の流れがスムーズに行き渡っているだけでなく、万が一に侵入者が出たときのトラップになるように魔力溜まりとそれを吹き付ける微量の穴がある辺り、防衛手段も抜群だ。……あとやっぱりあったか、脱魔トラップ。あれ体がだるくなるから嫌いなのよね。人間が作る物の場合、飽和させて破壊すれば拡散兵器に早変わりするから早々に魔力を叩き込むのが正しい攻略法なのは……上位魔物の特権か。魔物が作るとえげつなくなるのよね。あとジョイレイン領の場合はただひたすら悪意しか感じられない。
……ただ、この間隔だと安地ができちゃうわけだけど。寧ろ最低限配置した感じ?脱魔トラップもレベルが足りないんじゃないかしら。あれか?経費削減?
「ここから真っ直ぐ進むと裏庭に出ます。その手前の扉が地下へと続く扉です。ホール左手前の扉は食堂に、奥の扉はサロンへと通じております。ドアには簡易式魔力キーが付いており、コマンドワードさえ唱えれば解錠施錠どちらも可能となっております」
「でもそれだと、ちょっと防犯体制が心配よね……」
「はい。不逞の輩に備えておかないと損害を被ることになります……が、諸事情が御座いまして」
「色々あるのねぇ……と、裏庭ね」
「靴を覆う布を足に巻き付けて下さい」
口には出さないけど推測するに多分お家都合だろう。多分当たっている自分の想像に若干辟易している私の前に、これまた石で出来た扉があった。その手前の左右の壁にも同じような扉がある。たぶんこれが地下へと続く扉なんだろう。
クレアさんは馴れた手付きで戸を開くと、其処には一面の畑が広がっている。日の光が当たるイイ立地だ。
植えられているのは小麦を中心とした作物だ。流石に日が暮れつつあったから昼間の蒼々としているだろう作物の様子は分からなかったとはいえ、暮れかけの赤い光に染まる作物というのも中々格好いい。育っている大きさから言って、そろそろ収穫時かもしれない。
「裏庭では日光が必要となる作物を育てております。ここで収穫された野菜は絶品ですよ」
「……土を舐めてみていいですか?」
「他者に広言しなければ構いません」
というわけで早速……おぉ、栄養豊か。再現は難しいけどやってみたくなるわね。これは小麦……というかパンの味も期待できるんじゃないかしら。
どれだけ広いか目測してみるけど、間違いなく私のところの畑よりはでかい。一大産業ともなるとこのくらいの規模になるんだろうか。逆に言えば質も高く量も多いだろうこの研究所の作物と同じくらい私のところの作物が評価されているともいえるわけだけど。だってあの"人喰い箱"が評価しているもの。彼女、あんな口調だけど物を見る目は確かだからね。
「……よし、待ってくれて有り難うね」
「いえいえ。では、次に地下をご案内いたします。ロメリア様、靴の布を回収しますね」
「はい、有り難うね」
見学者に対してはこうして清掃の手間を一つ減らすわけね。従業員はきっと、外履き用の靴を持っているに違いない。
ともあれ館内に戻った私は、クレアさんが地下への階段がある戸を開くのを待つのであった……。
――――――
地下へと続く階段を下りると、そこは一階よりもより無機質になった空間が広がっていた。とはいえ額縁にはスクロール撮影した研究所の写真と、その横には研究施設の説明が記された案内板が貼られているから見飽きることはない。何故これを一階に貼らないのかなぁ……間違いなく防犯上ね。ここにお招きされる、ってことは既に見せて問題ない対象と見なされてる、ってことでもあるわけか。魔王の娘特権なのかしら。それとも私の人徳?前者の方が大きそうね。
「このフロアは作物同士を混ぜ合わせて、より良質な作物を作るための交配実験フロアとなっております」
「害虫に強くするために害虫に強い種の花粉を雌蘂にくっつけたりするアレね」
「ご存知でしたか。流石はベンジャミンブランドの創始者」
「あぁ、外でそう呼ばれているんだ、私の野菜」
そりゃベンジャミンサバト全面協力で推進して、なおかつ私の名前は極力出すな、となったらそうなるわよね。彼女のサバトもまたベルフラウ様系列だもの。これで信者は増えていくわね……。
で、ガラスを思わせる壁から見える室内は、私が見たことがない植物達が目白押し。その色や形を、研究服を着たゾンビと人間、いや、インキュバスか、のペアがメモしているらしい。あ、奥の方の扉からグールが出てきて何か呼んでいるみたい。
「先程までいらっしゃったサフィ=S=ドゥライア様から、お菓子と共に頂いた独自研究データを解読したようです。サフィ様は私達の研究の外部協力者で、土壌改善や品質向上のための交配などの知識を私達に提供していただいております」
へ〜、多少サフィが絡んでいるんだ。遺伝とか、そうした要素はサフィが強いから、知識伝達はしてそうだ。そしてその返礼に芋を手に入れたり……うん、やりかねない。間違いない。あぁ、商売ってそういう事。
「こちらにある作物を用いたデザートは後程食堂にてお出しします。楽しみにしていて下さいね」
「はい!」
いや〜、にしても期待値大きいわね、トマトの下にはポテトが埋まっていたりとかそんな奇っ怪なものもあるとはいえ、殆どは思わず手に取ってしまいそうな形の綺麗なものが揃っていたりする。香りや味は確かめようがないけれど、本能がたらりと涎を垂らすのよ。これはいける、と。
「では、次のフロアを御案内いたしますね。次のフロアは茸の栽培所です。少し薄暗いので、足許にはお気をつけて」
了解、と一声、私はそのまま地下への階段を下りていった。
――――――
野菜嫌いの妹のが特に嫌っていたのが、魔界の茸系統だった。普通の茸も苦手だけれど、魔界の様々な毒を分解することで発生したそれが、お母様の力によって効果を変えられた"茸独自の効果"が生み出す味が、どうしてもえぐみとして感じてしまうという。好きなのはオトコダケだけとも公言しそうだったからね。
で、そんな昔の妹が見たら卒倒しそうな光景が目の前に広がっている。人工的に作られた木やそのチップ、或いは植物に根ざすように、色々な種類の茸、茸、茸。旧時代のマタンゴが混ざっていても違和感がないくらい多種多様の茸がわらわらわらと生命力を主張している。
中には毒キノコと言われる部類のものもある……但し、人間にとっての、ね。魔物にとってはその毒は活力というか勢力になるというか……あ、あんなにおっきなネバリダケは初めて見るわね。
「このフロアではご覧の通り、キノコの栽培及び交配実験を行っております。交配は茸同士だけじゃなく、肥料に魔界植物を混ぜてみたりといった実験的な行為もしております」
例えば、とクレアさんが取り出したものは、一冊のファイルだった。かなり付箋の数が多い。その中から一つを摘んで開くと、そこには私が見たこともない茸があった。何だろう、まるでキャベツの中心からタケリダケが生えているような形をしているんだけど。というかこのキャベツのような何かって……まといの野菜?
「タケリダケの効果だと、ズボンを勢い余って破り捨ててしまう方が多いとの声を受けて、まといの野菜を使った土壌にタケリダケを生やしてみたら、二万本に一本ほどの確率でこの変異種が生えてきたのですよ。
サフィ様によるとこれは男性が食べると、文字通りの裸のおつき合いがしたくなるそうです。その際、まず犯すことよりも脱ぐことを優先するようになってしまうとのこと」
「で、脱ぎ終わったら、ため込んだ性欲を一気にぶつけるようになると?」
頷き一回。人工育成じゃないとまず出ない品種よね。普通なら裸のお突き愛でなくても、ズボンをずらすだけでいいから……あ、サンドウォームは別か。
「流石に反動の大きさがあるという結果が旦那様の調査で分かりましたのと、希少品種なので表に出ることはまだ御座いません。養殖も出来ませんでしたし……」
「どう調査した……いえ、気にしない事にするわ」
全ての活動の裏には幾つかの失敗があって成り立っている。真理よね。ともあれ、かなり興味深いものも見れた。流石に倉庫を見るわけにもいかないし、この辺りで終了かしら。
と、クレアさんは首から吊した懐中時計を眺め始めた。私も自分のそれを眺めてみると……おお、もう外は夜か。ということはそろそろかしらね。
彼女は頷き、そして私に微笑んだ。
「以上で、当研究所の案内は終了となります。それでは、ルナ様がお待ちしております食堂へと御案内致しますね♪」
――――――
地下から一階へのドアを開けると、いきなりコウモリが、注文を取りに来た。メニューを手にとって確認すると。
「……何これ」
『恐怖の戦場※ミルクシェーキです』っていうのがメニューにあるんだけど。アレか、ここの研究員が戦闘服を着て馬鹿でかいホースから放たれるそれを辺り構わずまき散らす気か。どこの踊り場ですか。
「こら、それはいつぞやのドッキリ用偽メニューでしょ!ちゃんとしたメニューを持ってきなさい!」
「(ドッキリて、何をやってんのよこの研究所……)」
クレアさんに叱られてコウモリは亜高速で飛び去ると、今度はちゃんとしたメニュー……というかメモ書きを持ってきたらしい。クレアさんが感謝の言葉をコウモリに伝えると、器用に一礼して飛び去っていった。……普段何処に掴まっているのかしら。そんな柱らしき物はなかったんだけど。
「えー、こほん。お見苦しいところをお見せいたしました。誠に申し訳御座いません」
「気にしてないわよ。それよりも、正しいメニューを見せていただけませんか?」
「畏まりました」
手渡されたメニュー……というよりやっぱりメモ用紙にしか見えないそれを眺めると、そこには三種類の料理の名前が書かれていた。
『ポテトパイ―ジョルノ
ポテトパイ―ノッテ
ポテトパイ―アルバ
――他、紅茶、陶酔の果実酒、ブランデー、ペリエなどを用意しております』
「……ポテトパイ尽くしね」
三種類もあるのか。流石に全部食べきれるかしら。そしてどんな違いがあるのか……それはシェフが話してくれることでしょう。
「はい、今年も豊作でしたから、芋の魅力を引き立てる料理として当研究所で選ばせていただきました!」
今年"も"か。なら芋焼酎が安定して出回るのも頷けるわね。何も畑はあの裏庭だけじゃないでしょうし。
「へぇ……それは期待大ね」
その結果がポテトパイとは。どれだけ美味しいポテトパイなのかしら。そのポテトパイを口に含んだらどんな気持ちになるのでしょう……幸せでありますように。
ホールから右に曲がって、食堂のドアの前に着くと、クレアさんが何か耳をピクピクさせていた。よく見ると彼女、口を幽かに動かしている。そう言えばワーバットのメイドはもう一人いるんだっけか。二人は超音波か何かで話しているのかな?
「……ロメリア様、準備は完了しているようです。どうぞお入り下さいませ」
あぁ、部屋の様子を確認していたのね。で、もう既に所長もスタンバイしていらっしゃると。しかもクレアさんドア開いているし。
ならもうすることは一つ。私は失礼します、と一声、食堂におもむろに足を踏み入れたのだった。
「――改めまして、ロメリア様。ようこそ、我が『オルト=ブラントーム研究所』へ」
――ドワーフの職工が常人じゃ気が狂いそうな程に神経を使って、内側も含めて丹念に磨き上げたフルートが、然るべき人の手に渡り奏でられたかのよう。柔和で、風が通るようで、それでいて確固とした芯のある声。そこには目上の立場に相対する際に用いられる礼節と、それ以上の私に対する親愛の情が圧縮されているかのようだった。
とはいえ、御姉様が好きそうな堅苦しい礼服じゃなくて、どちらかと言えば他者を出迎えるに当たって必要最低限+αの、ややフランクな感じかしら。個人的には有り難い。ドレスコード無いからってこんな機動性重視のワンランク上なカジュアル服装で来た自分が恥ずかしくなるところだったわ。最悪シャバ(以下略)すればいいけどね。
あと、そんな館の主の後ろに控えている、執事服の男性……魔力の感じからして、間違いなく彼女の夫だろう。……ってことは、遺伝子について詳しい人か。誘いかけるつもりはないけど、ちょっとお話は聞いてみたいかも。
「初めまして、ルナ=ブラントーム様。ロメリアと申します。本日はこのような素敵な研究所にお招きいただき、誠に有り難う御座います」
「いえ、こちらこそ、来ていただいて誠に有り難う御座います。どうぞ、お掛け下さい」
もう一人のメイドが器用に椅子を引いたので、私は一言断って、荷物を横に置き、やや簡素な……けど良い木を使っている椅子に腰をかけた。この椅子、ドリアードの許可を得て作られた良質な椅子ね。この周辺の自然から作られたのかしら。
私が座ったのを確認して、ルナさんの夫と思しき人、いや、インキュバスが点てたばかりと思しき紅茶をカップに注いでいく。まるで外の紅葉の色を落とし込んだような澄んだ紅色の液体がカップの上で細波を打っている。……出来る。
軽く口を潤しつつ、私は改めてメニューに目を通す。……いや、これ、メニューじゃなくてこれから出す品のお品書きだわ。つまりこのポテトパイは三種類出てくると。
それを心の片隅で期待しながら待ちつつ、私はルナ氏との会話をしばし楽しむことにした。
「当研究所はいかがでしたか?」
「非常に興味深くて面白かったです。高いレベルで安定した土壌から産み出される作物は一体どれだけ美味しいことかと思いを馳せるのと同時に、『月の甘露』の美味しさも何か分かる気がしました」
「『月の甘露』……あぁ、我が研究所の睦びの野菜を使った焼酎のことですね。方々から好評を頂いております」
「好評なんてものではないですよ!大好評ですよ!私の親友に酒屋をやっているアカオニがいるんですが、大概を旨いかマズいかの二段階で分けるそのアカオニが原材料を褒めていたんですよ!『ほう、中々良い芋してるじゃねぇか』って!いやー私もその声につい二本ほど買って一人で晩酌――あ」
しまった、つい力説しちゃった。あー、ちょっとルナさん固まっちゃってるよ。どう軌道修正したものやら。……えぇいこのままで良いか。
「……おほん。あー、砕けた調子で話して良いですか?」
ちょっと唖然としながらも、ルナさん頷いてくれました。あ、彼女の夫もちょっと唖然としている。当然か。そして動じないクレアさん、流石である。
「ありがとう御座います。ということで……よろしくね」
姿勢を直しつつルナさんを見ると、あぁまだ固いわね。やっぱりリリムを前にするとそうなるのかしら。それとも貴族のたしなみ?何れにせよ、私と同じ卓に着いたからには、私に対する態度で貴族めいたものは不要!
「シプール様から耳にしておりましたが、ロメリア様」
「ロメリア」
「え?」
「砕けて良いわよ。少なくとも姉様がいない私の前でそんな畏まらなくていいわ。寧ろ宮廷料理でもないのに畏まるのが不自然よ」
「え、いやでもしかし」
「デモもストもしかしも犯しも無くてね、私はそうされるのが苦手なのよ。それにまだ次期魔王継承の可能性があるシプール御姉様は兎も角、さして実権もあったものじゃない私に今更目上の礼儀なんてねぇ」
強引に押し込んで、納得したような不服なような微妙な顔を見せるルナさんは……観念したとばかりにため息を吐いた。
「……わかったわ。本当に、シプール様から聞いてはいたとはいえ、実際に目にして話を交わすと、相当普通のリリムのイメージから外れているわね……」
「それも相当、ね。外見は流石に不思議の国の女王様には負けるけど」
たまに大量にお菓子を頼まれたりする、私の御姉様の一人にして不思議の国の支配者……という分には聞こえは良い我が儘で寂しがり屋な御姉様だ。因みにかのデルエラ姉様の一つ上だったりする。
ともあれ、私がリリムの中で相当な変わり者であることは周知の事実なのだろう。魔力で外見と魔力を誤魔化して男以外のものを摘み食いする妹が私以外にいるのなら是非とも顔を合わせたいわ。
「それにしても、そこにいらっしゃる貴方の旦那さん、ええと、お名前は」
「いいわよ」
「クドヴァン、と申します、ロメリア様」
あら、固い反応。ラフでいいのよ、と言おうとした私の言葉に、ルナさんは待ったを掛けた。
「申し訳ないがロメリア、クドヴァンにまでは強いないで頂きたい」
何故、と聞きたかったとはいえ、その真剣な面持ちに私は引かざるを得なかった。いい奥様ね。
「……失礼したわ。改めて……クドヴァンさん、貴方良い腕しているわね。ここまで美味しい紅茶は中々巡り会えないわよ。」
「勿体なきお言葉で御座います」
「誇っていいのよ、クドヴァン。貴方は魔王の娘随一の味覚を持つ彼女に認められたのだから」
そ、そこまで言われるとちょっと気恥ずかしいかしら……。リリムの中で一番の味覚の持ち主なのは自覚してるけど、こうも面と向かって言われるとそれはそれでこそばゆいわね……。
そして主君に褒められてなお態度を崩さずに業務遂行するクドヴァン氏はバトラーの鑑ね。魔王城にスカウト……無理よね。
「では、お客様の味覚に適う料理を提供させていただきますね。ロメリア様、本日のお品書きをご覧になって何か質問は御座いますか?」
私は少し考えるでもなく尋ねた。メニューの三種類のポテトパイ。何がどう違うのかしら。本当はお楽しみのつもりで待ってもいいのだけど、事前情報を頂けるなら貰っておきたいし。
「ええ、こちらに記された三種類のポテトパイ、それぞれどんな特徴があるのかしら?」
クドヴァン氏は横目でルナさんに了解を求め、彼女はそれに頷く。それを受けてクドヴァン氏もまた私に一礼をして、ざっくりと説明してくれた。内容は次のような感じだ。
『・ポテトパイ―ジョルノ
魔界いも。甘さを抑えたタイプで塩の相性がとても良い。魔界のキノコと組み合わせることも可能。じゃがいもとの交配を繰り返して創り出された、ブラントーム領の魔界いもの代表作。
・ポテトパイ―ノッテ
魔界いも。甘さを可能な限り引き出したタイプ。蒸して割ると蜜がとろけるほど糖度が高い。研究所の最新作。
・ポテトパイ―アルバ
魔界では珍しい、人間界のじゃがいも。男爵いも。ほくほくしている。マッシュルームやしめじなど、人間界のキノコと組み合わせることも可能である』
「ほへー……」
私は丁寧かつ簡潔なクドヴァン氏の説明に聞き入っていた。この説明をするのにどれだけ訓練したのかは分からないけれど、屋敷の主人――というよりは自らの妻に恥をかかすことのないよう修練を続けたのだということが見て取れた。まるでそれはアルスが私の舌を唸らせた料理を安定させるために鍋を振るっていたのと同じくらい、素晴らしいことだと感じられたわ。
で、肝心のポテトパイだけれども、こりゃ全部食べるっきゃないでしょ。いつ頼むのか?いつ食べるのか?今でしょ。個人的にはアルバがちょっと気になっている。何せ、私以外に魔界で普通の馬鈴薯を育てているところがあるとは思わなかったわけで。ちょっと食べ比べてみたくなったのだ。ノッテは多分焼酎に使われているまかいもよね。ジョルノは……兎も角、まずは食べてみるとしますか!
「オーダー、ジョルノ、ノッテ、アルバの順でお願いします」
畏まりました、とクドヴァン氏が厨房らしき所へと潜り、何か指示を飛ばしているのを見届けたところで、私はルナさんと再び会話を始めた。
「そう言えば、さっき言っていた不思議の国の女王様って、リリムなの?」
「ええ、そうよ。リリムにしてアリスっていう相当特殊な例なの。多分妹にもいないんじゃないかしら」
玩具箱をひっくり返す以前に誰がそんな玩具を考えたのって言いたくなるようなそれがそこら中に広がっている不思議な世界、それが不思議の国で、彼女はそこの支配者にして女王様であったりする。時折城に大量のお菓子の製造を依頼、と言うより命令してくるのよね、"トランプ兵"さんもお疲れ様よ。
で、私もその製造及び配送に時たま関わっているんだけど……機嫌損ねると厄介なのよねぇ、女王様は。カリスマ性は片鱗はあるとはいえ、それよりも子供っぽさが目立つというか、何というか、稚い。魔力以外は姉か疑わしいレベルで稚い。お菓子を笑顔満載で頬張る姿はとっても可愛いんだけどね。
と、そこまで話した辺りでルナさんは何か合点がいった様子で懐から何かを取り出し、私に見せてきた。これは、あぁ、不思議の国からの便箋ね。
「少し前に紫色をしたワーキャットがこれを郵便受けに入れてきたのよ。どうやら私達の睦びの野菜を貴女の御姉様はご所望らしいのだけど、支払い手段と運送方法が書いていないから……ロメリア、貴女は何処に不思議の国があるか……ってどうしたの?」
私はこめかみを押さえざるを得なかった。多分思いついたまま手紙を書いて偶々近くにいた"トランプ兵"に押し付けたんだろう。担当者、可哀想に。
手紙を受け取り中身を確認すると、果たして予想通りだった。せめて相手に送り先の時空座標とか引き取り担当者の名前とか記しなさいよ……。
仕方ないので私が教えることにしたのと、多分今現在進行形で駄々をこねている可能性が高い我が姉のために巨大で色がビビッドなロリポップ製作を決意するのだった……。
「ほへー……そんなおねえさまがいらっしゃるんですねー……」
「私もびっくりです。噂には聞いておりましたとはいえ、シプール様のような方かと考えておりましたから」
「……かの大国レスカティエの支配者デルエラ様は、今や魔界各所で見られる喫茶店トリコロミール、そのレスカティエ支店にて一日店長をやられたそうだ……」
「マジ!?え、そんなお茶目なの!?」
「私も耳にした事はあるが……ロメリア、本当なの?」
「ええ。あとシプール御姉様もあぁ見えてお茶目な点はあるわよ?詳しくは私の体に関わるから言えないけど」
「「「「「初めまして!ロメリア様!挨拶遅れまして申し訳御座いません!」」」」」
「わぁっ!びっくりしたぁっ!」
「……ここで働く研究員のみんなだ。では、改めて自己紹介しようか」
いつの間にやら、他の研究員も集まっての楽しい会話となっている。見事にアンデッドが揃い踏みである。ルナさんの話だとコックはグールらしい。アンデッド種の中では適役ね。何せ彼女らの口や舌は一級品だしねぇ。まぁ、教育されてなかったら出汁用の魔界コーチンの骨をバリバリ食べかねないんだけど。今ではその彼女も立派な魔王城コックの一人。懐かしいわね……。
「ところでロメリア様」
「はい?あと様は私に対しては」
「ロメリア様も人間界の植物を育てられているとか」
「ええ、色々育てているわよ。人参ピーマン馬鈴薯玉葱の基本セットから、南瓜だったり里芋だったり、まぁ色々ね。だから様は」
「そのコツってありますか?どうしても魔界で人間の植物を育てると魔力が入ってしまって変質してしまう物が多いのですよ」
「そうね、今回のポテトパイ――アルバも、何とか魔力を極微量に抑えることに成功した馬鈴薯を使っているのだけど、他の馬鈴薯の大半、いえ大多数は睦びの野菜に変じていたわ。まだ大量生産には至らないし、安定化も程遠い段階。でも聞く話では、ロメリアの畑では普通に馬鈴薯が育てられているとか。コツでもあるのかしら?」
「……もう呼び名はいいわ。んー、あるとすればまず土からして魔力を抜いた物を使って、空気中の魔力を抜いた空間を疑似的に作って、そこで魔力を放出せずに育てることかしら。実際私も相当苦労したわ……って、どうしたのかしら?」
何か私の言葉を聞いて皆さん頭を抱えて居るみたいだけど……。
「……ロメリア、あなたさらっと凄まじいことを言っているのよ。分かってる?」
「魔力を放出せずとか、空間から魔力を取り除くとか、どれだけ設備投資が必要になるのでしょう……」
……あー、分家だからお金がないって言っていたっけ。確かにアレをここの規模でやると資金がマッハだわ……。魔力吸収素材のアップグレードが必須だし。流石に多少効率よく出来そうとはいえ、他人の邸宅や研究に手を触れるのはなー。
「や、でも土くらいなら何とかなるんじゃない?ほら、旧時代に行われていた、ヴァンパイアが復活するときに作るアレを逆に行えば……」
「ふむ、手間は掛かるけどやる価値はありそうね。栄養は吸い取らず出来るかしら」
「出来るわよ。例えば……」
他の人がやや口ポカンしているのを後目に、私達は魔力技術の口伝を行っていた。他の従業員の皆さんは兎も角、バフォメットとサシでタイマンできる種族であるヴァンパイアである彼女なら、この"種"をうまく使えるはず。あとはそれを芽吹かせ、他の従業員が使える"花"を咲かせるだけ。期待しているわよ。土壌は問題がないんだから。
「……成る程、こんな方法があったのね」
「ま、普通は『土地の栄養価はそのままに魔力を抜こう』なんて考えないからねぇ。人間界の野菜をそのまま魔界で育てようなんて魔物しか試さないだろうし。私もいろいろ試している最中よ。もしかしたらこれよりも効率いい方法がそのうち開発されたりするかも」
ま、なにはともあれ、今後に期待ね。……と。
「お、いい香り」
そして厨房から届く芳香、これはまさしく蒸しあがり、調理された芋の香り。秋の風物詩にして、聖夜には指輪サイズの王冠を入れて王様ゲームを行うお菓子のそれの香りをこちらに届けてくる。幽かに焦げたようなその香りが、私の期待を否応なしに高める。
「どうやら第一段が完成したようね。多分あと二つもセッティングそのものは終わっているはずよ……聞こえるかしら?パイを刻む音が」
ええ、ザク、ザクと非常に気持ちの良い音が調理城から聞こえてくるわ。他の研究員の皆さんも同じように聞こえているみたい……胸が高鳴るわね。
「今までで一番良い音をしてるね」
「……うん……きっと……おいし……♪」
「まーた口火傷すっかな……食べんのは止めねーけどな♪」
「せめて冷ましてから食べましょうよ……一番乗りって毎回がっさり摘んで事故ってどうするんですか」
研究員のみんなも期待に胸を高鳴らせている。今まで、ということは何度もここでセルフ品評会のような物は行われていたんだろう。その彼女ら彼らが期待するというのだから……相当ね。
良い香りが近付いてくる。運び主はクドヴァン氏だ。中々良いギャルソンじゃないの。本当に良い夫婦よね、この二人。
皿の上に鎮座する、ほんのり湯気立つドーム型の物体……パイ生地で覆われたその中には、一体どれだけのまかいもが、そしてほかの物が詰められているのやら……。
見た感じ、形状は普通のパイだ。ドーム型に膨れた、(切れ目は入っているけど)ブラントーム領の領章が軽く刻まれたパイ生地の中に、一体どれだけのまかいもと、その他味付けのスパイスが含まれていることか……。
そしてその横には何か二種類のソースが……ソース?しかも量が均等じゃないわね。どういう事かしら。
そんな疑問を抱く私に、ギャルソン:クドヴァン氏は丁寧に一礼した。
「お待たせいたしました。ポテトパイ:ジョルノです。味を変える際には、ナーラ様はこちらの、他の皆さんはこちらのソースをお使い下さい」
こちらの、と渡されたのは、量が少ない方だった。香りから推測するに魔界牛の肉汁と魔界茸を使ったグレービーソースね。で……研究員サイドもそれは同じなのだけど、確実に違う物がある。魔界茸の内実ね。
私のに使われているのは……うん、やっぱりそうだ。"あるもの"だけ入れられていない。まぁ仕方ないけどね。味は恐らく彼女たちが味わう物に比べて数段は落ちているはず。とはいえ……入れてあったら私が食べられる筈もない。
「食後に、シェフに有り難う、って伝えたいのだけど、いいかしら?」
「ええ、構わないわよ」
クドヴァン氏の目配せに、ルナさんは優しく頷いた。こういう細かい気遣いが料理には必要なのよね。さもないと宗教上の理由やアレルギーが原因でどえらいことになるのは目に見えているわ。
クドヴァン氏が手慣れた動きで、八等分に切り分けられたパイをそれぞれの皿に乗せていく。クドヴァン氏の言葉から察するに、このパイは主食用なのだろう。断面にみっちり詰まった蒸かされたまかいもが、無骨ながらそれを主張している。当然バターも練り込まれているのだろう、朴訥とした自然の香りが漂ってくる。
私はその料理を前に、ルナさんに目配せをした。厳格に決められているかどうかは兎も角、食前の礼節はどの場所にもそれとなくあるものだ。今まで私一人の時はジパング式ので済ませていたけど、今回は招かれている身で、しかも招いた主が目の前にいるのだ。相手の流儀に付き合うのが道理でしょう。
彼女もそれを分かっているようで、クドヴァン氏が最後に席に着くのを確認すると、では、と一言、息を深く吸った。
「――我らに日々の糧を授け賜う精霊達に、心からの感謝を」
「「感謝を」」
祈る対象は、ここでは精霊らしい。農業をやっているならば納得の対象よね。主神に祈るわけじゃなし、堕落神に願うわけじゃなし。堕落神に願ったら堕落の果実ばかりになりそうなものだけどね。
そんな思索は兎も角として、私もその流儀に合わせて五精霊に祈る。ダークマターに祈る必要性は、魔界の茸があるからね。豊穣の魔力に対する感謝は、当然行うわ。
そのまま、フォークで固定しつつナイフでパイを一口サイズに切っていく。さくりとした音がした後にナイフ越しに伝わる感触は、滑らかな、よく蒸され粒を細かくされた芋のそれ。皿に当てないようにすい、とナイフを軽く引き、そのまま音を立てないように置く。そして、フォークの先端に刺さったそれを、私はゆっくりと口元に運んでいく。
顔に近付けると、この芋の持つ特徴的な香りがバターの香りと共に伝わってくる。使用しているのはホルスバターのようだ。割と万能とはいえ、芋を生かすこの料理でホルスバターとは……どんな味なのかしら。
あれこれ案ずるよりも……まずは一口。
――サクッ
「――!!」
これは凄い。舌先で芋を押した瞬間に、その熱でバターが溶けて芋とさらに混ざっていく!ごてごてしがちな芋の触感が、ミルクと一緒に口にしたようなすっごい滑らかな感触になってる!
それを包むパイも堅すぎず柔らかすぎず、適度な脆さで小気味良い音を奏でるし、散らしてあるアーモンドチップの香ばしさがたまらない!
何より……甘みを抑えた塩味というお勧め文通りのまかいもの味!その塩味が口の中でふわりあっさり広がっていく!
こ、これは麦酒が欲しくなるわ……いやいやまてまて、ここの流儀的にはワインかしら?というよりそもそもそれ以前にまだこのグレービーソース使ってはいないわ!
二口目……三口目……うん、幽かに香る甘いバターが塩っぱいまかいもの風味を引き立てている!アーモンドだけじゃなくてクルミのフレーバーも加わって……これはいい味……うん、美味しいわ!
「……(ごくり)」
このままでも美味しいそれに、濃厚な魔界牛の出汁を用いたグレービーソースを使ったらどうなるのかしら……どうなるのかしら!逸る心を抑えながら、私はそっと灰色のソースをかけていく。パイのパリパリ感は減るけれど、まぁ多少は仕方ないわね。
そのままパイを切り分け、口に運ぶ……ポテトに、ソースが染みてきているのが分かる。それを、何かに誘われるように口に運び、歯で噛み切り、舌に乗せた。
――!!!!!!!!
「……(ごくん)……ルナさん」
「どうしたの?まさか口に――」
「――赤ワインを、ボトルで頂けるかしら」
クドヴァン氏によるデキャンタを受けた赤ワイン、それを口に含みつつ、わたしはさっきのソースが掛かったパイの味を反芻する。
旨味という名の液体が、舌の熱を受けて気化して一気に膨張し、爆発的に全身を巡る。間違いなくこの風格はおかずにして主食。
元々魔界茸との相性が高い塩気のまかいもであるこれは、グレービーソースが含む旨味をギュッと濃縮し引き立てる。先ほどまでのバターの旨味とは全然違う、まるで肉を頬張っているかのような満足感――!
これは小さなパイでない限りポテトに直に練り込んじゃいけない代物だわ……。肉を食べる満足感を味わえるとはいえ、間違いなくこのパイの大きさだと途中でフォークが止まるもの、満たされすぎて。甘さと、旨味。そして高カロリー。これは自信作と言ってもいい代物よ……。
それにしても……このまかいも、万能ね。塩味を生かせばメインもサブも思いのままの名優じゃない!評判になるのも頷けるわ……と、あ。
「……あら、いつの間に」
気付いたら食べ終わっていたわね。美味しさのあまり自然とフォークが動いていたわ。ついでに口も。赤ワインの渋みすらも料理を引き立てていたもの。
周りを見回すと……研究員の皆さんもまかあらポーク(魔殿高原粗挽きポーク)のCMの子供達のようにほっぺたを押さえて美味しさを表現している。確かに美味しいものねぇ。まかいも自体の食感が不自然にならないように丁寧に処理されていることも含めて、中々良い腕を持った料理人よね。グールっていうくらいだから、もしかしたら昔の名料理人が復活したのかしら?と思えるくらい。
「如何かしら?」
ルナさんの問いに、私はにんまりと頷いた。
「これはお見事ね。主食にもメインディッシュにも添え物にも、それにもしかしたらデザートにも使える代物だと思うわ。品評会トップ受賞経験あるかしら?これ」
「まだ無いわね。次は第何回だったかしら?」
「第72回ね。甘味ばかりが芋の良さではないし、出してみたらどうかしら。何なら推薦状くらいなら書くわよ」
「そうね、お願いするわ……と、ナーラ……」
お、ちょっと視線が険しくなったわね。いや、険しくというよりは、挑戦的……かしら。
「何かしら?」
私の返答に、ルナはじっと私を見据えて、声を潜めつつ口を開いた。
「貴女、さっき言ったわよね。ポテトパイ=ジョルノを食べて、この睦びの野菜が、デザートにも使える、って。
確かにそれには一理ある。あるけどね――次のポテトパイ=ノッテを食べても、同じ事が思えるかしらね……ふふ♪」
「ほ、ほう……それは期待高いわね」
まさか彼女がこんな笑みを浮かべるとは思っていなかったわ。ちょっと引いたけど……それだけ期待深いわけで。さっきから新しい、シナモンにナツメグのスパイスが心地いい香りが辺りに広がっていく。というより、ザクリという音が無かったって事は、ここで切るって事?へぇ……。
外観はさっきのパイと変わらない。けど、何となく底が厚い気がする。それによって嵩上げされているそれは……パイと言うよりタルトかな?
「ナーラ、よく見ておきなさい。これが、"貴女の求めてきたまかいもを用いたパイ"よ。
さぁ、クドヴァン、切り分けよろしくね。ただし最初は、ナーラさんに断面を見せるようにお願いするわ」
そう、ルナさんは席を立ち、クドヴァン氏に場所をゆずる。クドヴァン氏はその言葉に頷くと、そのまま剣……いや、包丁をゆっくりと降ろし……ざくり、と音を立てて、パイを両断した。
――その時、私の全身に電流が走る……ッ!
え、うそ、断面から、あきらかにとろり、どろりって蜜が、蜜が溢れていく!?何!?これ芋よね!?林檎ですら蜜がトロリと溢れることは稀なのに!?
しかも、この蜜……とっても甘い香り。まるで熟したアルラウネの分泌する愛蜜のよう……。
「理解したかしら?食べたら、さらに凄いわよ」
えぇ、現状で何故妙に底が厚いのかは理解できたわ。普通ならこの時点で蜜でふやけかねないからなのね。
ざく、ざく。綺麗に六等分していくワザマエなクドヴァン氏。しっかりとろり融けた蜜をパイに掛けるという紳士を弁えた行動をさりげなく行っている辺り、御姉様の教育には感謝以外の何物でもないわね。
食べたら凄い、その言葉に私は期待しか覚えないわ。でも表面は冷静に……タルト生地部分を微かに残しつつ、ゆっくりと折る。このまま口に運んで……あぁ、香りからして、甘味料を使わない上品な甘さが分かる……。
心の唾を三回くらい呑み込んだところで……私はフォークを口に運び――甘美な香りをこれでもかと放つそれを、口に含んだ。
「――♪」
これは、改めなきゃならないわね。確かに、この芋がある限り、ジョルノはデザートには使えないわ。
サクサク感とウェット感の丁度美味しいところをとったようなそれは、生地に含まれる香辛料のフレーバーもあって程良く香ばしい。生地を切り取って砂糖をまぶして揚げるのも、お腹の具合を考えなければ非常に美味しいかもしれない。
下のタルト生地も、入念にバターが練り込まれ、ナッツやアーモンドのクランチが塩味を、微かに含ませたオレンジピールがほのかな酸味を含ませてくるなど、只の甘いクッキー生地で終わらない工夫が施されているのがいい感じだ。
でも、本題はそれらじゃない。何より語らなければいけないのは……そう、まかいも=ノッテの含む甘みだ。蜜が滴るところから予想はしていたけど……メロウとマーチヘアの猥談並に甘いわ!フードプロセッサーにかけてバラバラに引き裂いてから鍋で煮詰めたらハニーペーストなんか目じゃないくらい栄養豊富な離乳食になるんじゃないかしら。
ぬっとりと絡み付き、さっと引く。どこか献身的で、でも体には心には記憶にはしっかり刻み込む甘味……もしかしてと思って紅茶を一口呑むと。
「――あふぅ……♪」
紅茶の渋みによって、芋の甘みがさらに増す!これ浸して食べるなんてはしたないこともしてしまいそうよ!紅茶に砂糖を入れずとも芋の甘みでマッドハッターも太鼓判を押す甘口紅茶が出来上がってしまいそう……。
あー、間違いない。これはあのハートの女王様が畑ごと買い取って作らせかねない代物だわー。これで未完成だっていうのが驚きなくらいよ。今後の目標は安定化かしらね?
ともあれ……お菓子として上出来なくらい美味しかった。これで残すところは後一つ。ポテトパイ=アルバ。
曰く、私と同じ魔力抜き馬鈴薯で作ったパイ。どれだけ魔力が抜けているかとか、どんな味をしているかとか、ちょっと分析的に見ちゃうかしら。
「最後はポテトパイ=アルバ。人間界の馬鈴薯を、私達が育てて作ったパイよ」
「さっきの話のアレね」
「ええ。育成は極力魔力は入らないようにしてみたわ。魔力が入ると睦びの野菜になってしまうから」
「あ〜それ分かるわー。最初の方ってどうしても変わっちゃうわよねー」
畑を作る段階で、試しに魔界の土に数個の種芋を植えたら、一日も経たないうちに全部まかいもになっちゃった事もあったっけ……お味はちょっぴり甘くてほろ苦かったわ。まるでコーヒーかチョコレートだった。無論ビターな方のね。あれで土から変えていく必要性を痛感したわけよ。
「で、その場合ってどっちに変わったの?ジョルノ?ノッテ?」
「そのどちらでもないわ。新種として育てているわ」
まさかの新種登場である。
「はい、ちょっぴりピリ辛なお味でした。フライにすればいいおつまみになるかと」
しかもこれはパイには使いづらい味……。ざく切りにしてステーキと一緒に食べる?あ、良いかもしれない……にしても。
「……ほんっっと、まかいもって安定させるのが大変よね……」
こうも魔力によって味も形も変化する作物って、安定供給が本当に難しいのよね。さながら仕込み下手な料理人が経営する店の名物、みたいな物かしら。失礼な喩えかもしれないし、それもそれで味があるけどね。学生御用達の喫茶店で出てくる名物カレーがそんな感じだったわー……と。
「――来たわね」
三度登場、ブラントームの領章。今回のパイは……ほんのり塩味ってところかしら。兎に角芋を全面に出すみたいね。そしてジョルノと同じようにソースが登場。ジョルノとはちょっと毛色が違うみたいね……あ、分かったこれ全部人間世界の作物だ。
「魔界の作物の方が味がいいとか言っている魔物もいるわ。でも私はそうは思わない。人間界の作物だって、まだまだ捨てたものではないし、安易に魔力に浸すべきではないと思うの。その現段階での答えが、これよ」
現段階での、という辺り、まだまだ目指す先はあるらしい。同じ事を考えているのが私としては嬉しいわね。そう、魔界作物と人間界作物の味は簡単に比べられる物じゃないのよ。
丁寧に切られたそれを、私はさらに小さく切り、フォークに固定する。さくり、と軽やかな音と共に――ごろんとした芋の感触が伝わってきた。目が粗い。これは狙ったのかしら。断面から香り立つ、素朴なバターの香りが私の鼻腔を擽る。期待に胸が高鳴るままに、私はそれを一気に口に運んだ。
「――♪」
――すっっごいホクホクしてるよ!ジョルノとは違って、明らかに粗めに処理されたアルバは、漉すことによって忘れ去られる芋の感触をこれでもかとパイの殻越しに伝えてくる!この感触は紛う事なきバロン様、北の大地で根を張り育った力強い芋よ!
芋、そう芋なの。主食としても、メインディッシュとしても、サラダとしても使われる栄養食、その芋らしさをあえて素朴さを出すことによって伝えてくる……凄いわね、ここの料理人。
芋そのものの味も、柔らかくて、甘くて、ちょっと粉っぽい感触は無塩バターによって程良く和らいで……。
さぁて、ソースを掛けて口にしてみましょう……ぱくり。
――瞬間、私の瞼の裏に不思議な風景が浮かぶ。
畑仕事を終えた人間の少女と父親が、笑顔で家に戻る。時は既に黄昏で、ランタンがないと周りが見えないほど。
家の中は外よりはマシとはいえ、所々に影が目立つ。そこまで金がある家ではないのかもしれない。
土が体に付いた彼らを出迎えるのは、暖かな笑顔を浮かべる母親。そこには確かな親子の繋がりと、暖かみが見えた。
そして、彼女の手に持つ物を娘が目にすると、娘は喜び跳ねる。父親は呆れつつも、腹の音でも鳴ったのか、頭を掻くのだった、
その、手にする物こそ――。
「――これが、家族の営みなのかしらね……」
ほんの少しの牛肉に、占地やマッシュルームなどの茸。それらが織りなす素朴なソースは、柔らかな暖かみを以てポテトの味に新たな衣を着せていく。アルバはそれを支え、体の中へと大きく広げていく。子供のやんちゃを受け止める親のようだ。家族って、家族を思わせる味って、良いわねぇ……。
……と、感心していたとき、私は、私の舌が少しひりひりしているのを感じた。周りを見ると……あ、みんな同じ顔している。ルナさんも含めてだ。これはもやしがあるわね……。
「――ご免なさい、どうやらアルバの中に、さっき言った別の芋に変異したものが混ざっていたみたい……」
あぁ、やっぱり。件の辛い芋が混ざってたのか……どうやらこの家族は、親も悪戯好きらしい……。
ポテトパイを三つも口にした私のお腹は、既に満たされていた。口をワインで軽く洗い、他の人が食べ終わるのを待った後で……相手の流儀でごちそうさまを告げたのだった。
――――――
「本当にありがとうね、ロメリア」
「いえいえ。これくらいならお安いご用よ」
折角招かれてお食事を頂いたのに、何もしないのも嫌だった私は、不思議の国に向けてのお菓子製作を手伝い、ついでに不思議の国に運ぶことも請け負うことにした。まぁ次回からはちゃんと此処にゲートを繋いでトランプ兵の皆さんが運搬することでしょう。
「未完成っていうのが嘘だと思えるくらい素晴らしいお菓子だったわ。多分また催促が来るでしょうね」
つーか間違いなく催促する。必ずする。それはコーラドーの名物炭酸飲料を飲んだらげっぷが出てしまうくらい確実ね。
「その時は、流通量を考えつつ販売するわね」
「手加減してくれるかは分からないけどね……あの御嬢様だし」
「その時はその時で、どうにかしてみるわ。もしかしたらロメリアの手を借りることになるかも知れないけれど」
「菓子作り及び材料提供ならまっかせてー♪」
とまぁそんなお話を二人で交わしながら、少しずつ運び込む用のまかいもとお菓子を入れていく。多分向こうでは今か今かと芋を待つむくれた顔をした御姉様が待っていることでしょうし。……っと、これくらいで良いかしら。
「ええ、その時は期待しているわね♪」
笑顔で見送るルナさんに手を振りながら、私はゲートを開き――一度荷物を整理するために我が自室に戻ることにしたのだった。
「……さぁて、もう一踏ん張りしていきますか!」
fin.
14/01/12 10:35更新 / 初ヶ瀬マキナ
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