『'板返し'にて伝統のお好み焼きを食す』
昼と黄昏の合間のような橙の光の下、割と使い均され、反発が少なくなった畳に、私は尻を降ろしていた。足は目の前にある木製の長方形テーブルの下に開いた堀のような空間に入れている。
テーブルの中央には断熱効果と衝撃吸収を兼ねた、スライム族の成分を元に作られた物質を境界に、無骨であるが故に完成されている鉄の板が視界の空気を幽かに歪ませている。
そして、私の手元には、霜の張った中ジョッキに、並々と注がれた泡立つビール……うん、液体と泡は、七対三だ。店主、よく分かっている。
「……」
私は横を見る。私と同じようにビールを注がれたジョッキがあり、それを持とうとする、色とりどりの羽が見られる。その持ち主の視線は……全て私……ではなく、その横にいる、一人のブラックハーピーに向けられていた。他の色とりどりの羽の何れよりも黒く、そして艶やかな毛並みを持つ彼女は――その羽に隠した三本爪でジョッキを握り、高く掲げた。
「――では、只今よりオフ会を開始します!皆さん、乾杯!」
「「「かんぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!」」」
「〜〜〜っっっ!!」
で、でかっ、叫び声でかっ!迫力ありすぎ!だからこの店貸し切ったのか!そりゃこれは他のお客が居たら迷惑かかるわね……あぁ、耳がジンジンするお……。
とはいえ、宴は始まった。私もまた彼女達――『黒羽同盟』の宴席で、まだ冷えているビールの入ったジョッキを、ぐいっと傾けたのだった……。
――――――
『黒羽同盟』。
この名前を聞いたときの反応は大きく四種類に分かれる。まず一つは『何それ』。まぁこれは知らないだけだからいいんだけどね。二つは『胡散臭い集団』。これもあながち間違っていないのが泣ける。三つは『明らかな敵』という認識。……それはまず思う側に問題があるのが大半だ。最後に『自らの正義感に従う謎の戦士の集団』。……これに関しては半分は違うと思う。彼女らは戦士なんかじゃない。それは間違いなく言える。彼女達を称するなら……そうね、諜報員かしら。
ブラックハーピーの持つ井戸端種族情報網と、カラステングの持つ閻魔帳という名の公式情報網、さらにセイレーンのファンたれ込み情報だけでも十分なところに、ハーピーの聞く商人の動向に、コカトリスの地上からの土地勘(他のハーピー族は基本上空からの俯瞰図なのよね)を合わせれば……大体どんな物も追跡可能という恐ろしさよ。
『平凡な恋愛をし、結婚したごく普通の男性カールとごく普通なハーピー族エイミー。でも一つ違う事があるとするならば……なんと、エイミーは諜報員だったのです!』
がリアルで成立しているのよ。しかも下手をしたら魔王軍の一部の情報処理班よりも情報握っているんじゃないかしら?それでいて人数不透明ってどれだけゲリラ的なのよ。このオフ会だって全員じゃないのよ?全く、どこのだらだら過ごす集団なのよ……。まぁ、だからこそ色々なお店の情報が集まってくるから、私としては嬉しいんだけどね。
で、何で私がそんな集まりの中に混ざっているかというと……。
――回想――
「オフ会開くから、『同盟』の娘をさ、ジパングにまで送って欲しいんだけど」
「何人くらい?」
「ざっと十強か、限界で二十くらいかしら。先着二十名の参加表明が現在十二人、迷っているのが五人ほどだからね」
「場所は?座標設定は早めにやりたいんだけど」
「お好み焼きと飲み屋の"板返し"。細かい住所はジパングの神有國の……追って連絡するわ。細かい座標が必要だろうし」
「料金はどれだけ?」
「?それは送迎主の貴女が決めるんじゃないの?」
「運賃じゃなくて、店の料理の値段よ。送迎主である私としては、是非とも料理を味わいたくてねぇ……ふふ♪」
「んー……ジパングも共通通貨じゃないから合っているかは未知数だけど……一枚につき魔王銅貨四枚〜八枚くらいじゃないかしら」
「あらお手頃ね。ねぇ、私も参加していい?」
「……メンバーを送り返して貰いたいから、お酒の量は控えてもらうけど構わないかしら?」
「良いわよ。アルハラはそれとなく避けるわ」
「了解。じゃあ参加者一名プラスで予約を進めるわ」
――回想終了――
……ってことがあったのよねぇ……。そりゃ食事所と聞けば私が行かないはずがないわけでして。異文化交流異文化交流。
「……でさー、〇〇の町の☆☆なんだけどさー」
「あぁ、あの噂なんだけど、どうやら彼女を快く思わない■■が……」
私が異文化交流を待ち望む中、黒羽同盟の面々は既に挨拶を終え、交流に勤しんでいる。扱う情報は、いつもの事ながら一体どこから仕入れてきたのよ。さっきから挙げている名前ってどこぞの国の大臣レベルの重鎮じゃない。
「……あぁ、この画像なら▼▼領の英雄像前から東7.65キロに北5.73キロ地点にある、☆☆氏所有の別荘を背に近くのテニスコートを眺めた状態で撮られたものですね。建造物の配置がまんまそれです、はい」
「そっかー、やっぱり☆☆氏が絡んでたかー」
あっちはあっちでスクロール見せて何やってるのよ。住所確定?といいますか彼女らの今回のターゲットは☆☆とやらか……お気の毒に。
その間にもビールは進んでいく。本来なら日本酒か焼酎がこうしたジパングでの定番のお酒らしいけれど、この店ではそれよりもビールを推しているみたい。まぁ、酔いつぶれる可能性が低いからかもしれないけど。
……え?時代背景的にビールはおかしい?いやいや。サバトとアカオニがタッグを組めばどんな酒でも創れるのよねぇ。『麦を酒にしてくれ!』の一声に応えるサバト……何なのかしら一体。
というかこうも恐らく機密規模の情報をきゃいのきゃいの騒いで大丈夫なのかしら、とビールをちびちびやっていたら横から耳打ちするカラステングが一人。確かこの娘――八重山日穂(ヤエヤマニチホ)――はワッカだったっけ。まだ顔も赤くなってないし。
「何か心配事でも?」
「そりゃこれだけ出所が怪しい、触れたらヤバい情報が四方八方でとぼけた顔してババンバンと飛び出てゐりゃ心配の七や四九は覚えるわよ。反魔物勢の情報とか下手に伝わったら通報者への賞金と共に羽をもがれかねないわよ?いくら貸し切りにしてると言ったって……」
私の心配に、大丈夫だ、問題ないと言わんばかりに胸をとん、と打つニチホ。私の心配に、堂々と――それはもう黒猫だったら石を投げられかねないほど堂々と返してきた。
「大丈夫、そもそも防音結界は近所迷惑にならないよう何重にも掛かってるし、ここの店主は黒羽同盟開設の切っ掛けとなった人で、実際不正に関しては裏取りにいつも共闘しているのよ?店員も全員、私達の事情を知ってそれでも勤めている人だからね」
――成る程、裏も表も知っている、と。やっていることが完全に必殺仕事人じゃない。故に今更ばらさない、と。
「でもクルーが暴走したときは?」
それが危険だ。何しろ義憤や正義感は時として、いや、大概が自滅への道に繋がる。向こう見ずな行動の原動力となりかねないそれは、組織すら巻き込んで壊したりしかねない。その辺り人間も魔物も何ら変わらないから。
「まぁ勇む娘はいるから、そういったときに収めたりするのもこの場所なのよ。見てみて……」
そう彼女が羽さした先……そこには論議がヒートしつつあるハーピーと若いカラステングに、完成した……キャベツを刻んだものを溶いた小麦や卵黄と混ぜ合わせて二センチ弱の厚みのある円柱状にして両面焼いて、カリッカリになるまで焼いた豚バラを乗せたものにソースと鰹節を削ったものと、あと……あの青緑の細かいものは何かしら……?を散らしたモノを運ぶ店員の姿が。……アレがお好み焼きなのね。
で、フォークの先端が真っ平らな一枚の板になったような、フライ返しのような道具(……後で聞いたところ、ヘラ、と言うらしい。語源は分からないみたいだけど)を使って、店員がそれを切り分けていく。その中には、話に聞くお好み焼きは、普通は何も入っていないはずだけど……。
「……」
あれ?若いカラステングの顔が、目に見えて青ざめている。断面に何が見えたんだ。
「あー、カリッカリの鳥皮入れられちゃったかー、やっぱガセだったみたいね」
「鳥皮?」
「ええ、"実のない"話、ってね。根無し草を掴まされちゃったらしいわね。まぁ若い娘にはよくあること」
……鳥の皮が入っていたりするのか、ここのお好み焼きは。耳に伝わる話では、生地の隠し味にほんのり鳥ガラ出汁を使うのはまだあるらしいけど、皮を食べる用として使っているところなんてここくらいじゃないのかしら。……たぶんあと口振りからして、腿や胸肉も使うんじゃなかろうでしょうか、この店。
「あぁ心配なく。ナーラさんの分はあの娘達や私達が食べるような……ありがとう……"お知らせ焼き"じゃなくて、至ってスタンダードな、信頼と伝統のお好み焼きだから寧ろ期待して欲しいわ……あぁ、まさかハツを入れるなんてね」
話しながら器用に羽で皿を受け取りつつ、中に入った"お知らせ"に視線を厳しくするニチホ。ハツ……つまり心臓、核心に踏み込んだのかしら。まぁ私には関係ない事態だし、聞きたいことは聞けたからいいか。
さて。お好み焼きはまだかしら……と、ゆっくり待とうとしたところ、既に顔を赤らめたコカトリスの娘が、私のところにどこか覚束ないように見える足取りで近付いてきた。
「どうも、失礼します♪」
足取りと反比例する言語の明瞭さ、この娘やるわね。羞恥心の塊もいいところのコカトリスが酔った勢いとはいえ私に話しかけてくるなんて。
「いや〜、本日はこんなに楽しい会に協力していただき感謝感激ですよぉ♪本当に有り難う御座います♪」
「いえいえ、どういたしまして……大丈夫?かなり顔が赤いわよ?」
テンションがプラスされたのか、さらに顔が赤くなるコカトリスに私は突っ込まざるを得なかったけど、彼女はそれすらもふぁさふぁさと羽を振って心配ないポーズを見せた。
「へーきですよぉ♪こう見えても私、テキーラ一気した状態であのナルシャタウンの迷宮"マイニョー"を単身踏破したことがあるんです!」
全く以て何が平気か分からないけれど、この子が抜群の酒の強さと地理観を持っていることは分かった。そのまま彼女はその時の苦労にもならない苦労話を始めたわけだけど、その辺りは適当に聞き流して……ようやく、話の標的が私に移ったらしく、感心するように……酔っているって嘘なんじゃないの?と思えるほどはっきりした口調で私に口を開いた。
「にしても、ナーラさんって凄いですね。この人数の移送方陣を作れるなんて。並のサキュバスだったら七人は必要ですよ?もしかして生まれつき魔力が高かったとか?」
えぇそうね、と私はただそのまま返す。そらそうよ。彼女達にも外見は偽装しているもの。偽装を外すのは自宅かデルフィニウムくらいよ?まぁここの創始者は私の種族も本名も知ってるけどね。
羨ましいなぁ、と一言、彼女は根掘り葉掘り私のことを訊こうとして――他の娘に呼ばれた。ちょっと残念そうにまた後で、と私に告げたけど、寧ろ私からしたら有り難かったりして。いらんことまで訊いてきそうだもの。若いって凄いわね。というか聞き流したけどあの娘、土地確定班のトップクラスだったのね……。
……さて、そろそろ来るかしら。大体他のハーピー種達にお好み焼きが行き渡った辺りだから、そろそろ私に来てもいいはず……そう私は店主の居るカウンターに目を向け……!?
「――わぉ」
驚いた。まさに今、私の目の前で巨大なヘラを両手に持った筋骨隆々でスキンヘッドの店員が、Mサイズピザを一回り小さくした程度の大きさのそれを、豪快にひっくり返していたのだ。下町めいた豪快スタイルに私の心は静かにサムズアップしていた。多分発情したサキュバスの娘ならイケメンマッスルの外見と好みさえマッチすれば『アタシ今体温何度あるんだろう……♪』なんてことになるでしょうさ。これは濡れても仕方ない、というかよく探知してみたら畳やクッションに全部防水加工と防腐加工がなされてるし。流石店長、分かっている。しめやかに絶頂なんてチャメシインシデントだし。魔物だもの。
ジュウジュウと油が適度に跳ねる音と共に、私の目の前でお好み焼きに焼き色が付けられていく。多分鉄板の温度をミスれば外は黒こげ、中は生焼けなんて最悪の状況になりかねない調理だ。その辺りは店員の経験と勘とがモノを言うのだろう。……まぁ自分で焼け、というところもあるみたいだから、そこまで難しくはない、のかもしれないけれど。
それにしても、ソースが焼ける香りがいい感じに鼻をくすぐるわね。その中にキャベツの甘みも入っているようで……上々。
にしてもお好み焼き……何が入っているのかしら……気になるわ。あの量だし、まず間違いなく一つだけで大概の娘は腹が膨れるはず。大きさの目測を誤ったわ……あれ間違いなくピザのMクラスはある。
それにハケでソースを塗り、さらっと……濃い緑色の何か(アオノリらしい)を振りかけ、その上に鰹節を……!
「(まさか本当に踊るなんて……)」
可愛らしい触手達よろしくお好み焼きの上で素敵なダンスを披露する鰹節達に、私の口内には涎が溢れ出した。ごくり、と飲み干しつつ、期待に満ちた目で鉄板上の巨大お好み焼きが食べやすい大きさ(それでもかなり大きめだが)にヘラで器用に切られ、そのまま皿に乗せられていくのを眺めていた。割とガタイのいい店員さん(スキンヘッズに三角巾、そしてシャツの上には『板返し』というエプロンを着けた)が皿を持ってきて……。
「へいお待ち!“山の伝統お好み焼き”一丁!」
……ん?山の?
「有難うございます。あの、すいません」
「はいなんでしょうか?」
山のって事は……もしかして。
「……“海の伝統お好み焼き”ってのもあったり?」
「ありますよ。今お出ししたお好み焼きとは作り方が違いますが」
ふむ……多分これを食べ終わっても、まだ私の腹には余裕があるでしょうから……作り方も見てみたいし、何より旅のグルメの名が廃る!
「……では、これを食べ終わった辺りに、“海の伝統お好み焼き”を一つ、お願いします」
「あい、了解!食べ終わったらまたお声がけお願いします!」
皿を置いて遠ざかっていく店員から目を離し、私は目の前に置かれた、割とラージサイズのお好み焼きに視線を移す。あらゆる具を呑みこみ、混ぜられ、形を整えられたそれは、私の目の前で確かな威圧感を放っている。丁度いいくらいの狐色の生地に、適度に付いた焼き色。目にするだけで口に含んだ瞬間にサクサクした感触がするのが分かるわ……。男性の親指かそれを大よそ一回り大きくしたぐらいの厚みを誇る生地。その中には何が入っているのかしらね……?お好み焼きの中にはワンコインで食べられて、中身がキャベツと蒟蒻と紅生姜だけという何とも女性にも懐にも優しいものがあるみたいだけど。
まぁそんなことより。私は懐からマイ箸を取り出すと、それを指に挟んだまま手を合わせた。心の中では既に涎が大洪水だ。
「……戴きます」
ホットケーキのように既にカットされたそれの断面から除く、様々な食材。伝統の重みか、箸に掛かる重量もそれなりに大きい。中身はスカスカではないらしい。これは期待できそうだ……。
私は口を開き、様々な色が幾重にも重なった和風ミルフィーユ料理を……噛み締めた。
「――」
……凄い。いや、まぁボリュームという意味でも凄いと言ってしまえば凄いのだけど、私が凄いと思ったのは、あれだけ多種多様な材料が中に入っていて、それぞれの味が私の味蕾から脳に向けて全力で自己主張しているにも拘らず、そのどれもが『お好み焼き』という枠の中で調和し、旨味を引き立てている……。多分それに大きく尽力しているのがこの濃い口のソース。多分魚から肉から野菜から果物から煮込み、濃縮させた旨味の宝庫となっているのだろう。青海苔の風味と、踊る鰹節の旨味がさらにアクセントとなっているのもポイントだわ。
その影にいるけれども、きっとこれも重要なポイントでしょう。生地のキャベツと……とろろ芋。特にとろろ芋は焼く際にカチコチになりやすい生地にふんわりとした柔らかさを与えると同時に嵩を増し、頬張る楽しみを食者に与えてくれる……。キャベツの甘みもあって、濃い口ソースのどぎつさや様々な具材の個性を調和させるのに一役買っている。
具の一つ一つの華やかさも凄いわ……。カリカリとしながらもしっかりと味わい深い肉、噛み切れる弾力が心地よくソースにもばっちり合う烏賊、さくりとした感触の中に花開く旨味は桜海老、異国情緒漂う餅と異文化交流したチーズのハルモニア、刺激的な紅生姜……あぁ、全てが本来は歪なはずなのに調和が取れているって素敵……。
「……」
ああ、分かるわ、分かる、この感じ。祭りよ。夏祭りの出店よ。往々にして混沌としたラインナップになりやすい出店の数々は、祭りという場によって調和の取れた騒がしさという「らしい」風景と化す。一つ一つは自己主張しつつ、それを許容するドデカい空間と非日常性……たまらないわ♪
あぁ……食べれば食べるほど新たな味が増えていく……これは、これはまさに――皿の上の生地!ソース!具材の!大夏祭り!だー!!!!
「……戴きました。では店主さん。“海の伝統”、お願いしますね」
「あいよ!!」
さて、“海の伝統お好み焼き”の作り方は……あれ?あんなに生地が薄いの?鉄板の上に垂らした生地をクレープみたいに広げていく……お玉であそこまで綺麗に拡げるのは凄いわね。で、具材を焼いて……結構色々焼くのね。魔界豚も一部混ざってるし……!?
――次の瞬間、私にとって衝撃的な光景がっ!?
……え!?何!?何なのあのどこぞのラーメンの亜種に盛られたもやしの如き大量のキャベツと、そこに混じる豚肉とかの様々な具材は!何が始まるの!?
皿に油がしかれる鉄板の上で……あれは、ソバ!?ソバにしては色が薄いからヤキソバかもしれない、それを解しながら拡げて、ソースと油をさらに追加して……余った生地を具材の上にかけて、暫く時間を置く……とっ、適度に焼き色の付いたソバの上にひっくり返した!何この斬新な手法!で、そのまま押さえつけることによってかけた生地が糊の役割をするのね!驚いたわ。
そしてさらに卵を割り、ヘラで黄身を崩して平らにして拡げていく!熱によって固まってきた白身の境界を曖昧にしつつ固まる黄身の、その上に――蕎麦ごと生地をドン!そしてソースを塗りたくり青海苔、鰹節を振り、そのまま切り分けていく!先程生地を押し付けたことから、あれだけどっさりと乗ったキャベツや具材は相応の厚さにまで減少している。みっしりと身体を寄せ合い、互いに絡み付いていることだろう。
先程普通の魔物ならこれ一枚でお腹一杯になるお好み焼きを食べたばかりだというのに、私の心は既に涎を垂らし始めている。下の口も危ういところだ。何か周りからレズい声が響き始めているらしいけれども気にならない。期待にホルスタウロスレベルにまで胸が膨らむ……出るのは母乳じゃなくて涎でしょうけど。
「へいお待ち!“海の伝統お好み焼き”一丁!」
「おお……」
先程食べたお好み焼きとはまた違った、具材たちの香りが私の鼻に到着する。先程よりも濃厚なのは、恐らく小麦粉との割合の問題なのかもしれない。ソースに青海苔に踊る鰹節は健在……よし。まずは一口。
私は再び両手を合わせて「いただきます」すると、お好み焼きを箸で持ち上げた。上の感触と下の感触が違うのは当然として、柔らかさの裏に固さを感じることが出来るのは先程までとは明らかに違っていると思われる。これは期待できそうだ……。
ゆっくりと箸を持ち上げて……一口。
――そのとき、私の中に電流走るッ!
「!!!!!!!!!!」
何と言う新食感!
熱せられた卵のぷりぷりした弾力と甘み!
ヤキソバの何処かジャンキーな固焼き感!
しなりつつも芯を感じることの出来るキャベツの千切り!
数多の具材の旨味!
そしてそれらを包み込み統一感を出している生地が織り成すハーモニー!
無論ソース・青海苔・鰹節は健在!
これら全てを満たすお好み焼き……まさに祭りだ祭り!って感じよ!口の中が笛太鼓響く納涼合同祭だー!!!
先程が食の屋台巡りだとすれば、こちらは間違いなく遊戯屋台巡りでしょうね!そう思えるほどに舌先より前に歯が、耳が、顎の筋肉がお好み焼きの織り成す食感の交響楽を楽しんでいる!そして舌も、甘味が程よくソースの辛味と合わさって具材を巻き込んだ全く新しい調和を生み出している!
「……この調和の感じは……もしかして……♪」
私の中に、最も私にとって近しい存在の姿が浮かぶ。魔王……そうね!ありとあらゆるものを巻き込んで調和させるとは、まるでお母様のような食べ物ね。とんだ「おふくろの味」だわ!あぁ……箸が止まらない。美味しい、美味しい。
野菜が多分に含まれていることから、美容面でも中々上々なんじゃないかしら?美味しく食べて美しくなる、そんなパターンのお好み焼きもひょっとしたら作れるかもしれない。一度試しに作ってみようかしら……そんな事を考えつつ、箸は進んでいく。そして……。
「……ふぅ」
……お腹一杯。満足。口に残るソースと卵、キャベツなどありとあらゆる具の味の余韻をかみ締めつつ……私は両手を合わせた。
美味なる食の混合ハルモニアに――感謝を。
「――御馳走様でした」
――――――
「――で、聞きたかったのはね……"ネグーム"の話よ」
オフ会の面々を大陸に送った後、私は『天網』さん――ブラックハーピーのサナ=エチカさんに訊ねたのは、あの"悪霊の地"についてだった。
歴史希に見る激しさを誇った内乱の末に、跡形もなく滅びた街、ネグーム。私はその唯一の生き残りの所在を知っている。偶々の行きつけだったけれど、オーナーである彼女の性格及び性質から鑑みればさもありなん。拾ったって言っていたし。全く……トラブルが好きよねぇ。
「あぁ、"唯一の生き残り"に懸賞金を掛けようとした一派が他に後ろ暗いこと散々やり散らかしていたってアレね」
「その節は本当に助かりました。デルフィニウムの店主の分も含めて、お礼を言わせていただきます。本当に、どうもありがとう」
純粋な正義感とは無縁の世界は教会にもある。私からしたらバッカじゃないのと思えるような非情にくだらないことに拘泥する人々がいる。彼らもそんな人種だったし、だからこそこうして彼女達のターゲットにされてしまったのだ。この一件に関しては自業自得としか言いようがないわ。
「ははは……リリム様に頭を下げられたブラックハーピーなんて私くらいだろうねぇ」
「そりゃそれだけのことをしてくれたんだもの。いくら感謝してもしきれないわ」
彼女の……いや、彼女達の働きでニカちゃんを襲う輩が一時的に消えたのだ。少なくともデルフィニウムに居る以上まず襲われ奪われる事はないだろうけど、敵となる人は少ない方がいい。将来彼女が何をするにしても、刃を向けられる対象は少ない方がいいに決まっている。
褒め言葉に笑顔を見せたサナは、そのまま相手を射殺す目をして私を見る。これは彼女の癖で、確証の取れたネタを打ち明けるときに相手に「だーとれよワレ」と圧力をかけてしまうらしい。何て物騒なんだ……でも頼れるのよ。特にこの手の、身に危険が及ぶ確率の高いネタの時は。
「……ネグームの内乱には鉱産資源が絡んでいるのは知ってるわよね。その鉱産資源を狙って反魔物領や教会、そしてサバトの一部が兵を出していることも」
「……ええ」
それは有名な話だ。新聞にもよく載っていて、一部では『邪教たるサバトによってネグームは滅ぼされた!我らは断罪の刃を以てかの邪教を放逐し、魂に安寧をもたらさなければならない!』とか騒いでいる反魔物領領主が新規に軍を設営したとかいう情報も出ている。
その辺りのことをサナはざっくり話したあと、さらに視線を強めて口にした。
「……出兵した兵士達の行方不明者数が、どうもおかしいのよ。教会発表とサバト発表が食い違うのはいつものこととはいえ、どう考えても私達の目測による実態との乖離が激しすぎる」
「……死者数の発表は?」
「そう、その死者数もおかしいのよ。最初は行方不明者を死者数に入れている可能性も考えたけれど、無論その分の水増しも少なからずあったとはいえ……明らかに圧倒的に足りないわ。大体好意的解釈の旦那がおかしいというくらい足りないのよ」
それは大事だ。サナの旦那さんはともすれば逸りがちなサナの良心的ストッパー。別の視点を提供してより真実に近付ける彼が疑問を持つって事はよっぽどの事態だと分かる。
「事態は解決している気配は皆無よね、これは……」
寧ろ泥沼化している気すらする。つかあの領の中で何が起こっているのよ。過激派の妹達すら手を出す気配がないし。彼女達なら誰もいない死者の気配漂うあの場所に魔力ぶち込んで屍者の里にしかねないとも思っているんだけど……まぁその辺りはハンスが何か手を回したのかしら?
「ええ。さらによく分からない物まで出現し始めたし」
……何ですと?
「え?どういう事?」
「黒い靄の塊らしき物が、領の中心辺り……丁度神木があった辺りに出現し始めたわけだけど……ナーラ、いえ、ロメリア様。何か旧世代の魔物で心当たり無いかしら?」
え、黒い靄、神木辺りに出現、内乱後……あぁ、思い当たるのがあったわ。本来ならば御母様の魔力でゴーストになっている代物が……うわ、最悪。
「……ものっそあるわ。悪霊(ガイスト)の集合体……神木の周りに出現しているのじゃなくて、神木によってその周辺にしか出現できないようになっているとしか」
「能力の特徴は?」
「精神に干渉して魂を喰らい、取り込んで手下か……或いは身体の一部にしてしまう、かしら」
今のゴーストがどれだけ無害になったのか分かる代物だわ、あれは……しかも一番厄介な事がある。どうやって退治するかだ。その辺り、サナも察知している模様。
「退治って、まさか全員分の心残りを解決するわけじゃないわよね?或いは全霊を滅ぼすとか……」
それだったら何処かの島に隠居しているLv9999クラスのバフォメット三十人による渾身のメギドラオン……じゃなかった、大魔法で跡形もなく消し飛ぶから楽でいいんだけど……。
「厄介な事に、悪霊の集合体ともなると核があってね。それさえ滅ぼすなり浄化するなりしてしまえば悪霊は集まる芯を無くして雲散霧消してしまうんだけど、かなり限定された相手によるかなり限定された攻撃方法じゃないとそれを壊す事はできないのよ。核自体も悪霊の中心にあるから、まずそこまで入ることが出来るかが問題になってくるわけで……」
霊は怖いのだ。積もる恨みは粘性を増す。まるで掃除されていない都会の下水の地下深くにあるヘドロのようだ。今はバブルスライム及びラージマウス達の献身的掃除によって、デビルバグやベルゼブブに邪魔されつつも清掃が行き届きつつあるみたいだけど……悪霊は清掃者がいないから……。
「厄介ね……」
「ええ、本当に厄介。だから貴方達も取り込まれないように気をつけてね。特に若い子は無茶しやすいから」
分かったわ、と一声、暫くペンの動く音と、店の中で清掃する音だけが辺りに響く。私はそれに耳を傾けながら、満天の空に一際輝く星を眺めつつ……宿にいるニカを想った。
きっと、あの悪霊を倒す鍵は、恐らくニカが握っている。となると……。
「本当に、カミサマは酷な事をするわよねぇ……」
待ち受けているだろう運命に、私はそう呟く事しか出来なかった……。
Fin.
テーブルの中央には断熱効果と衝撃吸収を兼ねた、スライム族の成分を元に作られた物質を境界に、無骨であるが故に完成されている鉄の板が視界の空気を幽かに歪ませている。
そして、私の手元には、霜の張った中ジョッキに、並々と注がれた泡立つビール……うん、液体と泡は、七対三だ。店主、よく分かっている。
「……」
私は横を見る。私と同じようにビールを注がれたジョッキがあり、それを持とうとする、色とりどりの羽が見られる。その持ち主の視線は……全て私……ではなく、その横にいる、一人のブラックハーピーに向けられていた。他の色とりどりの羽の何れよりも黒く、そして艶やかな毛並みを持つ彼女は――その羽に隠した三本爪でジョッキを握り、高く掲げた。
「――では、只今よりオフ会を開始します!皆さん、乾杯!」
「「「かんぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!」」」
「〜〜〜っっっ!!」
で、でかっ、叫び声でかっ!迫力ありすぎ!だからこの店貸し切ったのか!そりゃこれは他のお客が居たら迷惑かかるわね……あぁ、耳がジンジンするお……。
とはいえ、宴は始まった。私もまた彼女達――『黒羽同盟』の宴席で、まだ冷えているビールの入ったジョッキを、ぐいっと傾けたのだった……。
――――――
『黒羽同盟』。
この名前を聞いたときの反応は大きく四種類に分かれる。まず一つは『何それ』。まぁこれは知らないだけだからいいんだけどね。二つは『胡散臭い集団』。これもあながち間違っていないのが泣ける。三つは『明らかな敵』という認識。……それはまず思う側に問題があるのが大半だ。最後に『自らの正義感に従う謎の戦士の集団』。……これに関しては半分は違うと思う。彼女らは戦士なんかじゃない。それは間違いなく言える。彼女達を称するなら……そうね、諜報員かしら。
ブラックハーピーの持つ井戸端種族情報網と、カラステングの持つ閻魔帳という名の公式情報網、さらにセイレーンのファンたれ込み情報だけでも十分なところに、ハーピーの聞く商人の動向に、コカトリスの地上からの土地勘(他のハーピー族は基本上空からの俯瞰図なのよね)を合わせれば……大体どんな物も追跡可能という恐ろしさよ。
『平凡な恋愛をし、結婚したごく普通の男性カールとごく普通なハーピー族エイミー。でも一つ違う事があるとするならば……なんと、エイミーは諜報員だったのです!』
がリアルで成立しているのよ。しかも下手をしたら魔王軍の一部の情報処理班よりも情報握っているんじゃないかしら?それでいて人数不透明ってどれだけゲリラ的なのよ。このオフ会だって全員じゃないのよ?全く、どこのだらだら過ごす集団なのよ……。まぁ、だからこそ色々なお店の情報が集まってくるから、私としては嬉しいんだけどね。
で、何で私がそんな集まりの中に混ざっているかというと……。
――回想――
「オフ会開くから、『同盟』の娘をさ、ジパングにまで送って欲しいんだけど」
「何人くらい?」
「ざっと十強か、限界で二十くらいかしら。先着二十名の参加表明が現在十二人、迷っているのが五人ほどだからね」
「場所は?座標設定は早めにやりたいんだけど」
「お好み焼きと飲み屋の"板返し"。細かい住所はジパングの神有國の……追って連絡するわ。細かい座標が必要だろうし」
「料金はどれだけ?」
「?それは送迎主の貴女が決めるんじゃないの?」
「運賃じゃなくて、店の料理の値段よ。送迎主である私としては、是非とも料理を味わいたくてねぇ……ふふ♪」
「んー……ジパングも共通通貨じゃないから合っているかは未知数だけど……一枚につき魔王銅貨四枚〜八枚くらいじゃないかしら」
「あらお手頃ね。ねぇ、私も参加していい?」
「……メンバーを送り返して貰いたいから、お酒の量は控えてもらうけど構わないかしら?」
「良いわよ。アルハラはそれとなく避けるわ」
「了解。じゃあ参加者一名プラスで予約を進めるわ」
――回想終了――
……ってことがあったのよねぇ……。そりゃ食事所と聞けば私が行かないはずがないわけでして。異文化交流異文化交流。
「……でさー、〇〇の町の☆☆なんだけどさー」
「あぁ、あの噂なんだけど、どうやら彼女を快く思わない■■が……」
私が異文化交流を待ち望む中、黒羽同盟の面々は既に挨拶を終え、交流に勤しんでいる。扱う情報は、いつもの事ながら一体どこから仕入れてきたのよ。さっきから挙げている名前ってどこぞの国の大臣レベルの重鎮じゃない。
「……あぁ、この画像なら▼▼領の英雄像前から東7.65キロに北5.73キロ地点にある、☆☆氏所有の別荘を背に近くのテニスコートを眺めた状態で撮られたものですね。建造物の配置がまんまそれです、はい」
「そっかー、やっぱり☆☆氏が絡んでたかー」
あっちはあっちでスクロール見せて何やってるのよ。住所確定?といいますか彼女らの今回のターゲットは☆☆とやらか……お気の毒に。
その間にもビールは進んでいく。本来なら日本酒か焼酎がこうしたジパングでの定番のお酒らしいけれど、この店ではそれよりもビールを推しているみたい。まぁ、酔いつぶれる可能性が低いからかもしれないけど。
……え?時代背景的にビールはおかしい?いやいや。サバトとアカオニがタッグを組めばどんな酒でも創れるのよねぇ。『麦を酒にしてくれ!』の一声に応えるサバト……何なのかしら一体。
というかこうも恐らく機密規模の情報をきゃいのきゃいの騒いで大丈夫なのかしら、とビールをちびちびやっていたら横から耳打ちするカラステングが一人。確かこの娘――八重山日穂(ヤエヤマニチホ)――はワッカだったっけ。まだ顔も赤くなってないし。
「何か心配事でも?」
「そりゃこれだけ出所が怪しい、触れたらヤバい情報が四方八方でとぼけた顔してババンバンと飛び出てゐりゃ心配の七や四九は覚えるわよ。反魔物勢の情報とか下手に伝わったら通報者への賞金と共に羽をもがれかねないわよ?いくら貸し切りにしてると言ったって……」
私の心配に、大丈夫だ、問題ないと言わんばかりに胸をとん、と打つニチホ。私の心配に、堂々と――それはもう黒猫だったら石を投げられかねないほど堂々と返してきた。
「大丈夫、そもそも防音結界は近所迷惑にならないよう何重にも掛かってるし、ここの店主は黒羽同盟開設の切っ掛けとなった人で、実際不正に関しては裏取りにいつも共闘しているのよ?店員も全員、私達の事情を知ってそれでも勤めている人だからね」
――成る程、裏も表も知っている、と。やっていることが完全に必殺仕事人じゃない。故に今更ばらさない、と。
「でもクルーが暴走したときは?」
それが危険だ。何しろ義憤や正義感は時として、いや、大概が自滅への道に繋がる。向こう見ずな行動の原動力となりかねないそれは、組織すら巻き込んで壊したりしかねない。その辺り人間も魔物も何ら変わらないから。
「まぁ勇む娘はいるから、そういったときに収めたりするのもこの場所なのよ。見てみて……」
そう彼女が羽さした先……そこには論議がヒートしつつあるハーピーと若いカラステングに、完成した……キャベツを刻んだものを溶いた小麦や卵黄と混ぜ合わせて二センチ弱の厚みのある円柱状にして両面焼いて、カリッカリになるまで焼いた豚バラを乗せたものにソースと鰹節を削ったものと、あと……あの青緑の細かいものは何かしら……?を散らしたモノを運ぶ店員の姿が。……アレがお好み焼きなのね。
で、フォークの先端が真っ平らな一枚の板になったような、フライ返しのような道具(……後で聞いたところ、ヘラ、と言うらしい。語源は分からないみたいだけど)を使って、店員がそれを切り分けていく。その中には、話に聞くお好み焼きは、普通は何も入っていないはずだけど……。
「……」
あれ?若いカラステングの顔が、目に見えて青ざめている。断面に何が見えたんだ。
「あー、カリッカリの鳥皮入れられちゃったかー、やっぱガセだったみたいね」
「鳥皮?」
「ええ、"実のない"話、ってね。根無し草を掴まされちゃったらしいわね。まぁ若い娘にはよくあること」
……鳥の皮が入っていたりするのか、ここのお好み焼きは。耳に伝わる話では、生地の隠し味にほんのり鳥ガラ出汁を使うのはまだあるらしいけど、皮を食べる用として使っているところなんてここくらいじゃないのかしら。……たぶんあと口振りからして、腿や胸肉も使うんじゃなかろうでしょうか、この店。
「あぁ心配なく。ナーラさんの分はあの娘達や私達が食べるような……ありがとう……"お知らせ焼き"じゃなくて、至ってスタンダードな、信頼と伝統のお好み焼きだから寧ろ期待して欲しいわ……あぁ、まさかハツを入れるなんてね」
話しながら器用に羽で皿を受け取りつつ、中に入った"お知らせ"に視線を厳しくするニチホ。ハツ……つまり心臓、核心に踏み込んだのかしら。まぁ私には関係ない事態だし、聞きたいことは聞けたからいいか。
さて。お好み焼きはまだかしら……と、ゆっくり待とうとしたところ、既に顔を赤らめたコカトリスの娘が、私のところにどこか覚束ないように見える足取りで近付いてきた。
「どうも、失礼します♪」
足取りと反比例する言語の明瞭さ、この娘やるわね。羞恥心の塊もいいところのコカトリスが酔った勢いとはいえ私に話しかけてくるなんて。
「いや〜、本日はこんなに楽しい会に協力していただき感謝感激ですよぉ♪本当に有り難う御座います♪」
「いえいえ、どういたしまして……大丈夫?かなり顔が赤いわよ?」
テンションがプラスされたのか、さらに顔が赤くなるコカトリスに私は突っ込まざるを得なかったけど、彼女はそれすらもふぁさふぁさと羽を振って心配ないポーズを見せた。
「へーきですよぉ♪こう見えても私、テキーラ一気した状態であのナルシャタウンの迷宮"マイニョー"を単身踏破したことがあるんです!」
全く以て何が平気か分からないけれど、この子が抜群の酒の強さと地理観を持っていることは分かった。そのまま彼女はその時の苦労にもならない苦労話を始めたわけだけど、その辺りは適当に聞き流して……ようやく、話の標的が私に移ったらしく、感心するように……酔っているって嘘なんじゃないの?と思えるほどはっきりした口調で私に口を開いた。
「にしても、ナーラさんって凄いですね。この人数の移送方陣を作れるなんて。並のサキュバスだったら七人は必要ですよ?もしかして生まれつき魔力が高かったとか?」
えぇそうね、と私はただそのまま返す。そらそうよ。彼女達にも外見は偽装しているもの。偽装を外すのは自宅かデルフィニウムくらいよ?まぁここの創始者は私の種族も本名も知ってるけどね。
羨ましいなぁ、と一言、彼女は根掘り葉掘り私のことを訊こうとして――他の娘に呼ばれた。ちょっと残念そうにまた後で、と私に告げたけど、寧ろ私からしたら有り難かったりして。いらんことまで訊いてきそうだもの。若いって凄いわね。というか聞き流したけどあの娘、土地確定班のトップクラスだったのね……。
……さて、そろそろ来るかしら。大体他のハーピー種達にお好み焼きが行き渡った辺りだから、そろそろ私に来てもいいはず……そう私は店主の居るカウンターに目を向け……!?
「――わぉ」
驚いた。まさに今、私の目の前で巨大なヘラを両手に持った筋骨隆々でスキンヘッドの店員が、Mサイズピザを一回り小さくした程度の大きさのそれを、豪快にひっくり返していたのだ。下町めいた豪快スタイルに私の心は静かにサムズアップしていた。多分発情したサキュバスの娘ならイケメンマッスルの外見と好みさえマッチすれば『アタシ今体温何度あるんだろう……♪』なんてことになるでしょうさ。これは濡れても仕方ない、というかよく探知してみたら畳やクッションに全部防水加工と防腐加工がなされてるし。流石店長、分かっている。しめやかに絶頂なんてチャメシインシデントだし。魔物だもの。
ジュウジュウと油が適度に跳ねる音と共に、私の目の前でお好み焼きに焼き色が付けられていく。多分鉄板の温度をミスれば外は黒こげ、中は生焼けなんて最悪の状況になりかねない調理だ。その辺りは店員の経験と勘とがモノを言うのだろう。……まぁ自分で焼け、というところもあるみたいだから、そこまで難しくはない、のかもしれないけれど。
それにしても、ソースが焼ける香りがいい感じに鼻をくすぐるわね。その中にキャベツの甘みも入っているようで……上々。
にしてもお好み焼き……何が入っているのかしら……気になるわ。あの量だし、まず間違いなく一つだけで大概の娘は腹が膨れるはず。大きさの目測を誤ったわ……あれ間違いなくピザのMクラスはある。
それにハケでソースを塗り、さらっと……濃い緑色の何か(アオノリらしい)を振りかけ、その上に鰹節を……!
「(まさか本当に踊るなんて……)」
可愛らしい触手達よろしくお好み焼きの上で素敵なダンスを披露する鰹節達に、私の口内には涎が溢れ出した。ごくり、と飲み干しつつ、期待に満ちた目で鉄板上の巨大お好み焼きが食べやすい大きさ(それでもかなり大きめだが)にヘラで器用に切られ、そのまま皿に乗せられていくのを眺めていた。割とガタイのいい店員さん(スキンヘッズに三角巾、そしてシャツの上には『板返し』というエプロンを着けた)が皿を持ってきて……。
「へいお待ち!“山の伝統お好み焼き”一丁!」
……ん?山の?
「有難うございます。あの、すいません」
「はいなんでしょうか?」
山のって事は……もしかして。
「……“海の伝統お好み焼き”ってのもあったり?」
「ありますよ。今お出ししたお好み焼きとは作り方が違いますが」
ふむ……多分これを食べ終わっても、まだ私の腹には余裕があるでしょうから……作り方も見てみたいし、何より旅のグルメの名が廃る!
「……では、これを食べ終わった辺りに、“海の伝統お好み焼き”を一つ、お願いします」
「あい、了解!食べ終わったらまたお声がけお願いします!」
皿を置いて遠ざかっていく店員から目を離し、私は目の前に置かれた、割とラージサイズのお好み焼きに視線を移す。あらゆる具を呑みこみ、混ぜられ、形を整えられたそれは、私の目の前で確かな威圧感を放っている。丁度いいくらいの狐色の生地に、適度に付いた焼き色。目にするだけで口に含んだ瞬間にサクサクした感触がするのが分かるわ……。男性の親指かそれを大よそ一回り大きくしたぐらいの厚みを誇る生地。その中には何が入っているのかしらね……?お好み焼きの中にはワンコインで食べられて、中身がキャベツと蒟蒻と紅生姜だけという何とも女性にも懐にも優しいものがあるみたいだけど。
まぁそんなことより。私は懐からマイ箸を取り出すと、それを指に挟んだまま手を合わせた。心の中では既に涎が大洪水だ。
「……戴きます」
ホットケーキのように既にカットされたそれの断面から除く、様々な食材。伝統の重みか、箸に掛かる重量もそれなりに大きい。中身はスカスカではないらしい。これは期待できそうだ……。
私は口を開き、様々な色が幾重にも重なった和風ミルフィーユ料理を……噛み締めた。
「――」
……凄い。いや、まぁボリュームという意味でも凄いと言ってしまえば凄いのだけど、私が凄いと思ったのは、あれだけ多種多様な材料が中に入っていて、それぞれの味が私の味蕾から脳に向けて全力で自己主張しているにも拘らず、そのどれもが『お好み焼き』という枠の中で調和し、旨味を引き立てている……。多分それに大きく尽力しているのがこの濃い口のソース。多分魚から肉から野菜から果物から煮込み、濃縮させた旨味の宝庫となっているのだろう。青海苔の風味と、踊る鰹節の旨味がさらにアクセントとなっているのもポイントだわ。
その影にいるけれども、きっとこれも重要なポイントでしょう。生地のキャベツと……とろろ芋。特にとろろ芋は焼く際にカチコチになりやすい生地にふんわりとした柔らかさを与えると同時に嵩を増し、頬張る楽しみを食者に与えてくれる……。キャベツの甘みもあって、濃い口ソースのどぎつさや様々な具材の個性を調和させるのに一役買っている。
具の一つ一つの華やかさも凄いわ……。カリカリとしながらもしっかりと味わい深い肉、噛み切れる弾力が心地よくソースにもばっちり合う烏賊、さくりとした感触の中に花開く旨味は桜海老、異国情緒漂う餅と異文化交流したチーズのハルモニア、刺激的な紅生姜……あぁ、全てが本来は歪なはずなのに調和が取れているって素敵……。
「……」
ああ、分かるわ、分かる、この感じ。祭りよ。夏祭りの出店よ。往々にして混沌としたラインナップになりやすい出店の数々は、祭りという場によって調和の取れた騒がしさという「らしい」風景と化す。一つ一つは自己主張しつつ、それを許容するドデカい空間と非日常性……たまらないわ♪
あぁ……食べれば食べるほど新たな味が増えていく……これは、これはまさに――皿の上の生地!ソース!具材の!大夏祭り!だー!!!!
「……戴きました。では店主さん。“海の伝統”、お願いしますね」
「あいよ!!」
さて、“海の伝統お好み焼き”の作り方は……あれ?あんなに生地が薄いの?鉄板の上に垂らした生地をクレープみたいに広げていく……お玉であそこまで綺麗に拡げるのは凄いわね。で、具材を焼いて……結構色々焼くのね。魔界豚も一部混ざってるし……!?
――次の瞬間、私にとって衝撃的な光景がっ!?
……え!?何!?何なのあのどこぞのラーメンの亜種に盛られたもやしの如き大量のキャベツと、そこに混じる豚肉とかの様々な具材は!何が始まるの!?
皿に油がしかれる鉄板の上で……あれは、ソバ!?ソバにしては色が薄いからヤキソバかもしれない、それを解しながら拡げて、ソースと油をさらに追加して……余った生地を具材の上にかけて、暫く時間を置く……とっ、適度に焼き色の付いたソバの上にひっくり返した!何この斬新な手法!で、そのまま押さえつけることによってかけた生地が糊の役割をするのね!驚いたわ。
そしてさらに卵を割り、ヘラで黄身を崩して平らにして拡げていく!熱によって固まってきた白身の境界を曖昧にしつつ固まる黄身の、その上に――蕎麦ごと生地をドン!そしてソースを塗りたくり青海苔、鰹節を振り、そのまま切り分けていく!先程生地を押し付けたことから、あれだけどっさりと乗ったキャベツや具材は相応の厚さにまで減少している。みっしりと身体を寄せ合い、互いに絡み付いていることだろう。
先程普通の魔物ならこれ一枚でお腹一杯になるお好み焼きを食べたばかりだというのに、私の心は既に涎を垂らし始めている。下の口も危ういところだ。何か周りからレズい声が響き始めているらしいけれども気にならない。期待にホルスタウロスレベルにまで胸が膨らむ……出るのは母乳じゃなくて涎でしょうけど。
「へいお待ち!“海の伝統お好み焼き”一丁!」
「おお……」
先程食べたお好み焼きとはまた違った、具材たちの香りが私の鼻に到着する。先程よりも濃厚なのは、恐らく小麦粉との割合の問題なのかもしれない。ソースに青海苔に踊る鰹節は健在……よし。まずは一口。
私は再び両手を合わせて「いただきます」すると、お好み焼きを箸で持ち上げた。上の感触と下の感触が違うのは当然として、柔らかさの裏に固さを感じることが出来るのは先程までとは明らかに違っていると思われる。これは期待できそうだ……。
ゆっくりと箸を持ち上げて……一口。
――そのとき、私の中に電流走るッ!
「!!!!!!!!!!」
何と言う新食感!
熱せられた卵のぷりぷりした弾力と甘み!
ヤキソバの何処かジャンキーな固焼き感!
しなりつつも芯を感じることの出来るキャベツの千切り!
数多の具材の旨味!
そしてそれらを包み込み統一感を出している生地が織り成すハーモニー!
無論ソース・青海苔・鰹節は健在!
これら全てを満たすお好み焼き……まさに祭りだ祭り!って感じよ!口の中が笛太鼓響く納涼合同祭だー!!!
先程が食の屋台巡りだとすれば、こちらは間違いなく遊戯屋台巡りでしょうね!そう思えるほどに舌先より前に歯が、耳が、顎の筋肉がお好み焼きの織り成す食感の交響楽を楽しんでいる!そして舌も、甘味が程よくソースの辛味と合わさって具材を巻き込んだ全く新しい調和を生み出している!
「……この調和の感じは……もしかして……♪」
私の中に、最も私にとって近しい存在の姿が浮かぶ。魔王……そうね!ありとあらゆるものを巻き込んで調和させるとは、まるでお母様のような食べ物ね。とんだ「おふくろの味」だわ!あぁ……箸が止まらない。美味しい、美味しい。
野菜が多分に含まれていることから、美容面でも中々上々なんじゃないかしら?美味しく食べて美しくなる、そんなパターンのお好み焼きもひょっとしたら作れるかもしれない。一度試しに作ってみようかしら……そんな事を考えつつ、箸は進んでいく。そして……。
「……ふぅ」
……お腹一杯。満足。口に残るソースと卵、キャベツなどありとあらゆる具の味の余韻をかみ締めつつ……私は両手を合わせた。
美味なる食の混合ハルモニアに――感謝を。
「――御馳走様でした」
――――――
「――で、聞きたかったのはね……"ネグーム"の話よ」
オフ会の面々を大陸に送った後、私は『天網』さん――ブラックハーピーのサナ=エチカさんに訊ねたのは、あの"悪霊の地"についてだった。
歴史希に見る激しさを誇った内乱の末に、跡形もなく滅びた街、ネグーム。私はその唯一の生き残りの所在を知っている。偶々の行きつけだったけれど、オーナーである彼女の性格及び性質から鑑みればさもありなん。拾ったって言っていたし。全く……トラブルが好きよねぇ。
「あぁ、"唯一の生き残り"に懸賞金を掛けようとした一派が他に後ろ暗いこと散々やり散らかしていたってアレね」
「その節は本当に助かりました。デルフィニウムの店主の分も含めて、お礼を言わせていただきます。本当に、どうもありがとう」
純粋な正義感とは無縁の世界は教会にもある。私からしたらバッカじゃないのと思えるような非情にくだらないことに拘泥する人々がいる。彼らもそんな人種だったし、だからこそこうして彼女達のターゲットにされてしまったのだ。この一件に関しては自業自得としか言いようがないわ。
「ははは……リリム様に頭を下げられたブラックハーピーなんて私くらいだろうねぇ」
「そりゃそれだけのことをしてくれたんだもの。いくら感謝してもしきれないわ」
彼女の……いや、彼女達の働きでニカちゃんを襲う輩が一時的に消えたのだ。少なくともデルフィニウムに居る以上まず襲われ奪われる事はないだろうけど、敵となる人は少ない方がいい。将来彼女が何をするにしても、刃を向けられる対象は少ない方がいいに決まっている。
褒め言葉に笑顔を見せたサナは、そのまま相手を射殺す目をして私を見る。これは彼女の癖で、確証の取れたネタを打ち明けるときに相手に「だーとれよワレ」と圧力をかけてしまうらしい。何て物騒なんだ……でも頼れるのよ。特にこの手の、身に危険が及ぶ確率の高いネタの時は。
「……ネグームの内乱には鉱産資源が絡んでいるのは知ってるわよね。その鉱産資源を狙って反魔物領や教会、そしてサバトの一部が兵を出していることも」
「……ええ」
それは有名な話だ。新聞にもよく載っていて、一部では『邪教たるサバトによってネグームは滅ぼされた!我らは断罪の刃を以てかの邪教を放逐し、魂に安寧をもたらさなければならない!』とか騒いでいる反魔物領領主が新規に軍を設営したとかいう情報も出ている。
その辺りのことをサナはざっくり話したあと、さらに視線を強めて口にした。
「……出兵した兵士達の行方不明者数が、どうもおかしいのよ。教会発表とサバト発表が食い違うのはいつものこととはいえ、どう考えても私達の目測による実態との乖離が激しすぎる」
「……死者数の発表は?」
「そう、その死者数もおかしいのよ。最初は行方不明者を死者数に入れている可能性も考えたけれど、無論その分の水増しも少なからずあったとはいえ……明らかに圧倒的に足りないわ。大体好意的解釈の旦那がおかしいというくらい足りないのよ」
それは大事だ。サナの旦那さんはともすれば逸りがちなサナの良心的ストッパー。別の視点を提供してより真実に近付ける彼が疑問を持つって事はよっぽどの事態だと分かる。
「事態は解決している気配は皆無よね、これは……」
寧ろ泥沼化している気すらする。つかあの領の中で何が起こっているのよ。過激派の妹達すら手を出す気配がないし。彼女達なら誰もいない死者の気配漂うあの場所に魔力ぶち込んで屍者の里にしかねないとも思っているんだけど……まぁその辺りはハンスが何か手を回したのかしら?
「ええ。さらによく分からない物まで出現し始めたし」
……何ですと?
「え?どういう事?」
「黒い靄の塊らしき物が、領の中心辺り……丁度神木があった辺りに出現し始めたわけだけど……ナーラ、いえ、ロメリア様。何か旧世代の魔物で心当たり無いかしら?」
え、黒い靄、神木辺りに出現、内乱後……あぁ、思い当たるのがあったわ。本来ならば御母様の魔力でゴーストになっている代物が……うわ、最悪。
「……ものっそあるわ。悪霊(ガイスト)の集合体……神木の周りに出現しているのじゃなくて、神木によってその周辺にしか出現できないようになっているとしか」
「能力の特徴は?」
「精神に干渉して魂を喰らい、取り込んで手下か……或いは身体の一部にしてしまう、かしら」
今のゴーストがどれだけ無害になったのか分かる代物だわ、あれは……しかも一番厄介な事がある。どうやって退治するかだ。その辺り、サナも察知している模様。
「退治って、まさか全員分の心残りを解決するわけじゃないわよね?或いは全霊を滅ぼすとか……」
それだったら何処かの島に隠居しているLv9999クラスのバフォメット三十人による渾身のメギドラオン……じゃなかった、大魔法で跡形もなく消し飛ぶから楽でいいんだけど……。
「厄介な事に、悪霊の集合体ともなると核があってね。それさえ滅ぼすなり浄化するなりしてしまえば悪霊は集まる芯を無くして雲散霧消してしまうんだけど、かなり限定された相手によるかなり限定された攻撃方法じゃないとそれを壊す事はできないのよ。核自体も悪霊の中心にあるから、まずそこまで入ることが出来るかが問題になってくるわけで……」
霊は怖いのだ。積もる恨みは粘性を増す。まるで掃除されていない都会の下水の地下深くにあるヘドロのようだ。今はバブルスライム及びラージマウス達の献身的掃除によって、デビルバグやベルゼブブに邪魔されつつも清掃が行き届きつつあるみたいだけど……悪霊は清掃者がいないから……。
「厄介ね……」
「ええ、本当に厄介。だから貴方達も取り込まれないように気をつけてね。特に若い子は無茶しやすいから」
分かったわ、と一声、暫くペンの動く音と、店の中で清掃する音だけが辺りに響く。私はそれに耳を傾けながら、満天の空に一際輝く星を眺めつつ……宿にいるニカを想った。
きっと、あの悪霊を倒す鍵は、恐らくニカが握っている。となると……。
「本当に、カミサマは酷な事をするわよねぇ……」
待ち受けているだろう運命に、私はそう呟く事しか出来なかった……。
Fin.
13/04/10 23:25更新 / 初ヶ瀬マキナ
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